2013.09.25 トピックス
安定性と競争性を担保する 日本版テニュアトラック制度の提案
【概要】
今日の日本の研究者社会では、常勤(任期なしポスト)と非常勤(任期付ポスト)の待遇の差が大きすぎることが原因となり、 研究力を持つ若手が参入しなくなったり、ポストをめぐる過度の競争のために生産性が削がれてしまっているなどの問題が生じています。この状況を解決するため、最低限の給与や身分の安定が保証されると同時に競争性も担保する新たな「日本版テニュアトラック制度」を提案します。以下にその概要を示します。
- ・安定した身分とアドオン給与:日本版テニュアトラック制度(案)では、安定した身分である「任期なし常勤ポジション」に就くことが可能。基本給として一定の報酬や社会保険等が保証されている。それに加え、研究の業績・評価や、教育コマ数、各種大学業務などに連動したアドオン給与が設定されることで、競争性も担保される(図1)。
- ・余程のことがない限りテニュアが取得可能:この制度では、博士号取得後、テニュア審査を行う機関に登録し、テニュア・トラックに乗る (図2)。テニュア審査に合格した場合は研究費配分機関(日本学術振興会や科学技術振興機構、新設される日本版NIHなど)にテニュアで雇用され「任期なし常勤ポジション」を取得できる。テニュア研究者はPIの下に派遣され活動するが(人件費相当分 and/or アドオン部分はPIが自分の研究費から派遣元機関に支払う)、自分で研究費を取得して「ミニPI」として独立的に活動することも可能。テニュア審査は再チャレンジが可能であり、「余程のこと」がない限り博士号取得者はテニュアを取得できる。
- ・安定した研究費と連動:アドオンの主要な部分の一つが研究費の間接経費から支給されるので、「競争的研究費」の審査の透明性・公平性、さらには安定性が重要。また間接経費比率が現在より高めに設定されていることも必要。安定的な基盤的研究費のシステムについての提案については過去の記事 [安定した基盤研究費の導入を!] をご参照ください。
- ・多様なキャリアパス:テニュアで雇用されている研究者は、そのポジションに留まり続けることも、既存の大学・研究機関などの常勤教職員のポジションに異動することも可能(図3)。また、研究をサポートするような業務を行うような技術員トラックや、事務系トラック、また教育を主な仕事とする教育トラックに移ることもできる(図4)。
「日本版テニュアトラック制度」提案についての詳細は以下の本文をご参照ください。お時間のない方は図の部分だけをご覧になっても概要がつかめるようになっています。下のほうにアンケートがありますので、ぜひご回答いただけますと幸いです。
*本文は少し長いので、近々、本文は別ページに移動させる予定です(アンケートの回答やご意見の書き込みをしやすくするため)。
【本文】
常勤・非常勤の大きな格差
国の科学技術の発展にとって、高い適正を有する人材を大学・研究機関に確保することは最も重要な課題の一つであり、そのためには適切な人事の制度設計は欠かせないでしょう。しかしながら、我が国の大学・研究機関における人事制度は様々な深刻な問題を抱えているのが現状であり、このため、若手の「博士離れ」や日本発の論文数減少 [豊田長康先生のブログ 「あまりにも異常な日本の論文数のカーブ」を参照ください] などといった状況を生んでいると考えられます。
このうち、最も大きな問題の一つが、ポスドク、ポスト・ポスドク(特任教官など)など非常勤の職が若手・中堅研究者の中心的なポジションになっていることです。常勤だが、再任なしの任期付き教員というポジションもあるようで、これも非常勤に近いポジションであると考えられるのではないでしょうか。従来は日本では研究者の雇用は若手・中堅研究者であっても常勤が主なものでした。しかし、ポスドク一万人計画が実行され博士の絶対数が急増し、一方で、少子化に伴い研究者の常勤ポジションがほとんど増えないという状況が生まれてしまいました。僅かな数の常勤ポジションに対し、多数の博士が殺到し、そこに入るための道筋(トラック)が異常なレベルの競争的なものになってしまったわけです。
格差がもたらす研究力の低下
研究者社会では、常勤と非常勤の待遇の差が大きすぎます。この格差が日本の研究力にもたらす大きなマイナス点が少なくとも2点あると思われます。
1. 研究力を持つ若手が参入しなくなる
常勤と非常勤の待遇の差が大きいのは、日本では研究者社会だけではないかもしれません。しかし、研究者社会では、常勤ポストは博士号取得者の数に対して極めて僅かしかなく、それをめぐる競争があまりにも激しいという特殊な状況があります(これをここで再度説明する必要はないでしょう)。また、「競争が激しい」だけであればまだ良いかもしれません。自分の実力に自信を持つ若手は参入するでしょう。問題なのは、これに加え、日本の研究業界では、競争で勝ち残れなかった場合に「つぶしがきかない(他の業界に就職口が少ない)」ということと、「競争」に透明性・公平性が欠けているということもあります。つまり、研究成果をいくらあげていても必ずしも競争に勝って常勤ポジションを得ることができるとは限らないし、それを得ることができなかった場合に払わなければいけない犠牲はあまりにも大きいわけです。
このため、研究の適性が高い若手でも、そのようなリスクを負いたくない場合は、別の業種を選んでしまうことが多くなっていると考えられます。
日本人には、そもそも安定思考が強い人々が多いのではないでしょうか。日本は正社員や(正規の)公務員であることが非常に高い価値を持つ社会であり、非常勤では住宅ローンを組むのも困難でしょうし、結婚して家族を持つことにさえ支障が出てしまうことがあるのです。この4月に「改正労働契約法」が施行され、大学で非常勤講師を原則5年で契約を打ち切って「雇い止め」にする動きも生じつつ有り、この研究者コミュニティ内の格差はさらに拡大しそうな気配になってきています(榎木先生の記事とそこでの議論もご参照ください)。
こういう状況を放置すれば、研究の適性が高い若手はますます他の業界へ逃げてしまい、日本の研究力低下が加速してしまうのは間違いないではないでしょうか。
2. 「競争」のために生産性が削がれてしまっている
本来、適度な「競争」は全体の生産性を上げることが期待されます。「競争」のために研究の生産性が削がれてしまっているとは、どういうことでしょうか?
