【帰ってきた】ガチ議論
このエントリーをはてなブックマークに追加

tatemae_honne_2

ホンネとタテマエ

ツイッターまとめ
このエントリーをはてなブックマークに追加
 
31

本音と建前というのは新聞の家庭欄の親戚付き合いネタあたりで良く出てくるキーワードですが、まさかそのようなものはあるまいと思われるサイエンスの社会でも、しばしば出てくる言葉のような気がします。10年度にはガンの有効な治療が見つかる。10年後には花粉症は治り、アトピーにも有効な治療法が見つかる。10年後に画期的なグリーンエネルギーが実用化に乗る。そんな事そう簡単にできる分けないでしょうというのがホンネ。でもそういわないと研究費が取れないでしょう、文科省がお金を出してくれないでしょう、財務省がウンとは言わないでしょう、というのがタテマエ、という具合です。

ケネディ大統領が「1960年代中に月への有人飛行を実現する」と冷戦宇宙開発競争まっただ中の1961年に言った発言は、ホンネだったのでしょうか。タテマエだったのでしょうか。時代も少しずれているため状況を知る由もないのですが、結果としては、その発言は実現し、技術的な波及効果もおそらく大きく、なによりも、ああ、やはり科学というのはすごいな、という感動を多くの人に、特に若い世代や子供達に植え付けたのは間違いないところでしょう。岡本太郎と月の石。ホンネだろうがタテマエだろうが、そういう話を全てを吹き飛ばしてしまう夢いっぱいの「痛快」な出来事。今で言うなら山中効果でしょうか。

全てのプロジェクトがアポロ計画のように、iPSの様にいけばよいのですが、そうなる訳はないというのは、なんとなく研究の現場にいる皆が思っている事だと思います。研究など、そもそも何処に向かっているのか分からない。人知の範疇を越えた偶然の発見こそが知の壁を打ち破る原動力なのだと。しかしながら、税金で研究している以上、説明責任があります。というわけで、そんな事は出来ると思っていないのに、研究費の申請書には「XXXXという成果が見込まれる」という一文を最後に書いてしまう。というかそういう書式になっているじゃないですか、と言い訳しながら、ホンネを隠し、タテマエを出してしまう。というのが実情だったりするのではないでしょうか。

一方で、本音と建前などなしに研究している方もおられると思います。特に患者さんを目の前にしたお医者さんの研究者にはそういう方が多いのではないかと思います。ホンネとタテマエを使い分けるのはどちらかというと基礎研究者でしょうか。そういう態度は真剣に患者さんと対峙している医療研究者の方々に対して、失礼な、なんかズルいような気がします。その一方で、基礎研究者は、一人の患者も救ってはいないけれども、サイエンスの土台を作り育ててきたという側面もあると思います。研究者がいわゆる「自由な発想」(個人的には「苦悩の発想」だとおもいますが)を積み重ねてきた結果、現在の生命科学の繁栄があるのだと。

いずれにせよ、「ホンネ」と「タテマエ」は、乖離すればするほど、実践的には非効率になるのではないかと、そう思うのです。「XXXを目指す」と言うのであれば、やっぱりそれをやらないとおかしいと思います。その一方で、何かを目指しているわけではない研究こそがサイエンスを発展させてきたといっても過言ではないと思いますから、そのような研究も、同様にサポートされるべきだと思います。国民に対して説明をしなければならない。その「国民」って誰?向こう三軒両隣のおばちゃんが「国民」なら、むしろ後者の方を応援してくれていたりして。

長くなってしまいましたが、ここからが論点です。ともすると、基礎的な研究よりも、実用的な目標を前面に出したプロジェクトの方に、昨今では研究費が多く投入される傾向にはないでしょうか。たしかに、実用的な目的がはっきりしていないものよりもはっきりしているものに研究費を集中させたほうが、社会への還元という観点からすれば効率的であるようにも思われます。文科省への、財務省への説明もつきやすいのかもしれません。しかしながら、現場レベルで見ていると、そんなにうまくいくものではない、どうしても建前と本音がどんどん分かれていってしまっている感覚があります。実用的な目標を定めた研究への研究費をもう少し減らして、基礎的な研究費(科研費とか)を拡充させた方が、学問としては活性化し、そのほうが結果として社会への還元力も多くなるのではないでしょうか。この組織のミッションはこれこれ、この組織のミッションはこれこれ、といって、大学と研究所の役割を分けてしまうのも疑問が残ります。大学でも、理研でも、産総研でも、付属研究所でも、それぞれの場所で、基礎研究でも、応用研究でも、やれば良いと思います。そのかわり、個人レベルでは本音と建前が乖離するような事はやらない。本音と建前をなるべく近づけたい。そのためにもプロジェクト型研究よりも科研費の拡充を、というのが願いです。

理化学研究所 中川真一

(この意見は筆者が所属する組織の意見を反映しているものではありません)

コメントを新着順に表示させるため
コメントはできるだけ下のボックスからご入力ください

“ホンネとタテマエ” への31件のフィードバック

  1. ご意見ありがとうございます!

