2014.04.14 トピックス
論文のオープンアクセス化を推進すべき7つの理由と5つの提案
I. OA化を推進すべき7つの理由
1. 部数が増えてもコストは増えない
2. しかるべき数・分量の論文を出版できる
3. 公表までのスピードが上がる
4. スライドや教科書、一般書籍などで再利用しやすい
5. 情報価値の重み付けがしやすい
6. 不平等な格差の縮小にプラス
7. イノベーションを促進
II. 5つの提案
1. 公的研究費による論文のオープンアクセスの義務化を!
2. 公費による紙媒体の科学雑誌の購読の制限を!
3. 出版後評価の積極的仕組みを!
4. 日本発の論文をアピールする仕組みを!
5. 報道時に論文URLの表示の義務化を!
OA化についてのアンケートも行っておりますので、ぜひご協力ください。
著者らによる第91回日本生理学会大会での同テーマでのプレゼン「オープンアクセスを推進すべき7つの理由と5つの提案」の資料(スライド)もあわせてご参照ください。以下からダウンロードいただけます(外部サイト[包括脳プラットフォーム - XooNIps for CBSN]に移行します)。
・Powerpoint スライド(20 MB)ダウンロード
Sciencetalks でのタイアップ記事「日本はジャーナルのオープンアクセス化推進を戦略とすべし!」より、本記事の著者の一人、宮川と、科学技術・学術政策研究所(NISTEP)科学技術動向研究センターの林 和弘 上席研究官との対談の動画を転載します。Sciencetalksの記事もあわせてご覧下さい。
このサイクルの中で、科学技術研究に関する情報交換、研究者どうしのコミュニケーションの方法が最適化されることは極めて重要なことでしょう。このコミュニケーションの主要な手段として用いられてきたのが、紙媒体を持つ科学雑誌への論文発表という方法です。インターネットと電子媒体の普及によって、この状況は徐々にかわりつつあります。
スピード、コスト、情報量、再利用可能性、情報価値の重み付け。これらは、科学技術研究に関する情報交換が行われる上で決定的に重要な要素であるように思われます。紙媒体との比較において、電子媒体はこれらのどの要素においても圧倒的なアドバンテージを持っているはずです。また、電子媒体中心の論文出版においては、論文1コピーのコストが限りなくゼロに近く、出版までの初期コストしかかからないためオープンアクセス化が必然の流れとなるはずです。
しかしながら、意外にもこの変化のスピードはとてもゆっくりしたものであるように感じられます。この大きな原因の一つは、我々研究者や行政がOA化のメリットを明示的に認識していないということではないでしょうか。本ブログでは、研究者としての視点から「オープンアクセス化を推進すべき7つの理由」として電子化・OA化のアドバンテージを整理し、これを推進するための具体的な方策についていくつかの提案をします。さらOA化のマイナス面として指摘されがちな点についてQ&Aを設けてみました。ぜひ皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただけますと有難いです。なお、OAに関する世界の最新の動向や、より専門的な分析については、当該分野の研究者による論文や発表資料等をご参照ください[1, 2, 3])。
I. オープンアクセス化を推進すべき7つの理由
オープンアクセス化のメリットについて、改めて整理してみました。欠けている視点のご指摘など皆様からのご意見を歓迎いたします。
1. 部数が増えてもコストは増えない
電子媒体では、紙媒体の場合と違って、発行される論文の部数に比例してコストが増加する、ということはありません。それぞれの論文が出版されるまでの初期コストがほとんどを占め、PDF論文が10万回ダウンロードされた場合でも10回しかダウンロードされなかった場合でもかかるコストはほとんど変わりません。「科学技術の知見を世界中の人々にできるだけ広く速く安価に伝えること」を科学出版の目的として考えてみましょう。電子媒体による出版ではいったん論文を出版したらそれ以上はコストがかからないわけです。研究者にはたくさんの部数の論文を販売してそこから金銭的利益を得ようというモチベーションは基本的にはありませんし、現在の仕組みもそうはなっていません(部数が出て利益を得るのは著作権を有する出版社のみです;学会が利益を得る場合も海外ではありますが日本ではほとんどありません)。しかし研究者には成果をできるだけ広く普及させるというモチベーションはあり、成果の普及をどの程度達成するかが、研究費などが採択や人事に影響を与える、というのがビジネスモデルです。この研究者のモチベーションを考えると、論文出版までの実費的コストさえなんとかした暁には、あとはオープンアクセス化してしまうのが目的を達成するために最適な方法であるのは間違いないでしょう。電子論文の閲覧・ダウンロードを無料化すること、つまりオープンアクセス化するのはあまりにも当然のことであり、しない理由を考えつくほうが困難なのです。
しかし、実際にはそこに高い壁があり、現実にはいまだにオープンアクセスではない論文が総論文の半分以上を占めています[4]。なぜでしょう?紙媒体の雑誌が悪玉であると筆者らは考えます。
論文の電子版閲覧・ダウンロードに課金する雑誌のほとんどは紙媒体での出版も同時に維持する雑誌でしょう(そうでないオンラインジャーナルはNature Communicationsなどの一部の例外的な高インパクト雑誌くらいか?)。紙媒体がある雑誌では、なぜコストのかからない論文の電子版にペイウォールを設けてダウンロードに課金しなければいけないのでしょうか?それは、そうしないと紙媒体のものが大学図書館などで売れなくなってしまい、「紙媒体部門」の採算が採れなくなってしまう、あるいは、利益が上がらなくなってしまう、というのが最も大きな理由に違いありません。つまりほとんどの研究者が必要としていない「紙媒体部門」の延命のため本来はコストのかからない電子媒体に課金されてしまっているわけです。言い換えれば、ごく僅かな数の雑誌を手にとってパラパラ読みをしたいという研究者の贅沢な趣味のために、大多数の研究者と研究の原資を出している納税者の負担が強いられているという状況とも言えるでしょう。
2. しかるべき数・分量の論文を出版できる
紙媒体では「紙面の制約」という非常に困ったしばりがあります。
論文がリジェクトされる、という現在の科学出版の仕組みにおいて我々研究者が苦労させられる問題の多くの部分は、この「紙面の制約」に起因していますし、多くのリジェクトのメールでは「紙面の制約」が明示的に書いてあります。
