2015.10.20 トピックス
アンケート結果公開!!
先日、ガチ議論本番にどの様なテーマを取り上げるかを検討する目的で、生化学会、分子生物学会員の皆さまにメールアンケートを行いました。質問は、
質問1 – 現在の日本のサイエンスにおける問題は何だと思いますか。
質問2 – その原因は何だと思いますか。
質問3 – 改善するためには、まず誰が・何をするべきだと思いますか。
でした。ご協力いただいた皆さま、ありがとうございました。
研究者が感じる「科学研究環境の問題点」の多くは、すなわち文科省(と関係機関)に対する批判になります。匿名のアンケートということもあり、ちょっと感情的な回答もいくつか存在します。それらを公開すべきかどうか、少し迷ったのですが、アンケートの一部を加工してしまうと、データそのものに信ぴょう性が失われるので、全て、そのまま公開することにしました。まあ、批判のターゲットである文科省の生田さんは「全く気にしない(笑)。」とのことですので、問題はなかろう、と。
と言うわけで、安心してください!(対話のチャンネルは)開いてますよ!
下のリンクでアンケート回答をご覧になれます。
https://docs.google.com/spreadsheets/d/1UbSVknuW-Scecevgvjk8w08QDYm2Jllnv751TamGfP0/edit#gid=0
回答数が300件弱で、様々な意見があります。問題を産む原因としても、
1)文科省の政策
2)大学のマネジメント
3)研究者自身の行動
など多岐にわたります。それぞれの重要な問題点に関してご意見のある方は、是非、下のコメント欄か、あるいは独立の記事を投稿いただければと思います。議論を深めて、本番に備えましょう。また、文科省の政策にかかわるものに対して、先日文科省を訪れ、コメントをいただいてきました。今、まとめたものをアップできるように確認を取っているところですので、終わり次第、公開いたします。
(2015年10月23日追記)
アンケートWebサイトの内容は以下の通りです。
今年のノーベル賞はいわゆる日本人ラッシュとなりました。めでたい!のではありますが、これらの多くは10年以上前の成果であり、この流れがこの先ずっと続くとは限りません。
実際、世界における日本のサイエンスの存在感が下がってきていることを示唆する客観的なデータが最近、複数提示されています。
例1 – あまりにも異常な日本の論文数のカーブ
例2 – 大学ランキングの下降科学技術・学術政策研究所 NISTEP による以下のような調査結果もあります。
例3 – 研究活動の基盤に対する危機感の増大(PDF)今回のガチ議論ではこれらの問題をいかに改善すべきかを、文科省をはじめとする方々と議論します。
みなさんも、日々の研究活動の中で問題を実感されることがあるのではないでしょうか。
それらの問題について、ガチ議論本番の前に、みなさんにぜひ教えていただきたいと思います。質問1 – 現在の日本のサイエンスにおける問題は何だと思いますか。
質問2 – その原因は何だと思いますか。
質問3 – 改善するためには、まず誰が・何をするべきだと思いますか。
お願い – 上記回答に関してガチ議論スタッフが詳しいお話を伺うことがあります。コンタクト可能な方は名前・所属・連絡先をご記入ください。(公表される資料にはこれらの情報は掲載されません)
最後に – 現在の所属学会を教えてください。*本アンケートは匿名で送信されます。
*ご意見をまとめた資料は原則Web上に公開します。
*スタッフが不適切と判断した回答(個人が特定されうる情報や個人を中傷するような内容を含む場合など)は除く場合があります。
*一度回答を「送信」すると、回答内容の変更はできません。
*コメント欄では「I’d rather post as guest」をチェックいただくと、登録なしでゲストとして投稿ができます。
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>あんな純真な子達にも、将来私にしてくれたような事をしてやろうと思って手ぐすね引いて待っていると思うとほんと引くわー(爆)。
心情的には匿名Dさんと全く一緒です。後輩を自分と同じ境遇にさせたくない。
近藤先生のおっしゃることが事実だとしたら、研究者のデモンストレーション活動や高校の理科の先生の都合に、高校生がふりまわされているということになるわけで、それって、高校生にとってとても不幸な事実なのでは。
心情的に「学会の偉い方がそれをやっているということがすごく利己的行動に思える」という点は変わらないし、近藤先生のご発言を聞くと、さらに、他の意図もあっての利己的行動と理解できるので、ますます、反対です。
いや、鋭いご指摘なのに随分と物分りが良いですね(笑)。研究所の見学にくる高校生が進学こうの学生ばかりであるところを見れば、下心は自ずと透けて見えます。あんな純真な子達にも、将来私にしてくれたような事をしてやろうと思って手ぐすね引いて待っていると思うとほんと引くわー(爆)。
かなりざっくりとした大雑把な考え方にはなりますが、
「ポジション・研究費が長期的に安定している -> ハイリスク・ハイリターン研究がやりやすい」
「ポジション・研究費が短期のもので不安定 -> ローリスク・ローリターン研究に集中しがち」
という関係があるのではないでしょうか。
今回の案は、現状との比較では、研究費もポジションもより安定する方向にシフトすると良いのでは、というものです。ですので、現状との比較では、ハイリスク・ハイリターン研究がやりやすい方向に向かうのでは、と思います。安定性が高くなると単に自由度が高くなるとも考えられるので、ハイリスク研究がしたい人はハイリスク研究、着実な研究がしたい人は着実な研究をやりやすくなるとも言えそうです。
一方で、資源は限られているので、逆に特定の人のポジション・研究費の安定性が高過ぎると、他の適性のある研究者がポジションや研究費を得られない、という問題が生じてしまうことになるでしょう。そこはバランスの問題で、もっとも良さそうなポイントを誰かが決めるしかない、ということになりそうです。
> 青色LEDみたいなものには研究費がつかないでしょうし、
「安定した基盤的研究費」とセットにして導入されれば、そういうことにはならないように思います。
> ポスドクの本来的意義は、異なる環境・研究分野に移ることだと思いますが、このやり方だと、そうしない方が得ではありませんか。
今のポスドクの仕組みよりも移りやすくなると思います。ポジションさえ安定していれば、横に移りやすくなるはずですので。
> むしろ研究者キャリアの早い時期から、ハイリスク研究や分野変更を推奨するような安定的ポジションがあっても良いと思います。
ある意味、そういう安定ポジションをつくるとよいのでは、という案となっています(もちろん現状との比較で、ということにはなりますが)。安定ポジションを増やす場合、その入り口はかなり厳しい難関になっている必要があるということも指摘されており、そのあたりの加減はやはりバランスの問題ということになりそうです。
> アドオン体系の設定についても、一部の年長者に権力が集まったり、
アドオンは研究費 or その間接経費などから出すことが想定されてますが、その主な原資となる科研費の審査・評価結果は、遠藤先生やかんださんが出されたデータからは、比較的、若手にピークがくるようなことになっているようです。これが本当であるとすれば、基盤的研究費の比重を高くすることによって、「一部の年長者に権力が集まったり」することは避けることができるのではないでしょうか。また、科研費の審査・評価をする研究者についても、若手からシニアまでのバランスがよくとれた構成になることが望ましいのでは、と思います。
> 政府からの関与が強まったりしませんか。
これは、いわゆる基盤的研究費とトップダウン研究費の比率の問題になるのでは、と思います。トップダウン研究費の比率が高ければ高いほど、政府からの関与が強まると思われますが、これはこのポジションの仕組みとは独立の軸で決まってくることなのではないでしょうか。
> 無駄なプロジェクトの乱立が人件費の増大や研究時間の低下を招いているとしたら、抑制圧力はどうやってかけるのですか。
「無駄なプロジェクトの乱立が人件費の増大や研究時間の低下を招いている」ということがもし事実であると仮定すると、それは単に、無駄なプロジェクトの乱立をしないように文科省に働きかける、ということが最も効果的だと思います(ポジションの問題とは独立でしょう)。実際、そういう側面があるのでは、と僕も感じてますので、それはそれで別途しっかり議論したほうが良いトピックでは、と思います。
将来PIになったときにハイリスク研究をしやすい環境があって欲しいと思っています。実際に手を動かすのはポスドクかもしれませんので、ポスドクのキャリアも関係してきます。研究者の中でも、むしろマイノリティかもしれませんが。
ハイリスク研究をする事にインセンティブをつけろとは言わないまでも、ローリスク研究の方が安定的に良い報酬が得られる、という状況になってしまいませんか。
リスクを取るという意味も一概には言えませんが、リスクを冒して失敗することと、何もしなかったこととは、区別して評価できるのでしょうか。
たとえば、青色LEDみたいなものには研究費がつかないでしょうし、その場合、給料が(相対的に)減らされてしまうのですか。
それでも産業に直結するなら、特許料などで後から回収する可能性があるので良いですが、そうでない分野は、お友達どうしの仲良しグループだけ生き残りそうです。
テニュアトラックも、審査の仕方によっては同様に感じます。
ポスドクの本来的意義は、異なる環境・研究分野に移ることだと思いますが、このやり方だと、そうしない方が得ではありませんか。
山形さんが既に指摘されていたことですが、私も気になっています。
むしろ研究者キャリアの早い時期から、ハイリスク研究や分野変更を推奨するような安定的ポジションがあっても良いと思います。
アドオン体系の設定についても、一部の年長者に権力が集まったり、政府からの関与が強まったりしませんか。無駄なプロジェクトの乱立が人件費の増大や研究時間の低下を招いているとしたら、抑制圧力はどうやってかけるのですか。
アドミントラックへ行った人が、倫理観を高め、権力を行使すると良い、ということでしょうか。
アドオン報酬は派遣先の機関やPI が出すことになり、かつ派遣先は契約打ち切りをしやすくなります(中央での雇用がそもそも保証されているため)。そのため、アドオン報酬額は基本的には市場原理で決まってくるように思います。それは、その人の有している研究力や技術力に応じて決まってくるはずですので(ミニPIであれば獲得できる外部資金、PIでない人は有している技術など)、年齢に応じて人工的に傾斜をつける必要はないと思います(定年はもちろんあるとして)。実際的には、科研費の採択率は30代後半が最も高いようですし、PIとしては若いほうが心理的に雇用しやすいということはありそうですので、結果として年齢との逆相関のようなことは生じる可能性はあるかもしれません。おそらく、現状のポスドクの待遇よりは遥かに良いかと思いますが、結構、厳しい仕組みではあるとは思います。
素晴らしい案だと思っています。
まだ勘違いしている部分があったらすみませんが、
研究者の年齢(または勤続年数、特定分野での研究継続期間)に応じて、
アドオン報酬を減らす傾斜をつける機関ということになりますか。
プロと素人の違いは、高度な機械を使うかどうかでは無く、自分の研究成果に対する矜持の問題だと思っています。これは、世界に対して発表すべき価値のあるデータである、という確信があるのがプロです。それがあれば、高校生でも中学生でも、全く問題ありません。
ポスドクの雇用問題との関連が杞憂と言うのは、同感です。早くから、研究者と接触すれば、就職が厳しい、と言う事実も同時に肌で認識できると思うので。
匿名さんの御指摘のように、「科学技術の進展・レベル維持のためには、研究者の安定雇用が必要だ」というメッセージを掲げ、日本版テニュアトラック制度、是非とも実現させたいところです。
中央派遣型が軌道に乗ることが、一番重要な気がいたします。現在でもJREC-INによって大学のポスドクや企業の研究員、科学コミュニケーターの募集・応募が可能なわけですが、これはどの程度うまく回っているのでしょうか? 定年までギャップ無しにポスドクの職をつないでいくことができれば、日本版テニュアトラック制度もうまく行くはずです。さらっと見た感じでは、ポスドクに年齢制限が付いている公募は見つけられなかったのですが、このシステムはかなりうまく回っているのでしょうか? 任期切れになっても次の職は簡単に見つかる?
高額な機器や高度な解析が必要な21世紀の分子生物学会では,もしかしたらそう(プロと素人が一緒になってしまうのはいけない)かもしれませんね。一方で,研究成果をあげられるかどうかにプロと素人の差はマクロ的には
当然あるにしても,あげられた成果には違いはないはずです。まぁその辺りはたくさんある別の学会(例えば動物学会や植物学会とか)との役割分担で考えたら
よいかと思います。それと私の見聞した範囲では,良くできた発表の高校生の多くは医師志望だったりして,必ずしも研究者へのパスに誘うどうこうの話にはな
り得ませんでしたので,ポスドクの雇用問題との関連は杞憂ではないかと思います。
オリンピック選手、プロスポーツ選手、芸術家、幼い頃子供達がみんな憧れます。でも、そこに至るまでに、「みんながなれるわけではないんだよ」という正当な選択圧がかかります。一方、PD1万人計画の際には、その正当な選択圧がかかりませんでした。その結果、作り出してしまったPDがあふれかえっている今の現状を何とかしないといけないと思います。(もし、国家主導で芸術家1万人計画が発動していたら、芸術家コミュニティから収入を保証せよという声が出てきたのではないでしょうか?)