    本音と建前を一番感じたのは、自分の「所属だけ」が組織替えに伴いコロコロ変わる事です。部屋もスタッフもほとんど変化が無いのに。たぶん、組織替えの理念をきちんと理解していない僕が悪いのでしょうが、組織の名前が変わったのにやっている事を何も変えかったら、本来であればなんらかのペネルティーがあってしかるべきです(明日から机が無くなったらどうしよう。。。)。でも、実際はそうならない。これは、たぶん上層部に見識の高い方々がおられて、基礎科学というのはそういうものではないよ、と守ってくださっているのだと思います。とはいえ、それだったら最初っから組織替えなんてしなければ良いのに、というのが、本音と建前の乖離を考えたきっかけではありました。
    現場レベルの研究者として一番大事なのは、やはり、ご指摘のように、エビデンスに基づいた結果を一つ一つ積み上げる事だと思います。

  2. どれぐらいのお金が適正なのか、というのは難しいところで、インフラが整っているところで自分一人で研究すれば良い、ということであれば、年間100万円あれば、なんとかなるかな(分野にもよりますが基礎生命科学では)、という人は多いと思います。ただ、ポスドク一人とテクニカルスタッフ一人と一緒にやろうとすると、とたんに追加の人件費と保険料等の諸経費1000万円弱が必要になります。それほど贅沢な研究室の運営ではないと思いますが、科学者の矜持としては自分の資産でやりたいところですが、これはちょっと無理です。
     とはいえ、ポスドクやらテクニカルスタッフと一緒にやろう、なんていうところがそもそも「基礎科学」ではないでしょう、というのは一理あるところで、佐藤先生は、自分の頭でとことん考えることの大切さを説かれていたのではないかと、そう想像いたします。勘違いしているようでしたらすいません。

  3. FJ より:

    ネットの良さとしてネガティブな事を書きます。

    実際、科研費の審査で建前なんて評価されていない気がします。基礎的な計画と得られる結論をしっかり見ている気がします。

    なぜ、響きの良い建前に予算が下りてるように感じるかは、過剰な予算をたとえばiPSにつけるから有象無象にまで回す予算が出来ているだけのことです。iPSのすばらしいいところは、勘だけのふりかけ実験ではなくマススクリーニングを用いてエビデンスに基づいた方法をとったことだと思います。しかし、予算がつくと、何の当てもなくやっている人間にも予算がまわることです。

    エビデンスに乏しいチャレンジも実は重要で偶発的な発見があるものです。なので、重点的課題にそのような予算が回っても良いのです。なので、予算がとりたければ、着実にエビデンスに基づいた研究をするか、流行に乗るか、それらを両立するかだと思います。
    なので、建前が評価されていると思うのはマスコミに振り回されているだけでやめたほうがよいと思います。

  4. kapibara より:

    王立研究所の研究者でしたから公金では?

  5. Maxwell より:

    元京大理学部帳物理学者佐藤文隆氏のコラムに以下のような文章があります。基礎科学の重鎮佐藤氏が語られるこういう議論にももう少し耳を傾けてみたほうがよいのではないでしょうか。

    http://scienceportal.jp/HotTopics/interview/interview46/02.html
    …「科学研究は自分の資産でやるべきもので、税金でやると科学精神が駄目になる」と大反発が起こるのです。この時の論争は詳細に記録されています。わずか150年さかのぼるだけで「政府から金をもらったら科学の精神は駄目になる」と考えられていた時代があったことを、もっとみんな知るべきですよ。

  6. Maxwell より:

    マイケル・ファラデーの基礎研究は公金によるものだったのでしょうか?

  7. 脳内の実体と、脳の外の実体にわけてかんがえるといいかもしれないですね。「ジンクピリチオン効果」として称されているものでは、概して、脳内の実体を新しい言葉によってつくるが、それに対応する脳外の実体がない、あるいは薄いものなのではないでしょうか。ポイントは、出資者の頭の中に脳内実体を作ってしまいさえすれば、それだけで出資していただけてしまう、というところでしょうか。科学では、脳内の実体と脳外の実体がうまく対応することが重要なことであるはずです(そこが宗教と大きく異る)。脳外の実体のない脳内実体を目新しい言葉を生成するだけでつくってしまって資金調達をしてしまおうという「ジンクピリチオン効果」狙いの方法が、まっとうな感覚を持つ科学者から反感をかった、ということなのでは。

  8. capecod より:

    ちょっと興味深いご意見なのでコメントしますが、観念も実体として存在というのはつまりジンクピリチオン効果も実体である、という理解でよろしいでしょうか?

