【帰ってきた】ガチ議論
このエントリーをはてなブックマークに追加

トピックス

ガチ議論サイト復活!

201704

ガチ議論サイト、しばらくダウンしておりまして皆さまにご心配をおかけして申し訳ありませんでした。このたび、無事に復活することができました。 皆さまもよくご存じのように、大学・研究機関の研究者を取り巻く環境には、様々な問題が山積しています。そのような「問題」は、特定の研究分野・テーマを対象とする各種学会などで議論の対象とすることはなかなか困難ですし、では一体どこで問題を提起し議論し解決を目指せばよいのか、というと意外に適切な場所がないようです。日本の研究力の低下が指摘されていますが、その背景には、そのような場の欠如が大きな要因の一つとしてあるのではないでしょうか。ガチ議論サイトは、2015年以降スタッフが忙しかったこともあり、ほぼ休止状態でしたが、最近になって、このサイトがいろいろな方面から情報ソースとして重要視されていることが解ってきました。日本の科学の現状についての記事を書かれたNatureの記者さんがこのサイトを参考にされていたり、文科省の方々もちらちらと見られているそうです。また、このサイトがなくなるのは困るという意見もいくつかいただきました。そこで、活動を再開するとともに、運営体制をリニューアルしました。 一つは、ガチ議論スタッフの代表が、大阪大学の近藤滋から、私、藤田保健衛生大学の宮川にバトンタッチがなされました。もう一つは、これまでサイトの維持やイベントに関して、学会の年会(分生2013、BMB2015)にサポートをいただいていましたが、今後は、ScienceTalksにサポートしていただき、運営がなされることになりました。学会からは独立しましたので、皆さまの学会(分野や学会の規模は特に問いません)の大会などにおきまして、「ガチ議論企画的なものを行いたい」というご希望がありましたら、協力させていただくこともできます。その際は、ぜひお声がけをお願いします。 皆さまからの、日本の科学にまつわる問題提起と、その解決案の投稿をお待ちしています。ポスト、研究費、雑用、書類の形式、ローカルルール、などなど、細かい問題から、大きな問題までなんでも結構です。ご自分のサイトに掲載したブログを転載していただくのも歓迎です。また、ガチ議論スタッフに加わってみたいという方、大歓迎ですので、ぜひご連絡をいただければと思います(匿名のスタッフも歓迎します)。 ガチ議論 スタッフ代表  宮川 剛  *  *  * 自民党の河野太郎氏が、「研究者の方へ」と題したツイッターの書き込みで、直接研究者からの要望を募集し、それに答える形で、文科省に働きかけ、研究者を困らすローカルルールの撤廃を進めています。実際に阪大でも、「旅費申請をするには、切符を持って帰らねばならない」というルールがなくなりました。国会議員のパワーはすごいです。あとは河野氏に任せておけば、、、と思ってしまいそうになりますが、それだけでは危険かなあ、という気もします。一人の議員のところに集まる情報・要望は、研究者社会のコンセンサスを得たものではないからです。ですから、ガチ議論のような議論の場は今後も必要かもしれないと、改めて思っております。 新体制では、近藤はスタッフから卒業し、藤田保健衛生大の宮川剛さんを代表として新しいチャレンジをしていく所存です。今後ともガチ議論をごひいきに。 ガチ議論 前代表  近藤 滋  *  *  * 過去の一部トピックスにおいて、サイトをご覧の方々から、利用規定に抵触する書き込みについてご指摘をいただき、これらについては削除いたしました。

続きを読む

ガチ議論2015 本番情報

gachi_2

おまたせしました!「ガチ議論2015」の本番詳細です! 【企画紹介ビデオ】 【企画の趣旨】 日頃、「文科省のおかげで大学(研究所)がめちゃくちゃだ!」とお怒りの皆さん、お待たせしました。ガチ議論が2年ぶりに帰ってまいります。今回は、文科省対話型政策形成室のご協力のもと準備を進めております。ガチ議論の場での要望は、間違いなくトップに届きます。ですが、届けば叶うわけではありません。単に「もっと予算をよこせ」と叫ぶだけでは何も起こらない。我々科学者は「知的な」集団であるはずです。納得せざるを得ない論理とデータで説得しましょう。ラスボスを味方に引きずり込みましょう。それができるかどうかで、明日の生命科学の環境は大きく変わるはずです。 今年のテーマについては、現在検討を進めていますが、それをするにも皆さんのご協力が必要です。単なる非難のやりあいにならないように、研究者サイドからの問題点を整理し、それを文科省側に振り、事前に論点を煮詰めることで、当日の議論を有意義なものにしたいと考えます。研究者側にも立場(学生、PD、PI、大御所)の違いにより意見が大きく異なると思われますが、それも、一切合財飲み込んで、形式的でないガチな議論をしたいと考えます。

続きを読む

東大総長参戦!

Yasuda_Auditorium

五神真・東京大学総長がガチ議論に参戦です。 さきのアンケートではいわゆるポストの問題についての回答が多くありました。ポストに関するホットな話題といえば来年度から始まる卓越研究員制度が挙げられます。ネット上では賛否両論(http://togetter.com/li/853354)ですが、この制度設計がどのようになされたのかを知りたくはないですか? 「飲み会のネタで終わらせない」をモットーとするガチ議論では、聞きたいことは当人に聞け!ということで卓越研究員制度検討委員会の主査でありました、五神総長にガチ議論への登壇を打診しました。「あいにくスケジュールの都合上出席はできないがインタビューを受けることはできる。議論しよう。」とのお返事がありましたので本日、東大に行ってきました。 卓越研究員制度を簡潔に紹介しますと、「受け入れたい大学は手をあげろ」「大学・研究機関外の公的機関が人を審査する」「マッチングで割り当てる」「割り当てた人は無期雇用にせよ」「人件費は基本大学持ち」という大学側にとっては人事権がとられるだけ、と、あまりメリットがなさそうなものにもみえます。ここまではニュース等でご存知の方も多いでしょう。 しかし、五神総長が提案した当初の構想(Web上で見ることができます:PDF)が「中央雇用で無期雇用」という大学からも研究員からも拍手喝采間違いなしの案だったことはご存知でしょうか。 どうして変わったのか、そこをインタビューしてきました。 当初の構想の本質はどのようなものだったのか、どのような議論を経て現状案になったのか、このような制度設計時に研究者コミュニティが後押しできることは何か、などなど。研究者発案の制度がどのように実施まで運ばれるのか、克服するべき課題はどこか、などが明らかとなるインタビューでした。 現在、詳しい内容を当日会場でVTRコメントとしてご覧いただけるよう準備をしています。 東大総長参戦でますます盛り上がるガチ議論! ぜひ会場にお越しください!     *コメント欄では「I’d rather post as guest」をチェックいただくと、登録なしでゲストとして投稿ができます。 *仕様上メールアドレスの入力が求められますが、適当なもので構いません(情報の回収など行っていません)。