語数制限で論文を短くさせられてしまう、ページチャージ・カラーチャージを取られる、などもこの「紙面の制約」が引き起こしている問題です。それぞれの研究でなされている実験・データの量は、千差万別であり、これらに一律のしばりがあるのはナンセンスなのですが、「紙面の制約」と言われるとそれは仕方がないと納得せざるを得ません。このことから、紙媒体を持つ雑誌では電子版がある場合でも紙面の制約にしばられてしまう、というよく考えるとおかしなことが生じているわけです。
紙面の制約によって、論文の採択率は低く抑えられることになります。さらに出版社も、ジャーナルのインパクトファクターを維持したり上昇させるために、掲載論文数を抑制的にコントロールしたいというモチベーションを持っています(インパクトファクターと論文の評価についてはI-5参照)。論文の採択率の低さは、投稿者に対するエディター・レフリーの優位性を圧倒的にしている大きな要因でしょう。査読の透明性は低く、投稿者はどんなに理不尽なことをされてもほとんどの場合、泣き寝入りするしかないのです。
電子ジャーナルでは「紙面の制約」がありません。電子媒体のみジャーナルとなることにより、論文を受理するか否かの決定は、純粋に科学的、技術的な観点からのクオリティによって判断されるようになるでしょう。少なくとも「紙面の制約」などという言い訳はきかなくなります。電子ジャーナルでは掲載する論文の数、論文の分量は、必要・十分で最適だと考えられる分量をジャーナルと著者がかなり自由に設定することができます。
そもそも「紙面の制約」がないのですから、論文のリジェクトをする理由は科学的、技術的な観点から最低限のルールを満たしているかどうか(統計の標準的な使い方がなされているか、主張がデータから導かられるものになっており言い過ぎでないかどうか、論文としての体裁がきちんと整っているかどうか、オリジナルの研究であるかどうか、動物実験や人を対象とする実験の倫理的問題はクリアしているかどうか、盗用やデータの不適切な加工などの不正がなされていないか、など)、という部分に限定されることになるのが当然でしょう。最低限のルールが満たされていないような場合は、それを満たすようにするためのリバイズのアドバイスを行うだけでいいはずです。出版費用の初期コストさえまかなうことができ、かつ情報の重要度を示す何らかの指標さえあれば、情報は世に出れば出るだけ良いので、リバイズのアドバイスはあるとしてもリジェクトする必要はほとんどの場合ないのです。
電子ジャーナルでもインパクト・ファクターを高くしたい場合があり、その場合は採択率を低くすることがあるではないか、というご指摘があるかもしれません。それは事実なのですが、同時に採択率を高く保つような工夫も可能です。上位ジャーナルでリジェクトされた論文について、別のジャーナルにエディター・レフリーと査読結果を丸ごと簡便に移行する方法があり、これはそのような工夫の一例です。著者の一人の宮川がセクションエディターを務めるBioMed CentralのMolecular Brain(Impact Factor: 4.20)という電子ジャーナルでは、最近、同じくBioMed Centralが発行するBMC Neuroscience(Impact Factor: 3.00)とBMC Research Note(Impact Factor: 1.39)との間で「ジャーナルカスケードシステム」の試験的運用を始めました。このシステムでは、上位のジャーナルでリジェクトされた論文について、下位のジャーナルがその基準を満たしていると判断すれば、(実質的に)新たな査読なしにアクセプトされます。Molecular Brainでは、掲載には、概念的な新しさやインパクトの強さが求められます。一方、BMC Neuroscienceでは、概念的な新しさやインパクトが必ずしもないと判断される場合でも、実験結果そのものが明快で新しければ受け入れられます。また、BMC Research Noteは実験や解析方法に問題がなければ単なる追試の報告でも掲載されます。Molecular Brainにリジェクトされた論文も、ジャーナルカスケードシステムによりBMC NeuroscienceかBMC Research Noteにおいて、Molecular Brainでの査読の内容や状況を踏まえた上で査読が行われて掲載が決定されます。
紙媒体の雑誌は、物理的なスペースも必要とする、ということも軽視できない問題です。図書館や研究室のスペースは有限であり、古いものは廃棄せざるを得ない場合があります。一方、電子媒体であればスペースの問題は全く存在しないと言えます。保存・通信できるデータ量も10年ほど前に比べると飛躍的に増え、ムービーや実験・調査のローデータも論文に加えることが可能になってきています。いわゆるビッグデータ解析や、論文横断的なデータの再解析の重要性も増してきています。ローデータや詳細プロトコルの公開は不正防止という観点でも強力な力を発揮するでしょう(STAP論文で調査が難航している大きな理由の一つはこれらがなかなか出てこないことです)。これらの意味でも紙媒体の論文というのがナンセンスになってきているように思われます。
大量の情報が出版されてしまうと情報が溢れすぎて何が重要かわからなくなる、という危険性もよく指摘されることです。しかし、その論文の重要性や価値については出版後でも前でもいいので別途表示すればいいだけでしょう(I-5参照)。「紙面の制約」という時代遅れの取るに足らない理由で、ジャーナルのエディターやレフリーが情報の重要性や価値の判断を拙速に進め、情報が世に出るのを遅らせてしまう現行の仕組みは明らかに世界の科学の進展を妨げています。
3. 公表までのスピードが上がる
電子媒体で物理的な印刷とその物理的送付の必要がないことが成果公表のスピードを速めることは言うまでもありません。ここでさらに指摘しておきたいのは、出版の敷居が圧倒的に低いため出版前の査読に必要とされていた時間を圧倒的に短縮できる可能性を秘めているという点です。現状の雑誌、特に高インパクト雑誌では、論文の全体的な質を高く保つため、必ずしも本質的でない補助的実験・解析を要求することが多々あります。これによって、研究の成果が世に出るまで1年や2年、場合によっては5年というような長い時間が余分にかかってしまうのは稀なことでは決してありません。