日本の研究者社会では、非常勤(プラス再任なしの任期制常勤職員)の間には上述のように激しい競争が存在します。この「競争」が真の生産性を上げることに繋がっていない要因には以下のようなものがあるかと思います。一つは、短期間で華々しい成果をあげなければいけないため、地に足の着いた地味ではあるが重要な研究や、ハイリスク・ハイリターンの長期に渡る努力が必要な研究は極めて行いにくい環境にあることです。真にイノベーションを生むような研究はこの種の研究が多いので、この「競争」の仕組みはそれを強力に阻害していると言えるでしょう。二つ目は、競争に勝ち残るための「華々しい成果」というのは事実上ハイインパクトなジャーナルへの掲載、ということになっていることが多いことです。これは、現在流行りのトピックを選びがちになったり、捏造を引き起こす要因になったりするマイナスがあります。またハイインパクトなジャーナルへの掲載するには大量のデータを準備する必要もあるので、研究成果が世にでるのを遅延させてしまう、という側面もあります。研究評価に関するサンフランシスコ宣言(The San Francisco Declaration on Research Assessment; DORA)においても、ジャーナルのインパクトファクターを個々の研究論文、研究者の評価に用いることが厳しく批判されていますが、日本では有効な対策が十分に議論されておらず、ハイインパクトなジャーナル至上主義が顕著であり、研究の生産性を削いでいるのは間違いないでしょう。三つ目は、比較的高額の研究費を要するような分野の研究者は、研究費の申請をたくさん行わなければいけないことです。常に応募をし続けなければならず疲弊します。申請書や報告書を書くのに時間と労力が使われてしまい、真の研究に割くべきリソースが大幅にムダに費やされてしまいます。これは、Science Talks でのインタビューでも述べた通りです。
さらには、3〜5年の研究費で雇用されているポスドクや、任期のある研究者(テニュア・トラックも含む)などは、短い期間で研究の場を異動せざるを得なくなってしまうことが多々あるというような問題もあります。異動する際は、引っ越し&新たな場所でのセットアップという作業をしなければなりませんし、ポスドクであれば研究テーマも代えざるを得ないことが多いでしょう。これらの要因によって、研究者が研究に集中することが妨げられており、研究の進展が阻害されています。
一方で、激しい「競争」にさらされているのは、主に非常勤の研究者でしかないということもあります。常勤職員の間では(少なくとも待遇的な面では)競争が弱く一旦職を得てしまえば定年まで安泰で、給与は年功序列で定年まで毎年少しずつ上がっていきます。極端な話、研究などしていなくても職の安定性や報酬の観点から言えば全く問題がありません。つまり、「厳しい競争」というのは「過度な競争」という意味だけではなく、非常勤の研究者と一部の研究志向的な常勤研究者に限定されているという「いびつな競争」になってしまっていることでもあり、全体の生産性をあげるような仕組みになっていません。
要は、現状では、むやみに研究者間の競争が厳しいだけで生産性をむしろ削いでいる状態であり、適度な競争がうまく生産性に結びつくようなマネジメントが全くできていない、というのが現状ではないでしょうか。なぜそのような基本的なマネジメントもできないのか、ということはとても不思議なことであり、それも大きなトピックではあるのですが、その議論はまた追って別のところでできればと思います。
安定性と競争性を担保する人事制度
では、どうすればよいか?ということについての具体案を提案したいと思います。
一つは、博士号を取得し、ある期間に一定の実績を上げることができた研究者は、原則的に任期なし常勤ポジション(テニュア)が与えられるような仕組みにすることです。研究者のセーフティネットを設けて、新規参入の壁を低くし、地に足のついた長期的研究をサポートします。
「任期なし常勤ポジション」といっても、現状のように年功序列で毎年給与が上がっていくようなものでなく、基本的人権が保証されるレベル、プラスαくらいの基本給が保証され、そこに業績や評価に連動したアドオン給与が設定されるような具合です(図1)。
アドオン給与は、研究者自身が取得した研究費の間接経費、行う授業のコマ数が主要なものとなります。各種委員会での活動実績、大学の広報活動、その他の活動なども考慮されアドオンされるようにします。また、業務時間外での副業も自由度を高め、産学連携が行いやすいようにしておきます。
このようにすることによって、テニュアを取得したあとであっても、研究費が取得できない場合や、評価が低い場合は、総収入は低くなることになります。しかし、(最低限の仕事をしている限りは)ベースは保証され、路頭に迷うことはなくなります。研究能力が落ちてきても、多くの教育コマ数をこなしたり、委員会の委員を務めたりすれば、アドオン部分も減らさなくてすむわけです。
以上が概要ですが、改正労働法に対応する必要もありますので、もう少し詳細な案も考えてみました(これは他にもいろいろありうると思いますが、単なる一案としてご覧ください)。
まず、博士号取得後、テニュア審査機関のようなところに登録し、テニュア・トラックに乗ります (図2)。
雇用としては、この間、テニュアが取得されるまでは従来型の機関所属のポスドクと同様な方式にしておきます(外部資金などで機関に雇用される)。一定期間経過後、テニュア審査が行われて合否が判定がなされます。合格した場合は中央の研究費配分機関(日本学術振興会や科学技術振興機構、新設される日本版NIHなど)にテニュアで雇用され、上記のような任期なし常勤ポジションを取得できることになります。不合格の場合は、改正労働法がありますので機関は異動しなければいけませんが、何回か再チャレンジができるようにしておきます。
研究費配分機関はこのようなテニュア研究者を、その時の状況に合わせてフレキシブルに大学・研究機関の研究室主催者(Principal Investigator; PI)の研究室に派遣します。基本的には、テニュア研究者自身がより良い条件(より高いアドオンやより良い研究環境など)を出してくれるPIを自分でみつけます。PIは自分の研究費から派遣元の独法へ人件費相当の費用を支払うとともに、間接経費からその研究者にアドオンを支払います。自分をホストしてくれるPIが見つからない場合は、派遣元の独法が仕事を探して斡旋します。
テニュア研究者は、スペースをホストしてくれる大学・研究機関が有る場合、自分で研究費を取得してミニPIとして活動することも可能です(自分の間接経費からアドオンを支払う)。
研究費配分機関にテニュアで雇用されている研究者は、従来型の大学・研究機関などの常勤教職員のポジションが見つかればそこに異動しても良いが、そういうものが見つからなければ見つからないで、一生、そのポジションにいることも可能です(図3)。
従来型の大学・研究機関などの常勤教職員の待遇については、すぐに現状を変えるのは困難かと思われますが、徐々に同様な仕組みを導入していくことを促すことがよいのではないかと思います。つまり、基本給はある程度抑えておき、間接経費によるアドオン部分の比重を増していくことです。大学教員の年棒制導入の話も出ているようですが[日経新聞記事 「国立大教員1万人に年俸制導入 文科省、15年度末までに」; 第1回 産業競争力会議 雇用・人材分科会 配布資料5−1(pdf)]、そのような場合でもこのような仕組みは考慮されるとよいのではないでしょうか。
また、博士号取得者は何も研究そのものをやる必要はないわけで、研究をサポートするような技術員トラック、事務系トラックや、教育トラックというものに入ることもできるようにしておきます(中核となる業務が異なるだけで、待遇は同様な仕組み;図4)。
研究費の仕組み改善もセットで
上記のような仕組みを導入する場合、研究費の間接経費がアドオンの額を大きく左右するようになります。これには、現状で反発が予想されます。というのは、上に述べたように、現状の「競争的研究費」が透明性・公平性にかけること、「競争的研究費」の取得がギャンブル的になっており変動がオールオアナンのようになっていて安定性に欠けるからです。報酬におけるアドオンの比重を高くするならば、「競争的研究費」が透明性・公平性は必須であり、「出来レース」のようなことはなんとしても排除される必要があります。また、過去の実績をより適切に反映しつつ額がゆるやかに変動するようなものでなければならないでしょう。つまり、上記のような人事の仕組みは、研究費のあり方の改善と一体化して行われるべきでしょう。「過去の実績に連動して安定して額が変動するような研究費」については、以前、提案しまして、これと合わせて行ったアンケート [安定した基盤研究費の導入を!] でも9割以上の方々のご支持をいただいています。
研究費の仕組みについての議論もこちらで歓迎いたします。
研究者コミュニティからの提案を
以上のような主旨の案は、学会の懇親会やネット上でことあるごとに提案しており、ご賛同をいただくことが多々あります。そのように多くの賛同が得られるような案でもなんらかのアクションなしでは、実現にいたりません。また、要は、現在よりも研究者が研究にしっかり集中できるようにし、限られた資源が有効に使われるような仕組みに改善することが大切で、この案はそれを目的とした一つの可能性にすぎません。ぜひ、こういった場で議論を十分に行なって案を良いものにし、研究者コミュニティからの案として、行政に関わる方々に提示していく必要があるように思います。提案には、客観的エビデンスも必要ですので、議論にご参加いただかない方でも、アンケートにご回答いただけますと幸いです。
藤田保健衛生大学・教授・宮川 剛
(この意見は筆者が所属する組織の意見を反映しているものではありません)
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アンケート
ここで提案されている新たな日本版テニュアトラック制度の案では、最低限の報酬や身分の安定が保証される一方で、研究業績や評価、教育コマ数やこなした各種大学業務などに連動したアドオン給与の設定により競争性も担保されます。具体的な「最低限の報酬」やアドオンの額、実績評価の方法については別途検討することとし、選択肢を選ぶ上で考慮に入れないでください。
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コメントを新着順に表示させるため
コメントはできるだけ下のボックスからご入力ください。
科学研究の行政による支援のあり方や、人材育成についてメディアや学会で取り上げられる機会はかなり増えたと思います。また、この問題を取り上げた書籍も出版されるようになり、テーマとしての認知度は上がってきたように思います。国家としての衰退が目に見えるようになってきて、議論も幾分真剣さが増してきたのではという期待はあります。一方で、行政の施策としては良くなったところもあれば悪化しているところもあり、後者についていえば、高度成長期に行われた投資の成果をドブに捨てるようなことも起こっており、こちらはもう間に合わないかもしれません。
残念ながら、具体的にまだ目に見える改善はあまりない状況です。ただ、コンセプトのごく一部ですが、「研究力向上2019」のような案に反映していただくようなこともできており、それなりの進歩はあるようには思います。
こちらをご覧いただくと、
https://www.mext.go.jp/a_menu/other/__icsFiles/afieldfile/2019/04/25/1416069_01.pdf
「安定性と自立性を確保する」、「技術職員のキャリアパスの構築」、「URAや技術専門人材を含めたキャリアパスの多様化」などの文言が入っています。
「神経科学者SNSの提言」からスタートして、10年程度にわたって文科省の方々や政治家の方々とお話したり、研究者コミュニティで議論したりする中で、こういったものの実現を目指す上で、何が障壁なのか、何が課題なのかということもだいぶ見えてきてはいます。そういったものの解決を試みつつ、合理的で真に生産性の高くなるような仕組みを構築することを地道に目指して活動していくことが大切かと思います。
2020年ですが現在何か変化はありましたか?
