【帰ってきた】ガチ議論
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科学技術にまつわる課題の議論は、この日、此所で完結する!

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本記事は、企画当日までに皆さんの問題意識をできるだけ多彩に集めることを目的としています!

記載した資料(pdf)をご覧ください。これは文部科学省科学技術タスクフォースが作成した科学技術にまつわる一連の課題シナリオです。例えば、これ(下の画像クリックでpdfが別ウインドウで開きます)をご覧になって、

110513b

(同一内容をPrezi形式に変換したものです) 

・ここはまったくその通りだ!
・ここはこっちの方がしっくりくるのでは?
・あの要素が含まれてないよ
・ここの部分は削除してもいいんじゃないかな
 

などなど、ご意見をお寄せいただければ幸いです!

これらの課題、いったい誰の責任で、誰がどう解決するのでしょうか!? 本番では、いただいたコメントを題材として、重厚なパネリストとともに議論を展開していきます!


京都大学学際融合教育研究推進センター准教授・総長学事補佐
宮野 公樹
(「日本の科学を考えるガチ議論」本番にファシリテータ役として参加予定;この意見は筆者が所属する組織の意見を反映しているものではありません)

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“科学技術にまつわる課題の議論は、この日、此所で完結する!” への50件のフィードバック

  1. tsuyomiyakawa より:

    事務方のモチベーションが(概して)低い理由は、図中の
    「間接経費(一般経費)が減少傾向-> 事務のモチベーションは激減」
    という部分に一部反映されているのではないかと思います。事務の方々のモチベーションを上げていただくには、研究費の間接経費の比率を上げ、運営費交付金の比率を下げることが最も効果的ではないかと思います。間接経費は、年度を越えて内部留保でき用途も自由なもので、純粋な機関の収入に近い形のものにし、それによって事務の方々の年収も上下するようなものにすることが重要ではないでしょうか。そうなれば、当然良い意味でのマネジメントのようなことを重視せざるを得なくなるように思います。「研究費の間接経費の比率を上げ、運営費交付金の比率を下げることが最も効果的」というのは、事務方のモチベーションだけにとどまらず、すべてを良い方向への流れに変えるトリガーのようなことになると思いますが。

  2. Miwako Ozaki より:

    国立大学改革方針も大旨良い提案と思います。これが現場でねじ曲がらず実行できるかどうかは、審査、評価が真っ当に行われるかどうかにかかっていると思います。『声が大きければ道理が引っ込む』ようなことや『感情論』ができるだけ排除されるような評価方法を導入する必要があると思います。

  3. Tak より:

    期せずして文科省から国立大学改革の方針が発表され、大臣が記者会見で取り上げました。

    http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/25/11/1341852.htm

    私が書いたことと一部は方向性が類似しているように感じますが、思い違いかもしれません。
    研究は、競争に晒されなくてはいけないと同時に、貴族的な自由も必要です。年棒査定を大規模に導入するなら、紙の出勤簿、休暇届、出張届の廃止は当然です。廃止しなかったらお笑いです。研究者の事務作業を極限まで減らしてください。研究者の事務作業を増やすことは禁忌、増やしたら年棒減らしたと訴えられるかも、という感覚を全ての人に持って頂きたいです。

  4. Shinichi Nakagawa より:

    「科学政策に携わった人は必ず顕名にする。文科省や厚労省や農水省や内閣府の科学政策に関する会議のホームページはもっと見やすくする。議事録はすぐ公開する。」というのは、お金もそれほどかからずすぐに実現可能で、実効性が高いと思います。意思決定の課程が外から見えるようになれば、より深い、慎重な議論がそこで行われるようになるのではないでしょうか。

  5. Tak より:

    講座制度を無くさないのであれば、講座制の枠組みの中では、助教から准教授、准教授から教授への内部昇格を全国一律禁止にした方が良いと思います。国際的競争力をあげなければといいながら、組織に浸り外の世界で生きていけない人になる方が出世にも収入にもプラスな状況が残っているのは笑えません。学振ポスドクだけ組織を動くよう求められているのは滑稽です。

  6. Tak より:

    掲載されている問題点は次の4つに分類されると思います。

    1.哲学がない
    2.能力がない
    3.時間がない
    4.お金がない

    この問題は次のように解決されると思います。

    1.哲学がない

    ・研究経験がない人を科学行政から排除する。
    ・科学政策に携わった人は必ず顕名にする。
    ・文科省や厚労省や農水省や内閣府の科学政策に関する会議のホームページはもっと見やすくする。議事録はすぐ公開する。アクセス数が今の100倍になるようにする。
    ・科学史の教育を充実する。「なかのとおるの生命科学者の伝記を読む」を一家に一冊。

    2.能力がない

    ・学生時代にもっと猛勉強させる。語学力を条件にした学部時代の短期間の留学補助を充実させる。
    ・このサイトの開設当初にMiyamichiさんが書かれていたように大学院の時点で定員を絞る。
    ・どのステージでも数年以上サボっていたら給与が必ず適切に下がる仕組みを導入する。
    ・科研費の審査コメントは被評価者に必ず届ける。匿名審査でも届けない現状は壮大な社会的損失を生んでいる。
    ・能力を伸ばすのに当てられるサバティカルを大規模に導入する。

    3.時間がない

    ・無駄な上下関係を気にする時間を現場から無くす。講座制を廃止する。
    ・雑用を徹底的に削減する。
    ・事件が起きる度に無駄な書類や無駄な会議を新たに作って済ませようとする不毛な官僚肥大化サイクルと決別する。肥大化の先には破滅が待っていることをもっと認識するべきです。

    4.お金がない

    ・公的研究者の数を絞る。
    ・よほどのことがない限り基盤Aを超える額のお金は個々の研究者に与えない。

    もし一つだけに絞るなら、講座制はなぜ無くすことが出来ないのか、現代における日本の講座制の意義は何か、パネラーの方に聞いて見たいです。

  7. tsuyomiyakawa より:

    以前、文科省のある課の課長さんと一対一で3時間近く通しで議論させていただく貴重な機会をいただいたことがありました。その際に、トップダウン予算についての議論の中で、
    「出来レースは不正行為です」
    とおっしゃってました。さらに続けて、
    「公募であっても、最初からある程度決まっているようなものもあるのは事実です。xxとxxとか。うちではそういうことはやってませんが。」
    とおっしゃってました。
    この種のことも大きな問題であるのは間違いなく、きちんと公に議論がなされるようになることが重要だと思います。

  8. tsuyomiyakawa より:

    「今のやり方がベストであるとは誰も思っていないと思うんですよ。(中略) 研究者の方がね、自分の分野の話だけでなくてね、それを乗り越えた形で、(中略) やっぱり発言して下さればいいと思うんです。今、発言できるっていうチャンネル、その、増えていますよね。いろいろとありますよね。」

    と原山議員がおっしゃってますが、まさにその通りかと思います。今増えているとおっしゃっている「発言できるっていうチャンネル」というのは、ネットでのこういう場とか、ツイッター、フェイスブックなどを始めとする各種SNSなどではないでしょうか。しかし、大学共同利用研究機関の一部が、研究者にネット書き込みをほぼ全面禁止するようなことになってしまっています。 http://togetter.com/li/592671

    国立の大学・研究所で研究者の自由な発言が公式に全面禁止される例はこれが初めてではないかとは思いますが、「研究者が科学技術研究の仕組みについて意見を述べるなどということは畏れ多いことで、そういうことを発言していると研究費取得や人事で不利なことになる」という認識は昔から日本ではかなり一般的なのではないでしょうか。このような文化・空気のようなものがこのベストとは言えない古い仕組みがそのまま残っている背景にあるのではないかと思います。この文化・空気を徐々にでもよいので、変えていく必要があるのではないでしょうか。そのような意味で、総合科学技術会議の議員というようなお立場から、この種のことについての活発な議論をエンカレッジしていただけるとたいへん有難いです。

  9. Shinichi Nakagawa より:

    この図の中で、事務方がすっぽり抜けているのではないでしょうか。事務方は、研究活動をする上で最良のパートナーであるはずですが、事務の方を呼びつけて高圧的な態度にでる研究者をこれまでしばしば目にしてきましたし、時に事務方はその報復か何か、頭ごなしの突然のしかも道理がよくわからない通達を出してきて困窮させられたことこれまた良くあります。これは事業所レベルでなんとかできることでしょうが、当事者の意識改革、事務方と研究者のコミュニケーションはとても大事だと思います。

  10. Shinichi Nakagawa より:

    パネリストではありませんが、大会長、ガチ議論企画委員長の近藤さんのインタビューのテープおこしです(動画の下のsee moreをクリックして下さい)。
    http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=cKbf0cbL93Q

