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私達が望む神経科学の研究環境―よりよき現在と未来へ向けて Neuro2024ランチョン大討論会開催!

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2024年7月に福岡で開かれるNeuro2024にて「ランチョン大討論会 〜私達が望む神経科学の研究環境―よりよき現在と未来へ向けて」を開催します! 政府は「科学技術・イノベーション基本計画」を策定し、長期的視野に立って体系的かつ一貫した科学技術政策を実行することとなっています。具体的には内閣総理大臣からの諮問を受けて、総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)において、基本計画が策定されます。基本計画は、これまでにImPact、SIP、ムーンショット、国際卓越研究大学等の政策に大きな影響を与えてきています。現在進行中の「第7期科学技術・イノベーション基本計画」に向かって、神経科学分野の特徴も踏まえつつ、研究費やキャリアパス等について、現場の研究者、特に若手の皆さまからの意見を集約して計画にフィードバックすることを通じ、よりよい研究環境を創っていきましょう! 前回同様、X(旧Twitter)にてハッシュタグ #大ラン討 にてご意見も募集します! 当日会場では豪華ランチを提供予定です! 日時:2024年7月27日(土)12:15~14:15 場所:Neuro2024(第47回日本神経科学大会・第67回日本神経化学会大会・第46回日本生物学的精神医学会年会・第8回アジアオセアニア神経科学連合コングレス;福岡国際会議場第3会場) パネリスト(五十音順) – 加藤 郁佳:マウントサイナイ医科大学・ポスドク、日本神経科学学会・将来計画委員会・委員 – 金井 良太:(株)アラヤ・代表取締役 – 久保 郁:理化学研究所・チームリーダー、日本神経科学学会・将来計画委員会・委員 – 後藤 由季子:東京大学・教授、生物科学学会連合・副代表 – 高橋 良輔:京都大学・教授、日本脳科学関連学会連合・代表 – 東原 和成:東京大学・教授、生物科学学会連合・代表 – 林 和弘:文部科学省科学技術・学術政策研究所・データ解析政策研究室長、日本学術会議・ 学術体制分科会・委員長 – 宮川 剛:藤田医科大学・教授、日本神経科学学会・将来計画委員会・委員長、日本科学振興協会(JAAS)・副代表理事 – 山中 宏二:名古屋大学・教授/副総長、日本神経科学学会・理事長 – 柚﨑 通介:慶應義塾大学・教授、日本神経科学学会・前会長、日本学術会議・神経科学分科会・委員長 主催: 日本神経科学学会・将来計画委員会 共催: SciREX「安定性と流動性を両立したキャリアパスの仕組みについての定量・定性的研究」プロジェクト 後援:日本脳科学関連学会連合、生物科学学会連合、日本科学振興協会(JAAS) 協力:小清水 久嗣(藤田医科大学・URA室長/教授)、サイエンストークス