[...] 健衛生大学教授を中心とする分子生物学や脳科学の研究者が「安定性と競争性を担保する 日本版テニュアトラック制度の提案」を公表している。また、以下の記事もご覧いただきたい。 [...]
[...] ア)安定性と競争性を担保する日本版テニュアトラック制度 [...]
[...] 安定性と競争性を担保する日本版テニュアトラック制度については、まず、民進、公明、日本の心が「望ましい」を選択してくださってますし、共産も「若手研究者の流動性と雇⽤の安 [...]
[...] また、研究者コミュニティ発のアイデアとして提案された「安定性と競争性を担保する日本版テニュアトラック制度」についての各党の意見はこちらから。 [...]
(機関によって基準に大きな差がありますが平均的なところでは)博士号取得の要件は、現状、このような仕組みの導入の有無とはかかわらずかなり厳しくする必要があるのではないでしょうか。
派遣先のPIや機関が人件費を中央に支払うことになるので、財源の増加はほぼ必要ないです。
(2年間お返事せず放置してしまい申し訳ありませんが)
テニュアの審査はJSPSのようなところが、科研費や学振特別研究員の審査のような具合で行うことが想定されていると思います。
研究のポジションですので、授業や学生実習などの経験はその審査には加味されないと思いますが、機関による雇用の部分やアドオン部分で加味されることになると思います。
海外ポスドクが、授業や科研費取得経験がないのは仕方のないことなので、それは考慮すべきではないと思います。若手の科研費の審査や学振特別研究員の審査ではそのような経験は考慮されないので、そういうものに準ずるのがよいのではないでしょうか。
「卓越研究員」制度がかなり似たアイデアのようですので、これのモデル的な導入事例になると思います。その意味ではこの制度に成功してもらいたいので、今、できるだけ多くの人が意見をいって案をブラッシュアップしておくべきなのでは、と思います。
現実的には、どこかの大学なり研究所なりでモデル的に導入して成功例をつくる、というのが最善の方策でしょう。ドラスティックすぎるため、全国でいきなりこれを導入というのは制度的にも意識的にも厳しいと思います。
基本アイデアとしては、近年再評価されているいわゆる日本型大企業の雇用モデルと近似していてよいのではないかと思います。しかしながら日本型大企業モデルもトップダウンで成立しているわけではなく、労組とのバランスで成立していた形態です。名目としてこのような制度を導入しても、運用によってはいかようにも骨抜きにできるので、経営側と拮抗する組織が必須となるでしょう。
すみません。リンクをつけたらおかしくなったので再投稿します
大変いい案だと思います。ぜひ実現させて頂きたいので賛成票を投じさせて頂きました。ただし、「具体的な最低限の報酬やアドオンの額、実績評価の方法などは考慮に入れないでください」という条件がついていたからです。恐らく多くの人が直感的に感じたように、「予算が足りるのだろうか」というのが大きな問題点だと思います。
正確には専門家の検討が必要ですが、概算でも以下のようなことになります。まず、博士の学位の取得者が全分野で年間約14000人です(課程博士)。論文博士を入れると17000人になります。非常に大雑把に、学位取得者一人が30年間現役を続けるとすると、常に50万人の博士取得者が働いていることになります。仮に宮川さんの案のように、この<大部分>が「テニュアトラック」に認定されるとします。新制度のための予算として例えば200億を確保したとすると、一人に平均年間4万円しか渡せないことになります。200億という数字は学振の特別研究員と同程度で、科研費の総予算の1/10ぐらいにあたります。宮川案ではテニュアトラックのうち、働き口が見つかった、あるいはパーマネントに移った人については予算がかかりませんが、問題は「失業者」です。仮に、ある時点で平均10人に一人が失業しているとして、上記の計算だと年間40万しか支給できないことになり、とても生活できず「最低限の報酬」になっていません。予算をこの数倍確保した上で、失業者を減らさないといけないことになります。これでは生活保護の色彩が強く、予算措置に社会的な理解が得られるとは思えません。
そうすると、学位取得者のうちどのくらいの割合が「テニュアトラック」審査に合格するように設定するかという問題になります。例えば、半分ぐらい、というのは可能でしょうか? その場合、上記の計算はどうなるでしょうか。どのくらいの予算を確保すればいいでしょうか。1/10程度の失業率は確率的に避けられない気もしますので半分よりずっと少なくようにも思います。この数字がどのくらいになるかで制度の意味づけも変わってくると思います。ちなみに学振の特別研究員はDC1、DC2合わせて1700人ですから、大雑把に全体の1/10ぐらいです。
こういったお金の計算をしっかりして案を修正する必要があると思います。よろしくお願いします。
大変いい案だと思います。ぜひ実現させて頂きたいので賛成票を投じさせて頂きました。ただし、「具体的な最低限の報酬やアドオンの額、実績評価の方法などは考慮に入れないでください」という条件がついていたからです。恐らく多くの人が直感的に感じたように、「予算が足りるのだろうか」というのが大きな問題点だと思います。
正確には専門家の検討が必要ですが、概算でも以下のようなことになります。まず、博士の学位の取得者が全分野で年間約14000人です(課程博士)。論文博士を入れると17000人になります(http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/daigakuin/)。非常に大雑把に、学位取得者一人が30年間現役を続けるとすると、常に50万人の博士取得者が働いていることになります。仮に宮川さんの案のように、この<大部分>が「テニュアトラック」に認定されるとします。新制度のための予算として例えば200億を確保したとすると、一人に平均年間4万円しか渡せないことになります。200億という数字は学振の特別研究員と同程度で、科研費の総予算の1/10ぐらいにあたります。宮川案ではテニュアトラックのうち、働き口が見つかった、あるいはパーマネントに移った人については予算がかかりませんが、問題は「失業者」です。仮に、ある時点で平均10人に一人が失業しているとして、上記の計算だと年間40万しか支給できないことになり、とても生活できず「最低限の報酬」になっていません。予算をこの数倍確保した上で、失業者を減らさないといけないことになります。これでは生活保護の色彩が強く、予算措置に社会的な理解が得られるとは思えません。
そうすると、学位取得者のうちどのくらいの割合が「テニュアトラック」審査に合格するように設定するかという問題になります。例えば、半分ぐらい、というのは可能でしょうか? その場合、上記の計算はどうなるでしょうか。どのくらいの予算を確保すればいいでしょうか。1/10程度の失業率は確率的に避けられない気もしますので半分よりずっと少なくようにも思います。この数字がどのくらいになるかで制度の意味づけも変わってくると思います。ちなみに学振の特別研究員はDC1、DC2合わせて1700人ですから(http://www.jsps.go.jp/j-pd/pd_saiyo.htm)、大雑把に全体の1/10ぐらいです。
こういったお金の計算をしっかりして案を修正する必要があると思います。よろしくお願いします。
基本的アイデアは非常に素晴らしいと思います。
一つお聞きしたのですが、テニュアの審査基準は日本中どこの大学・研究機関でも同じにするのでしょうか? またその審査基準は、基本的に論文の数と質に基づくのでしょうか? それとも、授業や学生実習などの経験も加味されるのでしょうか?
