【帰ってきた】ガチ議論
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「ガチ議論」シンポ・テープ起こし (2/6)

ツイッターまとめ
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原山032414-2b
「個」対「システム」っていう、先ほど宮川先生のイントロなんですけれども、これはシステム的な問題であって、であるが故にシステムレベルでの解が必要だっていう、そういうふうにおっしゃっていたんだけれども、果たしてそれだけかっていうのが私の疑問です。今日できればこういう形でもって深堀りしたいのは、その中の「個」、っていうのは個人、皆様方一人一人、私を含めての個人もあるし、組織的な「個」ですね、大学、まあA大学B大学、その中のユニットであるかもしれない、その「個」がどういうふうにこのシステムに対して反応していくか。必ずしも、システムがあるからって、それに言えない、という世界じゃないと思うんですね。それに対して反発していく方もいらっしゃるでしょうし、それを変革させるために動く方もいらっしゃるでしょうし、そのアクションを取らない限りは、改良できない。それからもう一つは、さっきのシステムの中で欠けてた言葉はプラクティスと書きました。何かというと、慣習とか言葉でも言われるんですけれども、実際、日々、研究者として生活を送っていらっしゃるんですよね。ラボがあって、発表の機会があって、それから審査があって、うんぬん。で、そのプラクティスっていうのが、今の状況をベストだとは誰も思っていないんだけれども、それを何らかの形に変えようと思って動いているか。動いている人もいますけれども、なかなか体制の中で飲み込まれてしまうっていうところがあるし、自分の若手であれば昇進のことを考えると、まあここで歯向かってもしょうがない。いい子ちゃんになっちゃう。って人もいるかもしれない。で、そこの箱に入れない人っていうのは、一つはドロップアウトする、っていうことかもしれないけれども、まあ元気のいい人は外に飛び出しちゃえばいいんです。私もあのメッセージで言ったのは、日本がダメなら外に飛び出せばいいんじゃない、っていう、私は、考え方です。そこで外に行った人がさらにパワーアップして、日本に新しい風を吹き込んでくれる。なんかその循環がないことには、停滞、なんていうかな、衰退しているところはなかなか元気にならない。それがどこの場で活躍するか。逆に企業の中にいって、飛び込んでいって、その体験をまた大学に持ってくる、いろんなやり方があると思うんですね。そのやり方っていうものを完全にexcludeしてるかっていうとなかなかそうでない。ですので、そのプラクティスっていうのはgivenなものじゃなくて変わることが可能であって、社会、institution全てがそうですけどね。それに対して行動を誰が、人がとるのを待っているか、自分がとるか、一緒にとるか、一緒に取るのが一番強いんですよね。という、問題提起です。

宮野
なるほど…、そのたしかに先生のいう日本に、行って、また戻ってきてその人が刺激を与えるっていう意味では、その結果システムが変わる、っていう反応はありますよね。

原山
言い忘れたのはその、先ほど宮川先生が問題をリストアップしましたよね。研究資金の話とかポストの話とか。ほぼ全部は、日本だけじゃなくて、他の国も共有しています。G8のサミットでもって科学技術大臣、もしくは顧問の方と議論するとみんな同じこと悩んでいます。で、いかに改善するか改良するかっていうのを議論していて、お互いいい知恵ない?っていう形です。その中で2つだけにほんにspecificなのがあって、一つは内向き思考と、もう一つは学会が多すぎる。それは日本に特有な問題で、それは日本で考えなくちゃいけない。