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インパクトファクター至上主義からの脱却を目指そう

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インパクトファクター至上主義からの脱却を目指そう 藤田医科大学・宮川剛 私は、個人としてDORAに署名し、また日本神経科学学会の将来計画委員会・委員長として学会のDORA署名にもたずさわりました。私が所属している団体としては、他にも日本分子生物学会、日本生物科学連合が署名をしており、日本科学振興協会(JAAS)による署名は私が関係するものとしては少なくとも5つめの署名ということになるかと思います。 DORAの宣言の中で指摘されているようにジャーナル・インパクトファクター(JIF)偏重が数多の深刻な弊害を科学コミュニティにもたらしていることは疑いようがありません。しかし、DORAが発出されてから11年以上が経過しDORAへの日本からの署名も増えているにもかかわらず、正直、日本でのジャーナル・インパクトファクター至上主義は、未だほとんど改善されていないと断言して差し支えないでしょう。DORAへの署名はJIF至上主義から脱出するための重要な一歩ではありますが、現在でもはびこるJIF偏重を見れば、それだけでは全然十分でなく、そのための具体的な策を研究コミュニティが立案し実行していくためのロードマップが必要であることを示しているように思います。ここでは、JIF偏重がなぜ生じ、なぜダメなのか、その欠点を改めて復習し、それを解消するための私なりの策をいくつか提案させていただきます。 要点 JIFが、論文や研究者の質の評価指標として不適切に使われている。 JIFの欠点には、1) 再現性と有用性の評価の欠如、2) 不適切な競争の助長とムダの生産、3) 研究不正の助長、4) 出版バイアスの助長、5) 盛りすぎ広報の助長、などがあり、JIF至上主義は科学の進歩を遅らせる科学の敵といって過言ではない。 JIF至上主義を克服するために、A) 出版後評価の拡大、B) 即時ゴールドOA義務化と高IF誌の出版コストの可視化、C)サウンドネス基準のジャーナルを増やす、D) 論文の価値評価を行う総説誌を立ち上げる、などを提案する。 1. JIFの社会的機能 JIFの弊害が叫ばれる中、これを偏重する文化はなぜ無くならないのでしょうか?それは、JIFにはある種の社会的機能があるからであり、この機能があまりに便利すぎ、必要不可欠な存在となるまでにアカデミアに深く組み込まれてしまっており、事実上、手放すことが困難だからです。 その社会的機能と一言で表現すれば、研究評価と広報の機能になるでしょう。各ジャーナルでは、投稿されてきた論文の原稿の技術的・科学的健全性、独創性・新奇性、学術的・社会的インパクトなどが、担当のエディターと2~4名程度の査読者によって評価されます。この査読による評価は、一般的にJIFが高いジャーナルほど厳しく、そのジャーナルから出版される平均的な論文の「質」がJIFに代表されているとぼんやりと考えられています。これは、「ぼんやりと考えられている」だけなのであって、実際にはそのようなことは必ずしもないことも一方で理解されており、DORAでも「研究評価ツールとしてのインパクトファクターの欠点について数多くの指摘がなされている」と記載されていますが、これは裏を返せば、インパクトファクターが研究評価ツールとして実際には用いられているということです。 アカデミアでは、研究費の審査や人事、学会賞などの審査において、当該の人が出版した学術論文を評価する必要があります。この評価は、その人が得る研究費、ポスト、研究者としての社会的名声などの基盤になり、研究を継続することができるか否かも決めますので極めて重要であり、ある程度の実績とポジションを有する研究者にとっては、他の研究者を評価する業務が日常的な作業の少なからぬ部分を占めています。しかしながら、これらの他者を評価するような立場の研究者(多くの場合、准教授や教授などのいわゆる研究室主催者)は、様々な業務であまりに多忙で、個々の論文を評価する時間を取ることが事実上、ほぼ不可能なのです。自分自身の研究に費やす時間すら十分に取れていない一方で、JSPS、JST、AMEDや各種財団の研究費など、機関向け競争的資金の種目数は膨大で、賞の選考、人事なども多数あります。これらの評価・選考に関わる人材は限られていて数が足りておらず、しかもどの選考でも応募者の数が膨大な数となることが多く、個々の論文をしっかり読み込んで評価を行うための時間が圧倒的に欠如しているのです。いくら真摯に評価をしようと考えている審査員でも100人もの応募者の論文すべてを読むことができるわけがないですね。このような状況の中で、評価者/審査員が自分自身でオリジナルな評価・審査をせずとも使える極めて便利な数値的評価指標がJIF、ということになるかと思います。JIFは論文評価の代理指標、サロゲートマーカーであるわけです。 私も各種の審査をする機会をかなりいただきますが、複数の賞や研究費の選考で、ある種の実験を行ったことがあります。申請者の論文実績について各論文のJIFと被引用数を調べ、それぞれ足し合わせるということをアシスタントに行ってもらいました。それだけをもとに仮の評点を機械的につける、ということをしてみました。これらの選考では、他の審査員の評点がわかるようになっていたのですが、機械的に計算した評点と他の審査員全員の平均評点の相関をみてみますとこれが極めて高い。とある選考おいて、それぞれの審査員の評点と、その審査委員以外の審査委員全員の評点の相関を、それぞれの審査委員ごとにだしてみると、なんと機械的に計算した評点の相関がトップにきた、ということがありました(その際の審査員の人数は通常のものよりも多い審査でした)。つまり、JIFをサロゲートマーカーにして審査をしていれば、大きくは外すことはないのであり、逆にいえば、多くの審査員はJIFの計算を(おそらく)頭の中でわりと雑に行い、その他もろもろで多少の調整をしているだけな場合が多いのではないか、と推測されます。これが事実であるとすれば、私たち評価者が行っていることは機械による計算にまかせてしまったほうがよいのではないか、ということになります。 これは、別の見方をしますと、研究コミュニティは、各論文ひいては研究費の申請や研究者そのものの評価をジャーナルのエディターと査読者に丸投げしてしまっている状況に近いといえます。誰がどのような研究費/人事/賞の審査をしようとも、このようなJIFに依存した評価では同じような結果になってしまい、高IFジャーナルのエディターと査読者が莫大な力を持ってしまうことになるのです。日本には高IFジャーナルはほとんどありませんので、日本の科学技術は高IF誌に研究の方向性のイニシアチブを取られて過小評価をされることにもなってしまっているのではないでしょうか。 JIFには、加えて、このような論文の評価機能から派生した広報機能があります。世の中には、日々、膨大な論文が出版されており、個々の研究者が専門とする狭い分野ですら、そのすべてをフォローして読み込んでいくことは不可能です。しかし、多くの研究者は、先端を切り開くような論文について常にアップデートされた状態であることを望みますので、それをサポートするような何かが必要となります。JIFの高いジャーナルの目次をざっと見るということは、分野の最先端にキャッチアップするための有効な手段であり、著者側から見れば、そのようなジャーナルに掲載されることは大きな広報効果を持つことになるわけです。高いJIFのジャーナルは、ジャーナル独自の広報・プレスリリースを行うこともありますし、そのようなジャーナルに掲載された論文は、著者やその所属機関がプレスリリースを行う場合もあり、その広報効果にはされにレバレッジがかけられることになります。 2. JIF偏重はなぜダメなのか? 研究評価と広報の機能を担い、「研究評価ツール」として活用されてしまっているJIFですが、DORAの主張するように「数多くの欠点」があります。その欠点を簡単に整理してみます。 欠点1: 再現性と有用性の評価の欠如 現状、JIFは、論文の評価ツール、研究の質のサロゲートマーカーとして使われてしまっているわけですが、研究の評価の上で極めて重要な2つの観点が決定的に欠落しています。それは、その論文で報告する結果やアイデアの再現性と有用性です。 科学技術がアートや宗教などと大きく異なる点の一つは再現性です。論文で記載された方法に従って実験・調査を行えば、原則的には同様な結果の再現性が得られるはず、ということ、科学はそのような意味で普遍性がある、ということです。ただ、実際には再現性が得られないことは多々あり、論文の半分から50~70%もが再現性が得られないという報告(1,2)もありますので、報告した現象が再現できるか否か、再現性が高いか低いかというのは、その論文の評価の重要な指標となるべきです。研究がきちんと行われている限りは結果の再現性が得られない論文の価値がゼロというわけでは必ずしもないのですが、再現性の高低が論文の価値の重要な指標の一つであることに意義を唱える人は少ないでしょう。 また、出版後、ある程度の時間がたったあとに、その論文で報告したものが有用であったか、広い意味で役にたったか、というのも重要な評価指標です。有用である、役にたつ、というのは、広く社会に実装され利用されるという意味ももちろんありますし、純粋に学術的な仮説や理論の構築の上で後続の研究の役にたったのか、世界の知識基盤の総体を拡大することにどの程度役にたったのか、というような視点ももちろん含まれます。 科学の本質とも言える再現性と有用性は、ある程度の時間の経過がないと評価ができません。したがって、本来、論文の本当の価値は出版後の中・長期的な評価で決まると断言して差し支えありません。高IFのジャーナルの査読では、”Conceptual advance”や、”Broad interest”が評価の視点の重要な部分を占めますが、出版後に再現性のないことがわかった結果に依拠した”Conceptual advance”は「概念の進歩」とはなっていなかったことになりますし、出版後に(社会実装でも学術的にも)「使えない」とわかった論文は当初”Broad interest”があったとしても、世の中からの関心はなくなっていくはずです。独創性・新奇性がいくら高くても、再現性と有用性がゼロであるような研究はその価値もほとんどないといっていいでしょう。再現性も有用性も、中長期的な時間の流れの中で、研究コミュニティや社会が徐々に決めていくものであり、エディターや査読者が出版前に決めることができるものではありません。科学技術の本質である再現性と有用性の観点の欠如は、研究評価ツールとしてのJIFの決定的な欠点と言えるでしょう。 