    <競争的な研究環境の弊害>
    今、だから、とにかく一番問題なのは、我々がだからもう本当にしょうもないことに時間を使わざるを得なくって。例えば国が運営費交付金をどんどん削って。だけど、その分、競争的資金で渡すと。大学は、それが来ないとお金が足りないもんだから、もう、ものすごく積極的に、取れ、がんばれ、がんばれ、と言ってくるわけですよ。そうすると、結局何十億円というお金を取るわけだから、ものすごいコンペティションになって、で、一番有能な先生がそれに専念せざるを得ない。ただ、文科省の立場としてみれば、ただ漫然とあげて、お金を渡すことによって、あの、非常に大学の教官の方がだらけてしまうと。いうから、それで競争的にするんだと、言いたいんですけれども、それは実際に正しいんですよ。また。

    <イニシアチブを取るのは誰か・学会の意義>
    ポスドクの就職問題とかものすごい厳しくなって、それから研究費の配分がもうこれ以上伸びなくなって人だけ増えて、まあ、非常に不公平感がある。まあ、捏造問題なんかもある。じゃあそれを、解決するために責任を持ってやっている場所があるかっていうと、結局無いんですよ。で、そう考えてみると、それが何か出来そうなのっていったら、分野を、全体を網羅しているような、、学会というぐらいしか多分なくって。そもそも僕は学会なんていらないと思っているんで、意味は何かっていうと、多分ないんです。アカデミックには。唯一、存在意義があるとしたらそこかなあと。

    <研究者から文科省への不満>
    そもそも、色んな命令や指示というのは文科省からふってくると思っていますし、実際、そうなんですよ。迷惑な、あの、色んな企画しか降ってこないですからね。あのグローバルCOEだのリーディング大学院だの。あれですよねCOEはセンターオブエクセレンスっていうんですよね。で、その次に21世紀COEってのがあって、その次グローバルCOEっていうのがあって。最初はただのエクセレンスのセンターだったんですけど、次は未来的な21世紀になって、そん次がグローバルで全地球ですよね。じゃあ次はユニバーサルですよね。本当はね。たぶんさすがにどうかと思ったのか、リーディング大学院になりましたけどね。その次は多分トップブリーディング大学院ですよ。ペディグリーチャムで。大学院生を、毛並みを良くする、っていうのになるんですよ。たぶん。

    <目の前にいなければ語れない>
    それがどれだけ無意味で、我々を疲弊させるものかっていうのを、おまえら分かっているのかと、やはり言いたい、ですよね。それはやっぱり、これは言うべき時に言わなきゃ。それは、目の前にいてくれないと言えないし、で、向こうも沢山言いたいことはあるんですよ。ええ。おまえら、その、折角大学に何でも出来る権限与えているのに、なんで何にもしないんだと。だから、それも言ってももらわないといけない。で、そういうアイデアとか、こうしたら良いんじゃないかみたいな提案というのは、やっぱり、あの、出して、それを受ける側が聞いて、それはダメだろうと言われて、そうやってもんでいってはじめてまともなものが出来るんじゃないかと。そのプロセスがもう一切無い。

    <対等な議論の場を作る>
    科学政策みたいなのがなんか一部の、何か、誰かわかんない人が、誰かわかんない人と上の方でやって何となく決めてく、決めて降ってくる、という感じがするので、ちゃんと我々と、それに対応する官僚の方、政治方の方が、ちゃんと同時に、同格の立場で話し合う場所を、作ろうと。

    <必要なのは、政策提言のキャッチボール>
    だって政治家が悪いとか文科省が悪いとか言ってしまったらそこでボール投げたまんま、届かないくせに投げたまんま終わっちゃうんですよ。だからちゃんと投げて打ち返されて、ああ、ボール拾いに行ってというのを、ステップをしなきゃいけないんだと。出来るのにやらなければ、こっちが悪い。実際に、全部文科省頼みにするっていうのは、いけないんだなと。

    <ガチ議論参加者へのメッセージ>
    そうですね。まあ、すずかんさんと、あとあれですね、安宅さんですか、ヤフーの。厳しいでしょうねえ。もう、っと、とんでもないでしょうね。おまえらバカかとか言われそうですよね。問題はもういろんな所にあるので、でも上からは、上から改善してはくれないんだと。自分たちで考えなきゃ。しかも現実的な答えを出さなきゃいけないんだと。それを考えたときに、ちゃんと聞いて、それを一緒に作り上げてくれるチャンネルは、ちゃんとそれを作り上げようとすれば出来るんだよと。だからもうtake homeメッセージはもう、おまいら自分で考えろ、ですよね。ええ。これだけ、だからいろんなセッティングをすると、なんかが起きそうな気がするじゃないですか。

  11. Shinichi Nakagawa より:

    こちらは総合科学技術会議常任議員、原山さんのインタビューのテープおこしです。動画は以下のリンクにあります。
    https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=J5jguUMl9cw

    <総合科学技術会議とは>

    ここ今、内閣府なんですけれども、内閣府のヘッドは総理であって、総理がヘッドの場所にいて科学技術の政策を作っていくっていうのが、まあ、必要性が言われていて、で、そういう仕掛けを作った。それが総合科学技術会議という、長ったらしい、、会議というものなんですけれども。一番大きな役割というのが、科学技術基本計画というのがあるんですが、5年ごとに、日本が何をすべきかという中期ビジョンですね、それを作り上げて、その中から具体的なアクションを、何を取ったらよいかということをこみこだし??(0:39)して、それを方針として作っていくと。全体像というものを把握しながら、このへんはもっと強化すべきだ。このへんは必要ないんじゃないか、そういう形でもって全体像を見回すというのも、我々の役目。

    <科学技術基本計画はどうやってきめるのか>

    えいやっで決めるわけにはいかない、、、今、第4期の基本計画があるんですけれども、第5期を作るときにどうすればよいのか、今、少し、準備始めています。その時に、第4期でまず何をやったのかということをアセスメントしなくてはいけないし、国際的な動向を調査しなくてはいけないし、何がこれからのトレンドかという先読みもしなくてはいけない。で、今回は、これまでの反省事項も踏まえて、なるべくしっかりとした基礎調査をしたいと思います。

    <日本の研究このままでいいのか?>

    どちらかというと、日本はインターナショナルなコミュニティーの中でいうと、ちょっと引いているところがあるという風に言われます。たとえば国際共著論文が他の国と比べると非常に少ないし、国立大学そのものの、研究組織体、動かし方、マネジメントの仕方。で、今、安定性もその少しずつ崩れつつありますよね。大学にいたからといって担保されるわけではありませんし、そういう状況にあってやはりこれまでの継承したやり方で、やり方を継承しながら、環境の変化に対応しきれるかというとなかなか難しいんじゃないかなっていう認識があります。今の状況をそのまんま続けるって事は、そのままだんだん衰退していく道しかないような気がするんですね。だから、このトレンドを変える刺激剤っていうのが、必要じゃないかという認識。

    <若手研究者の雇用問題の未来は?>

    テニュアトラックに関しても、テニュアトラックという概念はあんまり日本にはなかったじゃないですか。アメリカの、まさにポストドクのシステムっていうのは、ポストドクで閉じているわけではなくて、テニュアトラックっていうものが存在してその前段階としてポストドクがあって、それは大学だけの問題じゃなくて、企業体の雇用のシステム、あるいはプロモーションのシステムっていうのが、これまで通り変わらなかったいくら大学だけ一人で変わったところで、ここで行ったり来たりする人って言うのが出てくるわけですよね。大学のキャリアだって、ポジションというのはだんだんシュリンクしているのであって、定年も延長しちゃったからさ、わりとがちっとなっているわけですよ。そういう前提の中でどう回していくかっていう話なんで。(私の)立場から言うとある程度理想論を言わなくっちゃいけないし、なるべくならすぐ現実化したいんだけれども、ここで言った方針というのは、次のレベルでは省が咀嚼してそれを具体的なものに落とし込んで、具体的に落とし込んだものを省そのものがまたある程度他の機関に委託して、それまた具体的なプロポーザルになって、それに対して研究者が手を挙げるわけですよ。レイヤーが何段階もあるんですよ。そうすると、もしもし電話じゃないですけれども、必ずここの趣旨っていうのが、どこまで残っているかっていうと、結構消えちゃうんですよ。ひとつのやり方というのは、こちら(上)が全部把握しているんじゃ無くって、こっちから(下から)上げる、情報を上げるチャネルが必要だと思う。

