2013.10.29 トピックス
研究者と雑用
研究費をどのように分配するかというのは非常に難しいテーマで、たとえば基礎研究と応用研究、どちらにどれぐらい予算を配分するのが最適かという問題はすぐに答えが出るものではないと思います。一方で、総額はそのままに、研究費を実質増加させる事が出来る素晴らしい方法があります。それは雑用の軽減です。
雑用のために研究の時間が取れないという話を良く聞きます。授業や広報活動や予算申請などが雑用かどうかは別途議論が必要かもしれませんが、あきらかに他のプロの方(たとえば事務の方)が行うべき業務を研究者が行っているという例も散見されるような気がします。
教授会では、教授が話し合わなくても良いのではないかという話題がよく議題に上るという話を聞きます。教授会でトイレのドアの扉を変えるかどうかを延々議論しているというのは本当の話でしょうか。また、各研究室の電気メーターのチェックを超一流大学の助教の方がされているという話も聞いたことがあります。このあたりは役割分担が必要なのにそれが欠如していて結果としてムダを生んでいる例ではないでしょうか。物品納品にかかる煩雑な書類や全ての物品購入についての使途目的の記載も問題です。もとはといえば研究者が引き起こした不祥事が原因となっているのは確かですが、各種の規定が高止まりで残ってしまっているという側面があるのは否めません。倫理的な問題はあるにせよ、ごく一部の人間が犯す間違いによって100万円が無駄になったとして、その対策に1億かけるのはどうかな、と思わざるを得ません。えっ、そんなにかかっていないでしょうという反論はあるかもしれませんが、
時は金なり。塵も積もれば山となる。国内に研究者がどれぐらいいるのか正確には把握していませんが、いわゆる「スタッフ研究員」は10万人の規模でいるのは間違いないでしょう。それらの人々が平均年収500万円だとして、人件費として「スタッフ研究員」には年間5000億円が使われている訳です。一方、それらの人々が働いている時間は、一日10時間働いているとして(実際はもっと働いておられると思いますが)、月に約200時間。つまり、個々の研究者の時間を一ヶ月に2時間奪う雑用があるとすれば、年間50億円のお金をドブに捨てているのと同じことということになります。
実態がどうなのか、それは分かりません。そこでまずお聞きしたいのは、
その上でお願いしたいのは、これって無駄なのでは、こんな事しているのはうちの大学・研究所だけなのではないか、という事例をコメントでいただけませんでしょうか。また、そういう無駄をなくすためにはどうすれば良いかという知恵もあればぜひお願いします。ガチ議論には、文科省の人も、総合科学技術会議の方も、政治家の方も、見えられています。分生年会当日は議論している時間の余裕はないかもしれませんが、実態を伝えるだけで、居酒屋で愚痴っているよりは少しは前に進めるかもしれません。もしかしたら各事業所のレベルで即刻やめる事の出来るローカルルールもあるかもしれません。
皆様の率直なご意見や愚痴(?)をお待ちしております。
理化学研究所 中川真一
(この意見は筆者が所属する組織の意見を反映しているものではありません)
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たとえば某ラボでは校費はマウスの餌代場所代に消えるため、テクニシャンも雇えず掃除から何から全部講師や助教任せということです。学生にも嫌われていて院生もこない。ボスは一切関知しない。これらを単純に「雑用」と切って捨てることはできませんが、端的にいってボスのマネジメント能力の問題でしょう。
遅かりし、かもしれませんが。配布資料を読み合せる、読み上げるだけの会議が無駄。研究者に事務室業務を分担させることは無駄(勝手だってわかんないのに)。教員ならば、学務/教務に関わるすべてのことは教員サイドとして必要かもしれないけれど、研究者スタッフとして、事務室要因の一端を分担させられるのはどうかと。ウチでは、事務の書類作製や整理などをやらされる。
報告だけの会議、意味ないですよね。誰もが無駄だと思っている事でしかも実効性の無いものは、どんどん簡略化できるはずなので、したら良い、でも、されない。それがなぜかというところがガチ議論の一つの大きなテーマになると思います。どうしてトヨタ式のカイゼンが、なされないのか?企業の経営側から見たらこういった状況はどう見えるのか?興味があります。
無駄だなあ、と思うことをつらつら述べます。
1.報告中心の会議
ある教授が持ち回りで議長になったとき、朝9時半に始まった月例会議は昼食時間を挟むことなく、6時間半に及びました。8割以上は、議長が上位会議からの報告事項を楽しそうに延々述べるだけです。簡潔にするよう何度も要請しましたが、ますます楽しそうに続けるばかりでした。独壇場に酔いしれていたのでしょう。20人ほどの教授、准教授が集まるこの会議、報告だけでほぼ丸1日。日給1人当たり2万円とすると40万円の損失です。
これは極端な例ですが、メール等で即時連絡ができるいま、会議で長い報告をすることの意義に強い疑問、いや憤りを感じます。禁止すべきです。
余談ですがこの議長殿、大学ではほとんど姿を見かけず、研究成果もほとんど見ませんが、仲良しグループの研究班から毎年潤沢に予算を受けているようです。
2.ノンペーパーレスオンラインシステム
当大学の予算と旅費の管理にはオンラインシステムが採用されています。これで全てが済むのであれば、そしてシステムが使いやすければ素晴らしいのですが、現実は甘くありません。非常に使いにくいシステムで苦労して入力したあと、印刷画面を表示して印刷・押印、さらに取り寄せたカタログコピーと見積書類を添付して、フェイストゥフェイスで提出です。この仕組み、誰か手間を減らせた人はいるのでしょうか。事務の正規職員数は減ったようですが、なぜか事務室にいる総事務員数は増えています。その上、教員の事務処理量はますます増えており、事務補助員なしではやって行けません。最近は雇用創出の一環と思ってあきらめています。