一方、現状を見た学生が博士を目指さなくなっている現在の状況から考えて、放置していても、「ポスト枯渇」という問題は解消するという考え方もあります(この先、日本国の予算が漸減していって、科学技術予算が減るかもしれませんが、そのときは、研究者の数が減っていてリストラする必要はなくなっているかもしれません)。しかし、それでは、PD過剰世代の後に、研究者枯渇世代がやってきます。日本の科学技術が発展していくためには、絶え間ない研究と技術の継承が必要だと思いますから、やはり、それではだめで、「研究者枯渇」世代を作らないために、「魅力的な研究職」というのを整備しないといけません。
民間企業のリストラについては、リストラしますと言って、応募者を募る形になっています。これに応じるのは、「ちょっと早めに退職してもいいかな」とか「競合企業への移籍が決まっている」という方たちかと思いますし、正規雇用者の場合は、やはり法律でしっかり守られています。やはり学術界の現状とは異なりそうです。しかしおっしゃるように、非正規雇用が増えている日本社会の中にあって、研究職だけは逆行していくというのが難しいのではないか?という点は納得できる点です。また、企業自体が倒産してしまうと言うこともあり得るわけですが、その企業が日本の産業の中に占める位置が非常に重要である場合、政府は安易に倒産させるということはしないのではないでしょうか?全く異分野ですがルネサス(車載用半導体製造)の救済には経産省の強い意向が働いていたようです。
これだけ問題だと言われている非正規雇用の問題について、研究者という頭脳労働集団が「やっぱりそれではまずくて、再度正規雇用に戻すよ」というメッセージを日本社会に発信することが重要だと思うことと、真に政府が「資源の少ない日本は科学技術を武器としていかなければならない」と認識しているならば、その科学技術の進展・レベル維持のためには「研究者の安定雇用が必要だ」ということは、説得が可能なのではないかなということです。
学会の年会でやる理由は、その学問領域が「アウトリーチ(この場合は教育)に積極的である」というデモンストレーションの意味が有ります。つまり、世間(官僚・政治家)に対して、「税金を使う意味が有りますよ」という事を知ってもらうためです。それと、高校の理科の先生の課外活動のネタとして都合が良いから、という側面も有り、高校からの希望に答えるという要素も大きいです。この2つから、やらざるを得ない、と言うのが実情かと思います。
ただ、私自身は高校生の発表は好きではありません。プロと素人が一緒になってしまうのは、いけない気がするので。
日本の国の予算が激減し、科学技術関連の全体予算が減れば、リストラもあり得なくはないです。しかしながら、この仕組みですとアドオン部分が容易に減らすことができますから、ワークシェアリングで給与の低い人が増えるだけということで済む可能性が高いです。
全くその通りです。ポスドクとシニアの格差の問題だけでなく、社会全体での正規・非正規の問題ですね。格差是正のために非正規の待遇を上げようとしても企業にはその原資がないことから、正規社員の解雇規制を緩和しようと画策しています。正規社員(シニア研究者)を非正規化して、果たして非正規社員(ポスドク)はしあわせになれるのでしょうか? 喜ぶのは、経営者(財務省?)だけです。「分断して統治せよ」という戦略です。ポスドク・特任教員とシニア研究者でいがみ合いをしている場合ではありません。
このような社会全体の非正規化の流れの中で、非正規研究者を全員終身雇用化するというのは、やはり難しいのでしょうか? 日本版テニュアトラック制度ではリストラはないのかと思っていましたが、やはりあり得るのでしょうか?(財源が削減されたとき? 職員数が多くなりすぎたとき?)
企業では、任期なし雇用の人をリストラするわけですよね。この案でも、いざとなれば企業と同様に法令にしたがってリストラできるわけです。任期なし雇用の人は法令で手厚く守らていますので、リストラ時にはそれなりの理由とコストを支払う必要がでてきますが。リストラする際の基準も企業と同様にすればよいというだけだと思います。中小企業でも人気がある企業、ブラック企業と言われないような企業は、原則任期なし雇用なのではないでしょうか。
一般社会でも、正規・非正規の格差が問題視されていて、その格差を小さくする方向性で、議論がなされているのではないでしょうか。
中小企業は終身雇用ができるだけの体力がないし、シャープや東芝のような大企業でもリストラが行われる状態です。企業のサラリーマンの終身雇用も税金で保証するべきか、という突っ込みもあるかもしれません。
http://www.chusho.meti.go.jp/pamflet/hakusyo/h17/hakusho/html/17321400.html
http://www.sankei.com/west/news/150617/wst1506170017-n1.html
http://www.yomiuri.co.jp/economy/20151028-OYT1T50113.html
研究者と比較する対象は、プロのスポーツ選手や、芸術家よりも、企業のサラリーマンや公務員だと思います。研究者の卵が、進路を考えたときに、プロのスポーツ選手や、芸術家を選択肢として持っている人は少数派で、ほとんどの人は、企業に就職するか、公務員になるか、研究者になるかを選ぶわけですので。また、スポーツ選手のように高い年俸になることは原則ありませんし、成果物のメインである論文は、著作権を放棄していることが多く売ることができるものではありません。日本の全人口に占める比率からいっても、企業のサラリーマン、公務員のほうがスポーツ選手や芸術家より圧倒的に高いはずですので、比較は、そちらのほうとするべき、と思います。
あと、この案は、「万年助教」を増やすためのものでは全くありません。むしろ、「万年助教」問題の解決策として出てきているものであり、機関間・職種間の流動性を高め、企業への移動をむしろ促進することを目指した案になっています。
研究者がこのシステムによって最低限の保障を受けられるのはたいへんありがたいことですが、他の分野、たとえばオリンピック選手やプロのスポーツ選手、芸術家などにはそのようなシステムはありません。他の分野には「芸術家1万人計画」のようなものがなかったので、財源もなく実現は不可能です。研究者の場合は財源があるから可能ですが、本当にそれでいいのかという指摘があるかもしれません(研究者だけ特別扱いすることに対して)。また、本当に万年助教になることがしあわせなのでしょうか、という疑問も出てくるかもしれません。万年助教の地位を保証したために、他の分野で活躍できるチャンスを摘んでしまっているようなことはありませんか?
一応、この案 http://scienceinjapan.org/topics/20130925.html は流動性を高めるためにはもっとも効果的な案の一つなのではないかと思います。大学間異動はもちろん、企業へも動きやすくなるはずですので。安定性、流動性は相互にエクスクルーシブなものではないですね。
40歳から10年、待遇によってはアリだと思います。
-同年代の教授よりは高い給料
-必要な人件費+最低限ラボをまわせる研究費の保証
-講義・書類書き・会議が最小限に抑えられる
といった条件で10年間研究に打ち込めるとしたら、それはそれで魅力的です。
傍から見ていて、先生方には研究に使える時間があまりにも少ないと思うからです(できればそうはなりたくない・・・)。
理研も現行のテニュアトラック制度も、下地ができた研究に(お金をつぎ込んで)発展させるようなイメージですが、40歳からでもアイディア勝負でまったく新しい事を始めるようなタイプを想定しています。
10年間あれば何かしら重要な発見や技術開発があるでしょうし、そこから起業を考えたって良い訳です。
教授になれるくらい優秀な方でしたら、民間への就職だって困らないでしょう。
10年後の転職が決まっているというのは、自分のキャリアを賭けている訳で、若手に対しても良い模範になるでしょう。
ここの議論を見ていると、雇用の安定性が重視されているようですが、
流動性のメリットを考慮して欲しいです。
ふーむ。わかてさんのご意見を聞いて、そういう考え方もあるのかと思いました。でもそういう活動は、宮川先生が実践されているような科学館とかそういうところでやればよくて、学会の年会でやる必要はないんじゃないかな。と思いました。
宮川先生のご活動には本当に頭が下がります。私は後輩に、「博士課程進学なんてしないほうがいい」とアドバイスしているので、進学を勧められるような状況になったら良いなと思います。
分生の高校生発表はプロ野球とリトルリーグの交流であると思っています。
リトルリーグ経験者がプロになろうとすればなればいい。そうでなくても別の道に進んだ時に野球を通じて学んだことが生きて、野球界への理解が深まればそれもいい。
こういう道をなんとなーく後押しするのがプロ野球選手の出前講座(=高校生発表)じゃないかな、と思ってます。
サイエンスはプロ科学者だけのものではありません。
にもかかわらず現状はそうは思われていません。
高校生発表は科学をスポーツのように日常生活にとけ込ませるための一手なのだと思います。
良い一手なのかは疑問ですけれども。
学部4年生さんのおっしゃっていることはとてもまっとうなことだと思います。
「厚生」だけでなく「役に立つ」という意味まで広げて考えてみたいと思います。
基礎研究を通じ、教科書に掲載されるような成果をあげた場合、人類の知的資産の増加に貢献したといえると思います。日本人は、人類の一部でありますので、その資産が増えることを通じて国民に貢献したとも言えます。「面白い」とか「わかった!」という感覚には資産としての価値があると思います。また、同じ日本人が日本の税金を使って、人類の知的資産の増加に貢献すれば、それは日本人の誇りともなるでしょう。「誇り」のようなメンタルなものも立派な価値であり、実際に「役に立つ」ものだと思います。
ですので、一見全く貢献していなくて無駄のようにみえる研究でも役にたつことは多いと僕は思います。
あと、当然、ご指摘されているように、その時点では役にたたないように思われているものでも時間がたつと突然役にたったりすることがありますね。
ということで、「そう考えると役に立つか立たないかに関わらず、やはり自由に研究できる基盤がしっかりしているほうがいいですし、それを現時点で一番よく表しているのが論文数ということなのではないかな」というご意見はまったくごもっともなものだと思います。
その対策としては、入り口を厳格に審査して入ってくる人数の適正化をはかることと、企業への派遣を奨励しそこで気にもらってもらえた場合はできるだけそこの正社員で雇用してもらうようにすること、が対策としてとれると思います。あと、「財源が足りない」という場合は、この仕組みですと、低い給与の方々が多くなる、ということを意味しますので、他の業界へ異動するドライビングフォースになると思います。
> 65才の定年までこのような雇用形態で、PD本人も派遣先も納税者もOKであればよいですが、
今こまってらっしゃる若手・中堅の方々にとっては、まずは安定した終身雇用が得られることが何より重要なことなはずです。給料が低いこと自体は、派遣先や納税者の側は大歓迎のはずで、そこに問題があると思えば給料を上げてくだされば良い、ということです。
あと、「65才の定年までこのような雇用形態」とありますが、それが前提として想定されているわけではなく、マッチングで相性がよかった派遣先に正規雇用してもらい「トラック外へ」出ること(図3)を原則としては目指してもらうのがよいと思います。
日本版テニュアトラック制度、たいへん詳細に設計されているのでありますね。よほどのことがない限り、博士号取得者はテニュア審査に合格するということですので、現在のPDとほぼ同数の合格者が想定されます。
毎年博士号取得者がPDとなっているということは、ほぼ同数のPDがPDをやめている(特に40代のPD)ということだと推測します。現在、PD全員をポスドクとして雇用する財源はあるとのことですが、日本版テニュアトラック制度で無期雇用を保障すると、どんどんPDの数が増えて財源が枯渇するのではありますまいか(PDが定年に達する頃までは増え、その後定常状態になる)。現在のPDが30ー40才だとすると、65才まで延長した場合、財源は単純計算で3倍以上必要になります…。また、PIはおそらくは新卒の院生や若いPDを採用するので、高年齢のPDは誰も使ってくれない状態になり、低賃金になります。高年齢だと子供の教育費などもかかりますので、最低賃金だと暴動が起こりそうですが、2割減くらいだと財源的に苦しい(下げてもあまり意味がない)気がいたします。また、PIに使ってもらえないPDは、日々どういう活動を行うのでしょうか。本来研究費として配分する額をこちらに回す形になりますので、本人にとっても研究費にとっても有効な業務があれば良いのですが。派遣元の独法が仕事を探して斡旋するとのことですが、派遣先は企業でありましょうか。65才の定年までこのような雇用形態で、PD本人も派遣先も納税者もOKであればよいですが、若干心配するところであります。
PIになるだけが研究者ではなく、純粋に実験や解析が好きな人、論文などから知識を得て考えて理論を整理・構築することが好きな人、などいろいろいらっしゃると思います。そういう人が、自分を必要とするPIや企業を積極的に探すようになれば、それで良いのではないでしょうか。
> 大量の「論文書かない、授業も下手、かといって管理能力もないシニアな方たち」を作ることになってしまう気がいたします
それはむしろアカデミアの現状のことですよね。そうあってはまずい、ということでこの案が検討されているわけです。「論文書かない、授業も下手、かといって管理能力もない」がしかし、実験は上手かもしれませんよね?その取り柄を活かせるPIを探すことがしやすい仕組みを想定してます。もともと一切何も得意なことがない博士というのは存在しないのではないでしょうか。何か少しでも得意なことがあるので博士号が取得できたはずです。「一億総活躍社会」を日本は目指すわけです。博士まで取得した人が何らかの形で活躍できる場所を探せないようで、「一億総活躍社会」は実現するはずもない、と思います。
あと、この仕組みで「若い層にしわ寄せ」がいく、という状況をあまり想像しにくいです。PIは自分の研究室で活躍できないと思われるシニアな人にはすぐにさよならができる仕組みです。そうしてもそのシニアな人には中央雇用されているわけですし、他に適した場所を見つけるルートがひらけているわけですので。むしろ、シニアな人は常に自分を磨き続けていないと、高いアドオンをもらえなくなってしまいますので、シニアな人に厳しい仕組みだとは思います。
私はこの宮川先生案の、研究職だけではなくて、複数のトラックを整備するという考え方にとても興味がありますし賛成です。
現状では、特に大学の中では、教員の評価基準が論文数しかない。たとえ、すごく良い授業しても、マネージメント能力に長けていても、それを評価する基準がありませんし、しようともしません。
実際のところ、私は、自分のことを純粋に研究というより、教育とかマネージメントのほうに興味がありますし、向いているのではないかと感じているのですが、現状では、論文業績を出して上に上がらないと、教育・管理には口を出せません。
「論文書かない、授業も下手、かといって管理能力もないシニアな方たち」と酷評しましたが、実は彼らは、論文業績がないというだけで、教育・管理からオミットされていて実力が発揮できないという側面もあるのではないか、実際やってもらったら、すごくいいということもあるのではないかと思うのです。そういう人材が出てくれば、純粋な意味で万年助教も減らせるということにつながります。
これをやるには、教育・管理能力の適正な評価ということも必要になってくると思いますし、整備すると説得力も上がるのではないでしょうか。
この案は、単に中央が派遣会社的に機能し、人件費はPIが自分の研究費から中央に支払う(かもしくは機関が間接経費などから支払う)形式ですので、「選ばされる」ということは仕組み上、起こりえないのでは、と思います。
> 万年助教の給与はどこまで下げることができるでしょうか