    <日本の研究このままでいいのか?ふたたび>

    今のやり方がベストであるとは誰も思っていないと思うんですよ。今おっしゃったように、どういう他のやり方があるかっていうのが、なかなかアイデアが出てこないですし、知恵不足だ、アイデアが出ても実践できない、立場上なんか動けないとかあって、だからそれは壊さなくちゃいけないわけね。トライアルエラーだと思うんです。研究者の方がね、自分の分野の話だけでなくてね、それを乗り越えた形で、じゃあこの研究というのは日本の国内を見たときに、世界の中でどういう位置づけにあって、、、と、やっぱり発言して下さればいいと思うんです。今、発言できるっていうチャンネル、その、増えていますよね。いろいろとありますよね。学会の中での議論というものを、その、やっぱり一つのきっかけですよね、会員の方が集まるし。これまでは自分で認識していなかったんだけれども、ああ、こういうことも自分で考えなくちゃいけないのかな、という風に認識していただくことが重要であって、必ずしもそれがね、いわゆる学会としてのワンボイスである必要性は無いと思うんですよ。

    <選択と集中>

    政府の予算というのが財源が限られているところであって、かつしなくちゃいけないことがリストアップしていくとどんどんどんどん長くなるんですよ。全部は出来ないから、その中から本当にプライオリティで位置づけしたときに(優先順位の高いものを)手当てしていきましょう、というそういうロジックですね。それは間違ってないし、個々の研究機関、たとえば大学にしろ、自らが回すお金として運営費交付金というのがあって、プラスアルファの競争的資金、そういうシステムになっているんだけども。初めの、スタートしたとき、法人化したときのルールから、だんだんだんだんその、話が違うんじゃないかっていう、と思っているわけです。それは現実でね。今考えなくちゃいけないのは、このバランスって言うのは本当に、このまま続けていってサステイナブルなのか。それを、今、我々としても、…(6:08)に乗っけて、本質的なところを考えましょうっていうていうことを、今、作業として始めています。いわゆる財政の苦しみも分かっているから、色々なところでカットされたんだけれども、…(6:18)に関してはやはり明日への投資だから、伸ばそうって言う国がかなりあります。…(6:25)に対する投資だって言うのだけれども、先延ばしばっかしていて、なにも、その結果が見えてこない。なんだったんだ、ということになっちゃうんですけれども、まあそういう議論があると。それと同時に基盤がしっかりしていないと、集中的にこれつけたって、これを生かし切る、その、能力が、組織体、あるいは個人の研究者にあるか。基礎体力がないと、やっぱりお金はもらったって、やれっていったって、これ以上のアイデアは出てこないだろうし、次の飛躍するものが出てこないだろうと。人材育成の品質保証として、これまで通りで良いのか。細かく言えば、その、教育の仕方。改善できるっていうのは、予算つけなくても改善できるっていうのは、まだ、あると思う。

    <ガチ議論参加者へのメッセージ>

    私個人のこれまでの知っている研究者とか何とかてるときに、やや自分は自己責任というのかなんというのか、人にやってもらうのを待っていたら、何にも、先は見えてこない。色んな形でチャレンジができる。日本がダメなら外いきゃいいんですよ。本質的に面白いと思ったら、海外の人って雇ってくれるし、本当に凄いと思ったら給料も持ってきてくれるんですよ。それだけ、闘う力を、自分に持たないと、日本の労働市場だけだとやっぱし展望は明るくないし、、私がこんなこと言っちゃいけないかもしれないけれども、、でも明るくしたい!したいんです。もちろん。私の仕事としては。でも必ずしも日本の大学だけにしがみつかない方が、私は健全だと思うんですね。若いときに色んな体験するのは重要だと思う。

  12. Shigeo Hayashi より:

    お二人のどこかに科学者はみんな自分の身近なところしか見えていない、と言った指摘がありました。発言する人が自分の主張だけをしても話は進みません。全体の科学技術に振り向けられる予算がどれくらいあって、要求がどれくらいあって,どこまで刈り込むのか,と言った鳥瞰図を共有してから議論に入るのが良いと思いました。

  13. Naoki Miyano より:

    みなさまのご意見、興味深く拝聴しました! 掘り下げる点が列挙されるのはとてもいいこと。企画当日、考えていきます。

  14. Shinichi Nakagawa より:

    こちらは元文科副大臣、すずかんさんのインタビューのテープおこしです。動画は以下のリンクにあります。

    http://www.youtube.com/watch?v=mSqHYNbdaZU&feature=youtu.be

    ーー

    <問題解決に向けてイニシアチブを取るべきは誰か?>

    現場の研究者、それから、私が一番頑張ってほしいと思っているのは社会科学者、なんですね。かなりもんだ上でですね、そして具体的な提案にした格好までしてですね、やはり行政なり、政治家なりですね、提案をしていくと。

    <行政の役割は?>

    もちろん行政は聞く耳もありますしですね、それからリテラシーも持っている人もいる訳ですが、なんせ大変忙しいですし、一から政策を作るというのは相当厳しい状況にあります。行政だけでは出来ない、という風に思います。

    <研究コミュニティにできることは何か?>

    それぞれの皆さんのリソースをですね、5%を、こうした、なんと言いますかより良い科学技術イノベーション政策を実現するために割いていただきたいと。学会であれば、学会の5%のさざまざまなリソースをですね、まあ時間もそうでしょうし、あるいは人員もそうでしょう、あるいは研究所であれば5%の、ソリューションの5%を割いていただくとかですね、研究者の人生を通じてその5%を。そういう意識を皆さんが持っていただくとですね、一人一人は5%ですけれども、それが積もり重なりますと…相当色々な、プラスに働くと思いますね。

    <科学技術政策をどうしたら変えられるか?>

    政策って言うのは、生物反応も同じですけれども、オーガニズムなんですね。ツボの押し方とかですね、サイクルって言うものがあって、そのサイクルをちゃんと見ながら、その刺激をしていかないと、そのタイミングがずれると、それは全く意味がなかったり、むしろ逆効果であったりすることもあるんで、まあそういう意味での、まさに社会のオーガニズムについてのリテラシーっていうものを、もっともっと研究者の皆さんにも説明する機会をもっと作りたいと思いますし、ええ。

    <「選択と集中」vs「種まき」について。>

    このvsの構造という事自体がですね、もう古いんですね。これはもうベストポートフォリオということしか無い訳であって、要するに幅広い裾野と、ピークをどういう風に作っていくかっていう、まあピークも八ヶ岳的にですね。じゃあベストポートフォリオっていうけどなかなか何がベスト課って言う事は非常に難しいので、そこにはいろんな軸が入ってくるわけですね。まあこれは永遠の議論ですけれども、枠組みとしてはポートフォリオをちゃんと組んでいくんだという…

    <貧窮する大学と若手研究者問題について>

    まあニワトリと卵というか、悪循環になっている訳ですよね。で、もちろん研究の中にも、もうとにかく、画期的な成果を上げてくださいというのもあれば、特に若手の研究等はですね、まあその研究の成果もさることながら、それを通じて若手がまあこの伸びていく、ということを期待していると。結局今なかなかこの投資的な、人材育成的な研究というのがちょうどやっぱりいっていないと。で、その状態のままで、はい自由競争ですよと。いうことになるとですね、当然に、まあ研究者を多く抱えてですね、まだよりましな循環の中で、若手が毎年一定程度育っている、当然旧帝大に流れていくと、まあこれが現状ですよね。多様性を確保するという事を、じゃあ全体の基礎研究費の中でですね、どういう割合をきちんと確保するのかと、確保した中で、今度は公正、公平な競争を行っていくと。まあこういうまさに総合的な戦略が問題なんですね。

    <限られた研究費をどう最適化するべきか>

    過去の、何十年間の科研費をですね、まあ採択とその見解っていうのは全部ある訳ですね。あるテーマがあって、それを5つのチームにやらした方が良いのか、ここは採択数1だったけれども実は3にしておけば良かったとかですね、いうことがちゃんとリサーチとして出てくるとかね、その事を次の、そのこういう科研費とか、あるいは研究予算全体の、配分と言いますか選択というんですかね、いう事にしたらいいと思うんですよ。それから、選び方もですね、たとえばこの何パーセントかはたとえばその審査員一人で決めるっていうのもあっていいかもしれないし、あるいは何パーセントかとかは、35歳以下のピアレビューのみで決める、というのがあっても良いし、選ぶ多様性ですね。選ぶレフリーの多様性というか、そこのポートフォリオも、やっていただきたいと思うんですね。全部、この、一様になっているのを、もっとこのいろんなパターンを作り出して、それぞれのパフォーマンスをフィードバックしてみて、であとはじゃあそれにどういうふうな重み付けをしていくかっていうことが、まあ、私の申し上げている、このポートフォリオ、っていう。これは経済の投資の世界では、僕はこの、、当たり前の世界なんで、何故この当たり前の話が科学技術でシェアされないんだろう、っていう、もうほんなんあの、Undergraduateの一年生のですね、金融の本を3ページぐらい読んでいただければ分かるんで、大した数学じゃあないんで、、