    近藤先生のコメントもいただけると面白いのではないかと思います。

  9. そうなんですか。米国で応用志向が強いというのは知りませんでした。たしかに、はやぶさの盛り上がりとか、日本では基礎研究に対する目線が体感的には非常に暖かいと思います。基礎研究をやっている人間がモラルを守ってしっかりとその成果を見えるようにする努力を積み重ねる。現場サイドとしてできることはそれぐらいしかないのかも知れません。

  10. Koichi Kawakami より:

    日本はまだまし。最近の米国の応用指向などは見ていて気の毒になるくらいです。基礎研究がまだある程度の市民権をもっているのは、世界的に見ても日本とドイツくらいだと思っています。結局、どれくらい経済的に余裕があるかということと密接に関係があり、科学も科学者も社会の情勢に無頓着ではいられません。

  11. 参考までにソースがよくわからない某新聞の記事を転載しておきます。

    「大学の研究成果を産業化に結びつける産学連携。文部科学省は、革新的な技術開発によって経済成長を促す「科学技術イノベーション」の原動力として、装い新たに2500億円規模の新規事業を始める。」

    単年度ではなく5−10年の総額でしょうから単純な比較は出来ませんが、平成24年度の科研費の総額が約2300億円ですから、かなり大規模な事業です。基礎研究につぎ込んでも効果がないと愛想を尽かされてしまった?のでしょうか。

  12. >「リスクの伴う投資」のようなものだとおもいます。このようなことを、科学のパトロンである、国民の皆様やファンディングエージェンシーの方々にご理解いただくということが大事なのかもしれません。

    そうですね。研究者の立場として、専門外の人には分かってもらえなくても良い、ということを言い出してはいけないと思いますし、またそれは常々反省しているところでもあります。

    とはいえ、基礎研究の重要さは、『国民の皆様やファンディングエージェンシーの方々』は、実は承知しておられるのかもしれません。お役所での議論は知る由もないのですが、繰り返しになって恐縮ですが、財務省の神田さんが書かれた「強い文教、、、」によれば、ラスボスの財務省の方々も、基礎研究の重要さは重々承知で実際予算を増やしていますよ、でも思ったほどの効果は上がっていないのではないですか、これだけ公共事業の予算を減らしているんだから、ただ単に科学技術関連の予算を増やせといっても受け入れられませんよ、と言っておられるような気がします。

    たとえば、「さきがけ」とか「CREST」とか「ERATO」とか「基盤XX」とか、そのほか多種多様な予算制度ごとにつぎ込んだお金と成果を比較する事は客観的なエビデンスを集める上で有効だと思うのですが、つぎ込んだお金は正確に把握できても、成果に関しては客観的な評価をなにをもって決めるのか、難しそうです。一研究者として出来る事は、インパクトファクター等の二次情報に頼らず、なるべく誠実なピアレビューをする事ぐらいでしょうか。でもそこで大きな問題は、評価は利害を排してやらなければならないけれども、本音と建前を見抜いて評価できる人は、利害関係のある分野のごく近い人にしか出来ない、という矛盾です。

    Kudohさんがおっしゃられている「リスクの取り方」を真に客観的に評価して予算の配り方に反映することをするためにはどのような制度が最適なのでしょう。本音と建前というキーワードの範疇を越えていますし、どなたか研究費のシステムをどうすべきか、といった事に関してターゲットのご意見をお送りいただいて、議論をリードしていただけると助かります。

  13. Kudoh Sadashizu より:

    たとえば道路工事なら、かけたお金と、出来る道の長さは比例するでしょう。この「つぎ込んだお金の額とアウトプットは比例するものだ」という考えが科学でもそのまま当てはまると思われる方が、かなり多くいらっしゃるのではないでしょうか。しかし、未知の物を手探りしなければならない科学の世界、特に基礎科学では、実際にはそうはいきません。科学に税金を使うということは、アウトプットの不確定性の高い、いわば「リスクの伴う投資」のようなものではないでしょうか。このようなことを、科学のパトロンである、国民の皆様やファンディングエージェンシーの方々にご理解いただくということが大事なのかもしれません。