この案 http://scienceinjapan.org/topics/20130925.html ですと、最低賃金の基礎給与が基本的人権がなんとか保証されるレベルでかなり低く設定されてしまってますが(図1)、これは各方面で議論して、適正な額を設定する必要があるでしょう。しかし、この最低賃金は誰も使ってくれない場合の最低の状況を想定しているので、実際には雇用者・機関が機関の規程や本人との交渉などでアドオンの額を決めることになるのでは、と思います。
> 教員を減したい
この案では、技術員トラック、アドミニストレーターのトラックも準備し、トラック間の異動を可能なようにしておくというものです。ですので、純粋な教員数は減ることになります。
また、研究者ら技術員などは、企業に派遣することも推奨されることになります。企業は終身雇用で雇うリスクを回避しつつ博士のスキルを導入できるので、企業側にとっても大きなメリットがあります。ということで、むしろ教員を減らすべき、という考え方を推進することになると思います。
私も現時点では,学位取得後10年などという縛りは不要だし,おかしいと思います。少なくとも10年後からは,学位取得後10年でないとテニュアトラックは応募できない,と,現時点でアナウンスするならまだしもです。
これはテニュアトラックに採用されて,最終的にテニュアをとれなかたっときの年齢を考えての「配慮」なのかもしれませんが,それによって不利益を被る人が大勢出ることをかんがえていないと思います。無期転換をしなければいけない雇用期間の制限という「配慮」とも似ています(こちらも雇い止めで困る人が大勢いる)。要するに,問題の根本を解決しようというのではなく,目先の対処療法にすぎないと思います。
中央雇用案でも、一度万年助教になってしまうと研究テーマがコロコロ変わってしまって、PIになることができなくなります。それでも本人はいいのかもしれませんが、それは大量の「論文書かない、授業も下手、かといって管理能力もないシニアな方たち」を作ることになってしまう気がいたします。そういう層が増えてしまうと、その下の若い層にしわ寄せがいく。例えば、研究室の優秀な院生がいて、本人もPIも助教になることをのぞんでいるのに、万年助教の中から選ばないといけない。結局、若い世代が「万年助教を何とか処分する方法を考えよ」と言いだすことにならないよう、中央雇用案をブラッシュアップしましょう。
中央雇用案によって万年助教の雇用と活躍の場が保証されることはとても良いことですが、一方でPIの側としては万年助教のプールから自分の助教を選ばされる事態になるのではと危惧します。PIとしては、研究室の院生や海外に行っている研究者も候補に入れて、そのポジションに最適な人物を選びたいのでは? そうしないと、海外との競争に勝てないのでは?(勝たなくてもいいという意見もあるかもしれませんが、文科省・大学本部としては勝ちたいのでしょう)。
もう一点、万年助教になった場合給与を下げることでもう一人別の助教を雇用する財源を捻出するという案ですが、万年助教の給与はどこまで下げることができるでしょうか? 今の助教の給与を1として、0.5なら助教2人を万年助教にすることで一人の助教を採用できますが、0.5ではさすがに生活できないのでは? この方法で万年助教の悪影響を財政的に回避するのは、定量的にはかなり難しい気がいたします。
匿名さんの御意見にあるように、文科省・大学本部としては教員を減したいのだと思います。運営交付金を少しずつ減らし、大学間の合併を促しているという説を聞いたことがあります。教授はそもそも年をとっているので、大学からしてみれば任期が付いているようなものです。助教は雇用期間が長いので、一番目を付けられているような気がします。そのような状況の中で、中央雇用案で無期雇用化を図るというのは、相当理論武装しないと突破できない気がいたします。
あまり書くと大学が特定されそうで怖いのですが、
1.財政的な問題。任期制であれば、年齢が上がって号棒が上がる前にクビにできます。たしかに、以前は無期雇用でしたが、いったん任期制にした際に浮いた財源は、もうどこかへ使ってしまっていて、財源がないのでは。また、国立大学では国からの運営費交付金が年々減っているから戻せないのでは。私立大学の場合はもっと顕著で、任期制の助教は昇給がなかったりしますから、もう、お金儲けがしたいのだと思うよりほかありません。
2.私立大学の場合ですが、助教に限らず、教授、准教授にも任期制を導入しようという動きのある大学もあります。これは、長く大学に居られると困るからです。長く居ると、大学の運営に対していろいろ口出しをしてきます。私立大学の事務サイド(理事とか)は、教員は国立大などを定年で退任した老教員を連れてきて、5年ぐらい適当にやってすぐやめてくれるのが一番いいのでしょう。
3.大学当局側が、任期制こそが流行で、このトレンドに乗り遅れてはいけないという根拠のない思想にとりつかれている。
4.少子化で入学者が少なくなった場合に、真っ先に人員整理するため。
それは、吉田先生がご指摘されていたように、万年助教の問題があることが第一の理由ではないでしょうか。もう一つは、教授との相性がよくなかった場合には、ハラスメント問題も出てくる可能性があります。中央雇用案ですと、横に動くことが非常にやりやすいので、これらの問題が解消できるわけです。
吉田先生、「着実研究員」の案は、文科省にもちろん提案します。既に過去に文科省の方やCSTP、CSTIに提案したことがあります。
万年助手さんは、本来、相性の良いPIを探すことができるのが望ましいはずです。しかし、現状の制度では横に動くことが困難なので、万年助手として滞留し、自身の本来の価値を発揮できないまま、死蔵されてしまうのです。中央雇用で横に動くことができれば、自分の価値を必要とするPIを探すことが格段にでき安くなるはずです。(技術が古くなるなどして)市場価値が下がっている場合には、他のPIに安く雇用されてしまいますが、それは仕方のないことです(この制度では、終身雇用は維持されるもののあくまでアドオン部分の額は市場価値で決まってきます)。市場価値を上げたければ、常に自分を磨いておく必要があります。
中央派遣型ですと、PIが合わない場合は、容易に他に移ることができます。PIの側がそのポスドクを気に入らなければ気兼ねなくさよならすることもできます。このあたり相性の問題なので、流動性が高ければ相性のよい相手が見つかる確率が高くなるはずです。ということで、ハラスメント問題も格段に減るのでは、と思います。
ここからは、宮川先生の無期雇用化案の実現可能性について議論しませんか? そもそも何で大学当局は助教を任期制にしたがるのでしょう? 教授にとっても助教は無期雇用の方がありがたいです。うちの研究科で任期制助教制度を無期雇用制度に戻そうとしたのですが、大学本部の頑強な抵抗にあって頓挫しています。もともと無期雇用であったわけで財政的な問題とは思えないのですが。教授会が自主的に決めたとも思えません。ここを突破しないと、宮川案の実現は難しいのでは?
助教導入の際に、助教に任期付きを導入したのは大多数の機関、教授職に任期制を導入したのは、数えるほどあったかどうか。若手に厳しく、自分に甘いと言われても仕方ないのでは?(感情論ですけれども)
労働契約法における、無期転換請求に必要な5年の雇用期間というのは、2013年4月1日から起算して5年の雇用期間です。
労働基準法による労働者の保護というのがとても手厚い保護になっているということは重々承知しています。
でも、その保護は、我々非常勤には適応されない。シニア層には適応される。
我々の反感のターゲットは、ここにおられる先生方ではなく、論文書かない、授業も下手、かといって管理能力もないシニアな方たちに向かっています。でも、そのシニアな方たちには手をつけられません。という現実が、非常勤の我々からすると、感情論として、どうしても納得がいかない点である。ということを是非ご理解いただきたいのです。
すごく難しい問題とは思いますが、「論文書かない、授業も下手、かといって管理能力もないシニアな方たち」の待遇には手をつけられません、というメッセージではなく、そいつらをなんとか処分する方法も考えよう、というメッセージを出してほしいのです。
宮川先生、私は、宮川先生の案(できるだけ多くの人を任期なしにする)に賛成です。上にもそのように書いたのですが、そのときに同時にシニア層の人たちも同じ制度に乗せるべきだと主張したところ、遠藤先生から「たとえば任期なしを任期ありにするのは大変だ」という意見が出てきて、いつの間にか、全員任期ありにするべきという形にすり替わってしまいましたが、私は、任期ありにしたい訳ではないです。できるだけ多くの人を任期なしにするということに大賛成です。
労働基準法や労働契約法の問題に関しては、重々承知しております。これも上の方に書いたのですが、まずは、大学や研究機関は、労働契約法の趣旨に沿った運用を行っていただくように提案してほしいです。
テニュアトラック教員の応募の学位後10年以内の縛りというのはまさに年齢差別(エイジズム)で、僕も反対です。よく「若手問題」という言葉が使われているわけですが、本来は「キャリアパス問題」と呼ぶべきで、今、一番問題になっているのは、おそらく匿名(中堅研究者)さんの前後の年代の方々です。僕の知り合いで、さきがけ経験もあり着実な成果をあげている研究者でも似たような境遇の方がいらっしゃいます。また海外に長くいらして、高IF誌に何報も論文があるような方でも適齢期を逃して、日本での就職に困っている人を知っています。一方、現在院生の方々などは院生の絶対数が減っているので、実はそれほど今後ポストには困らないかもしれません。ですので「若手問題」という言葉を使うのはもうやめたほうが良いように思います。
横から失礼します。
遠藤先生の仰っている新規採用のときに雇用制度を大きく変えるのが一番敷居がひくい、には理解しますが、昨今の応募時の年齢制限はなんとかならないものですか?
私も、4年前に新規雇用で教員になりましたが、5年の任期があります(再任はありません)。最近のテニュアトラック教員の応募には、学位後10年以内の縛りがあるので応募することが出来ず困っています。このままいくところがなくなったら、科研費や助成金でせっかく購入した実験機器類(1千万近い顕微鏡もあります)が無駄になってしまうなあ、、と嘆いております(私がこの業界をやめた後も、誰かが有効に使ってくれればいいのですが。。)。
吉田先生のいうように海外に戻ろうかと思いますが(一度留学しています)、子供の学校のこともあり、なかなか踏み出せません。
それなりに実績も上げてきたと思うのですが、任期制(更新なし)の職につくということは、研究者として詰んでしまったかな、、と思っています。
テニュアトラックではない私大や常勤職の応募も、国立大の先生が退任後に移られたり、国立大で准教授や助教の応募があっても、講座の教授の意向で決まっているように思えることがあります。せめてテニュアトラックの応募時における年齢制限だけはなくしてほしいな、、と思っています。
匿名さん、皆を任期つきにする方向性でなく、できるだけ多くの人を任期なしにする方向で活動したほうが良くないでしょうか?
「雇い止め条項の入った雇用契約」は僕自身は法の主旨をふまえていない脱法的な契約だと思っています。法のそもそもの主旨は「5年も非常勤で雇用されている人は、きちんとした仕事をしてきたからこそ雇用され続けたのだから、任期なしにするべきでしょう」という意味だと思います。僕が雇用していたたいへん有能な技術員の方がいらして、その人の技術は多くの人から必要とされていたのですが、5年の問題で雇い止めになりました。その結果、半年の失業期間を経て非常勤としてまたその大学に雇用されました(僕自身は大学を異動したので、他の人からその大学で雇われました)。明らかにおかしいですね。
しかしそうは言うものの大学側としては、雇用するお金がなくなるかもしれないのに終身雇用にすることは困難である、というのも一理あるのです。無い袖はふれませんので。ですので、機関という単位ではなく、研究者コミュニティとして終身雇用で雇用するというアイデアが出てくるわけです。その考え方が「卓越研究員」の背景にもあるはずですが、これを着実な研究をしている人や、技術員にも拡大したい、ということです。
あと、遠藤先生がおっしゃるように、現在、終身雇用で雇用されている人を任期付きにするのは、法律上、極めて困難だというのは間違いないと思います。終身雇用で雇用されている人は法的に手厚く保護されているのです。一方で、新規契約で雇用する人は契約がどうにでもできるので不公平な契約を結ばされてしまうわけです。任期付きの人、任期なしの人の巨大な格差は、実はアカデミアだけの問題でなく、日本の現状の法律上の問題といえるでしょう。
助手から助教に切り替えるときには,すべて任期付き助教にした大学が少なからずあったということですね(私がいた大学ではそういうことはありませんでしたが)。その場合は助手に留まるか,助教になるか,という選択肢を示されてどちらかを選んだということなのでしょう。任期付き助教を拒否したら解雇になるということはなかったと思います。ただし,その大学では,当時教育研究を熱心にやっていた助手にとって,実質的には強制であった,というのは,その通りだと思いますし,私は個人的には賛成しかねます(当時私が居た大学でもいろいろ議論がありましたが,教授の下に居て研究内容の自由度が制限されている助教の業績を評価するような任期制を採用するなら,まず研究内容の自由度が高い教授から任期制に切り替えるべきだという議論がありました)。実際一部の大学ではその頃,逆に同時に教授も,あるいは教授だけ任期制に変えたという例もあったような気がしますが,それは全員合意で行ったのでしょうかね。
非常勤職員は,契約が年単位で更新になっているのであれば,年度毎に契約内容の変更をすることは可能です。ただし,雇い止めなしの雇用から雇い止めありの雇用への変更は,その時点から雇用年数がカウントされるのではないですか?それまでの雇用期間はカウントされないはずです。
いずれにしても,無期雇用の職員の雇用制度を大きく変えるのは,新規採用か昇任のときに行うのが一番敷居がひくいはずで,そこから手を付けて改善していく,というのが,年齢に関係なく一番実現可能なやり方だと思うのですが,どうですか?
助教制度が導入されたとき、多くの大学で「任期付きに同意しなければ助教にしないよ」っていう圧力をかけましたよね。
阪大や早稲田は、長年勤務している非常勤教員に5年で雇い止めを導入しましたよね。(ちょっとこれは意味が違うのはわかってますが、仁義的な問題として)
そして、私の勤務校では、この春、「雇い止め条項のなかった雇用契約」を「雇い止め条項の入った雇用契約」に被雇用者の同意なしに切り換えました。
当事者でない先生方にはあまり関係のない出来事だったので、よくご存じではないのかもしれませんね。でも大学の執行部にいた先生方ならよくご存じのはずです。単に知らなかったのか、忘れちゃったのか、なかったことにしたいのか。
一般的に,というか,法的にいったん雇用した人をその任期途中に,たとえば無期雇用から任期付き雇用に雇用条件の変更をするのは簡単ではない,という話をしているだけです。雇い止めだって,法律変更前にすでに雇用されていた人には適用されていません。
私が,ぜひそれをやりましょうといっても,そうかんたんには物事は動かないだろうと言うことです。もちろん,少しずつある方向に評価と雇用条件を連動したシステムに変えていくことはできるので,できることと,そう簡単にはできないことをきちんと判断して,主張していかないとよくないのではないでしょうか。
若手の雇用条件の変更も,すでに無期雇用となっている助教をいきなり任期制の待遇に本人の同意なしに変更するのは簡単ではないと認識しています。もしそういう例が全国に多数あるのであれば,私の認識が誤っていたと言うことで,上記の発言は取り消します。
吉田先生、私が「自分たち(シニア層)」と書いてしまったので遠藤先生への個人攻撃ととられたのかもしれませんが、遠藤先生やここの運営に関わっておられる先生方それぞれがどうかなんてことには興味がありません(きっとリセットに応じてくれるんだろうと思っているからです)。遠藤先生の書き込みから私は、「シニア層の待遇には手を付けないから安心してね」っていうシニア層向けのメッセージを読み取ったのです。いつもと一緒です。
遠藤先生、「一般論として若手であろうとシニアであろうと,雇用条件のリセットは簡単ではありません」とおっしゃいますが、その簡単ではないはずの雇用条件の変更を、任期を付けるとか、5年たったら雇い止めとか、いや10年たったら雇い止めとか、われわれ若手にだけさんざん強制してきたのはどこの誰ですか?