というのも、ご承知の通り全国には研究重視の研究機関から教育重視(研究はおまけ程度)の所まで色々あり、それらが求める人材と言うのは機関により大きく異なると思います。そのため、テニュアの審査基準も各研究機関ごとに異なるものにせざるを得ない気がしますが、どうなんでしょう?
また、海外でポスドクをする人が日本に帰って独立ポジションに就きたい場合、授業や科研費取得の経験が少ないことで不利になる場合が多いのですが、宮川先生の提案する制度では、海外ポスドクの日本での就職についてどのようにお考えでしょうか?
大変よい案と思いますし、ぜひとも実現してほしいとも思いますが、財源の裏付けはどうするのでしょうか? 今の何倍も公的研究費がつかないと、実現は難しいと思いますが。研究者のために一生懸命動いてくれる政治家がいないものですかね。
長文執筆のご努力、ありがとうございます。現状では『テニュア審査は再チャレンジが可能であり、「余程のこと」がない限り博士号取得者はテニュアを取得できる。』が難しいと思います。このためには、博士号取得の要件をかなり厳しくする必要があると思いました。
代替案を示すことができずすみません。でもお答えを聞いてますます共感できると思いました。たしかに2点目の民間企業への派遣については、トラックに留まるか企業に転向するかは企業と人材本人の意向次第かもしれません。人材本人の自由意思でどちらにするかを選択できるしっかりした生活基盤ができるというのは大変すばらしいことと思います。
「研究者を志望する人が爆発的に増える恐れ」はあるかもしれません。この案の大きな目的の一つが、今より多くの研究力のある若手が研究者を志望するようになることですので、ある程度増えないと目的が達成できないように思います。
重要なことは、まずできるだけ早めに適性の観点からセレクションがかかることで、これは大学院の博士課程に進学する時点でしっかり定員を減らすこと(各教官がきちんとした指導できる数にしぼること)、さらに博士号をある一定レベルの水準を満たした人にしか出さない、ということではないかと思います。この2段階で数を調節することが大事で、現状のように30代、40代になってから自然なセレクションをかけられてしまう、というのは望ましくないことだと思います。つまり、博士号取得を容易ではなくして価値を高め、それがあれば安定した職を得られらやすいようにするのがデザインとしてよいと思います。これにより、博士号というものが、ある種の高い能力を有することのシグナルとして社会の中で機能するようにことが、大切であるように思います。そうなると、博士の社会の中でのニーズも増し、ポジティブなループが回るようになるのではないでしょうか(現在は、ネガティブなループが回ってしまいつつあるように感じています)。
Mukai さんのおっしゃるように、ここでいう「テニュアトラックの人材」は民間にも派遣できるようにするのが良いと思います。博士を即戦力として活用でき、ずっと雇用しなくてもよいということであれば、民間企業からのニーズはあるのではないでしょうか。
外国人の扱いについてはまた別途議論する必要があると思いますが、個人的にはある一定の基準を満たしたレベルの高い外国人にもこのシステムの門戸を開くことのメリットは大きいと思います。この安定したシステムを活用して、優秀な外国人のみ選択的に国内に入れ、彼らが生み出す知的資産を日本に属するようにすることが戦略的にできれば、かなりメリットは大きいのではないでしょうか。このあたりはうまい戦略を工夫する必要があるでしょうね。
大変周到にデザインされた案と思います。私の理解が追いついてないだけかもしれませんが、研究者視点に偏りすぎでは、という点だけ気になります。安定した身分をゲットしやすくするとなると、研究者を志望する人が爆発的に増える恐れはありませんか?それで閉じた研究業界のなかは活性化するかもしれないですが、社会全体のバランスを見た時、研究しか考えてないテニュアトラック人口が肥大化するのはどうか、と思います。ここでいうテニュアトラックの人材が研究機関外の民間や行政にも派遣されたり、それなりの待遇で受け入れられるような仕組みであれば、大賛成です。とにかく非常勤にまったく社会保障がない現状は一刻もはやく変えるべきで、行動すべきというのは強く共感します。あと、いまや非常勤は外国人も大勢いますが、「日本版」は彼らの理解を得られるのかどうかがポイントになるでしょうか。TPPで研究教育業界はどういう影響を受けるのか分かりませんが、日本的なガラパゴス方式が「参入障壁」とやり玉にあげられないとも限らず、彼らをどう組み込むかデザインに工夫が必要と思います。
> 1.本提案書の提案先は「誰」で、そこに我々は具体的にどんなアクションを求めているのか?
たいへん重要な問題ですね。
これは、最終的には日本の国(国民とその代表である政治家、官僚などの方々)に向けて提案する必要があると思います。しかし、まずは研究者コミュニティやその周りの関係者(官僚の方々も含む)でしっかり議論しコンセンサスを作っておくことが必要で、今はその段階かと。形的にはこういう非公式な場でたたき台の原案をつくり、日本学術会議や総合科学技術会議に提案してさらにもんでもらい、それについて政治家にご判断していただくというプロセスになるでしょうか。実は、この種のことについて、日本の研究者コミュニティには正式なルート(自分のような一般研究者たちの提案を実現にもっていく公式ルート)が皆無といってよく、それが、日本の研究一般の仕組みがよくならない大きな原因の一つであると思っています。例えば、日本学術会議の会員は、選挙で選ばれるわけではなく、厳密には研究者コミュニティの代表グループとはいえません。また、各学会はそれぞれがカバーする学問の領域についての会であって、この種の一般的仕組みの問題は「学会マター」ではありません。自分のような一般研究者(といっても学会の理事や評議員もしていますが)が、コミュニティで意見をまとめ、提案する先がないわけですね。この企画も「学会」が公式に行っているわけではなく、「学会の大会」がユニークな大会長のアイデアで行なっている企画にすぎません。
ですので、この案についても提案先をどうするかだけでなく、提案の主体をどういうグループにするか、ということも検討する必要があります。
> 2.提案先にとって、自らがアクションを取り、本提案書を実現することによるメリット(短期・中長期/定性・定量的)は何か(提案先が抱える課題の解決に寄与するか)?
提案先は、日本の国ということになるでしょう。メリットは日本の国全体の科学・技術の力を上げることができる、ということになるかと思います。国全体の科学・技術の力を上げると何か良いことがあるのか、ということについては、これはもう思想的な問題になると思います。定性的には、それぞれの科学・技術の研究領域の研究者がよく研究費の申請書に書いているような目標がより早く達成できる確率が高くなるだろう、くらいしか言えないでしょうし、定量的にもどの程度よくなるかについては、前例がないし、科学研究で得られる成果は未知なので、やってみないとわからない、としか言いようがないのでは。
> 3.研究費配分機関の資金はどこから調達するか?
人件費がどこからでてくるか、ということでしょうか。これは、研究費の直接経費 and/or 間接経費から派遣元に支払われる、ということになるかと思います。これらの研究費は、国からのもの(税金)が大部分を占めることになるでしょうが、民間企業や財団などからの研究費や(将来的には)寄付の比重が高くなるべきだと思います。無期雇用の権利が得られた人で派遣先が見つからない人が出てきてしまうと、その分の人件費は国から出ざるをえない、ということになるかと思います。
> 4.同様の施策で他国・他業種での成功事例などの、本提案内容の実現可能性を示すデータはあるか?
