2019.06.10 トピックス
Neuro2019で ランチョン大討論会 開催!
近年、遺伝子編集技術、光遺伝学、ブレインマッピング、単一細胞シークエンシング、ディープラーニングなど、さまざまな新しい技術が開発され、 神経科学研究が大きく進展しています。また個々の研究者を取り巻く研究環境も大きく変貌しつつあります。そこで様々な問題について、専門分野や年齢・研究環境を越えた建設的な議論を深めるために、日本神経科学学会では大会の最終日に不定期に「ランチョン大討論会」を行っています。
2018年第41回大会でのランチョン大討論会「脳科学は次の10~20年に何をどう目指すべきか?」での
討論の内容はこちら → テープ起こし版(PDF)
オンラインでの議論はこちら → ガチ議論トピック
7月に新潟で開催されるNeuro2019でも以下の要領でランチョン大討論会を実施します。
「次の20年にどうやって脳科学にブレークスルーを生むか?」
日時:7月28日(日)12:00-14:00 ※お弁当付き
会場 : 朱鷺メッセ (新潟コンベンションセンター) 第1会場(国際会議室)
内容:脳科学分野を含む日本の国際競争力が低下していることが近年顕在化しています。前回の大会(神戸)では、「来る10-20年のタイムスパンで日本の脳科学を発展させていくには何を、どう目指せばよいのか」というテーマで、各分野の有志に持論を発表していただき討論を展開しました。今回の新潟大会では、ダイバーシティ企画・若手PI企画とタイアップし、「何を」のみでなく、「どうやって」に重点を置いて討論を行います。来る20年にブレークスルーを生みだしていくには、私たちはどうすれば良いのでしょうか?ご意見を募集します! 本ページ下部に書き込みいただくか、Twitter ハッシュタグ #大ラン討でツイートください。
参加:事前にWeb登録されていない方でも参加できますので、奮ってご参加ください。Web登録および大会会場先着200名様限定で特製「脳科学弁当」をご提供します。詳細は別途、大会HPに掲載される情報をご覧ください。
企画:宮川 剛、小清水 久嗣(藤田医科大学)、柚﨑 通介(慶應義塾大学)
タイアップ・プレゼンその1:若手PI企画・五十嵐先生によるプレゼンです。
タイアップ・プレゼンその2:ダイバーシティ対応委員会・王丹先生のプレゼンです。
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神経科学学会サイトのほうで、企画のテープ起こしを公開しています。
https://www.jnss.org/luncheon_discussion?u=aa2948393398e7222b209022d668d52e
Neuro2019ランチョン大討論会、おかげさまで盛会のうちに終了いたしました。みなさまに感謝申し上げます。議論は終わりでなく、本ウェブサイト と Titter #大ラン討 で継続しますので、引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
*これまでのツイートをまとめました。https://togetter.com/li/1381647
口演発表は原則日本語に戻した方が良いんじゃ無いでしょうか?90年代の方が明らかに活気はなかったですか?偉い先生方が言わないと説得力が無いから普段こんな意見は言いませんが。
王丹さんの6, 7ページ目のスライドにある様々な原因によって「研究に集中できない」というのが、多くの日本にいる研究者が共通して抱える問題なのではないかと思います。
これが改善されない or 悪化しつつある背景の一つに、6 ページにあるような各種の苦難に耐えること自体に価値や美徳を見出す日本の文化があるのではないでしょうか。研究活動では心と時間の十分な余裕と、何かにチャレンジする時のワクワク感のようなものが、生産性を上げる最も大きな要因なはずで、研究者コミュニティとして、そのような研究に集中しやすい環境を整備することに努力することが大切だと思います。この種のことは、学会スペシフィックなトピックではないので、このような感じで学会でも議論しつつ、分野横断的に協力して実現をはかる、というということが望ましいのではないでしょうか。男女共同参画に関しては、学会横断的な活動がされていたと思いますが、そのような活動をもっとシステマティックにできるような仕組みを作りたいところですね。