    <科研費の使い方ー政策の科学の必要性>

    文部科学省がそこに口を出すとですね、アカデミアから、こう、猛烈な反発を食らうと。じゃあ研究者コミュニティーの方が、科研費全体についてですね、鳥瞰してですね、一定程度のサイエンティフィックな分析に基づいて発現しているかっていうと、私はまあいないと。なので、政策のための科学が必要となってくるという事なんですけれども。全ての人がそうという訳ではないですけれども、ご自身の成功体験、失敗体験、これを基に発言をするんですね。賢者はね、ちゃんとこう知によって判断するという事で、要するに自分の経験、というものをちゃんと相対化するためにですね、その知というものは本来ある、っていうことを。歴史に学ぶっていうことを教えているはずなんだけれども。学生には。自分の話になると、なんかこう自分の経験を、まあ、一般化するっていう。ですからなんかこう全てについて、0ー100、の議論が多すぎてですね、もっとこう精緻な議論をしていくべきだと、思うんですね。

    <ガチ議論参加者へのメッセージ>

    私はですね、ずっとこの「熟議」という事を言っています。まあ、「Deliberation」ということですけれども、それが何故必要なのか、っていう事なんですが、どんな素晴らしい人でもですね、その全知全能という人というのはいない訳、でありまして、部分的にしか知らない、我々、愚者がですね、まさにこの、大勢集まって、しかしそれぞれ少しずつ異なった視点や経験や知恵を集めることで、物事が立体的に、しかも動的にですね、浮かび上がってくると。分子生物学会が、そうした、まあ私から言えばその「科学技術政策の在り方に関する熟議」にですね、みなさんの貴重なそれこそリソースを、5%どころかですね、50%ぐらい割いていただいてトライしていただくということは大変素晴らしい事だと思います。まあ、こうした事をですね、研究現場に持ち帰って膨らませて、広げていただければな、っていうふうに思います。

  15. Shinichi Nakagawa より:

    宮野さんと斉藤さんのインタビューのテープ起こしです。聞き取りにくいところがあるかと思いますが、こちらを参照にして下さい。

    ーー

    宮野「まあ、うち、600億もらっている、って言うてね、そのうち人件費で480億きえるんですよ。一気にね。そうすると200(億)弱しか残らんわけで、さすがにそれで研究はまかなえない。その一方で金も稼がなあかんから、結局、もらった金(運営費交付金)、学費、間接経費、で収入やっているんですけれども、今、その間接経費の割合が今3分の1ぐらいになっていて、運営費はどんどん下がる、15(億)ずつ下がってくる、そうするとその分競争的資金で、と、いややけど取るしかない。稼ぐ方は三つ。一つは授業料。で、授業料をじゃあ上げようって言ったら、文科省が上限5%までって、えーっ、みたいな。じゃ学生増やすったら、ダメえって。分かったじゃあ病院でもうけます、、、で文科省行ったら横からたらーっと人が出てきて、おーえーちょっと待った—、ええっーみたいな。でこれで、「自由度はない」と。で、どこで稼ぐかゆうたら、間接経費しかないやろ、と。

    斉藤「地方もそうですけれども、国家公務員もどんどんどんどん…減らしているわけですよね。…とかいって書かれて。ちょっとずつですけれども省庁間のバランスが変わってきていて。でも、大学ってどんどん増える一方ですよね。最近ね。正職員として抱えるべき人と、非正規で抱える人の率っていうのがあって、その辺の最適化がどこまで出来ていますかっていう中のマネージメントの話と、さっきおっしゃっていた外のお金をどれだけ取ってくるかっていう、多分両方の(問題が)あるんだけど、外の状況の厳しさばかり言って、中の状況があまり語られていない、というか、という気がします。

    宮野「そうそう」

    斉藤「大学だけで変えられないんだったら、それこそその役所を巻き込むんか政治家を巻き込むんかわからないけど、外からの動きとして全体としてやらないと、多分変わらないんだけど、今残念ながらそういうことをやる仕組みがないというか。」

    宮野「そう。そうだよね」

    斉藤「そういうのを考える場所もないじゃないですか。」

    宮野「権限はあるけれども変えられない、というのはなぜかっていうのを、たとえばもちろんそれはすごい一方的な言い方するとね、いやおまえ、出来るんやからやれよ、って突きつけるということも出来るけれども、でもそれではダメな時代になっているというのは分かるんで、だったら一緒にやろうよと。たとえば文科省というかね。」

    斉藤「要するに、既得権益、って言うと言い方悪いけれども、ずっとまさに伝統とかそういう枠組みがあって、それをぶちこわしてまで変えるには凄く労力がかかるから、そこまでには行かれないだろうけど、でもこのままじゃダメだろうと。みんな思っていて。」

    宮野「そう。」

    斉藤「ヨイショじゃないからいうと、まさにガチ議論ちゅうのは、そういうのを変えようとする、良いきっかけというか、なんていうか当事者同士が、問題意識を持っている当事者同士が集まって、ちゃんと具体的に議論して、単なる文句の言い合いとかじゃなくて、アクションプラン的なことまでちゃんと示せないと。結局どのシンポジウムに行ってもどこ行っても、いやああれが問題だこれが問題だと文句言ってて、なんかそれぞれの立場で言いたいことだけ言って終わり、みたいな。」

    宮野「仮にその場に、じゃあ総長、学術会議の会長、とか、そのトップが来てもね、たぶん変わらない。トップが来ても変わらない、てのはなんで、みたいな話をしたいんですよね。個人的には、実はまだ僕問題に達していない、と思っているんですよ。よくわからんけど、なんかもし本当の問題が見つかったら実は「すっ」と動くんじゃないかっていう。」

    斉藤「本当に起こっている問題自体が見えていないのか、それを解決するために、こうすれば解決出来るっていう、私が言うところのアクションプランに近いところがまだ見いだせていないのかということなのかによってだと思いますよ。どこにどうスイッチを押すと本当にそれがよい方向に回り始めるかがまだ誰も分かんなくて、そこに近づこうっていう検討がまだあまりなされていないんですよ。たとえば単純に運営費交付金と間接経費と授業料とかいうさっきの話も、その大学の収入とか経営とかいう意味では同じ土俵にのってくるはずなのに、じゃあそれ3つの最適化をどうしようっていう議論がどっかでやっているはずか、っていうと、どこでもやっていないんですよ。」

    宮野「あるいは、どこ「を」問題にするか。つまりあの人達が集まって、決定権はない。ただ、立場からの意見は言える。そういう人たちが集まって、さあみんな、どこ「を」問題にするって議論できたらね、すっごい大っきいですよ。」

    斉藤「で、まあ分かったと。実態はこんなにぐちゃぐちゃ複雑でしかもそこら中に問題がおこられているのは分かるけど、その中の、どこがまさにおっしゃるところの問題、本質的な問題で、まず最初に取り組むべきで、しかもその本質的な問題同士はどういうふうにつながっていて、だからどういう風に行かないといけない、っていう風に行くべきなんですよ。そういうふうにエビデンスベースで議論する土壌が政策側にもないし、学者側も自分の分野は、くれくれ、とは言うけど、じゃあ、その、ねえ、一学者としてどの学問分野が将来の日本の科学の将来にとって良いかという議論って、ずっとされていないですよね。ましてやそういう議論が行政官と行われているかっていうと、あんまり無い気がするんですよね。その辺の意識改革。まさにその「政策のための科学」みたいなものをみんなで進めていかないと、ダメのような気がするんですよね。そういう風に発想を転換していかないと多分。」

    宮野「そうだよ。」

    斉藤「今上の方にいる人は、その組織を守るのが仕事だからムリなので、そのもうちょっと下で、でも全然周りが見えていない若い人ではなくて、中堅ぐらいまで上がってきて世間が見えてて、で矛盾を感じて、このままじゃダメだと思っている世代が、横につながっていく。そこであるべき姿を議論して、計画を作って、それぞれの上に説得して回る、みたいなプランじゃないとダメなのかなあと思って。それはまさにこれぐらいの世代の人たちが問題意識を持って横につながるってのが大事じゃないですかっていうのを言いまくっているんですけどね。」

  16. fj より:

    「リスクを取って挑戦する人が評価されない」という言葉は聴いたことないですね。中期、長期の計画に対する評価が少ないとは思いますが、それは短期計画と平行して行うものという認識から特筆する必要がないと皆考えているのだと思いました。リスクと言えば、移動を余儀なくされる学生やポスドクは長期的な計画に参画しても名前が載らないリスクがある事くらいしか思い浮かびません。研究上のリスクなどほぼ皆無。計画性の問題。若手が背負ってるリスクの方がQOLの面で大きいと思います。ポスドク問題と言って一蹴してしまっていますが、それでは、優秀な人材が流出するのは当然。研究費申請の評価を開示することで公平性と次へ繋がるイベントへと変え、研究費から給料を賄うシステムにすることで、研究能力で進路を決めるシステムにすべき。国公立は過去の雇用形態を無効にし、退職金問題を理由に新たに優秀な人物の雇用に躊躇するのではなく、一斉に公平性のある人事を行うべき。最低賃金を保証すれば不当解雇にはならない。アドオン型の給与形態にすればまともな人間は困らない。

  17. Miwako Ozaki より:

    全く同感です。上記資料を文部科学省タスクフォース作成資料と聞いて失望した研究者は多いと推測します。問題の本質を完全に無視している部分は人材部分だけではないと思います。マルチタレントでなくともある一面で何かに秀でているということもあると思いますし(多様な人材を育成する場がアカデミアと思います)、仮に研究バカであってもアカデミアに残り人材育成に携わるのであれば、それに相応しい品格くらいは有するべきでしょう。現学術界には、犯罪の域に達していることが多数あるにも関わらず、タスクフォースでさえこの領域に踏み込めていないと言えます。やはり一端外部による強制力が必須と強く思います。

    本サイトでの議論をメディア関係者もご覧のようですので伺いたいですが、科研費の不正を取り上げる事はよくありますが、より問題の大きいトップダウン予算の問題が記事になることはあまりありません。何故でしょうか。

  18. yuki_nc より:

    ”科学技術政策の立案、評価”というプロセスにおいて、人材育成の視点は”いわゆるポスドク問題”という一言で片付けられているのには失望感を禁じ得ません。(しかも文部科学省のタスクフォースで。)大型研究費ほど科学技術政策の方針が影響しやすいのでしょうし、大型研究費ほど人件費の占める割合は大きくなっているものと思います。研究の結果を社会に還元するという議論と同時に、科学技術を十分承知した人材をどのように社会へ還元していくことができるのかも議論すべきです。私の個人的経験ですが大型研究費をとったラボほど、アカデミア以外への就職を負け組と考えているPIが多いように感じました。そういう考えが蔓延する評価体制なのだろうと思います。ここでは蛇足ですが、そういうことが捏造問題とつながっているとも思います。

    この表の中に様々な問題点が記述されています。そういう問題に対処するリエゾン業務は研究経験者にも開かれてしかるべきだろうと思います。研究バカを育てる環境からマルチタレントな人材を育てる環境にシフトする政策を策定してもらいたいと期待します。

  19. Shinichi Nakagawa より:

    現在、パネリストの方々の事前インタビューを進めております。随時、動画のリンクをアップロードしていきますので、是非ご覧下さい。

    昨日、Sience Talks(http://www.sciencetalks.org/ja)
    を企画されたカクタスさんによる、すずかん先生のインタビューに同席させていただきました。特に印象的だったご発言を以下にまとめておきます。カギ括弧の言葉がポイントです。

    ・選択と集中 vs 幅広い支援、基礎研究 vs イノベーションというような、対立構造での捉え方自体が時代遅れ。「政策の科学」が必要。どのように「ポートフォリオ」を組んでいくかという事が重要(注:普段使わない術語なのですが、評価関数のパラメータを最適化しなければいけない、ということでしょうか)。

    ・「情報の非対称性がある」ので、大学側、文科省側、それぞれお互いに遠慮して、改革がなかなか進まないところもあるかもしれない(注:だから、文科省はそれは大学に任せているよ、と言い、大学は、そうはいっても文科省のプレッシャーがあるから改革は進まない、と言う)。もっとコミュニケーションを。

    ・万能な人などいない。過去の成功体験が常に正しいとも限らない。だからこそいろいろな立場の人による「熟議」が必要(注:熟議カケアイというのがありました)。

    ・研究者コミュニティーの人それぞれが、エフォートの「5%」で良いから、自分の研究のためだけでなく、コミュニティーを良くするために時間を割いてほしい。そうすればいろいろ変わるはず(注:若い人は今は研究120%だろうから、もし無理なら、将来的に、トータルで見た時に、5%、ということで)。

    ・「多様性」を確保する事は重要。研究の多様性しかり。審査員の多様性しかり。

    と、こういうボールを投げられました。うまく打ち返す事が出来るでしょうか?

  20. ガチ議論スタッフ より:

    しっくり来るコメントありがとうございます。ただ、研究者コミュニティーにおいて、しっくりくる僕がレアなのか、大多数の意見がそうなのか、ということも、外からは見えにくいのでは(中にいても分からないのでは)ないかと、思います。現場の人間の基本は研究・教育、というのはデフォルトとして、一人一人が、ほんの少しの時間を使ってこういう風に思うなあ、と意思表明するだけで、だいぶいろいろ改善されるのではないでしょうか。引き続きいろいろな方々からのコメントお待ちしております。

  21. Shigeo Hayashi より:

    以下は私があるところに書いたエッセイの一部です。特に生物学の場合は個人的な営みの積み重ねで今の科学が成り立っているという事は再確認したうえで、政策決定がなされるように望みます。

    「iPS細胞が話題になって、大型プロジェクトの成果だとか、オレが選んだ,などと宣伝する人たちが大勢現れた.確かに多くのサポーターと研究資金の援助あってこその成果だが,成功の本質は明確なビジョンに支えられた個人の熱意に他ならない.科学研究の政策がノーベル賞の美酒に浮かれ、努力する個人へのサポートをおろそかにして,目につきやすい大型プロジェクト偏重に走る事は戒めなくては行けない.号令のもとでの大行進で研究が進む訳ではないのだ.」

    https://www.facebook.com/shigeo.hayashi.14/posts/647755875271418

  22. Miwako Ozaki より:

    ご尤もです。

  23. とりあえずコピペ より:

    うちの学部

    A学科 教授7  准教授3  講師1 助教0 助手0
    B学科 教授10 准教授10 講師0 助教2 助手1
    C学科 教授9  准教授6  講師1 助教2 助手0
    D学科 教授5  准教授5  講師1 助教1 助手0

    合計  教授31 准教授24 講師3 助教5 助手1

    助教になる方が准教授になるより5倍ぐらい難しいんだが、
    准教授になるまでどこに居れば良いんだ?

  24. Yuji Kageyama より:

    クラゲの「発光」現象ですね。間違えました。

  25. Yuji Kageyama より:

    自然科学の真理の追究というのは、あくまで「文化」ですので、課題解決には必ずしも “直接” 結びつかなくともよいのだと思います。特定の課題解決につながるかどうかは、応用研究の物差しとしては優れていますが、基礎研究には当てはまらないでしょう。

    真理の追究について言うならば、大腸菌に寄生するウイルスの制限現象や、クラゲの蛍光現象のように、一見どうでもいいようなことをきちんと(これが重要)解明していくことが、社会にものすごいインパクトと恩恵を与えたように、特定の研究そのものではなく、派生して発展していく科学総体が文明に与える影響は、それこそ計り知れないものであるということを丁寧に説明すればいいのだと思います。もっとも、それが研究者自身がやらなければならない仕事なのかどうかはよく考えなければなりません。公開講座くらいのことならどこの大学でもやっていますが、広く国民に向けてもっと本格的にやるなら(たぶんその必要がある)、それは行政府の協力が必要でしょう。例えば、NHKはもっと科学番組を増やしてもいいと思います。特別推進研究や新学術領域研究が終わったら、丁寧な取材をしてもらって、研究代表者監修で必ず一本は番組を作る、とか。NHK(と総務省)が協力してくれたら実現するかも。

    はやぶさの後継プロジェクトに予算が付いたときは、ほっとしたのと同時に、何で今までわからなかったんだろう、とも思いました。役に立つとか立たないとかの次元を越えた成果であっても、予算を決めるところには価値が理解出来ない人がたくさんいるのだろうと思います(専門家じゃないから当たり前なのかもしれませんが)。彼らをして一般国民の代表(=国民の声)と捉えるならば、確かにもっと広報・啓蒙が必要なのでしょう。