3.中期計画と報告書作成
何年かに一度、中期計画を作成し、毎年その年の進捗と次年度目標の報告書作成があり、中間評価と期末評価があります。最もらしい文言を並べ、達成度を自己評価した後、これを4段階ほどの委員会と教授会で検討し提出します。延べ何十時間が費やされているでしょうか。建設的な内容は何一つありません。管理職とはそういうものだと割り切るべきでしょうが、研究者は管理職ですか? 直属の部下なんていませんが、何のために誰を管理しているのでしょうか。
4.採択予定のない予算申請の面接審査
大型予算の申請を行い、首尾良く面接までたどり着きました。前の関連プロジェクトでは高評価を得ていたので、共同研究者も主要メンバーを絞り込み、不採択にする理由を探す方が大変というくらい万全の体制で望みました。指定された面接日は特に忙しい時期でしたが、背に腹は替えられません。頑張って長時間をかけて準備し、共同研究者にも十分に叩いてもらった上で出陣しました。蓋を開けてみると採択件数は予定より減らされ、関連プロジェクトで低評価を受けた「お友達」申請のみの採択でした。
完全に出遅れてしまいましたが一言だけ、「研究・教育」と「雑用」は「0か1か」のbinaryではなく、「半ば雑用」「ほとんど雑用」のような連続的量だと思いますが(極限すると例えばトイレ掃除だって「研究に必要」と言えますし、実際に私もやっています)、「雑用らしさ×時間」で積分すると、日本の多くの研究者は「月平均100時間」は決して下らないと思います。ガチ議論会場にもとても行けませんが(すみません)、日本ひいては世界の未来のため、非常に重要なご活動だと思いますので、どうぞよろしくお願いします!(他の方のコメントを読む時間的余裕もなく、もし重複していましたらどうかご容赦ください)
大体コメントは出そろったかな、というところでしょうか。
一つ僕自身しくじったなと思ったのは、アンケートで雑用にかける時間の上限を月に2時間にしてしまったことです。純粋な雑用なら30分ぐらい、というひとが平均かな、とおもっていのですが、とんでもない、もっともっと、ということで、分布のピークが何処にあるのか良くわからないアンケートになってしまいました。ボタンを押してくださった方々、すいませんでした。
科研費申請や、大学教員の方ならリーディング大学院申請にかかる書類書き、これらは雑用では無いと思いますが、そもそも基盤研究費がきちんと交付され、大学院生の給与も運営費交付金からだせるのであれば、いらなかった仕事、そういう風に考えれば、雑用となるのかもしれません。こういうものは、あきらかに大学や事業所だけで改善する事はできません。でも、事務方と研究者、それから行政の側がより良い研究環境を作ろうというモティベーションをもって一体となって取り組めば、きっと事態は改善される事と思います。そのためには、現場の状況を知ってもらうということが一番大切です。
先日、「政策の科学」の研究をしているところからアンケートの依頼が来ました。論文の責任著者をランダムにピックアップして、基盤的研究費と競争的研究費、それぞれどれぐらいにすれば最大のアウトプットが出るか、ということを調べているようです。こういう地道な積み重ねがあれば、きっと事態は良い方に向かう、と思います。
一方、このサイト全般に言える事ですが、どれも意外と炎上しなかったのがスタッフとしてはちょっぴり残念です。Silent majorityの意見が奈辺にあるのか不明ですが、書き込まれた意見が代表的なものなのかというと、そうでないような気もします。僕のような、現場の、言ってみれば「ヒラ」の研究者の集団が抱えている問題や普段考えている事を「見える」ようにするのは、意外と難しい事なのかもしれません。
と、なんだか感傷的な編集後記みたいなコメントになってしまいましたが、まだまだこの企画は終わっていません。12月5日午後6時から神戸国際会議場1階 メインホールにておこなわれるガチ議論に、皆様、ぜひ足を運んでください!!
Takさんの意見に関しての感想。
概ね同感です。国民への説明責任ってのは、内容に関しては論文や学会要旨、予算に関しては財務情報をそのまま開示してしまえばいいんじゃないかと思っております。おそらくは研究者を
① 信頼出来ないから常に監視する
>常に監視するためにはある程度平易にまとめられた書類を提出させるべし。
② 概ね信頼しているが、問題が疑われた場合は速やかにチェックする
>業績も財務状況もリアルタイムに生データを開示し、必要に応じて専門家がチェックする。
のどちらかではないでしょうか。現状では国民は②だと思っているのですが、責任転嫁の顛末の結果として①で運用しているのではないでしょうか。
いわば事務作業の無駄はすべて責任転嫁の賜物かと。
センター入試や面接官以外の入試の(問題作成者以外の人の)試験監督、就職セミナーの立会い、物品購入の検品、会計システムへの入力作業、授業プリントのコピー、定期試験の点数入力作業など、事務員さんができること、TAができることなど
雑用が増える事にはなりますが、事務や経営に関する事にも教授会等の研究者、教員の審査が及ぶようにすれば、二重書類などの削減ができるはずです。教員と事務の分業がしっかりされているのが問題。へたな事をいうと無駄な委員会を任せられるのを恐れて誰も手を出さない。結局はリーダー不足が根底にある。では、プランBとして自分の組織では言えないので、学会を借りて文科省なりを通して所属する組織に意見を伝えようというのが皆様の趣旨でなないでしょうか。
率直に申しますと、私は、文科省や学振に提出する報告書を書く際には、国民に向けて科学的に分かりやすく書くという意識は最優先事項にしておりません。
