【帰ってきた】ガチ議論
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「ガチ議論」シンポ・テープ起こし (3/6)

ツイッターまとめ
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安宅ataka
今、近藤先生がおっしゃった話はすごく本質的だと思うんですけれども、企業の変革でもやっぱりそうなんですよね。全部一斉に変えるのは結構難しいと。トップが変われば変わりますよ、もちろん。それはもう、何でもできるんで。そうじゃない時は、普通に行われている一番よくあるのは、「出島」です。つまり、全く血はつながっているかもしれないけれども違うルールで動いている組織を作り上げると、中にですね。インサイダーアタッカー的に、組織なのか、その、ある種のグループを作っておくと。これをやっぱり作ってまわしてくっていうことをやらないとですね、一体何言っているんだか分からない人が99.9%なので、新しい事をやろうとするとね、ワークしないんですよね。その成功が回り始めればそこに人なり才能なり金なりが集まってきてですね、次にいく、というのが、まあある種変革の常道なんで、僕は「出島」を勧めたいですね。出島を何本か立てると、いうのを、テーマ別なのか何か分からないですけど、何らかの財源別にやるとかですね。ビデオでもちょっと言っていたかもしれないですけど、アメリカとかですと米軍が莫大な金出してくれるんで、なんちゅうかNSFとかNIHとは別枠の原理で動いていますよね。ああいう訳わかんない横槍を日本でも何か作ってですね、変えると、そこは全部出島と、もう自衛隊予算とかでとりあえず5000億ぐらいもらって、いやマジですよ、米軍の予算ってやっぱすごいんで、やっぱNavyとかからもらうとですね、数十millionの金っていうのがですね、わずかな研究者に10年とかドーンと入ってくるんですよ。軍事予算なんで。だからやっぱそういうものってのは、やっぱ活用すべきだと本当は思っていて、だからなんかそういったところでですね、出島を作るってのが、一番単純な始め方なんじゃないかなと、思っています。いっせいのせいはかなり難しいと。

近藤
出島って昔、筑波大学って昔、出島だったんじゃないですか。あれ、普通の大学になっていっちゃったけど。あれはなんでなんですか?

安宅 
次々に波状攻撃をする必要がある。ですから、出島には寿命があります。必ず。

宮野
例えばWPI(世界トップレベル研究拠点プログラム)、出島、あと、特区、出島。あんのよ。ただやっぱそのやり方が、たしかに吹っ切れてないってのは、ある。それはある。

原山
今私もWPIの話をreferしようと思ったんですけれども、あれの構想の趣旨っていうのは、過去のしがらみにとらわれない、まあ、大学レベルでは難しいので、ある種のユニットを大学の中に埋め込んで、そこはある種の治外法権、なにかっていうと治外法権っていうのは勝手に何でもやっていい訳じゃなくて、旧来型のマネジメントからの治外法権っていう形でもって、確立させて、かつ、大学の学長にはそれをサポートしますっていうコミットメントまでを要求したものなんですね。そういう意味で何年間か走らせていて、まあ、ある種の成果出てるっていうんですけれども、ここの一番の課題っていうのがその出島作った後どうするかっていうその後行程なんですよ。作るまでは、政策的にできるんだけれども、それを自分の中に埋め込むっていうのは、まあ形の上では学長の責任っていうふうに押し付けているわけなんですね。で、それでできるかっていうのが学長サイドの文句言うところであって、何が言いたいかっていうと、その、出島で社会実験することで、ワークするっていう、それが実際に分かったんだけれども、その後、半永久的にサポートしていくのか、っていう話と、自律的にするためにどういう形にすると自律的になっていくのか、もう一つは、あそこの意図したところは、さっきの出島を大学の中に埋め込んで、もしうまく行けばその出島の効果っていうのを大学全体に広めたい、っていうんですがそこまでほとんど行っていない、っていうそこもやはり問題意識で、どうしたらいいか、その辺の解決策っていうのを皆さんと議論したいと思いますが。それから、特区構想もそうなんですけれどもあれはどちらかというと規制改革の方にウェートが置かれてしまっているもんだから、本当に、本来目指す特区構想、出島的なものになっているのかというと必ずしもそうじゃない。その制限があるっていうのが現状で、ですので一般にいえばある種の社会実験を認めるという、その社会になっていかないとなかなかできない。その社会実験、どうやって続けていくか広めていくかっていう課題もありますけれども、一つは、そのやり方っていうのは、あるかなと。