欠点2: 不適切な競争の助長とムダの生産 JIFを高くするためのジャーナル間の競争は、著者らの不適切な競争を招き、多大なムダを生産してしまっています。ジャーナルがJIFを高くするためには、「質の高い」と推定される少数の論文のみを採択することが重要です。このため、科学的・技術的に健全であっても多くの原稿がリジェクトされてしまいます。リジェクトされた原稿は、他のジャーナルに再投稿されるわけですが、投稿のための労力(フォーマットの変更や、各種投稿手続き)や査読のための時間(2週間から2ヶ月程度)が浪費されます。リジェクトによる心理的ストレスとそのストレスからくる生産性の低下も、おそらく膨大なものでしょう(どなたかに推定してみていただきたいところ)。 採択に至る論文であっても、「質を上げる」ための実験・調査の追加などの改訂を要求され、出版が遅れることが多々あり、論文の初投稿から、高いIFのジャーナルを狙ったがゆえに出版まで2年かかってしまった、というようなことも稀ではありません。論文が世に出るのが遅れるわけですから、これは科学コミュニティと社会の損失となっているはずです。 激しい競争から、高IFジャーナルのエディターと査読者は過大な権力を持ってしまうことになり、これに伴う不適切行為も多々生じています。査読は普通クローズドで行われますが、これに伴い密室でのハラスメントが行われることがあります。分野の大御所はそのような点で権力をもっていて、査読の際に自己の仮説について過剰にバイアスがかかった査読を行ったり、自己の論文の引用を強要したりすることがあります。さらには、自分が査読者であることを暗に(ときには明示的に)示したりすることにより、著者やその所属機関などから接待を受けることなどがあります。世界的にも、多額の資金を使って、高IF誌のエディターや査読者(になりそうな研究者)を招いてセミナーや研究会などを行い、観光や食事などの接待を行うこと、そしてそのような接待の資金をもつ研究者や研究機関の論文が優先的に掲載されるようなことは普通であるといってよいでしょう。このような接待によるコミュニケーションには、科学的な交流を通じて情報交換・議論を行うというポジティブな意義ももちろんあるわけですが、これが閉鎖的なコネや研究者ギルドのようなものの形成を促してしまい、査読時のバイアスを強め、他の研究者の排除につながりかねないなど、公平・公正な科学の進歩を妨げる側面がある面は指摘しておく必要があると思われます。 欠点3: 研究不正の助長 高IFジャーナルの狭き門をくぐって掲載されるための不適切な競争から生じている極めて毒性の強い副産物として、questionable research practice (QRP;不適切な研究行為)と不正があると考えられます。再現性と有用性は上述したように科学の本質ですが、QRPと捏造・改ざんなどの不正は当然のことながら、これらを低減させる方向に働き、科学と社会にとっては本来、百害あって一利なしの行為です。しかしながら、査読の時点では(ある程度の予想をすることはできても)実際の再現性と有用性は原理的には評価することが不可能です。高IFジャーナルに出版した研究者が研究費・人事・賞などのレースのすべてで勝ちを独占しがちである現状のもと、再現性・有用性は出版に至る競争では評価されないわけです。p-hacking、HARKINGなどのQRPや、データの改変や捏造などの不正を行っても、それが見つからない限りは、論文の出版まで漕ぎ着きさえすれば「勝ち」がほぼ決まりになってしまいます。オランダで7000人弱の研究者に行われた調査では、捏造・改ざんなどの不正に関わったことのある研究者が4%、QRPを頻繁に行っている研究者はなんと50%以上おり、QRPを助長する最大の要因としてPublication pressure (論文出版へのプレッシャー)が抽出されています(3)。私は、Molecular BrainとNeuropsychopharmacology Reportsという2つの国際学術誌の編集長をしておりますが、以前、ある種の社会実験を行ったことがあります。データが”too beautiful to be true”に見えた41の原稿について、生データを著者に提出するようにお願いしたところ、半分以上の原稿は生データを提出することなく取り下げになり、データが提出された原稿でもその9割以上で真っ当な生データが提出されなかった(生データと結果が全く一致しないとか、生データのごく一部しか提出されない等)のです(4)。現状、生データの公開は義務化されていない場合がほとんどであり、捏造・改ざんなどの不正が見つかり認定されるようなケースは少ないですので必然的にQRPや不正を後押ししてしまっていることになっていると考えられます。適切な実験計画・データ管理には時間・労力がかかりますし、現実の実験・調査でエディターや査読者の要求を満足させるような「きれいな」インパクトのあるデータが出るとは限りません。JIF至上主義の弊害で、「正直者が馬鹿を見る」世界に残念ながらなってしまっているといえるでしょう。信頼できるデータで構築された「巨人の肩に乗る」ことが科学の本質なはずですが、この弊害で、データの山は砂上の楼閣となりがちなわけです。 欠点4: 出版バイアスの助長 高IF至上主義の裏返しとして、「ネガティブデータの論文」、「仮説が支持されなかった場合の論文」、「再現性が確認されなかったという論文」などが出版されにくいという現象が生じます。これらの論文は多くの場合、高IF誌では採択されにくいからです。実際、効果量がJIFが高いほど過大に推定されがち、というようなことも報告されています(5,6)。論文はネガティヴデータ、仮説が支持されなかったり再現性が確認できなかったような研究、さらに言えば失敗の実験ですら出版されることが望ましいです。世界の他の誰かが、同じ失敗を繰り返すことを未然に防ぐことができるかもしれませんし、公的研究費が用いられた研究なわけですから何らかの報告がオープンになされるべきです。再現性の危機が認識され、Systematic Reviewのような文献を系統的に検索・収集し、類似する内容の研究を一定の基準で選択・評価を行う研究が重要視されるようになってきていますが、そのような研究を行う上では、結果がネガティブであった場合も正直にその結果が出版される必要があります。実際には、当初の仮説を支持するポジティブデータばかりが出版されることが多々あり、偏った仮説が支持され続けることがあるからです。ポジティブ、ネガティブのいかんに関わらず結果が出版されることにより、より信頼性の高い結論が総体として得られることになります。このような意味でも、高IF至上主義は、健全な科学の進歩を阻害する要因になっていると言えるでしょう。 欠点5: 論文のハリボテ巨大化 高IF誌が論文のアクセプトの門を狭めるための弊害として、査読者が実験追加を過度に要求することにより、論文が大きくなりすぎてしまいがちであるになっています。メインのFigureに加え、論文本体に掲載しないsupplemental materialのFigureやTableが10〜20にものぼるようなケースは全く珍しくありません。論文の査読をきちんと行うためには、査読者が自分の専門に近い部分を批判的に評価することが必要なのですが、論文内の各アイテムの研究領域が様々な分野にまたがりすぎていて、少数の査読者では適切な評価ができない場合が多々あります。また、査読者は多忙なので、すべての補足的なマテリアルまでしっかりと評価する時間・労力を割くことが困難となり、査読者による評価が薄くなりがち、ということもあります。このため、高IFジャーナルに掲載される論文が、信頼性の弱いデータの寄せ集めとなり、肥大化したハリボテのような状態のものになってしまっていることが増加しているように思われます。 欠点6: 盛りすぎの広報 これは一見関連性が薄い用に見えますが、広報が過剰になりがちなこともJIF偏重の弊害の一つだと思っています。高IFジャーナルに掲載された論文は、あたかも信頼性や有用性が高いと思われがちなのですが、上述したように、再現性と有用性についての保証はないことがほとんどなわけです。所属機関やマスメディアからの広報は、論文発表直後に行われることが普通で、高IFジャーナルに掲載された論文が広報される場合が多いこともあり、再現性・有用性に関する認識と現実のギャップが、当該の論文に不相応で過剰な広報、盛りすぎの広報を生み出しがちになっていると思われます。   以上のような欠点を踏まえつつ、では、これからどうすればよいのか、について次、考えてみます。 3. JIF至上主義から脱却するために行うべきこと 上述したJIF至上主義の欠点を踏まえ、これらの欠点を克服できるような具体案を以下に提案させていただきます。 A) 出版後評価の拡大 JIF市場主義から脱却するために、研究コミュニティがまずは行うべきことは、論文と研究者の評価に再現性と有用性の観点を明確に導入すること、つまり、出版後評価を拡大することであると考えます。 そのための第一歩として、研究費、人事、賞などの申請書には、自分の論文の再現性、有用性の自己申告の欄を設けることが有益だと思われます。その欄には、自分(たち)のこれまでの論文の再現性、有用性(学術的、産業・社会や政策での応用の側面)を文献や記事などのエビデンスを示しながら記載することにします。それらが、他の論文でどれくらい再現されているか、ポジティブに評価されているか、どの程度、学術的に、あるいは社会実装に活用されているかなどです。研究計画で記載することの多い未来の有用性の可能性というのは、いくらでも法螺を吹くことができてしまい、あてになりませんし、大きすぎる法螺を吹いても心が傷まないような研究者を利することにもなります。論文発表後に、実際に再現されたか、有用であったかがエビデンスをもって示されるかどうかが重要です。 次に重要なのは、十分な時間をかけて評価者・審査員がJIFに頼らないまっとうなピア・レビュー、論文の科学的内容を定性的に精査した上での一次評価を行う環境を整備することです。まともな研究者であれば、できるだけそのように努力するはずですが、日本では、そういう研究者でもこれが事実上、物理的に不可能な状況となっており、これを改善する必要があります。詳細は省きますが、時間・労力が割けないというのが最大の問題ですので、これを解消するためには、分業の促進による時間の確保、研究費/賞などの種目数の削減(「大くくり化」)、再現性・有用性を重視し金額的に必要十分な額を措置する基盤的研究費の導入などが効果的と思われます。JIFに過度に頼ることなく、適切な評価が行われるようにするには、十分な定性的評価を行うことのできる時間と余裕を創出し、出版後の評価の比重を高めることが重要でしょう。 また、DORAでは、様々な論文レベルでの数量的指標(article level metrics)を利用可能にすることが推奨されています。