まず、昨今の情勢を踏まえ、目的外使用と誤解されて追及されないようにするという意識を第一に優先せざる得ません。弁護士のような意識で文章を書いているような気がしています。嘘は書いていなくても、自分を守るために公務をしているようで、罪の意識を覚えます。しかし、余計な誤解を与えるような書類を書いたら、他の人にも無駄な迷惑をかけるわけであります。そもそも、目的外使用は許さないと言われても、目的外使用かどうかを判断できるのは自分を含めて少数だけ、下手すれば自分だけのはずで、誤解を招かないように気を付けている自分を滑稽にも思います。
また、上司、共同研究者、所属機関に文句を言われないように気を付けるという意識も持たざるを得ません。原著論文と違い共著というわけにはいきませんので、自分の頭の中で配慮すべき人のことを思い浮かべ、思慮することになります。申請書や報告書で、被るような文章は書くなと上司や元上司に無茶を言われたことがある人は少数なのでしょうか。
さらに、論文発表が何年後かになりそうな場合には、他の人に先を越されないように許される範囲で曖昧に書く努力もしています。曖昧に書くことで余計な憶測を招くのは罪かもしれませんが、海外のチームに論文発表で先を越されたりしたら、それこそ国民にとってマイナスのはずです。
最近では、進捗状況を自分で毎年a、b、cで評価せよという項目も出てきました。これは、何を狙ったものなのでしょうか。何かがこの評価に連動しないのだとしたら、自らの知的作業に係る純粋な自己評価ということになります。これがオンラインで未来永劫公開されるというのは、かなり恥ずかしいのですが…公金を使っている以上は人権侵害とは言えないかもしれませんが…
報告書を書くたびに、国民への約束を果たしているのか、余計なものを書いて国民へ背信しているのか、私はわからなくなります。
生データのパワーポイントファイルを見つけましたが、参考文献の記載がないのでご紹介できません。すいません。原発作業員の被ばく線量は教育訓練直後には明らかに下がるというデータです。どなたか初出のデータをご存知でしたらここに記載してください。
安全管理に定期的な教育や確認が有効かどうかは、自動車の交通安全教育や工事現場の安全確認等で調べられているのではないかと思います。
色々なご意見が寄せられたのでこのへんでいったんまとめてみます。引き続きご意見・御討論お願いします。
寄せられたご意見の大体のコンセンサスとして、本当の意味での「雑用」というのは存在しないということがあるようです。それぞれ一応は大義名分のたつ重要な仕事ですから、すぐになくそう、という話にはならず、結局それが積み重なって、研究者の時間を圧迫している、という構図があるのではないでしょうか。
・本来は重要な仕事であるが、必ずしもそれが生かされていないために雑用化している。
ー各種報告書、産学連携や共同研究、
【内容を重視するためにはどうすればよいのか?】
・分業がうまくなされておらず、教員を無償の労働力としてみている仕事がある。
ー試験監督、部屋の掃除、ゴミ出し
ー各種イベントへの教員の動員
【研究者を研究・教育に専念させると「得」をするシステムは?間接経費の留保?】
・規律を守ることを優先しすぎるために本業を圧迫するまで時間が取られている。
ー会計検査院の指摘を恐れるために肥大化した事務手続き
(入札、細かい使途の報告、納品手続き等)
ー各種講習会や研修
【一定の規律を守りつつ簡素化するためにはどうすればよいのか?】
・重複している書類が沢山ある
ー報告書の業績欄や研究者情報の確認
【各種データベースの有効活用(Read&Researchmap)など】
これらの問題点を解決してゆくために、たとえば大学にコンサルタントを入れる、というような話も出ていました。研究者の流動性を高めて、雑用の多い大学や研究所が衰退するようにすればよい、というような意見もありました。いずれにせよ、業務を効率化してゆくというのは研究室内で処理できることであれば皆さん必死になってそうしていると思うのですが、事務方が関わってきたり文科省なり各種機関が関わってくることになると、責任の所在が曖昧であることもあり、なかなか効率化が進みません。雑用問題、どこに持って行ったら解決してくれるのか?誰も知らない。これは雑用問題に関わらず、科学技術を取り巻く問題全般に言えることのような気がします。
現状、報告書は次への評価と言うよりもケジメ的要素が強いのは事実だと思います。それ自体は重要な仕事であるけれども、うまく活用されていないために雑用化している、という良い例かもしれません。
日本の現状の支出後の評価は反映されないというシステムを続けるならば、報告書は無駄の一言に尽きるかも知れませんが、今後支出後の評価をするのであれば必須でしょう。
ちなみに私が働いている国では研究費の報告書のフォーマットでは”describe any deviation from the original plan”とかかれており、当初の研究計画が進んだかを一応フォーマット的にはチェックできるような形になっています。
「つまり、個々の研究者の時間を一ヶ月に2時間奪う雑用があるとすれば、年間50億円のお金をドブに捨てているのと同じことということになります。」という中川さんの論理は、「スタッフ研究員」が彼らの年収500万円相当分の価値を生み出している事が前提になっています。しかし、実際には、一部の研究者が数千万円分の価値を生み出す一方で、大部分の研究者は、100万円以下の価値しか生み出していないのが現実で、「雑用問題」がなくならないのは、「オレの貴重な時間をくだらない雑用で奪うな」と堂々と公言する、公言出来る研究者が少ないからです。大した価値しか生み出していない研究者のために、雑用を担う人を新たに雇用するのは割に合いません。優秀な研究者は、公言して敵を作るより、雑用の少ない、より良い環境を求めて、他の研究機関や海外に移動して行くからです。自分の研究費で自分の給与を出せるようすれば、流動化が促進され、状況は大きく変わるかもしれません。