川上kawakami
ちょっともう少し戻りたいんですけれども、さっき、二つぐらい前に安宅さんが言われた、こういう議論をする時にHowから入るんじゃなくて、志とかいわゆる理念から入ることは非常に大切なことなんですけれども、今、会場の人たちとその理念を本当に共有しているかどうかっていうのは不安になったので、私が思う理念っていうのは少し言っておきたいなと思ったんですけれども、日本の研究社会をどのように変えるか、どういうふうに持っていくか、っていうのは、とにかく徹底的に仕事のできる人が仕事をできる場にする。それにそぐわない人はそこから退場して別のことにトライをしてもらう。それによって日本の科学技術、研究のレベルを引き上げる。それが根本的な理念であり、それの副次的なものとして当然グローバル化も必要だし、グローバル化をさせるというのも理念の中に入れてやっていると。そういうことだと思うんですけれども、その辺は、会場の人たちも、その、日本のアカデミアの今後の行く方向性の理念っていうのは共有していただいていると思うんですけれども、それは、いいんですよね。そうでもないんですか?

鈴木
というかそこが一番問題で、いろんな出島をやってきたんですよ。というか3年に一回文科省はなんか出島を出しているんですよ。WPIがこれ、あれしてくると、ただそれが結局、僕の言葉で言うと共鳴しないと。ていうのはなんでかという話で、そこにはさっき先生がおっしゃった多数決問題っていうのがあって、やっぱりそれは多数決でやっちゃうと、それは支持されないんですよ。結局、そのことが。という話とね、それから、ちょっと、もっと戻りたいんですけれども、マインドマップっていうのは基本的に国の税金を使ってやる科学技術研究ということについてのマインドマップだよね。なんですよ。それで、残念ながらですね、やっぱりこの国は、やはり累積赤字で、累積債務でなかなか予算が増えませんと、いうことは非常に深刻にというかもうその所与のものとして受け止めなければいけませんと。それで、逆に言えばですよ、これも自慢話で恐縮ですけれども、科研費の基金化やって、そして科研費を2000億から2600億やったけど、結局共鳴がなくて、そのことが社会から全く支持を、支持率を上げることができなかったと。そしたら、もう、二度とこんなことする人はいませんよ。だからそういう意味ではそのことも含めてこの一戦が大敗してしまったっていうことによって、もうこのアプローチをもう一回出してくるっていうのは相当厳しいっていうことを、やっぱまずシェアしてほしいと。そうなった時に、出島と対極のことを言うんですけれども、やっぱり視野をもう一回広げるしかなくて、もうだから税金、でしかも税金っていうのは非常に癖が悪くてですね、とにかく多数決原理なんです。もっと言うと51%の人たちが反対しない、賛成よりも反対しないっていうことが大事で、ものすごくconservativeな使い方になっちゃうんですね。そうなったらこんどは企業資金っていうことなんだけれども、これはまた企業の論理でリターンっていうものがないと集まりませんと。でここはまあそれなりにみんな一生懸命頑張ってきて現状のところがありますと。じゃあ、第3のですね、その、基礎研究っていうものをやっていく、ファンド・レイジングの在り方っていうことを、本当にソーシャルイノベーションを、こう、みんなの知恵を出してですね、頑張って考えるっていうことを、そのまさにwillを持ってとにかく実現するんだと。実現するんだっていうことになれば、それこそいろんな知恵や人脈を総動員して、とにかくやってしまうと。そのべつに夢物語の話をしているわけじゃなくてですね、ビルゲイツ財団っていうのはまさに皆さんご存知のように、ある、もちろんフォーカスして分野ではありますけれども、別にリターンを求めない資金について、相当莫大なものを提供しているわけですよね。例えば。やっぱこういうその道をね、今例えばJust GivingとかShooting Starとかですね、そういうその小さなファンド・レイジングをしていくっていうような話が、少しずつ起こっています。それから12月1日はですね、サンタ・ランっていうのをやって、6000人のサンタの衣装を着た人が走って、そこのお金を、小児の難病研究に当てていくとか。ていうかね、こういうそのいろんな税金以外でどうやって基礎研究を成立させるのか、っていう知恵を出していくということを考えた方がいいっていうことと、それからやっぱり、本当にこの国の人たちはですね、科学技術に予算を投じるっていうことについての理解が、なかなか、難しいんですよ。さっきそんなことないって言いましたけれども、結局、その、やっぱり社会科学者をもっともっと動員しないと。科学技術研究のためのリソースを集めるために。社会科学者っていうのはそのための政策を作りそのための世論の支持を得るためにどうしたらいいかとか、あるいはマスメディア、メディア論やっている人たちもいっぱいいるわけで。やっぱり自然科学者だけだとしんどいんですね。僕が言いたかったことは自然科学者と社会科学者と人文科学者がやっぱり本当にタッグを組んで、この国の学術研究っていうのをどういうふうに、社会の支持を得るために、社会の支持がなかったらsocial resourcesは集まりません。いずれにしても。ということのプロジェクトを、やはり一つでも二つでも始めた方がいいっていうことをさっきからずっと申し上げたい。