最近では、JIFのようなジャーナルレベルの数量的指標だけでなく、個々の論文の被引用数、被引用数を分野調整した指標(ScopusのFWCIのようなもの)、Altmetricなどが極めて容易に入手できるようになっています。JIFはジャーナルの評価指標にすぎず、その値は、少数の多数回引用される論文によって大きく影響を受けていますので、論文ごとの指標が入手できる現在ではその意味が薄くなってきているはずです。これらの論文レベルでの数量的指標が重視されるようになると、高IF誌に出版するための費用対効果が相対的に弱くなり、状況は改善されることが期待されます。   ところで、一部、研究評価の数値化は必ずハッキングされるものなので、数値化自体がよくないとする意見もあるようです。しかし、論文レベルでの指標は基本的に出版後評価であり、JIFと比較すると本質的なところで優れているといえ、DORAでも活用が推奨されていることに注意しておく必要があります。また、論文の科学的内容を骨太のピアレビューにより定性的に評価して何をするかというと、最終的には数値化するわけです。そのピアレビューにより決定される研究費の額、ポジションとその報酬、賞の受賞の有無なども、ある種、数値化です。数値指標のほぼなかった昔の日本のアカデミアでは、基本的には指導教官の力、学閥、学会でのヒエラルキーと役割などを主な基盤として人事が行われていました。それらはそれらでメリットがないわけではないのですが、公平な競争を行うべきことがコンセンサスになっている現代では、その時代に戻ることは流石に不可能でしょう。メトリクスを全否定するということではなく、コミュニティとして、目的に応じた多様な数値指標や、よりハッキングされにくいような数値指標、不正なハッキングを検出する方法などを検討していくことにより、より公正・公平な指標を採用していくことが重要だと考えます。 B) 即時ゴールドOA義務化と高IF誌の出版コストの可視化 EUにおいて即時オープンアクセス化が義務付けの方針が”Plan S”で示されたことを皮切りに、米国でも同様な方針が示され、先日、日本でもようやく即時オープンアクセス化を義務付ける基本方針が示されました。これらを主なきっかけとし、Nature、Science、Cellやその姉妹誌などで、論文をOA化する場合のArticle Processing Charge(APC)が公表され、その高額さが話題になりました。100万円以上にもなるAPCは高額すぎる、というのが主な世論でしたが、私は個人的には、これは全然高くないどころかむしろ安い、と感じました。というのは、ジャーナルのサブスクリプションを通じてこれらの出版社が得る収益は莫大なもので、もしこれらの論文がすべてOA化された場合、この程度のAPCではおそらくそれに匹敵する収益は得られないはずだからです。即時OA義務化のメリットの一つで見逃されがちなのが、この高額なAPCにより、高IFジャーナルでの出版コストの可視化が進んだことです。大学や研究機関でのこれらのジャーナルの購読費用は莫大なものになっているのですが、研究者は自分のふところは傷まないので、これらのコストについては無関心な傾向が強いです。しかし、APCとなるとコストが自分ごととして意識化・可視化されるわけです。研究者にとって高IFジャーナルに掲載するメリットは、自分の論文がジャーナルの権威とともに広く広報されることによって、研究コミュニティや社会から認知され、引用が多くなされる傾向があることだと思われますが、これは見方をかえると、高IFジャーナルに掲載するための各種のコストは権威付けと広報のための負担であると考えることができます。ところが、オープンサイエンス時代に入りつつある現在、権威ある研究者がSNSで高い評価をするなどして話題になったり、OA誌の総説、論文などで高い評価がなされるなどすれば、権威も広報もそれで足りる場合が増えてきているのです。高IF誌に必ずしも掲載されていなくとも、プレプリントですら、権威付けや広報がしっかりなされる場合がある。一方、高IF誌であっても、その論文を事前にしっかりと評価するのは、エディターと査読者を含め、たかだか3〜5人程度にすぎません。SNSや後続の論文などによって何十人何百人という多くの研究者によって実際の再現性・有用性も含む評価がなされるわけですから、出版前評価と出版後評価の重みは後者が圧倒的に重要視されるべきものであることは明らかです。そういうことであれば、わざわざ100万円以上の高額なAPCを支払ってまで高IFジャーナルに掲載する必要がない、と考える研究者も増えてくるはずです。実際、私の研究室から出版された論文のいくつかは、標準的なOA誌に地味に出版された論文であっても、NatureやCellなどの高IF誌に掲載された論文よりも多数回引用されているものがかなりあります。高額なAPCのみならず、査読にかかる長い時間、理不尽に要求される追加実験、追加実験要求が助長する不正、リジェクト時の心理的ストレス、リジェクト後の他誌への投稿の手間、エディターや査読者候補への接待費用などは、高IF誌に掲載するための大きなコストです。研究コミュニティが負担しているこのコストの総和は莫大なものになって科学の進歩のマイナスとなっています。 現状、アクセプト時の原稿のリポジトリへの掲載で良しとするグリーンOAを許容する方針がEU、アメリカ、日本などでとられていますが、私は、ゴールドOAの義務化を進め、一刻も早く科学技術研究の原著論文の発表におけるサブスクリプションの息の根を止めるべきと考えています。これによって、多くの高IF誌の高コスト体質が浮き彫りにされ、費用対効果に見合わないことに多くの研究者が気づき、出版前評価から出版後評価へと評価の軸足のシフトがなされることを期待します。サブスクリプションの削減と廃止は、ペイウォールで可視化されにくく社会での研究活用の壁となり、科学情報へのアクセスの格差が生じている現状の改善という大きなメリットもあります。公的資金でなされた研究の成果は、サブスクリプションができない小さな大学・企業の所属の研究者からシティズンサイエンティストまで含めた一般市民まで広くアクセスできるべきです。日本の政府が、ジャーナルの購読料は原則、税金を原資とする公共の資金からは支払わないことにすることを明示し、この点での国際協調を先導するくらいのことを行ってもよいのではないでしょうか。 C) サウンドネス基準ジャーナルを増やす 科学的・技術的に健全でありさえすれば出版する「サウンドネス基準」を採用するジャーナルを増やすことも重要です。研究計画がしっかりしていて、適切にデータが取得され解析されているのであれば、「ネガティブデータの論文」、「仮説が支持されなかった場合の論文」、「再現性が確認されなかったという論文」なども出版する、ということによって、「欠点4」で指摘した出版バイアスを減らすことができます。現在、AIの著しい進化と普及が進んでいるわけですが、高IF誌偏重が出版バイアスを助長していることは間違いなく、AIが正しく学習していく上で高IF至上主義は害悪です。世の中のAIが適切に学習していくためにも、研究によって得られたデータが、研究者の人間的な思い込み・バイアスの影響をできるだけ受けず粛々と出版されていくことが欠かせないでしょう。この意味では、研究課題や研究方法が査読を通過すれば結果のいかんに関わらず論文の掲載を原則保証する ”Registered Report” の普及も進めたいところです。” Registered Report” をある種の研究費の審査と連動させるというアイデアもあります。システマティックなデータの取得を目的とするファクトリータイプの研究プロジェクト(例えば、ヒューマンゲノムプロジェクトというのはこれにあたります)というのも存在するわけですが、そのような性質の研究にはこのアイデアは有効なのではないでしょうか。高IF誌への論文掲載ではなく、信頼できる結果を得て報告する、という真っ当なことに研究者のモチベーションがシフトすることにプラスになると思います。 私は Neuropsychopharmacology Reportsという3つの学会が合同で運営する国際誌の編集長をしておりますが、このジャーナルでは、サウンドネス基準を採用することを最大の運営方針の一つとしています。また、このジャーナルでは被引用数やAltmetricなどのメトリクスを参考にした論文賞を多数出すこととし、出版後評価を行う文化の普及を目指しています。各種の評価において、論文ごとの被引用数その他の出版後評価を重視してほしい旨を、ジャーナルとして随時、学会員へお願いしていますが、投稿数は右肩上がりで増加中です。この種の試みを通じて、サウンドネス基準を採用するジャーナルを増やし、高IF誌偏重の文化を克服していくことが大切であると思われます。 D) 論文の価値評価を行う総説誌を立ち上げる 原著論文がサウンドネス基準のジャーナルに掲載されることが普通になった場合、では、「山のように出版される多数の論文の中から、今、読むべき論文をどう探せばよいのか?」という問題が生じます。現在、論文の価値の評価と広報の機能は、高IFジャーナルが担っている部分が大きい状況なわけですが、原著論文の健全性の評価と価値・インパクトの評価の機能は技術的に分けることができるし、そのための仕組みを作って峻別していくべきであると考えます。前者はサウンドネス基準のジャーナルの査読が主に担い、後者は総説(出版直後ではNews and Views的な速報的総説、再現性・有用性なども含めた中・長期的な価値は通常の総説)、SNSやAltmetric、機関からのプレスリリースとメディアによる報道などが主に担うようになることが望ましいでしょう。現在、高IF誌では専任で雇用されるエディターがいて、彼らは論文の健全性ではなく価値・インパクトの評価を主に行っています。この機能をしっかり分離し、そのような専任エディターをしている人材は、今後、出版後の論文やプレプリントなどから目ぼしいものを掘り起こして、News and Views的な速報的総説や再現性・有用性なども含めた中・長期的な価値評価を行う総説などを執筆するようにすればよいわけです。これらの専任エディターによる評価は、公的研究費によって担われているわけではありませんので、それらを掲載するジャーナルやサイトでは、オープン化を義務付ける必要はありません。新聞やネットメディアのサイトと同列の扱いでよいし、サブスクリプションもあって全然よいでしょう。そういうニーズは間違いなくありますので、現在、高IF誌のエディターをしている方々には、出版前の評価という顕著な弊害を有する仕事に従事することから、出版後評価の仕事、数多ある出版後の論文(プレプリントを含む)の中から注目すべき論文を掘り起こす仕事へと業務内容をシフトさせていっていただくことを期待します。 また、そのような流れを日本がリーダーシップをとって創っていくことも不可能ではないはずです。それぞれの学協会がサウンドネス基準のジャーナルを運営し、学会連合のような大きな組織が、News and [...]