1.「もっと自信を持っていいのです。」この自信が持てれば、みんな今より楽観的になれて、今のような問題も起きてこなかったと思うのですが、自信が持てないですね。
2.日本の社会全体で、業績や景気の変動に柔軟に対応する能力が高いことを理由に非正規雇用が増えていることは私でも知っています。しかし、私は、これが日本社会に合っているか?という点については大きな疑問を持っています。だいぶ前に年功序列型賃金体系を廃止した大企業がありましたが、結局元に戻したということもありました。アカデミアの分野では特に合っていないと思うのです。基礎研究ってトレンドに柔軟に対応することが必要でしょうか?そうではなくて、トレンドに流されずこつこつと積み重ねていくのが基礎研究です。もちろん、応用分野の研究もありますが、ベースは終身雇用という仕組みの中でも、やりたい人は必ず出てきてトレンドにも対応できるはずです。研究者のコミュニティってそういう新しもの好きですぐ手を出しちゃうひとが絶対います。もともと新しいことが知りたくてなっているんですから。
3.万年助手の問題について。この問題があるから、任期制という素敵な制度が導入されたと言うことについては、ある程度理解しています。全員終身雇用という仕組みのなかで、必ずこういう問題が再び出くるという指摘はその通りだと思います。この問題点は、その万年助手が一人居座っているおかげで、結構な人件費がかかり椅子を占有されるということだと思います。でも宮川先生のシステムでは、こういう研究者の給与は最低ラインということになるわけで、大学組織からすれば、それで浮いているお金でもう一人雇うということも可能でしょうし、若手からみた不満も大きく解消できそうです。
4.文科省は「アメリカとの比較」をしないと納得してもらえないのでしょうか。私は、アメリカに勝つ必要もなければ、アメリカと比べてどちらが有利かを考える必要はないと思います。真に日本人・日本社会に合っていれば結果は出てくると思います。すくなくとも、最近のノーベル賞ラッシュはそれを物語っていると思います。が、文科省がどう考えているかはわかりません。やはり文科省と直接話をしたことのある先生方の感覚に頼るよりありません。
すみません。横から失礼いたします。まだあまりアカデミアの中身について理解が深くないので、浅はかな質問であればすみません。論文数が国民の厚生に貢献するというデータは必要なのでしょうか?
そもそも科学を「国民の厚生に貢献した」かどうかでジャッジするのはどうなのかな。。とかぼんやり考えています。確かに、研究費は国民の税金などから賄われているので、最終的に「国民の厚生に貢献するかどうかわからないが税金よこせ」という意味にとられても無理もないです。
しかし、上記のスレッドにもありましたが、この研究が人の役に立つ、という理由で研究を続けていらっしゃる方もいる一方、自分の科学的な興味に従って純粋に真理を探求したい、という方もアカデミックの世界に残っていらっしゃる方もいると思います。実際、私にはスーパーカミオカンデがどのように国民の厚生に貢献するのかは少しわかりません(生命科学の分野ではないので理解も少し難しいですし、やはり生命科学分野ではちゃんと貢献する研究をしなくてはならないのかもしれませんが)
確かに税金を払っている以上、論文数が国民の厚生に貢献していてほしいですが、一見全く貢献していなくて無駄のようにみえる研究でも利用の仕方によったり、また長い年月を経てから意外にも役に立った、みたいなこともあると思います。
そう考えると役に立つか立たないかに関わらず、やはり自由に研究できる基盤がしっかりしているほうがいいですし、それを現時点で一番よく表しているのが論文数ということなのではないかな??とか考えています。
まだこの世界について理解が深くないので、見当はずれな疑問でしたら申し訳ございません。その場合はすみませんが指摘してくださると幸いです。
いやいや、遠藤先生はリセットに応じる側のシニアですよ。凄い成果を出し続けておられるし、年俸制を支持されていますし。そもそも、ここに書き込んでいるシニアな人は皆そうだと思います。シニアにもいろいろな立場があり、雇用体系の改革を実現するに当たっての具体策を述べておられるのだと思います。
本音が出てきましたね。自分たち(シニア層)の待遇は死守するよ!っていう本音が。
「卓越研究員制度」は,すでに走ることが決まっていますが,その内容はまだ流動的とのことです。五神東大総長がまとめた内容が,いつのまにか単なるテニュアトラック的なものになってしまう可能性もあり,きちんとした要望を出すならいまがチャンスです。資料はネット上に転がっていますし,生科連で話題になったので,そのメンバーの生化学会や分子生物学会からも文科省側の資料を提供してもらえるはずです。
上に書いたように,現在,月給制から年俸制に大学教員の給与体系がやっと移行しつつあります。したがって,これからは若手からシニアまで教員の雇用制度の変更がしやすくなります。各大学・研究機関において,声をあげるなら,今からがチャンスです。
あと,気持ちはわかりますが,一般論として若手であろうとシニアであろうと,雇用条件のリセットは簡単ではありません(労働者をまもるために,そういうことが勝手にできないように法律で守られているはずです)。本人が同意すればOKですが,良い評価が予想される人はリセットに応じても,悪い評価が予想される人は応じないでしょう。したがって雇用制度の変更は基本的には新規採用からするのが基本です。
個人的には,テニュアトラックでよいと思います。一定期間後の評価をクリアしたら無期雇用を保証します。教育も研究も長い目で見ないと成り立たないところがあるので,身分の保証は重要です。ただしテニュアを取った後も,一定期間ごとに評価を行い,待遇(給与,職務内容など)を連動させる仕掛けが重要だと思います。
給与は,競争的資金からアドオンするようなやり方があってもいいですが,教員によってあまりにも給与に差がつくとモラルハザードにつながる気がします。日本では1.5倍くらいの差が適切でしょうか。
職務内容は,PIだけでなく,研究を続けられればよい,という職種(リサーチサイエンティストなど)もあってよいはずです。研究に向いていないと評価されたら,リサーチアドミニストレータのような研究職と事務をつなぐような職種もあります。さらにはテクニシャンへの変更や事務職への変更だってありえるでしょう。研究より教育に向いているなら教育専門に切り替える・・・。複数の大学が連合をつくって,評価によっては大学間を異動する仕組みもありえます。
匿名さんの御意見、いろいろと気付かされて興味深いです。ここまで極端ではないですが、我々の世代にはありますね。研究者に限らず、会社員の人でもそうだと思います。企業戦士・猛烈サラリーマンの時代ですから。「学費を払っているお客様の学生と、給料を支給されている職業研究者では、職務に対する責任が大きく違う」とか思っているはずです。ちょっと上の世代だと、まだ会社に軍隊経験のある人がいたはず。「貴様、それでも軍人か」といって特攻を命令したあげく、自分は戦後ものうのうと生きながらえる。将校も兵士の頃があったはずなのに、将校(上司・シニア)になったとたん兵士の苦労を忘れてしまう。ダブルスタンダードの極地。人間、恐ろしいものです。
とことん、おつきあいいたしますよ。
(1) 匿名さんとディスカッションしていて、自分がポスドクだったときの気持ちを少し思い出しつつあります。当時はまだ日本ではポスドクが珍しい時代で、日本社会では随分と肩身の狭い思いをしました。給料がなくなって、PIの先生にポケットマネーをいただいていたこともあります。核燃料のゴミどころか、気にもしてもらえない糸くず状態でした。日本がダメなら世界があると外に飛び出したのですが、外国は皆非正規職員ですから差別は全くなく、博士というだけで大学でも街でも随分と待遇が良かったです(大学では、個室をもらえました)。海外がダメな人に強要はできませんが、海外も視野に入れると自分にとってベストな選択をする幅が広がりますし、自分の視野も広がりますよ。博士研究員は究極の頭脳労働であり、サイエンスに大きく貢献しているのですから、もっと自信を持っていいのです。
(2) やはり、全員終身雇用がベストなのですね。
宮川先生、「卓越研究員」「着実研究員」型の全員終身雇用案はガチ議論で議論するだけでなく、文部科学省に文章で直訴するというような計画をされていたりするのでしょうか? そういう具体的な目標があれば、若手もシニアもさらに真剣に議論できる気がいたします。ルールがダメなら、みんなでルールを変えましょう。
但し、全員終身雇用案を実現するためには、大きな壁がいくつもあるような気がいたします。生田さんの御意見を伺うのが一番よいのですが、頻繁には尋ねることが難しいでしょう。そこで、悪役研究者・吉田がいろいろ意地の悪い攻撃をしますので、宮川先生・匿名さん・若手やシニアの皆さんで智恵を出し合って、全員終身雇用案をよりブラッシュアップしてはいかがでしょうか?
昔は教授から助手まで全員終身雇用でエレベーター式に昇進していったのですが、今では助教や准教授はもちろん、教授まで任期制になりつつあります。大企業も、以前は終身雇用・年功序列が主流でしたが、今では非正規職員が全体の37.4%を占めるまでになっています。終身雇用でない方が業績や景気の変動に柔軟に対応する能力が高いこと、また非正規職員の方が労働コストが低いことがあると推測いたします。非正規雇用を縦横に駆使し機動的に動くアメリカや中国などに対して、全員終身雇用案がどのように対抗するのか。「アメリカと同じでは必ず負けるので、独自の道をいく」といって文科省を説得できるのか、「それではガラパゴスではないか」と一刀両断にされるのか。安定雇用を保障することで、高度な頭脳労働は効率化されるという学説で対抗するか(Motivation 3.0等)。いろいろと理論武装する必要があると思います。
「助手まで終身雇用にしていた時代、教授が退官した後に残る万年助手という問題がありました。ポスドクまで終身雇用したとして、全員が教授になれるわけではありません。万年ポスドクが大量に発生します。中央派遣型にするとしても、新しく赴任した教授に年上のポスドクが付くこともあり得ます。一方、アメリカであれば教授がいなくなればポスドクもいなくなり、新しく赴任した教授が適任のポスドクを選ぶことができます。どちらが有利でしょうか?」 と文科省に指摘されたら、どうしましょう?
(3) 匿名さんやwakateさん達若手研究者の方々に提案があります。嫌悪感があるかもしれませんが、シニア研究者を味方に付けましょう。シニア研究者もいろいろです。近藤先生のような若手の味方もおれらますし、小職のように状況が良くわかっていないものもおります。もちろん、1万人ポスドク計画を立案し、乱用した方もおられます。全部とはいいませんが、若手に本心から賛同する方もおられると思います。学生やポスドクのキャリア形成に熱心なシニア研究者も多いですよ。少なくとも小職の上司はそういう方でした。そうでなければ、小職は教授になれなかったです。本当なら自分の研究に貢献する助教を雇用する代わりに小職を准教授とし、完全に独立の研究室を作ることを許可してもらえました。自分が教授になって思うのは、学生さんも自分の作品(ちょっと言葉が違うかも)なのです。学生さんが成長してキャリアを順調に積み、世の中に貢献する姿は、自分にとって勲章です(勝手に思っているだけで、学生さん本人の努力なのですが)。社会の役に立ったという実感があります。そういうシニア研究者は、決して稀ではないと思いますよ。
おっしゃること、よくわかります。僕は科学館で子供さんなども含めた一般の方々を対象に研究の紹介をする活動を毎月してます。いかに研究というものがエキサイティングか、重要かをできるだけ伝えようとして努力してますが、若い方々が眼をキラキラさせて「科学者になるにはどうすればいいですか?」などと質問されることがそこそこあります。そういう時は、いつも申し訳ないような気持ちになります。「よっぽどの人でないかぎり、科学者などは目指さないほうがいいですよ。」と言いたいわけですが、そうはさすがに言いませんので。
僕がこういうガチ議論のような活動をしているモチベーションの一つには、「科学者は本当に素晴らしい職業なので、ぜひがんばって目指して下さい」と若い人に胸をはって言えるようになりたい、ということがあります。
理想的にはそれに近い形になるのがよいと僕も思いますが、そのあたりは各大学・研究機関が決める権限をもっているので、一斉にということには実際にはならないでしょうね。ただ、国立大学でも年棒制の導入が進んでいるようですので、似たような仕組みを取り入れる機関が徐々に増えて行く可能性はあるのでは、と思います。
あと、この人事の方式が普及するには、安定した基盤的研究費の仕組みが導入される必要があると考えます。年俸がギャンブル的にころころかわってしまうような仕組みは誰も導入したがらないでしょうので。
「安定した基盤的研究費」については、以下に案があります。
http://scienceinjapan.org/topics/031413.html
私は大変良い案だと思います。要望は
1.シニアな常勤職の方も含めて一斉にこの制度に変わること
2.シニアの方達の賃金などを含めた待遇もいったんリセットされきちんと評価されてから決定されること。
です。でないと、現在と同じ対立がまた生じます。
僕が意見をお聞きしてみたいのは、以下の案に対する具体的な意見です。
http://scienceinjapan.org/topics/20130925.html
これをできるだけ洗練させて実現の方向へ持って行きたいです。似たような仕組みである「卓越研究員」制度が導入され、うまく回れば、上記案のような形で、拡大してもらうことも十分に現実性があるのでは、と思っています。
もうひとつ、日頃から思っていることがあります。若い人にサイエンスに親しんでもらう取り組みについてです。もし、この話題がこのトピックの目的とずれているならば、削除してもらっても無視してもらってもかまいません。
分生生物学会では、年会で、高校生による発表の機会が設けられていますが、私はこれには大反対なのです。
どうして高校生に「サイエンスって楽しいですよ、是非一緒にやりませんか?」って言えるのでしょうか?
それで、めでたく学位が取れたら、「あとは自分で生きていってね」って放り出すのをまだ続けるつもりですか?
それはやはり、博士課程学生の従順な労働力を確保したいからですか?
利己的ですね。
誘ったのは事実だが、それを選択したのは学生自身なのだから、問題ないというのでしょうか?