宮野
基金化もね、結局さっきの繰り返しになるけれども、なかなか研究の成果って出ないからね、むずかしいんですよ。パーンって打ったらパーンって響くわけじゃないから。

鈴木
っていうかそれを続けるってことを、それがいいっていうことの支持がなかったわけでしょう。その、基金化して研究成果が出るとかでないとかっていうそんな話をしているわけではなくて。要するに国民の支持率が上がることにつながらなければ、税金(由来の研究費)は増えません、っていうことです。それが無理なんだったら、別の賛同者を得なければダメですっていう当たり前の話をしているんです。それからリソースの話のついでに言うとですね、ポスドクの話なんですけどね、これもみんなが議論している枠組みを広げるっていうことでいうと…、もう終わった方がいいんですか、インドの話を…、休み明けにした方がいいですか?

宮野
あ、そうですね。

宮川
ちょっといいですか。今、すずかんさんがおっしゃった社会科学者のサポートみたいなものも必要だっていうのは、ある種その科学政策のための科学みたいな分野が重要なんじゃないか、っていうことはあると思うんですけれども、僕はかなりそう思っていて、基礎研究か、応用研究かっていうふうになっちゃうとどうしても一般社会の方は応用研究、すぐ成果が出そうな応用研究っていう方に、主観的に、あまり科学的根拠もなく行っちゃうと思うんですよね。研究者の方は、どっちかっていうと基礎研究が大事だと、基礎研究が一番大事ですっていうことを、あまり根拠なく言うので、そこはだからどっちか、どっちがいいかっていう問題は単に科学的にある程度、ポートフォリオっていう言葉が出てきてたと思うんですけれども、どういうポートフォリオが社会として最適な成果を長期に見て生んでいくかということだと思うんで、そこのところがちゃんと科学的に、数値的なものも含めて研究されていかないといけないのかなと、いうことがあって。それは、安宅さんの、最初の方に言われていた38℃にするのか45℃にするのかと、すごく厳しくするのか、それともぬるいのが良いのか。これは、38℃に、いまちょっと38℃か45℃かっていうと、現状はですね、単純ではなくて、いまその上級のテニュアのポジションを取っている人は38℃で、それ以下の世代の人は45℃なんですよね。このコミュニティーの中でも全然違うんで。両方入っていると思うんですけれども、そこのところは38℃にするのか45℃にするのか、all or noneではない。多分最適のところが、ポイントがあると思うので、それはどれぐらいにするとアウトプットが長期的に見て出るかという、最適のところがある、その間にどっかあるはずなので、そういうところを、ちゃんとデータとか、歴史的なこととかも踏まえて検討していくことが大事なんじゃないかと思うんです。安宅さんがおっしゃったように、IT企業のようにですね、弱肉強食にしてしまうと、どんどん新陳代謝が激しい45℃みたいにしちゃうと、基礎研究っていうか科学っていう世界はおそらく短期的に成果が出やすいような、つまんない、バリューの低いものばかりでてくるようになると思うんですね。ある程度長期的に腰を据えていったほうがボーンとすごいバリューのあるものが出てくるということがあると思いますので。ただそこはですね、主観的な考え方かもしれなくて、データが必要で、研究が必要なんじゃないかなと思います。

