【帰ってきた】ガチ議論
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研究は、結局、最後は人である

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質問1 – 現在の日本のサイエンスにおける問題は何だと思いますか。
日本のサイエンスと言ってもよく分かりませんが、平均的な研究者の一人としては、問題はキャリアパスが崩壊していることではないかと思います。それが研究自体にも大きな影響を与えています。キャリアパスとは、それを職業として自分や家族が安定した生活を送る未来が描けるかどうかということですが、それが非常に厳しくなっています。私は自分の子供には研究者を職業として勧められません。

学問としての自然科学において、発想の自由さ、多様性は本質的に重要です。複数の著名な生物学者と潤沢な資金を誇る某機関を巻き込んだ昨年の騒動の後に大村智さんが今年の医学生理学賞を受賞されたことも、私の目には象徴的に映ります。何が本質的に大切であり守らなければならないことであるかを、改めて指し示していると思うからです。

結局、最後は人です。人に投資すべきなのに、それを減らして消耗品を買わせているのが現状だと思います。間違っています。

質問2 – その原因は何だと思いますか。
競争させるべきではない局面(≒本来運営交付金とすべきところ)まで競争させるようになったことではないかと思います。

なぜそうなったかと言うと、ビジョンが無かったからです。何でもかんでも競争させておけばいいというのは、ビジョンでも何でもなく、国の科学研究施策を考える立場の人間としては責任の放棄です。

研究には自由な発想と自由な資金が必要です。しかも、その資金は特に若手にはそんなに多く額の資金は必要ありません。現状は、若手に限らず自由な発想と言うより如何に短期に確実に論文に出来るか、目立つか、という方向に流れているように思います。多くの研究者にとって、なかなか学問と向き合って悠長にやってる時間はなくなって来ています。

なぜそうなるかと言うと、それが評価されるからです。即ち、問題の本質は評価法に行き着きます。

様々な研究領域があり、様々なアプローチがあり、様々な研究者が居る、その多様性の全てをサポートすることは出来ませんが、ある程度のバランスが必要なんだと思います。今はそれが極端に偏っていて、その弊害が論文数という形で誰の目にも明らかに生産性に反映されるまで深刻化してしまった、ということだと思います。

質問3 – 改善するためには、まず誰が・何をするべきだと思いますか。
私の理想に近い形は、ポストは終身個人に与えられて、条件が合えばそれをどこにでも持って行けるというフランスのシステムに似たものです。終身雇用と人材の固着は、実は切り離すことができます。終身雇用への転換に伴う財源に関する批判に対して、現状でも出処が違うだけで支払われているという指摘もあります。また、「安定性と競争性を担保する日本版テニュアトラック制度」では、最低限の給与を公的機関(国)が保証し、自ら獲得した研究費の間接経費からも加算する方法が提案されています。これは現在の仕組みを変えて行く具体的な方法の一つであると思いますが、私自身は公的機関の研究職は国家公務員資格と同等なものとして扱う仕組みがあればいいと思っています。

また、現在科研費の採択率は25%前後だと思いますが、本来優劣などつけられない研究に順位をつけるなど思い上がりも甚だしいといつも思っています。一定の基準を満たしていれば全て採択し、SとかAとか一部に集中する予算を減らすのが良いです(バランスですが)。研究費の持続性については、これまでにも提案されているような評価によってゆるやかに額が変動する安定した基盤的研究費は良いアイデアだと思います。

しかし、そんな考えは、現状発言力を持ち予算を取っている一部の人たちからすれば都合がよろしいはずがありません。では、誰が?

昨年の騒動で、日本分子生物学会は規模も大きく領域も近かったこともあり、積極的な役割を果たせたと思います。前会長の功績です。他に中立的な立場で科学政策に対する意見が言えそうだと思った日本学術会議は、全く役立たずでした。今後、日本の科学研究施策を少しでも研究者のアイデアの多様性を確保するという方向に動かすために、大多数の研究者の声を文科省の役人に分からせる仕組みが必要だと思います。現在発言力を持つ人たちではなく大多数の研究者の声を反映させること、が肝要です。分生のような組織が母体になって日本研究者会議のようなものが役人を教育する、という感じになって欲しいです。教授だけではなく、准教授、講師、助教がそれぞれの比率に応じた発言権を持つような組織です。

今は国の無計画なポストドク施策のために需要と供給のバランスが狂っていますが、本来なら民間を含めポストの数に応じた学生を育てるか、或いは学生の数に応じたキャリアパスを責任をもって用意すべきでした。そういう責任を直接的に負っていたのは誰かと言うと、国ということになるのでしょうか。しかし、数年ごとに交代する事務次官や政治家では、学問にとって何が大事なことなのか理解出来ない、そういう何も分からない人たちを相手にしているということを深く考えるべきかと。

国立大学准教授(任期制のため匿名希望)