    基礎研究について言うならば、おそらくもっとも問題なのが、「応用を目指した基礎研究」というヤツです。工学・農学・薬学・医学分野では、応用を目指した基礎研究って、実は科研費の結構な割合を占めていたりするんじゃないかと思います。これらに関しては、ある程度は産業への影響等を評価軸にしなければならないと思いますが、少なくとも文科省科研費の枠組みでは難しいかもしれません。「真理の追究を目指した」基礎研究とは違い、これらの「出口のある」基礎研究はどうしても投機的な要素が含まれてしまいます(つまり、「出口」が見つからないと文字通り全くの無駄になる)。また、大学や国立研究所は、基礎研究には強いですが、役に立つ応用研究に関しては予算が潤沢な企業に全く歯が立たないので、どうしても基礎よりの研究になってしまうという事情もあります。これらの「応用を目指した基礎研究」は、自然科学という観点からインパクトのある論文を出すのは難しいし、特許にも結びつかないことが多いので、自然と論文数にこだわってしまいがちになります(そしてほとんど引用もされない)。さりとて、仮にほとんど無駄であったとしても、全てが無駄というわけではもちろんないので、研究としてどう評価するかは大変難しい問題だと思います。

    実用化に向けた応用は、総務省・経産省・農水省・厚労省に任せて、文科省は一切手を出さない。応用を目指した基礎研究と、真理を追究する基礎研究は、それぞれ違う評価軸を持つ異なる事業として文科省がサポートする。科研費から応用色のあるものを外して、イノベーション事業をその分拡充すればいいのかもしれません。そう簡単なことではないでしょうが、そうした方が私はわかりよいと思います。

    なお、今の研究助成制度は国民(=財務省の担当者?)にわかりにくいなどと言う人がいますが、日本版NIHのように、何もかも一緒にしてしまう方がよほど非論理的でわかりにくいです。省庁を横断して組織することに、本当に利点はあるのでしょうか。弾力的な運用という名のもとに、ろくな検討もせずにごく一部の専門外の人が「国策」を決めてしまうようなことにならないでしょうか。選択と集中は、研究の広がりを破壊するものであることに気が付いているのでしょうか。無駄をなくすには、特定の人達だけに決定権を与えるよりも、多数の人で精査した方が効果的であることを御存知なのでしょうか。改革ありき、では困ります。

  26. Miwako Ozaki より:

    罰則に関しては、その必要性が随分昔から議論され、これまで何度も文科省、総合科学技術会議、JSTに提言書や要望書が上げられました。しかし、ある程度のルールが文書化されたものの、1)絵に描いた餅状態か、2)罰則を与えたことになっていても抜け道があるか、3)或は、学術界内政治にルールが悪用されるかです。公正さより『組織の一過的な都合』の方が優先されて来たと思います(今もそうであると思います)。

    罰則規定も含め学術行政内で取り決めたルールが、本来の一番の目的である、『日本の科学技術分野をよくするため』に働いていいるのではなく、『組織の一過的な都合』のために利用されているのです。その都合とは、『文書上に業績を残す事(事実より文書が残ればよく、故意に内容をすげ替えても嘘でもよい訳です)と失敗や無能を隠す事』であり、まさに一過的な担当者の都合です。その目的に都合のよい研究者が採用されたり、予算が回るケースが多いと思います(勿論名実共に優れたケースもあります)。『国民のため』という言葉などは文科省が予算を取るための常套句なだけであり、日本のためにも、学術界のためにも、大多数研究者のためにもなっていないと思います。それを繰り返して来た結果が今の学術界です。

    総長、学長等の大学役職者が行政機関を表敬訪問しようものなら、正しさや公平性より力関係の方が優先されます。自身の大学改善も実行する気のない大学総長らが利害関係を同じにする官僚らからなる委員会や組織の手により果たして学術界の改善が見込めるものでしょうか(ちなみにすでに学術界の実質的言論の自由は無くなっていると思います)。今後も的外れな政策が不健全に実施されていくに過ぎないと思っています。

  27. Shinichi Nakagawa より:

    重要なご指摘ありがとうございます。

    【成果や事後評価を次につなげる仕組みが不足している?】
    予算をもらいっぱなしになっていないか、という点は非常に重要なのではないかとおもいます。成果に対する評価をフィードバックさせていく事はとても大切ですが、「研究者と雑用」のスレッドでも、現状、報告書が次へ役立てられているという実感は研究者側にはあまり無いようです(大きなプロジェクトですと事情は異なるかもしれませんが)。

    【公的研究は成果の一早い無償提供を】
    データベースに関しては、たとえばPubmedにしても、UCSCやNCBIのGenome browserにしても、世界標準となるものはほとんどアメリカ発です。一つには、無料で、役に立つ情報をどんどん公開してゆくから皆が使うようになる、という良い循環が回っているのだと思います。リソースについてもそれは言えて、理研や産総研のcDNAコレクションについても、一早い無償提供をしていれば状況はかなり変わったのではないかと思うのですが…

  28. 山形方人 より:

    私の文章の中では、「罰則」ということにも触れているのですが、やはり教育や意識改革だけでは改善は望めないのではないか、と思っているからです。私も、個人的に、ある有力大学において悪質な例を体験しましたので、調査と懲罰を求めたのですが、学部長や大学そのものに、無視されました。このような個人の問題については、組織では扱うことができず、個人で対処するというような法治国家とは考えられないような現状があるのではないでしょうか。

    取り敢えずできることとして、こういうことは、多くの人々に、「問題として意識させる」ということが大切であると思うのです。そして、それを前提にして規定の作製などの施策に反映させていく。例えば、総合科学技術会議の場で取り上げていただく。文部科学大臣から、問題があることを指摘していただく。あるいは、スキャンダルのような事件のマスコミ報道を通じて、パブリックに問題があることを知らしめるというようなアクションが必要ではないか、と思います。

  29. 山形方人 より:

    全く、そのとおりであると思います。
    日本の場合、それぞれの大学、研究所といった研究組織だけでなく、学問分野のコミュニティのようなものがあって、その中にいるリーダーが、隠れて権力を行使しているわけです。こういう場合、大学といった組織内部のルールなどの制定では対処ができない。つまり組織を超越した行為というのは、コントロールができず、やり放題ということになってしまう。人事などというのは、このような現状の典型的なものでしょうね。

  30. Takeru Nakazato より:

    一応、ライフサイエンス統合データベースセンターという、研究成果として出てきたデータを新たな研究活動に再活用できるように整備するのがミッションの組織にいるので、コメントをつけさせていただきます。
    参考までに、所属の正式名称は 大学共同利用機関法人 情報・システム研究機構 ライフサイエンス統合データベースセンター(DBCLS)というアカデミックな組織で、プロジェクトが終わると成果としてのデータベースが予算不足からコンピューターの寿命とともにフェードアウトしていくという状況を打破しよう、という文科省のプロジェクト(今はJST)を実際に遂行しているところ、になります。
    補足したいのは以下のあたりでしょうか。
    ・予算をかけた成果が目に見える形で公開されているか(データ、ツール、バイオリソース、論文)
     =予算をもらいっぱなしになっていないか、成果を囲い込んでいないか
    ・出てきた成果の所在がわからない。使い方がわからない。

    ・出た成果がプロジェクト終了後も再活用される仕組みがまわっているか
     =成果の受け皿があるか、貴重な成果が維持されているか
    細かくはデータ共有化のための制度の問題(たとえばヒトデータの取扱い)などがありますし、結局、全体としての方針はどうなっているのかや、成果に対する評価(データベースをつくっても評価されない)という、すでに書かれている問題点にも通じているとも思います。
    もともとこれらの問題点をきちんと国で受け止めてくれて、国のプロジェクト(「統合データベースプロジェクト」)として具体化され、私たちのセンターができたので、以前に比べてこのあたりの問題点が少しは改善しているとよいのですが。

    参考までに、我々の活動に至る政策等の流れは、日本の生命科学データベース政策 ( http://lifesciencedb.jp/sciencepolicy/ ) のページにまとめられています。
    (なんだか宣伝みたいになって不本意ですが、ポイントだけ、ということで)

  31. KdGn より:

    さきの参議院選において現時点で最も科学に理解のある鈴木寛氏が破れ、科学行政では現時点では安定した票は取れないことがわかりました。
    養成ももちろん必要なのですが代議士の生命線である、いかに票を集めるか、を真面目に考えないといけないと思います。

  32. 近藤滋 より:

    それを、国会議員と、総合科学技術会議と、官僚に直接、面と向かってぶつけるのが、この企画です。やってください。ただし、そうした決め方が良くないことだということぐらいは、相手も百も承知です。ですから、「では、研究者のコミュニティーのどこでまともなアイデアなりが出てくるのか?それがないから、変則的な決め方になってしまっている」と投げ返されます。どう、打ち返しますか?