それならば、「サイエンスって楽しいですよ、世界で誰も知らないことを自分で解き明かしていくって魅力的じゃないですか?でも、非正規職しかなくて、社会的信用も低くて、給料も低いし、結婚しようと思っても相手の親御さんに反対されるし、他にもたーくさん大変なことがあります。」って事実を正確に教えてあげないといけませんよね。
この雇用問題を解決する道筋すら立っていないのに、すれていない高校生をターゲットに勧誘活動することに反対です。こんな業界に誘ってはいけません。そして学会の偉い方がそれをやっているということがすごく利己的行動に思えるので、シニア層に対する不信感を増大させていると思います。
この、正規/非正規雇用の格差についてシニアの方々は、本当のところ、どう思われているんでしょう?すごく本音を聞いてみたいです。
昔の学者のステレオタイプにあるように「寝食も忘れて、実験した」、「子育てなどは妻にまかせ研究に打ち込んだ、自分の子供が何歳かもわからなくなった」、「生活費を切り詰めて学術書を買いあさった」これこそが真の研究者だ!すばらしい研究者というのはこういうのを言うのだ!という感覚がありませんか?私はPIが「もし子供が死ぬような事態になっても電話するなって妻に言ってあるんだ」と自慢げに話していたことを思い出しました。
そういう感覚があるっていうことは、それを若手に求めているってことです。すごいブラックですよね。
ものすごく、根底の部分に、「サイエンスっていう好きな仕事ができているんだから、すこしぐらい我慢したら?」っていう感覚がありませんか?
私の予想ははずれたようですが、「その組織がどんなものになるかを、考えましょう、、と誘導しようとした返答です。」っていうのは、成功していますか?
現時点でふら川さんから、なんら返答がない状況は、失敗していると考えるべきでしょう。
近藤先生の「あなたが40歳だとして、その大学の教授職に応募しますか?」という書き込みをみて、若手の感想は「あぁ、またシニアが自分のことだけ守ろうとしてるよ」、「仮にも運営サイドなのに、せっかく出てきた意見を即座につぶしにかかってるよ」、「運営サイドなのに、感情論で返してるよ」ざっとまぁ、こんな感じではないでしょうか。
だから、「言葉足らず」だと言ったのです。面倒かもしれませんが、議論がしたいのなら、丁寧にやらないと議論になるものもならなくなります。若手は萎縮して意見を出さなくなります。
非正規雇用で困っている実態というのは、少し検索すればwebにイヤと言うほど出てくると思います。吉田先生が10年のPDの間に実感された困ったことというのも、既出だと思います。2年前のガチ議論の際にも出てきていたと思います。
「>>若手研究者の方や、生田さんの御意見を伺いたいところです。>そうですね。できるだけ多方面の方々のご意見を伺ってみたいです。」
若手の感想は、「いやいや、もう既に、意見を言ってます。でも、拾われてません。」です。吉田先生が10年のPD経験の間に実感された困ったことは、今若手が困っていることと全く同じです。「どうしてそのことを、ケロッと忘れてしまうんだろう?」です。
どうして、私(最近、匿名名義で吉田先生にケンカを売っている者です)意外に、同様の書き込みが出てこないのでしょうか?どうして私の書き込みが貴重な意見になってしまうのでしょうか?やっぱり、若手は、あきらめちゃってるのです。どうにもならないと思ってあきらめちゃってるのです。だから誰も本音を言わないのです。(それを書いてる私は相当な暇人です)
シニア側がいくら「意見を聞いてみたい」と言っても、若手は「言っても無駄だ」と思っている現状は、やはり、若手が悪いだけなのでしょうか?
それで遠藤先生は、全員任期制と全員終身雇用制のどちらが適切とおもわれているのですか?
すみません、再度おかしくなってしまいました。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001011528
データはこのあたりにあると思うのですが、バイオ系はPDなどのとりあえずポストが増えたおかげで見かけの自殺率が減っているという指摘もあるようで、なんとも言えませんが。
という文章がリンクの後に続きました。
すみません、匿名名義で書いた文章の一部が切れてしまいました。どうもこの掲示板はURLを入れると不具合があるようです。
ttp://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001011528 データはこのあたりにあると思うのですが、バイオ系はPDなどのとりあえずポストが増えたおかげで見かけの自殺率が減っているという指摘もあるようで、なんとも言えませんが。
という文章がリンクの後に続きました。
また、貴重なご意見、とコメントいただいてますが、私の書いたようなことはwebにいくらでも書かれていると思います。貴重でも何でもないと思います。このサイトが、あるいはこの学会が拾えてないだけです。
吉田先生、私の感情に左右された書き込みに落ち着いてご対応いただきありがとうございます。もう、やめようかとも思ったのですが、乗りかかった船ですので続けます。吉田先生にはもう少しおつきあい願います。
1.「シニアな研究者も含めて全部任期制にしたら、若手の先生方の不公平感はなくなり、満足できるのでしょうか? 」確かに、不公平感はなくなるかもしれませんが、私はこれが日本の科学の進展に寄与するとは思えません。日本人のメンタリティに照らして考えると(自分も含めて)、魅力ある職業とは思えないです。若手の反発というのは、そもそも、「シニアの方々は、自分たちは、常勤職で雇用の不安のない状況で今までやってきたのに、研究者の流動性とかいうわけのわからない大義名分をかざして若手に雇用不安を押しつけている」というところから始まっています。シニアの方々は、「お上や大学当局から言われただけで、自分たちがそうしたわけではない」と言い訳されると思いますが、そのときになんら声を上げず、簡単にお上や大学当局の尻馬に乗り、自分たちの雇用を守るために、若手を切り捨てる道を選んだじゃないか、というのが若手の考えていることです。この不公平感・対立感情をなくすためには、まず、この雇用不安をなくす以外に方法はありません。逆に言うと、「全員終身雇用を目指す」ということをはっきり打ち出すと、多くの若手の賛同を得られて、若手も参加して議論も盛り上がるのではないでしょうか。
2.財源問題について、宮川先生の「ポスドクが大量に余りすぎているという現在ですら、雇用の費用は十分にまかなえています」という指摘は、納得できるものがありました。全ての競争的研究資金のうち、人件費に使用されている額を調べて、その額を分離し、恒久的な人件費としてしまうというのはどうでしょう。しかし、今現在、PDにすら雇われていないという方もいますので、財源の積み増しは必要です。いっそ、全ての研究者の賃金を5%カットして、その財源にあててはいかがでしょう。
3.合わせて考えていただきたいのは、労働契約法による「5年経過したら無期雇用に転換」、研究開発力強化法による「大学教員は、その権利獲得が10年」という法律についてです。
この法律はそもそも、無期雇用を促進して雇用を安定化するのが法の趣旨だったはずなのに、大学においては、「無期転換させないために、5年あるいは10年経過する前に解雇する」という逆の方向へ行ってしまいました。この法律の改正についての議論あるいは、すくなくとも、法の趣旨に照沿った運用をするように提言していただきたいです。
4.「日本の企業への就職はどうでしょう?」という点についてですが、そもそも、アカデミックに残りたいという動機はなんでしょうか?かっこよく言うと「自分の科学的な興味に従って純粋に真理を探求したい」という方がアカデミックに残りたいのではないでしょうか?そういう方が、博士課程に残って身銭を切って学位を取っているのではないでしょうか?そうでない方は、遅くとも修士卒で就職していると思います。企業での研究活動はその企業の営利に適う研究活動ですから、今現在PDの職などにある方達のニーズとは大きくかけ離れていると思いますし、これだけ、「企業でも博士の活用を」と言われているのに、そんな気配もないのは、企業側にも博士を雇用する意志はないのだと思います。シニアの方達の中には、「企業に就職するなんて落ちこぼれだ」という認識があると思います。そしてそういう認識が若手にもすり込まれていると思います。実際私が博士課程学生だった時、そういう言い方をされましたし、研究室に企業サイドから人材募集の案件が来ても、PIが全て断ってしまっていました。この状況で、「企業に就職するのはいかがですか?」と言われたら、これも「いまさら何言ってるんだ!」となります。
5.「若手研究者の人達は決して核燃料のゴミではないですよ。PIの人が時間をかけて育ててこられた人達です。」うーん。そうでしょうか?おかしなたとえをしましたが、今、自分は核燃料のゴミといってもあながち間違ってはいないように思えてきました。少なくとも、別スレッドにある文科省官僚の方々はそう思っているのではないでしょうか。シニアのPIの方々は本当に自身を持って「自分が時間をかけて大切に育ててきた」と言えますか?その大切に育ててきた弟子の今の状況がこれです。この状況をみてどう思っているんでしょうか。私はなにも感じていないと思います。シニアのPIの方々は、「大学院重点化になって大学院生が増えて労働力が増えたぞ、これで論文もどんどん出る、こりゃいいわい、就職?そんなの知ったことか」というのが正直なところだったのでは?それが、この状況のおかげで「博士課程進学者が減ってきた、労働力が足りなくなる、論文がでないぞ、こりゃ困った」で何とかしなきゃと、こういった議論がなされている。結局、自分のことだけが問題なわけですね。
大学院重点化になる以前、PIはきちんと博士課程学生の就職の面倒も責任を持ってやっていたのではないでしょうか?これはとてもいいことだと感じています。学生や若手は、「自分のボスがきちんと面倒見てくれるから安心して、地道に研究に打ち込める」、PIには、きちんと面倒見なきゃいけないから、優秀な学生を選抜しようとする選択圧がかかります。
若手のPDや任期付きポジションの方々で、自分たちのことを、「核燃料のゴミ」に類する者だと感じてしまっている人は、吉田先生が思うより結構いるんじゃないでしょうか?PDなんて世間的に見れば派遣かパートタイムみたいなもの、盛大にお金(国費も)を使ってこの程度、某匿名掲示板でも叩かれるし、ボスの期待通りのデータを持って行かなければ怒られる、結婚もできなければ子供ももうけられない、親に顔向けできない、もう生きてても仕方ない。自殺率も高いのでは?http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001011528 データはこのあたりにあると思うのですが、バイオ系はPDなどのとりあえずポストが増えたおかげで見かけの自殺率が減っているという指摘もあるようで、なんとも言えませんが。
6.最後に個人的な感想ですが、私は、海外に行くのは怖いので絶対行きたくありません、旅行でもイヤです。どんなに安全だと説得されてもイヤなものはイヤです。そういう人もいるということを認識いただければと思います。それから、私の文章に対して、「論理的な文章を書かれる方ですね。優秀な若手研究者とお見受けいたします。」「匿名さんぐらい優秀な方なら、留学していろいろなものを吸収し、大きく成長される気がいたします。」とコメントいただきましたが、もし、私が優秀だったら、ここで、こんなに文句を言いちらかしてる立場にはないでしょう。さらに、シニア層に対する潜在的な反発感情等が下地にあるので、「イヤミにもほどがある」というのが正直な感想です。表情の見えないwebでのやりとりでは、意図しない方向に受け取られることがあるので、こういうコメントはしないほうが良いと思います。
まさにご指摘されていることが非常に重要なところかと思います。単純な年収の多寡よりも、終身雇用による社会的信用のほうを重要視する人は、日本人には多いのではないでしょうか。
> 若手研究者の方や、生田さんの御意見を伺いたいところです。
そうですね。できるだけ多方面の方々のご意見を伺ってみたいです。
話を大きく脱線させてしまいまして、恐縮です。留学の話は、公正さとは別の話でありました。申し訳ございません…。
現在の任期制研究者の方々を全員終身雇用にする話、魅力的ですね。小職は10年間ポスドクをしましたが、一番困ったのは、任期性職員は社会的信用が終身雇用職員に比べて著しく低いことです。賃貸住宅を借りるのも面倒でしたし、家のローンなんてとても。世代間の不公平感というより、正規・非正規の不公平感という方が適切かもしれません。
若手研究者の方や、生田さんの御意見を伺いたいところです。
> 宮川先生は若手も全員常勤(宮川先生、終身雇用は可能ですか?)できるという御指摘ですが、その方がよいですか?