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Neuro2019で ランチョン大討論会 開催!

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近年、遺伝子編集技術、光遺伝学、ブレインマッピング、単一細胞シークエンシング、ディープラーニングなど、さまざまな新しい技術が開発され、 神経科学研究が大きく進展しています。また個々の研究者を取り巻く研究環境も大きく変貌しつつあります。そこで様々な問題について、専門分野や年齢・研究環境を越えた建設的な議論を深めるために、日本神経科学学会では大会の最終日に不定期に「ランチョン大討論会」を行っています。 2018年第41回大会でのランチョン大討論会「脳科学は次の10~20年に何をどう目指すべきか?」での 討論の内容はこちら → テープ起こし版(PDF) オンラインでの議論はこちら → ガチ議論トピック 7月に新潟で開催されるNeuro2019でも以下の要領でランチョン大討論会を実施します。 「次の20年にどうやって脳科学にブレークスルーを生むか?」 日時:7月28日(日)12:00-14:00 ※お弁当付き 会場 : 朱鷺メッセ (新潟コンベンションセンター) 第1会場(国際会議室) 内容:脳科学分野を含む日本の国際競争力が低下していることが近年顕在化しています。前回の大会(神戸)では、「来る10-20年のタイムスパンで日本の脳科学を発展させていくには何を、どう目指せばよいのか」というテーマで、各分野の有志に持論を発表していただき討論を展開しました。今回の新潟大会では、ダイバーシティ企画・若手PI企画とタイアップし、「何を」のみでなく、「どうやって」に重点を置いて討論を行います。来る20年にブレークスルーを生みだしていくには、私たちはどうすれば良いのでしょうか?ご意見を募集します! 本ページ下部に書き込みいただくか、Twitter ハッシュタグ #大ラン討でツイートください。 参加:事前にWeb登録されていない方でも参加できますので、奮ってご参加ください。Web登録および大会会場先着200名様限定で特製「脳科学弁当」をご提供します。詳細は別途、大会HPに掲載される情報をご覧ください。 企画:宮川 剛、小清水 久嗣(藤田医科大学)、柚﨑 通介(慶應義塾大学) タイアップ・プレゼンその1:若手PI企画・五十嵐先生によるプレゼンです。 Neuro2019 ランチョン大討論会「日本の若手研究者の現状」 from scienceinjapan タイアップ・プレゼンその2:ダイバーシティ対応委員会・王丹先生のプレゼンです。 Neuro2019 ランチョン大討論会 ダイバーシティ対応委員会プレゼン資料 from scienceinjapan

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脳科学は次の10~20年に何をどう目指すべきか?

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日本神経科学学会とガチ議論のタイアップによる企画を行います。 以下のような主旨で、日本神経科学学会の大会において討論会を行います。討論会では、2時間程度の時間をとっていますが、2時間で議論し尽くすことができるようなトピックではありません。そこで、ガチ議論とタイアップして、事前、事後にネット上でディスカッションを行うことができる場をこちらに設けます。 討論会でたたき台として用いられるプレゼン資料をこちら(OpenNeuro Repository)からダウンロードできるようにしました。 これらの資料をご覧いただいた上で、脳科学は次の10~20年に何をどう目指すべきか、についてご意見のあるかたは Disqus(本ページ下部)に書き込みをお願いいたします。 日本神経科学学会の学会員はもちろん、脳科学研究に関心のある研究者のご意見も歓迎いたします。 脳科学は次の10~20年に何をどう目指すべきか? 日本神経科学学会 ランチョン大討論会 近年、遺伝子編集技術、光遺伝学、ブレインマッピング、単一細胞シークエンシング、ディープラーニングなど、さまざまな新しい技術が開発され、神経科学研究が大きく進展しています。このように研究が高度化・大型化される一方で、個々の研究者が何をどのように研究するのかという問題が議論されるようになってきました。また基礎科学の成果を臨床医学や社会科学、あるいは企業と連携して社会に役立てていくためにはどのようにすれば良いのでしょうか? 本ランチョン大討論会では、来る10-20年のタイムスパンで日本の脳科学を発展させていくには何を、どう目指せばよいのかについて、今大会のシンポジウムオーガナイザーから7名の有志に持論を発表してていただき、その後ホンネでの議論を行います。   ・日時:7月29日(日)12:00-14:00 ※大会参加手続きの上、企画への参加登録が必要です ・会場:第3会場(神戸国際会議場 レセプションホール) ・主催:日本神経科学学会 研究体制・他学会連携委員会 ・後援:日本脳科学関連学会連合・JST 研究開発戦略センター(CRDS) ・企画:宮川 剛, 小清水 久嗣(藤田保健衛生大学); 柚崎 通介(慶應義塾大学)   *匿名でも書き込み可能ですが、書き込みに際しては本サイトの利用規約をご一読ください。不適切と判断された書き込みは不掲載とされる場合があります。 *本サイトに掲載された情報の正確性について日本神経科学学会は保証いたしません。また意見掲載は日本神経科学学会の支持を示すものではありません。 *日本神経科学学会は、本サイトの利用により直接的、間接的にもたらされた損害についての法的責任を負いません。

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政党アンケートの案作成中 ご意見急募!

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衆議院が解散され、来たる10月22日に総選挙が行われます。 サイエンス・サポート・アソシエーション(榎木英介代表)が毎年されている各政党への科学技術に関する公開アンケートに、サイエンス・トークスとガチ議論が協力させていただくことになりました。 現在、ガチ議論スタッフでアンケート案を検討しておりますが、アンケートに入れたほうが良い質問・文言のご提案や、アンケートに関するご意見を急募いたします。 この記事のコメント欄に書き込んでいただくのでもよいですし、ツイッターでコメントしていただければできるだけ捕捉して反映させていただきます。 昨年の参議院選での政党アンケートについては、以下をご覧ください。 https://news.yahoo.co.jp/byline/enokieisuke/20160707-00059701/ http://www.sciencetalks.org/senkyo_manifesto/ 基本的には昨年のアンケート項目をベースにして、皆さまのご意見を反映させつつ、それらを改訂・追加するような形にするのが良いのでは、と考えています(手抜きですみません;ガチ議論スタッフも科研費申請などで多忙にしてます…)。 今年の3月に、ネイチャーで日本の科学技術がこの10年で大きく失速していることが指摘され、 タイムズ・ハイヤー・エデュケーションの世界大学ランキングでも日本の大学は軒並みランクを落としていることも明らかになっています。 一つや二つの大学が「失速」しているわけでなく、全体的に失速しているわけですから、これは日本全体の科学技術政策の問題に違いありません。つまり、これは政治の問題なのです。 政治のトップダウン的パワーがいかに強力かは、河野太郎さんのご活躍で、われわれ研究者にもよく理解できたのではないでしょうか。政治家に国民の意見を聞いてもらえる最も良い機会が選挙です。 時間があまりありませんが、研究者コミュニティの考えを国会議員の方々に伝えることができるようなアンケートをぜひ作りましょう。 ガチ議論スタッフ

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研究公正を推進するためには何が必要か?