また、紙媒体であれば、一旦出版してしまうと、訂正を行うのが非常に困難で面倒です。ErrataやCorrigendaは可能ですが、敷居が非常に高く、多少のタイポやミスであればそのまま放置する、というのがほとんどではないでしょうか。
一方、電子媒体であれば、本質的な部分をまずできるだけ早く世に出してしまい、きめ細かい改訂作業は出版後に行えばいいという方法も成り立つでしょう。そもそもほとんどの場合、単一の研究発表の中でのエッセンス・本質的なデータというものはそれほど多いわけではありません。その僅かな部分を発表する場合でも、それの裏付けとなるコントロールデータ、補助的データはもとより、その研究が出てきた歴史的背景、研究のモチベーションの説明、得られた結果の解釈の可能性、今後の展開、応用の可能性などなど、必ずしも必要とはいえないような情報を付け加える必要があります。英文の文章もある程度の水準が要求され、英語を母国語としない日本人はこの点で不利でありハンデを背負っていると言えます。科学の世界では、スピードは非常に重要な要素です。2013年に刊行されたOAジャーナル、F1000 Researchでは、論文が投稿された時点で原稿をそのまま掲載し、レビューをレフリーの名前と共に公開で行うというシステムが採用されました。
Cell pressやPNASが採用しているCrossMarkのように最新改訂バージョンのトラックを簡便にできるような方法も既に考案されています。CrossMarkを適用すると、pdf版の論文およびジャーナルサイトのhtml版の論文に専用のリンクボタンが埋め込まれます。これをクリックするとその論文の更新状況の情報にダイレクトにアクセスすることができます[5]。このような手法を活用して、まず成果のキモとなるような本質的なデータを中心にざっくりと出版・公表してしまい、後で補助的データなどは付け足し、考察・イントロなどの文章を追加・推敲したバージョンアップをするというような方法も将来的にはありうるのではないでしょうか。そのような仕組みにより、研究成果の本質的な部分が世に出るまでの時間が圧倒的に短くなることは間違いないところだと思われます。また、この種の仕組みが普及すれば、ある論文の最新バージョンは、紙媒体では掲載されないわけですので、紙媒体の論文の存在意義はさらに低下すると考えられます。
4. スライドや教科書、一般書籍などで再利用しやすい
原著論文でのオリジナルなデータやオリジナルなアイデアというのは、科学上のコミュニケーションをする上での最も基本的なものであり、科学における通貨、科学における米(コメ)のような位置付けではないかと思います。公的な研究費を用いて生み出されたオリジナルなデータ・アイデアはスライドや教科書、各種書籍、Wikipediaを始めとする各種ウェブサイトなどで引用という形式をとりさえすれば自由に活用できるようになるのが望ましいでしょう。Creative Commonsのような形でのオープンアクセスが標準になることにより、科学的知見の普及が飛躍的になされやすくなるのは間違いありません。従来型の紙媒体の雑誌の多くではしかし、全ての著作権が出版社や雑誌の発行母体(学会)にあるという状況があります。論文に掲載されている内容を上記のような用途で再利用するためには、多くの場合、出版社から許諾をとる必要がある場合があります(しかるべき引用の方法さえ踏襲すれば許諾なしで利用できるという考え方もありますが)。論文のPDFファイルを自分のウェブサイトからダウンロードできるようにすることはもちろん、メールで他者に送付するだけでも、この著作権の侵害に当たる可能性すらあるというたいへん不思議なことになっています。きれいに整形された最終版ではなく、未整形の最終的な原稿であれば、機関リポジトリや各種ウェブサイトに掲載しても良い、ということになっている場合が多いわけですが、おかしな話ではあります。わざわざきれいなバージョンを労力と公的資金をかけてつくっているのですから。多少、追加の費用がかかっても、最終版のきれいに整形された論文を自由に配布できる、というのが正常なあり方でしょう。
また、購読型の学会誌では、学会が著作権を保持しているものもあります。あるOA出版社の方からお聞きした話では、こうした雑誌の中には、オープンアクセスによって著作権を著者が保持することに学会が抵抗感を示すという場合が少なからずあるそうです。学会誌は学会のものであるからそこに掲載される内容も学会に属するものだという考えがあるほか、転載料や図表等の使用料から収益を得たいというのがその理由であるようです。その種の収入の額の小ささや世界的なオープンアクセスのトレンドを考えると、こうした収益が今後拡大していくとは思えません。
そもそも、ある研究論文が誕生する際には、誰がどのように貢献しているでしょうか?そして、それによって生まれる権利は誰に帰属されるべきでしょうか?本来は研究を行い論文を執筆した研究者がその発見に最も貢献し権利の帰属がなされるべき対象でしょう。その範囲をもし広げるとしても、せいぜいその研究者の所属機関、研究に出資した人・機関くらいまでではないでしょうか。出版社はその成果を広めることにそれなりの貢献しているとはいえ、それはあくまでも補助的な役割にすぎず、全著作権を所有する、というのは現代の価値観から見るとほとんどあり得ないことではないでしょうか。著作権の出版社への譲渡というのは、科学雑誌の歴史のなかで受け継がれている古いしきたりのようなものかもしれません。科学の黎明期には、印刷・出版は容易ではないことであり、一方、科学的成果の重みは相対的にそれほどのものではなかったのかもしれません。当時は印刷・出版を実現させることに大きな価値があり、その代償として著作権の出版社への譲渡があったのでしょう。情報の公開・普及方法が高度に発達し、極めて安価で容易に実現される現在ではこの古いしきたりは全く意味を失っているだけでなく、科学の進歩を阻害している要因であるといえるでしょう。
5. 情報価値の重み付けがしやすい
電子媒体の普及によって出版の敷居が下がると、当然、世の中に出る論文の数・量が増加します。膨大な情報の海の中からどのようにして自分にとって価値の高い有用な情報を選別して取り入れるか、というのはすでに現状でも既に大きな問題となりつつあります。従来型の仕組みでは、2〜4名程度のごく少数のレフリーとエディターが論文の価値を判定し、世に出すか否かの判断を行うことが論文の情報価値の基本データになるものと多くの研究者に理解されています。つまりレフリーとエディターは雑誌の「格」のようなものやインパクトファクターを漠然と想定し、その雑誌に見合うだけの価値がその論文にあるかどうかを主観的に判断し、その判断がそれぞれの論文の情報の価値や重要度を示すものとして実際上、かなり用いられていることになります。私たちは、ごく少数の専門家の価値判断を受け入れて情報の選別・受け入れを行っているわけです。NatureやScienceの論文は価値が高いと一般的に考えられており、そのような論文を発表していれば、研究費も採択されやすいし人事でも有利なこともあきらかです。