運営費交付金が減り続けるのを相殺して、ポジションがどれくらい捻出できるか:こちらの「安定性と競争性を担保する 日本版テニュアトラック制度」
http://scienceinjapan.org/topics/20130925.html
の案と組み合わせますと、現在、競争的資金により雇用されている特任教員の数と同じ数だけの、テニュア・トラックポジションが捻出できる、ということになると思います。
教育担当と研究担当の教員の数はどれくらいになるか:上のツイッターのアンケートを基準にしてみる場合、3割が教育専任教員、1割がURA教員、6割が研究関連教員(PI、ラボメンバー教員、研究支援教員など;この人たちの院生や卒業論文の学部生などの指導の研究関連教育は行う)、という具合を想定すると、それぞれの人々の希望にあうような方向性でよいかもしれません。
給与の想定:年棒制を想定していますが、現在の給与水準がおおよその基準となり、成果によってあまり極端すぎないメリハリをつけるとよいのでは、思います。
PIあたりの研究費はどの程度の採択率でどの程度の額になるか:PIあたりの基盤的研究費の直接経費の額は現在の仕組みと同程度をまずは想定していますが、将来的には機関向け研究費や細かい様々な研究費の種目をそちらに移行してもっと増やすのが望ましいのではないかと思います。
「採択率」ですが、この仕組みですとゼロになるということはあまりなく、額が変わる形式ですので、「採択率」の意味・印象が随分かわることに注意しておく必要があると思います。ゼロになる人が、どれくらいになるかですが、基盤B以上をもらっていた人が不採択になることはあまりなく、基盤Cをもらっていた人の評価が低いと「不採択」になるので、基盤Cの人の何割程度を「不採択」にするか、ということがまずあります。また、新規の人がどの程度参入できるかですが、基盤Cを持っていて不採択になった人と引退する人の枠数の合計と、新規でPIポジションにチャレンジする人の数の割合がどの程度になるか、ということですね。教員専任、URA専任、支援専任を選んだ方々に申請を強要しないような仕組みにすれば、新規チャレンジも随分へるので、採択率はたいへん高いものとなるのではないでしょうか。
持続可能かどうかですが、持続可能だと思います。このような時代にあったグランド・デザインの導入によって成果が上がっていくことが見込まれるますので、むしろ社会全体も含めて、持続的な発展が期待できるようになると思います。
「大型予算と縁のない分野」についてですが、この案ですと、S、A、B、Cの額のレンジについて、分野的に標準的な額でコース分けをすることを想定しています。理論物理のBの額のレンジは、生命科学のBの額のレンジより少なく設定する、ということが良いのではないかと思います。
https://cbsn.neuroinf.jp/database/item/29408
「助教が頑張って予算を取っても教授に上前はねられて、助教が自分のアイデアで論文書いても教授が責任著者」
この点については、本来は、PIとそうでない人をもっとはっきり区別するように日本でもするのがよいのではないでしょうか。チーム型のラボでは、ラボメンバーが予算を取る必要がないし(むしろ申請はしない)、予算をとれたら独立したとみなすのがわかりやすいはずです。少なくとも、エフォート的には峻別されてよいと思います。しかし、そのためには、PIが取得する額はもっとサイズを大きくして安定させる必要があるでしょう。「PIとそうでない人をもっとはっきり区別」するというのは、分業をはっきりさせる、ということであり、これがはっきりしていないのが日本の大学の最も大きな問題の一つであるのは間違いないです。
王丹さんの資料拝見させていただきました。母国ではない国で生きていくには並々ならぬ不安があったりストレスがかかる。それはグローバル化が進む世界におきましても大きな問題であると思います。
おそらく、日本人でも外国で研究経験がある方なら、そういう状況は自らが体験してきていますので、そのような問題にも理解を示すことが多いはずです。しかし、近年、日本でも海外での研究留学や在外研究を避ける研究者が増えてきています。日本の有力研究者や文科省などでも、この問題は把握していると思いますが、これは日本の日本人研究者がもっと真剣に取り組むべき課題だと思います。例えば、海外にいるとコネ(ネットワーク)を作れないので、国内学会などに参加することでコネを作るのに有利になる国内だけに留まっている研究者が一方的に有利になり、良い職が見つかるというようなことがあります。本庶佑さんを始め一部の研究者が主張しているように、海外留学無しでは教授になれないというようなルールを作るのも一案だと思います。海外留学は、経験のない人は一方的に「語学研修」だという偏見を持つことが多いのですが、それだけでなく、文化や社会を知ることで、日本の社会を客観的に見れるようになったり、外国人の内面的理解もできるようになるなどの、効果も大きいと思います。