宮野
うーん。よし分かった。

原山
いろんな視点から今日議論始めたんですけども、ちょっと発想を転換して、たぶんこちら側と対立関係というか、バリアーがあるような気がするんですけれども、本来は一緒に議論したかったっていう場だと思うんですが、多分共通認識というか、共鳴できる話っていうのは、研究の場というのがエキサイティングな場でありたいっていうのが研究者の趣旨だろうし、われわれもそういう環境を提供したい。中で、やっぱりここで研究して、でまた次のステップに行ってっていう、それがあったが故に最後に結果としてノーベル賞がついてきて、結果としてというのはそれを逆にしちゃうと、必ずしも今社会主義の国じゃなくてね、ノーベル賞何人だから、ここに何人投資して、なんとかだっていう、そういう要するにすごくもう、つまらなくなっちゃうんですよね。そうじゃない、研究者の将来の自分のチャレンジングなところの知的好奇心もあってまた応用ってことも視野に入れながら、なんかしたいというそういう環境っていうのを提示するのが我々の役目であって、そん中に入ってきてそれをうまく、うまくっていうかフルに、したたかに使いながら自分を高めていって、最終的には社会にも貢献しながら自分を高めるというのが両立するっていうのが育つような環境をどうやったら作れるのかっていうのが私の問題意識。だからそれに対して、ご意見いただきたいし、今のシステム、ここの中にいろんなこと書いているんですけれども、改善すべき改善できること、山ほどあるんです。ま、それは個々にやっていくぐらいでその積み上げと、それから大元のところでなかなか変えづらいところもある、それにも手を付けていかなくちゃいけないんですけれども、多面的に対策をとらなくちゃいけない。それからこのマインドマップは割と一次元的な話であって、これはその時間軸で考えなくちゃいけない話なんですよね。それがかなり抜けていくのと、これに書いてある項目っていうのはある種の、一つの角度から撮った写真であって、抜けている部分もかなりあるから、断片的な議論になってしまう、それもこわいことだと思うんです。でもこれやらないよりかはやった方が良いっていうのは、問題が明らかになるから。その問題をベースにしてどういう議論をしていくかっていうのが、やはりここでの対話だと思うんです。

宮野
たしかに。分かった。

近藤kondo
コメント拾ってほしいっていう意見が非常にたくさんあるんですけど、まず、コメントは基本的に「もっと具体的な話をしろ」っていうことが非常にありまして、多分皆さんの望んでいることを言うとすればですね、安宅さんの話が多分一番分かりやすいので、それに関して言うとすると、企業の場合は企業の最大利益をもたらすっていう目的の上にみんな働いているわけなんですけれども、大学の場合例えばそのinstituteの中で、instituteの科学的な価値を最大にしようとして働いている人はもう完全に一人もいなくって、完璧に自分の研究が自分たちの目的なわけですよ。だからもうそこが圧倒的に違うところであって、当然我々の理想っていうのはたとえばフェルマーの最終定理を説いたみたいな、ああいう人です。あの人が大学の経営なんかできるわけがない、ですよね。だからそういう価値観がもう圧倒的に違って、だから我々は我々の長を選ぶ時に、そういう大所高所に則った意見を言える人がいればいいと思うんだけれども、どうしても選んでしまうのは一番業績のある人、になるわけです。で、非常に研究業績のある人っていうのは当然、自分の研究に時間を使う人ですから。というわけで、そういう状態が、ありますよね。だからそういう時に、そういう状態に我々はいるので、非常に大所高所的な、こういうふうに考えろと言われても、もう困ってしまう。そういうのはやっぱある程度上の方で変えてもらわなきゃあ無理じゃないかなあと。我々になんとかしてくれって言われたって、それはできない…。

鈴木
でもそれおかしいでしょ、だって…。

近藤
おかしいですか?