続きを読む

多方面からのご意見、ご感想

imgres copy

Twitterから拾ったコメントです。 1行コメントで良いので、是非、皆さんのお考え、感想を下のコメント欄に。 ロビー活動って重要なのね…ってどうでもいいところに目が行った https://t.co/nc4spogzC8 — akira satoh (@satohlab) 2015, 11月 10 負けてる負けてる… https://t.co/JRbHOrYmLR — 茄子野茄子 (@nasukiuri) 2015, 11月 12 こりゃ、駄目だな。自分(文科省)たちの失敗を、自分たちのものとしてとらえていないので、改善は全く期待できない。例えば「ポスドク一万人計画は失敗しました、後はアカデミアで何とかしてください」と言っているようにしか聞こえない。 https://t.co/MlkMBiMQxV — Katsumi (@kats_me) 2015, 11月 12 いろいろいろいろ面白い。どうにもならなさがあるのも大変面白い。まあ、文科省が駄目だ、財務省が敵だというだけでは物事はどうにもならないよね / “文科省官僚への質問、第二弾:本音は引き出せたか?? | 日本の科学を考えるガチ議論” https://t.co/930jM4PJUL — bn2 (@bn2islander) 2015, 11月 10 八方塞がり感がヤバイ…。サイエンストークスみたいに民間&研究者がグランドデザインを描いて文科省のサポートを得ながら諸々改善していくのが現実的なのかも。/文科省官僚への質問、第二弾:本音は引き出せたか?? https://t.co/gpLcJOXPut — Ryosuke SHIBATO (@RShibato) 2015, 11月 10 「大きな方針の場合、誰が、ということは基本的になく、関係諸機関での意見の集約をしていく過程で、だんだん形を成していく」 ここに一番問題を感じますね。責任を持った個人が存在しない。 文科省官僚への質問、第二弾:本音は引き出せたか?? https://t.co/UECl45HQSC — T. Itoh (@taitohjp) 2015, 11月 10 【文科省の職員も完全に他人事:文科省のことも大学のことも】文科省官僚への質問、第二弾:本音は引き出せたか??日本の科学を考えるガチ議論 https://t.co/yvm0Ix0q2C 先の鈴木寛文科大臣補佐の言葉と合わせて考えると文科省に大学問題を解決する気も能力もないのがわかる — TOCHINAI Shin (@5goukan) 2015, 11月 11 グランドデザインの欠如は学者の側の責任に期するとしても、個別の予算ごとの整合性のなさを説明するのは、少なくとも官僚の仕事であると思うんだよね。 https://t.co/CocZ5sr16Y — 春日匠 (@skasuga) 2015, 11月 11 前回より突っ込んだ議論に展開してる。結論としてはね、学者が自発的にAAAS的な機関をつくるしかないんだと思うんですよ。なぜ日本の研究者がここまでそれを避けるのかが不思議。 / “文科省官僚への質問、第二弾:本音は引き出せたか??…” https://t.co/CocZ5sr16Y — 春日匠 (@skasuga) 2015, 11月 11 普通に文科省の2人の方が正論というか合理的な意見を言っているし、財務省に対抗するために文科省と研究者コミュニティがタッグを組むというのも当然の話かと。そしてそもそも今更ポスドク問題の責任論とかするのは訳が分からない https://t.co/7Qh9ZgGBVZ — TJO (@TJO_datasci) 2015, 11月 11 しばらく目を離していたらコメント欄がまた壮絶に不毛な言い合いになっていてワロタ / 文科省官僚への質問、第二弾:本音は引き出せたか?? https://t.co/7Qh9ZgGBVZ — TJO (@TJO_datasci) 2015, 11月 11 何度でも言うけど「だったら国会議事堂前から鍛冶橋まで国会通り~外濠通りと全国の研究者で大挙してデモ行進でもやれば?」と思ってしまう https://t.co/7Qh9ZgGBVZ — TJO (@TJO_datasci) 2015, 11月 [...]

続きを読む

文科省官僚への質問、第二弾:本音は引き出せたか??

