【帰ってきた】ガチ議論
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20130417_mext

文科省官僚への質問、第二弾:本音は引き出せたか??

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126

前回のアンケートに対する回答に続き、コメントとして書き込まれた内容をまとめて、さらに質問をぶつけてきました。今回は、前回よりも踏み込んだ回答と、官僚の本音のところが見えて面白いです。皆さんは、どの様に感じるでしょうか?

ご注意
以下の問答は、11月6日に行われた、4時間余りの議論をまとめたものを近藤が整理して文章化したものです。従って、行間から、斉藤・生田の意図しない雰囲気が伝わる可能性がありますが、それは近藤の責任ですので、ご理解を。また、斉藤氏、生田氏の個人的な発言であり、文科省の公式見解ではありませんので、その辺も御留意下さい。


[時・ところ]
 2015年11月6日 文科省

[参加者]
 ガチ議論:
 近藤滋、宮川剛
 遠藤斗志也(BMB2015 生化学会大会会頭)

 文科省:
 斉藤卓也(文部科学省 研究振興局 基礎研究振興課 基礎研究推進室長)
 生田知子(文部科学省 大臣官房政策課 評価室長)

ガチ:前回の生田さんとのインタビューを掲載したところ、かなり大きな反響がありました。研究者サイドからは、予想通り、「無責任だ!」というネガティブな突っ込みが多かったのですが、一方、外部の人のツイッターのコメントを見ると、生田さんのご意見は当然の物である、というものが結構ありました。で、今回は、寄せられたコメントの主だったものを、掘り下げてみたいと思います。
生田:よろしくお願いします。

改革の必要性について
ガチ:まず、最初に聞いておきたいのは、そもそも大学や研究環境をこれほどまでに競争的にする必要が有ったのかと言う事です。ノーベル賞を50年で30個という目標が、科学技術基本計画で建てられましたが、現在のペースはそれを超えており、アメリカを除けば一位です。要するに、既に存在する最高の盆栽に、わざわざ手を入れて悪くしていないか…。
斉藤:ノーベル賞を取ることが全てならそれでよいです。しかし、それだけでよいとは産業界などは思っていません。ノーベル賞のベースは守りつつ、社会の要請にももっと応えるための改革は必要です。
ガチ:でも、それを言いだしたのは政府の方ですよ。
斉藤:もう一つは、時代の違いです。科学の国際的な競争が激しくなりお金がたくさんかかるようになった。財政事情から言って、外国(中国)の様には増やせないので、もっと効率の良い方法を見つけるという意味もあります。
ガチ:それがうまくいっているかどうか…。
斉藤:その辺は、アカデミアと政府がもっとよく話し合い、例えば総額は減っても、過度に競争的でないというプランもありえると思います。そういった思想を大学と共有してやっていくという道もあったとは思いますが、残念ながらアカデミアでも、役所でも、そのようになっていない面があるかと思います。ですが、交付金が減りすぎという意見も増えているし、地方創成が政権の重要テーマとなっている中で地方大卒の人がノーベル賞をとったので、そういう議論を始めるいいチャンスだと思います。

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PD問題の責任論について
ガチ:まず、「無責任だろう!」という責任論ですが、そもそも、大学院重点化とかポスドク10000人計画とか、非常に大きくて影響のある方策は、誰がどうやって決めるのでしょうか。
生田:そのような大きな方針の場合、誰が、ということは基本的になく、関係諸機関での意見の集約をしていく過程で、だんだん形を成していく、という感じです。役所のものの決め方は個人の責任で決断できる民間企業とは違う、ということをご理解ください。
ガチ:しかし、そうなると、こちらとしては責任論の持っていき先に困りますねぇ。
生田:もともと、役人一人が責任を取ることなどできませんので。ですが、貴重な税金を使うわけですので、1個人の思い付きではなく、関係者諸機関の意見を集約するのは、当然だと思います。
ガチ:関係者諸機関というと?
生田:総合科学技術会議や学術審議会、財務省や政権与党、内閣府、官邸などですね。
ガチ:JSTやJSPS、NISTEPなどは。
生田:もちろん、それらも、重要な情報源です。
ガチ:で、それぞれの諸機関がどういったデータ、根拠をもって意見を出してくるのでしょう?
生田:関係機関のそれぞれが、公開・非公開の審議会で、識者の意見をまとめますが、科学技術に関することであれば、識者の多くはアカデミアの人です。ですから、大きな方針の決定には、基本的にアカデミアの中心的な人が参加している、と認識しています。
ガチ:と言う事は、そのレベルでの議論に勝たないと、大きな予算は通せないと言う事ですね。
生田:そうなります。
ガチ:しかし、経過はどうであれ、ポスドク10000人計画・大学院重点化を打ち出して、それにより、ひどい就職難を起きてしまったのは事実です。そのことに対して、何とかレスキューの手立てをしてほしいという要求があってもおかしくないのでは?
生田:ポスドクを作ってしまったのだから、いきなり切られても困る、と言うのは良く解ります。今のところ、とりあえずできているのは、細切れ予算でつなぐ事しかない、というのが現状ですね。
ガチ:自転車操業ですか。
生田:その通りです。それを脱するには、予算を通さないといけませんが、その目的が「余剰人員を救う」では、難しいでしょう。財務関係からの「もっと別に救うべき人はたくさんいる」という主張に勝てません。もっと積極的に「高度な人材を活用する」というポジティブなプロジェクトを、説得力のある形で提示しないといけない。
ガチ:それを、誰が?
斉藤:ぜひ一緒にやりたいですが、我々にそのアイデアが出せるかというと…やはり、アカデミア側で知恵を集めていただいて一緒に考えていかないといけないと思います。
あと、運営費は減っていますが、その分、競争的な資金が増えているので、大学に投下される予算の総額は変わっていません。ですから、若手のポスト問題の救済を主張する場合、まず、大学内のシステムを最適化してできるだけ改善し、そのうえで主張しないと、社会や財務省に対する説得力がありません。限られた予算を最適化されたシステムで使う必要があり、大学の運営も改革する必要があると思います。

運営費交付金と地方大学の問題
ガチ:大学の改革の話になりましたが、運営費交付金が減らされてすぎて、特に地方大では研究者教育が成り立たない状況が生まれています。
生田:実は、先ほどまでそのことをテーマにした委員会が開かれておりまして、同じことが問題になっていました。減らしすぎて弊害の方が多いという問題です。また、大学側に戦略的な改革を期待しても、組織の維持だけでもいっぱいいっぱいで、それを実行するだけの資金が無い、ということも認識しています。食い止められなかったのか、とも聞かれるのですが、この問題は、毎年財務の側から「人口減なので教員の数、交付金を減らせ」というプレッシャーがあり…結果的に自転車操業的に種々のプロジェクトで総額だけは減らさないようにしているという感じです。
ガチ:それはそうですが、プロジェクト予算と交付金はずいぶん違うので。
生田:はい、それはわかっていますが、予算を通す時に具体的な出口のあるものですと説明しやすいので、どうしてもそっちに注力しがちになります。基盤研究費を皆に、とか、交付金を一律に増やす、だと、それこそ金額の話にしかならないので、説得力を持てません。ただ、今年のようにノーベル賞を地方大出の研究者がとってもらえると、そのことを材料に交渉することができるので、有り難いです。
ガチ:ここまで減ったのを戻すのは無理でしょうか?
生田:国民がそう感じれば。ロケットやスーパーカミオカンデなどは、その分野の人たちがうまく国民に対してアピールしています。両者とも「役に立つ」というロジックから遠く離れていますが、ちゃんと予算を獲得していますから。
ガチ:そこのところは、生命系の研究者一丸となってやってほしいと…。
生田:いくらでもサポートしますが、我々は専門家ではないので、そこは皆さんの役割かと。

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トップダウンプロジェクトの問題点
ガチ:総額で変わっていない、とのお言葉ですが、競争的な資金は使途を自由にできるわけではないことを忘れないでください。大学はお金が無いので、リーディング、GCOEなどのトップダウンプロジェクトは、莫大な労力をかけて、しかもかなり無理をしてまで取りに行きます。それって、大学に取って大きなコストになるのです。
斉藤:そうかもしれませんが、それを含めてうまくやるかどうかも、競争のうちでいいんじゃないかと思いますけどね。コストをかけても取りに行くかどうかも含めて、大学の経営能力とポリシーが問われる、と。
ガチ:運営費が減らされているので、そんなポリシーが働かないんですよ。あと、プロジェクトを5年単位で止めず、続けてほしいです。運営の蓄積があれば労力も減り、無駄もなくなる。また次の新しいプロジェクト、となるとたいへんです。そもそも短期のプロジェクトの連発で大学の改革を促す、ということが間違っているのではないでしょうか。
斉藤:一応、名目上は短期のプロジェクトは試行という意味が大きく、うまくいったものに関しては、継続してもらうということで、先導の事業を進めています。うまくいったら次は大学のお金で自腹でやってください、が建前です。
ガチ:でもうまくいっても、大学にそんなお金ないですよ。
斉藤:だから、うまくいったから、このお金は切っちゃいけない、というそういうロジックを作っていかないといけないのですが、それをやる仕組みが無いのが根幹のところの問題なのかな。今WPI事業の担当をしていますが、まもなく支援期限を迎える拠点の能力の維持が最大の課題になっています。
ガチ:交付金が減ったらできないですよね。
斉藤:ですので、間接経費をもっと増やすことや民間からの資金獲得を進められるように色々検討が進んでいます。
ガチ:50,60%に増やせると?
斉藤:不可能ではありません。
ガチ:でも、今よりもさらに間接経費頼みとなると、地方大は消滅しますよ。
斉藤:ですから、世界と戦うために競争的環境に生きる大学と、地方と共生して人材育成や地域産業への貢献を重視する大学に分類分けし、そっちの方は、間接経費ではなく別のロジックで与える…。
ガチ:な、なるほど、そういう理屈で大学の3分類が出てくるのですか…。

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トップダウンの決まり方はどんなやり方?
ガチ:ではそのトップダウンのプロジェクトの決め方なのですが、具体的にはどんな方法でしょう?
生田:基本的にアカデミアの意志を吸い上げて、となるのですが、政治家や内閣の誘導によるものも有りますので、色々です。
ガチ:いわゆるロビー活動のように、官僚と個人的接触のある学者がプロジェクトを持ってくるというのは?
生田:結構あります。実際のところ、予算は急に決まることが多く、そのタイミングで、既に形になったプランがあると話が早いので、利用させてもらう事が多いのです。しかし、これが良いと納得しているわけではありません。
ガチ:どういう事ですか?
生田:審議会行政の悪いところと言いますか、役所に足しげく通う御用学者ばかりが我田引水的に得をして、分野のためにはならない可能性が心配するからです。もちろん、我々にも責任があり、待ってるばかりでなく自ら探さねばいけないのですが、専門的知識と時間が無いのでできていません。
ガチ:そういった点が学会が果せる役割が有りますか?
生田:学会でオープンに話し合う事でコンセンサスが保証されているようなプロジェクトがあれば理想的で、そちらを選ぶことになるのでは、と思いますがどうでしょう。その点、物理系、化学系は、結構しっかりしていると言う印象があるのですが。
ガチ:う~ん…生命系がまとまるかなあ…。

文科省とのかかわり方
ガチ:ロビー活動の話が出てきたので、文科省との関わり方についてお聞きしたいと思います。実際のところ、何かアイデアが有って、それをまとめて持って行ったとしても、聞いてくれるように思えないのですが。
斉藤:色々な陳情がありますので、いきなり見ても、単に我田引水のような陳情なのか、本当に科学的に意味のあるプロジェクトなのか直ちには解りません。やはり、何らかのやり方で(学会等でとか)意見集約してくれていると、話が進みやすいと思います。
 一方で役所の方も、「政策のための科学」という動きを進めていまして、論文分析など客観的なデータに基づいて、政策を作ったり、プロジェクトや戦略目標を立てたりする方向にしていきたいと思っています。
あと、できれば、そのプランを作るところから参加させていただけるとありがたいです。一緒に作ったという一体感がある方が、担当者も本気を出して動きやすいと思いますし。事業として進めて行くには色々と必要なノウハウや根回しなども有り、いきなり結果だけいただいても対応できないことも多いです。