  33. Shinichi Nakagawa より:

    現状、特に分子生物学だけが大事、ということはないと思いますが、基礎研究の多様性を維持する事の重要さを理解してくださる政治家の方が出てきてほしいですね。

  34. Kazuhiro Maeta より:

    的外れな意見かもしれませんが。。。
    科学研究政策においてリーダーシップがとれる政治家を“分子生物学会が養成”すればよいと思います。
    もしくは医師会のように政治にも強い団体になるか。
    文科省と意見交換しても、文科省の方々は『公務員』なのであまり期待ができないのではないでしょうか。
    様々な科学の分野の中から、日本の為にこの領域(分子生物学?)を発展させる必要があるというのを見越せる(かなりむづかしいことと思います)科学に強い政治家が必要と思います。

  35. Tak より:

    リンク先も読ませて頂きましたが、個人の問題があるのはその通りだと思います。おそらく、それは多くの人が実感していると思います。具体的には書けない酷い話はおそらく誰もが少なからず持っていると思います。

    人事をオープンな過程で行うことと、既得権がある程度の期間で一度はリセットされる仕組みを作ることが大事だと思います。

    ただ、テニュアトラックの人を公然と講座制に組み込んでいるケースがたくさんあり、それについて誰も怒りを示していない日本の現状を見ると、人事はオープンにやっても意味がないかもしれません。

  36. Shinichi Nakagawa より:

    >「社会の課題解決」を目指して基礎研究をするのは効率が悪すぎるし、
    まさにそこが一番僕自身が気になっているところです。「国民の声」が本当に社会の課題解決を基礎研究に対して求めているのなら、僕ら現場の研究者が、文化としての科学を説明するための努力をもっとしていかなければならないのかもしれません。

  37. Shinichi Nakagawa より:

    大変よい案と思いますし、ぜひとも実現してほしいとも思いますが、財源の裏付けはどうするのでしょうか? 今の何倍も公的研究費がつかないと、実現は難しいと思いますが。研究者のために一生懸命動いてくれる政治家がいないものですかね。

    (日本版テニュアトラックへのmomotchさんのご意見をこちらに転載しました)

  38. Miwako Ozaki より:

    山形先生、最も本質的な問題が『リーダークラスの個人の問題』であることは、全くその通りであると感じております。ここがしっかりしていれば、物事はそこそこ運営されて来たと思います。

    よって、研究者個人の問題は、学術界内の議論や倫理教育で継続的に対応すればよいと思います。しかし、意識改革、人材育成、システム改革事業のどれも改善どころか悪化方向に働いた側面があるように、倫理教育プログラムも即効性のある対策にはならないと思います(だから倫理教育が不必要と言っているのではありません)。

    個人対策と同時に学術界全体の判断基準となる制度やルールも必要で、それが研究者の行動規範を作っていくのだと思います(要を押さえた制度は、早いスピードで学術界をよくしていくと思います)。その制度や仕組みがある程度のヒトの行動規範を作っていくのです。勿論それも完璧ではありません。しかし、『完璧でないなら何もしない』のではなく、科研費制度のJSPSと研究者のイタチごっこは好感がもてます。その結果、更なる改善が必要というものの、科研費は、最も公平に機能している基礎研究用予算になっていると思います。

    文科省タスクフォースが作成されたまとめ(上記PDF)は、敢て本質を外しているように見えますが、これでは、この先10年、それ以上かけても日本は変わらない可能性が高く、今後も問題ある個人が意思決定の場に居続け、そこが都合良く物事を決め続けて行く訳で、どんな素晴らしい事業も現場で実行される時にはねじ曲がっているでしょう。

    人間など元々完璧な訳ではなく(先生に言うまでもないことですが、厳密、厳格な様に見せかけている科学も完璧ではないですし)、ある程度の秩序を維持する為に法律があり、裁判制度があり、ルール(机上の空論ではなく)があると思いますが、学術界は、これまでここに何ら手を付けなかったと言えます(文書は沢山作られましたが)。表面的には、正しいことをしているように振る舞う必要がるため、スケープゴートが仕立て上げられたり、議論で論破できない時は、議論内容とは全く別次元の裏工作が始まる訳です(この部分は犯罪の域にあると思いますが、それでも学術界や学術界を誘導できる文科省やその外郭団体はそれを放置し、今も何がされたいのか疑問です)。

    研究者の自主性や倫理観の醸成まで待てばよいのではなく、制度やルール、公正局(第3機関)が判断する仕組みの必要性は、このガチ議論サイト内議論でも解ったはずですが、タスクフォースがそれを受けているようには見えません。残念ながら、今、大多数の研究者と学術界を守ることができるのは、学術界自身や「『リーダークラスの個人の問題』とある『個人』」と繋がりの強い文科省幹部らではないと言えるのではないでしょうか。神経科学分野により顕著な問題が生じた理由の1つは、意思決定の場にある研究者と文科省との繋がりが強かったからと言えます。

    諸問題に正しい判断が下せるのは当事者らではないと思います。しかるべきところへ全て情報公開し、議論のもとその判断を仰ぐことは一つの方法と思っています。現状では、日本が健全さを取り戻す日は非常に遠いと思っています。

  39. 山形方人 より:

    この半年間ほど、このサイトに投稿させていただこうと考えていることがあるのです。私は、長年の経験から、この「深刻だが気づかれていない問題」こそが、日本の研究問題を考える上で、最も本質的な問題であるという結論に至りました。
    http://masahitoyamagata.blog.jp/

    しかし、自分の中でも、まだ完全に整理できていない部分がいくつかあり、書いたものの、「不完全な主張」という認識のもと、投稿は躊躇しています。また、いつの日か、このような機会がありましたら、投稿させていただきたいと思います。

  40. スティーブ・ジョブズ より:

    お偉い研究者の先生が同級生やら何やらの知り合いの国会議員と手を組んで我田引水極まりない科学技術政策を実行しやがる、ってのはどこかに書いてあるでしょうか。
    ◯◯◯先生と◯◯代議士によるポスドク10000人計画のような。

  41. Tak より:

    中央の『真にオリジナリティあるものは「萌芽タイプ」のみ』というのは間違っていると思います。私はこれまでに代表者として研究費を12回申請して採択4回不採択8回の人間ですが、少額科研費の審査は全体としては妥当にジャッジできていると感じています(評価のコメントが申請者に一切与えられないのは非常に問題ですが)。オリジナルで面白い申請書を書けば萌芽でなくてもだいたいは通ります。
    高額の科研費になればなるほど、『有名国立大学の先生だからお金はある程度あげないと可哀そうだろう』『この人はいい仕事をしたけど、この所属先ではこんなお金を上げても意味ないだろう』というような配慮が審査に混ざってくるように思います。ただ、頑張って有名国立大学に入った学生の学力を考えると、その配慮は必ずしも間違ってはいません。教員は科研費が無くなったら解雇(あるいは給与は科研費から支出)をルールにすればこの問題は解決されます。このルールを導入するのであれば、一発勝負の弊害を無くすため、科研費の申請機会を年4回ぐらいに増やした方が良いと思います。

    資料全体に感じるのは、『評価』や『修正』というものがいずれのステップについてもほとんどできていないということです。もともと目標が曖昧、あるいはノーベル賞30人のスローガンのように間違っているので、『評価』や『修正』が出来るわけもありません。科学的な評価だけはかろうじて日本の研究者はできているので、科研費の審査だけはある程度成り立っているのだと思っています。

    私が業界全体について思うのは、サバティカルのようなものを全ての人に強制的に導入すれば悪い部分はかなりなくなるのではないかということです。高額研究費を無理にでもずっと取り続けないと負け組かのような無駄なプレッシャーはサバティカルを導入すれば無くなると思います。また、出張だらけの偉い先生は別にして、ほとんどの人は何をすべきかをじっくり考える時間というものがゼロだと思います。何をやったらいいのかもわからないのに実験しろとだけ怒鳴られるようなラボが有名大学でもたくさんあります。普通の人はサバティカルでもなければ動物園でシマウマの模様をじっくり見るようなことは無いと思います。

    ところで、今日付けのScience誌のEDITORIALに日本版NIHに関しての記載がありましたが、私の英語力ではよくわかりませんでした。誰かよろしければ解説をお願いします。

  42. Yuji Kageyama より:

    そもそも、科学技術(科学+技術?)という括りがおかしい。基礎研究と応用研究は、手法や戦略は似ているが、目的は全く違うので、一緒にして論じるべきでない。「社会の課題解決」を目指して基礎研究をするのは効率が悪すぎるし、応用を第一に考える企業の研究者は「科学的真理の追求」には目もくれないであろう(健全な科学の発展にはいずれも必要なのは言うまでもない)。何もかも一括りにするから、基礎研究は役に立たないとか、応用研究にオリジナリティがないなどというとんちんかんな議論が生まれたりするし、制度が複雑になると整合性が無くなったりする。

