日本の科学を考えるガチ議論
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政府による大学改革について直接お役人にきいてみた(8月7日 回答を加えました)

ツイッターまとめ
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前回の、ノーベル賞の量産についての私の記事に対して、文科省の斉藤卓也氏(現在は内閣府に出向中(科学技術政策担当大臣秘書官))と電話でお話をする機会がもてました。

こんどう
「えー、この間のノーベル賞の話です。科学技術基本法でノーベル賞50年で30人を目標と言っていたのに、直後から、それを上回るペースになってしまい、文科省としては、どう考えているのかな、、という。」

斉藤
「まあ、自分はその基本法にかかわっていなかったので、詳しい経緯はわかんないんですけど、当時は、欧米の先進国並みにということで。でも、内部でも、ノーベル賞の数で短絡的な目標にすることを疑問視する意見もありました。」

こんどう
「でも、結果からすると、既に日本はかなり以前から、先進国並みのレベルであったということになりますよねえ?」

斉藤
「そうですね。この間のノーベル賞はアメリカに次いで2位という事ですから。でも、ノーベル賞の対象になっているのは、かなり前の業績だから、今、日本がそのレベルであるかどうかはわからないと思います。最近、論文の質も量も、海外に比べて顕著に減っている、というデータがありますから。だから、何とかしなければいけないという意識は強く持っています。」

こんどう
「いや、だからその”改革”が問題ではないかと思うのですよ。」

斉藤
「というと?」

こんどう
「改革の基本的な考えは、大学等の研究機関に対し、恒常的に配られるお金を削減していき、浮いた分を競争的な資金とし、いろいろなプロジェクト、しかもかなり短期間のものに集中して与える、ということですよね?」

斉藤
「これまでは、だいだいそんな方針でした。」

こんどう
「でも、競争的資金を取りに行く過程で、研究者があまりにも忙しくなって疲れてしまう。大学や研究科単位で大きなお金を取りに行くときなどに駆り出されるのは、その時に成果が挙がっている人たちです。最先端で活躍しているその人たちが、全く別の予算獲得に精を出せば、当然、研究へのエフォートは減り、業績も伸び悩んでいるのではないかと。」

斉藤
「今までは確かにそうだったのですが、今後は、これまでのように、新しい制度を作って5年くらいでどんどん入れ替わる、ということにはならないと思いますよ。」

こんどう
「というと?」

斉藤
「競争的にさえすればいい、という考えはもうあまり残っていないのです。そのデメリットは、皆さんと同じように我々も感じていますので。ですから、今後の制度については、今、まさに試行錯誤中であり、それが”交付金、競争的資金の一体改革”と最近言われていることの意味です。できれば、今ほど短期間でなく、かといって無条件に恒久的でもないシステムができれば、と思ってはいるのですが。その辺で、お知恵を拝借したいというのが、対話型政策室を設置した理由でもあります。」

こんどう
「結局のところ、行政側と現場研究者が知恵を出し合って、なんとかまともな方法を作っていくしかない、ということでしょうか?」

斉藤
「ノーベル賞の件で、闇雲に欧米のシステムをまねればよい、というものでもないことはわかりました。でも、それだとお手本がないということですから、新しいシステムを創造することが必要です。ご協力よろしくおねがいします。」

・・・ここまで

何といいますか、文科省自身が、日本の科学のレベルを見誤っていたことをついて、少し非難してやろうかと思っていたのですが、なんだか、うまくかわされてしまった感じです。私の力不足もあると思います。もっと、バトルを期待してくださっていた方がいたら、申し訳ない。しかし、これまでのやり方(5年で終わってしまうプロジェクトを延々と出し続ける)に対して、内部での反省がちゃんとある、というのは少し安心しました。

さて、文科省に対する意見ですが、もっと突っ込みどころはいろいろあると思います。是非、皆さんも突っ込んでみてください。
この記事へのコメントという形でも良いし、ツイッターでつぶやいてくれてもOKです。先方がなかなか時間が取れないので、全てというわけにはいきませんが、ガチ議論スタッフが取り次いで、回答を聞いてまいります。非常に鋭いご意見に関しては、その突っ込み主とお役人の直接対決場を、学会でのガチ議論本番の中で、あるいは、それ以前に機会を作って、設定させていただきます。
よろしくお願いいたします。

近藤 滋
(この意見は筆者が所属する組織の意見を反映しているものではありません)



*8月7日追記

8月6日にガチ議論スタッフの宮川が斉藤さんにお会いして質問してきました。以下、回答です(掲載についてはもちろん斉藤さんのご了承済みです)。
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質問1)研究教育に対する投資総額が増える可能性はゼロか?