宮野
なるほど。他の方、どうです?はい、先生。

鈴木suzuki
ちょっと長いんですけれどもね。さっきからシステムって言っているのが私はちょっと気になっていて、私は日本の問題はね、「システム改革論過剰症」って言っているんですよ。システム変えたってしょうがないですよ、ていうか、変えるにこしたことないけど、システム変える変えるって言って何十年経っているんですか。結局変わっていないですよね。で、ここは分子生物学会なんで、社会システムじゃなくて僕はいつも言っているのが社会オーガニズムだっていうことをちゃんとまず理解してほしいんですよね。そこはその生物学会だからこそ言っていて、で、まさに個体と環境のinteractionということを、そのシステムだともうstaticな、所与のシステムがあると。そうじゃないという議論を生物学会はしているんじゃないかと。にもかかわらずなぜこんな話になるとシステム論をやるのか、っていうのが一つあって。で、ソーシャルオーガニズムを理解して、やっぱり具体的な改革を仕掛けられる多様なプロ集団とかプロネットワークが必要なんですよ。残念ながら、理科系の方々はですね、中学校3年の政治経済で停まっている人が多くてですね、で、ソーシャルオーガニズムってのはね、要するになぜその社会科学があるかっていうと、正しいことがそのまま実現しないから、どこにどういうふうにそれを阻んでいるものがあるのかっていうことで社会科学っていうのは成立しているわけですね。で、例えば、マスコミの問題等々もあります。この中で、リップマンを呼んだ人がどれだけいるか分かりませんけれども、マスコミっていうのは、1922年のリップマンが書いた「世論」ていう本があるんですけれども、必読書です。要は、世の中にある、間違っていようがはびこっているステレオタイプを利用して、まず大衆民主主義になると、それでもって世の中分かったという気になりたいと、人々は。そして、マスコミはそのステレオタイプを補正するどころか、それを活用して自らの発行部数を増やす、っていうことを言っているんですね。未だに、変わらないんですよ。別にそれは日本のマスコミだけの問題じゃない。じゃあそのステレオタイプをどうやって打破するのか。謝ったステレオタイプをどう打破するのか、っていうことについて、要は、ここにいらっしゃる方の言っていることは正論です。基本的に。しかし正論がどう通る、実現するかっていうことについて、何から始めるか、っていうことで、もちろんその中にシステムが…。だから現状分析はこれでもうオッケー、だと思う。次に、どうやって直すのか、っていう話です。で、今日はそれで呼んでいただいたんだと思いますが、ここで提案のあったことはですね、私たちは、一回トライしました。ほとんど。僕は政策分析論とか政策過程論、政策プロセスのもともと研究者ですけれども、私の世界では、別の、皆さんとは使い方が違うけど、創発と共鳴っていうことを言っています。少なくとも2009年から2年間ないし3年間の文部科学省はですね、科研費の基金化もやりました。一部実現しました。それからですね、ここにあげられたこと、いろいろ創発はしました。しかし、なぜそれが持続しなかったかというと、それは共鳴が足らなかったからなんですね。そうすると、どういう共鳴体を作りますか、っていうことの議論を今日はなるべくした方が良くて、逆に言うとその、逆共鳴があるわけですよ。逆共鳴に対して共鳴し返さなかったとか。そういうことなんだろうと、私はそう思っています。難しいのは、これ、オーガニズムなんで、一カ所だけ変えてもダメなんですよね。やっぱり新しいサイクル、っていうかね、セルフオーガニックなサイクルをどうやって生み出していくかっていう、まあそういう議論をした方が、僕はいいと思う。

宮野
うんなるほど。でもサイクルもある意味システムだわな。サイクル、っていうのはシステム。

鈴木
システムは誰が創発するんですか。誰がイニシアティブを取るんですかっていう議論なんですよ。マックス・ウェーバーっていうのはね、支配ってこういう風に言っていて、一番最初はカリスマ的支配なんですよ。その次は伝統的支配で、最後がまさに法による支配、ある種システマティックな支配。そういうある種のシステムができるまでですね、いろんな別にそのカリスマっていうのは有名な人っていうのではなくて、勇気を持ったいろんなチャレンジがあって、そのほとんどは死んでしまうんだけれども、そのうちの1000の3つぐらいが生き残って、まあ生命だって同じでしょ。それに対していろんな新しい生態系っていうものが生まれていって、それが全体に対して影響を与えるっていう。その一番最初のイニシアティブっていうか、創発をどういう風にもっと生んでいくのか、とか、そういうことをどうするんですか、みたいなことを、考えていった方が良いと。さらに私の言葉で言うと、ソーシャルイノベーションをやるためにはルールとロールとツールのベストミックスが必要なんです。で、僕が言いたいのは、ルール論ばっかしやっているから。そうじゃなくてロール論とか、あるいはツール論とか、そういうことを同時にやってベストミックスを考えたほうがいいんじゃないですか、っていう問題提起です。

