日本の科学を考えるガチ議論
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日本の科学の三つの問題点:成果と連動しない任期制、ハイリスク投資の欠如、副業禁止

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A1 業績の如何に関わらず任期で雇用打ち切りになる。

 運営費交付金が減少しているので継続的に雇用できる人件費がなく、期限付きのプロジェクト予算で人を雇用するので、任期で雇用せざるを得ないという理由は分かる。しかし、成果と連動しない任期制度は人の使い捨てに他ならず、雇用される任期付研究員•教員の問題だけでなく、業界全体の活性をも低下させてしまう。

<任期で雇用される研究者•教員にとって>
 任期期間に優れた研究業績を上げた人はテニュアを得られる、あるいは昇進してより良いポジションにつける、というならば任期制の意味はあるだろう。しかし、現状は、始めに任期が3-5年と指定されており、どんなに優れた成果を出そうとも任期が切れると自動的に雇用打ち切り、というのがほとんどである。組織のルールで雇用は3年まで、あるいはプロジェクトが5年だから、というような理由であるが、このような雇用体系は成果が最重要項目である研究活動にはそぐわないのではないだろうか。
 このような任期制度では、出した成果が評価されず、優れた能力をもった人の活性を低下させてしまうだろう。また、限られた期間に論文を確実に出さないと次の職にありつけない、このような状況では、長期間かかる研究やリスクの高い研究を行うことが出来ない。また、常に就職活動をしながら研究をする、これでは落ち着いて研究は出来ないのではないだろうか。そして、優秀な人であるほど業界に失望し、日本を去っていく、アカデミアを去っていく、のではないだろうか。

<研究組織、研究業界にとって>
 時間が経てば自動的に組織を去る、という状況では、任期制の研究者•教員は組織に対する愛着感はなくなり、組織の連帯感は失われ、みんなで研究•教育を盛り上げよう、みんなで組織を盛り上げよう、という感覚にはならないと思う。このような状況が続けば、研究機関、そして研究業界は崩壊してしまうのではないだろうか。
 任期が切れれば容赦なく雇用打ち切り、このような環境では、組織のこと、教育のことよりも、自分が次の職を見つけることが優先になるだろう。誰も無職にはなりたくはない、だからこうなるのは当たり前のことである。どんなにその組織の仕事を頑張ろうが、教育を頑張ろうが、評価されない。むしろそれらを頑張ったことによって任期が切れた後に無職になったのでは元も功もない、という考えを持つのは自然である。

<学生にとって>
 学生達は任期制の教員に研究指導を受けている。この弊害としては、学生が大学を卒業するよりも前に教員が去ってしまい、これによって学生は自分の研究に支障が出てしまうのではないだろうか。直接学生に実験指導をしているのは若手の教員であることが多い。そして、その教員には任期がついており、一人の学生が学部を卒業する、修士を修了する、博士を修了する、その前に大学を去る。そうなると、一人の学生は任期制の教員をたらい回しにされるように研究指導を受けることになるのではないだろうか。
 学生は、博士課程に進んでもその後の職が安定しない、成果が報われない、この状況を目の当たりにしている。だから、学生が博士課程に進まなくなるのは自然なことである。成果に連動しない任期制をみている学生は、アカデミアで研究することは夢も希望ない、と感じているのではないだろうか。どんなに若手を増やす施策を行っても、それは表面上の施策であることを学生達は気がついているのではないだろうか。自分たちの先輩にあたる人たちの状況を見ていれば、学生達は博士課程に進もうと考えるだろうか。

A2 日本が借金を大量に抱えているから、科学予算を減らしたくなるのは分かるが、投資すべきことには投資する必要がある。

 日本は1千兆円以上の借金を抱えているので、様々な予算を削減せざるを得ないことは理解でき、さらに科学予算を削減したいと考えるのは理解できる。しかし、天然資源が少ない日本が継続的に稼ぎ続けるためには科学技術の発展が不可欠であり、10年20年後の日本の生活が豊かでいつづけるためには長期的な視点での科学への投資が必要である。

 近年の科学技術予算は今すぐに役立つ研究へと一極集中的に投じられ、また目に見えて成果が出ている研究でないと研究費が得られない状況である。もちろん、このような研究課題に予算が投じられることは重要である。しかし、今目に見えて成果が出ている研究だけに投資していたのでは、数十年後にノーベル賞が出るようなまだ芽さえ出ていない研究は芽が出ないで枯れてしまう。これでは、将来の日本の科学技術のみならず、その成果を利用した産業をも衰退してしまうだろう。

 投資はローリスクローリターンかハイリスクハイリターンかに分けられる。経済学でいうリスクとは「ぶれ」であり、リスクが正規分布になると想定すると投資したお金に対して正規分布のばらつきが小さいとローリスク、ばらつきが大きいとハイリスクとなる。一般的な金融投資では、国債や定期預金などはかけたお金がなくなる可能性は低いが、そのかわりに配当や利子は少ない。これらに比べて株などは下手したらお金が減ってしまう可能性もあるが、そのリスク「ぶれ」を分かった上で高配当や株価上昇をリターンとして求めている。つまり、ハイリスクハイリターンとは、「ぶれ」が大きいのを理解した上で大きな見返りにかけているのである。となると、ローリスクハイリターンという投資はあり得ないのである。

 今すぐに役立つ研究や目に見えて成果がでる研究とはシャープな正規分布をとることになり、成果が出る可能性は高いが、ものすごい成果が出ることはまずない、ローリスクローリターンである。逆に、研究で成果が出ない確率も高いが、一発大当たりする成果が出る可能性もある、これがハイリスクハイリターンである。
 何が将来大きな成果になるか、まだ芽さえ出ていない研究を誰も評価は出来ないだろう。しかし、それに投資することによって、将来ハイリターンな成果が出る。ハイリターンな成果を求めるのであれば、ハイリスクな投資は必要である。