流動性に関してですが、大学院生の出入りが多かったはずの大研究室で長年にわたって行われて来た研究不正が明るみに出なかった事はしっかり検証の必要があります。ラボ運営の責任に関する部分までの透明性が求められています。
安全教育,防災訓練などは定期的に行う事で注意喚起の効果がある事は実感として分かります。問題はコンプライアンスの対象となる事項が整理されないままに膨れ上がっていることです。私の知る例では安全管理,研究倫理,ハラスメント,メンタル、等の教育管理が異なる部署で、十分調整がないままに行われていることが重複を生む要因となっています。
peer reviewを雑用と言ったらアカンでしょ。ラボのメンバーとの共同審査も可とするジャーナルもあるのでその場合は出来るだけラボメンバーにも見てもらい、その上でコメント書くようにしています。それでも受けられる数は限られているので断る場合には適切な人の名前を挙げておきます。
教育訓練の効果があるという調査結果は重要ですね。教育訓練をする事だけが目的となってしまってはアホらしいですが、一定の効果があるのであれば、最適な頻度を見つけることが重要なのかもしれません。それを決められるのは研究者なのか、事務方なのか、お役所なのか、良くわかりませんが、、、
大学院生の流動性という問題はかなり重要だと思うのですが、たしかにコロコロ場所を変えては内容が貧弱になるのは事実だと思います。大学によっては、4回生の時の卒業研究と、大学院の所属研究室は別にするという試みがあるという事を聞いた事があります。そのような取り組みだけでもかなり効果があるような気がします。
学会の運営や、各種ミーティングの主催等、雑用と思うひとが大半になった時点で、その学会なりミーティングは賞味期限が終わりに近づきつつあるのだと思います。学会なんていらない!でも色々議論がありましたが、学会なり各種会議というのは、作るだけでなく、統合して発展的解消を目指すような動きがあっても良いのではないかと個人的には思います。それは研究者が自発的にやるべき事なのではないかとも。
業界の発展のためにはピアレビューは必須ですから、引き受ける上はかなり真剣にやるようにしていますが、数が多くなったら断ると思います。現状は本業を圧迫するほどではないのですが、偉い先生方になると、かなりの数になるのではないでしょうか。研究者のキャリアパスの一つとして、審査のプロ、というのがあっても良いのではないか、と思う事もあります。何でもかんでもスーパースターみたいにこなせる人はそれほどいないと思うので(たまに見かけますが、、、)、分業は大事だと思います。
本当に雑用で忙しい研究者は、このブログを見るヒマもないような。。。
「修士課程と博士課程は別の研究室に在籍する」のはPhDの内容が貧弱になってしまうでしょう。それより米国のように学部と大学院を同じ大学で行けなくした方が良いと思います(が、まあ無理でしょうね)。
学会の運営・・・・・・・
財務会計システム、便利な部分てのは見落としがちなのでフォロー。とりあえず電子化されているおかげで、CSVファイルとしてダウンロード出来る点は評価してます。これを元にまとめることが出来るので。ただこれって伝票とっとくのと大差ないのでもう少しなぁ…(結局文句)
今の時代オープンな情報は積極的にシェアしましょう。
生データの所在を直ぐには見つけられないのですが、少なくとも安全管理に関しては定期的に教育訓練を行うことで事故が明らかに減るというデータがあったはずです。居場所をずっと変えないダメな研究者もたくさんいますから、入所時だけの教育というのは良くないかなと思います。
大切なのは、教育の内容を苦痛で無いものにすることと、様々な教育プログラムをまとめられるものはまとめ、時間的拘束を短くすることでしょう。それぞれの教育プログラムの担当部署が違っていたり、その部署が業績のない研究者の左遷先や腰掛け場所と認識されていたり、その部署の中で内紛やイジメが起きていたりすると、なかなか効率化は難しいですが。
成果報告に関しても、論文、学会発表など行っているのであれば、それに加えて報告書を別途提出するのはやはり二度手間でしょう。我々研究者は二重投稿すると社会的に処分されるわけですが、何故か報告書は二度三度と求められます。まずは研究者の成果報告の出口を一元化すべきでしょう。納税者、出資者はそこだけ見ればすべてが解るシステムを構築することが双方にとってメリットが大きいと思います。
そういった全体的な動きも含めて、プロのコンサルに入ってほしいわけです。外部の、思い切りのいい決断が出来る人です。学長といえど(継ぎの句は一身上の都合により割愛)
トレーニングといえば、我々教員も教育者としてのトレーニングは受けておりません。せいぜい研究室での指導が限界です。この辺りにも改善の余地はあろうかと。
毎年年度末までに論文がでている必要はないように思います。納税者として言わせていただくと、年度末の中途半端なものではなく、きりのよいまとまりのものが入手可能になっていて欲しいです。プロジェクトの2年とか3年の期間で論文が出ていればよいわけで、毎年出す必要はかならずしもないでしょう。
また、論文は出ていなくても、プロジェクト期間中には、最低、学会発表のアブストラクトは出せるのではないかと思います。
ムービー・ネットで見せるべき講義は、概論などの定型的・教科書的なものを想定してます。「細胞の分子生物学」を教える場合、限られた予算・労働力の中では、「違ったテイスト」よりもムービーでの最高の講師の「最高の授業」ではないでしょうか。ムービーには違う先生によるいくつかのバージョンがあってもよいとは思いますし、ペースメーカーとして大学の講義室で出席をとって見せる、ということでもよいでしょう。また、先生毎の「違ったテイスト」を求めるのはぜいたく品だと思いますが、授業料を高くとる私立大学のようなところでは行われていいと思います。国立大学で授業料が安いのを埋め合わせるのは国民の税金なわけですが、納税者としては、必ずしも必要とはいえない生授業の「違ったテイスト」を求めるようなぜいたくなことは国立大学にはできるだけ避けていただきたいです。