20130417_mext

前回のアンケートに対する回答に続き、コメントとして書き込まれた内容をまとめて、さらに質問をぶつけてきました。今回は、前回よりも踏み込んだ回答と、官僚の本音のところが見えて面白いです。皆さんは、どの様に感じるでしょうか? ご注意 以下の問答は、11月6日に行われた、4時間余りの議論をまとめたものを近藤が整理して文章化したものです。従って、行間から、斉藤・生田の意図しない雰囲気が伝わる可能性がありますが、それは近藤の責任ですので、ご理解を。また、斉藤氏、生田氏の個人的な発言であり、文科省の公式見解ではありませんので、その辺も御留意下さい。 [時・ところ]  2015年11月6日 文科省 [参加者]  ガチ議論:  近藤滋、宮川剛  遠藤斗志也(BMB2015 生化学会大会会頭)  文科省:  斉藤卓也(文部科学省 研究振興局 基礎研究振興課 基礎研究推進室長)  生田知子(文部科学省 大臣官房政策課 評価室長) ガチ:前回の生田さんとのインタビューを掲載したところ、かなり大きな反響がありました。研究者サイドからは、予想通り、「無責任だ!」というネガティブな突っ込みが多かったのですが、一方、外部の人のツイッターのコメントを見ると、生田さんのご意見は当然の物である、というものが結構ありました。で、今回は、寄せられたコメントの主だったものを、掘り下げてみたいと思います。 生田:よろしくお願いします。 改革の必要性について ガチ:まず、最初に聞いておきたいのは、そもそも大学や研究環境をこれほどまでに競争的にする必要が有ったのかと言う事です。ノーベル賞を50年で30個という目標が、科学技術基本計画で建てられましたが、現在のペースはそれを超えており、アメリカを除けば一位です。要するに、既に存在する最高の盆栽に、わざわざ手を入れて悪くしていないか…。 斉藤:ノーベル賞を取ることが全てならそれでよいです。しかし、それだけでよいとは産業界などは思っていません。ノーベル賞のベースは守りつつ、社会の要請にももっと応えるための改革は必要です。 ガチ:でも、それを言いだしたのは政府の方ですよ。 斉藤:もう一つは、時代の違いです。科学の国際的な競争が激しくなりお金がたくさんかかるようになった。財政事情から言って、外国(中国)の様には増やせないので、もっと効率の良い方法を見つけるという意味もあります。 ガチ:それがうまくいっているかどうか…。 斉藤:その辺は、アカデミアと政府がもっとよく話し合い、例えば総額は減っても、過度に競争的でないというプランもありえると思います。そういった思想を大学と共有してやっていくという道もあったとは思いますが、残念ながらアカデミアでも、役所でも、そのようになっていない面があるかと思います。ですが、交付金が減りすぎという意見も増えているし、地方創成が政権の重要テーマとなっている中で地方大卒の人がノーベル賞をとったので、そういう議論を始めるいいチャンスだと思います。 PD問題の責任論について ガチ:まず、「無責任だろう!」という責任論ですが、そもそも、大学院重点化とかポスドク10000人計画とか、非常に大きくて影響のある方策は、誰がどうやって決めるのでしょうか。 生田:そのような大きな方針の場合、誰が、ということは基本的になく、関係諸機関での意見の集約をしていく過程で、だんだん形を成していく、という感じです。役所のものの決め方は個人の責任で決断できる民間企業とは違う、ということをご理解ください。 ガチ:しかし、そうなると、こちらとしては責任論の持っていき先に困りますねぇ。 生田:もともと、役人一人が責任を取ることなどできませんので。ですが、貴重な税金を使うわけですので、1個人の思い付きではなく、関係者諸機関の意見を集約するのは、当然だと思います。 ガチ:関係者諸機関というと? 生田:総合科学技術会議や学術審議会、財務省や政権与党、内閣府、官邸などですね。 ガチ:JSTやJSPS、NISTEPなどは。 生田:もちろん、それらも、重要な情報源です。 ガチ:で、それぞれの諸機関がどういったデータ、根拠をもって意見を出してくるのでしょう? 生田:関係機関のそれぞれが、公開・非公開の審議会で、識者の意見をまとめますが、科学技術に関することであれば、識者の多くはアカデミアの人です。ですから、大きな方針の決定には、基本的にアカデミアの中心的な人が参加している、と認識しています。 ガチ:と言う事は、そのレベルでの議論に勝たないと、大きな予算は通せないと言う事ですね。 生田:そうなります。 ガチ:しかし、経過はどうであれ、ポスドク10000人計画・大学院重点化を打ち出して、それにより、ひどい就職難を起きてしまったのは事実です。そのことに対して、何とかレスキューの手立てをしてほしいという要求があってもおかしくないのでは? 生田:ポスドクを作ってしまったのだから、いきなり切られても困る、と言うのは良く解ります。今のところ、とりあえずできているのは、細切れ予算でつなぐ事しかない、というのが現状ですね。 ガチ:自転車操業ですか。 生田:その通りです。それを脱するには、予算を通さないといけませんが、その目的が「余剰人員を救う」では、難しいでしょう。財務関係からの「もっと別に救うべき人はたくさんいる」という主張に勝てません。もっと積極的に「高度な人材を活用する」というポジティブなプロジェクトを、説得力のある形で提示しないといけない。 ガチ:それを、誰が? 斉藤:ぜひ一緒にやりたいですが、我々にそのアイデアが出せるかというと…やはり、アカデミア側で知恵を集めていただいて一緒に考えていかないといけないと思います。 あと、運営費は減っていますが、その分、競争的な資金が増えているので、大学に投下される予算の総額は変わっていません。ですから、若手のポスト問題の救済を主張する場合、まず、大学内のシステムを最適化してできるだけ改善し、そのうえで主張しないと、社会や財務省に対する説得力がありません。限られた予算を最適化されたシステムで使う必要があり、大学の運営も改革する必要があると思います。 運営費交付金と地方大学の問題 ガチ:大学の改革の話になりましたが、運営費交付金が減らされてすぎて、特に地方大では研究者教育が成り立たない状況が生まれています。 生田:実は、先ほどまでそのことをテーマにした委員会が開かれておりまして、同じことが問題になっていました。減らしすぎて弊害の方が多いという問題です。また、大学側に戦略的な改革を期待しても、組織の維持だけでもいっぱいいっぱいで、それを実行するだけの資金が無い、ということも認識しています。食い止められなかったのか、とも聞かれるのですが、この問題は、毎年財務の側から「人口減なので教員の数、交付金を減らせ」というプレッシャーがあり…結果的に自転車操業的に種々のプロジェクトで総額だけは減らさないようにしているという感じです。 ガチ:それはそうですが、プロジェクト予算と交付金はずいぶん違うので。 生田:はい、それはわかっていますが、予算を通す時に具体的な出口のあるものですと説明しやすいので、どうしてもそっちに注力しがちになります。基盤研究費を皆に、とか、交付金を一律に増やす、だと、それこそ金額の話にしかならないので、説得力を持てません。ただ、今年のようにノーベル賞を地方大出の研究者がとってもらえると、そのことを材料に交渉することができるので、有り難いです。 ガチ:ここまで減ったのを戻すのは無理でしょうか? 生田:国民がそう感じれば。ロケットやスーパーカミオカンデなどは、その分野の人たちがうまく国民に対してアピールしています。両者とも「役に立つ」というロジックから遠く離れていますが、ちゃんと予算を獲得していますから。 ガチ:そこのところは、生命系の研究者一丸となってやってほしいと…。 生田:いくらでもサポートしますが、我々は専門家ではないので、そこは皆さんの役割かと。 トップダウンプロジェクトの問題点 ガチ:総額で変わっていない、とのお言葉ですが、競争的な資金は使途を自由にできるわけではないことを忘れないでください。大学はお金が無いので、リーディング、GCOEなどのトップダウンプロジェクトは、莫大な労力をかけて、しかもかなり無理をしてまで取りに行きます。それって、大学に取って大きなコストになるのです。 斉藤:そうかもしれませんが、それを含めてうまくやるかどうかも、競争のうちでいいんじゃないかと思いますけどね。コストをかけても取りに行くかどうかも含めて、大学の経営能力とポリシーが問われる、と。 ガチ:運営費が減らされているので、そんなポリシーが働かないんですよ。あと、プロジェクトを5年単位で止めず、続けてほしいです。運営の蓄積があれば労力も減り、無駄もなくなる。また次の新しいプロジェクト、となるとたいへんです。そもそも短期のプロジェクトの連発で大学の改革を促す、ということが間違っているのではないでしょうか。 斉藤:一応、名目上は短期のプロジェクトは試行という意味が大きく、うまくいったものに関しては、継続してもらうということで、先導の事業を進めています。うまくいったら次は大学のお金で自腹でやってください、が建前です。 ガチ:でもうまくいっても、大学にそんなお金ないですよ。 斉藤:だから、うまくいったから、このお金は切っちゃいけない、というそういうロジックを作っていかないといけないのですが、それをやる仕組みが無いのが根幹のところの問題なのかな。今WPI事業の担当をしていますが、まもなく支援期限を迎える拠点の能力の維持が最大の課題になっています。 ガチ:交付金が減ったらできないですよね。 斉藤:ですので、間接経費をもっと増やすことや民間からの資金獲得を進められるように色々検討が進んでいます。 ガチ:50,60%に増やせると? 斉藤:不可能ではありません。 ガチ:でも、今よりもさらに間接経費頼みとなると、地方大は消滅しますよ。 斉藤:ですから、世界と戦うために競争的環境に生きる大学と、地方と共生して人材育成や地域産業への貢献を重視する大学に分類分けし、そっちの方は、間接経費ではなく別のロジックで与える…。 ガチ:な、なるほど、そういう理屈で大学の3分類が出てくるのですか…。 トップダウンの決まり方はどんなやり方? ガチ:ではそのトップダウンのプロジェクトの決め方なのですが、具体的にはどんな方法でしょう? 生田:基本的にアカデミアの意志を吸い上げて、となるのですが、政治家や内閣の誘導によるものも有りますので、色々です。 ガチ:いわゆるロビー活動のように、官僚と個人的接触のある学者がプロジェクトを持ってくるというのは? 生田:結構あります。実際のところ、予算は急に決まることが多く、そのタイミングで、既に形になったプランがあると話が早いので、利用させてもらう事が多いのです。しかし、これが良いと納得しているわけではありません。 ガチ:どういう事ですか? 生田:審議会行政の悪いところと言いますか、役所に足しげく通う御用学者ばかりが我田引水的に得をして、分野のためにはならない可能性が心配するからです。もちろん、我々にも責任があり、待ってるばかりでなく自ら探さねばいけないのですが、専門的知識と時間が無いのでできていません。 ガチ:そういった点が学会が果せる役割が有りますか? 生田:学会でオープンに話し合う事でコンセンサスが保証されているようなプロジェクトがあれば理想的で、そちらを選ぶことになるのでは、と思いますがどうでしょう。その点、物理系、化学系は、結構しっかりしていると言う印象があるのですが。 ガチ:う~ん…生命系がまとまるかなあ…。 文科省とのかかわり方 ガチ:ロビー活動の話が出てきたので、文科省との関わり方についてお聞きしたいと思います。実際のところ、何かアイデアが有って、それをまとめて持って行ったとしても、聞いてくれるように思えないのですが。 斉藤:色々な陳情がありますので、いきなり見ても、単に我田引水のような陳情なのか、本当に科学的に意味のあるプロジェクトなのか直ちには解りません。やはり、何らかのやり方で(学会等でとか)意見集約してくれていると、話が進みやすいと思います。  一方で役所の方も、「政策のための科学」という動きを進めていまして、論文分析など客観的なデータに基づいて、政策を作ったり、プロジェクトや戦略目標を立てたりする方向にしていきたいと思っています。 あと、できれば、そのプランを作るところから参加させていただけるとありがたいです。一緒に作ったという一体感がある方が、担当者も本気を出して動きやすいと思いますし。事業として進めて行くには色々と必要なノウハウや根回しなども有り、いきなり結果だけいただいても対応できないことも多いです。 ガチ:しかし、お役所というと敷居が高くて、下っ端が出てきて門前払いをくらい、というイメージがあるのですが。 斉藤:本気でどうしても通したい話があるのであれば、体を張って抵抗をしてください(笑)。そのためにも、アカデミアと役所の日頃からのコミュニケーションが必要だと思います。 ガチ:いや、ですけど、大学にとって官僚っていいますと、雲の上の存在的なイメージがあるのですよ。15年くらい前に、ゲノム特定領域の班会議(1000人くらい参加)の懇親会に、とても若い担当の官僚が来た時、こちらの長老教授たちがやたらVIP扱いしていたのをはっきり覚えています。 斉藤:なにやってんですか(笑)。係長とか課長補佐とかは、入省して数年の若者です。大学では学生か、博士取り立てくらいの年齢ですかね。お歴々がそんなのに、へへーとなってしまうのがおかしいと思います。大学がバカ殿教育しているようなものです(笑)。ちゃんとした批判を堂々としてくれる人がいないと、役所の方もダメになると思います。大学、科学界が、予算を気にして文科省に言うべきことを言わなくなると、健全な議論が出来なくなり、省内が内輪の理論だけで回ってしまう。結果として社会には受け入れられず、他省との交渉に勝てない政策になってしまいます。 グランドデザインの有無 ガチ:文科省に、しっかりしたグランドデザインというか、高等教育・研究支援のポリシーが無いのが問題、という意見もあるのですが。 生田:その点は自覚しています。文科省は、研究機関以外にも、幼稚園から小中学校・高校・大学と膨大な現業部門を抱える省であり、緊急対応を要する現場の問題の種を無数に抱えています。役人はそれぞれに対応するのに手いっぱいで、そのような大きなビジョンや構想のようなものを描くという時間的余裕がなく、本当の意味での政策官庁になりきれていないのが課題と感じています。 ガチ:しかし、教育も科学も国の未来への投資ですから。 生田:もちろん、そのような考えで活動している人間もいます。ですが、残念ながら少数であり、どうしても目先の問題が先になるので、省としての意志につながらないのです。こんなことではいけないと思っているのですが…。 ガチ:確かに、しっかりしたポリシーが無いと、折衝とかでは不利になりそうですね。 生田:例えば経済産業省などは現業の少ない省ですが、その場合、自らの存在意義について常に考えていますから、論理的と言うか、口がうまいと言うか、言い負けてしまう感じです。 ガチ:アカデミアと文科省がきちんとタッグを組まないとだめ? 斉藤:本当にそうしたいと思います。当然ながら役人だけでは政策は作れませんので、現場の問題を知っていて一緒に考えてくれる方が必要だと思います。そういうきっかけを見つけるのが難しいのだと思います。仲間だと思っていたら、同じ人が、別の省に行って文科省のプロジェクトを非難していたなんて話も聞いたことがありますし…。 ガチ:・・・。 *コメントは発言者が所属する組織の意見を反映しているものではありません。 *コメント欄では「I’d rather post as guest」をチェックいただくと、登録なしでゲストとして投稿ができます。