一方、掲載雑誌のインパクトファクターや、「ごく少数のレフリーとエディターの判断」が個々の論文の価値を決めるものでないことは明らかです。高インパクト雑誌に掲載されていても再現性のとれない論文、引用がほとんどなされない論文はたくさんありますし、インパクトがそれほど高くない雑誌に掲載されている論文でも頻繁に引用されたり、果てはノーベル賞受賞の理由になったりすることすらあるわけです。科学論文の価値は多くの研究者による再現性の検証や利用などを経て長い時間をかけて定まってくるという側面が強いはずです。現在最もポピュラーな情報の重み付け方法(雑誌インパクトに頼る方法)は最適なものとは言えません。もっとも、インパクトファクターはジャーナルそのものを評価する指標としては有用です。また、論文の被引用数がピークを迎えるのは発表から2年目前後の期間で、発表直後はあまり引用されないので[6]、論文発表直後の評価の間接的指標としても雑誌インパクトファクターは有効でしょう。
電子論文ですと閲覧数、ダウンロード数などの定量化が行いやすい、ということがあります。Social Mediaでの注目度を指標としたAltmetricsのような今までなかった指標もできてきています[7]。Altmetricsは、WEB上での反応を指標としているため、論文のインパクト(影響度)をほぼリアルタイムで測ることが可能です。また、多くの場合、電子論文では、雑誌のウェブサイト上やPubMed上(PubMed Commons)で論文へコメントをつけたり議論をしたりすることができるようにもなっています。この種の論文出版後のコメント・議論は、その論文の評価に決定的に重要だと思われます。これらに対応する指標は紙媒体では得ることができません。物理的な雑誌を手にとって読んだりコピーされた回数というのは計測がほぼ不能ですので、紙媒体が存在するがために閲覧数、ダウンロード数の指標の価値が下がってしまう、という問題もあります。
紙媒体であれば、低クオリティーのものは売れない、ということで情報の淘汰が起きます。しかし、淘汰というものは本来論文単位で起きるべきものであり、雑誌単位で起こるというのはあまり意味のないことです。ネット時代では、論文単位の淘汰、というのは十分可能になってきているわけですので、「しかるべき数・分量の論文を出版できる」というI-2で述べた電子雑誌の長所も出版後評価にとっては極めて重要です。ある研究論文の価値を評価するためには、そこで報告された結果がどの程度再現性があり、どの程度有用なのか(応用だけでなく基礎的な観点からも)、ということが最も大切なことでしょう。しかし、紙媒体を中心とした出版システムでは、「紙面の制約」のため単に再現性を確認したという研究や、再現性が得られなかったというような論文は極めて掲載されにくい傾向があります。電子媒体ではこのような制限はないため、そのような論文でも掲載されますし、明示的に追試をしただけのような論文も歓迎するとうたっている雑誌もあります(例えば、BMC Research Note)。この点でも、「紙面の制約」を排除することが、より意味のある情報の重み付けを促進することになります。
逆に、オープンアクセスの論文は、「紙面の制約」がないため、出版の敷居が低くなり、そのためクオリティの低い論文が量産されてしまう問題も指摘されています。最近、Scienceに掲載されたオープンアクセスジャーナルに関する記事が注目を集めました。それは、高校程度の化学の知識があり、データを適切に解釈できれば、すぐにリジェクトされるべきと分かるデタラメな内容の論文を、304の査読付きのオープンアクセスジャーナルに投稿したところ、半数以上がアクセプトされてしまったという報告です(中には、日本の国立大学医学部がホストしている、国際的に広く名の知られているジャーナルまでも含まれていました)[8, 9]。しかし、これはオープンアクセスという形式そのものの問題ではないでしょう。出版前の最低限のクオリティチェックとしての査読が機能していない場合があるということ、「出版後評価」というものの仕組みが研究者コミュニティでまだ確立していないこと、が原因であると考えられるからです。前者についていえば、紙媒体のものであっても十分に機能できていない場合があります。先述のScienceの記事では、紙媒体の雑誌を多く発刊しているエルゼビアにホストされたジャーナルも、デタラメ論文をアクセプトしたことが紹介されています。一方で、PLoS やBioMed Central、Hindawi にホストされた複数のジャーナルはきちんとリジェクトしています。Natureのような高インパクト雑誌ですら、図の不適切なコピーアンドペーストや、単純な文章の無断引用が見逃されることもあり、それらが匿名掲示板やPubPeerなどにおいての「出版後評価」によって明らかにされるケースも生じつつあります。STAP細胞論文では、レフリーの気づかなった問題が、匿名のブログや掲示板で次々と明らかにされました。ネットによる出版後評価の力が実証されたといえるでしょう。
また、レフリーの実名や査読の内容を公開するオープンピアレビュー[10]のような仕組みを取り込むことで、査読の透明性も高くすることができます。少数のエディター・レフリーが論文の価値を決めつけるような状況は解消されるでしょう。
出版前のクオリティ・チェックが完璧に機能するということは考えにくく、将来的には出版後評価(とそれを受けた論文改訂)が中心になっていくべきであるように思われます。
6. 不平等な格差の縮小にプラス
日本を含むアジアの国々には、高インパクトの雑誌というものがほぼ存在しません。これがそのような雑誌を持つアメリカ(北米)やヨーロッパ(西欧)の国と、そうでない国の間での不平等な格差を生んでいます。論文のレフェリーは、その雑誌のエディターの知り合いが選ばれるケースが多く、その結果、その雑誌を発行している国、アメリカやヨーロッパの国から選ばれることが多くなると思われます。同じ程度の質の論文であれば、日本から投稿するより、米国の知名度の高い研究室から投稿するほうが圧倒的に採択されやすい、というのは周知の事実でしょう。