最近、シンガポールの雑誌で、アジアの科学者100人というサイトを見つけました。毎年やっているようです。
https://www.asianscientist.com/as100
一つの提案としては、このように各国で既に重要な役割をしている研究者やこれから大物になりそうな研究者を学会や大学などで積極的に招聘し、講演をやってもらったりする。その際に、同じ国から日本に留学してきている研究者に会ってもらって、ネットワークを作ったり、雑談をしてもらう。案内や通訳などにも参加してもらえるかもしれません。こういう機会を設けるというのが、日本の学会関係者には割と容易にできることなのかもしれません。こういうことは、日本の地位向上にも将来的に役立つのではないでしょうか。
「そもそも論」も大切ではないでしょうか? (念のため、本意見には、特定の政党等への支持や不支持を呼びかける意図はありません。)
本企画を通じて様々な立場の方と接しました。研究や高等教育について取り組まれている政治家や文科省の中の方も、口を揃えておっしゃるのは「国は1000兆の借金をかかえていて、研究費は増やせない」。それが前提での議論になっています。しかし、そもそもこれは本当に本当なんでしょうか?
そもそものその1、財政赤字について言えば、たくさんある指標のひとつにすぎません。国債の残高が1000兆円ですが、そもそもその半分ちかい450兆円分を日銀が保有しています。さらに政府の資産は4~500兆。政府関連機関の資産は200兆。借金が増えても同時に資産が増えています。日本の財政は実はピカピカではないでしょうか。
そもそものその2、研究費の純増は難しいのでしょうか?その1のように、借金が増えても同時に資産が増えているならば、国債を出せばいいのではないでしょうか?また政府には130兆円の為替介入用の資金がありますが、過去最大の為替介入でも30兆しか使われていないといいます。政府による為替操作自体そもそもタブーなので、もうこれだけ積み上げておくことの合理的な理由はないように思われます。いざとなればなりふり構わず介入するための抑止力としての意味合いがあるのでしょうが、それでもこれを少し削るだけでも兆単位のお金が使えるようになります。
また独立准教授さんが「「日本海から突然石油が出た」みたいなことでもない限りはムリな気がします。」とコメントされていますが、まさに日本海をはじめとした日本近海の海底にはかなりの量のメタンハイドレートが存在することが科学的に明らかになっており、エネルギーとして利用化の取り組みが進みつつあります( http://www.nihonkairengou.jp/ )。まだ技術やシガラミなど克服するべき点はありますが、資源大国日本がそう遠くない未来に実現する可能性は大いにあります。研究者コミュニティは、将来、間接的にコミュニティにプロフィットをもたらし得る、こうした取り組みを応援してもよいのではないかとも思います。
もちろん根拠のない楽観はダメでしょうが「日本は年老いていく赤字漬けの資源のないオワコン国家だから、日本の研究も盛り下がる一方でお先真っ暗」と鵜呑みで悲観してしまうのももったいないのではないかとおもいます。目の前やその少し先のことも死活的に重要ですが、足元やそのさらに下に目を向けることも同じくらい大切ではないかとおもいます。
試算というのは、この提言を実現した場合「(運営費交付金が減り続けるのを相殺して)ポジションがどれくらい捻出できて」「教育担当と研究担当の教員の数はどれくらいになって」「研究担当から教育担当に移される割合はどの程度で」「それぞれの給与はどの程度を想定していて」「PIあたりの研究費はどの程度の採択率でどの程度の額になるか」「無期雇用の教員を簡単にはクビにできない日本社会でそれが持続可能なのか(10年後、20年後には公募が年数件では意味がない)」の試算です。今は神経科学の若手向けのPI公募どころか、助教や教授の公募だって年数件です。それが激増した上にみなPIポジションになって、しかも10年後、20年後も持続可能とはとても信じられません。