一方、問題演習で躓いた所のフォローアップ、レポートの添削とか、ゼミのような場での学問的な議論はたいへん重要なので、そのあたりの時間はそれで浮いた分、たっぷりととると良いのでは、と思います。また、おっしゃるように研究者の自分の先端的研究の紹介・宣伝のようなことは、もちろん研究者自身が行うべきでしょう。ただし、セミナー発表のようなものは体系的な「概論」の講義のようなものとは目的が随分異なるので、峻別しておく必要があるかと思います。
「質疑応答の時間だけのこのこ出てこられても、多分そういう人には質問したくない。。。」というようなぜいたくを好まれる学生さんは、高い授業料でそういうサービスを行う私立大学にいくとよいのではないでしょうか。国立大学で授業料が安い分は、国民の貴重な予算からでているので、税金はそういうぜいたくな部分ではなく、実質的に実力を高める部分に効率的に使っていただきたいです。ただ、おそらく今の学生さんには、何回も内容を確認できて、教科書・問題集としっかりリンクした最高の講師のわかりやすいムービー授業のほうが好まれるのではないか、という気がします。
コンサルタントが入るのはまかりならんと変なプライドを立てるより、結果として効率化出来るのであればそういうものをどんどん導入出来れば良いですね。
でも、これが国立大学とかなると、コンサルタントを入れるにせよ、やれ共同入札やら、相見積もりやら、なるんでしょうか。。。で、結局導入できないと。
ともあれ、大学なり研究所なりに、経営のプロが入ってくださるのは、とても良い事だと思います。多くの大学人はそういうトレーニングは受けてきていませんし。
良い方向に考えるならば、今まではシステムそのものがなかったので、効率化しようと思っても出来なかった。これからは生かし方次第で、効率化する事が出来る事に希望を見出す、ということなのでしょうか。事務業務に関しては、分子生物学の黎明期に似た状況にある、といいますか、これから革新的にいろいろ効率化できる余地がたくさんあるのではないかと思います。別のコメント欄にも書いたと思うのですが、事務方でそういうことをやろう!!!という人がいたら、ポケットマネーで、奥さんの顔色をうかがいながら、へそくりを一年溜め込んで10万円出しても全く惜しくはありません。そういう人が10人いたら100万円。100人いたら1000万円。大金持ちだー。と、これは冗談ですが、簡素化、効率化した人にインセンティブを与える仕組みは、どこかで必要なのではないかと思います。特に、この手の活動は、先人が道を付けてくださった事を多かれ少なかれ否定する事になりますので、精神的には、かなりやりにくいと思います。よっぽどのインセンティブがなければ、やらないでおこうかな、となってしまうので。それが積み重なりに積み重ねられたのが、今の肥大化した、高止まりした業務なのかと。思います。
おっしゃる通り、対策はとった。という実績を作るだけなら、全然意味がありません。風通しの良さを作るために、たとえば修士課程と博士課程は別の研究室に在籍するのを当たり前の雰囲気にする、とか、ずっと同じラボにいたとしても短期研修みたいな形でよそで研究させる、とか、したほうが、PIになってから教育するよりも、よっぽど効果的なような気がします。
問題は今いるPIでして。とかいうと袋だたきに遭いそうですが、僕自身もきちんとした教育プログラムを受けてこなかった世代です。常識と非常識の境界は、客観的には引かれていません。教育プログラムは、それ自体は、必要だと思いますし、無駄な事だとは思いません。運用の仕方といいますか。入所時、もしくは入学時に、2、3日研修を受ける、というのは、あった方が良いな、と思っています。ただ、それを毎年やるとか、半年おきにやるとか、報告書を書くとかなると、ゲンナリです。このあたりは、両極端の話をしても埒があかないので、どの辺りが最適か、ということになるのではないでしょうか。
教員はタダで使える労働力、という発想が、やはりかなり問題なのだと思います。大学は何をするところか、教員は何をすべきなのか、という原点に戻る事が大切ですよね。現在大学に在籍していないので分かりませんが、やはり学生に目が向いているかどうかというのが、一番大事だと、思います。
連携したという実績、というのはいやなものですね。このサイトで、ちょっと前に「ホンネとタテマエ」というトピックでターゲットブログを書いたことがあるのですが、まさに心はそこです。お金が取れるから連携をしたふり、共同研究したふり、というのはよろしくないです。本当にやろうとしている人に対してあまりにも失礼です。
コンプライアンス維持の決め手は教育なの?
日本の行政では何か問題があると教育で再発を防止しようとする。研究者は教育者でもあるのでその意味は分かるのだがモラル維持には教育をすれば十分なのだろうか?
うちの研究所ではスタッフに対していろいろな教育プログラムがある。ラボのメンタルヘルス、会計,セクハラ,アカハラ,等々。さらにこれらの問題の相談員がおり,相談員向けの講習もある。来年からはおそらく研究倫理の教育が加わる事だろう。これらはすべて大事なもので我々の口から不要などとは言えないのだが,それでもあまりにも多すぎ。教育プログラムというかたちは実績にしやすいので管理者には受けが良いのだが、悲しいかな経時劣化を避けるには多大な労力がいる。
こういった問題の防止の決め手は風通しの良さ。ラボがオープンで外部の目が入れば問題が拡大する前に人の目に触れていやでもなおる。教育は必要十分にして、組織の流動性を保つ事が大事だ。
tsuyomiyakawaさん、色々ネタをお持ちですね。。。これでも氷山の一角???