宮野
分かった。よーし、ちょっと色々思ったけど…、はい。

川上032414-2a
ちょっと3行書いたんですけれどもそのうちの一つ。アカデミアの自律っていう話をさっきしようかと思ったんですが、まったくさっきから鈴木寛先生が言っている話、全く共鳴しているんですけれどもね、システム論の議論が多すぎるというのは全くそうだと思うんですね。システム論っていうのは何がやるのかというと、一番システム論が得意なのは行政が得意です。今のアカデミアの問題っていうのは、文部科学省に頼りすぎているっていうか、頼っているんじゃなくて敵として見すぎているのかもしれませんけれども、結局行政にいろいろなことゆだねているから、システム論の議論だけが先行して、実態の議論というのが全然顕在化してこないという、そういうことがおこっているんじゃないかと。従ってこういう学会で議論するのっていうのは非常に良いことだと思いますけれども、システム論に陥って行政に対してあれをしてほしいこれをしてほしいというよりも、アカデミアの中で一体どうしたら解決するのか、システムでなくてロールであったりツールであったり個人であったりですね、そういうところに降りてぜひ議論をしてほしいなと思います。それから「プラス11マイナス10」という式を書いてみたんですけれども、残念ながら日本の公式セクターは今大きな赤字を抱えていて、資源配分の動きというのは非常に鈍くなってます。第4期の科学技術基本計画で25兆円投入するとか言ってますし、第3期も25だし第2期は24、ずっと達成できてない。財政が非常に硬直化しています。さきほどの宮川さんの議論を聞いていても、あれをしてほしいこれをしてほしい、あれをしろこれをしろというのはあるんですけれども、なんでもかんでもプラスプラスプラスということはできません。プラスをやるためにはなにかを切らなくてはいけないというのが現実です。やはりそういうとこに目を向けて、これをやめてこれをやる、こういう議論をやらないかぎり、言葉としてはいっぱい走りますけれども、現実に実現するのは、今、ほど遠いことになるということなので、なにをやめ、それをどういう風に直す、こういう議論を是非してほしいなと、いうふうに思っています。

宮野
分かった。一つ思ったけど、今審議官がおっしゃったようなそのシステム=政策って置き換えてもいい気がしたんですよ。何となくね。政策ってシステムかな、ここであるのはその政策が集まってシステム形成しているわけなんで、さっき鈴木先生のおっしゃった…、宮川先生、なんかマイク持って…。

宮川
システムっていうのをどういうふうに捉えるかっていう、その、政策なのか、ちょっと言葉が、システムとオーガニズムの関係がちょっと良くわからないというのがあったんですけれども…。