このような雑誌の格差が存在するために日本の研究者は大きな不利益を被っているという事実があります。不必要に多くの統制実験を求められたり、査読時に理不尽に長い時間をかけられたあげくリジェクトされ、同様な論文を他から先に出されてしまうような話はよく耳にするところです。
このような格差があるため、高インパクトの雑誌に論文を通すことを裏の(しかし主要な)目的として、米国の著名研究者をビジネスクラス(場合によってはファーストクラス)のチケットを手配して日本に招待し、観光付きの接待を行うようなこともよくあります(もちろん観光などの部分は研究者の「自腹」であることがほとんどですが)。そのような招待&接待を頻繁にすることのできる裕福な研究所や機関とそうでないところとの(必ずしも機関の研究水準レベル、個人の研究能力の差によらない)国内格差も生じていると思います。
また、雑誌のインパクトファクターの過度な重要視は、権威者とそうでない研究者の格差も生み、新しいものが世に出るのを阻害している側面もあります。高インパクト雑誌のレフリーにはその道の権威と考えられるような研究者が選ばれることが多いからです。「権威」というのは必ずしも高齢の研究者という意味でもなく、メジャーな研究室出身の若手PIなども権威です。メジャーな研究室とそこから輩出される研究者のグループのような「権威」はある種の「スクール」的ものを形成し、特定のジャーナルでの論文出版に影響力を持つことも多いと考えられます。そういった「権威」の間で共有される仮説やモデルを新しく提唱したり、それの反証となるようなデータを出版することには困難を伴う場合があります。科学というのは、新しい概念や革新的な物の見方が決定的に重要な世界です。古い権威者というのは、科学の進展、イノベーションを妨げるマイナス要因でしかないでしょう。ある種の老害(これは研究者の年齢を意味しているものではありません)を助長し、若い考えの芽を摘む仕組みでしかないのではないでしょうか。この状況は、スポーツで喩えれば、新参者が試合に出ることができるか否かというレベルで既得権益者が決定権を握ってしまっており、他流の力のある若手が試合にすら出ることができないようにすることがまかりとおっている、というような状況に近いのではないかと思います。
電子媒体によるオープンアクセスと出版後評価が標準的になれば、これらの状況は大きく変わることが期待できます。論文が世に出てその重要性が広く問われている状況というのが、本来の勝負であり、試合であると考えられます。電子ジャーナルの普及によって、この「試合に出る」ための敷居は圧倒的に低くなるでしょう。また、オープンアクセスによって出版後評価は、その道の権威や専門家だけでなく様々な分野の研究者や一般企業なども含めてなされるようになります。(繰り返しになりますが)STAP細胞論文では、レフリーの気づかなかった問題を次々と明らかにしたのは権威者ではなく名もない方々です(実は有名な先生、ということはあるかもしれませんが少なくとも権威者として明らかにしているわけではない)。個々の論文の持つ本当の価値がよりフェアに評価されるようになることでしょう。
7. イノベーションを促進
紙媒体の雑誌や電子ジャーナルを購読しているのは、主に大学や研究所、大企業が中心でしょう。最近では雑誌の購読料の急速な高騰により、これらの機関でも購読雑誌の数をどんどん減らさざるを得なくなっています。名古屋大学がエルゼビア社の電子ジャーナルについて全タイトル(約2,200誌)を読むことができる契約から購読タイトル(約370)のみ読むことができる契約に切り替えたことが話題になったのを始めとして、購読の範囲を狭める機関が続々と増加しているようです[11]。
一つの論文のダウンロードは、数ページしかないような論文であっても、1,000〜6,000円ほどが課金されるのが普通です。ダウンロードするのにアカウントをわざわざ作成しなければいけないこともあります。たいていの場合、ダウンロードにはクレジットカード情報を入力する必要があり、研究費で購入する場合も、自分のクレジットカードを使って後で返金してもらうような方式をとっています。煩雑な事務手続きをする必要がある大学などが多いのではないでしょうか(筆者のうち宮川が客員教授を勤めている生理学研究所では、個別のアカウントは必要なものの、エルゼビアの ScienceDirectについて1論文一律1,000円でダウンロードできるようになっており多少やりやすくなっている場合もある)。電子論文を購入するかどうかは、タイトルとアブストラクトだけで判断せざるを得なく、論文を購入して読むと、とんだ期待はずれでありがっかりするケースも稀ではありません。
このため、ある論文に興味を持った場合でも、論文がオープンアクセスになっているか、所属機関が電子媒体購読をしていない限りよほどでないと読むことはない、というのが実情ではないでしょうか。
このことは、ほんの一部のトップレベル大学・研究機関とその他機関の所属研究者・学生の間の情報格差がどんどん拡大するであろうことを意味しています。
また、国の税金を投入して行われた貴重な研究の多くがこの課金の壁(Pay Wall)によって読まれる機会が激減してしまうことになります。研究成果を発信する側からすると自分の研究を知ってもらえないことは残念なことです。費用を負担する側からみると、せっかくの研究成果を見つけて活用してもらう機会が少なければ国としての研究開発投資の費用対効果も低くなることになります。
科学技術の研究には多様性が必要です。論文オープンアクセス化が幅広い領域にまたがる研究の機会を増やし多分野の協調を促すことは間違いありません。米国の高校生が、オープンアクセスの膵臓ガン研究に関する論文[12]を読んだことをきっかけの一つとして、高感度で安価な膵臓ガンの新診断法を開発したことが話題になりましたが、これはその好例でしょう[13, 14, 15]。国がサポート・投資した基礎研究がイノベーションや新しい産業を生むという形で成功することが国民から期待されています。オープンアクセス化が広まることで、Web上にこれまでにない規模の知識共有基盤が形成され、それはオープンイノベーションを生む土壌となることでしょう[16]。オープンアクセス化の義務化はそのような成功を促進するために最も重要な施策だと思われます。
II. 5つの提案
OA化を推進するための提案です。議論の呼び水となるよう、少し変わったものも入れています。この他にもユニークなご提案ありましたらぜひお教えください。
1. 公的研究費による論文のオープンアクセスの義務化を!