ガチ:しかし、お役所というと敷居が高くて、下っ端が出てきて門前払いをくらい、というイメージがあるのですが。
斉藤:本気でどうしても通したい話があるのであれば、体を張って抵抗をしてください(笑)。そのためにも、アカデミアと役所の日頃からのコミュニケーションが必要だと思います。
ガチ:いや、ですけど、大学にとって官僚っていいますと、雲の上の存在的なイメージがあるのですよ。15年くらい前に、ゲノム特定領域の班会議(1000人くらい参加)の懇親会に、とても若い担当の官僚が来た時、こちらの長老教授たちがやたらVIP扱いしていたのをはっきり覚えています。
斉藤:なにやってんですか(笑)。係長とか課長補佐とかは、入省して数年の若者です。大学では学生か、博士取り立てくらいの年齢ですかね。お歴々がそんなのに、へへーとなってしまうのがおかしいと思います。大学がバカ殿教育しているようなものです(笑)。ちゃんとした批判を堂々としてくれる人がいないと、役所の方もダメになると思います。大学、科学界が、予算を気にして文科省に言うべきことを言わなくなると、健全な議論が出来なくなり、省内が内輪の理論だけで回ってしまう。結果として社会には受け入れられず、他省との交渉に勝てない政策になってしまいます。

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グランドデザインの有無
ガチ:文科省に、しっかりしたグランドデザインというか、高等教育・研究支援のポリシーが無いのが問題、という意見もあるのですが。
生田:その点は自覚しています。文科省は、研究機関以外にも、幼稚園から小中学校・高校・大学と膨大な現業部門を抱える省であり、緊急対応を要する現場の問題の種を無数に抱えています。役人はそれぞれに対応するのに手いっぱいで、そのような大きなビジョンや構想のようなものを描くという時間的余裕がなく、本当の意味での政策官庁になりきれていないのが課題と感じています。
ガチ:しかし、教育も科学も国の未来への投資ですから。
生田:もちろん、そのような考えで活動している人間もいます。ですが、残念ながら少数であり、どうしても目先の問題が先になるので、省としての意志につながらないのです。こんなことではいけないと思っているのですが…。
ガチ:確かに、しっかりしたポリシーが無いと、折衝とかでは不利になりそうですね。
生田:例えば経済産業省などは現業の少ない省ですが、その場合、自らの存在意義について常に考えていますから、論理的と言うか、口がうまいと言うか、言い負けてしまう感じです。
ガチ:アカデミアと文科省がきちんとタッグを組まないとだめ?
斉藤:本当にそうしたいと思います。当然ながら役人だけでは政策は作れませんので、現場の問題を知っていて一緒に考えてくれる方が必要だと思います。そういうきっかけを見つけるのが難しいのだと思います。仲間だと思っていたら、同じ人が、別の省に行って文科省のプロジェクトを非難していたなんて話も聞いたことがありますし…。
ガチ:・・・。

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“文科省官僚への質問、第二弾:本音は引き出せたか??” への126件のフィードバック

  1. shibchin より:

    「どこかの大学が」というのが本質的な議論だと思います。現在は、文科省の「改革」に横並び(教養部改革に始まりクオーター制まで)。これでは、成功したか失敗したかすらわかりません。

  2. TS より:

    たまたまこちらのページを拝見しました。
    社会科学系の研究者ですので、生物学の事情は存じ上げませんが、先の生田氏へのものも含め、文科省の活動について深く突っ込んだ質問、興味深く拝読しました。
    しかし、こちらの対談を読んでも、文科省に対する絶望感しか沸きません。
    「政策はみんなで議論するけど責任の取り方までは議論しないよ」
    「予算獲得に必要なデータは持ってないのでアカデミアから持ってきて」
    「でも結果だけ持ってきても対応しないから」
    「その際の陳情のしにくさを改善する気はないから自分たちで抵抗してね」
    「こちらからはプロジェクトに参加していく意欲もないからアカデミアから声かけて」
    「チヤホヤしなくていいけど仲間意識は持てるようにしてほしいよね(でないと政策作る気起きないし)」

    正直なところ、「ならば文科省自身の仕事は一体何が残るのか」と言いたくなります。自分からは何も情報を集めず、改善の意欲もなく、ただ財務省からこぼれた金を素人考えでばら撒くだけなら、アカデミアの中に直接財務省と交渉して資金を取ってくる組織を作ってしまった方がよほど効率がよろしいでしょう。
    ステレオタイプな官僚批判に与するつもりはありませんが、それでも近年の文科省の政策形成能力の低下には目を覆いたくなるものがあります。せめてもう少し自省、つまり誤った政策への反省と次への改善があってほしいものだと強く思います。

  3. 近藤滋 より:

    ガチ議論本番に是非おいで下さい。斉藤さんも生田さんも、とてもフランクに話に乗ってくれる人であることが解ります。(で無ければ、こんな企画に乗ってくれるはずも有りません)
    お二人は、結構色々な大学を回っていますので、キャンパス内で偶然出会うかもしれません。先日も、阪大に来た際に、吹田キャンパス内を散策?していました。
    声をかければ(時間さえあれば)話を聞いてくれるかもしれません。実際、彼らも生の声を聞きたがっています。

  4. より:

    少なくともこうやって文科省の官僚さんたちの生の声を「下々」が聞けるという事が画期的で、文字お越し等大変な作業をなさっていただいておりますことに感謝申し上げます。官僚さんたちもお時間無いとは思うのですが、是非とも中~大規模の学会に回っていただきポスター発表している若手などの生の声を拾っていただきたいなと思います。事前の来場通告があると大概はお偉いさんの接待(?)などがついて生の声は拾いづらいと思いますので、ぜひとも予告なし来訪で…(無理か(笑))

  5. ぽとと より:

    先生の以前の記事「安定した基盤的研究費の導入を」の方にコメントを付けさせて頂きました。よろしくお願いします。

  6. tsuyomiyakawa より:

    購入希望の真の理由とずんださんが想定されていることも含めて、商品購入のニーズはあるわけです。その商品の真の価値を高めることが必要で、そのためにはどうすればよいか、ということを考える必要があると思います(今回のガチ議論のメイントピックとは少しずれてしまうのですが)。

  7. 近藤滋 より:

    大きなプロジェクトの場合、予算が多い方が研究は「進む可能性が高い」ので、予算は多い方が良い。
    一方、投入できる最大の金額・期間の長さは、社会的なニーズ(他の分野との兼ね合いを含む)によって決まる。

    どうも、この話は誰かの「仕込み」の様な気がします。このプロジェクトに不満を持つ人の差し金ではないかと。
    研究なんだから、どのくらいかかるか、何ができるかなんて、究極のところ判らない。何をどれだけやれば、どの程度の「量」の成果が出る、とあらかじめ判っているのであれば、それは研究では無くて作業です。

  8. ずんだ より:

    購入希望の理由を本当にご存じなのかどうか…
    http://lite-ra.com/2015/11/post-1711_4.html
    高校を卒業しても正規雇用されず、求人も少なくては無理をしても大学に行くしかない。

  9. YK より:

    「始めに予算有りき」というアプローチも必ずしも間違ってはいないと思います。もっとも、「適切な使われ方」をする限りに於いてですが。
     先立つものが無くては何も動かないですし、ご褒美を鼻先にぶら下げて特定の問題への解決を早める、と言うのは賞金付きの難問の解決法公募やコンペティションも有る意味同じものだと思います。これらの手法がある程度効果を上げてきたことを考えれば、それ程悪いものではない。
     ただ、その予算の使い方が日本の現行のシステムはあまり適切ではないと思います。使い切れない程の多額の予算を少数のラボに一点張り」するようなことはスマートではない。LHCのような大規模な機器が不可欠と言うのでなければ、広く薄く(とは言っても、一つの萌芽的プロジェクトを完結できる程度)撒くのがこの分野に関しては良いと思っています。

  10. 山形方人 より:

    あちこちで話題になっている記事だと思うのですが、この質問に対して、どう答えたらよいのでしょうか。
    (バイオ系)シンポジウムで学者たちから拍手喝采を浴びた女子高生の質問

    http://news.livedoor.com/article/detail/10835151/
    「「今回のプロジェクトは、『どうやったらできるのか今はわからない』ということでしたが、なぜ4年という期間や数百億円という予算を決めることができるのですか?」」

  11. 私立 より:

    いえですから直接民主制は近代民主制ではないです。
    まあ近藤先生個人がお嫌いなのは自由ですが、日本は一応民主主義社会ですので。

  12. 近藤滋 より:

    おかげで、私は民主制(というか衆愚制)が嫌いになりました。

  13. 私立 より:

    近代民主主義は全員参加の直接民主制ではないですよ。そのために代議制というものがあります。しかしその地方大は興味深いですね。先生のご経歴ですとT島大ということになりますか。わりとユニークなところだと聞いたことはあります。

  14. 田中智之 より:

    ポスドクの中には単なる労働力として取り扱われ、きちんとした教育や訓練を受けないまま研究者となった方があり、このことがポスドク問題を複雑にしています。これは研究者コミュニティの責任ですから、このような集団には人材育成を語る資格はないと批判されることは当然かと思います。

    一方、ロジカルシンキングといった売り文句を掲げる就職活動のセミナーや企業の研修内容を調べて見ると、研究室における訓練と大きな違いがないように感じます。昨今は民間のコンサルタントが政策決定に影響を及ぼすことも増えていますが、彼らの考え方も研究者のロジックと似ています(なので、限定された問題に対する回答には切れ味がありますが、大きな問題解決には至らないことも多いです)。昨今のこうした変化を考慮すると、研究室で基礎研究を行いつつ問題解決能力を高めるという場を残すことに意味があるのではないかと考えています。

    もちろん、こうした人材育成は大学でなければ不可能ということではありませんので、どちらが効率的か、あるいは国としてはどちらに重点をおくと良いかという判断が大事だと思います。傲慢で怠惰な大学教員たちの没落に快哉を叫ぶ気持ちも理解できなくはないのですが、次世代の人材育成のあり方もあわせて考えるべきことと思います。

  15. 道元 より:

    自然科学系といわれてもいろいろなので何とも言えませんが、そんなに社会から求められているならポスドク問題にはならないんじゃないの、というのはすぐに思いつくことです。

  16. Sadashizu より:

    横から失礼します。

    可能なら国の科学へのお金が増えるに越したことはないし、それが正しく活用されれば国や人類の未来にプラスになり得る、という点は、このサイトに出入りする研究者や関係者の多くは(またおそらく、少なくない一般の方も)そう思っているのではないでしょうか。

    「正論」に賛同されない意見、あるいは「横やり」が出る理由としては、まずひとつには「どこから、どうやって、どれくらい」増やすか、という肝心の部分がほとんど具体的に示されていないからではないでしょうか。さらに、「増額のみが唯一の解。にもかからず、国民や政府はそれを理解せず、科学者もそれを実現するパワーもなく、打つ手なし。他の手?何をやっても無駄」というスタンスが、後ろ向きで創造的でないと映るからだとおもいます。不満の受け皿にこそなるかもしれませんが。

  17. 田口善弘 より:

    ありがとうございました。横やりが入るのはつまるところ
    https://twitter.com/Yh_Taguchi/status/665658515155881984
    なのだと思います。研究者のマジョリティが自分の興味ではなく国の為に研究することはありえない(し、、またそうであるべきでもない)ので、反発は避けられないのでしょう。

    僕の好きな映画にセブン
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%96%E3%83%B3_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
    がありますが、終盤、自分の行為は使命だと強弁する連続殺人犯人に、ピットが演じる刑事は「そうはいうけど楽しんでるだろ」と突っ込みます。してやったりと得意満面の刑事に、しかし、連続殺人犯は平然と切り返します。「使命をたのしんで何が悪い」

    きっと科学者にもそれくらいのたくましさが必要なんでしょうね。もっとも、このセリフを口にしているのが連続殺人犯であること自体が「楽しんでいるけど使命だ」というのが転倒した論理だと受け止められがちだということを如実に示してはいるのですが。

  18. Shob_ushi より:

    田口先生のおっしゃることは、全く正論と思います。言葉のアヤはあるかもしれませんが。
    意図を短くまとめると、米百俵というところでしょうか。

    https://www.google.co.jp/search?q=米百俵

    この正論に横ヤリが入るのは、科学や学問に予算を割くことが日本にとって本当に有害と信じている人がいるということを意味するのでしょうか。あるいは、日本の科学が発展すると都合が悪い方でしょうか。もしくはただの議論好きでしょうか。いずれとしても、とことん付き合うのも大事なのですね。

    ※近藤先生が継続的にこういう努力をされていることに、頭が下がる思いです。難しい問題ですが、ぜひ頑張ってほしいです。

  19. tsuyomiyakawa より:

    「安定した基盤的研究費」の科研費を導入して、交付金が減った分は、間接経費比率を上げその間接経費にまわすのがよいのでは無いでしょうか。科研費は、基礎研究を重視する方向性がはっきりしていますし、自由度もたいへん高い資金ですので。私立・公立大学でも基礎研究を行っている研究者がいるということにご留意いただきたいです。

  20. tsuyomiyakawa より:

    道元さんは、おそらく大学教育を改善して、卒業生や受け入れる産業界により高い満足をしていただくことにより、一般社会に大学のサポーターを増やすことが重要ではないか、そうなれば予算も増加するし、その結果、日本の科学も良くなるのではないか、ということをおっしゃりたいのでは。
    より良い教育がなされた人材がより多くアカデミア・産業界に輩出されることになれば、それも日本の科学をよくするのではないか、ということもあるでしょう。

    ただ、限られた予算、時間、労力でどのように実現すれば良いのかのご提案が欲しいところですね。

  21. 近藤滋 より:

    この議論は面白いので、こんなスレッドの下の方でやるにはもったいないと思います。
    「私だったら、こんな風に改革する」という感じで、記事にまとめていただけないでしょうか?よろしくご検討ください。

  22. tsuyomiyakawa より:

    「いきなり全員」は現実的に困難だと思います。うまく実現するとしても、徐々に、ということにならざるを得ないのではないでしょうか。まず「卓越研究員」のようなPIを目指す人のトラックに加え、「着実研究員」、博士号取得者向けのアドミントラック、技術員トラックのようなものを試験的に限定数用意し、そこに移動していただく、というのが有りうるのではないでしょうか。それが成功してうまくいくようであれば、枠を増やしてもらう、というような感じでしょうか。希望者が殺到してしまうような場合にどうするか、ということもありますね。まずは機関で選抜してもらって、機関推薦にするとかでしょうか。

  23. ぽとと より:

    あくまでも交付金の総規模は確保したうえで、各大学への分配を成果と連動させるべきでしょう。現状のように成果の如何にかかわらず一律減額では、危機感を持っても対策の立てようがなく、閉塞感と財務省・文科省への反感しか生まれません。また、外部資金が唯一解では、構造的に外部資金が得られない基礎研究分野が衰退してしまいます。

  24. tsuyomiyakawa より:

    資金が増えるということを想定すれば、それぞれの大学がいろいろと改善策は出すことは間違いなくできます。例えば、教員対学生比を改善し、ディスカッション形式の授業、レポートの添削・議論やプレゼンのきめ細かな指導、学生のアイデアを起点とたプロジェクトタイプの研究・開発の指導などなど、いくらでも。やりたいことはあっても資金と時間がたりないというのが実情かと思います。多くの教員は雑用が多い中、必死でがんばっていると思いますが、資金が減る中、ブラック経営者やクレーマー顧客さんから、さらなる改善が従業員に求められているというブラックな状況ということかと思います。
    ところで、うちの子どもが今年から国立大学に入学したのですが、昔の大学のイメージとは随分違って、随分みっちりと教育してくださっているような感じです。道元さんはかなり前の大学のイメージでお話されていらしゃるのでは?

  25. 38歳任期付き教員 より:

    一連の流れを読んでみたのですが、道元さんが「日本の科学を良くする上で」何が問題で、どうすれば良くなると思っているのかわかりませんでした。
    ここで議論すべきは、「どうすれば大学の予算が増えるのか」ではなく、「どうすれば日本の科学が良くなるか」のはずです。そのように的を絞って話した方が良いのではないでしょうか。(もうやり取りは終わった後みたいですが)

  26. 38歳任期付き教員 より:

    そうですね。「優秀」「排除」などという表現は好ましくなかったですね。宮川先生のおっしゃる通り、適材適所の配置ができることが望ましいと思います。ただ、研究に向いていない人や、やる気のない人にはご退場いただかなければならないと思います。
    「日本版テニュアトラック制度」については、基本的に賛同するのですが、これはいきなり全員に導入できるものなのでしょうか?そうでないのであれば、まずは「研究に向いている人」から優先的にパーマネントとしての待遇を与える等の対策が必要だと思います。

  27. 近藤滋 より:

    つまり、交付金をもっと減らすべき、ということになりますね。

  28. 道元 より:

    現状残念ながら「商品」として認識されてるのは内容ではなく大卒資格とブランドではないでしょうか。内容のために資金を増やせというのなら、やはりそのメニューが必要でしょう。

  29. ぽとと より:

    成果が出せない大学は退出させる制度として、実際にいくつかの国立大学が潰れるようになれば、大学の大多数の構成員の意識は変わるでしょう。変わらなければ大学ごと消えて頂くだけのことです。大学が潰れる社会的コストは小さくはありませんが、いつまでも護送船団方式を続けていても競争力は強化されませんので止むを得ません。自分が定年になるまで大学が存続すれば後はどうなっても構わないというシニアによるシルバー民主主義に対しては、共済年金を大学毎に分割するなど退職後の大学経営に責任を負わせる仕組みが別途必要かもしれません。重要なのは意思決定者に結果リスクを負わせることであり、学長に権限を集中しても、学長が結果リスクを負わないのであれば、意思決定の合理性は担保されません。

  30. 近藤滋 より:

    それは、一概に言えないと思いますよ。全職員が参加する方式をとっているところもあります。(以前、地方大にいたときがそうでした。) しかし、人数が多すぎて、馬鹿みたいに時間がかかるうえに、何も決めることのできない場でした。どんなことにも、必ず「反対の立場」で大演説をぶつのが趣味の人が何人かいたものですから。良い選択ができるかどうかは、制度のほかに、構成員の意識に依存すると思っています。

  31. 私立 より:

    大学での「多数決」「民主主義」といった場合、ほぼ教授会を指しており、結局学長か教授会か、ということでそれより下の階位があらかじめ「民主主義」から排除されていることが問題なのでしょうね。前時代的としかいいようがありません。

  32. 近藤滋 より:

    >>将来的に5%の削減分は取り返せるという見込みを構成員の多数が共有できるような条件下では、

    対象はシニアですよ。きわめて難しいです。取り返せません。

    >>問題がある特定の個人の排斥が民主的手続で可能なことは

    これは、多数決で問題なく可能です。

    文科省が学長の権限を強くしようとしているのは、多数決で改革ができないからだと思いますが、どうでしょう?

  33. ぽとと より:

    例えば、構成員全員の給与を5%カットして浮いた額で新たに若手を雇うという案が構成員の多数の同意を得ることは、平時には極めて難しいでしょう。しかし、それをしなければ組織全体が倒れてしまう、あるいは新たに雇った若手が活躍すれば組織全体が潤って将来的に5%の削減分は取り返せるという見込みを構成員の多数が共有できるような条件下では、上記の案は多数の支持を得られるはずです。
    一方で、問題がある特定の個人の排斥が民主的手続で可能なことは、古代アテネで既に実証済みですが、弊害が多いこともまた実証されていますので、実施には慎重であるべきでしょう。

  34. 近藤滋 より:

    おっしゃっている意味はわかります。厳密に言えばその通りです。
    ですが、リストラのほとんどが、構成員の整理か給与の削減を含むので、構成員の多数決でそれを行うのは、極めて難しいことは事実だと思います。

  35. 私立 より:

    それは全然違います。
    「(リストラに関して)民主主義が機能しない」
    は民主主義が機能していないのですから、民主主義が機能した場合にリストラできないのかどうかはわかりません。
    一方、
    「リストラは民主主義ではできない」
    は民主主義が機能してもリストラはできない、という意味です。
    ちなみにリストラというのは再構築という意味で必ずしも馘首ではありませんし、民主主義国家では改革はできないかというと、そんなことはありません。

  36. サマリア より:

    立命館モデルというのが話題になっていますね
    立命館大学は、なぜ10年間で採択数も金額も倍増できたのか。
    http://forbesjapan.com/articles/detail/10062

  37. 近藤滋 より:

    「(リストラに関して)民主主義が機能しない」
    と、
    「リストラは民主主義ではできない」
    は同じだと思います。

  38. tsuyomiyakawa より:

    実際のところは、「商品」がどのようなものかはほぼ周知されており、それでも購入希望者が販売数をかなり上回っているという状況かと思います。購入者はそこでゲットしたアイテムを武器に世界と戦っていかなければならないので、現状レベルの商品価値のもので良いのか、と疑問が持たれている、ということかと。

  39. 道元 より:

    メニューや保証書あるいは高い信頼があれば対価も払うでしょうが、どれもない状態で高い対価を出せという店には誰も寄り付きません。そういうことではないでしょうか。

  40. 私立 より:

    その要約はちょっとおかしいですね。むしろ民主主義が機能していないから、問題PIが批判されないわけです。理研の例が顕著ですね。アンケートでもアカハラパワハラを指摘する意見がありましたが、自由な批判が事実上できない日本のアカデミアの構造的問題です。

  41. tsuyomiyakawa より:

    なるほど、尖った領域はさらに伸ばし、地域連携も活発に行い、教員からの評判もボチボチよい、というL型大の良いモデルになっているように見えます。
    近い方法として、一部希望する大学については、完全な国立大学に戻し、一方で、一部は完全に私立大学化するなどして、様子を見る、というのも一つの方法なのかもしれないですね。法人化が問題であったという指摘もかなりあるわけで。複数大学が完全国立大学化して公務員になると、要は中央雇用になるので、トラック間移動も人事異動としてやりやすくなり、適材適所を実現しやすくなるというメリットもあるかもしれません。

  42. ぽとと より:

    リプライありがとうございます。また、原文の文意が分かりにくかったようですみません。
    科学的議論では、自己の主張に対する想定反論を列挙して検討することは普通のことで、想定反論を言挙げすることはその反論を支持することを必ずしも意味しません。また、相手方の主張を甘すぎると一刀両断してしまうと、論理的議論はそこで終了してしまい、あとは政治力勝負になってしまいます。内心は甘いと思っていても、言い訳を一つ一つ潰して退路を断つようにすることが、論理的議論で変革を行うためには必要かと思います。
    適切なリスク分散によって評価とハイリスク研究を両立させることは可能だと、私自身は考えているのですが、研究者の間ではハイリスク研究が必要だから成果の評価をすべきではないという主張もあります。原文では、その主張と機能していないPIの排除は両立できますか、という問題提起をしたつもりです。
    研究者は個人主義の人が多いので、研究は個人でするものだから評価も個人単位であるべきとの主張が強いです。しかし本当に個人単位のみで評価をすると、隣のラボが機能していなくても自分には全く無関係の他人事になります。人事を行う教授会は別のラボのPIの集まりですので、人事を行う主体がその結果に対して責任を取ることがなければ、無責任人事の温床になります。そのため、人事を行う組織単位での評価を導入して、ダメなラボを放置すると組織全体が沈没してしまう、良いPIを採用すれば組織全体が活性化して他のラボにも恩恵が行き渡るという形で人事に責任を持たせることが、機能しないPIを排除して優れた研究者を採用する動機を与えるために必要と考えます。理由があるからしなくていいというのではなく、理由の方を変えるべきだと書いたつもりでした。

  43. 欧州PI より:

    18歳人口が半減していくことも念頭におかれた方が良いかなと思いますね。人口が半減するということは、優秀な人も半分になるということですから。
    これからは、むしろ博士課程の枠を絞って手厚くサポートしていかないとダメなのではないかと。今までの生物系のように殿様商売で優秀な人材を確保できる時代ではありません。
    結局のところ、生物系の高齢PD問題はテクニシャンにさせる仕事を人件費がかからない博士課程学生にやらせて、まともな教育をして人材を育ててこなかったのが主因なのですから。まともに育てようと思っていたら、2000年前後のような人数取れませんよ。

  44. 近藤滋 より:

    wikiで見ると、最初は反発を受けたが、しばらくして、学内での支持は急上昇した、となっています。
    外部資金の総額(共同研究金額、受託研究金額、奨学寄附金)の推移をみると、http://www.yamagata-u.ac.jp/pdf/27sangaku.pdf
    就任してから直ぐに上昇傾向になり、7年でほぼ倍になっています。すごいです。

  45. tsuyomiyakawa より:

    山形大学の学長に文科省で事務次官だった方がなられたことがありますね。あと、副学長クラスであれば、文科省出身者が就任された例がたくさんあるようです。どの程度の効果があったかは、それなりに結果がでていると思うので、まずはそれらの事例を見てみると良いのでは。

  46. tsuyomiyakawa より:

    国立大で学部教育について総額が増えたことはあるんでしょうか。研究費の総額は増えたことはありますが、それは研究に使うべき資金ですので、原則として学部教育に流用することはできないと思います。

    大学院教育が(も)ブラックということはそれなりにあると思います。これは大学院重点化による定員増に原因の大きな部分がある、というのが大方の見方でしょう。

    僕は国立大学で学部教育に関わったことはないですが、「安かろう悪かろう」というのは世の中の基本ではないかとは思います。優れた商品がほしい場合は、それなりの対価を支払う必要はあるでしょう。

  47. 欧州PI より:

    >ハイリスク研究に取り組んだ結果として成果が出ないのと研究をしていないか能力がなくて成果が出ないのを区別する、客観的で透明性の高い評価基準を作成するのは結構困難です。

    これが、教授の下でハイリスクプロジェクトをしている助教の言葉ならわかりますが、PIとしての言葉ならばPI失格でしょう。「まともな」PIであればそんなハイリスクに全張りなんてことはせずに、1/4位のエフォートで手堅いプロジェクトも回すのがPIとしてのリスク管理として当然ではないのでしょうか?
    そんなハイリスクプロジェクトを遂行する能力のある研究者であれば、1/4程度のエフォートでそれなりに堅実な成果も得られて、基盤C位は取れるはずでしょう。また、ハイリスクプロジェクトを10年やって全く成果が得られていないということは、裏を返せばその10年間の大学院生は全滅ということでもあり、それは指導力が欠如していると認定されても仕方がないかと。

    >それがなされていないのは、それなりの理由があるのです。

    だから大学に自浄能力・改革能力が「全くない」と財務に言われていること理解されていますか?