厳しい博士の審査に合格し、さらにその後数年着実な成果を出したことが厳格な審査で認定された人は、すばり全員終身雇用が保証される方が良いと考えます。研究者コミュニティを一つの企業体のように考えれば、労基法の「5年雇用->任期なし」を義務付ける本来の精神にとても合致しますので、国民的な合意もあると思います。報酬は研究教育実績とかなり程度連動すべきであるとは考えますが。
> 全員終身雇用は財政的に無理な気がするのですが…(研究者全体の数は同じでも、分野ごとに盛衰があるので)。
繰り返しになりますが、ポスドクが大量に余りすぎているという現在ですら、雇用の費用は十分にまかなえています(問題なのは非常勤であるというだけ)。入り口を厳しくして、財政的に無理がないように調整することは必要だと思いますが。助手が終身雇用であった昔の仕組みはそれに近かったはずです。分野の栄枯盛衰の問題については、「卓越研究員」「着実研究員」制度などの導入で中央雇用・派遣式にすれば、機関間・分野間の移動がはるかにやりやすくなりますので、解決できると思います。
あと、吉田先生の主張される海外留学のメリットについては、シニアだけでなく若手も十分に認識していると思います。僕も「海外修行はぜひともするべき」派です。しかし、日本国内の科学の仕組みをフェアなものに近づけ、日本の研究環境を魅力的でより良いものにする、というトピックの目的とはかなり独立したお話にも感じられるので、別の機会・場所で議論されるのが良いのではないでしょうか(このガチ議論サイトでも「海外修行の勧め」というような別トピックを作って議論することも可能です)。
バブル以降2,5倍アメリカは経済が拡大していて他の先進国も約3%成長している中で
これですからね。
根本的な問題として金が無いってのがありますが
その原因が経済成長が微妙なのと社会保障の増加があるので
経済成長さえ他国並みになれば結構変わると思います。
成長しないゼロサムの環境ですとどっかに予算つけるにはどっかを削るしか無いので
色んな分野と喧嘩しなければなりませんが経済成長さえすればそれも回避可能ですし
財務省が大学法人化時に大学に約束したというこの「承継定員-退職金別枠保証」が、大学のフレキシビリティを阻害する大きな要因になっている、ということかと思います。そのあたりが改善され、自由度が高くなり、各大学が個性を出しやすくなることが期待されますね。
大学が個性を出して、全員終身雇用・年俸実績変動タイプ、全員終身雇用・年功序列タイプ、全員任期制・年俸実績変動タイプ、などなどいろいろでき、大学間での良い研究者の取り合いが生じ、それで成果をより多く上げるタイプがサバイブする、というのが理想的な流れかもしないですね。
まず、文科省からの「優れた取組を支援する」ということがあまりなく、運営費交付金が潤沢にきていた時代に、横並びでなかったか、というとそうでもないのではないでしょうか。つまり、自由にできる状況でも特に横並びの状況はかわらないように思います。
また、ここのトピックで盛んに議論されている世代間格差、常勤・非常勤格差については、文科省の指導がなければ、おそらくもっと変わらないでしょう。大学を運営する主体は、研究成果をほとんどださないような方々も含めた常勤の教授たちでしたので(現在は最近の法律改正でそうでもなくなってますが)。実は、そういった問題をそのままにしておくとほとんど改善される気配がないので、つまり、研究者コミュニティには自浄作用がない、と思われるので、「気乗りはしないが仕方なくそういうことをせざるを得ない」というのが文科省の方々のお考えだと思います。それらの各種施策が、実際に功を奏しているかどうか、負担だけ増やしてマイナスになっているのではないか、というようなことについてはまた別の問題ではありますが。
一部、切れてしまいました。
羊土社のweb siteの後に、「若い人も自分の頃と同じなのかと錯覚しておりました。」という文章が入っています。
読みにくくて、申し訳ございません…
貴重な御意見、たいへんありがとうございます。匿名さん、論理的な文章を書かれる方ですね。優秀な若手研究者とお見受けいたします。小職の書き込みは個人的な意見であります。もちろん強要するつもりはありませんし、強要できる力もありません(ここに書くこと自体だめなのかな…)。参考になる人が一人でもいてくれたらという気持ちで書いております。
今回、匿名さんやwakateさんの御意見で小職が勉強させていただいたのは、若手研究者の危機感と海外に出ることに対するハードル感(ちょっと言葉が違うのかも)、世代間の不公平感、閉塞感です。小職はおかしいのかもしれませんが、海外に行くときは喜々として行きましたし(これも個人的な感想なので、強要するものではなく、「世代間の不公平感」をガチ議論であぶり出すためなので、御容赦ください)、現地で出会った様々な国から来たポスドクを見てもそうでしたし、実験医学などの記事を見ても留学に対してポジティブなものがたくさんあるので(https://www.yodosha.co.jp/jikkenigaku/ryuugaku/)、若い人も自分の頃と同じなのかと錯覚しておりました。記事にはバイアスがかかっているのですね。うちの研究室にも特任助教の先生と学振のPDの先生が居られるので、お二人の御意見はとてもありがたいです(釣りではありませんよ。本心です)。
シニアの先生に小職と同じ意見が多いとのことですが、彼らも本心から「留学するのは研究者が成長するのにとてもよい」と思っているのだと思います。決して嫌がらせや留学自慢ではありません。彼らは留学でうまく成果を出すことができたのでいい想い出が残っているし、彼らのキャリアにとって留学は大きな位置を占めているので、そう思うのです。要するに、思い切りバイアスがかかっている。そのことをシニアな先生方(私だけ?)は気付かないといけないということがわかった次第です。
国内で解決する方法を考えるという宿題を頂いていましたね。一晩考えたのですが、これは財政的に相当に難しい。遠藤先生が指摘されているように、シニアな研究者も含めて全部任期制にしたら、若手の先生方の不公平感はなくなり、満足できるのでしょうか? 宮川先生は若手も全員常勤(宮川先生、終身雇用は可能ですか?)できるという御指摘ですが、その方がよいですか? 全員終身雇用は財政的に無理な気がするのですが…(研究者全体の数は同じでも、分野ごとに盛衰があるので)。日本の企業への就職はどうでしょう? 匿名さんとwakateさんだけでなく、多くの若手研究者の皆さんに尋ねてみたいです。どういう形が良いとお考えですか? どういう形が可能でしょう? こちらでできることがあれば、是非お手伝いさせていただきます(というか、それが「ガチ議論」の本旨のような気がする)。まずは、自分のところの若手研究者のお手伝いからかもしれませんが。
蛇足ですが、大学で日々海外留学を薦める立場にありますので、海外留学に関して匿名さんの御指摘に答えておきます。細かいことなので、読み飛ばしていただいてOKです。「ガチ議論」でいいたいことは、上に書いたことです(若手の不満を知り、解決策を考える)。
(1) 日本にいる小職が海外留学を薦めても、確かに説得力ありませんよね。でも、海外にラボを持っている人に聞けば、たぶん同じ回答が返ってくると思います。彼らも成功体験を持っていますから。海外留学でひどい目に遭った人に聞けば、反対の意見が返ってくるはずです。どちらもバイアスがかかっているので、それぞれの意見を聞き、各人がそれぞれ判断するべきことなのでしょう。多様性のあるディスカッションというものです。
(2) 若手研究者の人達は決して核燃料のゴミではないですよ。PIの人が時間をかけて育ててこられた人達です。国内で活躍するもよし、海外で活躍するもよし。錦織選手とか本田選手とかが活躍するように、生物学の分野でも日本人が国内外で活躍すればと思います。大リーグやブンデスリーグが日本人で埋め尽くされることはないと思いますが、あったら凄いと思います。
(3) うちの大学にいる海外から来た留学生は国費ではなく、大学のお金(リーディングプログラム)で生活されています。同じ大学院プログラムにいる日本人と留学生に日々同じ感覚で接してきたのですが…。
(4) アメリカのサイエンスが凄いのは、中国人やインド人を初めとする野心溢れる外国人部隊もいますし、そもそも国自体が外国人部隊でできているからだと思っています。アメリカ人自体が外国人ですから。サイエンスだけでなく、経済・スポーツも凄いですよね。あれを全部真似する必要はないですが、あの中に入って揉まれるのはすごくいい体験だと思います。サイエンス、機材だけではないですよ。機材は日本の方がたくさん最新のものがあります。奴ら、コーヒー飲んでおしゃべりばっかりしているのですが、でも時間内に凄い結果を出してくるんです。多様な考えを持つ研究者間のディスカッションの力なんだと思います。あれはなかなか日本では経験できないです。
(5) 小職は、今でも留学にあこがれています(相当、いかれてますね)。知り合いにいいポジションがないか尋ねたりしていますし、いつでも向こうに行けるように、学部の講義も大学院の講義も英語でやってます。いまよりいいポジションがあれば、是非移りたいです。特殊な例なので、参考にはならないですね…。申し訳ございません。
匿名さんぐらい優秀な方なら、留学していろいろなものを吸収し、大きく成長される気がいたします。強要ではありませんよ。老人の戯言とお受け取り下さい。
できれば、評価の方法を紹介していただけると、議論も盛り上がりそうでありがたいのですが、それをする気が無いのであれば仕方ありません。まあ、本番までに読むことにします。
先生は学部生でないですよね?リンクをお示ししましたので、院生以上の方なら読むことにそれほど無理はないと思います。量はそれなりにありますので、本番までに勉強なさってください。
その議論では、どうやったら測定できると結論しているのですか?おそらく、ここを読んでいる人でそれを知っている人はほとんどいないでしょうから、是非教えてください。
各大学の取組が横並びなのは、文部科学省の「優れた取組」を支援するという方針が原因でしょう。各大学の財政状況が厳しいなか、新しい取組のための予算を確保するためには、文部科学省にその取組が「優れている」と評価される必要があり、必然的に各大学の取組は文部科学省が「優れている」と考えるものに横並びになります。また、仮に自主財源で文部科学省の方針とは異なる新しい取組をして成果を挙げたとしても、その成果によって運営費交付金が増額される仕組は現状では存在しないので、財政的には自主財源の使い損です。更に、これまでの実績から見ると、文部科学省が取組の優劣を評価する能力に関しても疑問符が付きます。
各大学に個性的な試みを促すためには、各大学の「取組」は文部科学省の評価を経ずに各大学の運営費交付金で行うこととし、その取組によって得られた成果に応じて、各大学が自由に使える運営費交付金の額を増減するように方針を変更するべきです。
吉田先生の発言は、いわゆる「釣り」のように思えてきて、ものすごく頭にきますね。本音の意見を待っていたということなので、はっきり書かせていただきます。
1.「自身の経験に基づいたポジティブな意味での提案だった」という吉田先生の感覚はおかしいです。いわゆるシニア常勤職のお偉い先生方が唱えるお題目と一緒で、困っている若手の感覚ではありません。「Wakate」さんが投稿しておられるとおり、「ならば、あなたが海外に出て行け!」という反感を生むだけです。
2.「大部分の方はもどってこられているのでは? データは持っていません」とのことですが、私もデータは持っていませんが、私の感覚では、「コネのある人はどうにか戻ってきている」状況だと思います。逆にコネがなければ戻ってこれないという状況は非常にまずいと思われませんか?そして、吉田先生もコネで日本に戻ってきたのではありませんか?
もし、吉田先生が、海外にでて、永住することを選択した立場で、この意見を言われたなら、納得できる部分もありますが、日本に帰ってきて、日本でポジションを得た方に言われると、「あなたも日本がよくて戻ってきたんでしょ、私も日本にいたいです」ということになります。(それは吉田先生が大変な努力をされた結果であろうと思いますが、私は今、とても頭にきているのでそこは斟酌しません)
3.私は海外に出て、そのままその国で研究することを選択する方がいるということを何ら否定するつもりはありません。それはそれで大変結構なことです。でもそれを全員に求めるのは、価値観の強要です。
4.「「日本国内の問題なのだから、日本国内で解決方法を考えるべき」なのですね。」(いちいち頭にくる書き方をされますね)そうです。吉田先生の言っていることは、あえて極端なたとえですが「日本で核燃料のゴミがでました、国内では処理できないので、海外へ持っていて処理(廃棄)してもらいましょう」と言っているのと同じです。(若手研究者を核燃料のゴミにたとえてごめんなさい)海外の方々は「自分のケツは自分で拭け!」と思うのではないでしょうか。
※海外のPI方々は、日本人のポスドクはウェルカムな状況ですよというのは、なんの反論にもなりません。「日本人のポスドクは、指示に忠実で、器用でとても使いやすい」と思われているにすぎません。彼らこそ、「日本人は、そのうち日本に帰るし、都合のよい使い捨て労働力」と思っていることでしょう。
5.「日本の大学にいるマレーシアのポスドクと日本人のポスドクは違うということですね。」完全に異なると思います。日本にいるマレーシア人のポスドクは、きちんと修行してお国に帰ればちゃんとしたポジションが約束されているはずです。そのために国費で留学しているのです。でも日本人の場合は違います。ポジションがありません。
6.私自身は、海外へ出ることがとてもいい経験になるということ自体は否定しません。しかし、それは個人的な領域にすぎないと思っています。こと研究という点から見て海外へいくことに大きな意味があるとは思えません。昔は、最先端の科学を会得するために必要なプロセスだったと思いますが、現在は、日本もアメリカも変わらないと思います。今まで、アメリカ人は日本に留学に来ましたか?そんなことせずとも、最先端の一翼です。
こういう意見を言うと、ものすごく反発される諸先生方がおられると思いますが、「海外へ出ることがとてもいい経験になる」ということを金科玉条のようにおっしゃるのは、「海外経験がある自分の箔を維持したい」だけだと思います。
吉田先生のラボには、若手の任期付き教員とかおられないのですか?若手の現状、考えていること、感情、あまりにご存じないようです。
話が低レベル過ぎませんか。たとえば米国では研究投資による貢献についてこういう議論がされています。これではいったい何周遅れなのか見当もつかないくらいです。
http://homepage1.nifty.com/bicycletour/sci-rep.acad.measuring.htm
ではとりあえず大暴落中のアベノミクスを止めるのが先決ということですね。
ポストの世代間格差の問題は色々な側面がありますが,一番大きいのは終身(無期)雇用か,任期付きか,ということだと思います。良い悪いは別として,全員終身雇用にするか,全員任期制(あるいは評価と雇用打ち切り・職種変更等の待遇の連動制)にするかのどちらかにすれば,世代間格差はなくなります。
以下,国立大学法人に限定した話です(私の理解に誤りがあるかもしれませんが,その場合はご指摘ください)。
最初に,歴史的になぜ若手の終身雇用ポスト(承継職)が少なくなってしまったかというと,国家公務員の定員削減に伴い,大学は事務職員を切り,次に若手(当時は助手)を切ってきたということがあります。定削になっても学生定員は減らなかったので,授業ができる講師以上を優先し,授業が制度的にできなかった助手の定員を削減してきたわけです(その後,法改正で助手の多くが助教に変わり,授業も出来るようになりましたが,原則として授業を担当させていない大学は多いと思います)。大学側にはそれ以外の選択をするインセンティブは働かなかったと思います。
しかしさすがに助教が減ると,大学の教育も研究も成り立たなくなってくるので,競争的資金を原資としたポスドクだけでなく,間接経費を原資とした任期付きの特任助教(呼び方はいろいろあると思います)も増えてきたように思います。しかしここで,承継職の問題が出てきます。承継職だと,その人が定年退職するときは,国が退職金を出してくれます。退職金は教員の待遇の重要な部分なのですが,定年前に辞めると,自己都合退職と言うことで,退職金の金額が減ります。また長く務めるほど退職金は加速度的に高くなるので,シニアの教員の流動性をさまたげていいたという面もあります。承継職の数は国立大学の法人化時点での数として確定しています。承継職の教員を任期付きに移行すると,これまでは国から引き出せる退職金の金額で(大学と教員が)損をします。これが,講師以上のポジションをなかなか任期制に移行することができない一つの理由だったと思います。
しかしこの流れはかわりつつあります。国が大学教員に年俸制を導入する仕掛けをしてきたからです。国は,年俸制に移行しても生涯賃金が不利益にならないよう,退職金相当額を年俸に上乗せする形で年俸制移行を促進しようとしています。大型予算を配分する際の大学の評価においても年俸制教員の数を重視すると言う形で圧力をかけてきています。その結果,シニア教員(たとえば60歳以上とか)の月給制から年俸制への移行が少しずつ進み始めています。年俸制になれば,任期制,あるいは評価と待遇を連動させるなど,柔軟な雇用制度の導入がしやすくなります。したがって,講師以上の教員の任期制,あるいは評価と待遇を連動させる制度を考える敷居は下がったというべきです。皆が声を上げれば,若手教員だけでなく講師以上の教員の雇用体系の見直しが進みうる段階に来ていると思います。
国を問わず研究環境の良いところに移って活躍する一流研究者を輩出することは、先進国の役割のひとつであり、文科省の目標のひとつになって良いと思います。一方で、今後も先進国としての位置を維持していくためには、幅広い領域で質の高い研究者のプールを維持しておく必要があり、これもまた文科省の目標でないといけないです。
現状は、「選択と集中」が行きすぎた結果、研究者の多様性が失われ、また研究不正問題に認められるように研究者の質も低下しているのではないでしょうか。幅広い領域で質の高い研究者のプールを維持するためには何をすべきかという問題意識で文科省と協働できないものかと思います。
多様性が低いせいで科学技術のトレンドにキャッチアップできていないという傾向は、既にいくつかの領域で表れていますが、その状況でなお現在の社会での有用性を基準とした「選択と集中」という方針を続けるようでは自殺行為です。
こういう本音の御意見を待っておりました。たいへん勉強になります。
うーん、決してネガティブな意味ではなく(「ポスト問題で困っている若手は、海外へ出て行け」ではなく)、自身の経験に基づいたポジティブな意味での提案だったのですが、小職の感覚がおかしいのかもしれません…。小職自身は海外にいる間に日本との縁が切れて現地永住を模索しておりましたが、結局ある先生に日本に呼び戻されて研究を継続し(そこがベストの死に場所と考えたので)、独立後もその先生と共同でこの分野を盛り上げようと日本に残っております。うーん、しがみついてるといわれたら、そうかもしれませんね。でも、海外に出ることはけっしてネガティブなことではなく、研究者として非常に良いことだと思います。海外に出たら帰って来られないというわけでもないですよ(大部分の方はもどってこられているのでは? データは持っていません)。UCSFのPeter Walterもドイツ人なのにアメリカに長い間いるし、中国・韓国・日本の研究者もたくさん海外にいます。「日本国内の問題なのだから、日本国内で解決方法を考えるべき」なのですね。日本の大学にいるマレーシアのポスドクと日本人のポスドクは違うということですね。考えましょう。思いつけるかどうかわかりませんが、ちょっと御時間を。
僕も匿名さんと同様な方向性のことを感じました。それを建設的な言葉で展開したのが、以下の吉田先生への返答です。
まずこの名目GDPが頭打ちなのをどうにかしないと。無い袖は振れないです。
研究者が「国にカネがないのはわかるが〜」なんて言ったらオシマイです。
他の先進国はちゃんと名目GDPが上昇しています。
宮川先生のコメントの五%じゃないですが、これを改善するだけで劇的に違うはずです。
出典元:世界経済のネタ帳
http://ecodb.net/exec/trans_country.php?type=WEO&d=NGDP&c1=JP&s=&e=
http://ecodb.net/exec/trans_country.php?type=WEO&d=NGDP&c1=US&s=&e=
でも、どうやって測定しますか?ぜひ教えてください。
喧嘩を買ったのではなく、その組織がどんなものになるかを、考えましょう、、と誘導しようとした返答です。
その組織がどうなるか考えますと、、、
50でクビになるのであれば、有力な人は誰も応募してこない。おそらく40代の応募は皆無でだいたい35歳くらいが平均になる。また、成功した人はすぐに出ていくから、若い人だけのインキュベーション組織になります。要するにテニュアトラックの人だけが集まった組織です。
これは、京大で少し前に試されました。宮川さんはその時の実験台になった一人です。また、理研のチームリーダーもこれに近いですが、理研の場合、研究費を潤沢に充当しています。いずれの場合も、かなり大きな予算の前提と、シニアな人のスーパーバイズが必要になります。
老人を海外に送り込んでその分浮いたお金とポストで若手を何人か雇う。というアイデアはいかがですか。老人も世界中のポストの中で自分にとってベストなものを探しましょうよ。そのポストにしがみついていないで。
雇用問題に関しては、若手の雇用も創出したいが、かといってシニアの雇用をまるっきり奪うということは現実にはできないのは、わかります。(当然、超絶な抵抗に遭い現実できないでしょうし)近藤先生のこの発言は、「そんなことをしちゃったら、結局、10年後20年後には、今若手のあなた方がシニアの年齢になってくるのですよ、それでもいいのですか?」ということを言いたいのだと思いますが、いかがでしょうか?