諸外国では、論文発表から一定期間経った後のOA義務化の動きも進んでいますが[1]、日本ではまだそのようなルールはありません。日本でも論文のOA義務化と、それを促す施策を進めていただく必要があるでしょう。
さらに、掲載料の補助制度の拡大も望まれます(II-2参照)。日本では、米国のように論文発表から一定期間経った後でのOA化ではなく、発表時にOAであることを義務化するとよいと思います。
また、機関リポジトリのような場でフォーマットが統一されない状態で論文が公開されてしまうと、ダウンロード数やソーシャルメディアでの言及の数などの一元的把握が困難になり、出版後評価のためのフォローが困難となります。フォーマットされた論文が、出版後評価の各種指標について一元的にトラックできるような形でOA化されることが望まれます。
2. 公費による紙媒体の科学雑誌の購読の制限を!
紙媒体をもつ科学雑誌の購読料金は高額である場合が多く、年間購読費が250万円ちかくになるものもあります。さらに、購入された紙媒体の科学雑誌の保管や管理にも様々なコストが生じるでしょう。これらの費用は、国公立大学や国の研究機関では我々の税金で賄われています。各図書館(室)において、紙媒体雑誌の公的資金を用いた購読は一定のインパクトファクター(例えば10以上)のもののみしかできない、というような制限を設けるというのはいかがでしょうか。「制限」とまでいかなくとも「目安」ということでも十分かもしれません。また、図書館コンソーシアムなどがタッグを組んで、紙媒体雑誌の購読にこの種の基準を設けるということでも良いでしょう。そして、このようにして削減した購読費用を、OA化の促進(OA誌への補助、APCの補助など)にあてる「リダイレクション」を行います。
インパクトファクター10未満の紙媒体の雑誌を購読をやめたところで、ほとんどの研究者にマイナスはないと言ってよいでしょう。それらの雑誌の電子媒体部分のみを購読すればよいわけですし、紙媒体との抱合せ購読のオプションしかない場合は、図書館コンソーシアムでタッグを組んで出版社と交渉するようなことをすれば良いわけです。
3. 出版後評価の積極的仕組みを!
現状では個々の論文の価値は、少数のレフリーとエディターの判断で決められてしまっています。しかし、論文の本当の価値は、再現性の有無や、どれだけ成果が活用されるかなどにより長い時間をかけて定まってくるものです。OA化を通じ、論文の本当の価値が出版後にフェアに判断される仕組み作りを積極的に進めていくことが重要です。そのためには論文や研究者の評価に、論文の被引用数やAltmetricsなど新しい指標を取り入れて行うべきであると考えます。またこの種の数値指標だけでなく、PubMed Commonsやジャーナルのサイトでの論文へのコメント(「再現できない」、「有用である」など)なども考慮にいれることも望ましいでしょう。
研究者の情報を集めたデータベース・サイトであるResearchMap (Rmap)には、研究者の所属や経歴、業績などの情報がリストされています。Rmap上の業績情報に、論文被引用数やAltmetricsなど各種指標が付加され、各種申請書、報告書等にそれらが自動的にフィードされるような仕組みをつくることにより、出版後評価が自然と重視されるようになると考えられます。
4. 日本発の論文をアピールする仕組みを!
日本発の論文で、高IFジャーナルにこそ掲載されなかったが、価値の高い重要な研究成果を報告しているものはたくさんあるはずです。こうした論文を取り上げるオープンアクセスの科学レビュー雑誌やサイト[17]を立ち上げ、紹介された論文に研究費付きのアワードを与えるなどして、日本発の価値の高い論文を積極的に紹介していく仕組みを作っていくのはいかがでしょうか。発表直後の論文だけでなく、発表から少し時間が経ち、再現性や有効性などが確認された「本物の」重要論文も掘り起こして紹介・評価するというようなものです。
こうした雑誌やサイトの登場により、出版後評価を重要視する習慣がさらに広まっていくことが期待できます。出版前評価が主流である現状では、高IFジャーナルを持たない日本の研究者は不平等な状況に苦しめられていますが(I-6参照)、個々の論文の出版後評価が普及すれば、この状況は大幅に改善されることが期待できます。
そのような予算はどこから持ってくるのか、という疑問はあるでしょう。これについては、紙媒体購読の取りやめによって浮く予算のリダイレクションや、HFSPのグラントのようなアワードとリンクさせる(日本は約2500万ドル/年をHFSPに拠出している)というようなことが考えられると思います。大きな国益に繋がることが予想されますので、新たに予算を獲得することの価値は十二分にあるのではないでしょうか。
5. 報道時に論文URLの表示の義務化を!