    研究費を取るだけがすべてではありませんが、research facultyとして研究費が取れないということは能力が無い事と詰められても仕方がありません。知り合いが働いている、US,UKの某大学では各PIごとの研究費獲得額のリストを毎年faculty meetingで発表しているなんて所もあるぐらいです。(それが行き過ぎて、UKでは亡くなってしまった方もおられましたが。。)

    ぽととさんに限らず、ここでのコメントをされている多くの方を見ていて、甘え過ぎだと思います。納税者から猛反発をくらうようなコメントばかりで、こんなことばかり言っている日本の大学なんかつぶしてもいいんじゃない?と言われかねない発言である事を皆さん自覚された方が良いのではないでしょうか?

  48. 道元 より:

    ブラック企業は大学院というのが世間の噂ですが…。総額が増えたときに対応しなかった側が悪いんであって、減らされる段になってから教育を人質にとるような言い方をしていて信用されるとお思いでしょうか。

  49. 近藤滋 より:

    文科省は、大学が改革をちゃんと進めないのが悪いと言うし、大学は、文科省の方針は現実的でないと主張します。だったら、仮に、どこかのモデル大学を選んで総長を文科省から出し、自由に改革させたらどうでしょう?その大学が良くなれば、他の大学もその方法を選ぶでしょう。逆にその大学が崩壊したら、文科省の言っていることは机上の空論と結論され、彼らに科学行政のかじ取りをする資格は無い、ということになると思います。

    現実的では無いと思われるでしょうが、既に、一回これとほぼ同じことが試されました。筑波大学です。今では、普通の大学になってしまいましたが、、、、

    これについても、斉藤・生田さんとの話し合いで出てきたのですが、
    「なんで、そんなことが可能だったのだろう?」
    で話が止まってしまいました。

  50. 田口善弘 より:

    とても失礼な言い方になってしまうのだけれど、そこも選択の問題だということに気付いてほしいんですよね。同じ理屈で「福祉」や「年金」も抑圧されてよかったけど、そっちはしないでじゃんじゃん借金をしている。年金のためには借金するけど、科学に投じるお金のためには借金しない、というのはれっきとした「選択」の結果ですよ。

  51. 馬場ババァ より:

    そこまで深い理由ではなく
    日本はここ20年で碌に経済成長していなく
    アメリカや中国はその間も成長しているという要因がデカいと思いますよ。
    経済成長しないという事は税収のパイが増えない事とイコールであり
    一方では社会保障費は年々増えていく訳でじゃあその分を削るには
    どこからというと政治的にも脆弱で性質上投資の効率が悪く
    国民の関心も薄い文教予算からという構図かと
    身も蓋もないですが経済成長が続いていたなら今の様には
    なっていないと思います。

  52. tsuyomiyakawa より:

    学生さんが満足できるような教育を大学が提供できているかどうか、ということですね。それは、それぞれの大学、学科、教員ごとに違いはあると思いますが、全般的・平均的にはできていないのではないか、というのが大方の見方ではないかと思います。

    卵が先か、鶏が先か、という議論にはなってしまうのですが、残念ながら、教育のためのリソース(時間、労力、予算など)が十分ではない、ということがあると思います。

    うちの大学は私立大学で、多額の授業料(年間数百万)をいただいているということもあり、学生さんの教育には多くのリソースを割き、満足度調査なども頻繁に行って常に改善を試みています。米国でも、学生さんからの評判の良い大学は、裕福なので、学生・教員比率なども非常に小さく、密度の高い教育を提供し、その結果、満足度も高くなっているのではないでしょうか。その結果、企業からのニーズも高まり、寄付も多く集まり、授業料も高くできる、というポジティブなサイクルが回っている大学がかなりあるわけです。しかし、多くの国立大学ではそのようなことは現状なかなか厳しいのではないでしょうか。リソース抜きで精神論で、疲弊している国立大学教員に質の高い教育と研究を、と言っても、それはある意味ブラック企業のような感じではあるような気はします。

  53. 道元 より:

    >科学コミュニケーション
    そういう宣伝のようなことではなくて、大学で教員が本当に学生を人間として守ろうとしているかどうかとか、そういうところで大学への信頼は決まっているんですよ。

  54. 近藤滋 より:

    ぽととさんのコメントを一言で要約すると、「リストラは民主主義ではできない」となると思います。わたしも、そこが根幹の問題と思います。

     文科省は、大学が改革をちゃんと進めないのが悪いと言うし、大学は、文科省の方針は現実的でないと主張します。だったら、仮に、どこかのモデル大学を選んで総長を文科省から出し、自由に改革させたらどうでしょう?その大学が良くなれば、他の大学もその方法を選ぶでしょう。逆にその大学が崩壊したら、文科省の言っていることは机上の空論と結論され、彼らに科学行政のかじ取りをする資格は無い、ということになると思います。

    現実的では無いと思われるでしょうが、既に、一回これとほぼ同じことが試されました。筑波大学です。今では、普通の大学になってしまいましたが、、、、

  55. tsuyomiyakawa より:

    研究活動をほとんどしていらっしゃらない教員がかなりいらっしゃって、対策がとられていない、ということが文科省や財務省がおっしゃる「大学が効率化されていない」ということの無視できない部分を占めていると思います。おそらくそれが問題であるのは間違いなく、「55歳ぐらいから5年ごとに審査して、研究できていない人は(給与体系の異なる)teaching professorに配置換え」というような類の適材適所を実現するような方法は、その解決策としてそれぞれの大学の施策としてぜひ普及してくるべきだと思います。Teaching professorの他にも、PIでない研究職、広報や大学運営など研究に近いことを担当するアドミニストレーター(事務職)へ配置換えをするなどいろいろあるでしょうし、企業であればどこでもやっている普通のことかと思います。あと、企業のように、退職金を少し多めに出して早期退職を自発的にしていただくというのもオプションとしてあったほうがよいでしょう。

    そういう類のことをしやすいように、学長の権限を強くする、ということを文科省や財務省の主導で法改正までしたのだと思いますが、あまりその主旨が実現されていないようにも思われます。広島大学の方法のようなものはその具体的取組みの一つなのだと思いますが、以下で、ぽととさんがご指摘されているようなことが原因の一端としてあって、反発が多いということかもしれません。

    この安定した基盤的研究費の仕組みの案
    http://scienceinjapan.org/topics/031413.html
    は、自由に使える研究費を安定させると同時に、現在もっともフェアだと言われる(もちろん完璧ではありません)科研費の審査を仕組みを活用しつつ、研究者を評価する仕組みでもあります。この案は、9割以上の研究者が賛成しているわけですが、全国一律の基準で研究者をS、A、B 、C、Dと分類する案でもあるわけです。この案で、例えば、D評価(研究費ゼロ)に何年か連続してなってしまう教員の方々は、上記のような配置換えにもご納得しやすくなるのでは、というメリットもあるということになります。

  56. ぽとと より:

    実際には研究ができていない教員に限って、「成果が出ていないのはハイリスク研究をしているからだ、科研費の審査員は実績だけで評価しているか計画の独創性を評価できていない、短期的な成果ばかりを評価するのではなく、自分のようにハイリスクな研究に取り組む志の高い研究者を支援しなければ、日本の科学の未来はない」などと主張するものです。ハイリスク研究に取り組んだ結果として成果が出ないのと研究をしていないか能力がなくて成果が出ないのを区別する、客観的で透明性の高い評価基準を作成するのは結構困難です。もちろん周りから見ていれば分かりますが、変な制度を作ると陶片追放になってしまい、学問の自由が担保できません。また、周りのまともな教授たちも、こんな面倒な教員に関わってもメリットはないし、ハラスメント疑惑をかけられても馬鹿馬鹿しいので、単に放置するのが普通です。
    多くの国立大学では、スペースや研究費の配分、学生の配属、講義分担は学科や学部の決定事項なので、研究していない教員の研究リソースを取り上げて講義・運営分担を増やし、研究アクティビティーの高い教員に研究リソースを廻す程度の措置であれば現状の制度のままでも十分にできます。それがなされていないのは、それなりの理由があるのです。
    人事は組織の決定事項です。決定にリスクやリターンが伴わないのであれば、無責任な決定(無決定)が蔓延するのは当然のことです。

  57. 欧州PI より:

    とはいえ、60手前で過去10年位まともに科研費を取っていない教授陣が結構いるわけで、その人たちに宮川先生がおっしゃられるようなトラックに行っていただくのは現実的に抵抗が大きすぎて現実的ではないかと思います。(40歳以下のポスドクなら可能でしょうが)。
    55歳ぐらいから5年ごとに審査して、研究できていない人は(給与体系の異なる)teaching professorに配置換えというのが現実的な落としどころかなと思いますが、いかがでしょうか?
    広島大が発表した(導入は未決定?)ポイントシステムは大批判を受けていましたが、僕自身は結構いい線にいっているのではないかと思います。
    http://hiroshima-u.jp/sgu/page02_02

  58. 田口善弘 より:

    何度も言っているように「何かが無い」という証明は不可能ですから。僕に言えるのは、どこの国も予算を増やすことで論文を増やし、日本も科学に投入するお金が増大していた時は論文の数が増えたけど、増やすのを止めたら停滞した、くらいのことです。日本だけは他の国と違って減らしたり、増やさなかったりしても、恒常的に論文数を増やしていけるかも(それができている国は世界中どこにもないわけですが)、と言われても反証はできないです。
    ただ、「反証がないからできないとはいえない」と言ってお金を増やさないまま傍観していればこのまま差をつけられる可能性の方が圧倒的に高いだろうということはいえると思います。
    それでもかまわない、と政府や国民が判断するなら仕方ないことだとおもいますが。

  59. 匿名σ より:

    「(国の科学研究費の総額でなく、その一部の)運営費交付金が減ったことが科学力低下の原因だろう」ということで、まさに「総額でなく使い方がクリティカル」ということを示しているわけです。「総額を増やすしか解決しない」というのは一足飛びな考え方だとおもいます。

  60. 田口善弘 より:

    解ります。ただ、「学会横断でやったことがない」わけじゃないとは思います。過去にも。でも、過去のことはどうでもいいかもしれません。今とは状況が違うし、今度はうまく行くのかもしれません。

  61. 若手 より:

    「要望」は今までさんざんやられていて意味がなかった。それは先人達の良いネガティブデータです。今回の動きは「一緒にやる」ためのものなのではないでしょうか。

    今はWebに公開すればやったことが後世からでも簡単に検索できる時代です。やった成果がプラスであれマイナスであれ残すことにマイナスはないでしょう。

  62. 田口善弘 より:

    複数の学会で連名で要望してもなかなか難しいとは思うのですが、でも、頑張ってください。

  63. tsuyomiyakawa より:

    個人で、ということではなく、研究者コミュニティとして活動することが大切かと思います。今回のガチ議論の本番では、分生、生化学会の両会長が参加される予定ですので、その種の活動、「ポリシーアウトリーチ」を学会や学会連合などでしっかりできないか、という議論をしたいという意見でガチ議論スタッフは一致してます。

  64. 田口善弘 より:

    「研究者コミュニティとしては、ほとんどしてきていないというのが実際のところだと思います」
    宮川さんでもそういう認識になってしまっているのはもう絶望的としか言えない感じです。
    10年後に宮川さんがやったことが認識されていなくて同じことが言われないことだけを祈っておきます。

  65. 田口善弘 より:

    「日本は、科学の予算は同じだが、論文の数が落ちてきている」という状況

    があるとどこできかれたか知りませんが、いろいろな解釈があります。例えば

    http://blog.goo.ne.jp/toyodang/e/2274c05a203feddbed946697176c47f9

    では国大に限った分析ですが
    「交付金削減がそのまま教育・研究機能や組織の縮小として反映している」
    と結論が出ています。

    一般的にはお金を増やすのをやめたので、増やし続けている諸外国に抜かれた、という認識なのだと僕は思っています。

  66. tsuyomiyakawa より:

    なんの役に立つかわからない過去の基礎研究の成果によって現在の生活が実現している、という一般的な事実の具体例がたまたまオバマ大統領のスピーチにうまく表現されていたので、引用させていただいた、ということですね。

    なんでもアメリカのまねをする必要はおっしゃるように全くなく、アメリカからでも他のアジアの国からでも良いもののみ取り入れればよい、ということだと思います。

    科学コミュニケーションは、「普通の大卒」の方々はもちろん、もっと若い方々から年配の方々まで、幅広く行うということができれば理想的ではないかと思います。

  67. tsuyomiyakawa より:

    ポスドク一万人計画は、加藤紘一さんと、高校の同級生の利根川進先生がお話されたときに、ポスドクのポジションの必要性を言われたことがきっかけの一つになったと記憶してます。

    政治家は正式な国民の代表で、かつ最も強い決定力をもっていますので、政治家の方々にご理解をいただく努力をするのがもちろん最も効果的なと思います。アメリカでは、学会やAAASなどが継続的かつ強力にそのような努力しているはずです。あと、政治家の方々は、マスメディアでの論調を中心に、地元での支持に繋がる「ふわっとした空気」を重要視されますので(国民の代表なのでそれが正しいあり方です)、当然、一般の国民の方々がどうお考えになるかが政治判断に大きな影響を与えているでしょう。

    日本では、個人の高名な研究者はその種の努力を一応されてきてますが(特にご自分の狭い領域にもってくるような活動は歴史的にされてきてます)、研究者コミュニティとしては、ほとんどしてきていないというのが実際のところだと思います。研究者コミュニティとして、単なる我田引水でない活動をしていくことが必要ではないでしょうか。

  68. 道元 より:

    いまさらアメリカを持ち出されても…という感しかないのですが、ポスドク計画などもアメリカの真似事をして失敗したんですよね?アメリカの大学のように名だたるベンチャーを輩出していれば説得力もあるでしょうが、それを真似ようとして失敗したのがこの20年くらいの趨勢でしょう。国民を味方をつけたければまず普通の大卒を味方にすることですよ。それもできずにどんなにアメリカがーといっても無駄です。

  69. 匿名σ より:

    「日本は、科学の予算は同じだが、論文の数が落ちてきている」という状況が示すのは「日本に固有の問題」があるということです。そこで「同じお金でより(あるいは以前と同じレベルのw)成果があがる研究環境の作り方」が求められているわけですよね。つまりそもそも、この「作り方」というのは、その日本に固有の問題を取り除く処方箋、という性質が強いでしょう。なので、すぐに同法がシームレスに世界に広まりその結果、相対的な日本の位置が何も変わらない、などというような状況は考えにくいということです。(毒、云々は単なるレトリックです。)

  70. 田口善弘 より:

    この辺は、まあ、感覚の差なのですが過去に「科学にお金や資産が流入するような政治決断」があったとき(例えば、大学院化、とか、ポスドク10万人計画、とか)の時に『世の中の「ふわっとした空気」による背後での後押し』があったとは僕には思えないんですよね。前者は有馬さんの政治力、後者は、ちょっと誰の政治力かわからないですけど、で実現しただけなのでは。

    僕にはちょっと適当な人が思い当たらないけど、「上の方」にそういうひとを送り込むとか、そういう人が来るのを待つとか、いうのが現実的なのでは。

    なんか民主的じゃなくて好きではないんですけど、まあ、過去を振り返ると国民の支持で科学に来るお金がどうこうなったことはないし、これからも無いような気がします。

    政治家や官僚が、世界の趨勢を学べばおのずどわかるはずなんですけどね、実際、オバマさんだってこういう演説をしているのだし。
    「研究者コミュニティによる長い地道な努力」はもう結構、やられてきたんじゃないですかね。でも、あまり変わらなかったというのが現実なのでしょう。

    でも宮川さんは頑張ってください。

  71. 田中智之 より:

    官僚や政治家の多くは人文系の大卒であり、日本の場合、ここで議論に参加しているような自然科学のバックグラウンドをもった方は少ないです。自然科学系出身の社長などは最近では増えているように思いますが、まだまだ発言力は小さいように思います。自然科学系出身の社会人の場合は、大学の重要性を認識している方は少なくないと思います(サイレントなグループなのでしょうが)。大学全体の教育のあり方についてここで議論するのは少し焦点がずれていて、そういう話題はむしろ人文系学部廃止の通達に関する議論が相応しいのではないかと思います。

    私の意見は、自然科学系の研究室で訓練されるような能力が、実は現在社会から求められているのではないかというものです。研究成果に加えて、そういう人材育成における価値も少しは認めていただきたいというところです。我々が将来の鍵を握るのだと主張していると捉えられると、傲慢だという反応につながるでしょうが、そこまで強いものではないでしょう。道元さんの大学の将来についてのスタンスはどういうものなのでしょうか?

  72. tsuyomiyakawa より:

    一人や少数でやっているだけではもちろんかわらないでしょうし、もし変わる場合でもそんなにすぐには変わらないでしょうね。

    流入するのは政治決断した時だけ、というのはその通りなのですが、それは「最後の一滴」のようなものではないですかね。政治決断には、世の中の「ふわっとした空気」が背後で後押ししないと、おいそれとは実現しないと思います。

    政治のトップに以下のオバマ大統領の演説クラスのことをおっしゃっていただくまでには、研究者コミュニティによる長い地道な努力が必要だと思います。
    https://www.whitehouse.gov/the-press-office/remarks-president-national-academy-sciences-annual-meeting

  73. 田口善弘 より:

    まあ、信じてもらえないでしょうけど「自分たちから始める活動」はこれでも僕は結構昔はやったと思います。でも、それじゃあ無理なんですよね。変わらないどころか、むしろ悪くなった。やっぱり科学にお金や資産が流入するのは政治決断した時だけなんです。悲しいけどそれが現実、かな。

  74. 田口善弘 より:

    未来を担うのが大学ばかりじゃないのは当たり前です。でも、大学でしか担えない、国の未来に不可欠なものは確実に有り、他のものがいくらあってもそれがなければ国の未来は立ち行かない、というのは世界中のまともな指導者が共有している認識だと思います。傲慢とかそういう問題ではありません。
    勿論、大学無しでそれをやる方法は何かあるのかもしれません。でも、まだ、それを誰も発明できてない。だから、どこの国も経済的に余裕ができるとまっさきに大学を作ろうとするんですよ。

  75. 田口善弘 より:

    水掛け論にしかならないとは思うのですが、科学って「××民族だけしかできない」とかそういうものじゃないんですよ。例えば「大学」というのは「高度な知的活動を研究と教育面で行うためのある特殊な仕組み」にすぎません。同じことをやるのに方法はいくらでもあるわけですね。でも、どこの国も「大学」っていう純粋に西洋文明に根付いた仕組みをうまく導入して欧米に科学でキャッチップしたわけです。明治維新のころを考えたら。「大学」は欧米にしかなかったのだからまさに「欧米独自の研究成果があがる環境の作り方」だったわけです。でも、それを非欧米はどこもうまく取り入れた。

    同じ意味で、日本の処方箋は他国では役に立たないか毒になる可能性のほうが高い、はない、と思います。それって結局、明治維新のころに「大学は欧米独自のやり方だから日本に導入しても毒にしかならない」と言っているのと同じようなことにしか僕には聞こえないんですよね。

  76. 匿名σ より:

    >そんな方法があるなら、科学者はそれを自分たちだけで独占して、日本の優位を保つことより、
    >世界中で共有してより効率よく世界全体で科学に投じられるお金が有効に働くことを選ぶでしょう。

    国ごとに経済や文化、人の数が全然違うわけですから、「同じお金なのにより成果があがる研究環境の作り方」はその国々ごとに違うのでは?日本の処方箋は他国では役に立たないか毒になる可能性のほうが高いのではないかとおもいます。

  77. tsuyomiyakawa より:

    「おそらく」とつけたのは、研究者特有のしゃべり方によるものです(笑)。直接話題にでたことは何回もあって、僕の記憶が正しければはっきりそうおっしゃってます。ただ、そういう考え方をされている人が文科省内でたくさんいらっしゃるかというとそうでもない、という印象もあります。

    で、そういうことの歴史的エビデンスを収集し、論理的に主張するべきなのはまずは研究者コミュニティで、それをもって政治家や官僚、マスメディアの方々とのコミュニケーションの中で、ご理解いただく、という順番が普通なのではないかと思います。上で引用したオバマ大統領のスピーチは、オバマ大統領ご自身が起草したとは思えないわけですが、ご本人にその内容をご理解して共感していただかないとこのようにはしゃべってはもらえないわけです。

    そういうところに行き着くまでの努力が始まっていないとのことですが、それはやはり自分たちから始めないとだめなのでは、と思います。僕自身でいいますと、地道な活動の一環として、科学館で定期的に一般の方々との科学コミュニケーションの企画を行っています。

  78. tsuyomiyakawa より:

    なんの役に立つかわからない基礎研究の成果によって現在の生活の水準が保たれている、という具体例はいろいろとあります。

    「政治家のように」というご指摘をいただきましたが、オバマ大統領のNational Academyでのスピーチに、基礎研究がもたらした意外な成果の具体例が少し書かれています。
    https://www.whitehouse.gov/the-press-office/remarks-president-national-academy-sciences-annual-meeting

    僕はこのスピーチを読んで感銘を受けたことがあり、かなり影響を受けていますので、そのような印象をお持ちになったのかもしれません。僕がポイントと思う部分を以下に抜粋しておきます。

    “The fact is an investigation into a particular physical, chemical, or biological process might not pay off for a year, or a decade, or at all. And when it does, the rewards are often broadly shared, enjoyed by those who bore its costs but also by those who did not.

    And that’s why the private sector generally under-invests in basic science, and why the public sector must invest in this kind of research — because while the risks may be large, so are the rewards for our economy and our society.

    No one can predict what new applications will be born of basic research: new treatments in our hospitals, or new sources of efficient energy; new building materials; new kinds of crops more resistant to heat and to drought.

    It was basic research in the photoelectric field — in the photoelectric effect that would one day lead to solar panels. It was basic research in physics that would eventually produce the CAT scan. The calculations of today’s GPS satellites are based on the equations that Einstein put to paper more than a century ago.”