    それはともかく。

    「科学とは文化であり、将来の国家・文明を支える礎である」

    この認識は、少なくとも、行政府である文科省や財務省にも共有されているはずです(そのために今まで国家予算を使ってきたのだから)。国民に予算の使い途を説明しなければならないのは、科学の発展に粉骨砕身している研究者ではなく、行政府でしょう(もちろん個々の研究の解説ならば、研究者自信が解りやすく行うべきだし、協力する義務がある)。国民が納得していないとしたら(山中さんのノーベル賞やはやぶさの盛り上がりを見れば、皆納得しているように思えるけど)、それは研究者のせいばかりじゃないです。財政状況や経済状況が変わっても、後生のために守らなければならないものがあるとすれば、それは我々の文化であり、将来の文化をはぐくむ教育であると思います。

  43. pepeさん より:

    取り敢えず左上からスタートしてるのだけは書いた方が分かりやすいですね。
    所詮ループしてるんだからスタートもなにも無いだろうということの結果なのかと思いますが。

    国民の声〜
    そうなると国民の声を可視化するシステムが必要になりますね。
    国民がやって欲しい研究を挙げて、署名がいくら集まったら審議して、
    議事録を公開、みたいな。

  44. tsuyomiyakawa より:

    まず、研究歴(研究年数)は当然、実績を評価する際に考慮にいれることになるでしょう。PIになってからの年数が短い人については、そういう枠を設けるということでよいかもしれないですし、年数で補正するようなこともありうると思います。今の制度でも審査する際には、事実上そんな感じになっていると思いますが、まずはそれを踏襲するようなことでよいように思います。

    また、他の国のようにPIとそうでない人をきちんと分けたほうがよいと思います。原則として、(少なくとも生命科学のような分野では)ラボの主催者のみが研究費を申請できるようにしたほうがよいという考えです。PIでない若い人は、研究費取得のようなことでなく、研究そのものにできるだけ集中できたほうがよいのではないでしょうか。選手と監督の役割分担をするメリットが大きい分野が多いと思います。一人で選手と監督を兼ねているというので十分、というような分野もあり、一人PIのようなことがあっても問題ないとも思いますが。

  45. Shinichi Nakagawa より:

    【国民の声は?】
    何か制度が変わるときにいやというほど聞かされるのが「国民の声」です。国民が納得しないから、国民に説明しなくてはいけないから、ということで、基礎研究よりもイノベーションが重視され、基盤的研究経費はバラマキだとレッテルを貼られてしまい、選択と集中ということで特定のプロジェクトに研究費が集中する傾向にあります。

    でも、この金科玉条、国民の声、というのは、この図のどこにあるのかなというのが良く分かりません。

    そもそも、官僚の方々はどのような形で「国民の声」を集めているのでしょうか?財務省や文科省が世論調査を参考に予算を決めたという話はあまり聞きません。様々な制度を作る際に、実態としては特定の、ごく一部の方々の意見を参考にしているのに、それを「国民の声」として掲げている、ということがあったりするのではないでしょうか。バラマキと言われようが何しようが、特定のプロジェクトやプログラムを次から次へと作り出して複雑化させるよりも、科研費と運営費交付金を充実させることが本当の「国民の声」ということはないのでしょうか?この問題に関しては以前このサイトの「ホンネとタテマエ」でもかなり活発に意見交換がなされていました。過去記事へのリンク貼っておきます。基礎研究を堂々とやることが許されないとは、あまり思いたくないのです。
    http://scienceinjapan.org/topics/20130228.html

  46. Shinichi Nakagawa より:

    この場合実績のない若手は対象外になってしまうのですが?
    若手用の別の制度をセットで作ってほしいということになりますか?

  47. Ichiro Motoki より:

    図で抜けているもの
    1.省庁の壁
    例えば理研と産総研での共同研究はほぼ不可能。過去にはマウスcDNAとヒトcDNAライブラリの無駄遣いなど、リソースの無駄遣いが発生している。

    2.テクニカルスタッフの低い身分
    例えば理研だと、テクニカルスタッフの待遇は主任研究員の意向を受けて、事務方が決める。これではいつまで経っても、研究者>テクニシャンという身分制度が解消しない。結果として、腕の良いテクニカルスタッフが確保できず、研究者自身が損をしている。

    3.科学そのものの価値の低下
    科学の価値は低下しているし、技術の価値も低下傾向が見て取れる(CEATECの観客激減等)。詳細はこちら参照。
    ブログでバイオ 第82回 「科学の価値は?」
    http://buu.blog.jp/archives/51415573.html

    4.ノーベル賞受賞者の文科省による囲い込み
    文科省は、数名のノーベル賞受賞者を財務省に向けて科学技術関連予算を確保するための尖兵として利用している。本来は省益とは無関係に国家的な提言をすべき人たちである。

  48. tsuyomiyakawa より:

    研究費で「優れた提案が出てこない」問題について:
    優れた提案が出てくるか否か、というよりも、優れた研究が出てくるか否か、という切り口で考えたほうが良いのではないでしょうか。つまりこの部分については問題設定を変えたほうがよいのではないかと思います。
    以下のプレゼンでも述べさせていただきましたが、
    http://www.sciencetalks.org/ja/article/miyakawa-presentation

    「提案」というのは、どうとでも言えるし見せることもできるのですが、基礎研究は計画どおりには進まないことがほとんどです。むしろ、「提案」「計画」に入っていなかったような予期せぬ意外な発見がイノベーションを生むことが多いのではないでしょうか。今の仕組みでは、言うだけ言って資金を取得して、それが実現されなくても、なんら問題視されることはありません。また、達成目標、検証指標といっても、そのプロジェクトの成果は、研究期間中でなく、ずっと後に発表されるようなことも多いです。計画の達成度を検証しようということに原理的なムリがあります。さらに言えば、現在の研究費の審査でも、実際のところは計画部分をみているのではなく、実績(ハイインパクトジャーナルにどの程度論文がでているか)を評価している部分が大きいでしょう。
    ですので、提案の良し悪しで研究費をつけるのではなく、なされた研究成果の良し悪しで評価し研究費をつけるのが適切な方法だと思います。普通の世の中では、成果物を販売して、そこから得た資金を次への投資にまわす仕組みになっています。うまくいくかどうかわからない計画よりも、既にでている成果のほうが、ずっと適切に評価を行うことが可能でしょう。
    ということで、実績の評価に応じて研究費の額が増減するような研究費 http://scienceinjapan.org/topics/031413.html を導入するのがよろしいのではないかと思います。

  49. Ryuichi Nakajima より:

    図、拝見しました。日本の科学行政の問題に真正面から立ち向かう宮野先生ほか皆様のご尽力に心から敬意を表します。この議論がより実りのあるものになるよう願っています。

    さて、図の正直な感想を申し上げますと、問題が詳細に示されている反面、分かりにくいです。もともと複雑な問題を取り扱っているので、図が分かりにくくなるのは当然なのかもしれませんが、それだけに、もう少しシンプルにすることが重要になると思います。

    例えば、問題を要素ごとに色分け・場所分けなどすると、議論のトピックが整理しやすいのではないかと思います。

    あと、それぞれのパーツが何を意味するか、(左右、矢印、文字の色など)に統一性があるかどうか、再検討の必要があると思います。例えば、この矢印が因果関係を示すのか、単に時系列を示すのかなど、不明瞭な印象を受けました。

    ご参考までにー

  50. Shinichi Nakagawa より:

    スタッフから補足です。お寄せいただいたコメントを当日の限られた時間内で全てディスカッションすることは出来ないかもしれませんが、少なくともこのターゲットブログに寄せられたコメントを元にアジェンダを作ります。総合科学技術会議サイド(原山さん)、政治家サイド(すずかんさん)、文科省サイド(未定…)、民間サイド(ヤフー・安宅さん)、研究者サイド(ガチ議論スタッフ宮川)といったパネリストが、pdfに示されたような複雑に絡み合った負のスパイラルをどうやってほぐしてゆけば良いのか、現状を把握し、今後の解決策を探してゆきます。フロアからの意見も、twitterやUstreamのコメント、また、e-mailで受け付けながら、積極的にピックアップします。

    とりあえず、ここのところを重点的にディスカッションしてほしい、こういう解決策があるのではないか、そもそもこれが問題だ、というようなコメントも含め、よろしくお願いいたします。

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