  14. > いろいろありうるのではないでしょうかね。僕の場合は、論文発表後にプレスリリースする、一般向けのわかりやすい書籍を執筆する、一般向けの研究室ツアーを行う、などを行なっています。
    すばらしい。僕が高校のときに京都に行きたいと思ったのは、間違いなく岡田節人さんの「細胞の社会」と日高敏隆さんが訳されていた数々の本の影響です。分かりやすい書籍を脂が乗った現役ばりばりの研究者が執筆するというのは、基礎研究を理解してもらう上で、重要な事です。特に社会的な影響力の大きい有名大学の先生方にはそういう活動を期待したいですね。日本語のレビューも、オリジナル論文をバキバキ書く力がない僕にとっては、数少ない社会還元の場と思っています。http://ncrnablog.blogspot.jp/2013/02/blog-post.html

    > 誰も読まないといわれる研究費の報告書を廃止して、そのかわりに自分が出版した論文の中にでてくる用語を整備するようにする、というようなことができればよいのではないでしょうか。
    報告書というのはあくまでも次につなげるためのものであるべきで、誰も読まないのに(一生懸命に目を通してくださっている方、すいません)何故作る?と思うことは良くあります。論文がある場合は、その論文を添付すれば、現状の報告書は省略可。文科省に提出する報告書は一般向けの分かりやすいものにし、それに関してはフリーでアクセスできるように文科省のサイトで公開してもらうというのはいかがなものでしょう。ライフサイエンス新着論文レビューというサイトがありますが、これで十分報告書になるような気がします。http://first.lifesciencedb.jp/about
    このようなサイトに高校生や学校の先生方からのアクセスが増えるように仕掛けるのは重要なのかもしれません。

  15. > 実用化からは遠く離れた場所にいる基礎研究者がなんらかの社会還元をするためには、何をすれば良いのでしょう?

    いろいろありうるのではないでしょうかね。僕の場合は、論文発表後にプレスリリースする、一般向けのわかりやすい書籍を執筆する、一般向けの研究室ツアーを行う、などを行なっています。

    他に基礎研究者が行うべきことで、今後間違いなく重要になることの一つとして、Wikipedia的な日本語の専門用語集を整備することがあると思っています。スティーブ・ジョブズの伝説のスピーチにもあるように、何がイノベーションをもたらすかは予め予測できるものでなく、ドット(点)とドットが突然繋がって後付けでそれらのドットの意味がわかるわけです。基礎研究者のやっていることというのは、それまで誰にも見えていなかったドットを世界の誰にでも見えるように可視化していくということではないでしょうか。それらのドットは見えるようになった時点ではまだ意味はわからなくていいわけです。誰かが可視化された素材を繋いでくれて、新しい価値が誕生したときに初めて意味が理解できればよいと。

    研究者は英語で論文を書きますので、日本国民は世界中に生まれているたくさんの新知見へのアクセスに不利な部分があります。日本の基礎研究者は、それらを一般国民が理解しやすくなるようにフリーの用語集を整備すべき、という意見です。そういう素材があれば、あとは一般国民が自由な発想でそれらを結びつけてイノベーションを産んでくれるでしょう。オリジナルな素材を発見していく能力と、それらを使って実用的なものを生み出す能力は異なる場合がほとんどであり、分業が望ましくまた生産的だと思います。

    誰も読まないといわれる研究費の報告書を廃止して、そのかわりに自分が出版した論文の中にでてくる用語を整備するようにする、というようなことができればよいのではないでしょうか。

    > 業績評価に応じて増減する更新可能な基盤研究費が最も効果的なのではないでしょうか。

    重要ですね。そのような基盤研究費の具体的な案も追ってこのサイトに提示していきたいところです。

  16. > もっと正直なほうにシフトしないと、研究者コミュニティの外から信用されなくなってしまうと危惧します。

    僕自身の問題意識もまさにそこに尽きます。実体のあるものに誠実に取り組まなければならない、ということです。応用研究と基礎研究に対する比率に関してはエビデンスを集め、戦略的に配分をすることが重要ということのようですね。

    理化学研究所で基礎研究の芽を育てるという機能を持っていた基幹研究所は、今年で廃止されてしまいます。ちなみに、前身の中央研究所も、たった5年で改組です。社会還元や実用化に真剣に取り組む姿勢をもっともっと見せないと、今後予算を手当てする事はできませんよ、という役所からの強いメッセージを突きつけられているような感じがしています。実用化からは遠く離れた場所にいる基礎研究者がなんらかの社会還元をするためには、何をすれば良いのでしょう?ノーベル賞を取る以外の方法はなにかありませんかね。