鈴木
いや全然おかしいですよ。だって今仮に学長選挙、僕は反対ですけれども、選挙な訳でしょ。と、投票者が、voterがそういう研究業績よりも総長の仕事っていうのは、みんながエキサイティングになる環境を作ることだっていうことを勉強すれば良いだけの話じゃないですか。そうでしょ。その理解がないから適当に選んでいるから、そういう研究業績の高い人になっちゃっているわけで、そんなもんシステムの問題でも全くないですよ。それは。で、かつね、ご案内のように国立大学法人は今や学長選挙は意向調査選挙であって、本当にそういう経営能力のある人が選べるようになっているんですよ。意向調査に終わらせないで実態上引き続きまだ総長選挙、学長選挙の実態をしているのもvoterである研究コミュニティーの人間なんで、そんな話をこっちに持ってこられたら全然ダメ。

近藤
いやそう言っていただけるだろうと思って言ったんですけれども。

鈴木
もっとちゃんと考えた方が良いと思いますね。本当にこのコミュニティーは。僕はものすごく研究とか教育の多様性とか自治とか、まあそれからさっきのやつはね、それこそ科学技術イノベーション政策のための科学をやったって、答えは出ないんですよ。結局最大のベストポートフォリオはいかに多様性を確保するかっていうことなんですね。まあ、そのことなんです。で、じゃあそのためにはどうしたら良いかっていうと、もう一人一殺でですね、一人一人ちゃんとご縁のあるやつを、そのやっぱりこの世界は多様性が大事なんだということを、説いて折伏して回るっていう早くシステム論やっているよりもですね、その、私一人説得していきましたとかね、まあそれは隣の商学部長でも良いし、経済学部長でも良いし、あるいはマッキンゼーのコンサルタントでも良いし、そういう支持者っていうか理解者をとにかく増やすっていう、まさにsocial promotionを早くやった方がいいんじゃないですか、と、そういうプロジェクトをやった方がよっぽど今の状況っていうのが、僕はもっと増やしたいと思うけれども、で、その手法っていうのはね、みんな相手によって、相手の効用関数というか琴線に触れるところのツボが全部違うので、こっち側はとにかくいろんな引き出しを持って行ってですね、その日米比較が大好きな人にはね、その日米比較をすれば良いですしね、中国が大っ嫌いな人には中国は1.9倍とか3倍になっているんですよとか言えば良いし、それはそういうそのなんというか語り口あるいは語り部をいっぱい増やしていくっていうことを、僕は早くやった方が良いと思いますよ。