 なぜ今ノーベル賞がたくさん出ているのか。それは、1990年代以前までは運営費交付金として、各大学各研究組織にハイリスクハイリターンな予算が配られていた。これは確かにばらまきにあたり、失敗してしまった研究もたくさんあり、一見すると無駄とも言える。しかし、このばらまきによって、当時芽さえ出ていなかった大きな成果の元となる研究へ投資できていたのだと思う。

 近年のノーベル賞受賞者の出身大学をみると地方大学が多くなっており、これこそが以前のばらまきの成果ではないだろうか。一部のラボが膨大な資金を手にするよりも、広く薄く配る、これが日本全体の成果へとつながるのではないだろうか。各研究組織、各ラボの一つ一つの成果に注目するのではなく、日本を一つと考えて、一部のラボで研究が失敗に終わったとしてもそれを相殺するような大きな成果がどこかのラボで出れば、結果的に日本全体ではプラスになる、こういう考え方は出来ないだろうか。日本の研究を一つと考えれば、一つ一つのラボの成果に一喜一憂するのではなく、日本全体の成果、ここに注目すれば良いのである。そのためには、ハイリスクハイリターンなばらまき、これが大切なのではないかと思う。

A3 各省庁や研究機関に研究者•教員の副業を認めてほしい。

 非正規、任期で雇用されている研究員•教員にも公務員に準ずるとして副業禁止の規制を受けている。また、制度上は副業が可能であっても、慣習上副業を許されない状況に置かれており、365日24時間生活のすべてを研究に費やすことをよしとする雰囲気のラボもある。

 確かに、給料の出所は国民の税金であるが、しかし非正規、任期で雇用されている研究員•教員は、公務員のように定年まで身分が保障されておらず、ボーナスもなし、退職金もない。また、契約は半年から1年ごとに行われ、いつでも継続打ち切りできるパートやアルバイトと類似した状況下で研究を行っている。
 このように身分が安定せず、安い賃金で雇用されている状況ならば、別の生き方をするための可能性を増やせる制度•風土にしてほしい。

 現在、アカデミアで研究するか、そうでなければ民間企業に就職するかという二者選択になっている。しかし、第三の生き方があっても良いのではないだろうか。

 第三の生き方としては、アカデミアで研究しながら副業をして、将来的な可能性を増やす、である。ここでいう副業とは、これまで可能であった大学の非常勤講師などではなく、ベンチャー企業を起こす、ベンチャー企業で働くというようなことを想定している。
 近年、大学発ベンチャーなどを推進しているが、代表取締役になるためにはアカデミアの身分を捨てて、つまり退職して始めないといけない、というのが現状である。特任教員ならば認められるという一部の大学はあるけれども、多くの機関では風土としてよしとしないという考えが蔓延している。さらに、ポスドクをしながら代表取締役になるということはまずありえない、という状況である。
 退職してベンチャーを始めるのは大きなリスクがあり、そう簡単に始められるものではない。しかし、副業として始められるならば、たとえベンチャーが失敗に終わったとしても人生路頭に迷うことにはならないので、誰もがもっと気楽にベンチャーを起こそうと考えるのではないだろうか。そして、創ったベンチャー企業の経営が軌道に乗れば、そちらを本業にするという方向へ進めるのではないだろうか。

 最近はパラレルキャリア(本業以外の仕事を持つ)やプロボノ(ボランティア活動で自分の特技を活かす)といった活動が盛んに行われる時代であり、民間企業では副業禁止のところは時代遅れになってきている。終身雇用制度が事実上崩壊した現在、社員が自主的に人生プランを作れるように、自分の人生は自分で切り開けるようにしてほしい、というのが民間企業の考えのようだ。また、副業によって得た経験や人脈が本業に活きるという相乗効果も期待している。
 世の中の流れがそのような方向に動いているにも関わらず、アカデミアでは昔のままの制度が定年制研究者•教員のみならず任期制、非正規雇用の研究者•教員にも適用されており、世の中の動きとはずれている。

 日本は、長期労働、ハードワーク、生活のすべての時間を研究に費やすことをよしとする風土であり、これは世界的にみてもレアなケースである。欧米の研究者はオフを大切にし、アメリカでは大学教員がベンチャーを起こすのも普通のことである。それで成果が出ていないかと言えば否であり、むしろ相乗効果で優れた研究成果が出ている。

 科学者は基本的に研究が大好きであり、研究をしている時間が好きである。だから、研究活動を制度や風土で縛ることは意味がないのではなかろうか。
 日本では勤務時間外でも実質的に制約をかしており、せっかくの人生の時間が無駄になっている。勤務時間外に別のことをする、別の分野の人と交流する、これによって視野が広がり、研究活動へもポジティブな効果が出る、この相乗効果を副業禁止の制度や風土によってつぶすことはもったいない話である。

 既存の仕組み内で問題解決しようとしてもどうにもならないのは目に見えている。それならば、当事者達が自ら人生を切り開くことのできる制度や風土を作ることが大切なのではないだろうか。
 副業を可能にすれば、任期付、非正規で雇用されている研究者•教員の生き方の可能性が増える。そして、自ら研究する場を創ろうとする人もでてきて、新しい研究の仕組みが育つ可能性もあるのではなかろうか。ノーベル賞を受賞した大村智先生は自らの手で北里研究所を創った。時代背景は違えども、類似したことができない、と完全否定するには根拠がなさすぎる。

柳川由紀(農業生物資源研究所)

*この意見は筆者が所属する組織の意見を反映しているものではありません。
*アンケートの回答をガチ議論トピック用にご本人に改訂していただいたものです。
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