Read&Researchmapの有効活用に関しては、せっかく国の事業で作ったものなのだから、少なくとも国から頂いている予算に関する事に関しては、それを活用して効率アップをしていただければ、本当に助かると思います。
その他、いろいろあるようですね。契約書類に関しては、MTAとかめんどくさ、とか思いますが、法的な事に関しては素人ですし、事務方は我々を守ってくれているのだ、と思い涙をのんで書類の訂正を何度もくらいながら出していますが、その辺を全てこなしてくれる事務員の方がいたら、ボーナス年間100万円つけても、部局全体から見たらおつりが来るぐらいだと思います。
部屋の掃除、試験監督、電気代の節約、、、どれも仕事としては大事な仕事です。ただ、研究者はむしろヘタクソです。下の方の匿名さんのご意見でありましたが、教員はタダで幾らでも使える、という発想が垣間見えます。教員の時給と同じ値段でプロの方を雇った方が、実質的にはよほどアウトプットは高いような気がします。
出張願い書の件は象徴的ですね。会計監査の指摘を恐れるあまり過剰に事務手続きが肥大化しているというのは、事業所によっては、かなり深刻な問題なのではないでしょうか。一定の規律は必要、だけどここまでやる必要があるのか、ということですね。事業所ごとに改善できるところはぜひ改善していただきたいです。そのお墨付き、とか、インセンティブ、とかが無いとダメなのかもしれませんが。
ちなみに出張に関しては、格安航空券を取ってその額で領収証だけで申請しようとしたら、電車だったらなにも書類もなく書類が通るのに、もっと「安い」格安航空券の方はチケットの半券をつけろとかいわれて、それを失くしたもんだから、えらいめんどくさい事になった事もあります。色々抵抗したらもっと面倒くさい事になりそうで(じゃあ今度は電車でも領収書を旅行会社から必ず取ってください、相見積もりしてください、とか)、結局航空会社に搭乗証明の再発行をお願いしてなんとかなったような気がします。
報告書に関しては、ほとんど読まれる事のない報告書を書くと思うと、たしかに苦痛です。ただし、必ずしも論文が出ない事もあり(というかそのほうが多かったりして)、その時はサポートしてもらっているのだからしっかり書かないと、という気持ちでいつも報告書を書いています(僕の場合、例外的に、ではないです。。)。通常の科研費の場合、分量もそれほどではありませんから、一定の規律を守るためには必要という範疇に入るのではないかな、と個人的には思っています(自分の中でけじめを付ける良い機会にもなっています)。
授業に関してはかなり先鋭化したご意見ですね。分業化ここに至れり、という気もしますが、大学の場合、多人数向けであっても、授業をすることは自分自身の宣伝にもなっている側面もあるので、ハーバードの最高の授業をオンラインで流しておけば良いという事にはならないと思います。僕が学部生の頃、同じ「細胞の分子生物学」を教科書を使っていても、先生によって、違ったテイストで話をされるのが結構面白かった思い出があります。それによって進路を選んだり。質疑応答の時間だけのこのこ出てこられても、多分そういう人には質問したくない。。。ただ、これは、研究所に所属している僕が講義を全く持っていないから思っている理想論なのかも知れません。たしかに大学におられる方々は、授業に取られる時間が半端無さそうですね。
研究に繋がるものは雑用でない、という定義はやめたほうがよろしいのではないでしょうか。研究に繋がるものでも、行う必要が本来はないもの、ムダなこと、意味の薄いものなどは、雑用という具合に考えたいところです。
「科研費の申請書や報告書は雑用に含めない」と定義されてますが、これらも雑用と言える部分が大きいかと思います。研究費の報告書はほぼ完全にムダなので、原則、廃止すべきではないかと日頃、主張しています。発表する論文が究極の報告書といえるので、それプラス、論文アブストラクトの日本語訳を論文が出た際にR&Rに足す、ということで足りるし、それのほうがむしろベターでしょう。論文が研究期間内に出ていない場合は、学会発表のアブストラクト&日本語訳でもOK、それすらない場合は、例外的に報告書を提出する、ということでよいのではないでしょうか。
また、授業も雑用に含めない、ということですが、研究者が行う多人数向けの下手な一方向性講義はムダ、とも言える時代になってきたように思います。最高に授業の上手な講師がMOOCのようなかたちで講義し、教員・チューター等は質疑応答&個別指導&ディスカッションを行うような形式が効率的ではないでしょうか。
研究者がいくら研究を行っても、大学の収入が上がる、ということがなければ、大学の事務員・運営者からすると研究自体がムダなものに見えるのではないかと思います。教員を遊ばせて何の役に立ちそうもない研究をさせておくくらいなら、「コンテストや、学生イベントや地元のイベント」に教員を動員し実質的な仕事をしてもらおう、という発想になるのは、ごく自然なことであるように感じます。これを防ぐには、研究費の間接経費を年度をまたぐ留保が自由にできるようにし、大学の留保可能な収入のように扱えるようにするのが一番よい方法なのではないかと思います。
うちの大学(藤田保健衛生大学)ではコンサルタント会社に入ってもらっています。以前に比べ様々なことが改善されてきているのを実感します。納税者の立場から述べさせていただくと、国立大学はムダなことをたくさんやって我々が支払った税金をムダに浪費していると思いますので、ぜひ入ってもらうべきだと思います。
・京大にいた時、日本の仲介業者を通さず、外国から直接物品を購入しようとしたときに事務の方にたいへんしぶられました。なんとか交渉すると、Invoiceなど各種書類の和訳をするように、ということになり、しました。ただ、仲介業者を介する場合1000万円以上していたものが、4万ドル台で購入できたので、それだけで500万円程度のセービングができましたので、ある意味ムダとはいえません。研究関連の仕事はムダではない、という定義ですとその意味でもムダではなくなってしまいます。しかし、これを研究者が行うのはムダだと思います。