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研究コミュニティでは近年、研究公正の推進をいかにして進めるかという議論が活発になっています。文部科学省には研究公正推進室が設置され、JST、AMED、日本学術振興会といった関連機関が協働して研究公正ポータルというwebサイトを運営するようになりました[1]。それに伴い、邪悪な研究者個人による不正行為というイメージは、研究活動に必然的に伴う「ミスコンダクト」という認識へと変化し、研究不正には包括的な対策が必要であるという考え方が広く受け入れられるようになってきました。 米国科学アカデミーは最近、Fostering Integrity in Researchという報告書を公開し、近年の研究環境の変化を反映した研究公正への取り組みを提言しています[2]。研究者のみなさまには是非目を通していただきたい内容ですが、そこで強調されていることのひとつは、研究機関が研究公正の推進において中心的な役割を果たすべきであるということです。「連邦規則を遵守すべき上限と考えるのではなく、これを最低限の義務として認識し、率先して高い規範意識をもつ必要がある」ことが述べられています。報告書には独立した非営利の研究公正諮問機関を設けるべきという提言も含まれています。我が国でも2005年に日本学術会議からアカデミックコートの設置が提言されましたが、実現していません[3]。 こうした変化をふまえて我が国のガイドライン等を調べると、研究公正の推進に対して研究機関に十分なインセンティブが与えられていないことに気がつきます。 ・第三者調査委員会の設置、審議、報告書の取りまとめは、研究機関にとって大きな負担ですが、予算として平時から計上できるものではありません。 ・研究不正の認定は、外部評価におけるマイナス材料となります。 ・研究不正の認定は、間接経費の削減というペナルティにつながる可能性があります。 ・研究不正の認定に伴う不正研究者の懲戒処分には訴訟リスクが伴います。不正の程度と処分との関係は過去の事例はばらばらであり、参照できる基準はありません。 ・大型研究費を獲得している研究者の不正では、研究資金配分機関から研究費の返還請求は大きなリスクとなります。 一方で、 ・研究機関による研究不正疑義の告発の無視、あるいは隠蔽に対するペナルティはありません。 ・調査の結果、最終的に疑義がシロ認定された場合、調査報告書を開示する義務はありません[4]。 ・文部科学省をはじめとする調査報告書を受理する側は、その内容の妥当性を評価することはありません。 研究機関は、研究公正を推進しようとしても不正を認定すれば不利益を被るという、利益相反の状況に置かれています。研究者ではない理事からは、わざわざコストをかけて研究公正を推進する意義を問われることもあるかもしれません。研究機関の利益を優先する場合には、以下のような対応が最適解でしょう。 ・疑義の告発には出来る限り対応しない。匿名やweb上のものは基本的に無視する。 ・調査委員会を設置する場合も、指摘のあった箇所に限定して調査を実施し、余分な調査はしない。可能な限りシロ判定になるよう資料を解釈する。 ・完全なシロ判定に到達した場合は、調査報告書の公開請求には応じない。 こうした対応は、いずれも研究公正の推進を妨げるものと言えるでしょう。一方で、調査委員会が、指摘のない論文まで調査し、その訂正や撤回を求めている例もたくさんありますが、これは、当該研究機関が高い規範意識を発露した結果と考えることができます。しかしながら、機関によって対応がまちまちという状況は改善するべきです。 文部科学省のガイドラインは今後も研究環境の変化に応じて見直しがあることが明言されています。そこで、以下の提案を考えました。 ・研究不正の疑義に一定の合理性がある場合、研究機関が研究不正を一切認定しないという結論であっても、調査報告書は全て公開し、不正を認定しない根拠を示す。あるいは、告発者が受け取る調査報告書を公開することを妨げない。(本調査に入る事例では指摘の合理性は認められているはずです。一方で予備調査で却下する場合もその理由は開示されるべきです) ・告発者、あるいは被告発者から調査報告書の結論に異議がとなえられた場合、文部科学省は第三者的な諮問機関に調査報告書の評価を依頼する。この評価にかかる議事は全て記録として保全し、一定期間後にこれを公開する。(第三者性というのは、手続きの透明性を確保することでしか保証することはできないと思います。現状では、関連学会、あるいはAPRINのような組織が諮問機関の候補となるでしょう。) ・アカデミックコートに相当する組織の将来的な設立を奨励する。 告発を無視したり隠蔽していることが発覚した研究機関は低く評価されるべきですが、こうした事例に対する罰則も設けた方が良いでしょう。一方で丁寧な調査報告を実施できた研究機関は高く評価し、調査費用に相当する予算配分を追加することも考えて良いと思います。大型の研究不正では数十億の研究費が雲散霧消することを考えれば、調査費用はそれほど大きな額とはいえないです。 研究不正の容認や、一貫性のない対応は、研究者のモラルを低下させると同時に、誠実な若い人材を研究コミュニティから遠ざけるものです。また、研究機関が専門家の指摘を軽視するという姿勢は、長い目で見れば、その研究機関自身の衰退につながるでしょう。活発な議論をベースに望ましい方向性を模索できればと思います。 田中 智之 1. 研究公正ポータル(科学技術振興機構) 2. McNutt, M., Nerem, R. M. Research integrity revisited. Science 356, 115, 2017 3. 科学におけるミスコンダクトの現状と対策ー科学者コミュニティの自律に向けて(日本学術会議、学術と社会常置委員会、平成17年7月))[PDF] 4. 研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン(文部科学省、平成26年8月)[PDF] (抜粋) 4−2 告発に対する調査体制・方法 (6)調査結果の公表 ①調査機関は、特定不正行為が行われたとの認定があった場合は、速やかに 調査結果を公表する。 ②調査機関は、特定不正行為が行われなかったとの認定があった場合は、原則として調査結果を公表しない。ただし、調査事案が外部に漏えいしていた場合及び論文等に故意によるものでない誤りがあった場合は、調査結果を公表する。悪意に基づく告発の認定があったときは、調査結果を公表する。 ③上記①、②の公表する調査結果の内容(項目等)は、調査機関の定めるところによる。 上記の意見は、筆者個人のものであり、その所属とは無関係です。また、ガチ議論スタッフの意見を代表するものでもありません。   アンケート 本記事に関して皆さまのお考えをお聞かせください。

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研究者の声はどうすれば届くのか?