    いずれにせよ、大学であれ研究所であれ、堂々と基礎研究をやると言って研究を継続できるような仕組みを作る事は、非常に重要であると思います。何遍も繰り返して恐縮ですが、そのためには業績評価に応じて増減する更新可能な基盤研究費が最も効果的なのではないでしょうか。

  17. > タテマエを振りかざして公金をおそらく何兆と使ってきたあげく、やっぱりタテマエはなしにしてホンネでいこう、というのは無責任すぎませんか。

    研究者コミュニティを総体として外からみると、確かにshimazakiさんのおっしゃるように見えるかもしれないですね。しかしながら、前者の方々と後者の主張をしている人は実際には別の人々である、ということがあります。前者の方々の中で、後者の主張のようには思われる人はほとんどいらっしゃらないのでは。

    > 個人では無理でも、学会や大学レベルで、本気で社会還元や実用化に取り組んできたのでしょうか。

    個々の研究者レベルでは本気で取り組んでいる人も多いとは思います(自分は少なくとも真剣に取り組んでいます)。学会レベルですと、(応用関連の学会など、中には取り組んでいるところもかなりあると思いますが)基礎研究関係の学会で、学会として本気で取り組んでるところは少ないのでは、と感じます。自分は10近い学会に所属してますが、その中ではほとんどないですね。

    大学もそれぞれの大学や部局によるので、一概にはいえないと思いますが、印象としてはすくないでしょうね。

    > そこを問題にすべきではありませんか。

    そうですね。ということで、このような場で問題提起がなされている、ということではないでしょうか。

    この背景には、日本の研究者コミュニティの全体的な「空気」のようなものとして、ホンネとタテマエを分ける文化が強いように感じてます。ここでのトピックである応用と基礎の研究費の問題だけでなく、単年度予算関連の各種案件、人事や研究費の「公募」関連などなど。全部、ホンネだけ、ということにもならないとは思いますが、もっと正直なほうにシフトしないと、研究者コミュニティの外から信用されなくなってしまうと危惧します。

  18. shimazaki より:

    個人にペナルティとは思いませんが、nakagawa先生のおっしゃるようにここ20年、タテマエを振りかざして公金をおそらく何兆と使ってきたあげく、やっぱりタテマエはなしにしてホンネでいこう、というのは無責任すぎませんか。個人では無理でも、学会や大学レベルで、本気で社会還元や実用化に取り組んできたのでしょうか。そこを問題にすべきではありませんか。

  19. Nakajimaさんがおっしゃられていた韓国での事例は興味がありますね。基礎研究と応用研究、ボトムアップとトップダウン、いろいろな組み合わせがありますが、各国の事例を比較する。政策研究所というのがあるのですね。ぜひとも研究対象として調べていただきたいものです。

  20. 『建前をどうにかして守らせるような仕組みを作る』
    というShimazakiさんのご指摘は目から鱗の発想ですね。やると言ったからにはやれと。達成できなかったかどうかはともかくとして、本気でやろうとしなかった研究者にはなにがしかのペナルティーが下ると。それは実際そうすべきかもしれません。というかそうであってほしいです。問題は、実体が無いようなものまでジンクピリチオン効果の単語を満載して無理矢理プロジェクトにしてしまうような流れかなと思います。
    『ホンネは結果がどうあれ研究費を増やして欲しい、ではないですか。』
    アイタタタ。これもShimazakiさんのご指摘ですが、まさにその通りです。先立つものはお金ですから。でも、際限なく増やしてほしいという訳ではないですし、そもそも基礎研究は大事だから増やしてほしい、では通じない、納得してもらえないというのはそう思います。そういう意味で、
    『「研究費はそれほど増えてなくてもよいので、安定させて欲しい」という声も、ホンネとして実際にはかなりの割合であります(アンケートをとったことがあります)』
    『全体が増えなくてもうまく研究費の仕組みを再構築するだけで格段によくなるであろう、という意見もあります。』
    という宮川さんのこのコメントは、僕自身の個人的な実感にかなり近いです。
    財務省の神田眞人さんという方が書かれた「強い文教、強い科学技術に向けてー客観的視座からの土俵設定」という本があります。資源の乏しい日本にとって基礎研究を含む科学技術が重要であるというのは、今更言うまでもなく皆承知している。実際、厳しい財政事情の中、科学技術関連への予算は例外的に増え続けてきている(平成元年から比べるとこの20年余で3倍!)。しかしながら、これらは全て子供達世代の借金でまかなわれていると言っても過言ではなく、これ以上予算を増やす事は困難である。そこで、現在のやりかたで問題のあるところは改革してほしい。予算を注ぎ込むべきところに注ぎ込む。そこを最適化したい。ではどうすればよいか。みなさんで考えましょう。というような内容です。