続きを読む

「若手にテニュアポストを」と国が宣言?

imgres-1

現在、第5期科学技術基本計画の素案が出ており、パブコメが求められています。 素案PDF→http://www8.cao.go.jp/cstp/pubcomme/kihon5soan/m001.pdf パブコメ募集ページ→http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=095151350&Mode=0 科学技術基本計画は、今後10年程度を見通した5年間の科学技術政策を具体化するものとして政府が策定するものです。本年度までが第4期、来年度から5年間が第5期にあたります。 単なる「提言」などではなく、政府が「これを目指す」と宣言するものであり、今後の科学政策は基本的にこれを基に進められるといってもよいでしょう。 で、今回特に重要なのは、素案の中に、この掲示板でも話題になっている若手研究者のキャリアについて以下のような方針が提示されていることです。 (引用)  科学技術イノベーションの重要な担い手は、若手研究者である。しかし、大学等における若手研究者のキャリアパスが不透明で雇用が不安定な状況にあり、若手研究者が自立的に研究を行う環境も十分に整備されていない。  このため、大学等における若手研究者のポストの確保、公正で透明性の高い人事システムの確立、若手研究者への処遇や研究費の充実等を促し、若手研究者が高い能力と意欲を最大限発揮できる環境を整備する。  特に、若手研究者のキャリアパスの明確化は重要である。大学及び公的研究機関等は、シニア研究者に対する年俸制やクロスアポイントメント制度の導入、人事評価の導入と評価結果の処遇への反映、再審査の導入、外部資金による任期付雇用への転換促進といった取組により、組織の新陳代謝を促し、若手研究者が挑戦できる任期を付さないポストを拡充する。 (引用終わり) これを読むと、多くの若手研究者が望んでいることを行う、と国が宣言しているように見えます。最近、多くの人がPD問題を訴えるようになり、それがある程度は国に届いているのでしょう。 ですが、安心しないでください。 これは、まだ確定していない「素案」なのです。 国立大の運営費交付金の削減求める声は相変わらずです。運営費を減らすことと、ポストを増やすことは矛盾しますので、この文章が最後まで残り、正式な基本計画になるかどうか、保証はありません。もし残らなければ、、大変困ったことになります。 幸い、素案にはパブリックコメントが求められています。是非、皆さんの声を届けましょう。1つや2つでは影響は少ないでしょうが、千、2千と集まれば、影響は十分にあるはずです。逆に、集まらなければ、PD問題なんて、実はたいしたことない、という意思表示と受け取られるかもしれません。 11月16日(月)締切です。 (当然、この記事はtwitter, facebookなどで、拡散大希望です。)