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自民党の河野太郎議員の一連の活動が研究者の間で話題になっています。研究者が自らの所属する研究機関や文部科学省に対していくら意見を述べても全く変わらなかった慣行が、議員の一声で実効的なアクションとして私たちの研究環境を改善したわけです[1, 2]。研究機関のローカルルール問題は、このガチ議論でも、そしてもっと古くから様々な場で研究者が訴えてきましたが、研究費の不正使用などの問題が起こる度に肥大化し、研究環境は悪化の一途をたどってきました。研究者の負担を増やす変化については誰も問題視しなかったわけです。今回の教訓は、文科省は国会議員の意見に対しては速やかに対応するということでしょう。 河野議員は科学技術行政については文科省不要論を出されていますが、一方で今後は内閣府の総合科学技術・イノベーション会議が科学技術政策を主導すべきとも主張されています[3]。内閣府といえば、つい最近、科学的にはナンセンスな予備的成果を企業と共に社会にアピールするという出来事が批判的に報道され、ImPACTは本当にサイエンスに基づいた事業なのかが話題になりました[4, 5]。上記の五月祭イベントでも筋悪の研究への集中投資の例としてやり玉に挙がっていたようです。 最近では大学を再編成し、「役に立つ」大学を目指そうという動きも活発で、地方ではそうした試みが具体的にはじまる兆しがあります。このままではアカデミアとしての大学はますます規模が縮小しそうです[6, 7, 8]。我が国における基礎研究力の低下は様々な場で可視化、指摘されていますが、これまでの政策の問題点を振り返る試みは殆ど見当たりません[9,10]。科学研究衰退に対する処方箋も「オープンイノベーション」に代表されるキーワード先行で具体性に欠けます。そもそも基礎研究力の低下が政府にどの程度深刻に受け止められているかは定かではありません。 こうした最近の一連の変化を見ると、研究者の存在感が感じられません。科学研究は研究者がいなければできませんが、その枠組みや方向性の決定において、研究者の最大公約数的な意見を反映する仕組みはないようです。五月祭イベントのレポートのタイトルも「大学研究の現場から声をあげよ」です。 そもそも、科学者の意見を代表する組織はあるのでしょうか? 日本学術会議は公的に承認されている唯一の科学者を代表する組織です。しかしながら、Webサイトをご覧いただきたいのですが、ガチ議論で繰り返し表れてきたトピックとは関心の方向が違うようです。日本学術会議には若手アカデミーという組織があるのですが、若手研究者のみなさまでご存知の方はどのくらいいらっしゃるでしょう。旧ガチ議論で文科省の斉藤さんから助言がありましたが、研究環境を改善するためには「研究者の声」が散発的にあるだけでは駄目で、これを届け、政策につなげる仕組みが必要です。ノーベル賞受賞者の声で変わらないことが、掲示板の議論で変わるわけがありません。現状は「科学顧問」的な立場の科学者も、科学者を代表してと言うよりはむしろ個人の考えを述べる傾向が強く、肝腎なところで影響力が発揮できていないようにも見えます。もっと連携する仕組みが必要です。 科学者の意見を代表するといえば、Researchmapは個々の研究者の「名刺」として機能を充実させており、ジャンルを超えた研究者の場として存在感を増しています。研究者の声はResearchmapと連携することにより集められないでしょうか。誰がどんなアンケートを作るのかという問題が生じそうですが、相応しい人を探すという方向ではなく、「私が日本版AAAS」くらいの気持ちでボランタリーに始めてみてはいかがでしょうか?軌道修正はこの掲示板でも議論できます。楽観的ですが、うまくいかなければ、その経験を活かしてどんどんプレイヤーが交代すれば良いのではないでしょうか。みなさまのご意見をお待ちしております。 田中 智之 1. 河野太郎公式サイト:「お花見中の研究者の皆様へ」 https://www.taro.org 2. 河野太郎・瀧本哲史対談「大学研究の現場から声を上げよ」五月祭イベントレポート https://lab-on.jp/article/26 3. 文科省国立大「現役出向」241人リスト#3 http://bunshun.jp/articles/-/2254 4. チョコで脳の若返り?大いに疑問な予備実験での記者会見 https://news.yahoo.co.jp/byline/takumamasako/20170201-00067091/ 5. 日本の科学はここまで墜ちた!?明示のチョコ若返り宣伝に見る”お墨付き”効果 http://www.foocom.net/column/editor/15801/ 6. 私大振興、国公立の枠越えた協力提言 文科省有識者会議 http://www.sankei.com/life/news/170425/lif1704250041-n1.html 7. 地方大学で即戦力育成=地元経済人を登用-安倍首相表明 http://www.jiji.com/jc/article?k=2017053101132&g=soc 8. 「スクラップ&ビルドを」大学改革を議論、経済財政諮問会議 https://www.m3.com/open/iryoIshin/article/523892/ 9. 日本の科学研究はこの10年間で失速していて、科学界のエリートとしての地位が脅かされていることが、Nature Index 2017日本版から明らかに http://www.natureasia.com/ja-jp/info/press-releases/detail/8622 10. 被引用多い論文数、国別10位に後退 科技白書で指摘 http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG02H17_S7A600C1CR0000/ 上記の意見は、筆者個人のものであり、その所属とは無関係です。また、ガチ議論スタッフの意見を代表するものでもありません。

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基盤的研究費は「安定した科研費」の仕組みで

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最近、米国NIHが研究費の過度の集中を防止する策を発表しました。 これは、一人の研究者が受ける研究費の額と、その成果は、ある一定レベルの研究費(70万ドル程度)をピークに落ちる、という研究成果などを受けて行われたものと思われます。 日本でも同様に、過度の集中を防止し、国立大学の運営費交付金を増加させ、それを基盤的研究費にあてるべき、という意見がかなりあるようです。 過度の集中を緩和し基盤的研究費の比率を増やすべき、という考え方には大賛成なのですが、それを国立大学への運営費交付金の増加によって行うという案については賛成できません。 運営費交付金によるのではなく、「安定した基盤的科学研究費」の仕組みを導入し、そこに集中的に予算を投入することによって、基盤的研究費の比率を増やすことがベストの方法であると考えます。 この仕組みの案についての詳細は「安定した基盤的研究費の導入を!」のトピック をご参照いただければと思いますが、簡単に要点のみ紹介しますと以下のようになります。 ・各研究者を評価することによって、S、A、B、C、Dなどのカテゴリーに分類し、そのカテゴリーをベースに研究費を配分する。 ・評価は、5年毎程度の頻度で、各研究者の実績を中心に、今後の研究計画とその将来性・発展性などの観点も含め、総合的に行う。 このような案がもし実現すれば、研究費の額はゆるやかに変動するが、突然ゼロになるようなリスクは減少します。「当たるか外れるか」というようなギャンブル性はほぼ無くなり、安定した配分が期待できるようになります。 運営費交付金によるのではなく「安定した基盤的科学研究費」の仕組みを導入したほうがベターであろう理由を以下にリストします。 1. 研究しない教員の問題 5年や10年論文がほとんどないというような大学教員は残念ながら、少なからずいらっしゃいます。大学では、一旦、終身雇用の職に就くことができれば、研究をしようがしまいが、安定したポジションの下、年功序列で給与が上がっていく場合がほとんどだからです。このような方々に、運営費交付金から基盤的研究費を一律に支出した場合、研究成果は増えるのでしょうか?おそらく、増える人もいれば、何も変わらない方々もいらっしゃるでしょう。研究成果を着実にあげているのに非常勤の職で苦しんでいらっしゃる研究者が多いことが社会問題になっている一方で、研究成果をほとんど出されていない方々が貴重な常勤ポジションを専有し、加えて常勤教員というだけで一律に基盤的研究費がもらえるような仕組みにしてしまうというのはどうなのでしょうか。 「安定した基盤的科学研究費」であれば、これまでの科研費審査の仕組みを活用した形で個々の研究者の評価がなされ、研究成果があまりにも少ないような場合はゼロになりますので、そういった問題は回避することができます。 2. 内部的な評価は二重評価でムダ 運営費交付金による基盤的研究費も大学の裁量によって、額を決め各研究者に分配すれば良いのではないか、そうすれば研究しない教員にムダな研究費がまわることも防止できるであろう、という考え方もあるかもしれません。しかし、そのような選択肢を大学がとる場合、つまり一律ではなく個々の研究者に額を変えて配分するような場合、そのための評価は、どうするのでしょうか? 一人一人の研究者の評価を大学が行う場合、1) 学内評価者が必要となり、ただでさえ忙しい教員にまた新たな「雑用」が出現することになりムダである、2) 学内の評価者が評価を行うことが基本となるので、同じ分野の専門家による評価、Peer Reviewが困難である、3) 学内の評価者では、被評価者とのConflict of Interestを排除するのが困難である、というような深刻な問題が発生してしまいます。 「安定した基盤的科学研究費」であれば、大学での内部的な評価を行う必要を省くことができ効率的なだけでなく、近い分野で、比較的Conflict of Interestの少ない専門家たちによるPeer Reviewがなされますので質的にも高い評価がなされることが期待できます。 3. 「天下り問題」、「文科省もうで」などの弊害の助長 基盤的研究費を増やす目的で運営費交付金を増加させるとすれば、国はどのような基準で運営費交付金を各大学に分配するのでしょうか。教員一人あたり一律の額を定め、それに教員数をかけた分を上乗せする、という方法はありえますが、そのような方法に対しては研究成果の多い研究者や、上位の大学は異論を唱えるでしょう。そうでない選択肢としては、大学毎に評価を行い、その評価にもとづいて、運営費交付金を傾斜配分することになるでしょう。実際、これが現在、行われていることであり、「指定大学制度」、「特定研究大学制度」のようなものもその流れにあるものでしょう。この方法には、大学を評価するにはどうすればよいのか、という重大な問題が存在しているわけです。そもそも大学という多様な評価軸で評価されるべき巨大な組織を評価し、一次元の数値(運営費交付金)に変換しようというところにムリがあります。そして、この評価は、どうしても国あるいは文科省が行わざるを得ないので、そこに権力が集中してしまうのです。ですので、当然、大学としては文科省との政治的結びつきを強化するモチベーションが高くなります。「文科省もうで」や、「天下り受け入れ」を行う大学のほうが評価に有利になる、あるいは有利になると認識されるのは当然です。科学や学術とは無関係のムダな政治的雑用が研究教育を圧迫することになり、それが実際に現在、生じていることなのです。 「多様な評価軸で評価されるべきなのであれば、評価軸ごとに機関向け競争的資金を立ち上げればよいではないか」と思われるかもしれません。しかし、「スーパーグローバルなんとか」のような機関向け競争的資金にしても同じことか、むしろさらに大きな弊害が想定されます(そのための申請・評価作業がムダ)。 というよりも、その弊害が、大学教員の貴重な時間と労力をまさに現在奪っているのではないでしょうか。 「安定した基盤的科学研究費」であれば、大学を評価するような必要がそもそもありません。「安定した基盤的科学研究費」についてくる間接経費が大学の主要な収入源の一つになりますので、個々の研究者が成果を挙げやすい環境を整備しようという大学のモチベーションが高くなり、大学はそこにフォーカスするようになります。そもそもそのような環境整備こそが、大学が本来行うべき最も主要な仕事の一つなのです。現在、環境整備に割かれるべき労力・時間が、ムダな評価作業、文科省関連の政治的雑用などに費やされてしまっているのです。良い環境が整備された大学には自然に良い研究者が集まるようになるし、特定の分野に力を入れる大学には自然にその分野のトップの研究者が集まってくるでしょう。それが、米国の大学で生じている現象です。研究はあくまでも個々の研究者が行うものであり、大学が行うものではないのです。トップ大学で論文をほとんど出していない人もいますし、地方の小規模大学で世界的にトップレベルの研究を行っている人もいるのです。そのあたりをぜひご理解いただきたいところです。 4. 私立・公立大学の研究者を忘れない! 日本の研究者の絶対数としては、国立大学より、私立大学と公立大学をあわせたほうが多いということを忘れないでいただきたいところです。基盤的研究費を増やす目的で国立大学の運営費交付金を増加させる、ということであれば不公平です。私立大学に職を得た研究適性の高い研究者も当然多数いるわけであり、そのような研究者にも公平に道は開かれるべきです。そのような私立・公立大学の研究者の研究力を活用しない手はないのです。かく言う私自身も、私立大学の教員であります。 「安定した基盤的科学研究費」であれば、国公私立、無関係に、個々の研究者の評価により安定した基盤的研究費が分配されることになります。言うまでもありませんが、その恩恵は、私立・公立大学のみならず、国公立の大学、研究所などのまっとうな研究者のほとんどが受けることになります。 以上のように、過度の集中を緩和し、基盤的研究費の比率を増やしてもらえるのであれば、それは科研費の仕組みをベースにすべきであると考えます。さまざまな評価の仕組みがある中で、もちろんパーフェクトであるとは言いませんが、なんだかんだいっても科研費の審査がもっとも質が高くフェアであるというのは研究者の間ではコンセンサスといって間違いはないと思います。 研究者のエネルギーは、研究・教育そのものに集中して注がれるべきなのです。評価は、質の高い一次評価(科研費審査)をベースにし、それ以外の評価はムダなのでできるだけ省くべし。 一回の競争で莫大なムダが生じること(不採択の申請はすべてムダになる)を強く認識し、競争回数はミニマムにすべし。 そういう原則的な考え方が重要ではないかと思います。 宮川 剛 上記の意見は、筆者個人のものであり、その所属とは無関係です。また、ガチ議論スタッフの意見を代表するものでもありません。

