2017.07.25 トピックス
研究公正を推進するためには何が必要か?
研究コミュニティでは近年、研究公正の推進をいかにして進めるかという議論が活発になっています。文部科学省には研究公正推進室が設置され、JST、AMED、日本学術振興会といった関連機関が協働して研究公正ポータルというwebサイトを運営するようになりました[1]。それに伴い、邪悪な研究者個人による不正行為というイメージは、研究活動に必然的に伴う「ミスコンダクト」という認識へと変化し、研究不正には包括的な対策が必要であるという考え方が広く受け入れられるようになってきました。
米国科学アカデミーは最近、Fostering Integrity in Researchという報告書を公開し、近年の研究環境の変化を反映した研究公正への取り組みを提言しています[2]。研究者のみなさまには是非目を通していただきたい内容ですが、そこで強調されていることのひとつは、研究機関が研究公正の推進において中心的な役割を果たすべきであるということです。「連邦規則を遵守すべき上限と考えるのではなく、これを最低限の義務として認識し、率先して高い規範意識をもつ必要がある」ことが述べられています。報告書には独立した非営利の研究公正諮問機関を設けるべきという提言も含まれています。我が国でも2005年に日本学術会議からアカデミックコートの設置が提言されましたが、実現していません[3]。
こうした変化をふまえて我が国のガイドライン等を調べると、研究公正の推進に対して研究機関に十分なインセンティブが与えられていないことに気がつきます。
・第三者調査委員会の設置、審議、報告書の取りまとめは、研究機関にとって大きな負担ですが、予算として平時から計上できるものではありません。
・研究不正の認定は、外部評価におけるマイナス材料となります。
・研究不正の認定は、間接経費の削減というペナルティにつながる可能性があります。
・研究不正の認定に伴う不正研究者の懲戒処分には訴訟リスクが伴います。不正の程度と処分との関係は過去の事例はばらばらであり、参照できる基準はありません。
・大型研究費を獲得している研究者の不正では、研究資金配分機関から研究費の返還請求は大きなリスクとなります。
一方で、
・研究機関による研究不正疑義の告発の無視、あるいは隠蔽に対するペナルティはありません。
・調査の結果、最終的に疑義がシロ認定された場合、調査報告書を開示する義務はありません[4]。
・文部科学省をはじめとする調査報告書を受理する側は、その内容の妥当性を評価することはありません。
研究機関は、研究公正を推進しようとしても不正を認定すれば不利益を被るという、利益相反の状況に置かれています。研究者ではない理事からは、わざわざコストをかけて研究公正を推進する意義を問われることもあるかもしれません。研究機関の利益を優先する場合には、以下のような対応が最適解でしょう。
・疑義の告発には出来る限り対応しない。匿名やweb上のものは基本的に無視する。
・調査委員会を設置する場合も、指摘のあった箇所に限定して調査を実施し、余分な調査はしない。可能な限りシロ判定になるよう資料を解釈する。
・完全なシロ判定に到達した場合は、調査報告書の公開請求には応じない。
こうした対応は、いずれも研究公正の推進を妨げるものと言えるでしょう。一方で、調査委員会が、指摘のない論文まで調査し、その訂正や撤回を求めている例もたくさんありますが、これは、当該研究機関が高い規範意識を発露した結果と考えることができます。しかしながら、機関によって対応がまちまちという状況は改善するべきです。
文部科学省のガイドラインは今後も研究環境の変化に応じて見直しがあることが明言されています。そこで、以下の提案を考えました。
・研究不正の疑義に一定の合理性がある場合、研究機関が研究不正を一切認定しないという結論であっても、調査報告書は全て公開し、不正を認定しない根拠を示す。あるいは、告発者が受け取る調査報告書を公開することを妨げない。(本調査に入る事例では指摘の合理性は認められているはずです。一方で予備調査で却下する場合もその理由は開示されるべきです)
・告発者、あるいは被告発者から調査報告書の結論に異議がとなえられた場合、文部科学省は第三者的な諮問機関に調査報告書の評価を依頼する。この評価にかかる議事は全て記録として保全し、一定期間後にこれを公開する。(第三者性というのは、手続きの透明性を確保することでしか保証することはできないと思います。現状では、関連学会、あるいはAPRINのような組織が諮問機関の候補となるでしょう。)
・アカデミックコートに相当する組織の将来的な設立を奨励する。
告発を無視したり隠蔽していることが発覚した研究機関は低く評価されるべきですが、こうした事例に対する罰則も設けた方が良いでしょう。一方で丁寧な調査報告を実施できた研究機関は高く評価し、調査費用に相当する予算配分を追加することも考えて良いと思います。大型の研究不正では数十億の研究費が雲散霧消することを考えれば、調査費用はそれほど大きな額とはいえないです。
研究不正の容認や、一貫性のない対応は、研究者のモラルを低下させると同時に、誠実な若い人材を研究コミュニティから遠ざけるものです。また、研究機関が専門家の指摘を軽視するという姿勢は、長い目で見れば、その研究機関自身の衰退につながるでしょう。活発な議論をベースに望ましい方向性を模索できればと思います。
田中 智之
1. 研究公正ポータル(科学技術振興機構)