斉藤:ゼロではないと思います。研究や教育が重要でない、というような意見はほとんど聞いたことがありませんし、むしろ、これからの日本を支えるのは研究教育である、という意見が主流です。ただし、研究教育に現在投資されている額の中での最適化の努力がアカデミアの中で十分されているのか、ということがあります。研究コミュニティが、外部の人、例えば、民間企業の方々や政治家などからみて、どう見えているか。投資総額を増やすという議論は、現在の予算の最適化の努力がなされていることが前提となるのではないでしょうか。財務省は、文教科学予算は最後の聖域として守られてきており、他の分野は厳しい合理化をすでに行っていると主張していますし。
多くの大学で最適化が進んでいないように見えるのはなぜでしょう。今回の人文系の話でも、研究者人口が少ないマイナーな分野だが、しっかり成果を出し、外から貢献が認められているような仕事、オンリーワンの研究としてコミュニティで認められている仕事をなくせという話とは全く別だと思っています。
ただ、様々な観点があり評価が難しい面はありますが、しっかり成果を出しているとは言いがたい部分は、コミュニティの中で自浄作用を発揮し、合理化すべきは合理化して、限られた予算を最適化してくださいという話かと思います。そういう部分を大学はそのまま放置していて有効な対策をたてていないように外部からは見えてしまっている、ということではないかと思います。そういった改革を補助するような様々な施策を文科省が打ち出していて、逆にそれが負担になってしまっているという意見も聞きます。しかし、それらの施策は、外部からの様々な厳しいご意見と、大学側、研究者の方々のご意見とバランスを取って反映させつつ作っているものです。施策に問題があるのであれば、大学側、研究者側からいろいろご意見を頂き、一緒に議論をして、より良いものに変える機会は常にあると思います。
痛みも伴う改革もやっていて、その結果、現在投資されている額が最大限活用されている、ということが外から見えるようになって、はじめて投資総額を増やそうという話が説得力を持つということではないでしょうか。
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質問2)全く競争的でないトップダウンの大型予算の存在は、競争的という題目と整合性はあるのか?

斉藤:社会的課題に対応するために要請される大型プロジェクトについても、従来の交付金やボトムアップの枠組みで最適化されて対応できていればトップダウン予算で選択と集中をしようという話にならない気もします。売上の8割は、全従業員のうちの2割で生み出しているなどという俗説もありますが、仮に、2割の活躍している人が全体の8割の成果をあげているとしましょう。その2割の活躍している研究者に資金を投資したほうがうまく使ってくれるのでないか、というかという気持ちがあるわけです。ノーベル賞、学会長、など有力な先生方はその2割に入っているだろう、そのような先生方の審査で大型予算を配分すると良いのではないかいうことになる。そうでないとすると、総額は同じで最大の成果をあげるための一番いい仕組みを研究者コミュニティの皆さんで検討してエビデンスを出していただき、役所も一緒になってそれを議論して、それに沿った制度を作れば良いと思います。一番実態をわかっておられるのは、その研究費を使い、成果を見ている先生方だと思いますので。
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質問3)広く浅く的なプログラムを今後増やす可能性は?

斉藤:ポートフォリオをどう組むかという話だと思います。「広く浅く的なプログラム」を増やしたほうが最適化に近づく、というエビデンスがもしあるのであれば、そういう方向に動くでしょう。しかし、エビデンスがない、科学的な正解というものがないのであれば、ポートフォリオをどう組むか、を決めるのは、結局はふわふわした世論のようなものになるのではないかと思います。大学・研究機関だけでない様々な団体や民間企業などの様々な意見を踏まえ、世の中がどう感じるかではないかと思います。
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質問4)過去の政策について、マイナス面も含めて文科省自身が検証したり、誰かが何らかの責任を取ったりしないのか?

斉藤:検証はしています。もともと政策評価システムという仕組みもありますし、事業仕分け、事業レビューなど、外部からの厳しいご指摘を受けることもあります。ただ、官僚は1~2年のような短い期間で配置転換になることが多く、責任者がわかりにくくなっている面はあるかと思います。
科学の大型プロジェクトについていえば、成功か失敗かの客観的な判断はなかなか難しいのではないでしょうか。そもそもそういう判断をアカデミアの方々の中で合意することができるでしょうか。科学的に「これは失敗でした」というような報告がなされれば動きはあるかもしれませんが。特に大型のプロジェクトで目指すものは、単に論文数だけでなく、インフラ整備や人材養成など様々な観点があり、それを推進した官僚や研究者が責任をとるほどに明確に失敗と判定するのは難しいのではないかという気がします。そもそも予算が厳しいので、明らかに質が悪い政策には予算も付きませんので。
様々な観点があるにしても、もう少し科学的根拠に基づいて科学技術政策を評価し、作っていこうということで「科学政策のための科学」というようなプログラムが立ち上がっており、難しいチャレンジながら活動が進んでいます。

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