・岩海苔昆布さんのご指摘と同様ですが、教育・研究業績の書類作製がムダです。大学は法的に教員の教育・研究業績を公表する義務があります。研究者はこれをへんなエクセルフォーム(私大の多くではこれが共通で使われている)に記入しなければいけないのですが、これがムダ。ReaD&Researchmap (R&R)に登録するだけでOKとするべき、ということで、大学に交渉しかつJST、文科省など関係行政機関に相談したり問い合わせたところ、「R&Rに登録するだけでOK」ということになりました( http://researchmap.jp/public/FAQ-1/ の最後から2番目のQ&Aを参照 )。すなわち、教育・研究業績をへんなフォームに記入する作業をされている方々がもしいれば(そしてR&Rに教育研究業績を既に登録済みであれば)、それは(研究関連の仕事ではありますが)ほぼ完全にムダな作業といえると思われます。
・出張願い書は、京大では廃止(あるいは省略?!)されているとのことですが本当ですかね?だとすれば大学の判断でこれは廃止できるということかと。つまり(研究関連の仕事ではありますが)出張願い書の記入をされている方は、すべてムダな作業といえるでしょう。秘書さんにしてもらっている場合も、その分の時給(国費)がムダに消費されているといえるでしょう。
・部屋のそうじ、ゴミ出しなどを、給与の高い大学教員が自分で行う必要はなく、これをやっているとすればムダ。外国ではjanitorさんがやってます。
・試験監督は研究者が行う必要のないものであると思います。ある意味、給与の高い大学教員に行わせるのはムダでしょう。
・理研との共同研究を行うのに、事務的な契約書類がとても面倒。ムダがとても多いです。
・うちの大学(藤田保健衛生大学)では、建物に入るのに目の虹彩認証が必要ですが、これで出入りのデータ管理は完璧にされているはず。しかし、タイムカードがあり、タイムカードを忘れると理由書を書く必要があり、これはムダです。
・(自分が客員をやっている)生理研では電気代の節約が、研究所の大きな目標の一つとなっており、数値目標が明確に設定され、それがクリアされているか否かが教授会の議事の項目の一つとして毎回あり、真剣な議論が行われていました。電気代に関する各種情報がグラフ化されて紙に印刷され、全員に配布されていました(最近教授会に出ていないので今でもそうかは不明)。研究所長ご自身が、所内の廊下の照明でムダな照明がないか見回りをし、ムダな照明が点灯している場合は消してまわられていたとのことです(自分が目撃したわけではない)。
琉球大学では財務会計システムなるものが導入されております。が、これまた研究報告書なるものを作成する際にはサッパリ使い物になりません。後々報告書作成義務があることが判っている予算については「適宜カテゴリー選択出来る」とか「教員が自由に記入できる備考欄があり、年度末にソート出力出来る」などの工夫をしてほしいものです。むしろ出資側が勝手に見れるような工夫があれば、予算執行に透明性がでていいんじゃないかと思うくらい。
このへんも行政主導でまともな電子化システム導入してくれれば全国的に無駄が減ると思うのですが。
大学に経営コンサルタントを入れるのは難しいんでしょうか。電気、ガス、水道、交通などのインフラ整備に関しても無駄が多い気がします。
更新停滞の件、全く同感です。現状では「得」になるどころか、何の訳にも立たない雑用に時間を割くわけですから「損」です。誰もやりませんよ。
様式書類に関してもWordやPDF書類添付する意味などほとんどないのでは?Webに入力フォームを提示して、字数なり出力サイズなりしてすればすむでしょう。すでに多くのジャーナルは平文と図表をアップロードするだけで各雑誌のフォーマットで出力してるわけですし、SNSだってだれもwebデザインなんかやってない。このコメントだって。
紙で保管する歴史が捨てられないなら、必要な部署で一括整形、出力すれば大幅な労働力の削減だと思うのですが。
「業務の本質に迫れ」ってことです。
他機関や地域の企業等の連携事業を、研究発展のためでなく、「連携したという実績」のためにやっているケースが多いです。連携するための連携、のようなものに時間を使うのはやめて、もっと自主性に任せてほしいです。双方に利があれば放っておいても連携しますので。放っといて連携が起きないなら、それは連携することが無駄だからです。
あと、研修の多くは無駄です。シラバスの語尾を変える言葉遊びをして、これで授業がよくなる!と思い込むのはやめてください。研修のために研修をするのはやめて、本気で学生のことを思って行動してください。もっと言えば、伝達事項を読み上げるだけの研修会なら、授業に対する心構えのような冊子を作成して、全教員に配布すれば済むことです。一か所に集めて、時間を拘束してまで行わなければならないことがある時だけ、集めてください。
あとはコンテストや、学生イベントや地元のイベントに、強制的に教員を動員するのも無駄だと思います。事務職員が行うか、そのために人を雇うべきです。雇う資金がないから、教員ならタダで労働力を確保できるし、とりあえず教員にさせとけ、っていう発想はわけがわかりません。
とにかく、教員はタダで使える労働力で、時間を拘束したって何も問題ない、という発想で動いているのが見えすぎるのが嫌です。ちょっとは配慮して、遠慮してください。
もういっそ、研究者に研究費を付けるより、雑用を一手に引き受ける人を雇う、というほうがいい気がします。
岩海苔昆布 さんの、内容は妥当だけれども、やっている作業に無駄が多い、というのはまさにそうだと思います。例えば、業績リストに関しては、折角JSTがRead & Researchmapなるものを作ったのだから、それを行政の側でもっと積極的に活用するように呼びかけるような動きはあって良いと思います。とはいえ僕も更新を怠っているのですが、、、これは、更新することによってなにか「得する」事がないと、なかなか人は更新しないということを如実に示しているような気がします。業績リストに関してはRead & Researchmap参照、ということになれば、皆もっと真剣に更新するようになってデータベースとしても充実しますし、これまでにこのデータベース作成に投資したお金と時間も有効に活用できます。
フォーマット調整も、何とかして欲しいところですね。僕自身ずさんなので、えらい時間を取られる、というか事務の方にご迷惑をおかけしていることが多いです。オンライン業務がこれだけ発達しているのだから、何とかなりそうなものなのに、というのは良く思います。
現在やっている多くの事務作業は、内容に関してはおそらく妥当で必要な物だと思っております。ただ、果たして「書類様式を整える」ことと、「各部署に提出」することが今の時代本当に必要な業務でしょうか。