現在、研究成果がプレスリリースされるときは、内容は大雑把にまとめられてしまい、論文自体の情報はせいぜいジャーナル名が言及される程度です(論文へのリンクを載せることに抵抗がある理由にの一つには、Pay Wallが存在し論文販売の宣伝のようになってしまうということがあるようです)。マスメディアが研究成果を報道する際に少なくとも電子媒体においては論文のURLを記載することを原則義務化することを提案いたします。論文へのリンクと論文OA化の相乗効果によって研究者のみならず一般の方にも原著論文が読まれる機会が大きく増えるでしょう。義務化とまではいかなくとも、研究者側(学会や日本学術会議、総合科学技術会議など)がガイドラインを提示する、ということでもよいでしょう。国民の科学リテラシーの底上げにつながり、イノベーションの促進(I-7参照)にも貢献することが期待できます。
III. Q & A
以下は、OA化を推進することのネガティブ面について検討してみた想定問答集です。これ以外にも何かOA化のネガティブ面を思いつかれましたらぜひお教えいただけますと有難いです。
Q1. オープンアクセスでは受益者負担の原則が守られないのでは?
A. そもそも現状の雑誌購読システムでも、受益者負担の理念が達成できているとはいえません。大学・研究機関の図書館(室)がバルクで購読契約するので、必ずしも読者が負担するわけではありません。まったく読まれない論文も多く、予算は国費、すわなち、我々の税金から出ることがほとんどです。また、電子版論文(PDF)のダウンロードの課金も紙媒体の維持を目的としており、利益が出た場合も出版社・学会が儲けるだけで、受益者負担を目的としたものではありません。
Q2. 「つまらない論文」が増えてしまいノイズになるのでは?
A. ネガティブデータの論文や単に再現性の確認をしただけの論文は、紙媒体のジャーナルでは出版しにくい「つまらない論文」かもしれません。しかし、出資者の観点からすれば、「同じ研究を繰り返すことを避け、研究開発コストを抑える」ような便益があるはずです。同じような実験を行おうと思っていた研究者にとっても同様な利益があるでしょう。
また、電子媒体/OAでは、Altmetricsのような指標や、PubMed Commonsやジャーナルのサイト上での論文へのコメントなどを利用した出版後評価により、容易に有用な情報を取り出すことが可能です (I-5参照) 。
Q3. 紙に印刷して配られる達成感・喜びがなくなるのでは?
A. 「紙に印刷して配られる達成感・喜び」というのは、これまでの経験によって条件付けられた自己満足にすぎないでしょう。最初から電子媒体のみであれば、それで喜びが得られるようになるはずです。既に「紙に印刷して配られる達成感・喜び」で条件付けられてしまっている人は、電子媒体での喜びを新たに学習をすることが期待されますし、おそらく新しさを求めるのが職業の研究者にはこれは十分可能でしょう。
また、電子ジャーナルでも抜き刷り印刷サービスがあるものがあり、どうしても、という場合はこのようなサービスを使えばよいでしょう。
Q3. オープンアクセスジャーナルから出すと高くつくのでは?
A. 論文出版のための初期コストは、論文出版加工料(Article Processing Charge, APC)で通常カバーされます。論文出版加工料は10〜40万円ほどかかることが多く、これがオープンアクセスジャーナルから出すと高くつくというイメージに繋がっているのではないでしょうか。大学・研究機関の図書館(室)が紙媒体の雑誌の購読をするのに莫大な費用を出していることや、学会等の発行主体が掲載の補助を出していることなどが、見逃されています。これらの費用を何らかの形でオープンアクセスジャーナルの掲載料に振り替える仕組み(リダイレクション)を作ることは可能なはずです。
一報の論文で使われている研究費はかなりの高額になります。出版にかかる費用として10〜40万円がかかるとしても、その10倍、場合によっては100倍にものぼる研究費が使われているわけです。出版費用と研究費との比率と、出版というものの科学における重要性(著作権を全部移譲しても文句を言わないくらいの重要性)の双方を考えると、出版にかかる費用は無視できるくらい小さなものであると言えなくもありません。
また、紙媒体のジャーナルでも掲載に10万円以上必要なところもあり、ページ・チャージ、カラー・チャージなどを含めるとそれほどかわらない場合もあることも忘れてはいけないでしょう。
Q4. オープンアクセスジャーナルのインパクトは低い?
A. 紙媒体のジャーナルでは、一定レベル以下の雑誌は購読されずインパクトファクターが低くなってしまうため、インパクトファクターの高低の幅は極端になります。中には0に近いような極端に低いインパクトファクターの雑誌もあります。一方で、オープンアクセスのジャーナルでは、論文を読みたい人がいれば誰でも論文を読むことができるため、インパクトファクターは極端に低くなりにくい傾向があります。
Pay Wallをもうけたジャーナルからオープンアクセス誌に移行したことで、インパクトファクター(IF)が増加した例が報告されています。2008 年にBMCに移行したJournal of Cardiovascular Magnetic ResonanceではIFが倍増しました(2008年: 2.15 → 2010年: 4.33)。Journal of Experimental & Clinical Cancer Researchでも移行前と比較して IFが増加した(2008年: 1.18 → 2010年: 1.92)ほか、投稿数も移行時期から 3 倍以上 に伸びています[18]。
また、2009年にオープンアクセス誌として立ち上げられた神経科学のジャーナル・Molecular Brain は、一昨年に初めてインパクトファクターが付きましたが、その値は4.20でした。同誌の発行母体であるAssociation for the Study of Neurons and Diseases (AND)は、メンバー数が数十人ほどの小学会に過ぎません。一方、大きく有名な学会にホストされたJournal of Physiology とJournal of European Neuroscienceという同分野の有名誌のインパクトファクターはそれぞれ、4.38と3.75(いずれも2012年度)ですから、Molecular BrainのIFがかなり健闘していることが分かります。このように、オープンアクセス誌のインパクトファクターは低いというのは間違いであると言えます。
Q5. 出版後評価の比重が高まると高IF誌での論文を業績を持つ研究者が不利になるのでは?