鈴木
わたしは文科省の人にいろいろ言っていたのは、中央省庁っていうのはほとんど政策っていうかシステム作りが仕事なんですよね。だけど、もうちょっとプロジェクトやろう、っていう話をして、それはまあ非常にやってくれたと思うんです。それで、要するに何が言いたいかっていうと、固有名詞とか、5W1Hが入らない議論はあんまりしてもしょうがなくてですね、まあそれは重要ですよ、だけどさんざんやられているので、東京大学の理学部はどうするのかとか、京都大学の理学部はどうするのかとかですね、あるいはその理研の生命系のプロジェクトはどうするのかとか、そういうプロジェクトを、で、何が言いたいかというと、これは企業だってそうですけど、ありとあらゆるプロジェクトというのは、なんらかの制約下の中でやっているわけですね。その中で、その制約下の中でうまくやっている人とそうでない人がいるわけで、どういうふうにこの中でうまくやっている人がいるかっていうのをちゃんと見つけて、そのプロジェクトの全部の要素を解析して、それをどうやって2倍にするか4倍にするか10倍にするかっていう、そういう戦略論の方が具体的に世の中なんかこう…、もう堂々巡りなんですね。この議論ていうのは。もう20年ぐらい。私は元々通産省の役人をやっていましたけど、それでずうっとそれこそ工学系の方達と議論をしてきましたよ。だけど、結局その議論の延長の中でなんか変わったためしは、なかったと。それでプロジェクトっていうことでいろんなことやってみたけれど、結局それに対して、さっきの共鳴の話で、まあ大した話じゃないんですよね。なんか共鳴システムを作ろうっていう話じゃあなくて、そうだそうだそうだとみんなが騒いでくれれば、よかったのにとか、あるいは、そうだそうだと言ってメディアの人も巻き込んでですね、科学系のメディアの人はいいんですよね、いつもね、だけど科学系のメディアの人が政治系のメディアとか経済系のメディアの人にアプローチできないところがあるんで、そういうのってべつになんかこうシステムとかいう話じゃなくって、誰さんと誰さんが仲良かったりして、それをどれだけうまく使ったとか、使わないかとかって、そういう、だから僕が言いたいことは、もっと固有名詞の議論を早くした方が、生産的だったという経験を持っているという。

宮野
なるほど。全く。全く。

宮川
ちょっとその共鳴のところについて、ちょっと申し上げたいんですけど、共鳴が確かに起きないんですね。その先ほどの単年度予算の問題についてもですね、ほとんど共鳴しているはずなんですね。本来。たぶん。皆さんここにいらっしゃる方で…。

…それは、ごめん、同意っていう意味よね。賛同とかいう意味よね。

宮野
賛同、ええ。賛同という意味ですね。賛同されているんだけれども、共鳴してない。賛同してるけど共鳴してない。この賛同している声が、全然上がってこないんですね。なので、せっかくすずかんさんとか、文科省の斉藤さんもご尽力されたと思うんですけれども、基金化のお話を、進めようとしているのに、なかなかこのコミュニティーのこれはいいなあというような声がですね、あんまり聞こえてこないんだと思うんですね。なので、こう、今、しわしわしわってなってしまって…。

宮野
よし分かった。

宮川
その共鳴しないって部分でですね、やっぱり研究者が声を上げにくいと。何か意見を言いにくい。ネットでも、こういう公の場でも、意見をいいにくいっていう、ここは「システム」があると思うんですね。僕は。それは「システム」だと思う。文化とか、オーガニズムかもしれないですけど、それシステムだと思っていて、その、偉い大御所の先生がトップにいてですね、あと文科省の偉い官僚の方々がトップにいて、そのヒエラルキー構造がタコツボ型にいっぱいあると。で、このヒエラルキー構造、これ、システムだと思うんですけれども、この構造の中で、意見を言いにくいんです。何か意見を若手の方々言ってくださいっていうと、今後の将来に響くのでとか、研究費が当たらなくなるかもしれないんでって、声を上げにくい、というシステムが僕はあると思うんですね。そこのシステムを変えると、たぶんオーガニズムが動き出してくるんじゃないかと、いう気がします。