    道元さんのおっしゃるように未来を担うのはもちろん大学だけではないです。未来を担う様々な活動の中で、大学が行うべきことの位置づけを、大学関係者だけでなく、一般社会の方々と一緒に考えていくことが大切だと思います。そういうことをしっかり行えば、日本においては、今よりもずっと基礎研究の重要性が認識されてくるに違いない、という具合に自分としては考えているということですね。

  79. 道元 より:

    うーん、やはり全然わかっておられないように見えます。まず、押しつける結論が決まっているものはコミュニケーションではありません。また、どこかの政治家のように国だの未来だの大きな話をしていますが具体性がまったくなく、責任を取る姿勢も見えません。さらに、未来を担うのは大学ばかりではなく、一連の発言には傲慢さしか感じられません。大学が育成するのがこういう人物であるというのなら、味方する人が少ないのも致し方ないでしょう。

  80. 田口善弘 より:

    結局、なかなか合意をするのは難しいとは思うのですが、

    >「基礎研究への投資が国のため、人類のためになる」ことについては、生田さん、斉藤さん、もそういう具合に信じてらっしゃるのはおそらく間違いないのですが、

    と言われますけど、僕は政治家や、官僚や、マスコミがそういうことをちゃんと国民に向けて言ったのを殆ど聞いたことが無いんです。宮川さんが上記の引用の中で「おそらく」という形容詞をつけないといけなかったことが如実にそれがあらわれているのではないでしょうか?(察するにそういうことを「直接」話題にしたことはきっとなかったのですよね? 近藤先生があげてくれた2回のまとめにもまったくその手の話は出てきてないです)

    >ともかく、一朝一夕にはいかないことだと思いますが、

    もなにもそもそも、そういう努力が始まってさえいないのでは、というのが僕の不満なんです。政治家や官僚はそれをはっきりともっと国民に向けて言えよ、と。

    科学や大学教員のためのお金は、科学者や大学教授の生活や楽しみのために出しているんじゃなく、国家の未来のためにだしているんだから、と。その上で並行して無駄の排除は積極的にするけど、それとこれは別問題なんだと。

  81. tsuyomiyakawa より:

    道元さんのおっしゃっていることは、まさに国民の反応だし、「ふわっとした空気」の重要な部分をしめているのではないかと思います。ここを根本的に改善していくためには、「なぜ基礎研究への投資が国の未来のため、人類の未来のためになるのか」ということについて、初等中等教育も含めた地道な科学コミュニケーションの努力が必要となると思います。
    その前には、「なぜ基礎研究への投資が国のため、人類のためになるのか」についての研究者コミュニティ内のコンセンサス作りも重要でしょう。

    「基礎研究への投資が国のため、人類のためになる」ことについては、生田さん、斉藤さん、もそういう具合に信じてらっしゃるのはおそらく間違いないのですが、そういうことを、「ふわっとした空気」という予算総額の決定権を握る存在にどのように認めてもらうかについては、頭を悩ましている、というところなのではないでしょうか。

    ともかく、一朝一夕にはいかないことだと思いますが、僕自身もそのような活動を通じて、総額を増加させる努力をすることもたいへん重要なことだと思っています。

  82. 田口善弘 より:

    宮川さん、このリプが一般的な国民の反応なんだと思います。大学がなんかの利益団体で国に金をせびっていて、金がとれないのは大学の責任、みたいな。大学を作って維持するということが国家にとってどういう意味があるのかとかそういう話じゃなくなっていますよね。これも科学の話とおんなじで「日本の大学は欧米の大学に比べて(大学の教員がサボっているから)劣っているのでそこを改正しないと金は出せない」って論理構造が全く同じです。大学に配るお金を絞って大学が衰えたら失われるのは国の未来なのにそういう発想がまるでないです。
    だから僕はここから根本的に直さないとまず無理なんじゃないかな、と思うのです。まあ、じゃあ、お前がここでそれを言ったらそれが直るのか、と言われたらちがうんでしょうけど。

  83. 田口善弘 より:

    宮川さんはリアリズムにのっとって、最終的に科学に投じられる予算が増えればよい、そのための最大の障害が「無駄」であるならそれを訂正することをまずするべきで、それによって宮川さんがいうところの「ふわっとした空気」も改善されるのだろう、実際、「無駄」の排除は予算増と独立にすべきことなのだし、ということなのだと思います。

    それはそれで立派だと思いますし、戦術的にはありなのですが、僕が必ずしもそれに乗れない理由は以下の2つです。

    1 またまた、それを言っちゃあおしまいよ、ということなのですが、正直言うと「無駄があるから科学に予算が投じられない」とはさんざんいわれますが「無駄が是正されたら科学に予算投じるよ」とは誰も言ってないわけで。過去を見ても実際に「無駄」のあるなしで科学に投じられる予算が変化したことなんかないわけで、現状も財政が破たんしているから科学にお金を出せないだけなのに口実として「無駄があるから」と言われているだけなのではないか、という懸念がぬぐえません。となると「無駄」が無くなってもまた別の理由が持ち出されて結局科学にお金は投じられないのでは、と疑っています。なので、僕はまずは「財政が破たんしているから科学にお金を出せない」という論理構成の間違いを指摘するべきだと思うわけでそれゆえに「無駄があるから科学お金を出せい」という論理構成の破たんをしきりに訴えているわけです。

    2 そもそも、中国やアメリカが科学に大金を投じているのは、科学者が無駄なくお金を使っているから、とか、向こうは財政が破たんしていないから、ということより、彼らにとって科学にお金を投じるということは(誤解をおそれず単純化していえば)軍備にお金を投じるのとほぼ同じようなことなのだ、ということをもっと日本人は認識すべきだと思います。なのに宮川さんがいわれるような「ふわっとした空気」の中では、「科学者が楽しく研究するための科学者のためのお金が研究予算」的な認識が色濃くあり、だから「無駄を排するまでは科学にお金を出さない」という話になってしまうんだろうと思います。でも、僕は「科学のための予算は(国家戦略的には)科学者のためじゃなく、軍備と同じような意味での(広義の)国防予算なんだ」という認識を持ってもらわないことには1のような懸念も含めて解決しないと思っています。

    最後に「そう思うなら自分で場を作ってそっちで勝手にやってくれ。ここはそういうとこじゃないよ」というなら僕はもう近藤さんや宮川さんとのネット上の関わりは一切絶ちます。ここまで積み上げてきたのは皆さんですし、僕は何にもしてないのだから出て来ぶち壊すな、という気持ちになるのはわかりますから。

    ただ、まあ、長い人生で「この人は善意で頑張っているのだから間違っていると思うけど黙っておこう」と思ったために、長い目で見るとその人が不幸になってしまったのは何度も経験しているので。

    以上です。

  84. 道元 より:

    官僚はもちろんのこと、近年では政治家の多くは大卒だと思いますが、そういった人たちに大学の重要性を認識させられなかったのは当の大学である、という反省がまったくないのが問題ですね。大卒の国民にも大学の味方をしてくれる人は多くない。なぜなのかじっくり考えてみてはいかがでしょうか。

  85. 近藤滋 より:

    >両者の距離を埋めるためには時間をかけて理解し合うしかありません。>高々数回の話し合いで絶望するのは早すぎませんか?

    ご理解いただき、かたじけない。
    スタッフ一同、そのような思いでおります。

  86. tsuyomiyakawa より:

    システムの改善と、総額増加をしていただく努力は、それぞれ独立に並行して進めていくのがよろしいのではないでしょうか。「総額」というのは、産業界、マスメディアや政治家などを含めた国民の「ふわっとした空気」が決めることになるというお話が、今回の文科省での議論でもでました(本文に記載はありませんでしたが)。僕もおそらくその「ふわっとした空気」がもっとも強い力を持っているのだろうと思うのですが、これは必ずしも論理ではなく、感覚的なものに左右されるという側面が強いと思います。そういう意味では、システムの改善についてもちゃんと真摯に自助努力をしています、ということがあるかないか、というのは少なからず「ふわっとした空気」に影響するのは間違いないでしょう。そのあたりをおさえておく必要があるのではないでしょうか。

  87. 田口善弘 より:

    お返事ありがとうございます。

    僕は研究者コミュニティに責任ないと言っているのではなく、そもそも、これらの改革がなされない(かつ、その結果無駄が放置されている)から、科学に予算を投入できないというのは本末転倒だと申し上げているだけです。

    生活保護の場合もそうなのですが、日本国民は、一部の人しかアクセスできない予算について、ごく一部にある無駄や不公正を針小棒大に取り上げて、大元の有意義な制度自体を縮小しようとしてしまうきらいがあります。

    僕には「無駄が排除されない限り科学にお金を投入できない」という論理構成が生活保護に(ごく一部)不正があるから減らせって議論にダブって見えてしまうんですよね。

    無駄や不公正を放置している科学者はペナルティを受けるべきだと思います。でも、それを予算を絞ることでやるのは本末転倒で、角を矯めて牛を殺すようなものだと僕には思えます。

    仮に宮川さんの改革が全部成功して、効率が増しても、僕が言っているような意味での「お金を増やさずに科学の成果を上げる方法は現状ありません」の問題は本質的には解決しません。

    それが解っていて敢えておっしゃっているのだとは思いますが、ちょっとつっこみどころがずれているのでは、と感じました。

    まあ、せっかく建設的なことを議論しているのに乱入して破壊的なことを言わないでくれと言う気持ちも解るのですが、僕が言っているようなことはある意味「不都合な真実」というかそれをいっちゃあおしまいよ、みたいな話なのですが、決して科学者じゃない一般の国民の人(上から目線的な表現ですみません!)には認識されてないことだと思うのでここで敢えて発言しました。

    ご理解ください。

  88. tsuyomiyakawa より:

    「そもそもすべき」ことであるということは、全くおっしゃるとおりだと思います。アンケートをとっても、安定したポジションの導入や基金化は9割以上の研究者が賛成するような案です。生産性も上がるであろうという意見が大半です。しかしながら、それらが導入されないのには、やはり研究者コミュニティにも責任の一端があるのではないでしょうか。文科省で「責任を取る人が不在」という意見がかなり出ているようなのですが、この種の問題については、研究者コミュニティにも責任をとる特定の人がいらっしゃるわけではないので、そのあたりをどうするか、ということも考えていく必要がありそうです。

  89. tsuyomiyakawa より:

    人材が、実績とは無関係に同じポジションに長期間とどまってしまうという現状は変える必要があると思います。
    ただ、「排除する」ということではなく、「それぞれの人にあった最適な役割を担ってもらえる仕組みを研究者コミュニティとして考える」という具合に考えることが大切だと思います。博士が皆PIに向いているか、というと、そういうことはないでしょう。例えば、研究室の中で地道に実験を行うのは好きで得意であるが、プロジェクトをオーガナイズしたり、後進の教育をするのも苦手、というような方はいます。一方で、研究そのものは得意ではないが、教えたり、伝えたりするのが得意、という方もいます。PIでなくてもそれぞれの人の個性が活きるようなポジションがあってしかるべきだと思います
    ですので、PIでない研究者トラック、技術者のトラック、アドミニストレーターのトラック(URAや科学コミュニケーターなど)などが中央で用意され、それぞれのトラックや様々な機関を行き来できるような人事異動ができる仕組みがよいと考えらるわけです。「中央」という意味は、各機関には多様な人材を長期間抱えるための十分なスケールがないからです。異動先は企業も想定して、アカデミアからの入退出が盛んに行われるようになればなお良いでしょう。これは、プロジェクト型の研究費をPIが中央に支払う形式で行えば、総予算の増額なしで実現できるはずで、それが以下の案です(繰り返しになりますが)。
    http://scienceinjapan.org/topics/20130925.html

    人間は、「優秀」か「そうでないか」で二分できるわけではないです。しかし、それぞれのことに適性があるか、ないか、ということは間違いなくあります。PIに向いていない人がPIを目指したり、PIポジションを長期専有するのことは、日本の総合的科学力を下げているはずです。各人の適性が活かされるようにシステムを最適化することができれば、日本の科学力はあがるのは間違いないでしょう。

  90. 田口善弘 より:

    僕は宮川さんのやっている活動は立派だと思っているし、僕がそれをぶち壊すようなことを言っているのであまり共感してもらえないのはわかるのですが、どっちかというと宮川さんの言われていることは無駄を省くためにすべきことというより、やった結果何も変わらなくてもそもそもすべきことだと思います。

    例えば、安定したポジションは、たしかにあれば生産性はあがるでしょうけど、そもそも、これは人間の人生に関わることなのだから生産性が上がらなければやらなくてよい、という問題じゃないと思います(実際、最近のアカデミアに限らない非正規職の増加はそういう観点から問題になっているわけじゃないですよね?)。

    また、基金化は、もともと、研究が4月から3月できりがつくわけないので、仮に生産性がまったくあがらなくてもそれでもやっぱり3月に使い切るという不合理はやめた方がいいですよね?

    多すぎる学会の統合、とか、もう言うまでもないですよね?