他の国には今のところないのではないでしょうか(あれば有名になるでしょうので)。
ただ、研究者・研究補助員の派遣企業が存在しており、その種の企業がされているものが近いかもしれません。ですので、JSPS、JST、日本版NIHなどが行う、あるいはあらたに独法のようなものをつくる、という方法の他にも、複数の派遣企業を何らかの形で国が補助する(派遣業をやりやすくする仕組みをつくる;例えば、直接の人件費の何割かに企業の収入となる間接経費がつく、など)などして、規模を拡大するような方向性もあり得るのかもしれません。現在では、派遣企業の規模が大きいとはいえないこともあり、人件費のマージンをかなりの高額徴収されてしまうということがありますが、規模が拡大すればスケールメリットでコストダウンができ、マージンも少なくすることが可能でしょう。この場合、研究者トラックのミニPIの場合のビジネスモデルが必要ですが、このミニPIが取得してくる研究費の間接経費の一部が派遣企業に入るようにする、というような方法があるかもしれません。
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この種のシステムの案は、もしかするとコンサルティング企業さんのアイデア・知恵のようなものも国が(お金を出してでも)借りるなどしてブラッシュアップしたほうがよいのかもしれませんね。日本の研究者社会の仕組みは、マネジメントについては素人の研究者や官僚が遥か昔に作ったものを、いきあたりばったりの感じで少しずつ変えてきただけのものなので、全体としてはひどいしろものになってしまっている、というのが自分の感想です。仕組みの破綻が数値としてよく見えてきたこの時点で、ゼロベースで考えて現代にマッチしたものにガラッと変える、ということもぜひ検討していただきたいものです。
> 研究者トラック=博士救済システム以外の部分のデザインはどうなっているのでしょう?
アドミントラックや技術員トラックについては、以下のようなことが考えられると思いますエンジニア(あくまでも案ですが)。
・登録だけが増えすぎないようにするためには、非常勤(任期付き)のフルタイム職が見つかったところで初めてエントリーができる、とする必要があるでしょう。フルタイム職は無限にあるわけではないのでまずその時点で随分しぼられると思います。そこで5年弱勤務した後に審査がきますので、そこも関門になります。この審査をリーズナブルな難易度で行うことも重要かと思います(どの程度の難易度にするかは要議論)。
・それぞれの技能や知識について、技能認定試験や、実務経験年数などによって、アドオン報酬が変化するようなある程度の基準のようなものを設けるとよいのかもしれません。これに加えて、PIからの評価で弾力性を持たせることができると。
・各機関が派遣された研究者に対して、研究トラックであれば、特任助教、特任准教授、特任教授などの呼称を与えることができると思いますが、技術員トラックでもレベルに合わせた称号を与えるとよいのでは、と思います。リサーチ・アシスタントから始まり、シニア・リサーチ・アシスタント、リサーチ・スペシャリスト、シニア・リサーチ・スペシャリスト、リサーチ・エンジニア、シニア・リサーチエンジニア、…などなど。自分が以前所属していたMITでは、テクニシャンにもいろいろな職階があり報酬もそれぞれで基準が異なるようになっていたのですが、これはモチベーションを高める要因になると思います。このトラックの方々は、その時代に必要とされる技術を常に自分で新しく習得するようなモチベーションが高まるシステムをきちんと考える必要があると思います。アドミントラックも同様で、職階は(派遣先機関、派遣元機関、どちらが与えるかはべつの話としておいておき)様々な種類、レベルのものがモチベーションが刺激されるような形で用意されることが重要でしょう。
>多くの人が登録だけして(やむなくも)副業で生活?それこそ生活保護システムなので、…
これについては、フルタイムできちんと勤務した場合での報酬になるでしょうので、勤務実態がなければ報酬はでないです(普通の企業の正社員と同様)。ということで、生活保護ということにはならないでしょう。
> 研究以外のトラックはいっそ、博士ドロップアウト組のみ入れる、くらいにしておかないと回らない(キャリアチェンジする先のポストの数が確保できない)のではないでしょうか?
研究分野にもよると思いますが、技術員に必要とされる技術の多くは、必ずしも博士でなければいけない、ということはないのではないでしょうか。例えば、マウスの飼育・繁殖、遺伝子型判定など、ルーチンワーク的で、しかし正確さや丁寧さが要求されるようなものは博士号は必要とされないと思います。それぞれの人の適性にできるだけあった仕事を、それぞれの人が行うような仕組みが重要なので、そのようにはしないほうがベターだと思います。
>現実的にはポストの数を絞らざるを得ず、それでは結局これまでと状況さほど変わらないのでは?
という意見に同意いたします。そもそもポスドク制度と研究費配分方法が安定的な人材育成に向いていないのだと思います。流行の一研究室に多大な研究費を注げば学生、ポスドクが集中し人件費を認めて雇用すれば、そのラボのパーマネントな職に対する倍率が上がるが流行が廃れればそれら人材は優秀であっても不良債権化してしまいます。しかし、重点課題が問題だとは思いません。金脈を見つけたら掘るべきです。なので、ポストなど増やさなくて良いのです。パーマネントを目指すのではなく、広く全体を養うが成功報酬性にするべきだというのが趣旨なのだと私は考えます。本来はPIなどいなくても設備さえあれば成果を出し続けられる人材にしか博士号を与えなければ財源的にも成り立つと思います。
税金が財源である事に否定的な方に申し上げたいのは、そもそも、アカデミアは直ちに産業に結びつかない研究を行っており一見お金を生んでないかもしれないが成果は広く公開されている。大なり小なり産業にむすびつている。国から配分されてはいるが、税金というよりも過去の成果に対する報酬を現在のアカデミアに還元していると考えるべきなのでは。ES細胞研究なんて企業は手を出したが撤退した分野ですよ。優秀な人材にはもう少し報酬を、平均的な人材にも子供を作ろうと思える余裕を与えてもよろしいいのでは。学振特別研究員は比較的優秀な人材と認められているはずだが、失業保険も何もない。優秀な20代後半から30代前半への扱いではありません。
はじめまして。博士課程を出た後に民間企業で勤務している者です。
提案内容拝見しました。問題認識にはとても共感いたしました。
研究者が研究に集中し、研究者という資源を有効活用するという目的を考えたときに、個人的には下記の点について詳細を詰められると提案先がアクションを検討しやすいのではないかと思います(現時点で私に具体的なアイデアがあるわけではありませんが。。)。
—————-
1.本提案書の提案先は「誰」で、そこに我々は具体的にどんなアクションを求めているのか?
→ざっくりいうと、お金が欲しいのか、何らかのコンソーシアム組成して協調してほしいのか、等
2.提案先にとって、自らがアクションを取り、本提案書を実現することによるメリット(短期・中長期/定性・定量的)は何か(提案先が抱える課題の解決に寄与するか)?
→例えば、新規産業の創出、新製品・サービスの開発、市場分析、海外進出、等
3.研究費配分機関の資金はどこから調達するか?
→提案先からいただくのか、広く集めるのか、、
4.同様の施策で他国・他業種での成功事例などの、本提案内容の実現可能性を示すデータはあるか?
—————-
個人的には、日本の科学力の維持・向上のために不可欠という視点は重要だと思いながらも、目先の日本の課題を解決するための資源の有効活用という視点で、研究者が活躍できるビジネスモデルを実現したいと思っています。
(本提案の趣旨と離れてしまってすみません。。)
これは私の書き込みにレスを頂いたのでしょうか?「代替案など」は「研究以外のトラックはいっそ〜」の部分です。重要なご提案と思いましたので疑問点を書いた次第です。
否定的な意見も必要ですが、代替案なども同時に示していただかないと話は進みません。気をつけていただきたいものです。
多様なキャリアパス、ということですが、アドミントラックや技術員トラックにアプライする人は、学部卒の方が多く、エリジブルな人の絶対数も多いはずです。当然「最低賃金」では生活苦しいでしょう(しかも増えない?)。アドオンがより多くいる割に、実際の現場のニーズの絶対数は少ないのでは?多くの人が登録だけして(やむなくも)副業で生活?それこそ生活保護システムなので、現実的にはポストの数を絞らざるを得ず、それでは結局これまでと状況さほど変わらないのでは? 研究者トラック=博士救済システム以外の部分のデザインはどうなっているのでしょう?研究以外のトラックはいっそ、博士ドロップアウト組のみ入れる、くらいにしておかないと回らない(キャリアチェンジする先のポストの数が確保できない)のではないでしょうか?
> これが今そしてこれからの日本の社会でどれだけ貴重で贅沢なものかという認識が足りないのではないでしょうか?