宮野
よし分かった。ようし。とりあえず今現時点でなんかあります?安宅さん、すっと、なんかあります?ちょっと、いったんあれ(休憩)しますけれども。その前に。

安宅 
はい。ご指名いただきました。ありがとうございます。ちょっとまず整理しておきたいのはさっき言った話なんですけれども、現状があってですね、どこを目指すのかっていうゴールがあって、まあwhereっていうのがあって、どうやって行くかっていうこのHow論、これが戦略なんですよね。だからゴールの話と戦略の話は全く違うわけですね。だから出島論の話は、僕はふっちゃって大変後悔したんですけれども、僕は変革の仕事をやっているんで、技術としてあるんですが、出島が答なわけではない。なんていうか、How論の一つのアイデアに過ぎないわけです。ですから、ここ(目指す姿:ゴール)をなんだっけ、という話をしっかりやんないとですね、あとはもうくしゃくしゃになっちゃうと。これ(ゴール)ってなんだろうっていうのは、私の理解ではさっきも申し上げたやつを今ざっと絵にしたんですけれども、この二つのループですね。圧倒的なvalueを出すという、この分子生物学会なら分子生物学会のとこで、そういう世界で出すっていうのと、そこんところに、非常に優れた人を集めて、育てて、ちゃんとエキサイトさせて維持し続けるという2つのループを回るっていうことをやらないと絶対これ両方回んないんですね。で、この二つのところをしっかりやるっていることだと、一応認識しています。で、左側のと右側のっていうのは全然違うっていうか違うタイプの問題なんで、このvalueを出すっていうところは国としてのフォーカスをはっきりさせなきゃいけないし、そうしないと金足りないんで、そこんところで正しくですね、評価をする、ちゃんと意味のあるとこに突っ込んでてちゃんとですね、利権化していなくてちゃんと未来に成果を生み出しうるところに、人ですよね、たぶん、お金が行って、それを踏まえて財源が配分されてそれが回るということ、というのはちゃんと回るっていうのはこっち側(圧倒的なvalueを出す)の話で、こっち側というのはどっちかというとフォーカスと評価だけの問題なんですよね。お金を握っていてちゃんとそれのほうをしっかりやれれば、変えられると、思います。というか変えられるんですよね。企業っていうのはそうやって変革してるんで。で、Tweet見てると企業と全然違うとか言っているかもしれないけれどもそんなことなくて、研究っていうのは国家としてのR&Dなんですね。国力のかなりの根源なんです。だから、われわれはこの明治時代で、大学を最初に作ったわけですよ。富国強兵の一番最初にやったことの一つなんですよ。文字を教えてすぐ大学を作ったんです。これものすごく重大なことで、これをやんないと国力が保てないから作ったわけですよね。そういう意識をちゃんと持って、ちゃんとアカデミアの人も訴求しなきゃいけないとともにですね、そうじゃない人もですね、ちゃんと理解していかないといけないと思うんだけど、それはこちらの(圧倒的なvalueを出す)ループなんです。でもこちらは全然違う話で、今いっぱいTweetで読んでいますけれども、ちゃんとしてですね、本当に良い才能を集められてるかっていうことについてはそこは僕は疑問があって、それなりの人が集まっているからこれだけの研究成果が出ているわけなんですけれども、そこの中でシビアに育成しているのかと。ちゃんと教育者、そして研究者として育成しているのかという話。またその人たちがですね、sustainableな生活ができるのかと。そもそもですね、アメリカを筆頭とする世界のresearch universityがstipend(給与)を出してですね、生活費も、生命保険というか病気の保険まで出してですね人集めている時にですね、日本の大学は何をやっているんだと。いうことですよね。こういうことでは絶対に勝てないですよ。どうやって、このIvy schoolなりCal Techなりですね、Stanfordなりですね、MITと戦うのか、ということです。年間数万ドルの生活費を出してですね、世界中から才能をかき集めている大学と戦う方法なんてないんですよ。絶対に才能を集められる仕組みを作り上げる必要があって、なおかつ、シビアに、来たヤツが学位が全員取れるとかいうのではなくて、アメリカみたいに半分ぐらい途中で代謝されないといけないんです。そもそも、Graduate Programに入ってきたら半分はやめなきゃいけないっていうふうに回っているわけですね、アメリカとかでは。そのくらいシビアにですね、ちゃんと経済的な条件はあるけれどもシビアに育てて、そしてその後も、tenured professorであろうとグラント取れなくなったら大学から出なきゃいけないっていう恐ろしいアメリカの仕組みをですね、しかもグラントから自分の給料を払うわけですよ。大学が払っているわけじゃないですよ。大学におさめているだけでそこから自分が金とっているわけですよね。あのようなシビアな仕組みを突っ込まないとですね、こっち側(本当に良い人を集め維持する)なんかできないです。右側の仕組み(圧倒的なvalueを出す)と左側の仕組み(本当に良い人を集め維持する)というのは違う話であって、これ、切り分けて議論しないと、いけないのに、一緒くたにやっていると、いうことがそもそもこのですねシステム改革の非常に困難を感じているところ。たぶんそれなんじゃないかなあと、今聞いてて思いました。

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