    老婆心かもしれないですけど、こういうことを「生産性があがるから必要」って言っちゃっていいんでしょうか?一抹の不安を感じます。
    そういう理由で導入してなんか外的な要因で生産性が上がらなかったら、永遠に導入できなくなったりしないんでしょうか?
    余計なお世話だったらごめんなさい。

  91. tsuyomiyakawa より:

    「お金を増やさずに科学の成果を上げる方法は現状ありません。」ということはなく、それなりにいろいろとあると思います。
    安定した基盤的研究費
    http://scienceinjapan.org/topics/031413.html
    や、
    安定したポジション
    http://scienceinjapan.org/topics/20130925.html
    の導入の他、
    ・研究費の基金化の一層の推進、
    ・ムダな雑用の削減、
    ・プロジェクト的資金の乱立の抑制と、細切れ研究費の大括り、
    ・多すぎる学会を統合する、
    などなどによって、大幅に生産性は上がると思います。

    もちろん、研究費総額の増加は研究者コミュニティとして主張していくべきだと思いますが、それを行う場合にも説得力があり、かつ過剰宣伝にもなっていないような論理と地道なアドボケーション/科学コミュニケーションが必要になってくると思います。これらは欧米に比べて日本では圧倒的に現状不足しているので、これらも研究者コミュニティで協力して行っていくことも大切なのではないでしょうか。

  92. tsuyomiyakawa より:

    この点が実は極めて重要だろうと思われるので、今回の議論でも実はガチ側からこの点について指摘しました。このような仕組みになっていると、いくら自助努力で自主財源を増やした所で、大学側にはメリットがなく、そのような状況下では、モチベーションが起こらないと思われますので。
    生田さんも、「そうそう、そうなんですよね!それが問題なんですよ。」とおっしゃってましたが、なぜそういう仕組みになっているのかまではご存じないような感じでした。次の機会にはなぜそうなっているのか、この仕組みは変えることはできないのか、などお聞きしてみたいですね。

  93. 田口善弘 より:

    水掛け論になるのかもしれませんが、そもそも、サマリアさんへの返信にも書いた通り、(仮にあるとして)科学や大学の非効率が、そもそも、文科省の管轄範囲内の問題で解決可能かどうかさえ、不明なんです。なので抜本対策だと思ったものを行使してもだめだったならそもそも文科省の管轄内に解決策は無いって証明なのかしれませんよ?
    いずれにせよ「年限が過ぎたから排水をやめる」ってありえなくないですか?それこそ、船が沈んでしまいますよ。

  94. 欧州PI より:

    >ただし、「優秀な人材を登用し、そうでない人材を排除する」方法もセットでなければ、単なるポスト増加になってしまい、従来と同じさまざまな問題が起こることが予見されるため、その点は注意が必要かと思います。

    まさにここですよね。結局ここができないから大学・アカデミアには自浄能力・改革能力が無いと言われて色々なプレッシャーがかかるわけですから。文系なんかだと、旧帝大あたりでも、ありえない位低いレベルの研究者が教授として跋扈している現状もあったり、理系でも京大なんかは定年後の特任教授が激増していたりしますね。

  95. ぽとと より:

    このような主張をされたときの政策担当者としては、当面の間は排水に協力するけれども、ある一定年限までに穴を塞ぐための抜本的な対策を提案せよ、という対応をすることになるでしょう。
    資料が出てこないのですが、確か5年位前に財務省が文科省にこのようなことを言っていませんでしたか?文科省側が念書まで取られていたという記憶があります。

  96. 田口善弘 より:

    簡単にいうと今、国の未来の為に科学にお金をつぎ込むという選択をしていないという国は世界に無い、ってことです(本当に貧乏な国、とか、先のことを考えてない資源国、とかは別ですが)。詳しくは下の斎藤さんへのお返事をご覧ください。

  97. サマリア より:

    国が終わる、ということに関して具体的に説明願えますでしょうか?

  98. 田口善弘 より:

    第2-2-2図をコストパフォーマンスの図に使うのがいいかどうかわからないですし、そもそも、欧米に比べて無駄があるのかもわかりません(僕は結構統計のいたずらでどっちの結論もだせそう、と思っています)。ですが、まあ、その話はおいておきましょう。仮に日本の大学や科学が非効率だとしましょう。でもその原因が科学や大学の「内部」にあるかどうかわかりません。ひょっとしたら就活を在学中にやらせる企業のせいかもしれないし、給付奨学金をださない政府のせいかもしれません。つまり、いいたいことは仮に無駄や非効率があるとしてもそれが大学や科学の内部の努力で解決できる問題かどうかは誰にも解らないということです。なのに、そうやって無駄があるから金を出さないと言っている間にも船はどんどん沈んでいきます(斎藤さんへの返事参照)。それってナンセンスじゃ無ですか?犯人捜しをしている間に国が終わってしまいますよ。

  99. サマリア より:

    コストパフォーマンスということですと、この資料の第2-2-2図インプット・アウトプットあたりでしょうか。
    http://www5.cao.go.jp/j-j/sekai_chouryuu/sh13-01/s1_13_2_2.html

  100. 近藤滋 より:

    形式的には、あらゆるプロジェクトの決定の過程でのヒアリングの記録は残っており、それは公開情報のはずです。でも、一番重要な、「どんなテーマで、誰を集めてヒアリングするか」を決めるところが、多分ロビーングによるのです。ちゃんと研究者のコンセンサスを得た「筋の良い」プロジェクトのネタがあれば、その問題(おかしな御用学者)はでてこないはず、と言うのが、斉藤さんが常々言っている事です。

  101. 田口善弘 より:

    齋藤さんへのお返事で書いた通りです。科学につぎ込むお金は別に科学者のためのものじゃないですよ。国の未来のためなんです。「研究機関側でやるべきことをやらずに予算増加だけを要求しても説得力がありません」ってまるで科学のためのお金は研究機関のための予算みたいに思っていませんか?それは違うと思います。詳しくは斎藤さんへのお返事をお読みください。

  102. 田口善弘 より:

    まさかご意見を頂けると思っていなかったので簡単に。

    1 お金を増やさずに科学の成果を上げる方法は現状ありません。すくなくともその様な方法はないのでどの国もお金を増やしているのだと思います。一方、産油国までが油を掘りつくした後を考えて大学を作り科学の振興を図っていることから見ても科学にどれぐらいお金をかけるかで国の将来は決まってしまうと殆どの国は思っていると思います。なので、僕は政府は国民に「お金を科学に費やさなければ国に未来はないというのは世界の常識です。ですが、日本の財政は厳しいです。なので、日本の財政をもっと厳しくして科学にお金をつぎ込んで未来にかけるか、財政が悪くなるからと言って科学にお金をつぎ込むのをやめて国の未来をあきらめるか、二者択一の悪魔の選択しか日本にはないのです」とはっきり言うべきだと思っています。「無駄を無くさないと理解が得られない」ってまるで科学者がお金を「もらっている」ような言いぐさですよね?そうじゃなくて、科学は、国の為にやるのでしょう。お金をつぎ込まない選択肢はありません。無駄があるなら、無駄の分だけ余分にお金をださないといけない位です。無駄が省けるまでお金を出さない、なんて、まるで船がどんどん浸水しているのに、「穴をふさぐまで排水には協力しない」といっているようなものではありませんか? 無駄は無駄でなくしていく、しかし、成果はあげないといけないから、無駄は全力で無くすにしても、無駄の分だけ余分にとりあえずは金をだす、そういうことなんじゃないですか?百歩譲って科学者のせいで無駄があるとしてもそれで科学にお金を出さないなんて、科学者が怠慢かどうかで国の未来を決めるんですか?それってことの軽重が違いすぎじゃ無ですか?

    2 日本の財政は厳しいといわれますが、じゃあ、中国やアメリカは余裕があるのか? そんなことは無いと思います。アメリカの貧困はすさまじいし、本当は国民に皆保険を普及させる方が先ですよね? そういうことを「サボって」科学にお金をつぎこんでいるわけです。中国だって本当はすべきことはいっぱいあります。20年すれば中国は日本並みの高齢化社会なのに、ろくに年金もないのです。日本が科学で戦っているのはそういう「本当はすべきことがあるのにお金をそっちにつぎ込まないで科学につぎ込んでいる」国なんです。財政が厳しいから、と言っていて勝てると思いますか? ここで僕が誤解して欲しくないのは僕は日本もそういうことを犠牲にして科学にお金をつぎ込めといっているんじゃないです。そうじゃなくて、そういう国と戦っているのに、財政が厳しいから科学にお金は出せないといいながら、大学はtop100に10校入れ、とか言わないでくれってことなんです。むしろ政府は「大学ランキングが下がっているのは国がお金を出さないせいです。国民のみなさんすみません」と素直に謝ってほしいです。金は出せない、だけど工夫して世界でトップになれってそれ無理です。国がそんなこと言うから国民の皆さんは「日本の大学のランキング落ちているのは大学教授が怠慢なせいだ」とか思っちゃうんです。お願いですからちゃんと本当のことを国民に言ってください。

    僕が言いたいことをそれだけです。1も2も、要するに国民に本当のことを言ってくださいってことです。ただ、それだけ。

  103. 近藤滋 より:

    理由なんてなく、単に、「交付金を減らしたい」省と、「減らしたくない」省の攻防のバランスの着地点では無いでしょうか?だから、そのバランスを動かさないと変わらない。

  104. ぽとと より:

    財務省がここ数年来主張しているのは、日本の研究機関のコストパフォーマンスが欧米先進国と比べて低いのではないかということです。欧米先進国並みにコストパフォーマンスを上げれば、コストを上げなくてもパフォーマンスを上げられるはずだというのが彼らの主張です。別に諸外国を大きく凌駕する高効率の方法を求められているわけではありません。外国は効率の良い方法をとっているのだから、日本が真似できないはずはないということになります。
    コストパフォーマンスが低いといわれた時の対応は、実際に独自にコストパフォーマンスを評価したうえで、低ければその原因を分析し、低くなければエビデンスベースで反論するか、研究にコストパフォーマンスの評価はそぐわないと突っぱねるかの三通りでしょう。しかし、十分な分析を経ずに改革をしようとするものだから、改革が明後日の方向を向いてしまうのです。例えば、コストパフォーマンスの評価をしてさえいれば、研究のパフォーマンスをコスト(研究費獲得額)で評価するという、コストパフォーマンスの概念を愚弄した発想は出ないはずです。
    勿論、多少コストパフォーマンスを上げたところで、諸外国のパフォーマンスの伸びには追随できないので、投入コストの増加は不可欠ですが、下でも文科省の斎藤さんが書かれていたように、研究機関側でやるべきことをやらずに予算増加だけを要求しても説得力がありません。

  105. 社長 より:

    誰の責任ということが一意に決められないにしても、最低限、意思決定プロセスを透明化するぐらいはしてほしい。当然、関係者は実名で記録する。結果として、どこに問題があったのかおのずと明らかになるだろうし、反省も改善もできる。そうなれば、おかしな御用学者も動きにくくなるはず。

  106. 田口善弘 より:

    なるべく簡単にお答えします。

    いい例かどうかわかりませんがiPS細胞とトヨタを比較しましょう。共に日本が誇るトップの業績です。さて、トヨタが首位を守りたかったら、なるべく他社に自社技術が漏れないよう努め、また、他社の技術が進歩しないよう祈るでしょう。じゃあ、iPS細胞を発見した山中先生は同じようにiPS細胞の作製技術をライバルの研究者に漏れないように細心の注意を払い、また、ライバルの技術が上がらないことを願うでしょうか?その方が山中先生はずっと世界一でいられますよね?そんなことは絶対にないでしょう。まず、もし、山中さんたちしかiPSを作れなかったら早晩、それは科学の業績として認められなくなるでしょう。「誰でもできる」ことが科学の本質ですから(小保方さん以外は誰も作れなかったSTAP細胞がどうなったかはよくご存じですよね?)。また、そうでなくても山中先生は、きっとなるべく多くの人たちがiPSが作れるようになることを願うでしょう。その方が、iPSの研究は進むでしょうから。トヨタは、同業他社が増えるのを嫌がるでしょうが、科学者は普通、同じことを研究している人たちが増えるのを好むものです。競争が激しくなってつらくなるかもしれなくても、研究自体はその方が進むのは間違いないですから。

    この例からも解るように、科学と言うのは基本的にオープンで皆が共有すべきものとされています。さて、(僕はそんなことはないと思いますが)「同じお金なのにより成果があがる研究環境の作り方」を誰かが発明したとしましょう。それが日本人だとします。そして、それを日本の大学がみな導入して中国やアメリカや、ヨーロッパの科学を凌駕できたとします。この優位は続くでしょうか? 僕はそれは無理だと思います。そんな方法があるなら、科学者はそれを自分たちだけで独占して、日本の優位を保つことより、世界中で共有してより効率よく世界全体で科学に投じられるお金が有効に働くことを選ぶでしょう。なぜか? それは山中さんがみなにiPSを研究してほしいと(ライバルが増えるにも関わらず)思うのと同じです。たくさんの科学者が効率よく研究することでもっと科学が進むとなったら、科学者はそれを独占しておくのではなく世界に広めようとするでしょう。それが科学だから。科学者だから。科学はそうやって進歩してきたから。

    だから僕は「研究環境の作り方」と「研究そのもの」を分けて考えるのは、科学の場合は無意味だと思っているのです。勿論、なにかが無いことを示すのは無理です。だから、ひょっとしたら、日本だけが少ないお金で効率よく科学をやっているのに、それが世界全体の科学の進歩を(ノウハウを秘匿することで間接的に)妨げないという解が無いとは証明できません。でも、僕は無いと思います、そんなもの。

    大体、そんないい方法があるんだったら、中国やアメリカがとっくにそれをみつけて採用してそうなものじゃないですか? あっちの方がずっと「科学」にお金も人も費やしているのだから。そう思いませんか?