続きを読む

日本の科学の三つの問題点:成果と連動しない任期制、ハイリスク投資の欠如、副業禁止

trinity

A1 業績の如何に関わらず任期で雇用打ち切りになる。  運営費交付金が減少しているので継続的に雇用できる人件費がなく、期限付きのプロジェクト予算で人を雇用するので、任期で雇用せざるを得ないという理由は分かる。しかし、成果と連動しない任期制度は人の使い捨てに他ならず、雇用される任期付研究員•教員の問題だけでなく、業界全体の活性をも低下させてしまう。  任期期間に優れた研究業績を上げた人はテニュアを得られる、あるいは昇進してより良いポジションにつける、というならば任期制の意味はあるだろう。しかし、現状は、始めに任期が3-5年と指定されており、どんなに優れた成果を出そうとも任期が切れると自動的に雇用打ち切り、というのがほとんどである。組織のルールで雇用は3年まで、あるいはプロジェクトが5年だから、というような理由であるが、このような雇用体系は成果が最重要項目である研究活動にはそぐわないのではないだろうか。  このような任期制度では、出した成果が評価されず、優れた能力をもった人の活性を低下させてしまうだろう。また、限られた期間に論文を確実に出さないと次の職にありつけない、このような状況では、長期間かかる研究やリスクの高い研究を行うことが出来ない。また、常に就職活動をしながら研究をする、これでは落ち着いて研究は出来ないのではないだろうか。そして、優秀な人であるほど業界に失望し、日本を去っていく、アカデミアを去っていく、のではないだろうか。  時間が経てば自動的に組織を去る、という状況では、任期制の研究者•教員は組織に対する愛着感はなくなり、組織の連帯感は失われ、みんなで研究•教育を盛り上げよう、みんなで組織を盛り上げよう、という感覚にはならないと思う。このような状況が続けば、研究機関、そして研究業界は崩壊してしまうのではないだろうか。  任期が切れれば容赦なく雇用打ち切り、このような環境では、組織のこと、教育のことよりも、自分が次の職を見つけることが優先になるだろう。誰も無職にはなりたくはない、だからこうなるのは当たり前のことである。どんなにその組織の仕事を頑張ろうが、教育を頑張ろうが、評価されない。むしろそれらを頑張ったことによって任期が切れた後に無職になったのでは元も功もない、という考えを持つのは自然である。  学生達は任期制の教員に研究指導を受けている。この弊害としては、学生が大学を卒業するよりも前に教員が去ってしまい、これによって学生は自分の研究に支障が出てしまうのではないだろうか。直接学生に実験指導をしているのは若手の教員であることが多い。そして、その教員には任期がついており、一人の学生が学部を卒業する、修士を修了する、博士を修了する、その前に大学を去る。そうなると、一人の学生は任期制の教員をたらい回しにされるように研究指導を受けることになるのではないだろうか。  学生は、博士課程に進んでもその後の職が安定しない、成果が報われない、この状況を目の当たりにしている。だから、学生が博士課程に進まなくなるのは自然なことである。成果に連動しない任期制をみている学生は、アカデミアで研究することは夢も希望ない、と感じているのではないだろうか。どんなに若手を増やす施策を行っても、それは表面上の施策であることを学生達は気がついているのではないだろうか。自分たちの先輩にあたる人たちの状況を見ていれば、学生達は博士課程に進もうと考えるだろうか。   A2 日本が借金を大量に抱えているから、科学予算を減らしたくなるのは分かるが、投資すべきことには投資する必要がある。  日本は1千兆円以上の借金を抱えているので、様々な予算を削減せざるを得ないことは理解でき、さらに科学予算を削減したいと考えるのは理解できる。しかし、天然資源が少ない日本が継続的に稼ぎ続けるためには科学技術の発展が不可欠であり、10年20年後の日本の生活が豊かでいつづけるためには長期的な視点での科学への投資が必要である。  近年の科学技術予算は今すぐに役立つ研究へと一極集中的に投じられ、また目に見えて成果が出ている研究でないと研究費が得られない状況である。もちろん、このような研究課題に予算が投じられることは重要である。しかし、今目に見えて成果が出ている研究だけに投資していたのでは、数十年後にノーベル賞が出るようなまだ芽さえ出ていない研究は芽が出ないで枯れてしまう。これでは、将来の日本の科学技術のみならず、その成果を利用した産業をも衰退してしまうだろう。  投資はローリスクローリターンかハイリスクハイリターンかに分けられる。経済学でいうリスクとは「ぶれ」であり、リスクが正規分布になると想定すると投資したお金に対して正規分布のばらつきが小さいとローリスク、ばらつきが大きいとハイリスクとなる。一般的な金融投資では、国債や定期預金などはかけたお金がなくなる可能性は低いが、そのかわりに配当や利子は少ない。これらに比べて株などは下手したらお金が減ってしまう可能性もあるが、そのリスク「ぶれ」を分かった上で高配当や株価上昇をリターンとして求めている。つまり、ハイリスクハイリターンとは、「ぶれ」が大きいのを理解した上で大きな見返りにかけているのである。となると、ローリスクハイリターンという投資はあり得ないのである。  今すぐに役立つ研究や目に見えて成果がでる研究とはシャープな正規分布をとることになり、成果が出る可能性は高いが、ものすごい成果が出ることはまずない、ローリスクローリターンである。逆に、研究で成果が出ない確率も高いが、一発大当たりする成果が出る可能性もある、これがハイリスクハイリターンである。  何が将来大きな成果になるか、まだ芽さえ出ていない研究を誰も評価は出来ないだろう。しかし、それに投資することによって、将来ハイリターンな成果が出る。ハイリターンな成果を求めるのであれば、ハイリスクな投資は必要である。  なぜ今ノーベル賞がたくさん出ているのか。それは、1990年代以前までは運営費交付金として、各大学各研究組織にハイリスクハイリターンな予算が配られていた。これは確かにばらまきにあたり、失敗してしまった研究もたくさんあり、一見すると無駄とも言える。しかし、このばらまきによって、当時芽さえ出ていなかった大きな成果の元となる研究へ投資できていたのだと思う。  近年のノーベル賞受賞者の出身大学をみると地方大学が多くなっており、これこそが以前のばらまきの成果ではないだろうか。一部のラボが膨大な資金を手にするよりも、広く薄く配る、これが日本全体の成果へとつながるのではないだろうか。各研究組織、各ラボの一つ一つの成果に注目するのではなく、日本を一つと考えて、一部のラボで研究が失敗に終わったとしてもそれを相殺するような大きな成果がどこかのラボで出れば、結果的に日本全体ではプラスになる、こういう考え方は出来ないだろうか。日本の研究を一つと考えれば、一つ一つのラボの成果に一喜一憂するのではなく、日本全体の成果、ここに注目すれば良いのである。そのためには、ハイリスクハイリターンなばらまき、これが大切なのではないかと思う。   A3 各省庁や研究機関に研究者•教員の副業を認めてほしい。  非正規、任期で雇用されている研究員•教員にも公務員に準ずるとして副業禁止の規制を受けている。また、制度上は副業が可能であっても、慣習上副業を許されない状況に置かれており、365日24時間生活のすべてを研究に費やすことをよしとする雰囲気のラボもある。  確かに、給料の出所は国民の税金であるが、しかし非正規、任期で雇用されている研究員•教員は、公務員のように定年まで身分が保障されておらず、ボーナスもなし、退職金もない。また、契約は半年から1年ごとに行われ、いつでも継続打ち切りできるパートやアルバイトと類似した状況下で研究を行っている。  このように身分が安定せず、安い賃金で雇用されている状況ならば、別の生き方をするための可能性を増やせる制度•風土にしてほしい。  現在、アカデミアで研究するか、そうでなければ民間企業に就職するかという二者選択になっている。しかし、第三の生き方があっても良いのではないだろうか。  第三の生き方としては、アカデミアで研究しながら副業をして、将来的な可能性を増やす、である。ここでいう副業とは、これまで可能であった大学の非常勤講師などではなく、ベンチャー企業を起こす、ベンチャー企業で働くというようなことを想定している。  近年、大学発ベンチャーなどを推進しているが、代表取締役になるためにはアカデミアの身分を捨てて、つまり退職して始めないといけない、というのが現状である。特任教員ならば認められるという一部の大学はあるけれども、多くの機関では風土としてよしとしないという考えが蔓延している。さらに、ポスドクをしながら代表取締役になるということはまずありえない、という状況である。  退職してベンチャーを始めるのは大きなリスクがあり、そう簡単に始められるものではない。しかし、副業として始められるならば、たとえベンチャーが失敗に終わったとしても人生路頭に迷うことにはならないので、誰もがもっと気楽にベンチャーを起こそうと考えるのではないだろうか。そして、創ったベンチャー企業の経営が軌道に乗れば、そちらを本業にするという方向へ進めるのではないだろうか。  最近はパラレルキャリア(本業以外の仕事を持つ)やプロボノ(ボランティア活動で自分の特技を活かす)といった活動が盛んに行われる時代であり、民間企業では副業禁止のところは時代遅れになってきている。終身雇用制度が事実上崩壊した現在、社員が自主的に人生プランを作れるように、自分の人生は自分で切り開けるようにしてほしい、というのが民間企業の考えのようだ。また、副業によって得た経験や人脈が本業に活きるという相乗効果も期待している。  世の中の流れがそのような方向に動いているにも関わらず、アカデミアでは昔のままの制度が定年制研究者•教員のみならず任期制、非正規雇用の研究者•教員にも適用されており、世の中の動きとはずれている。  日本は、長期労働、ハードワーク、生活のすべての時間を研究に費やすことをよしとする風土であり、これは世界的にみてもレアなケースである。欧米の研究者はオフを大切にし、アメリカでは大学教員がベンチャーを起こすのも普通のことである。それで成果が出ていないかと言えば否であり、むしろ相乗効果で優れた研究成果が出ている。  科学者は基本的に研究が大好きであり、研究をしている時間が好きである。だから、研究活動を制度や風土で縛ることは意味がないのではなかろうか。  日本では勤務時間外でも実質的に制約をかしており、せっかくの人生の時間が無駄になっている。勤務時間外に別のことをする、別の分野の人と交流する、これによって視野が広がり、研究活動へもポジティブな効果が出る、この相乗効果を副業禁止の制度や風土によってつぶすことはもったいない話である。  既存の仕組み内で問題解決しようとしてもどうにもならないのは目に見えている。それならば、当事者達が自ら人生を切り開くことのできる制度や風土を作ることが大切なのではないだろうか。  副業を可能にすれば、任期付、非正規で雇用されている研究者•教員の生き方の可能性が増える。そして、自ら研究する場を創ろうとする人もでてきて、新しい研究の仕組みが育つ可能性もあるのではなかろうか。ノーベル賞を受賞した大村智先生は自らの手で北里研究所を創った。時代背景は違えども、類似したことができない、と完全否定するには根拠がなさすぎる。 柳川由紀(農業生物資源研究所) *この意見は筆者が所属する組織の意見を反映しているものではありません。 *アンケートの回答をガチ議論トピック用にご本人に改訂していただいたものです。 *コメント欄では「I’d rather post as guest」をチェックいただくと、登録なしでゲストとして投稿ができます。