近藤先生、ちょっと言葉足らずだと思います。これでは売られた喧嘩を買っているだけに見えます。
安定ポジションである常勤職の先生方がこういう発言をするから、シニアと若手の対立になり、感情論になるのだと思います。「ポスト問題で困っている若手は、海外へ出て行け」では、なんの解決にもなりません。日本国内の問題なのですから、日本国内で解決方法を考えるべきではないでしょうか?
国内にポストがない現状を改善しないのに、若手を海外に行かせて、その若手は一生海外で人生を終えろということなのでしょうか?
ここを運営しているシニアな方々は、「感情論でなく建設的な議論を」をおっしゃるのであれば、シニアの立場から、「この発言はまずいよ」という発言が出てこないと嘘だと思います。
とにかく、この発言にはとても失望しました。
ええとですね、仮に文科省がそれに関してある基準を持っていたとしても、それは実際には文科省が決めるべきことではないので、公にはぼんやりした当たり障りのないことしかいえないのですよ。本来それは政治≒議会≒国民が決めるべきことで、文科省が勝手に決めてはいけないことなのです。つまり議論の相手が間違っているんですね。
「国民の厚生に貢献した」かどうかを数値で測定する方法など、ない」
これは爆弾発言だと思いますが、科学者・研究者としてそれでよろしいんですか。
それだと国民の厚生に貢献するかどうかわからないが税金よこせ、といっているに等しくなりますが。
問題点がだんだんと明らかになってきた気がいたします。
誰にとっての「公正さ」に基づくか、という問題である気がいたします。
宮川先生の御指摘の「少しでもより公正な方向に仕組みを動かす」という御意見、たいへんもっともなことであります。「研究者にとっての公正さ」を保つためには、この点は決してゆずることのできない点であります。
一方で、納税者にとっての「公正さ」というものが存在するような気がするのです。文科省にとっての「公正さ」なのかもしれません。要するに、投入した税金に対して、どれだけ成果が出たかです。それは論文数であってもいいですし、ノーベル賞の数であるかもしれません。あるいは特許や製品化なのかもしれません。これは、必ずしも「研究者にとっての公正さ」と一致しない気がいたします。5年間査読論文を出せなかった研究者本人はダメなのかもしれませんが、そういう自由(挑戦?)を許す選別システムは、必ずしもダメとは言えない気がいたします(99の研究者がダメでも、1つノーベル賞学者がでればよいという考え方)。
「研究者にとっての公正さ」を基準とし、査読論文数(あるいはインパクトファクターの合計)で研究者を選別・淘汰するという戦略もありです。アメリカはそれに近いような気がします。日本もその戦略を取ることもありかもしれません。但し、アメリカと同じ戦略であれば、経済の規模が違うので、アメリカには必ず負けます(負けてもいいのかもしれません)。アメリカに互していくためには、アメリカとは違う戦略を取らなければ無理です(ニッチ戦略)。これまでの「どすこい相撲部屋」戦略で多くの日本人ノーベル賞学者がでたのだから、この方式を少しは残した方がいいのではないかという近藤先生の御指摘も、これに近いのかもしれません。世の中が変化しているのだから、戦略も変えないといけないという御意見もあるでしょう。個人的には、ノーベル賞のような独創的な研究者を選別するためには後者の戦略、流行の研究で短期の成果(特許?)を出す研究者を選別するためには前者の戦略が適しているという気がします。
どういう淘汰戦略をとるべきなのか。
研究者としてはもちろん前者ですが、文科省は違うのかもしれない。
そこをはっきりとさせないと、ガチ議論をしても、議論がさっぱり噛み合わない。
文科省はどう考えておられるのか、文科省の方に尋ねてみたいところです。
完全に公正な競争というのは、吉田先生のおっしゃるように不可能なのは間違いないと思います。ここで問題になっているのは、公正か公正でないかという1か0の問題というわけではなく、少しでもより公正な方向に仕組みを動かすにはどうすれば良いか、という程度の問題かと思います。
研究者の世界で「競争的」なものの占める比率が高くなっている以上、少しでも公正さが高くなる方向へ、研究者コミュニティで議論を深め改善していくことが大事であると思います。研究成果が明らかに出ていない教員(5年以上査読論文が全くでていないなど)で常勤で定年まで報酬が自動的にあがっていくようなケースと、高IF論文はないものの着実な成果をあげている若手・中堅のポスドク・特任研究員でポスト的には崖っぷちのケースとの比較で、客観的に成果をあげているほうがどちらか明らかにわかるような場合でも、ポスト的には前者が勝ってしまうのは、公正さからは遠いと言わざるを得ないように思います。そういうレベルでの世代間格差のことがここで問題になっているということではないでしょうか。
「経済的に苦しい日本の現状では、ポスドク・特任教員全員にアカデミックポストを配ることは、数学的に不可能です。」:これ、まだ誤解されているようですが、非常勤もカウントしてしまえば、今でもポスト数は実は十分足りてます。実は文科省の一部では「ポスドク問題は存在しない」という考え方も存在していて、それは雇用自体はほぼ確保されていることが根拠です。この案は、予算増をすることなく、非常勤のポストを工夫して常勤ポストにするという中央雇用の派遣社員的な案であることをご確認いただければと思います。
ポストがないないとよくいわれますが、、世界を見渡せばポストはいろいろあります。他の国で研究・生活することはとても良い経験になるので、日本にポストがないからという消極的な理由でなく、世界中のポストの中で自分にとってベストなものを探すというのががよいと思います。
宮川先生の「卓越研究者」「着実研究者」のシステム、実にすばらしいとおもいます。ポスドク・特任教員の中から一部を選び、そこに資源を集中する。全員を選ぶことはできないので、選ばれなかった人は世界中のアカデミックポスト・企業のポストを探す。PhDならそれができるはずです。(宮川先生の御指摘のように、PhDの基準がだんだん甘くなっている気はしますが)
議題である「公正な競争」ですが、これは不可能です。能力がある研究者であっても、素晴らしい成果が出るテーマを思いつくかどうかはわかりませんし、思いついてあともうちょっとで結果が出る段階であったとしても、他の研究者に先を越されたら失敗です。研究が完了するまで、成功するかどうかは誰にもわからないのです。身内に研究費・ポストを配るというのも、見方を変えれば特定の分野に資源を集中しているわけで、それで成果が出るというのであれば、それも戦略なのかもしれません(どすこいさん御指摘の相撲部屋形式ですね)。そのような戦略をとっている日本に愛想が尽きたというのであれば、シンガポールのようにガチガチの競争システムの方があっているのかもしれません。研究者にとって、ポストやノーベル賞は研究のおまけ(結果)であって、目的ではありません。そこに研究のモチベーションを求めるのであれば、アカデミアではなく企業に行くと大成するでしょう。経済的に苦しい日本の現状では、ポスドク・特任教員全員にアカデミックポストを配ることは、数学的に不可能です。幸いなことに、PhDにはいろいろな選択肢があります。狭い日本のアカデミアにこだわらず、広い視野をもって世界を見渡し、自らの能力を生かして人類に貢献されることをお祈りいたします。「Stay optimistic, enjoy everything!」です。
あなたが40歳だとして、その大学の教授職に応募しますか?