    全体が増えなくても仕組みを再構築して最適化すればパフォーマンスが上昇する。そういう発想はこれからますます重要になると思います。理念は良いけれども実体がないようなプロジェクト研究、もしくは短期間で終わってしまうような事業の予算を、成果に応じた、かつ更新可能な基盤的な研究費に組み替える。ただしその審査は利害関係を排したピアレビューで厳密に行う、という方向性はいかがなものでしょうか。

  21. shimazakiさんのご指摘についてですが、エビデンスをどう集める、ということは大変重要なのは間違いないでしょう。具体的なことについては「政策のための科学」http://scirex.mext.go.jp ということで進められていると思います。「経済成長率と各種研究予算との関係」を調べるのも良いと思います。ただし、それはマクロに解析する場合、あくまでも相関にすぎず因果関係としては極めて弱い話になりますので、そういうデータをみたり紹介する場合は、単純な話に置き換えないことに留意することが大切でしょうね。「基礎研究重視を始めた80年代から、経済的には低迷がはじまった」という相関がもし実際にあるとして、基礎研究重視 -> 経済的低迷 という因果関係には必ずしもなりませんが(と言うよりもこの方向の因果関係は全く存在しないと思いますが)、そういう印象を与える文になっているので、注意が必要かと思います。

    「政策のための科学」のためのエビデンスとしては、一般国民が科学技術研究にどのようなことを期待しているのか、どの程度投資するのが良いと思っているのか、のようなある意味で観念的なことについて定量的な調査をするようなことも行うべきでしょう。

    「観念」についてですが、これは極めて重要です。脳を研究している研究者として指摘いたしますと、人間にとっての価値は、脳内の価値によって最終的に決まる、という事実があります。「経済的アウトプット」というのは確かに脳内での価値に大きな影響を与える要因であるのは間違いありませんが、そういうものの中のone of them にすぎません。「何かがわかった時のよろこび」、「50年後の人のために役立つことをしているという誇り」みたいなものも、価値の実体として存在し測定も可能です。ということで、観念も実体として存在しますので重く捉える必要があります。

    自分自身のホンネは、基礎研究はいろいろな意味で長期的には間違いなく役立つので、研究費を増やして欲しい、ということです(自分の研究の性質上、研究費がどうしてもかかってしまいます)。他の基礎研究者については、「研究費はそれほど増えてなくてもよいので、安定させて欲しい」という声も、ホンネとして実際にはかなりの割合であります(アンケートをとったことがあります)。分野によってはそちらのほうが多数派であるようなところもあると思います。全体が増えなくてもうまく研究費の仕組みを再構築するだけで格段によくなるであろう、という意見もあります。

    繰り返しになりますが、一人の納税者としては、研究者に「タテマエをきちんと守る」というようなことはあまり期待しないです。ホンネで勝負してほしいですし、そのほうが最終的に社会に還元されるアウトプットがよりたくさん生み出されるはずだと直感的には思います。

  22. shimazaki より:

    エビデンスに欠けるのなら、エビデンスをどう集めるかを議論するのがこういう場だと思っていましたが、研究者が結局観念論しかないというのは残念です。たとえば経済成長率と各種研究予算との関係を調べてみるなど、できることはいくつかあるのではないでしょうか。ただ、気になるのはこういう議論もすでにタテマエで、ホンネは結果がどうあれ研究費を増やして欲しい、ではないですか。むしろ、タテマエをきちんと守る手立てを考えるのが誠実な姿勢のようにも思います。

  23. すみません、昨日リプライ欄に書いてしまったので、再投稿します。

    現在、韓国の基礎系の研究所で勤務していますが、韓国は日本よりもずっと応用研究にウェイトを置いているようです。なので、マテリアルサイエンスなどの実利的な研究がとても盛んです。基礎系の研究者は韓国でも大変な思いをしているようです。そのせいか分かりませんが、韓国はまだノーベル賞受賞研究者がいません。新しい大統領は科学政策にかなり力を入れるつもりのようなので、基礎、応用ともにこれからがとても楽しみな状況です。

    日韓問わず、なるべくリターンのある方向に税金を投入したい、というのが政府側のそれこそホンネだと思います。基礎研究は応用研究と違って見返りが未知数なので、国としてここに投資するのはギャンブルに近いものがあります。それならば、リターンが確実な応用研究にお金を落としたほうがいいと考えるのは自然なことです。特に経済的に余裕が無い状況のときは、なおさらではないでしょうか。基礎科学研究費は、国益に適う可能性があるから貰えているのだという意識を、基礎研究者は忘れてはならないと思います。