続きを読む

研究は、結局、最後は人である

imgres

質問1 – 現在の日本のサイエンスにおける問題は何だと思いますか。 日本のサイエンスと言ってもよく分かりませんが、平均的な研究者の一人としては、問題はキャリアパスが崩壊していることではないかと思います。それが研究自体にも大きな影響を与えています。キャリアパスとは、それを職業として自分や家族が安定した生活を送る未来が描けるかどうかということですが、それが非常に厳しくなっています。私は自分の子供には研究者を職業として勧められません。 学問としての自然科学において、発想の自由さ、多様性は本質的に重要です。複数の著名な生物学者と潤沢な資金を誇る某機関を巻き込んだ昨年の騒動の後に大村智さんが今年の医学生理学賞を受賞されたことも、私の目には象徴的に映ります。何が本質的に大切であり守らなければならないことであるかを、改めて指し示していると思うからです。 結局、最後は人です。人に投資すべきなのに、それを減らして消耗品を買わせているのが現状だと思います。間違っています。 質問2 – その原因は何だと思いますか。 競争させるべきではない局面(≒本来運営交付金とすべきところ)まで競争させるようになったことではないかと思います。 なぜそうなったかと言うと、ビジョンが無かったからです。何でもかんでも競争させておけばいいというのは、ビジョンでも何でもなく、国の科学研究施策を考える立場の人間としては責任の放棄です。 研究には自由な発想と自由な資金が必要です。しかも、その資金は特に若手にはそんなに多く額の資金は必要ありません。現状は、若手に限らず自由な発想と言うより如何に短期に確実に論文に出来るか、目立つか、という方向に流れているように思います。多くの研究者にとって、なかなか学問と向き合って悠長にやってる時間はなくなって来ています。 なぜそうなるかと言うと、それが評価されるからです。即ち、問題の本質は評価法に行き着きます。 様々な研究領域があり、様々なアプローチがあり、様々な研究者が居る、その多様性の全てをサポートすることは出来ませんが、ある程度のバランスが必要なんだと思います。今はそれが極端に偏っていて、その弊害が論文数という形で誰の目にも明らかに生産性に反映されるまで深刻化してしまった、ということだと思います。 質問3 – 改善するためには、まず誰が・何をするべきだと思いますか。 私の理想に近い形は、ポストは終身個人に与えられて、条件が合えばそれをどこにでも持って行けるというフランスのシステムに似たものです。終身雇用と人材の固着は、実は切り離すことができます。終身雇用への転換に伴う財源に関する批判に対して、現状でも出処が違うだけで支払われているという指摘もあります。また、「安定性と競争性を担保する日本版テニュアトラック制度」では、最低限の給与を公的機関(国)が保証し、自ら獲得した研究費の間接経費からも加算する方法が提案されています。これは現在の仕組みを変えて行く具体的な方法の一つであると思いますが、私自身は公的機関の研究職は国家公務員資格と同等なものとして扱う仕組みがあればいいと思っています。 また、現在科研費の採択率は25%前後だと思いますが、本来優劣などつけられない研究に順位をつけるなど思い上がりも甚だしいといつも思っています。一定の基準を満たしていれば全て採択し、SとかAとか一部に集中する予算を減らすのが良いです(バランスですが)。研究費の持続性については、これまでにも提案されているような評価によってゆるやかに額が変動する安定した基盤的研究費は良いアイデアだと思います。 しかし、そんな考えは、現状発言力を持ち予算を取っている一部の人たちからすれば都合がよろしいはずがありません。では、誰が? 昨年の騒動で、日本分子生物学会は規模も大きく領域も近かったこともあり、積極的な役割を果たせたと思います。前会長の功績です。他に中立的な立場で科学政策に対する意見が言えそうだと思った日本学術会議は、全く役立たずでした。今後、日本の科学研究施策を少しでも研究者のアイデアの多様性を確保するという方向に動かすために、大多数の研究者の声を文科省の役人に分からせる仕組みが必要だと思います。現在発言力を持つ人たちではなく大多数の研究者の声を反映させること、が肝要です。分生のような組織が母体になって日本研究者会議のようなものが役人を教育する、という感じになって欲しいです。教授だけではなく、准教授、講師、助教がそれぞれの比率に応じた発言権を持つような組織です。 今は国の無計画なポストドク施策のために需要と供給のバランスが狂っていますが、本来なら民間を含めポストの数に応じた学生を育てるか、或いは学生の数に応じたキャリアパスを責任をもって用意すべきでした。そういう責任を直接的に負っていたのは誰かと言うと、国ということになるのでしょうか。しかし、数年ごとに交代する事務次官や政治家では、学問にとって何が大事なことなのか理解出来ない、そういう何も分からない人たちを相手にしているということを深く考えるべきかと。 国立大学准教授(任期制のため匿名希望) *アンケートの回答をガチ議論トピック用にご本人に改訂していただいたものです。 *コメント欄では「I’d rather post as guest」をチェックいただくと、登録なしでゲストとして投稿ができます。