「大学への投資が圧倒的に足りていない」「もはや右肩上がりではない」という点を誤魔化して「予算を組み替えれば未来は明るい」というのは、某政党が唱えていた「既得権を打破して無駄をなくせば予算はある」「埋蔵金がある」みたいな話にしか見えないのです。国レベルではいくら予算を見直しても削れる部分はたいしてでてきませんでした。大学レベルではどうでしょうね。もちろん、死蔵している高額機器の問題などを放置してもいいとは思いませんが。
また大型予算と縁のない分野についてどう考えているのかも不明なのは気になります。理論物理の助教は「年2000万も何に使うの?」と言ってました。また、彼らにとっては教授抜きで自分だけで論文を書くのは普通だそうです。神経科学会の教授陣が提言に出てくる問題点を本気で問題だと考えているなら「助教が頑張って予算を取っても教授に上前はねられて、助教が自分のアイデアで論文書いても教授が責任著者」という生命科学などの分野の悪い習慣を改める努力くらいはした方がいいとも思いますが。今日からでもできますよ。
「本当に可能かどうか」というのは、トップダウンの研究費を常勤教員の人件費に使えるようにする、という案についてでしょうか?それでしたら、既に文科省では実現する方向で動かれているはずです。トップダウン研究費で、バイアウトも含めてPIなどの人件費の一部をだすことにすれば、(試算はともかく)状況はその程度に応じて多かれ少なかれ改善するのではないでしょうか。
研究力向上改革2019については、これを現場でつくってらっしゃった文科省の方々と直接お話しをする機会が何回かありましたが、研究現場の問題はかなりご理解されていらっしゃいました。ただ、良い方向で実際に具体化されるかについては、まだまだ流動的だと思います。
いずれにせよ、教育専任や技術・事務サポート専任ポジションへの横の人事異動、新規事務員の雇用抑制、PIの定年による自然減で、PIポジションの数が大幅に減ることにより、研究費のPIあたりの額の増加と、研究費を受給している教員の割合の増加が期待できると思います。
自分がツイッターでカジュアルにしらべた限りでは、教員の4割程度は、教育専任やURA専任ポジションに就いてもよい or 就きたい、との回答でした(1300人程度が回答してくださっています)。科研費に応募するような研究者が4割減り、分業が進めば、状況はかなり改善するのでは、と思います。
https://twitter.com/tsuyomiyakawa/status/1135127108064165888
あと、これは、ゼロサム・ゲームではないので、そのようなシステムの改善により教育・研究の質が上がり、きちんとアドボカシーも行えば、総額は増えるのではないでしょうか。
「トップダウンの研究費の分を使えばなんとかなるに違いない」がお花畑と言われない、意味のある提言にするために、本当に可能かどうか、試算してみてほしいのです。具体的な試算がないと財務省や文科省どころか、研究者コミュニティの賛同すら得られないと思いますよ。
研究力向上改革2019の議論は知っていますが、そんなに期待できる話ですか?減らされている運営費交付金の補填のための苦肉の策にしか見えません。
旧帝大あたりは減らされている運営費交付金の補填をして現状の人員を維持する程度、地方大はそれでもポジションが減り続けるだけで終わるだろうな、と思っています。しかも、研究そのものに使える金額が減るというおまけつきで。
1の教員人件費ですが、「研究力向上改革2019」に、研究費から教員の人件費(PI自身の人件費やバイアウトも含む)を出すことを可能にする案が出ています。科研費のみならず、AMEDやJSTの大きなトップダウン研究費がそのように使えるとなると、状況はそれなりに改善するのではないでしょうか。大きなトップダウン研究費はあるところにはあって、年度末にあまり必要のない機器その他に消えたりするのがもったいないわけですが、有効な使いみちになるように思います。
2についてですが、科研費は「安定した基盤的研究費」のようなタイプ(基盤Cとかの小さいのも残す、と)にして、
http://scienceinjapan.org/topics/031413.html
これにPIとしてのスタートアップ補助を追加できるようにするような感じがよろしいのでは。
トップダウンのさきがけやAMEDなどの中型・大型をゲットできた若手も含むエリート研究者は、この基盤的科研費のステイタスを一旦ペンディング(休止するが戻ることができる)にしてもらって、そちらに専念できるようなグランド・デザインにすると、集中しすぎることもなく広く行き渡るようになるかと思います。