  107. 斉藤卓也 より:

    文科省の斉藤です。研究費総額の増加を、最初からあきらめているわけではありません(私の知る限りこれ以上増やさないでよいと考えている関係者はいません)。諸外国の予算が伸びているのに日本だけが横ばいになっているというのも、文科省として、グラフを示していろいろな場面で訴えています。ただ、科学技術関係経費は厳しい財政状況の中で社会保障と同様に特別扱いして削減していないというのが財務省の認識です。総額の増加を訴えるには、増える高齢者の医療費や老朽化が進む公共インフラの更新や日本を守る自衛隊や海保の予算を抑えてでも研究費に回すべきと言う説得力ある説明が必要と言うことだと思います。その説明をするには、今の予算の中で効率の悪い部分は可能な限りなくして、ある程度最適化されていると外部の人が思うようなところまで、まずは直していかないと、総額の議論を言っても説得力がないだろうという認識です。そのために一緒に考えていく必要があるのではないかと思っています。

  108. 匿名 より:

    「研究環境の作り方」と「研究そのもの」を混同して両方とも誰でもできないといけないとするのは無理があるのではないですか?

  109. キャプテン・ファルコン より:

    「寄付!民間からの資金!と言う割に自主財源を増やしたらその分運営費交付金が減らされてしまう仕組みになっているのはなぜ?」あたりをピンポイントで聞きたいです。

  110. 田口善弘 より:

    ありがとうございます。まあ、でも、誰が言ったかじゃなくて内容の当否が問題だと思います。人間だから間違ったことをいうことも正しいことをいうこともあるでしょう。

  111. 馬場ババァ より:

    根本的に税収が増えない中で社会保障が増え

    他の分野の予算を圧迫してるという構造的な問題があるので
    どこが政権与党でも基本的な方向性は大差無いかと
    国民が社会保障より科研費や運営費交付金のが大事だから増やせとなれば
    それこそ自民党でも科研費なり交付金を増やすと思いますが
    そうなる可能性はと言うとうーん

  112. KYOSHIKI より:

    鈴木寛氏などを引いている時点で信用を失いますよ。
    http://blogos.com/article/132514/?p=1

  113. tsuyomiyakawa より:

    「ある場所で「そうでない人材」が別の場所では「優秀な人材」となる」というのはまさにその通りだと思います。普通の企業では、そのあたりを判断し、適材適所を目指して組織内の人事異動を頻繁に行うわけです。しかしながら、個々の大学という組織は非常に小さいので、その人材がぴったりはまる場があるとは限らないわけです。広い日本の中ではぴったりはまるところがある可能性は広がりますので、そこで、中央雇用で、技術者やアドミニストレーターのトラックも含めたテニュア・トラックを創るとよいのでは、という考え方に基づいたのが以下の案です。
    http://scienceinjapan.org/topics/20130925.html

    大学に「研究推進経費」のようなものをつけるのは、現在まさに行われている各種のプロジェクトであり、疲弊を生んでいるのであまりよくないのではないでしょうか。研究はあくまで個人が行うものですので、個人に安定した基盤的研究費がつく(下の方で遠藤先生もおっしゃっているような仕組み)のが好ましいあり方であるように思います。

  114. tsuyomiyakawa より:

    民主党政権の時にその流れが変わったかというと必ずしもそうなっていないので、そうとも言い切れないのではないでしょうか。党派とは独立に、そもそも研究者コミュニティが政治家の方々と十分にコミュニケーションを取ってきていなかった、ということがあるのではないかと思います。個別のプロジェクトの研究費取得のためのコミュニケーションは一部の研究者の方々が継続的にされてきているのですが、このガチ議論でトピックとしているような全般的な仕組みの話はほとんどされてこなかった、ということが今回の文科省での議論でも話題になりました(上の記録には記されてませんが)。その種の活動を「ポリシーアウトリーチ」と呼ぶらしいのですが、そういうことも研究者コミュニティがしっかり行っていく必要があるように思われるわけです。

  115. 東原 より:

    ごく単純な話として、自民党は競争的環境強化と非正規雇用化、交付金削減の方向にずっと舵を切ってきた党ですから、自民党を支持するということは政治的にはこれらを支持するということになります。研究者がそうでない政党を一斉に支持すれば、強い政治的な圧力になるでしょう。それができるかどうかということでしかないと思います。

  116. piri より:

    「優秀な人材を登用し、そうでない人材を排除する」方法は、なかなか難しいですね。しかし、ある場所で「そうでない人材」が別の場所では「優秀な人材」となる事もあります。こういうのは、各部署の特性や配置されている人員との相性などが大きく影響するため、全てに共通する解答は得られません。そういう意味では、「大学」をL型など機能区分して人員配置ごとざっくり動かしてことは無駄が多い。個々の「大学教員」のエフォートを教育重視型、バランス型、研究重視型などに分類(もちろん個人の状況に応じたクラスチェンジは有り)し、各部署のニーズに合わせて柔軟に配置して、小規模で機能的なユニットを形成していく方がよいと考えます。そのうえで、研究重視型の多い大学には研究推進経費、教育重視型の多い大学には教育推進経費を配分すれば、プロジェクト経費で綱渡り的にしのぐよりは、長期的に安定したシステムになるのでは?

  117. 田口善弘 より:

    補足ですが
    http://diamond.jp/articles/-/81410?page=2
    (鈴木 寛 文部科学大臣補佐官インタビュー)にも
    「世界に目を向けると、中国では国から交付される資金は4〜5倍に増えていると言われています。アメリカでも1.5倍くらいに増えています。一方で日本は微減です。教育への投資を怠ってきた報いが出ているのです。」
    とはっきり書かれています。まずはお金を増やす、というのが出発点です。そんなの現実的には無理、お前は安全なところから発言している、と言われてしまうかもしれませんが、そこで妥協したら何も前に進まないとは思います。それが現実なのではないでしょうか。

  118. 遠藤斗志也 より:

    文科省内では,むしろ学振などをファンディングエージェンシーとして充実させ(現在は審査機関に留まっています),そこに研究者サイドからのプログラムオフィサーやディレクターを配置し,あるていどの予算配分の権限を委譲するべきだと思います。もちろんJSPS,JSTなどの組織が乱立し,縦割り化していることは改善する必要があります。

    省庁の壁を越えるためには,プロジェクト単位でに研究費をつけるのではなく,マイナンバー制度研究者版のような形で人に研究費をつける(もちろん研究計画なども審査したうえでです)形で,研究費の配分を一元管理するやり方がありうると思います。たとえばパイロット的に,大型予算についてそういうやり方を試行してみるのは有意義だと思います。

  119. 近藤滋 より:

    >ただし、「優秀な人材を登用し、そうでない人材を排除する」方法もセットでなければ、単なるポスト増加になってしまい、従来と同じさまざまな問題が起こることが予見されるため、その点は注意が必要かと思います。おっしゃることは、正に、文科省が望んでいることです。

    それを文科省が望んでいるわけです。そうしないと、財務の論理に対抗できないので。

  120. 近藤滋 より:

    斉藤さんに代わってお答えすると、競争的資金の一元化を、研究者社会が本当に望んでそう主張すれば、問題なくできると思います。資金の総量を増やさなくてもできることなので。問題は、この点で研究者の意志が統一できるかであり、その意味で、研究者サイドの問題です。

  121. 近藤滋 より:

    最近、博士課程に進む学生が非常に減っているので、その世代では、問題は起きない(10000人計画以前の状態)のでは、と思います。もちろん、サイエンスのレベルが下がることも必然でしょうが。

  122. 38歳任期付き教員 より:

    悲観的な意見が多く出ているようですが、文科省と研究者の考えの間にこの程度の隔たりがあるのは当然ではないでしょうか。
    だからこそ、これまでのような政策が行われてきたのだと思います。
    両者の距離を埋めるためには時間をかけて理解し合うしかありません。
    高々数回の話し合いで絶望するのは早すぎませんか?

    逆に、文科省サイドが時間を割いて研究者サイドの意見を聞き、かつこれだけ本音を聞かせてくれるというのは、文科省サイドの強い危機感の表れであり、研究者サイドと歩調を合わせたいという強い意志を感じます。
    私はここに大きな希望を感じています。
    にも関わらず、研究者の側であきらめて投げ出してしまったら、それこそ研究者の側に(コミュニティとして)大きな問題があったと言わざるを得ないと思います。

    私は、研究者がお役所のロジックを理解し、役所のロジックで実現可能な意見を提案することで、現状を多少なりとも改善できるのではないかと思います。
    例えば、仮に交付金が増やせないとしても、交付金と同様の使い勝手がある別の予算ならつけられるのであれば、とりあえずはそれで良いのではないでしょうか。また、「人件費にしか充てられない予算」というものでも十分機能すると思います。
    そして、それをすぐに恒久化するのが難しいのなら、まずは5年程度のお試し予算ということでいただいて、それを延長する努力をしてはどうでしょうか。少なくとも、それによって現状を多少改善することはできると思います。

    私も現状をよく理解しているというわけではありませんし、勘違い等も色々あると思います。突っ込みよろしくお願いいたします。

  123. ズバリ☆40歳PDで~す より:

    PDは40以下の全ての年齢層で順調に増加していると思っていましたが、そうではなく40歳前後にピークがあるんでしょうか?
    お役所にお願いするべきなのは、ポスドクの絶対数減少のための施策を専門に行う部署の創設なのではないかと私は思います。
    ポスドクや新卒博士を対象にした人材斡旋会社(アカリクなど)への補助金でもそれなりの効果はあるでしょう。極端なやり方としては、企業側に博士課程取得者の採用を義務付けてもらうのもいいかもしれません。
    うかつなことをすると、出口を広げる方ではなく入口を絞る(大学院入学者を制限する)方に向かいそうなので、気をつける必要がありますが。

  124. 田口善弘 より:

    『財政事情から言って、外国(中国)の様には増やせないので、もっと効率の良い方法を見つけるという意味もあります』と言ってしまっているのでもうだめなんだろうなあ、とは思います。もし、効率のいい方法があったとして、それを活用したら、すぐ他の国にまねされるでしょう。となると自然科学をやる方法で日本にしかできないまねできない方法を考えないといけないですが、ある意味、そんな方法がある時点で、もう自然科学じゃない気がします。多分そういうことが研究者じゃない官僚の人にはわかりにくいんじゃないでしょうか。自動車は日本にしか作れないものを作れているんだから自然科学も同じようにできるはずだ、と。でも、自然科学である以上、誰でもできないといけないので、日本人にしかできない方法があることはほぼあり得ないのですよね。それが科学者以外の人には解らないからどうしようもないんでしょう。

  125. Koichi Kawakami より:

    ひととおり読んだ印象は、八方塞がり、ですね。この対談の中に希望の光を見い出すのが難しい。建設的なコメントをしたいのですが思いつきません。

    ひとつだけ。競争的資金、文科省と学振を一元化していただきたい。できませんか?

  126. 38歳任期付き教員 より:

    「日本の科学を考えるガチ議論」なのですから、日本の科学を良くする方向の議論だけに絞った方が良いと思います。

    その観点で考えた場合、「40歳前後のPDを救済する」必要はあるんでしょうか?
    これまでに何人かのPDを見てきましたが、明らかに研究能力が不足しており、そもそも研究者を目指すべきではなかったと思われる人が少なからず存在していました。
    客観的に考えて、このような人を含む集団をまとめて救済する必要はないと思います。
    (彼らを研究者としてではなく、技官などとして雇用することで活用、救済するというやり方はあるのかもしれません。)

    一方で、「40歳前後のPD(任期つき教員を含む)は割を食っている人が多いため、PDでありながら優秀な人材が多い。これらの人材をこのまま放置することは、日本の科学にとって損失である。(アカデミアを去ってしまったり、PIでないが故に才能を十分に発揮できない、など)」
    というのは真実だと思います。
    「そこで、これらの世代の人材をPIとして積極的(ある程度優先的)に登用し、活用していくことを目指す」
    これであれば、日本の科学のためになりますし、文科省からもご納得いただけるのではないでしょうか。

    ただし、「優秀な人材を登用し、そうでない人材を排除する」方法もセットでなければ、単なるポスト増加になってしまい、従来と同じさまざまな問題が起こることが予見されるため、その点は注意が必要かと思います。

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