続きを読む

地方大のあり方について

Kominato_Railway_line

大学に要請される研究のあり方とはどんなものなのでしょう。アカデミアに加えて、研究所や企業で研究に従事する若手研究者を供給するという役割はすぐに思い浮かびますが、実際にはそうした「研究志向」の進路はライフサイエンスでは特に限られており、多くの卒業生はそれ以外の世界で活躍しています。前者については熱い議論が起こりますが、後者の人材育成の社会的な価値を議論することも重要です。 「研究志向」の人材育成: ノーベル賞受賞者の出身大学のことがニュースにも取り上げられましたが、優れた研究者の経歴はしばしば複線的です。また、ビッグラボを支える番頭さん格の研究者の出身を調べれば、優れた研究活動に必要なものはそれを支える裾野の広さであることは容易に理解できます。特に大きな予算が当たるわけでもない地味なラボで、研究者の訓練が丁寧に行われているということはもっと主張すべきです。 「研究志向」ではない人材育成: 国家が大学を支援する意義は、研究志向の人材が必要だからという理由だけではないです。AIDSは先進国の陰謀であるから治療薬は輸入しないとか、主要な感染症に対する予防接種を個人の判断に委ねるといった愚かな判断に陥らないためにも、国民の教育水準は高くあるべきです。目に見えない形であることが多いですが、高等教育は国家の財政に貢献をしています。自然科学の研究室では、専門家の指導の下、学生がテーマをもって試行錯誤するという、問題解決能力を醸成する上では最適の環境が与えられます。国家の財政が厳しいときにはこうした贅沢な教育方策は限定せざるを得ないかも知れません。しかし、現場の問題解決能力が高いことが日本の強みという分析もあります。我が国は「人で勝負」という意見は広く共有されています。国家が大学を支援する根拠はこうした点にもあるはずです。 基礎研究の多様性の確保、高等教育を受ける機会の増大という目標は、産業界から直接的な支援を受けることは困難ですが、いずれも国益に資するものです。地方国立大学はその担い手として国の投資の対象となるべきというのが私の意見です。実験科学の教育が可能な環境を取り戻すことが大事です。アンケートにある反対意見に対していくつか反論してみます。 ・若年人口減少を受けて、国立大学も適正規模に縮小すべきだろう。 →シュリンクする中でも国家として何を重視するべきかという判断は重要です。人口に比例して高等教育をスケールダウンするのは愚策ではないでしょうか。 ・意欲のない教員が多いので投資する価値がない。 →豊田先生の調査にあるように、必ずしも費用対効果のパフォーマンスは悪くないという見方もあります。個々の研究者に対する適正な評価が必要とされているように思います。大学数を減らすのではなく、再生するためのアイデアを考えたいです。予算の少ない中、教育、研究の両方に追われるという立場を離れることで新たな能力を発揮する人材もあるはずです。 ・基礎研究や人材育成は研究開発法人でもやれば良い。 →何でも研究開発法人が請け負うと、大学との機能分化のメリットがなくなってしまいます。また、人材育成のノウハウを新たに別のシステムで蓄積していくことは非効率ではないでしょうか。 地方大学縮小派の方からの反論、あるいはこのトピックに対するご意見をお待ちしております。 岡山大学 田中智之 (この意見は筆者が所属する組織の意見を反映しているものではありません) *関連するアンケート意見をピックアップしました。 「地方国立大学は負のスパイラルに入っていてどうしようもない(抜本的に改革せよ)」 ・国が科学研究、教育に対する出資を削っているため。特に地方国立大学は厳しい。 ・日本の研究者、とくに地方の研究者と話すと研究への意欲が欠けているように思われ、問題の最たるものだと感じる。 ・地方大学にやる気がなく,仕事をしない(研究をしない)教員が多いこと。そういう仕事をしない教員が研究スペースだけは確保していたりする。こういう教員を全て教育に回して,研究できる元気のある若手にスペースとチャンスを与えれば良い。 ・地方大学では研究自体を上位に考えない教員や学生も多く、まじめにやっていても、寂しい気がします。 ・地方大学は、基幹大学に入りそびれた学生が集まる。そういう学生の大半は諦める気分で気概がない。おまけに、地方大学には資金もない(一部は赤字経営)上に研究施設も不十分で、アイデアがあっても実験出来ないので結局、学生も職員も諦めムードで悪循環に陥っている。 ・地方を若手のカルチベーション施設として利用すれば,論文数も増えると思う。 「地方国立大学へのてこ入れは日本のサイエンスに必要(支援強化こそ必要)」 ・地方国立大学の衰退。それにともない、教育を受けた学生を供給できなくなっている現状。 ・地方大学においてはマンパワーの量的不足と質的欠損。 ・旧帝大の著名な研究者の人は、「地方大や私立大で研究ができない状況になれば、自分の教え子のほとんどはアカデミックの研究者になれない」ということを再度認識し、日本全体の将来を見てほしい。 ・地方大学における質の良い研究者のポストの維持。 ・政府が地方大学の現状をしっかり把握する。 ・国立大学だけではなく(旧帝?)、地方大学、私立大学にも行き渡るような様々なタイプの助成金を用意し、学生が研究に打ち込める環境を国が整えるべきである。 ・地方大学の研究をもっと活性化させる(職業訓練大学にする、みたいなバカな政策はやめてほしい)。 ・地方大学の研究環境の改善などそうだと思います。旧帝大と地方の国立大学の研究レベルの差はかなり大きい。アメリカだと地方大でも優秀なところはかなり優秀です。 ・裾野を形成する研究計画、予算配分の完全な欠如。 ・一極化するのではなく、地方も含めた国立大学への支援を強化 ・東大・京大以外の地方大学に、まずいい指導者誘致の予算や設備を配置してください。魅力あるPIには、地方であってもいい若手研究者が集まってきます。 *コメント欄では「I’d rather post as guest」をチェックいただくと、登録なしでゲストとして投稿ができます。