宮野
うん。はい。

原山harayama
今、最後におっしゃっているシステムっていうのはどっちかっていうと私が言ったプラクティスというこれまでの慣習なわけですよ。それで慣習が一番やりづらいのは、制度だったら制度、法律を変えればいいんだけど、慣習ってそうトップダウンで変えられないわけで、現場で変えるしかないんですよ。しかもその慣習っていうのは、現場によって違うんですね。日本の、アカデミアの慣習は大雑把に平均化して言うことができる。今のその発言、言いづらいというのはだれも縛りかけていないわけであって、言えば、言える。必ずしも審議会の委員であれば意見を言えるわけではなくて、ある種のウェイトを持つかもしれないけどそれだけでないっていう、今、インターネットというものがあって、今は、ここでもそうですけれども、割と一瞬にして自分の意見を世界の人たちに発信できるという現状になっているんですよね。それを踏まえれば、そういうツールも使いながら、やはり、個人では難しいようであればチーム、グループでもって発信していくっていうやり方はあると思うし、それで聞く耳は政策作る側も持たなくちゃいけないし、持っていきたいと思うし、やろうと思っています。ですのでこれまでの自己規制で縛られるっていうことをなるべくやめてほしいし、それでなにか問題があったら言ってくれればいいんです。それじゃないと変わらないと思うし。それからさっき、そこの中(Twitterコメント)で見ていて、外国に行って戻る場がないっていったって、戻る場がなかったら外で頑張りゃいいじゃないというのが私で。今、国境って何なのかっていう話になっていくんですね。国境の中で、日本って島国だからそういう国境ってあるけれども、知識やたとえば人の交流って視点からいうと国境っていうのが旧来型の国境じゃなくなっているわけなんですよ。それをなかなか認識しづらいし、やはりそれを意識しながら自分のポジショニングっていうものを考えないと、狭い日本だけの中ではですね、なかなか新しいことがチャレンジできない。もちろんチャレンジできるような日本にしたいと思って私も日々の仕事をしているんですけれども、それだけじゃ不十分だし、いくらあがいたところで、高々っていう。でもあがかなければしょうがないことは分かっているからあがいています。だけども、一人で踏ん張ったところで、皆さんの話なんですよ。

宮野
うん。なるほどね。個々人の問題に行き着くと。最後の方。

安宅032414-2c
安宅です。この中で僕だけがステイクホルダーではなくて、なおかつ、変革を仕事としています。だいぶ多分見解が違うと思うんですけれども、一言で言ってですね、最初の宮川先生の話を含めて聞いてて思ったのは、これです。「甘えと、血の澱み」。えっと、もう、たるんでる話ですよね。これ。一般の経済社会ではもうありえない、ふざけた話がされているというふうにほとんど聞いていて思います。突っ込んだものをやって、成果が出たら何かを得てですね、何も出なければ、去ると、いうのが経済原理なわけですよね。私今たまたまITの世界にいますけれども、インターネットの世界で生み出された会社っていうのは10年以内に99.9%が消えるんですね。消えるんです。本当に消えているんです。それでまたチャレンジして、ダメだったらまた諦めて別のところに行くとかそういう世界です。それはインターネットだけじゃなくてですね、あらゆる世界で起きていて、僕が大学を出た時にあった12行の銀行っていうのは今3つのメガバンクになっちゃったわけですね。で、私が91年に大学出たときは、各行800から1000人、だいたい一万人の人間を都市銀行は取りました。今残っている人はですね、この20年以上経った今、明らかに数分の一なんですね。これが普通の社会であってですね、そのような代謝が起きてなくてですね、文句を言うというのは、やはりちょっと社会の仕組みとしてはおかしいと。いうふうに感じます。なんでこうなっているんだというのをずっと聞いてて思ったんですけれども、一言でいうとですね、変革っていう話っていうのはHow論から入ったら絶対いけないですね。一体何を目指すのかという、志と目指す姿ですね。我々って何を目指すのかっていうことから始まってですね、一体何がギャップ化っていうのがはっきりすれば、何をしたら良いかがはっきりすると。そこがずれてですね変革をするとか不可能です。私も今も変革していますし。これまでも何十年も、まあ何十年もやっていませんけれども十何年間か変革してきてですね、前の職場でもやってきました。多くの会社でやってきましたけれども、ここの議論なしにやるのは無理と。そこのところについて一番大きなポイントはですね、おそらく、今日本の科学っていうのはそんなに悪くないと、皆さんが感じられているとおりで、明らかにアメリカの次だと思います。おそらく。特に生命科学研究はですね。で、この状態でいいのかと。イギリスに並び合うぐらいのところでいいのか、アメリカに並び合いたいのかっていうところで結構大きな分岐点があって、で、そこになろうとした時には、我々は、一言でいうとですね、「何度の風呂に入りたいのか?」っていう問題に突入するんですね。今の38℃で何となく生きていけるっていうところが良いのか、45℃だけども生きている人はピンピンしていて世界で伍すというひとが山のように出てくる状態で、その代わり大多数の人が代謝されなきゃいけないというような仕組みとどっちが良いのかということが実は問われていて、これはポスドクの人であろうと、PIの人であろうと、もう莫大な犠牲を伴うというかですね、多大な対価を伴う決断になります。これを避けてこの議論をしている限りは、答えは出ない。結局どっちなのかということについてですね意思決定をされない限り前に進まないんですね。それか少なくとも意思決定ableな人がですねどちらかに舵をきらないと、そっち側に行かないと思います。これがすごくおっきな問題じゃないかと。システムの話っていう話がいっぱい出ていましたけれども結局のところこれ企業と一緒なんで、非常に力強くてdistinctiveなアウトプットを出すという、このvalueを出すっていう側と、そこのvalueを出すための仕組みとしてですね、非常にもう突出した才能のある人を呼び集めてきて、その人たちをエキサイトさせて、育てて、そういう人たちをちゃんとこう維持し続けるという両側のサイクルが回って初めて系として回るわけですよね。会社もそうですし、会社じゃないような組織もそうです。アカデミアというかこの分子生物学という学会もそうであるはずであって、両側のサイクルを回そうということを本気でやるんであれば、けっきょく温度論にならざるを得ないと。これをどうするのかっていうことをやんないとですね。もうたるい議論で何十年経っても解けないと。いうことになると思います。ここは多分分岐点の最初だろうと。