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ガチ議論サイト復活!

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ガチ議論サイト、しばらくダウンしておりまして皆さまにご心配をおかけして申し訳ありませんでした。このたび、無事に復活することができました。 皆さまもよくご存じのように、大学・研究機関の研究者を取り巻く環境には、様々な問題が山積しています。そのような「問題」は、特定の研究分野・テーマを対象とする各種学会などで議論の対象とすることはなかなか困難ですし、では一体どこで問題を提起し議論し解決を目指せばよいのか、というと意外に適切な場所がないようです。日本の研究力の低下が指摘されていますが、その背景には、そのような場の欠如が大きな要因の一つとしてあるのではないでしょうか。ガチ議論サイトは、2015年以降スタッフが忙しかったこともあり、ほぼ休止状態でしたが、最近になって、このサイトがいろいろな方面から情報ソースとして重要視されていることが解ってきました。日本の科学の現状についての記事を書かれたNatureの記者さんがこのサイトを参考にされていたり、文科省の方々もちらちらと見られているそうです。また、このサイトがなくなるのは困るという意見もいくつかいただきました。そこで、活動を再開するとともに、運営体制をリニューアルしました。 一つは、ガチ議論スタッフの代表が、大阪大学の近藤滋から、私、藤田保健衛生大学の宮川にバトンタッチがなされました。もう一つは、これまでサイトの維持やイベントに関して、学会の年会(分生2013、BMB2015)にサポートをいただいていましたが、今後は、ScienceTalksにサポートしていただき、運営がなされることになりました。学会からは独立しましたので、皆さまの学会(分野や学会の規模は特に問いません)の大会などにおきまして、「ガチ議論企画的なものを行いたい」というご希望がありましたら、協力させていただくこともできます。その際は、ぜひお声がけをお願いします。 皆さまからの、日本の科学にまつわる問題提起と、その解決案の投稿をお待ちしています。ポスト、研究費、雑用、書類の形式、ローカルルール、などなど、細かい問題から、大きな問題までなんでも結構です。ご自分のサイトに掲載したブログを転載していただくのも歓迎です。また、ガチ議論スタッフに加わってみたいという方、大歓迎ですので、ぜひご連絡をいただければと思います(匿名のスタッフも歓迎します)。 ガチ議論 スタッフ代表  宮川 剛  *  *  * 自民党の河野太郎氏が、「研究者の方へ」と題したツイッターの書き込みで、直接研究者からの要望を募集し、それに答える形で、文科省に働きかけ、研究者を困らすローカルルールの撤廃を進めています。実際に阪大でも、「旅費申請をするには、切符を持って帰らねばならない」というルールがなくなりました。国会議員のパワーはすごいです。あとは河野氏に任せておけば、、、と思ってしまいそうになりますが、それだけでは危険かなあ、という気もします。一人の議員のところに集まる情報・要望は、研究者社会のコンセンサスを得たものではないからです。ですから、ガチ議論のような議論の場は今後も必要かもしれないと、改めて思っております。 新体制では、近藤はスタッフから卒業し、藤田保健衛生大の宮川剛さんを代表として新しいチャレンジをしていく所存です。今後ともガチ議論をごひいきに。 ガチ議論 前代表  近藤 滋  *  *  * 過去の一部トピックスにおいて、サイトをご覧の方々から、利用規定に抵触する書き込みについてご指摘をいただき、これらについては削除いたしました。

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ガチ議論2015 本番情報

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おまたせしました!「ガチ議論2015」の本番詳細です! 【企画紹介ビデオ】 【企画の趣旨】 日頃、「文科省のおかげで大学(研究所)がめちゃくちゃだ!」とお怒りの皆さん、お待たせしました。ガチ議論が2年ぶりに帰ってまいります。今回は、文科省対話型政策形成室のご協力のもと準備を進めております。ガチ議論の場での要望は、間違いなくトップに届きます。ですが、届けば叶うわけではありません。単に「もっと予算をよこせ」と叫ぶだけでは何も起こらない。我々科学者は「知的な」集団であるはずです。納得せざるを得ない論理とデータで説得しましょう。ラスボスを味方に引きずり込みましょう。それができるかどうかで、明日の生命科学の環境は大きく変わるはずです。 今年のテーマについては、現在検討を進めていますが、それをするにも皆さんのご協力が必要です。単なる非難のやりあいにならないように、研究者サイドからの問題点を整理し、それを文科省側に振り、事前に論点を煮詰めることで、当日の議論を有意義なものにしたいと考えます。研究者側にも立場(学生、PD、PI、大御所)の違いにより意見が大きく異なると思われますが、それも、一切合財飲み込んで、形式的でないガチな議論をしたいと考えます。

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