2. McNutt, M., Nerem, R. M. Research integrity revisited. Science 356, 115, 2017
3. 科学におけるミスコンダクトの現状と対策ー科学者コミュニティの自律に向けて(日本学術会議、学術と社会常置委員会、平成17年7月))[PDF]
4. 研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン(文部科学省、平成26年8月)[PDF]
(抜粋)
4−2 告発に対する調査体制・方法
(6)調査結果の公表
①調査機関は、特定不正行為が行われたとの認定があった場合は、速やかに 調査結果を公表する。
②調査機関は、特定不正行為が行われなかったとの認定があった場合は、原則として調査結果を公表しない。ただし、調査事案が外部に漏えいしていた場合及び論文等に故意によるものでない誤りがあった場合は、調査結果を公表する。悪意に基づく告発の認定があったときは、調査結果を公表する。
③上記①、②の公表する調査結果の内容(項目等)は、調査機関の定めるところによる。
上記の意見は、筆者個人のものであり、その所属とは無関係です。また、ガチ議論スタッフの意見を代表するものでもありません。
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一世代前のものとされる生化学に比べ、分子生物学は実験手法自体からして「生産性重視」。キャリブレーションして絶対値を出す手間を掛けず、相対値で何倍、で次の仮説を立てる。速いよ。しかし、データをいじくりやすいことも事実。私は分子生物学とはそういう学問だと思ってきたw。売りが「速さ」のうえに「なぜそんなに急ぐのか、それは遅れたら何の価値もないからだ」を金科玉条にして競争させるのですから、現在の状況は当然の帰結です。論文の正否(成否?)は次の実験(単なる追試じゃありません!)で実証されるかで判定されること。金を出す側がそれを見極める目がないくせにレギュレーション強化を言うから詐欺まがいのことが起きる。詐欺を排除して厳格に実施できたとしても、淘汰で生き残るものが好ましいかどうかは期待薄。そもそも 文科省の本音は人減らしでしょ。競争的資金などと言って。研究は 競争に負けて不遇になっても「おもしろい」と思ってやる人間がすればよい。
アカデミックコートは組織になるのでご指摘のように簡単な話ではありません。一方、東京大学のように研究機関が率先してダブルスタンダードを認めてしまうことは大きな問題で、ミスコンダクトが発生した際の手続きを明確に決めておけば、このような状況には陥らないと思います。現状の文科省のガイドラインは研究機関の執行部に大きな裁量が残されているところに問題があり、また、研究公正に高い理想をもった人物が少数いたとしても大学運営上は邪魔者でしかありません。公的資金を活用して行う研究は、もっと公正さや透明さが必要です。監督官庁であれば、ガイドラインの内容を修正するだけで研究公正を高めることができます。
手遅れという意味では、10年くらい前にも見直す機会があったのですが逃しています。欧米ではうまく解決できているというわけでもありませんので、決して遅くはないと思います。「道は曲がりくねっていて時には後退しているようにも見える」わけですが、様々なアプローチで働きかけを続けることが必要ではないかと思います。
野球で言うところの王・長島級だったはずの研究者に深刻な疑義が無数に出ている現況では、もはやこのような提案は手遅れだと思います。一般の人からしたら、税金をこれだけ悪いことに使ってアカデミックコート新設の焼け太りとは国民なめんてんのかお前ら研究者は、ということになるでしょう。疑義はどうやら医学部の世界に偏っているようですので、医学部の基礎研究をいったん廃止することから始めたほうがよいと思います。身を切ってから出ないと、アカデミックコート新設のための新しい予算はでないでしょう。
現状の仕組みでもミスコンダクトの調査は公正に実施できる、あるいは第三者的な機関にリソースを割くくらいならば研究費に充てるべきだというご意見もあろうかと思います。
これまでの議論における課題としては、ミスコンダクトが研究コミュニティに与えるダメージがどの程度のものであるかという認識が論者によって大きな違いがあるという点があげられます。事案が可視化されず、調査結果も公開されないために、どの程度の損害があるかが分からない。自分の知る限りは大きな問題とは思えない。そういうご意見をいただくことがしばしばありました。
研究不正防止へ、倫理習得義務付け提言
https://mainichi.jp/articles/20170728/ddm/012/040/134000c
表に出てくる研究公正の議論が当事者からすると的外れに見える、あるいは逆に研究公正についての発信は過激すぎるものが多い、といった嚙み合わない対話は、前提とする現状認識に大きな違いがあるからではないかと思います。そういう意味で、ミスコンダクトの調査が軽視されている現状は憂慮すべきです。実態が分からないものの対策を適切に実施することは難しいからです。
このトピック、同じ議論の繰り返しで、進展が全くないようにも思えますが、各種事例がちゃくちゃくと積み重なっていて、
1) 当該機関が調査を行うことにわかりやすい明示的な利益相反があり、その仕組自体に問題があること、
2) 研究公正局のような第三者機関・組織がつくられる必要があること、
の2点の論点を強力にサポートしているように感じます。
遅かれ早かれ、この2点はなんとかする必要がありそうですね。