×充足率
◯採択率
でしたね。失礼しました。
日本でテニュアトラック助教を経て独立のテニュア准教授となりました。運営にも関わるようになったので五十嵐さんや光操作領域の若手研究者たち(アメリカPI、理研、東大、京大のような日本の中でも恵まれた環境の方が多いと思います)よりは普通の日本の国立大学の状況について理解しているつもりです。
1.日本の国立大学にはお金がないのです。「講師以上を独立にする」とのことですが、国立大学では運営費交付金の削減で准教授や講師が激減しました。その結果旧帝大でも「教授1+助教1(よくて2)」のラボが増えています。地方大学ではもはや「教授1+学生」「准教授1+学生」のラボも普通です。教員削減の結果として提言が実現されつつありますが、これは理想の姿とは違うでしょう。
研究費を取れない教員を運営や教育に回したってクビにできない以上は総人件費は大きくは減りません(社員を閑職に飛ばして給与を大幅に下げることは日本では禁止されていると理解しています)。したがって、新しく若手PIを雇う枠は出てきません。現状、「承継ポストの枠」は余っていてもお金が足りないから空けている大学・部局が多いはずです。「さきがけのようなグラントから50%程度の人件費を出す」とのことですが、ほとんどの国立大学には残り50%の人件費を負担する余裕すらありません。「JSTが100%だす」なら全国の大学が手を挙げるでしょうが、予算が切れたらサヨウナラです。JSTのテニュアトラック事業を持ち出しているのは、成功したスーパースターたちだけのことを思い浮かべているのでしょうが、あの事業の後には業績を上げても理不尽に契約を打ち切られた優秀な研究者が多数います。
2.「科研費を大型化する」とのことですが、科研費は現在の制度のもとで充足率は25-30%程度です。科研費の総額が現在と大きく変わらないとして、どの程度の充足率になるかを試算してみたらいかがでしょう? さきがけに採択されるようなエリート研究者たちはいいかもしれませんが、研究者コミュニティ全体の理解を得られるような数字になるかどうか、甚だ疑問です。
私自身も若い頃は日本でもこういう理想が実現する日が来るだろうと思っていましたが、現在はこれをどのように実現すれば良いのか道筋が全く見えません。「日本海から突然石油が出た」みたいなことでもない限りはムリな気がします。
確かに、ちょこちょことした、行き当たりばったりの短期的施策がたしかに多いですね。行き当たりばったりの細切れの多数の「改革」に振り回され、研究者が疲弊してしまっているのが現状かと思います。研究者コミュニティ全体で、サステイナブルなグランドデザインを議論し、個々の改革・施策はそういうグランドデザインに沿ったものであるべきではないかと思います。
そういう意味では、今回のスライドにある研究費についてのご提案は、以前から提案させていただいている基盤的科研費(これはグランドデザインを考えたものになってます)に、PIとしてのスタートアップ時の上乗せをするような感じがよろしいのではないでしょうか。自分、すでに若くないにもかかわらず、お花畑のような大きい案で恐縮ですが…。
「脳科学は次の10~20年に何をどう目指すべきか?」 というこの企画の主旨として、脳科学での「ムーンショット研究」的プロジェクトとして、どのようなものがありうるか、そしてそれをどのように目指すか、という意味合いも一部含まれています。そういう案について、オープンに案を出し合い、議論・洗練し、提案していくような仕掛け・仕組みを作ってみたい、という動機が背景にあります。これ http://scienceinjapan.org/topics/2018jns.html の最初のスライドの背景がムーンショットであったのはそういうことですね。
脳科学でも、普通の科研費で個人が行う個別の研究に加え、ラージスケールでないと実現不可能であるような研究も存在すると思います。例えば、Allen Instituteの各種データベースのようなものは、多くの研究者にとって極めて有用な情報を提供してくれるインフラのようになっていますが、科研費で個別の研究者が構築することは不可能で、ラージスケールにして初めて可能なタイプのものですね。
そういったタイプの研究プロジェクト案を、こういったイベントやネットでのネタ出しを参考にしつつ、学会の何らかの委員会が具体化し、その案をまたイベントやネットで公開して、議論して洗練させ、いざというときのために準備しておいたり、積極的に実現を交渉したりするような流れが欲しいところです。