*アンケートの回答をガチ議論トピック用にご本人に改訂していただいたものです。
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“研究は、結局、最後は人である” への10件のフィードバック

  1. 匿名准教授 より:

    ・研究費について:大村さんが国から受けた科研費はKAKENデータベースで見ることが出来ます。また、(若手に限らず)そんなに大きな予算は必要ないと私がコメントしたのは、私自身のこともありますが、白川英樹さんのインタビュー記事で見たことも印象に残っています(毎日、特集ワイド:筑波大名誉教授・白川英樹さんの憂い)。

    ・匿名の件:国立大の准教授が顕名で意見を言えない程に現在の雇用制度が破綻している、と受け止めて頂ければと思います。任期制は単にハラスメントの温床にしかなっていないのではないかと思いますが、その多くの例の中の一つです。この制度を作った人の罪は本当に重いです。

    ・学位審査:各大学の審査基準は変えられないので、学位取得後、客観的に評価する仕組みがあればいいのかなと思います(研究職国家公務員試験)。極端な話、”某”早稲田の”某”先進理工のような所の学位であっても客観的に能力があると判断されればOKでしょうし、教員が書いた一流雑誌の論文で学位をもらったような人がナニコレってなることもあるでしょう。

  2. 匿名 より:

    反省すべきなのはシステムを悪用している人たちで、大多数の苦しめられている研究者ではないでしょう。

    国民の理解が得られないのではというのも杞憂だと思います。市民講座などから肌で感じる実感です。むしろ、文科省、或いは財務相かもしれません、役人の常識が狂っているのを正す必要があるんだと思います。有形無形の技術の継承に一番大事なのは人だということは、学問に限らず普遍的に共有される価値観だと思います。

    日本の学位の信頼性をどう担保するかは、学位を取得した後の実績を評価する仕組みなどが必要でしょうが、基本は人であるというシンプルなメッセージが、それを実現するにはどうしなければならないかという発想につながっていくような気がします。それが私がビジョンと言っていることの意味です。

    研究者にも大きな責任があると言う役人のレトリックに騙されてはいけません。研究者を派遣に貶める前に、財務省役人を派遣にするのが筋というものだった、と私は思います。顕在化している諸々の問題が、役人の判断が間違っていたことの”エビデンス”です。

  3. Cinnamon より:

    ご意見のすべてに賛成というわけではありませんが、准教授クラスですら匿名でなければこういう発言ができないという現実がそのまま日本のアカデミアの問題ということではないでしょうか。

  4. tsuyomiyakawa より:

    「絞る」基準は、
    自分で情報収集しアイデアを思いつくことができる、計画をたて遂行することができる、計画・結果などを人にうまく伝えることができる(プレゼン)、論文を英語で書くことができる、
    など本来博士が満たすべきものを満たしていればOKという絞り方でよいのではないでしょうか(意外にこれらは容易ではない)。
    このような基準をしっかり満たすことができる人、というだけで現実的には相当減ってくると思います。

  5. 岩海苔昆布 より:

    水や生態系を守って海の恵みを得るのが持続可能なやり方だと思うんですが、今のやり方は生簀の魚にドバドバ配合飼料与えている印象です。最近高値で出荷されてるのはかなり成長してから生簀に入れられた魚じゃなかろうか…

  6. 田口善弘 より:

    おっしゃる通りなのですが「入り口・出口を絞る」のは「広く薄く予算を配る」というのと方針が拮抗するのですよね。誰がいい研究するかわからないから、博士の入り口や出口をあまりきびしく絞るべきじゃないという意見もあるのでは。予算は広く薄く、人材は精選してとなると整合性が問われてしまうところですね。難しいです。

  7. tsuyomiyakawa より:

    ガチ議論本番では、分生、生化学会の両会長もご参加されるので、そのあたりはぜひ議論してみたいところです。あと、今月末に、(骨抜きになっているという評判の)「卓越研究員」の案を出された中心的な方である東大・五神総長にガチ議論スタッフでインタビューすることができることになりましたので、本音の部分を聞き出してきたいです。

  8. PD1000 より:

    ポスドクや任期制は研究者側も賛成して美味しく利用したという反省がないのがこういう論のいつもの問題点ではないでしょうか。責任転嫁するばかりでは改善は望めません。

  9. tsuyomiyakawa より:

    そう言われないためには、入り口(博士課程への進学、博士号取得)の部分は、今よりも厳しい基準にする(というか、従来なみの厳しさにする)ことが必要なように思います。今は、基準が概してゆるすぎで、現在の基準であればそのように言われても仕方のない部分もあるのではないでしょうか。

  10. 田口善弘 より:

    まったくもってごもっとも、と言うしかない。問題は「一般国民の皆さん」がこういうのを読まれてもきっと「いまは40%が非正規なんだ、甘えるな」とか「好きなことやってる『だけ』のくせに評価もされたくない、終身雇用が欲しいなどふざけるな」と言われてしまいそうなことかな。

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