今、日本にいらっしゃらないということでご存知ないのかもしれませんが、日本では最近、改正労働法というのが施行されました。5年間一カ所で働きますと本人が希望すれば無期雇用になる、という法律です。つまり、日本の社会では研究者でなくても、同様な扱いになるという法律です(無期雇用でも正社員よりは若干劣りますが、それはこの提案の仕組みでも同様です)。この法律の主旨に則って、この案を検討したということですので、これが特に「贅沢」ということはないように思います。
22万円ということで提案させていただいています基本給が高すぎるということがもしあれば、そこを調整して下げる、ということでも問題ないように思います。
> PI以外の研究者が安定した身分で研究を続けることが必要であれば、現制度で大学や研究機関がそういうポストを設けて適任者を雇用すれば済む
これにつきましては、改正労働法の下で、無期雇用のリスクを背負いきれないと考えた複数の大学が、5年で雇い止めを行うルールを作ってしまっていることを考慮すると実際的にはかなりきびしいと思われます。また、一大学の規模は小さいですので、終身雇用になってしまうと、その研究者がそこでスタックしてしまった場合に、その人にあった場を見つけることが困難です。つまり、ご指摘されていたような特定の研究者が「不良債権」化してしまうリスクがより高くなります。国立大学や国立の研究機関での人件費も結局税金から出ていますので、国全体のマネジメントとしては、中央で雇用したほうがそのようなリスクを回避できる可能性が高くなると思います。つまり、納税者の利益の観点からも中央雇用のメリットは大きいはずです。
日本の財政に関しては、現在よりも厳しくなればアドオン(ないしは基本給)を減らすということにより調節が可能でしょう。このシステムにはリスクを多くの研究者で負担するリスクシェアリング、という意味もあります(現在の仕組みでは、主に非常勤の方々がリスクをかぶってしまいます)。
外国で研究をされてきた日本人の方々がうらやましいと思われるのはもっともなお話で、むしろそういうことを目的としている部分もあります。このシステムが実現しますと、外国で研究をされてきた日本人の方々が帰国しやすくなりますし、同時に、今、日本で研究している人々が外国に武者修行にいくという気持ちも生じやすくなるはずです。どちらも、日本の研究力を強める上では大きなプラスに働くと思います。
「リスクを政府や納税者に押し付け」るということは、研究者Bさんがご危惧されているようにもちろん好ましくないし、してはいけないことだと思います。ここでの議論の焦点は、そういうことをするか否かではなく、政府や納税者にとって、このシステムを導入したほうが得か、そうでないほうが得か、ということにしたほうがよいでしょう。おそらく得であろう、というのが自分の意見であり、アンケートにおこたえいただいている大半の方々の印象かと思います。
>あと、提案のシステムでは、「一生保証」といはいえ、日本の一般企業の正
>社員や公務員に与えられている保障かそれ以下の保障でしかないです。
これが今そしてこれからの日本の社会でどれだけ貴重で贅沢なものかと
いう認識が足りないのではないでしょうか?博士号までとった研究者はこ
れくらいしてもらって当たり前という認識がすでに一般国民と乖離している
と思いますし、だからこそこのような生活保護的発想が可能なのだと思い
ました。
私は日本に居ないので、このような研究者のわがままが許されるほど日本
の研究者が尊敬されているのであればうらやましい限りです。昨今の研究
不正報道や日本の財政状況を見聞きしている限りそうとは信じられませんが。
ちなみにPI以外の研究者が安定した身分で研究を続けることが必要であ
れば、現制度で大学や研究機関がそういうポストを設けて適任者を雇用
すれば済むことです。当然その雇用には雇用者にはリスクが伴うので、
厳正な審査が行われるでしょう。そのために研究費や助成が必要なら
それを政府・納税者に要求するのが筋だと思います。リスクを政府や納
税者に押し付けて、美味しいところだけいただこうというのは虫が良すぎ
ますし、最悪大学院重点化・ポスドク一万人計画の二の舞になるだけだと
思います。
仰るとおりだと思います。ご提案のように派遣先として民間企業も含めることができれば、民間企業は低いリスクで博士に働いてもらうことができますし、良ければそのまま正社員にする、ということもありうるのではないでしょうか。民間企業の方が、この案についてどう思われるかお聞きしてみたいですね。
国レベルで、「研究者に最低限の保証を与えないこと」のリスクを考える必要があると思います。科学技術研究のほとんどは、直接的には極々一部の成功が巨大な利益を産みますので、全く役にたつことのない基礎研究や、一生(社会的な貢献という意味では)不成功におわる研究者の存在はトータルで折り込み済みである、という考え方をしないといけないのではないでしょうか。この種のリスクは研究が基礎的であればあるほど、一企業や一機関では負えなるので、公的な場で基礎研究がなされるわけです。「研究者に最低限の保証を与えないこと」によって、適性のある人材が研究の世界に入らず、その分社会が失うであろう利益のことを考えることが重要かと思います。そのような意味からもこのような仕組みを提案させていただいています。
利害関係、という意味では、「テニュア」研究者を派遣する派遣元の機関が利害関係を持ち、ある意味での責任を負うような仕組みになると思います。この提案のシステムでは、どれだけの研究者が活躍していて、どれだけの研究者が今ひとつなのか、ということが数値的に一元的に管理できます。各研究者にアドオンがどれくらいついているのか、がその端的な指標になりますので。アドオンが全くつかないような研究者の数は数値として透明に見えますので、そのような人があまりにも多くなりすぎれば、入り口を絞る、などのハードルを上げる対策を容易にとることができるようになるでしょう。
> リスクを負わないで強い権利を与えられるということになると、どこで品質管理が行われるのか極めて不安です。
この提案の仕組みで与えられる権利(月額22万円程度の基本給プラス各種保険など)は、「強い権利」ではなく基本的人権が保証される権利プラスα程度のものです。博士課程を終了するまで奨学金をもらうと借金が1000万円くらいにもなってしまい、その間の年限、普通に就職すればもらえたはずの給与ももらえないわけですが、それを考えると、全く「強い権利」とはいえないのではないでしょうか。もし万が一それが強すぎる、ということであれば、基本給をそれより低い額に設定する、ということがありうると思います(それでも最低時給は、フルタイムで働いた額に相当する12万円以上ではあるべきでしょう)。
あと、Kurodaさんもご提案されているように、派遣先に民間企業も加えることができれば、民間企業は低いリスクで博士に働いてもらうことができるので、需要がない、というのは考えにくく、それほど高いリスクはないと思います。
受け入れ機関にとって、
「必要なくなったら簡単に出て行ってもらえますので、リスクを負う必要もありません」
というのはむしろこの仕組みの大きなメリットで、これによって博士の流動性が高くなり、貴重な人材が活用されることに繋がると思います。
米国のポスドク・システムを日本に導入してしまったことによる大きな問題の一つには、病気(こころの病も含む)やケガなどでしばらく働けなくなるなどして、一旦、空白期間ができてしまった人が、日本では再就職しにくい、ということがあります。こういったリスクは個人が負ってもらうのはよろしくないと思います。個人がリスクを過大視して、適性が高いのにその道に進まなくなるからです。国や社会が負担することにより、全体のアウトプットが増えることになると思います。
> テニュア付与側のリスクが極めて低いこのような制度では「不良債権」発生率が高くなることも十分考えられます。
米国で、テニュア付与をして「不良債権」化してしまうのは、何らかの原因でその場がその人の適性に向いていない場であるからである、という可能性が大きいのではないでしょうか。この仕組みですと、向いているであろう職場やトラックに比較的容易に異動ができるので、従来型の制度に比べて「不良債権」化してしまう可能性は低いように思います。少なくとも博士号を取得し、数年間かけた実績の審査を通ったレベル人なわけですので、どこかに向いている場があるはずだ、と考えたほうがよいでしょう。
繰り返しになりますが、病気(こころの病も含む)やケガについては誰にでも起こりうる仕方のないものですので、そのリスクは社会が負うべきものだと思います。