まず書類様式についてですが、研究者データベースなるものが存在しているにもかかわらず、これが公式書類とリンクしていないのは無駄だと思います。データベースを参照すれば済むことを様式書類に再整形するのは無駄な雑用と考えられます。具体例を上げれば、年報、概要、人事評価、大学の中期計画に係る中間報告、科研費など、ほぼ同じ内容の業績リストを別様式で作成しております。作成に係る時間を多くの研究者が共有していることを考えると膨大な人件費の浪費になっているのではないでしょうか。
また研究者情報に限らず、個人情報に関しても、同様の無駄が考えられます。具体例を挙げるならば、年末調整の時期になると決まって、「住所変更の有無」に関する書類を複数提出しております。こういった無駄な雑用は学内にネットワークから独立した個人情報を管理するデータベースを設置すれば解消するのでは無いでしょうか。電子化はセキュリティ管理が困難だというのであったとしても、紙ベースのデータベース構築のほうが、はるかに効率的なのではないかと想像します。
「最終的な出力フォーマットを全当事者で整形する必要はない」のと、「同じことを二度言わせるな」です。
Hayashiさんコメントありがとうございます。
競争入札も雑用ではありませんが、肥大化した事務手続きの象徴かもしれませんね。たしかに簡素化できるものに関しては簡素化してもらいたいです。会計監査からの指摘を恐れるあまり、事務方が過剰に細かいルールを定める。これは一番よく見られる風景だと思います。ここに関しては事業所レベルで何とかしようとしても、どうにもならない問題です。一定の規律が必要なのは絶対そうですし、実際不届きな輩が研究者の中にもいるのも事実です。ただ、厳しいルールを適用する際には、必ずコストがかかるということを忘れてはいけないと思います。大事な仕事だけれども、過剰に書類が増えれば、それはそれこそ雑用になってしまいます。
個人的には、Hayashiさんのご指摘のように、研究のニーズに合った発注方法を考える事が必要で、会計監査の指摘があったときに、事務方の責任を問うのではなく、発注者側の責任を問うことが大事だと思います。事務手続きを肥大化させても、本質的な腐敗の対策にはならないでしょう。ほとんどの研究者は、限られた資金の中で最大限に研究を展開するのに必死です。悪意のある研究者は、システムとして取り締まるのではなく、個別に対処すべきなのではないでしょうか。
競争入札は最適解をもたらすか?
公共組織の発注方法一般に関わる事ですが、一定額以上の発注は競争入札にはかられます。これは公平性を保ち,競争原理で価格を抑えるためとされています。納品物の質は仕様書で定める事になります。
研究現場での必要物の場合この方法が使えない事が多くあります。例えば合成オリゴDNAやペプチドの場合、量と共に品質が大事で必ずしも仕様で数値化できない事があります。またHPなどのデザイン作業,ソフトウェアなどのその範疇になります。故やなせたかし氏が無償で自治体等に作品を提供した話が話題になったおりの背景説明が参考になります。
http://togetter.com/li/579297
また工事関係で、落札した業者の仕事がダメダメで納入後に関係者が大慌てしたことがあるそうです。仕様書で質を質を担保できなかった例です。実際このような入札を宝くじを引く事に例える人もいます。また多くの案件が入札にまわされるようになった結果,納入までの時間が長くなり,価格を押さえる効果は期待ほど上がっていません。信頼おける業者との付き合いが有効な事もあると感じています。
競争入札が広く取り入れられた経緯には、随意契約が契約担当者との関係が腐敗する事例を多発させたとの反省があります。しかし入札件数が過剰になると事務関係が疲弊し,業者の応札意欲も削がれる傾向もみられます。(採用されない申請を出し続ける気持ちです)。
研究のニーズにあった発注方法として、仕様書、応札額以外の判定基準の導入や,腐敗を防ぐための発注者(研究者)側の責任の取り方を再考する時期に来ていると思います。
なおこのように発注方法が硬直するのは事務方が会計検査からの指摘を恐れる事が理由です。無理もない事なので、研究所個別の判断ではなく省庁レベルでの判断が必要です。
あと、大学や研究所における各種委員会、それぞれ大事な役割があると思いますが、それが多すぎれば、広義の雑用になってしまうと思います。委員会おおすぎやしないいんかい。というやつです。このような問題は、事業所レベルで十分に対応できる事だとは思いますが。
Kawakamiさんコメントありがとうございます。個人的には、広報活動や予算申請は雑用とは思いませんが、そのあたりは人によって捉え方が違うだろうな、ということでそういう表現になっています。アンケートでは、それらは雑用として含めないでください、と断ってあるのはそのためです。
雑用の定義ですが、過剰に細かい書類を作らなくてはいけない、というのは、それ自体はちゃんとした仕事だとしても、広義では雑用だと思います。研究費によっては総ての消耗品について細かく使用用途を記載しなければいけない、というウワサを聞いたことがありますが、それはあきらかに行き過ぎかと。ある程度の規律は必ず必要ですが、深刻に研究時間を奪うほどの規律が必要なのか?ということは議論しても良いと思います。一つ一つはたいしたことがない、でも積み重なって繁雑な事務手続きとなっているものは多いのではないでしょうか。
あ、あと、遺伝研や理研などの研究所はやはり恵まれているというのはそうだと思います。特に僕が実感しているのは、安全管理関連を専門に請け負う事務部門がある、ということです。大切な仕事だけれども、研究者が必ずしも得意ではない、もしくはむしろ関わらない方が良い仕事をやらなければいけないとすれば、それも広義の意味で「雑用」と呼んでも良いのではないでしょうか。分業体制をしっかりと作り、プロに任せるべき仕事は、プロに任せた方が良い、ということです。
嫌々やる仕事が雑用、というのは、それはそうですね。ともあれ、もっと効率化出来ることがあるのではないか、という意図をくんでいただければと思います。
「雑用って何?」実は何が雑用かよくわかりません。「授業や広報活動や予算申請などが雑用かどうかは別途議論が必要かもしれません」これらは明らかに研究に関係があると思います。研究所や大学で行なわれる活動は基本的に全て研究につながるのではないでしょうか?
例えば、遺伝研は辺鄙なところにあるので、私は食堂の存続に尽力しましたが、これを雑用だとは思いませんでした。雑用の定義はあえていえば「他人から言われていやいややる仕事」ではないでしょうか?このように感じるのは私たちの研究所(理研もそうではないかと思いますが)が恵まれているということでしょうか?