A. 高IF誌に論文が掲載されれば、よりたくさんの研究者の目に触れる可能性が高まりますので、引用数やAltmetricsなどの出版後評価の指標も高くなることが期待でき、むしろ有利であると考えられます。ただ、再現性が得られないとか間違っていたりすると、次第に引用されなくなりそのようなメリットが享受できなくなっていく、ということはありえます。[4/15 追記]
Q6. 著作権収入を生業にしている科学ライターのような人にマイナスになるのでは?
A. ここでの議論は、出版社や学会のみが収入を得るような一般的な学術出版を対象にしたものです。著者に著作権収入が得られるような出版物は対象にしておりません。[4/15 追記]
Q7. ソーシャルメディアで言及数が多い論文は、一般の方の目に面白そうなもの。出版後評価は、ほんとうに機能するのか?
A. ソーシャルメディアでの言及数が良い指標、と必ずしも言えないことは確かでしょう。これは様々な指標のうちの一つでしかありません。出版後評価の指標として論文の引用数を使うだけでも、状況はずいぶん改善されると思われます(これも完璧な指標とは言えませんが)。[4/15 追記]
リファレンス
1. 林 和弘, 新しい局面を迎えたオープンアクセスと日本のオープンアクセス義務化に向けて, 科学技術動向研究, 2014, 142, 25-31. (PDFファイル)
2. 林和弘, 新しい局面を迎えたオープンアクセス政策, 日本学術会議フォーラム, 2014
3. 林和弘, 日本型オープンアクセス出版の可能性 -学会の立場からのオープンアクセス, SPRC News letter, 2010, 6.
4. 倉田 敬子, Open Accessはどこまで進んだのか(2)オープンアクセスはいかに実現されてきたのか, SPARC Japan news letter, 2012, 14, 5-8. (PDFファイル)
5. CrossMark™ Update Identification Service Launches to Alert Readers to Changes in Scholarly Content, 2012
6. Dashun Wang et al., Quantifying Long-Term Scientific Impact, Science, 2013, 342(6154), 127-132.
7. 宮川 剛, 科学技術研究における多様なメトリクスの重要性一研究者の視点から, 情報管理, 2012, 55(3), 157-166. (PDFファイル)
8. John Bohannon, Who’s Afraid of Peer Review? Science, 2013, 342(6154), 60-65.
9. Richard Van Noorden, Publishers withdraw more than 120 gibberish papers, Nature News, 2014, doi:10.1038/nature.2014.14763.
10. Peer review under scrutiny, BioMed Central blog, 2013
11. 名古屋大学、Elsevier社の電子ジャーナルの契約を個別タイトルの契約に変更, カレントアウェアネス・ポータル, 2014
12. H. C. Harsha et al., A compendium of potential biomarkers of pancreatic cancer, PLoS Med, 2009, 6(4), e1000046.
13. Innovative Cancer Test, Garners Gordon E. Moore Award, 2012
14. Jack Andraka and Glen Burnie, A Novel Paper Sensor for the Detection of Pancreatic Cancer, 2012
15. Jack Andraka, Promising test for pancreatic cancer form teenager, TED, 2013
16. 栗山正光, オープンアクセス関連文献レビュー:「破壊的提案」から最新の議論まで, 情報の科学と技術, 2010, 60(4), 138-143. (PDFファイル)
17. 提言 学術誌問題の解決に向けて― 『包括的学術誌コンソーシアム』の創設 ―, 日本学術会議・科学者委員会学術誌問題検討分科会, 2010 (PDFファイル)
18. The careers of converts – how a transfer to BioMed Central affects the Impact Factors of established journals, BioMed Central blog, 2014
藤田保健衛生大学 教授・宮川 剛; 助教・小清水 久嗣
(この意見は筆者が所属する組織の意見を反映しているものではありません)
[I] 紙媒体をもつ科学雑誌の購読料金は高額なものが多く、国公立大学や国の研究機関の図書館(室)ではこの費用は我々の税金でまかなわれています。紙媒体雑誌の購読を大幅に縮小し、その資金をオープンアクセス化(OA化)の促進に充てる「リダイレクション」を行うというアイデアがあります(II-2参照)。この資金で著者への論文出版加工料(APC)の補助や、ジャーナル発行母体への補助などを行うことが具体的に考えられます。こうした補助の形式や、購読縮小の対象とする紙媒体雑誌の選定の基準など、具体的な内容は別途検討することとし、選択肢を選ぶ上で考慮に入れないでください。
[II] 論文の評価は、多くの場合、掲載雑誌のIFを中心になされているのが現状です。これは論文の価値が出版前に少数の編集者や査読者に決められてしまっていることを意味していますが、科学論文の本来の価値は再現性の検証や成果の活用などを経て長い時間をかけて定まってくると考えられます。出版後評価の仕組みが拡充されることにより、研究成果発表のスピードアップ、雑誌IF至上主義からの脱却、評価の透明性の向上などが期待されます(I-5, I-6, II-4参照)。
[III] 高IF誌に論文を掲載したい場合、事実上、欧米の雑誌に投稿することになります。そこでは、日本から投稿された論文は欧米諸国からのものに比べアクセプトされにくい、という不平等な状況があると考えられます(I-6参照)。
コメントを新着順に表示させるため
コメントはできるだけ下のボックスからご入力ください。