データを基に議論しようとすれば、何らかの「数」がどうしても必要になってきます。業績をインパクトファクターで表すのも、そうしたほうが便利だから。しかし、それをやめるためには、なにか別の方法を提案しなければいけません。違う内容の研究をどうやって比較したらよいのでしょうか?アンケートの回答にも、インパクトファクターに異を唱えるものはありましたが、代案はなかったです。
「国民の厚生に貢献した」かどうかを数値で測定する方法など、ないと思います。
論文数のデータは皆さんよく出してこられますが、論文数が国民の厚生に貢献するというデータはあるんでしょうか。それがなければいくら論文数の議論をしても底が抜けてませんか。
教授の定年は50歳、再雇用するなら給与は大幅に減額(ただし外部から報酬を得て良い)。
というような組織があっても良いです。
このガチ議論の場は、科学の仕組みについての「大きな問題」について議論するために設けられていると思います。提案・議論など歓迎ですので具体的・建設的なご意見をぜひ。
実は、法人化以降、大学はそのようにいくらでも自由にできる形になっている、しかしどこの大学も横並びであまり個性のあることをやっていない、というようなことになっているというのが文科省の少なくとも一部の方々のご意見です(前回のガチ議論の際の文科省の方々との合宿などを含めて何回かそういう話を聞きました)。
シニアの先生方も日々の活動でいっぱいいっぱいの場合が多く、それどころではない、という方々が大半なのではないかと思います。そういう自分も中堅どころくらいで、やはり研究室の運営のための研究費獲得のための活動などで一年中苦労しており、こういうことをやっている場合ではないともいえますが、少しでも良くなればと思ってやってます。
前回のガチ議論企画で、すずかんさんが、すべての研究者が5%くらいのエフォートを日本の科学をよくするための活動につかっても良いのでは、というようなことをおっしゃってました。5%を皆が、というのは事実上困難だと思いますが、志のある人だけが5%を使うだけでも圧倒的に状況はよくなると思います。
具体的なアイデアは、このサイトに掲載されていたり、これから掲載されたりするので、できるだけ多くの方が、それらに改訂意見を出したり、単に賛成したりするだけでも随分違ってくると思います。よろしくお願いします。
この場にコメントを残していただくことにも大きな意義があると思います。ありがとうございます。
研究不正問題で感じましたが、不正研究者と対峙することは不毛なことが多いです。私たちにできることは不正が起こりにくい環境を作ることしかないように思います。そのためには、不正の実態を調査し、何が起こったのかを可視化しなければいけません。ちょっと回りくどいですが、「透明性」の記事をあげたのも同じような意図で、まずは何が起こっているのかを私たちが知ることが大事だと考えたからです。酷いことが起こっているとしても、見えなければ気にする人はいません。
金がないないというが、実現不可能でろくに管理もできていないもんじゅには未だに巨費を投じ続けているし、臨床研究不正で効果のあやふやな医薬品にも巨額を費やし続けているのでしょう。日本ではなぜか問題が大きければ大きいほどスルーされ、叩きやすい個人の不正だけが祭りになる。そろそろまともな議論をしてはいかがか。
いっそのこと相撲部屋や自民党の派閥みたいな形式に。
国内に流派を20くらいつくって研究者はどこかに所属する。業績に応じてか公平にかわかりませんが研究費・人件費を派閥に落として後はその中でどうにかしてください、と。年功序列・定年雇用で面倒見る流派もあれば任期制だけど実力主義で少数精鋭の流派もあり。流派内での研究資金の融通はどうぞご勝手に。科研費式に親方が審査する流派もあれば年齢に応じてばらまく流派もあり。みたいな。
田中先生、私自身は、「有望な若手を集められない業界には先がないという認識をお持ちのシニア」にお会いしたことがありません。もちろん、ノーベル賞受賞後にテレビ等の会見でそのようなことを言っている方がおられるのも事実と言えば事実なのですが、役者さんが台詞を言ってるだけで、虚構の世界の出来事のように感じています。身近な先生がたでそのようなことを言っている先生を見かけないし、(テレビで見かける)彼らが何らかのアクションを起こしているか?と言えば、なにも見えないので、現実感がないのです。
どのような仕組みを作れば感情的な議論が避けられるか?ということですが、これは、「若手研究者の雇用問題を解決する仕組み(たとえば宮川先生の提案)」のことを言っておられるのでしょうか、それとも「議論をするための仕組み」のことを言っておられるのでしょうか。
私自身は、残念ながらそのどちらについてもアイデアがありません。そのことを考える時間、材料、体力、精神力がありません。自分と家族の生活を維持するには、ただ黙々とピペドとなり、業績を出して、運良く競争に勝ち抜いて職に就くしかないのです。「どのような仕組みを作れば感情的な議論が避けられるか?」を考えても、家族を養えないのです。(私は科学政策論専攻の学者ではありません)今、こうやって書き込みしているだけでも、日頃、この問題から目をそらしてなんとかやっている分、現実の問題を目の当たりにして、精神的にだいぶ辛いです。(このこと自体が非常に感情的で個人的で大変申し訳ないです)
アイデアは、ありません。すみません。
吉田先生のおっしゃるように、税収減や少子化で予算の増額はできない、という前提での議論をする、ということが大切かと思いますが、実はこの案ですと「アカデミックポジションの増設」は必ずしも必要ないということです。ポスドクや特任教員などの「任期ありポジション」もある種のポストと考えることができ、そこへは現状でも予算はでているわけです。つまり、その意味では今いる方々自体のポストは足りているのです。加えて、これからシニア世代の先生方がたくさん退職し、また大学院生が減ってきていますので、これから博士号取得をもう少し厳しくすれば(というより本来の博士にふさわしいレベルに正常化すれば)、必要な総ポスト数は減っていくことが予想されます。提案させていただいているのは、総ポスト数も必要予算も増やさずに、終身雇用の最低限の基本報酬は保証して、あとは実績に応じて再分配する方向で解決するというようなものです。
アンケートで多くの方やanonymousさん、匿名さんなどが指摘されているポイントは、現状では実績に応じて「ちゃんと選択圧がかかっている」ということにはなっていない、選択圧のかかり方に世代間格差が存在しフェアと言えない、ということなのではないかと思います。その点に対して、ポストで選択圧をかけるということでなく、報酬を実績に応じたものにすることによって解決できないか、という提案になっているわけです。ポスト自体に基礎報酬があったとしても、アドオンがすくなければ収入は低くなりますので、若手、シニアにかかわらず、研究者からアドミニストレーションや支援的ポジションなどの研究以外の大学関連職、あるいは他の分野に移る圧力にもなると思います。
「ポストを餌に研究をさせようということで研究の生産性はあがるわけがない」という宮川先生の御意見、本質を突いていると思います。アカデミアにビジネスのような競争原理を導入すること自体に無理がある気がします。ポスト競争のためには公平な評価システムが必要ですが、果たして研究を短期間で評価することができるでしょうか? CRISPRやGFPの研究のようなオリジナルな研究の初期に、真っ当な評価を行えるとは思えません。やっている本人さえ思いつかないような展開があるからこそすごい研究になるのであって、人間の予想通りに展開する研究にすごいものがあるとは思えません。
アカデミアにはそもそも立身出世とかポストといったものはそぐわない気がします。評価を基準とした過剰な競争を進めると、短期間に評価を得るために都合の良い流行の研究ばかりが選抜されてしまい、本当に重要な研究が淘汰されてしまうと思います。企業に行けば高給・安定が保証されるのにもかかわらず、劣待遇だが自由に研究できるアカデミアに活動の場を求めるというモチベーションこそが正当な選択圧ではないでしょうか? 短期間で評価を得るための研究は、企業で行えばよいはず。アカデミアにポストがなくて困っているというのはむしろ正常なこと(ちゃんと選択圧がかかっている状態)であって、問題はアカデミアから企業へ移るキャリアパスが少ないことのような気がいたします。日本の人口が減少して税収が減少している現状では、アカデミックポジションの増設は納税者の理解を得ることができないと考えます。
若手で真に独立したテーマを追求している研究者がどの程度いるかという見方も必要だと思います。研究室でビッグボスにぶら下がっている研究者が若手Aを獲得するというケースは、シニアの研究費が増えていることと変わらないです(当然業績も重複しています)。一方で、研究テーマを新たに設定し、ボスから独立した中堅研究者は苦戦しているかも知れません。アンケートにも指摘がありますが、独立した研究室単位で研究費を集計したデータが加わると実態がより正確に把握出来ると思います。
遠藤先生と神田さんの出されたデータは、研究費の採択率の観点からは若手が比較的高くなってきていることを示している捉えることができそうです。
一方で、anonymousさんや匿名さんの指摘されている問題は、おそらく研究費のことではなくポストのことですね。
僕の意見では、日本人の国民性を考慮すると、基本的にはポストというようなものはそもそも博士の学位を(厳格な審査の上)取得して、さらに数年間ある一定レベルの実績をのこしたような人には終身雇用が保証されるべきものであるように思います。ポストを餌に研究をさせようということで研究の生産性はあがるわけがないというのが僕の皮膚感覚からの実感です。餌としてのポストは、百害あって一利なし、であり、むしろ昨今の不正問題の根本的背景になっていると思います。
もちろん、終身雇用ポストを広く普及させようという場合、予算の問題はあります。ですので、限られた予算の中では、報酬は研究・教育実績により変動させ、ある程度の競争性が担保されるような仕組みを導入する必要はあるでしょう。ベースの報酬を低いところで保証し、あとはアドオンになる形式がもっともリーズナブルなように思います。研究力は、お二人が上げられたデータにも反映されているようにある程度は科研費の審査でフェアに評価されているようですので、そういう仕組みにすれば、anonymousさんや匿名さん、そしてアンケートで多くの方々が指摘されている世代間格差の問題にも対応できるのではないでしょうか。
具体案になりますが、
http://scienceinjapan.org/topics/20130925.html
で提案されている安定性と競争性を担保したポストの案にかなり近いものが、「卓越研究員」として現実化しそうです。このようなアドオンシステムを、きちんと仕事を行っている平均的な博士研究者(「着実研究員」?)や、大学などのポストにも適用すれば良い、ということになるかと思います。ただ、これだと研究費の採択・不採択に連動し年収が極度に上下してしまう可能性があるので、科研費の仕組みの変更も同時にする必要があると思われます(これについては以下の「安定した基盤研究費」の案参照)
http://scienceinjapan.org/topics/031413.html
基本的には現状のポストの世代間格差は大きな問題なのですが、テニュアトラックポジションで年齢制限を設け若手を優遇しすぎるとか、単純に定年を早めるとかの方法は、実際の研究力を考慮しない「年齢差別(エイジズム)」であり好ましくないだろう、というのが僕の意見です。実のところ、現在のポスト問題で最も苦しんでいる世代はおそらく30代後半から40代後半くらいの方々で、この方々は特任助教とか特任准教授などの「任期制」で次が見えない一方で、新規ポジションの「若手優遇」の年齢制限にひっかかってきてしまっていたり、外国から戻りにくくなったりしています。
ということでやはり、ポスト自体は安定させつつ、研究力や教育量を指標に限りある資源をフェアな形でシェアするような仕組みを徐々に導入していくのが、最も理にかなった解決法なのではないでしょうか。いかがでしょう?
年齢分布のデータを見つけていただきありがとうございました。たいへん興味深いです。
H13とH25のシェアの比較を見ると,若手とシニア(60代)は伸びたけど,その間で40代後半〜50代の人達のシェアが減っていますね。このことは,わが国の大学院教育の質や研究力に深刻な影響を与えているのではないでしょうか。
ただしこの手の統計の見方として,パレートの法則というか,富める者がますます富んでいるだけという可能性もあるので,要注意ではあります。世代内でどんな統計分布になっているかを,できれば知る必要がありますね。
競争的研究資金配分の年代別分布(配分全体での各世代のシェア)(2001年度) が下記URLの表11にあります。が、世代別採択率は見つかりません。
http://www.nagaokauniv.ac.jp/m-center/chiken/pdf/vol_13/04_4.pdf
せっかくなのでH25 (2013) と2001 (H13) の配分全体での各世代のシェアを計算してみました。
H25に新学術領域が入っていないこと、総額やそれぞれの世代の人数が考慮されていないことに注意です。
このデータの10年前、20年前のものはありませんか?
そのデータがあると、若手とシニアの関係がどう変化しているか、議論することができます。
>科学政策論を専門にしている学者さんがいればいいけど
います。JST,JSPSはその調査をしているし、科学技術・学術政策研究所(国の科学技術や学術振興に関する政策立案プロセスの一翼を担うために設置された文部科学省直轄の国立試験研究機関)が調査し、データを公開しています。
それらを駆使して、説得力のある主張をお願いします。
研究種目別・年齢別の新規採択率(平成25年度) が下記PDFの21ページにあります。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu4/030/shiryo/__icsFiles/afieldfile/2014/07/17/1349729_01.pdf
教員の定年の問題ですが,国立大学の法人化以前は東大などごく一部の国立大学が60歳で,あとの大部分は63歳,地方大の一部は65歳だったかと思います。法人化に伴い,承継ポストを65歳まで確保するために,定年を65歳に引き上げた大学もありました(東大と東工大など)。
その後年金の受給開始年齢が65歳に引き上げられるのに伴い,定年が65歳ではなかった多くの国立大学法人が65歳まで勤務できるように制度を変更しました。この場合法人化に伴って定年を65歳まで引き上げた大学以外は,2年分の雇用延長の原資がありませんでしたので,各大学ではどのように雇用を継続させるかの議論があったはずです。その結果,いったん退職して再雇用の形をとるところも含めて,雇用の形は63歳までと63-65歳では異なるところが多いのではないかと思います。
URLを文章中にいれてしまったので,リンクがおかしくなってしまったようです。正しいURLは
平成27年度科研費の審査に係る総括について
(平成27年10月6日 独立行政法人日本学術振興会科学研究費委員会)
https://www.jsps.go.jp/j-grantsinaid/01_seido/03_shinsa/index.html
○平成26年度データ:
III.科研費の配分状況 (5)年齢別・男女別・職別配分状況
https://www.jsps.go.jp/j-grantsinaid/27_kdata/index.html
です。残念ながら科研費種目別の年齢分布のデータは公表されていません。
科研費の応募資格に年齢制限を入れるべきだというような意見がありました。
参考のために科研費の採択率と年齢の関係を計算してみました。元データは https://www.jsps.go.jp/j-grantsinaid/27_kdata/index.html にあります。残念ながら科研費の研究種目別の年齢分布のデータは公表されていません。
27年度の科研費の審査に係る総括も上記のサイトにあります。基盤研究の応募が増えていますがこれは若手研究の需給回数制限を導入したことが一因のようです。
匿名さんのコメントは若手からあがる声の代表的なもののひとつだと思います。一方で、有望な若手を集められない業界には先がないという認識をお持ちの方はシニアにもたくさんいらっしゃいます。どういう仕組みをつくれば、感情的な議論を回避して問題を解決できるでしょうか。
反論なんてできないですよね。感情論といわれるかもしれませんが、分子生物学会も生化学会も、学会大会の運営も、さらに言えば、このサイトも、学会での企画も、シニアの方々の運営ですから、本当に窮している若手の意見なんて反映されないんだろう、とあきらめています。
ならば、今回の学会とかで、その若手の意見を表明してよ、と言われるのかもしれませんが、それをしたとたんに、「そんなことにかまけているのはけしからん、そんなことよりデータを出せ」と言われて、潰されるのです。
そんなことできません。
世代間の対立にすらならないのですよ。
言いたいことはわからなくはないんだけど、では、誰がそのデータを用意するんだろう?今までどこに持って行ったら良いかわからなかった不平不満を、エビデンスがなくてもいいから今こそ吸い上げて明文化してみようよ、という取り組みだと理解しています。で、上がってきた不平不満が都市伝説なのかどうかということは、しかるべき機関(文科省とか、学会とか)がしっかり調査してエビデンスを付けて、対策を考えていかないと。
科学政策論を専門にしている学者さんがいればいいけど、分子生物学会の会員にデータを示せと言われたら、そんな雑用できません、そんなことより自分の研究して業績ださないと死活問題というのが現状だと思います。
世代間の対立というのはかなり深刻な事態をひきおこしているかと思います。
団塊の世代は定年を定年制の給与体系のまま60歳から65歳に引き上げました。
一方、若手は任期制に押しこんで使い捨てのままです。
60歳からは任期制に移行、給与も研究能力に応じて緩やかに下降というのが合理的なのに、
なぜそのような制度を作らなかったのか。
法人化して、研究活動を自由化するのではなく、既得権益の確保を自由化した。
法人化して忙しくなって研究活動が低下したなんてウソ。老害が若手を抑圧したから研究活動が低下しただけ。
って、言われたらどう反論するつもり?
今の状況は、任期付きの不安定な若手と、常勤の安定した人たちの対立という点だけでも、立場が真逆な人たちを内包していますから、真逆の意見が出てくるのは、当然だと思います。
アンケートにも多い意見だが、やはり研究成果を出さなくなった年配研究者がポストに居座り続けることにより、有能な若手が辛酸を舐めている状況は本当にまずい。
そしてこれらの年配研究者は大学運営にもかかわっているため、自分たちの既得権益を手放すような政策をとるはずもなく、大学内部からはこの改革は起こることが無い。
実際、お偉方の集まりで構成される生物科学学会連合より提出された声明「行政(国、地方)、企業、大学・研究機関、および研究者コミュニティーに対するお願い」でもこのことには一切触れられておらず、博士問題の解決は民間や政府頼みに終始している。
http://www.nacos.com/seikaren/pdf/2015/seikaren_postdoc_2.pdf
生物科学学会連合のポスドク問題検討委員会メンバーが研究成果を出していない老害とは言わないが、やはり自分たちやその周りにとって不都合となるような政策を大きな声で言うのは難しいだろう。
文科省にも問題は多いが、政府がトップダウンで大鉈を振るわないといけないのではないか。
もうひとつ気になるのは、研究者の中でも、真逆の意見がいくつも有ることです。
データから結論を出すことを生業にしている方々なのに、データなしの感情論で要望を出している回答が多いことにびっくりしました。