宮野
まったくおっしゃる通り。で、ここで難しいのは、性質なんですよね。アカデミアっていう宿命。二つ。研究っていうのを、本質的に評価できる?ノーベル賞、ほんといいかなあ?いや、わからん。そのcitation良い方がいいかなあ?わからん。誰かノーベル賞、こいつノーベル賞になる、仮にいいとしたらノーベル賞になる研究っていまからピックアップできるかなあ?わからんわ。次、人材。こいつザッカーバーグになるかなあ?こいつジョブズになるかなって今からみつけてジョブズ育てられるかなあ?わからんわ。卒業した後、なるかな?わからんわ。つまり、敢えていうと定量化できない二大巨頭を大学って背負っているんですよね。そういった意味で、なんか、勝ち負けって何なのとか、そもそも研究って何なの、っていう話になると思いますけれども、それがやっぱ、おっしゃる通り、安宅さんの文脈でいうなら、理念っていう部分がまだやっぱり僕らは、僕らは、って言いました。研究者とか文科省とかステイクホルダーとか日本があんまりまだ熟度が低いのかもなあって気がしてね…。はい。誰かに任せます。

鈴木
少なくともね、文部科学省、科学技術イノベーションの政策のための科学っていうのをもう2年走らせています。そして科学の世界が定量化できるものと定量化できないものがあるっていうprimitiveな議論はもう卒業していて、かつ、要するにもう科学技術投資のポートフォリオっていう話をもうしています。別にall or nothingの議論じゃなくて、そのものすごくベーシックなノーベル賞狙いのハイリスクハイリターンをどういうふうなポーションにするのか、それから当然物差しもですね、たしかに上場会社の場合は株価の最大化とかね、あるいはその利益のmaximizationということはあるんだけど、これも、もう、多様な物差しでやればいいんです。多様な物差しをいっぱい作って、その中で、確かに定量化できないものでも、基数化はできないけれども序数化はできるものは序数化をすると。いうようなことの、いろんなゲームっていうか、いろんなしのぎっていうか、切磋琢磨環境を…、だから経営と違うところはそれがワン、一つの物差しで片がつく話と、ものすごいいろんな物差しがあるっているところは、付言しなければいけないんで、あとはそのバランスをどういうふうにするのかっていう議論までは少なくとも文科省はしていて、で、そのための科学技術政策のための科学、これをとにかくそういう人材をいっぱいこれから養成しなければいけないよね、っていう議論までは行っているということは、ちょっと、情報として補足しておきたい。

