2013.03.29 トピックス
iPS細胞の研究に関する大誤報を目の当たりにして感じたこと
山中伸弥博士がiPS細胞の研究でノーベル賞を受賞して日本中が興奮したのも束の間、ハーバード大学の日本人研究者を騙る人間がiPS細胞に関する研究で大きな問題を起こしてしまいました。まずは簡単に経緯を紹介します。
今月11日のY新聞の朝刊一面で、ハーバード大学の客員講師を名乗る日本人研究者(日本人医師)が米国マサチューセッツ総合病院において iPS細胞を使った臨床応用に初めて成功した、と大々的に報じられます。その後、Y新聞のネット版でも続報が出され、写真付きのインタビュー記事がネットで出始めます。S新聞など一部の新聞社も、このY新聞のスクープ記事に続いて、iPS細胞を使った初の臨床試験(患者の経過も順調とされた)が日本人によって行われたと好意的な表現で報じられました。
そして、それらニュース記事をもとに、テレビでも件の人物のインタビュー映像などが放映され始めます。情報番組などでは、日本のお役所的な対応のせいで日本のiPS研究は米国より遅れているのだと、日本の行政を批判する風潮が見受けられました。その際、米国ではメリットがリスクを上回ればゴーサインが出る、などとして説明され、今回の臨床試験は「暫定承認」といった特別な措置のもとで行われたと米国側の対応の柔軟な姿勢を支持する報道が行 われました。
しかし同日、一部新聞が今回の臨床試験の科学的問題点に触れ始めるようになり、その後にハーバード大学とマサチューセッツ総合病院が異例 とも言える公式声明を出し、件の自称ハーバード大学の客員講師なる人物は自分たちとは全く関係がなく、iPS細胞を使ったとされる臨床試験の承認を全面否定しました(10年ほど前に1ヶ月ほど在籍していたことは認める)。それと前後して、ロックフェラー大学での学会で発表することになっていたポスターが学会側の判断(内容に疑義がある)で撤去されたという報道が出ました。
このような事実が発覚した結果、マスコミの報道姿勢が一気に「快挙」から「疑義」へと移り変わり、はじめにスクープしたY新聞も遂に誤報である可能性を認めることになりました。また、誤報であるということが確定しつつある中、東京大がこっそりと彼が在籍していたとされるWebサイト上の記録を消去したり、現在在籍しているとされる東京医科歯科大学が謝罪会見を開くなど、この人物を巡る影響が色々な方向へと広がっていきました。
しかし本人は、こういった状況下でもテレビ等のインタビューに応じており、はじめはハーバード大学側に間違いがある等の強気な姿勢を見せていました。しかし、徐々にトーンが下がり、今では「自分のやってきたことが思い違いだったかもしれない」などと語るようになりました。さらには、この人物が、医師としての資格を持っていなかった等の驚くべき事実も明らかとなり、そもそも全てが本人の妄想であったという可能性も囁かれるようになりました。
この問題の最悪なケースとして想定されるのは、医師でもない人間が許可なく患者にiPS細胞を投与したことが事実であったと確認できてしま うことです。その場合、「日本人」が米国でも有数の病院であるマサチューセッツ総合病院および世界的にも有名なハーバード大学の権威を失墜させます。この 業界において、医師でもない人間が何の承認もなく安全性が確保されていない治療行為を行うのは大問題です。この場合、仮に関与を否定したとしても、マサチューセッツ総合病院ならびにハーバード大学にも責任は大いにあります。また、ノーベル賞を受賞したことで臨床応用に一気に進むことが期待されたiPS細胞に対しても、周囲の見る目が厳しくなり、今後の臨床試験へのハードル今以上に高くなるはずです。そして、その結果として臨床応用への道が遠ざかる可能性が出てきます。
ただし、これまでの経緯を見る限りでは、今回使われたとされるiPS細胞は山中博士とは違う方法で作製したとのことなので、実際にこの細胞 が多様性を持っていたかどうかも怪しいと思われます。しかも、臨床試験そのものが行われていない可能性もかなり高く、全てが「でっち上げ」であるのではないかと自分と私の周りの研究者仲間は考えています。
今回、たったの二日足らずで世紀の大スクープが大誤報であると判明したのですが、調査不足でスクープ記事を打ったY新聞の責任は重大です。 Y新聞はこの人物の研究成果(おそらくそちらも科学的には証明されていない)を数年前から何度か報じていることが確認されています。しかし、研究者でなくとも、この人物の発言等の矛盾点は少し調べればわかることです。その基本的な裏付けすらせずに大スクープとしてニュース記事にした結果、iPS細胞の研究 の将来性を損ねるだけでなく、医学業界での日本人の評判を落とす事になりかねなかったのです(既に影響が出ている恐れは充分にあります)。
Y新聞が少しでも科学的に物事を判断することが出来てさえいれば、今回のは単なる自称「ハーバード大学のお医者さん」の妄想で終わっただけだったのだと思うと、今回の大誤報はiPS細胞の研究に関わる身としては本当に残念に思います。
執筆者:iPS細胞の未来を信じる者
BioMedサーカス.com・オピニオンより執筆者の許可を得て転載させていただきました。
予告:近日中に、捏造関連企画、行います。
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捏造問題は、研究者として以前に一個人としてのモラルの問題も大きいように思いますが、こうした報道によって、大多数の真面目に取り組んでいる研究者やそのアウトプットに対して疑いの目を向けられるようになるのは、とても残念だなと思います。
公の場で活動することはなかなかみんなができることではないとは思いますが、せめて家族•親戚•近所の方など身近なところでは「疑いの目を向けらる」ことのないように心がけています。
確かに。同意です。
メディアのみならず、社会全体でもサイエンスについての理解が残念ながら高くないということも、こうしたことが起きてしまう背景にあるように思います。納税者である国民は科学のパトロンであるわけですから、国民から科学が疑いの目を向けらることになれば、研究者は簡単に干上がってしまいます。それは科学技術立国のポテンシャルを低下させ、国民の不利益につながってしまいかねないでしょう。
そういった意味でも、研究者は科学についての啓蒙的活動を社会に対しより積極的にすすめていくべきだと考えます。研究者による科学コミュニケーションの取り組みをはじめ、科学のトレーニングを受けた人材(=博士)が社会に様々な形で進出してその知識を社会に還元する(そうしたキャリアパスを開拓していく)ことなどが、研究者と社会のwin-winな関係に大切なのではと思いました。
Y新聞の問題はたしかですが、科学者である佐藤千史教授もY記者に肯定的なコメントをしたようです。マスコミだけを責めていい問題じゃなさそうです。
>情報番組などでは、日本のお役所的な対応のせいで日本のiPS研究は米国より遅れているのだと、日>本の行政を批判する風潮が見受けられました。
お役所の批判になると急に元気になるのがマスコミ。そういうのを見て喜ぶのをいい加減やめないと、サイエンスの中身をきちんと伝えてくれるような報道も期待できないのかなと、最近よく思います。