【帰ってきた】ガチ議論
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shingari04

しんがり研究

ツイッターまとめ
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JST戦略創造研究推進事業の中で、最も成功したと評価されているのは「さきがけ」であろう。先頭を切って敵に突進する勇者である「さきがけ」は、まさに若い研究者の研究助成にぴったりのネーミングである。しかし、もちろん、戦(いくさ)はさきがけ武者だけでは成り立たない。そこでERATO, CRESTが戦闘部隊の本隊として存在するのであるが、実はこれだけでは大事な要素が欠けているのだ。そう、殿(しんがり)である。

殿(しんがり)とは、後退する軍の中で最後尾を担当する部隊を指す。敵の追撃を阻止し、本隊の後退を掩護することが目的の部隊である。限られた戦力で敵の追撃を食い止めなければならない最も危険な任務であるため、古来より、最も武芸・人格に優れた武将が務める大役とされてきた。軍隊には無くてはならない存在だ。現代の研究者社会にも、さきがけ同様、しんがりが必要ではないだろうか。

JSTさきがけは、40歳くらいまでの独立前か、独立直後の個人研究を援助する。期間は3年間、予算規模は年あたり千数百万である。一方、JSTしんがりは、期間、規模はさきがけと同じ。違うのは年齢制限が60歳以上という事だけ。

大学の教官、特に教授になると、「教育の義務、組織のマネージメント、評価、学会の仕事、などなどが山のようにあり、研究の時間がほとんど無い」という。また、大きな研究グループの長になっても、研究費の調達と多数いる研究員の指導に神経をすり減らす。実際、ほとんどの先生はいつも忙しくしており、かわいそうなほどである。彼らが決まって懐かしそうに話すのは、100%の時間を研究に使えたPD大学院生やPD時代の事だ。「PDをもう一度やりたい」「PDが一番良い時代だった」と飲み会で話すのを何度も聞いたことがある。よろしい、夢をかなえましょう、というのが「JSTしんがり」である。

実際、JSTしんがりは夢のような制度だ。応募者は60歳以上の教授、研究部長など。彼らは、自分で研究がしたくて、時間が欲しくてたまらない(はず)。研究人生の最後に、長年温めてきた最高のアイデアを試してみたくて仕方がない(はず)。しかし、日頃は忙しく、それに集中することができないで悩んでいる(はず)。だから、彼らを雑務から解放し、さきがけ研究者の様な立場に戻して挙げよう。当然、教授も部長もやめてもらうので、教育の義務もマネージメントも一切なし。一研究者として100%の時間を使う夢のような日々が待っているのだ。こんな素晴らしいことがあるだろうか?

さきがけ研究者は独創性を求められるが、それだけを追求すると、期間中に成功できない危険もあり、そうそうぶっ飛んだことはできない。ある程度安全運転せざるを得ない。しかし、しんがりはそんなことに悩む必要はない。人生最後の大ばくちに心おきなく挑戦できる。誰もやりたがらないような、誰も信用しないような研究。でも当たれば超大あたりの研究こそがしんがり研究の真髄であり、それが競争的な環境における研究の多様性を保証するのである。まさに、殿軍そのものだ。

しんがり研究は、3年ごとの再審査さえ通れば、自分で研究ができる限り更新可能。知力と体力の続く限りいつまでもできる。唯一できないのは、大きなグループを率いてやることだけ。グループを率いてやるような研究は、もう出来上がっているのだから、誰に任せても問題なし。自分がいなくても大丈夫。ノーベル賞の対象となった研究の多くは、大グループの親分としてでは無く、若い時になされたものであることは、言うまでも無い。

と言うわけで、60歳過ぎてもアイデアがあり研究者魂にあふれた科学者であれば、必ず「しんがり」に応募するはずである。では、そのガッツの無い人達は、、、う~ん、早くやめてもらっても、特に問題無いと言うか・・・・・

text by「元さきがけ研究者」

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