    基礎研究と応用研究、ぶっちゃけどっちのほうが利益率(経済効果÷投資額)がいいんですかね。どこかに調査結果が出てないものでしょうか。何かこのへんの数字を根拠に基礎研究の重要性を主張出来れば説得力があっていいと思います。

  24. 「具体的なエビデンス」についてですが、昨日、斉藤さんとお話する機会がありましたが、この中川さんの今回のご意見を紹介したところ、「それこそ、まさに政策の科学がやるべきことですよね」ということをおっしゃってました。今後はまさにそれが必要になってくると思います。

    しかしながら、現段階ではそのような研究は発達しておらず、エビデンスに欠けるといわざるを得ないですね。今の状況ですと十分なデータがないわけですので、「観念論」で勝負することになると思います。基礎研究と応用研究のバランスについては、決定は政治家や財務省の方々などの政治判断で決まります。彼らの判断は国民がどう感じるか、思うか、というようなことを反映するわけです。つまり、そういった方々の気持ちをいかに動かすことができるか、ということではないでしょうか。
    ホンネとタテマエをわけているような人々が第三者のこころを動かすことは困難でしょう。国民の一員としてはそんな人たちには貴重な税金を使ってほしい気持ちにはなりません。いかに基礎研究が素晴らしいものなのか、面白いものなのか、人類の知的フロンティアを開拓することがどれだけエキサイティングなことなのか、その開拓をすることがどれだけ誇りを持てることなのか、ということを真っ向からホンネで伝えていく気持ちが必要ではないでしょうか。

    そういう意味では、オバマ大統領のNational Academyでの演説が参考になると思います。

    http://www.whitehouse.gov/the_press_office/Remarks-by-the-President-at-the-National-Academy-of-Sciences-Annual-Meeting

    感銘を受けた部分を抜粋してみます。
    “The pursuit of discovery half a century ago fueled our prosperity and our success as a nation in the half century that followed. The commitment I am making today will fuel our success for another 50 years. That’s how we will ensure that our children and their children will look back on this generation’s work as that which defined the progress and delivered the prosperity of the 21st century.”

    “The fact is an investigation into a particular physical, chemical, or biological process might not pay off for a year, or a decade, or at all. And when it does, the rewards are often broadly shared, enjoyed by those who bore its costs but also by those who did not.
    And that’s why the private sector generally under-invests in basic science, and why the public sector must invest in this kind of research — because while the risks may be large, so are the rewards for our economy and our society.”

    “No one can predict what new applications will be born of basic research: new treatments in our hospitals, or new sources of efficient energy; new building materials; new kinds of crops more resistant to heat and to drought.
    It was basic research in the photoelectric field — in the photoelectric effect that would one day lead to solar panels. It was basic research in physics that would eventually produce the CAT scan. The calculations of today’s GPS satellites are based on the equations that Einstein put to paper more than a century ago.”

  25. shimazaki より:

    歴史というほどではないですが、直近の日本の状況を鑑みれば、基礎研究重視を始めた80年代から、経済的には低迷がはじまったと言わざるを得ないと思います。

  26. 『全部基礎に投資、とか全部応用に投資とかは当然最適ではないはずで、国の未来への投資としてはどもこかに最適なバランスのレンジがあるのだと思います。』
    宮川さんが指摘されたこのポイント。とても重要だと思います。現状では基礎的な研究への投資が少なく、そのために本来なら基礎研究をじっくりやりたい研究者が建前を掲げて応用研究に進出せざるを得ず、かえって非効率になっているというのが僕の認識です。最適解がどこにあるか。この手の話し合いをすると、基礎科学は大事だ、それは当然として応用も大事だ、という堂々巡りになる事が容易に想像されるので、次のポイント、

    『単なる主観ではなく「政策の科学」のようなもので長期的視野で研究してもらうということが重要ではないでしょうか。』
    が重要になってくると思います。利害関係を排して、具体的なエビデンスをあげて検討をしていかなければ、結局観念論に終わってしまいますから。
    『基礎研究と応用研究、ぶっちゃけどっちのほうが利益率(経済効果÷投資額)がいいんですかね。』
    Nakajimaさんのこの指摘もポイントは同じところにありますでしょうか。