あと、提案のシステムでは、「一生保証」といはいえ、日本の一般企業の正社員や公務員に与えられている保障かそれ以下の保障でしかないです。解雇事由に書かれているようなことをすれば解雇されてしまいますし、アドオンが得られないと学部卒の初任給くらいの報酬になってしまいます。日本では米国と異なり、現在でも、昔ほどではないにせよ企業の正社員や公務員には手厚い保障がなされており、学部(または修士)卒で、そちらを選択するというオプションがあります。このため、日本で、研究者に限ってそのような保障が得られないというのは研究者社会以外とのバランスがよろしくなく、適性のある人材が研究者業界に入らなくなるという問題があるかと思います。
米国では、研究業界の外も似たようなものなので問題なく成り立つわけで、それを直輸入してしまったのが問題だったということになるかと思います。
「テニュア」つまり終身雇用は、労働者にとって非常に魅力的なもので、かつ雇用者にとっては極めてリスキーな雇用形態です。そもそも終身雇用自体が一般的でない米国では、大学はそれはそれは厳しく慎重にテニュア審査を行います。なぜなら審査のハードルの高さは自らの生存と繁栄に直接関わってくるからです。例えば中堅校がハーバード並みにハードルを高くしても生産的ではないし、かといってあまりハードルを低くしたら自らの首を絞めることになります。
この提案で一番問題だと思うのは、審査を行う機関にとって、「テニュア」を授与する研究者との利害関係が希薄だということです。このシステムでいったん「テニュア」を得た研究者は、それこそ移動は自由で職がなくても国が斡旋までしてくれるようです。テニュアを与える側が、その研究者がその時に属する研究機関であろうと、国のお役所であろうと、必要なくなったら簡単に出て行ってもらえますので、リスクを負う必要もありません。リスクを負わないで強い権利を与えられるということになると、どこで品質管理が行われるのか極めて不安です。
「必要な総予算は増えない」というのもこのレベルのアイデア段階ではかなり懐疑的に扱わざるを得ません。米国式の厳しいテニュア制度でも一定数の「不良債権」は発生します。テニュア付与側のリスクが極めて低いこのような制度では「不良債権」発生率が高くなることも十分考えられます。しかも一生保証ですので、制度変更したとしてもその影響は長期にわたります。
素晴らしい提案ありがとうございます。
日本のサイエンスを長期的に考えて「優秀な若者が入って来ない」という現状は大変憂うべき事です。その大きな原因の一つが若手研究者への社会的待遇の悪さである事は間違いありません。またサイエンスの原動力であるポスドクの生活基盤が崩れているのを放置していては、日本のサイエンスは衰退の一途です。
この提案は若手研究者の基礎的な収入の安定に加えて、評価に応じてより多くの収入を得る事も可能であるという点が画期的だと思います。個人的に評価したいのは、NIHのスタッフサイエンティストのような「PIではないけれど経験豊富な研究者」の存在を可能にする点です。このような研究者の存在は、中長期的な日本のサイエンスの向上には不可欠だと思います。
また博士号取得者が民間企業に入るというキャリアパスが、欧米に比べて日本では非常に少ない事を私は問題視しています。将来的な話にはなると思いますが、アドオンの収入先としてあるいは4つめのトラックとして民間企業も含めて議論していけると、民間とアカデミア間の人材のダイナミックな交流が起こるきっかけになるかもしれないと思いました。
大きな変化を伴う改革案ですが、ぜひ何らかのアクションに繋げていきたいですね。
今でもほとんどの博士号取得者は何らかの形で雇用されているということがあります。報酬的にはこの案で示されている基本給よりは高い額です。その中で非常勤であったり任期があったりして雇用が不安定な人の割合が多いだけ、ということになるかと思います。この仕組みで、民間の企業などに派遣してもいいでしょう(人件費相当分を企業が派遣元機関に支払う)。つまり、ここで提案されている方式を導入しても国の総支出額はそれほどかわりません。
また、この仕組みは、普通の企業の正社員や公務員と同様なレベルでの保証を、何年もかけて博士の学位を取得し、さらに一定期間の実績の評価による審査を経た人に与えましょう、という一般の基準からいえばかなり厳しいものですので(少なくとも改正労働法が想定している5年以上の働きだけで無期雇用になるというレベル以上の厳しさです)、納税者の方々が反対するようなものでもそもそもないと思います。これで、「研究者にとっては夢のような制度」と多くの研究者が考えるのであれば、一般の方々は、研究者というのはなんと謙虚な人たちなのだろう、と思われるのではないでしょうか。
必要な総予算は増えない一方で、山形さんもご指摘のようにハイリスク・ハイリターン研究に挑みやすくなります。また逆に地味な研究であり、ハイインパクトジャーナルに出るようなものではないが、地元の産業に貢献するような研究もしやすくなるでしょう。既にアンケートに出ているように、総予算を増やさなくてもこの仕組みの導入によって日本の研究全体のアウトプットが増える、と考えている人が大半を占めています。もしそれが可能であるということであれば、納税者の方々からのご理解が得られないはずはないように思います。
今のところ日本では直接経費はポスドクの人件費には使えますが、独立した研究者の人件費は使えないことになっているのでは、と思います。一方、間接経費は機関の裁量の下でかなり自由に使えるようになっており、(機関内のルールによりますが)独立研究者の人件費も含めて様々なタイプの人の人件費に使えるようになっているはずです。この提案の仕組みの中で間接経費・直接経費をどう使うか、についてはそのような仕組みを導入する際に、別途、専門家が検討するのがよいのではないでしょうか。
確かに「テニュア」を「生活保護」と捉えるか、「仮採用の評価」と捉えるか、あるいは「リスクを取るための権利」と捉えるか、というのは大切であると思います。これも、研究機関の性格によるのだと思います。日本のテニュア制の議論の中では、「生活保護」「仮採用の評価」という側面が強調されているような印象を受けます。
一方で「リスクを取るための権利」、つまり身分が保障されることにより、リスクの高い研究に挑むことができるというような側面が、ほとんど議論になっていないのです。これは、イノベーティブな科学研究推進には重要な観点だと思うのですが、日本の場合、一度ポストに就いた研究者の場合、「身分保障」というのをテニュアなどなくても実感している人が多いので、そういうことになってしまうのでしょうか。
「テニュア」というより、国が博士号取得者のうち選ばれた者に与える「生活保護」といったほうが正確なような気がします。しかも普通の生活保護よりも非常に厚遇で、一生保証され、敷居も高くない、まさに研究者にとっては夢のような制度です。そのような制度を有権者・納税者が認めてくれるほど、研究者の社会的貢献に対する評価があるか、そもそも財政的に成り立つのか、ははなはだ疑問ですが。
本題からは外れますが、米国制度をずっと経験しているものとして「間接経費」から自分の給与を出すというのが、どうも引っかかるのですが、日本の「間接経費」とはどういう定義なのでしょうか?米国ではポスドクはもちろんPIの人件費も直接経費として計算されます。間接経費は研究をサポートするための経費(事務スタッフの人件費も含む)であって、研究に直接携わるスタッフを雇うための経費ではありません。
考慮しなくてはいけないこととして、それぞれの研究機関の違いというのも大きいと思います。例えば、理研、旧帝大、地方の国立大学、大規模私立大学、小規模私立大学など、それぞれ違う。これは、日本の社会の中で形成されてしまった格差や特性というのが、非常に大きいので、これらは同じように扱うべきでなく、多様性があってもよいのではないでしょうか。
地方の国公立大学ですと、現在でも、助教を公募なしでリクルートして、そういう人達を同じ大学で、出世させていくというようなキャリア形成が広くみられます。私は内部昇進があってもよいのだと思いますが、「助教を公募なしでリクルート」するというやり方は完全に止めて、ここに完全なテニュア制を導入するべきだと思います。「助教を公募なしでリクルート」した人を、年功序列で、最後に出来レースの公募で「教授」にしてしまうなどというのは、卑怯で滑稽なやり方であると、私は思います。
一方、東大のような大学ですと、例えば「教授はテニュアだが、准教授はテニュアでない」という厳しい条件を設けることも可能だと思います。ハーバード大学の場合、Assistant Professor, Associate Professor(准教授)は、テニュアではありません。