宮野
なるほど。

斉藤saito
発言させていただきます。この図なんですけど、ちょっと話戻っちゃってすいません。右上に文科省タスクフォース作成って書いてあると思うんですが、このタスクフォースというのがまさに私が担当していて、文科省の中の中堅若手職員が集まってこういうような長期ビジョンを書いてみろというような業務の中でやったものなんですけど、それをやった感じとして、感想なんですけれども、えらく、これ作るの時間かかったんですね。時間かかったというのはその要するに今までこういうことあんまり、少なくとも全体を一枚の絵に入れる夢を持っている人があんまりいなかったような気がしますし、しかもそれぞれがどういうふうにつながっていて、これよく見ると青いのがいろいろ問題点を書き出していたんですけれども、これぐるぐるぐるぐる悪循環が回っちゃってるかんじになっちゃっているんですよね。それをどういうふうに、止められるのか、いいスイッチを入れていい方向に回せるのかみたいな、その全体の議論をする場所がどこにもないんだなあというような気がしています。いまその鈴木先生のおっしゃった政策のための科学もまさに担当者として私立ち上げに関与させていただいたんですけれども、おっしゃったような志をもって立ち上げたんですが、やっぱり、全体としてその全体の最適化とかビジョンを作ろうとかっていう業務が、まあ行政もそうですし、研究者もそうかもしれませんが、あんまり敬畏されていないというか、時間をかけないのが普通というふうな感じになってしまっていて、政策のための科学もなかなかその何年かやっているんですけれどもあんまり浸透してないというかですね、当初思ったほど、広がってないですし、その行政と研究者のコミュニケーションというのも、当初期待してたほどは広がっていないという現実も多少あるのかなあということも思っていまして、そのまさに、おっしゃっていたビジョンとか戦略とかっていうのをまずちゃんと作ってっていうものをどういうふうに考えるのかっていうことかなと、そういうふうに思います。

宮野
そうね。ただ、さっき僕、評価できない2大巨頭を扱っているっていうのを言いましたけれども、最近、バックキャストっていう言葉があります。「ありたい姿から、こう考えて、今を考えよう」と。でもだんだんそれに疑問を持ってきて、ありたい姿を一つで規定するって無理よね。で、無理にそれをやると、「幸せがいい」とかなる、と思うんですよ。すっごい最大公約数とかなっちゃって。何が言いたいかというとそれこそ今はやりの、って言ったらなんですけど、シナリオプラニングね、「こういうきっかけがあるからこういう未来が来る、もしこれがこうなったらこうなる、もしこうなったらこうなる」っていういくつかのオプションというか、シナリオを想定してね、そっから導きだす。ある意味それ、想定する未来を一つにしないという意味で、バックキャストですけれどもね。そういうの大事だなと思いました。
どうするかな。後5分ですとか言われていますけれども…。

近藤
僕あんまりしゃべらないとこうと思っていたんですけれども、結局、将来的に何を目指すかっていう時に、意思決定のシステムが例えばその我々の大学とかでしたら、ある意味多数決、みたいになるわけですよね。そうなると、非常な痛みを伴う決定っていうのは、まず出てこない。ですよね。当然。だからそこを変えて、要するに決断をするのを、個々の末端の兵卒である我々からどっかに持っていかない限り、我々は生き残れないっていうことになるわけですよね。そこの、システムというか、制度というか、が、変えるか変えないか。で、それを変えるとしたら、誰が変えるのかっていうのが、たぶん皆さんが思っていることじゃないかと、思います。

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