    基礎と応用、あるいはトップダウンとボトムアップのバランスといった問題に関しては、日本学術会議などの場でもうすでにさんざん議論し尽くされたテーマであると想像いたしますが、「偉い学者先生方の提言」を聞くだけでなく、政策を実施される役所の方なり、政治家の方なりが主体となって、積極的にそのあたりの調査に乗り出していただければ、本音と建前が乖離しないシステムができるかなあと思ったりもします。また、少し議論の流れはずれてしまうかもしれませんが、基礎研究を充実するために、更新可能なまとまった額の基礎研究費のシステム(RO1型の基盤研究費)の導入も一つポイントになるのではないかと思います。以下のリンクは、生化学という雑誌に半年ほど前に寄稿されたエッセイですが、基礎研究者はおおかた同感、という方が多いのではないでしょうか。
    http://www.jbsoc.or.jp/event/magazine/pdf/84-07-01.pdf

  27. 現在、韓国の基礎系の研究所で勤務していますが、韓国は日本よりもずっと応用研究にウェイトを置いているようです。なので、マテリアルサイエンスなどの実利的な研究がとても盛んです。基礎系の研究者は韓国でも大変な思いをしているようです。そのせいか分かりませんが、韓国はまだノーベル賞受賞研究者がいません。新しい大統領は科学政策にかなり力を入れるつもりのようなので、基礎、応用ともにこれからがとても楽しみな状況です。

    日韓問わず、なるべくリターンのある方向に税金を投入したい、というのが政府側のそれこそホンネだと思います。基礎研究は応用研究と違って見返りが未知数なので、国としてここに投資するのはギャンブルに近いものがあります。それならば、リターンが確実な応用研究にお金を落としたほうがいいと考えるのは自然なことです。特に経済的に余裕が無い状況のときは、なおさらではないでしょうか。基礎科学研究費は、国益に適う可能性があるから貰えているのだという意識を、基礎研究者は忘れてはならないと思います。

    基礎研究と応用研究、ぶっちゃけどっちのほうが利益率(経済効果÷投資額)がいいんですかね。どこかに調査結果が出てないものでしょうか。何かこのへんの数字を根拠に基礎研究の重要性を主張出来れば説得力があっていいと思います。

  28. 「基礎的な研究費(科研費とか)を拡充させた方が、学問としては活性化し、そのほうが結果として社会への還元力も多くなる」かどうかが自明ではないですね。このことについての何らかのエビデンス、あるいは実例のようなものを蓄積して、根気強く説明していくことが必要でしょう。
    また、全部基礎に投資、とか全部応用に投資とかは当然最適ではないはずで、国の未来への投資としてはどこかに最適なバランスのレンジがあるのだと思います。その種のことは単なる主観ではなく「政策の科学」のようなもので長期的視野で研究してもらうということが重要ではないでしょうか。その際に、「社会への還元」をどう捉えるか、ということもきちんと議論すべきでしょうね。「宇宙の起源を知る」みたいな狭い意味では全く役に立たないことも「社会への還元」として捉える地盤は十分にあるので(実際、莫大な額の研究費が出ているはず)、そういうことを直球勝負で主張していくことも大事かと。

  29. セルフつっこみですが、科研費の充実自体は過去20年以上ずっと行われてきた事だし、何の根拠もなしにもっと増やせと言われても対応できませんよ、というのが役所からの返事であるような気もします。ファンディングサイドからの率直なご意見を頂ければ有り難いのですが(>斉藤さんとかお時間があればぜひおねがいします)。科学技術関連予算をくみかえて科研費を倍増、アメリカのRO1タイプの科研費を充実させる。それら大きな予算を最適に分配するための審査機関を文科省やその他省庁でしっかりと作り上げる。というようにはならないものなのでしょうか。

  30. 全くその通りだと思います。餅は餅屋ですよね。何事もバランスだとは思うのですが、有無を言わさず役に立つのならばわざわざ予算を付けなくてもあっという間に広がるでしょうし(プラスミドベクターとかとかPCRとかたぶんこれからのiPSとか)、役に立つかわからないものを本当に役に立てるような「イノベーション」は(Pyrexのゴリラガラスを使ったiPhoneとか)、少なくとも基礎研究者が得意な分野ではないような気がします。スティーブジョブズにピペットマンを握らせてもろくな論文一つ書けないでしょうし、こういう言い方はあまり好きではありませんがインパクトファクター10以上の雑誌に論文を連発できる人が必ずしも「イノベーション」が得意な訳ではないと思います。では基礎科学を、ファラデーを、どういう基準で評価すれば良いのか?というところが問題になってくるのかもしれませんね。

  31. Shuuji Kajita より:

    最近の日本の風潮をビクトリア朝のイギリスに例えると、電磁気の基礎研究をしているマイケル・ファラデーに向かって「そんな遊びみたいな研究はやめて、蒸気機関の効率向上などの、もっと社会に役立つ仕事をせよ」と言っているようなものだと思います。

コメントを残す