例として、現在、脳科学連合の委員会で、学会横断的な産学官連携の中・大規模プロジェクト案が議論されているはずですが、そういう類のものもこの種の場でオープンに議論し意見を集約して洗練させる、というようになると良いのではないでしょうか。
脳科学のラージスケール研究の具体的な内容については、地に足のついた実現可能性が高いものが良いと思います。自分が関連している研究は、精神神経疾患の克服を目指した基礎研究ですが、まだその物質的な病因・病態すらはっきりとしない段階ですね。アルツハイマー病のAβ仮説ですら、根本的な見直しの必要性も言われているくらいかと思います。各種精神神経疾患の最も代表的なモデル動物や日本で作られた顕著な症状を示すモデル動物について、システマティックに評価ポイントを決め、各種オミクス解析(single cell RNA-seqやクロマチン構造解析など含む)から3D電顕、電気生理学的解析、in vivoの行動&イメージング、薬物反応性なども含めた表現型解析を行い、疾患モデル横断的なデータベースを作る、というようなものがよろしいのでは、と自分としては思います。
一方で、そういったファクトリー型の大型プロジェクトを行う際に、それに関わる研究者のキャリアパスやオーサーシップをどうするのか、というような問題もあり、工夫が必要かと思います。各表現型解析のコアラボのパイプラインを作って、半分はファクトリー型研究、半分は自由な研究をしてもらうようなアレンジメントがよいかもしれません。また、キャリアパスの最後として、中高年層の大学の教員にこの種のプロジェクトに大学などからどこかの研究所などの拠点にご異動いただくというのもありえそうです。
具体案はともかく、その種のプロジェクト案を検討する委員会をこの学会内につくる、というのもこの討論会の成果物の候補として提案したいところです。
五十嵐さんのご提言ですが、大筋としては国際比較として米国のことを比較されているのだと思います。これについても米国にいる若い研究者の方は賛同する方が多いのだと思います。ただ、私のようなものからすると、こういう提言を部分的に切り取って、それを短期的な施策として文科省などが実施してきたことが、日本の科学研究の場を壊滅させてきているのだと思います。過去において、米国で活躍された利根川進さんなどの意見を部分的に取り入れたことで、ポスドクを増やしたりして、それによって別の問題を引き起こしたのは記憶に新しいところです。日本の社会の構造を理解せず、部分的に米国のマネをするというのが、刹那的な予算と劣化したリーダーシップによって、しばしば悪い方向に行ってしまうのが日本の歴史です。
若い方は日本の研究の場の醜い本質をご理解していないので、花畑のような提言をされることが多いです。ある施策をすれば、それによって別の問題を引き起こしてしまうのも常です。まず、日本の社会の構造を深く理解することで、その根幹の部分を叩くような施策から始めない限り、失敗の歴史はまた繰り返されることでしょう。
The Human Brain Project Hasn’t Lived Up to Its Promise
Ten years ago, a neuroscientist said that within a decade he could simulate a human brain. Spoiler: It didn’t happen. ED YONG
https://www.theatlantic.com/science/archive/2019/07/ten-years-human-brain-project-simulation-markram-ted-talk/594493/
ヨーロッパのHuman Brain Projectを振り返る記事です。日本にも同様な脳関係のプロジェクトがあったと思うのですが、それについて、こういう評論を書ける人がいないのでしょうか。非常に大切なことだと思います。