続きを読む

アンケート結果への科学政策改革タスクフォース戦略室長・生田知子さんのコメント

speech-bubbles-303206_640

アンケートで上がった主な問題点について、文科省の生田さんにご意見を伺ってきました。 以下、一問一答式でのお答えです。(コメントは、文科省科学政策改革タスクフォース戦略室長生田氏の個人的なコメントであり、文科省の公式見解ではないことにご留意ください。)   近藤:研究費が少ない、大学の運営費が減っているのが元凶、と言う意見が多数ありますが、増やすことは可能でしょうか? 生田:若年層の人口(20歳前後の人口はピークの半分くらいしかない)の減少と国の厳しい財政状況を考えれば、単に増額するのは無理だと思います。文科省としては、精一杯予算を確保する努力をしておりますが、そのためには税金負担をしている国民やその意を受けてリソース配分を行っている財政当局に十分その必要性・効果を理解してもらうことが一番重要であるという現実をご理解ください。 近藤:どういった状況になれば増額は認められるでしょう? 生田:基礎科学の重要性に対する国民のコンセンサスを作る努力をすることが、研究者、役人、共に重要だと思います。 近藤:最近のノーベル賞受賞者が地方大学出身で有ることからも、サイエンスには裾野の研究が重要であり、そちらの方がコストパフォーマンスも良いと言う意見も有ります。 生田:「選択と集中」に対する反対意見ですね。先ほど申し上げたように、行き過ぎた集中に対する反対意見は、省の中でもあります。当然ながら知の源泉のタネを多く蒔いて裾野を広げ、未来の可能性を広げることは重要と考えています。結局はバランスの問題となりますが、どの程度のばらまきと集中のバランスが最適であるか、具体的な意見やデータがあればもっと議論も深まるのではないかと思います。 近藤:支援する分野が、応用研究に偏り過ぎである、という意見も多かったです。 生田:文科省としては、基礎の研究が重要であることは認識しており、必要以上に応用研究に集中しようという意図は有りません。まさに大変革時代における社会変革に挑戦し続けるためにも、日本発の「ゲームチェンジ」を興す新たな価値創造が求められているのではないでしょうか?第5期科学技術基本計画の検討過程においても、基礎の重要性を主張しているつもりです。しかし、出口が解りやすい研究の方がその成果を享受する具体的なイメージがしやすいことから、国民や財政当局からの理解が得やすいのも事実です。いずれにしても、応用と基礎のどちらかに寄せるという単純な問題ではなく、そのバランス論や基礎と応用の関係のうまい見せ方次第ではないかと思います。 近藤:競争的な環境が行き過ぎているため、研究者と言う職種自体が敬遠されているという意見も有ります。 生田:競争環境もその通りかもしれませんが、そもそもアカデミアの場における研究者としてのキャリアパスの具体的なイメージが出来ない、身近にモデル像がいないことが、研究者の職種が敬遠されている原因ではないでしょうか。 近藤:20年前に大学院の重点化を進めたことで、現在40歳前後のPDがたくさんおり、非常に厳しい就職難になっています。この年齢層に対する何らかのケアは可能でしょうか? 生田:難しいと思います。財政当局の視点からすると、その年齢層の研究者に対して、大学院重点化を通じて高額の投資をしたという解釈になっており、その人達をケアするための別途の予算措置は理解を得られないのではないでしょうか。本来であれば、産業界が、その人材を吸収するはずだったのですが、産業界と大学とのミスコミュニケーション、さらには90年代からの不況がそれを不可能にしたのではないでしょうか? 近藤:トップダウンのプロジェクトに関して、分野の選び方、研究者の選考が不透明であるという意見も多かったです。 生田:政府全体のリソースのうちR&D投資のパイを増やすためには、ある程度何らかの分野・領域を強調して常に新しい分野を切り拓いていくことが必要です。厳しい国際競争下で日本の目指す方向性を国として提示し、これを効果的・効率的に進めるためにも、トップダウンのプロジェクトは不可欠であると思います。その際、どのような分野に張っていくかは、官僚だけで決めているのではなく、広い見識を持つと思われる複数の研究者や企業人などの有識者へのヒアリングなどを通じて決めています。研究者の多くが、分野に偏りがあると感じるのであれば、その「有識者」の考えと研究者のマジョリティにずれがある、と言うことでしょう。確かに、少数の研究者だけにヒアリングして大型予算を決めることには危険があると思います。しかし、今のところ、それ以外に方法が無い状況をご理解ください。もし、学会などで、研究者社会のコンセンサスを取っていただき、それをベースにしたプロジェクトを持ってきていただけると、こちらとしても理想的ですが、学会でそう言ったことが可能でしょうか? 近藤:う~ん、今のところできそうもないですねぇ。 近藤:忙しすぎて考える時間が無い、と言うのも多くの研究者の感じていることです。運営費交付金が減っているので、文科省から何らかのプロジェクトが提示されると、それを獲得するために全力を尽くさざるを得ません。その過程で、現役研究者がどのくらい疲弊するかを考えたことが有るでしょうか? 生田:現場の研究者が研究活動に割ける時間が減っているという話は良く聞きます。本来的には研究者を支援する部局が有効に機能していれば、現場の研究者が疲弊することはないはずなのですが、特に日本の場合は研究を支援する者に対する理解が進んでおらず、キャリアパスとして構築されていないことも原因ではないかと感じています。 近藤:大型研究費を多数に分割する方が、全体として効率的である、という意見も多かったです。大型研究費の場合、大勢の研究者が集まっているわけですから、何らかの成果が上がるのは当然です。しかし、スポンサーの文科省としては、その資金を他の研究に回した時との差を評価するべき、という意見ですが如何でしょうか? 生田:そのあたり、具体的なデータ等があれば改善できると思います。様々な主張をしていくためには、昨今は特にエビデンスベースが求められており、是非そうした観点でアカデミア側からも情報提供いただけると我々としても政策形成につなげていけるのではないかと考えます。 どうでしょう?何かひとこと反論したくなるような回答ですよね。さあ、盛大にコメント欄に突っ込んでください。「これは鋭い!」というご意見を集めて、再び文科省に行ってまいります。 BMB2015ガチ議論企画スタッフ 近藤     *コメント欄では「I’d rather post as guest」をチェックいただくと、登録なしでゲストとして投稿ができます。

続きを読む