私立大学などは、「テニュア」を出すということを条件にして、より優秀な研究者をリクルートすることができるようになるかもしれません。例えば、京大ではテニュアは取れないが、藤田保健衛生大学ではテニュアが取れるからということで、優秀な研究者を地方の小規模私立大学にリクルートしやすくなるというようなことというのは、研究機関同士を切磋琢磨させていく上で望ましいと思います。
こういう形で、全国の研究機関のそれぞれが特徴あるテニュア制を設置することで、国内の人事のあり方が安定、最適になるように、設計していくことが望まれます。その際、大切なことは、公平性の視点から、人事などのシステムの透明性を高めていく、研究者リクルートに関わる人達の倫理観とコンプライアンスを高めることが大切なのは、言うまでもありません。テニュア審査も裏でこそこそやって、パワハラのツールとして研究者を虐めたり、ディスカレッジするようなことは、行われるべきではないでしょう。
賛同します。
国内のネットワークにコネクションが弱い研究者、つまり講座制のような文化で面倒を見られない研究者というのは、いろいろな形があります。例えば、外国人や海外の大学院を卒業した日本人研究者、大学院からポスドクになる時点で「分野」を変えたような研究者、大学院時代の教授が退官したり、死去したために、そういう人がいなくなってしまった研究者、あるいは本来面倒を見るべき教授が極端にそういう行為を嫌うというケースが考えられます。
外国人や海外の学校を卒業した人は、これからのグローバル化時代には大切な人材です。分野を変えているような研究者の存在は、発想の多様性を増やしたり学際的な研究を推進する意味で大きな意味があります。そして研究者のキャリア上で本人に起因する理由でないのに、単に運、不運で不利になるというケースは、やはり変であると思います。こういう研究者が、テニュア審査が不利になったりするのは、やはり公平性の面から、重大な問題があると思います。
指導教官がその後の面倒も見る、という慣習は以前は日本では普通であって、むしろそうであるべき、という考えがあったと思います。これは「講座制」に特有の性質ではなく、そうではないところ(例えば自分の在籍していた心理学)もそうでした。指導教官が自分で就職の面倒を見きれないだろうという学生はそもそも大学院にいれない、というモラルがあったのではないでしょうか。そのようなモラルは学生の適性を真剣に見定めることや、数的に多くいれすぎない、という自制ある行動に繋がります。それがシステムとして全体にあれば、それはそれで一つのあり方であり、ある意味フェアな世界だったのだと思います(博士号をもっていれば多くの人が常勤職につける、という意味で)。
現在は、そのような日本でかつて普通であったモラルと、欧米の「フェア」な競争的な仕組みの一部が混在してしまっているがために、公平性がとても弱い仕組みになってしまっている、と感じます。
「指導教官がその後の面倒も見る」という時代には戻れないし、戻るべきでもないでしょう。ということで、「余程のことがない限りテニュアが取得可能」な仕組みを導入するのがよろしいのではないかと思います。
基本給の案は図1のした方に記載してあります(図をクリックすると大きくなります)。これはあくまでも案であり、もっと高いほうがよい、あるいは少ないほうがよい、というご意見もあるかと思いますので、そのあたり議論いただければ有難いです。
何人くらいが適当か、については、ある程度専門的な調査が必要だと思います。ポスドク1万人計画はそのような調査を十分にせず実行してしまったわけで、その経験を活かすべきでしょう。
ということで、自分がそのような数値を出すのはあまりよろしくないようには思いますが、ざっくりした印象として、現在、出している博士号の数は(分野にもよりますが生命科学ですと)半分くらいにするのがちょうどよいのではないか、と感じます。
基本給はいくらで、全体として何人くらいが適当とお考えですか?
日本の研究者コミュニティの場合、「講座制」の発想や文化というのが、学校教育法の改正以降も強く残っています。例えば、講座の教授が、大学院生、ポスドク、助教だった人のキャリア形成の面倒をみる。あるいは、他所の知り合いのラボに頼んで、同様なことをやってもらうというような慣行、発想です。こういう状態ですと、テニュア審査を導入しても、「個人」を審査するのではなく、被審査者のコネクションみたいなもの、例えば「どのラボ出身であるか」「他人の研究した論文の著者におまけのように名前を載せてもらえるか。」といった研究力の評価とは違った2次的な部分ばかりが強調されて審査されるということになりがちです(これは現在の研究費審査でも同様な部分がある)。その結果、結局、有利なのは、国内に大きなネットワークがある有力ラボの出身者ばかりということになってしまう。これでは、現状と全く変化がないと思われます。
米国などですと、テニュア審査にあたっては、昔のボスとの共著論文はカウントされないなど、個人の能力を審査するということが徹底されています。
私は、もし日本に厳しい審査基準のあるテニュア制を広めようとするなら、この「講座制」の発想や文化というものを国内の研究者コミュニティから徹底的に排除するというような取り決めをしないと、研究者全員にとって公平なものにならないのではないか、と思います。フェアであるか、どうかというのは、どんな制度を作る場合でも、基本です。
というわけで、講座制の発想や文化が排除できない現状においては、「余程のことがない限りテニュアが取得可能」という部分には賛成します。
ご指摘のようにテニュア審査の厳しさをどの程度にするかは重要かと思います。バランスの最適値のようなものがあるはずで、そこをうまく探すようなマネジメントが必要なのではないでしょうか。そのあたりは、「科学政策のための科学」のようなものが必要なのかもしれません。
>非常に厳しくすれば、現状でも職が見つかり、しかもPIになれる人しかテニュアをとれないので、意味がありません。
まず、そこまで厳しくしないほうが良いと思います。博士の方々にも、向き不向きがあってPIになるだけが博士の仕事ではないからです。例えば、高度な特殊技術や手技・知識を持っているが、PIのようなことは向いていないし、したくもない、という人もいるでしょうので。
> 甘くすれば、大学・研究所などでは受け入れられない研究費配分機関付きのテニュア人員がたくさん出てきます。
そう簡単には機関に受け入れられなさそうな人でも、基本給(それほど高くはない)しか出さなくてよい、しかもその研究室・機関に合わない場合は、出て行ってもらいやすい、ということであれば、たいていは受け入れられるのではないでしょうか。あちこち動くうちにその方にあった場所がみつかるのでは、と思います。それでも見つからない場合は、派遣元機関が受け入れられるような教育・訓練を再度行う、というようなことがあっても良いかもしれません。
>特に、年齢が上がった時が問題です。技術員、事務員等で雇用するには、使いづらいので好まれないでしょう。
この仕組みの場合、年齢が上がると、技術員、事務員等で雇用するには使いづらい、ということは必ずしもないと思います。確かに自分の経験でも、常勤で終身雇用の技術員さんにはご指摘のようなことが当てはまることがありました。これは、仕事をしてもしなくても、待遇が全くかわらない、待遇は単に年功序列で決まってしまう、というシステムの問題だと思います。この提案による仕組みの場合、アドオンは派遣先のPIや機関が決めることができますので、そういうことはかなり避けられるのではないかと思います。
テニュア審査の厳しさ次第だと思います。非常に厳しくすれば、現状でも職が見つかり、しかもPIになれる人しかテニュアをとれないので、意味がありません。
甘くすれば、大学・研究所などでは受け入れられない研究費配分機関付きのテニュア人員がたくさん出てきます。特に、年齢が上がった時が問題です。技術員、事務員等で雇用するには、使いづらいので好まれないでしょう。やはり、現状よりもコストは大きくなるのでは?
改正労働法で、一機関での雇用が5年をこえると、そこで無期雇用にしないといけなくなってしまった、ということがあります。そこで、審査をパスできなかった際には、別の機関に異動して再チャレンジ、という案を考えてみました。この点さえクリアできれば別の方法でも問題ないと思います(例えば、機関が(審査には合格しなかったが)無期雇用に転換しても良いと判断した場合は、その期間で審査を続けてもよいのかもしれません)。
3回の上限を入れているのは、さすがに3回も不合格であったとすると、適性を考えて他の道に移ったほうがよいのでは、という考えです。審査に合格することの基準はそれほど高く設定しないという案なので。
総論賛成です。
テニュア取得審査が三振法を取っているのはなぜなのでしょうか。