「次の20年にどうやって脳科学にブレークスルーを生むか?」自由に動かせる研究費と人材が必要です。神経科学の関係者が一つ「ムーンショット研究」を立ち上げてみるというのがよいと思います。ここ数日、月面着陸50周年ということでアポロ計画の歴史について、振り返ることで、「ムーンショット」の意義を改めて考えてみました。日本の学術関係者の一部には「ムーンショット」は大変不評のようですが、アポロ計画に学んだり、ヒトゲノム計画、マンハッタン・プロジェクトなどを改めて考えてみることで、科学研究の進め方として、私は結構有用なのではないか、と思っています。ただ、日本の場合、リーダー研究者のあり方に大きな問題があり、真に信頼してまかせられるリーダーを見つけることができるか、ということがまず大切のように感じます。
提案③の科学政策を提言できる委員会を創設する、提言を政策として実行させるためのメカニズムを作る、という提案についてですが、賛成です。これまで、この種の分野横断的なトピック(ポジションや研究費のあり方など)については、「学会マターではない」ということで、個別の学会で議論されることは少なかったということがあると思います。しかし、学会以外にこのようなことを議論する場もほとんどないので、その結果、現状のような危機にさらされている、ということのように思います。
分野横断的な組織を(バーチャルでもよいので)作って、官僚や政治家と交渉ができるようになると良いのではないでしょうか。先日、とある企画で、「科学技術基本問題小委員会 https://blogos.com/article/374308/ 」というもののとりまとめ文書を作成された船田元議員と畑恵さんとお話しする機会があったのですが、このお二人の政治家も、そのような組織があるべきだという旨のことをおっしゃられていました。その企画に参加していた学術会議の若手アカデミーやサイエンストークスの方々などと、日本版AAAS的な組織を作る可能性の話で盛り上がりました。神経科学学会の「提言委員会」のようなものが、脳科学連合も足がかりとしつつ、日本版AAAS的な組織の立ち上げでリーダーシップの一翼を担うことができるとよいのではないでしょうか。
SfNが行っているようなアドボカシーが必要という意見は、以前から学会の理事会でもポロポロと出ていますが、みなさんご多忙ということもあり、(一部の先生方が少しされている以外は)なかなか実現していないという状況だと思います。「アドボカシー委員会」を立ち上げるか、ご提案の「提言委員会」がその役割を担うか、いずれにせよ、何か学会としての対策が欲しいところです。
特定の大規模プロジェクトを推進するようなアドボカシー活動も、研究者コミュニティの声をきちんと吸い上げて集約したものであるべきだと思います。しっかりコミュニティで案を揉んだほうがプロジェクト案のクオリティは増しますし、その結果、説得力も増すはずです。その意味でも、ご提案にあるように委員会は幅広い層からの委員で構成し、ネットやこの企画のようなイベントを通じて集約した声をアドボカシー活動につなげるような機能を持つことが重要であるように思います。
若手・中堅独立PIポジションが少ない、という問題ですが、この問題の解消のためには、ご提案のように、さきがけをK99的なものにアップグレードしてもらうようなことに加え、取得している研究費から自分の人件費や、研究以外の学内業務代行経費を支払うことができるようになること(教育デューティのバイアウトも含む)ができるようになると良いですね。
文科省の研究力向上改革2019の中に実はこれが含まれていますので、研究者コミュニティがしっかり後押しをすれば、できるようになるのではないでしょうか。
http://www.mext.go.jp/a_menu/other/1416069.htm
もう一つ重要なのは、研究成果が何年か出ていないような教員の場合、アドミニストレーションや教育、研究支援活動に専念するようなポジションに横の異動をしていただく仕組みを導入することではないかと思います。ライフステージと各人の特長に合わせた適材適所の人材配置の仕組みというように言い換えることもできると思います。これによって、研究室のスペースや、大学院生の枠が旬の研究者に移行されることになります。また、研究費に一部によるバイアウトによって、これらの教員の方々の人件費も負担されるようになる、と。
あと、やはりこのK99的なものを支えるべきは、科研費が基本となるべきではないでしょうか。JST版もあってもよいのですが、JSTはトップダウン研究ですので、世の中の流行りに極端に左右されてしまいます。ここでいつもの提案ですが、RO1並のものも含めた安定した基盤的科研費を導入していただき、PIポジションを支える基盤にするのがよいのではないでしょうか。http://scienceinjapan.org/topics/031413.html