【帰ってきた】ガチ議論
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学会なんかいらない!

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実は、最近学会に関して強く思う事が有ります。たくさんあり過ぎなのじゃないか?と。しかも、
分子生物学会と生化学会をはじめとして、内容の重複が激しい。共同開催をするくらいなら、
いっそ合併して、減らしてしまったらよいのに。

そもそも、学会の枠組み自体が、昔と今ではちがいます。30年前くらい昔は、ずっとシンプル
でした。例えば、動物の形態に関心があれば、発生学会に入っていればよかった。もうひとつく
らい加えるなら、動物学会でいろいろな生物を見る、とか。学会の名称は、おおざっぱの興味の
対象を表現しているだけなので、どんな人でも入ってこれそうです。実にシンプル。

しかし、最近は様様な切り口で、もっと専門的な学会が作られています。例えば、同じ動物を使
う人が集まって、モデル実験動物ごとに学会が作られます。さらに、同じ実験技術をつかう研究
者、開発する研究者が集う学会。さらに、「生命をシステムとして理解する」とか、「生命を作
る」という思想で研究者がまとまって学会ができています。研究は1種類でも切り口は無数にあ
り、それごとに学会を組織することが可能で、実際にそうなりつつあります。いろんな学会に行っ
て、結局同じメンバーでつるんでばかり、とか有りませんか?

そもそも、本当にそれらは全部必要なんでしょうか?
今は、ITの進化で、研究者同士がコミュニケーションを取る方法はたくさんあります。海外の
研究者と直接コンタクトすることは、以前よりもはるかに簡単になったし、海外の学会に行く資
金的なハードルも低くなっています。単に情報交換のため、と言うよりも、研究者仲間の「社交」
をしにいっているだけなんじゃ?例えば、そこには自分が近未来にサブミットする論文や、グラ
ント申請書のレフェリーになる研究者がいる可能性が高いので、研究の宣伝をできるだけしてお
きたい、とか。

「無いよりは有った方が良い?」という意見もあるかもしれません。
いえいえ、そんなことないです。デメリットたくさんあります。
だいたい、しょっちゅう学会に行きまくってたら、疲れてしまうというか、研究している暇が無
くなります。研究に取って最大のリソースは「考える時間・実験する時間」です。情報交換は確
かに必要ですが、独創的なアイデアは孤独な思考からしか生まれないんじゃないでしょうか?
それに、開催する手間だって費用だって大変だ。分子生物学会くらいになると、会場にWi-Fiの
ネット環境を整備するだけで1000万とかかかったりします。会員が5000人参加し、参加
費、旅費、宿泊費で平均5万円かかるとすると(多分、そのかなりが研究費=税金です)2億5
千万かかります。それだけのメリットがあるのか?さらに、主催する関係者の労力と時間も計り
知れない。たいていは、その分野のリーダー的な研究者がやることになりますが、研究にマイナ
スであることは間違いありません。その上、学会組織が「法人格」を持つことが必要になってき
ているため、規約等の整備などの「組織を維持するための事務」も半端じゃありません。

以上を考えると、(過剰な)学会の存在は、日本の科学の進歩に関してマイナスであるように思
われます。会員が減って困っている学会、演題が集まらないのでぎりぎりまで演題募集をする学
会、しょっちゅう年会の共同開催をする学会、そういう学会は、速やかに解散するか、他との合
併を図るのが、関係者諸氏にとって一番良いのではと考えます。
(じゃあ、分子生物学会はどうなんだって?う~ん、、、、、)

2013年、分子生物学会年会長 近藤滋

(この意見は筆者が所属する組織の意見を反映しているものではありません)

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“学会なんかいらない!” への34件のフィードバック

  1. Isato Araki より:

    弱小地方大学の弱小ラボの立場からも、コメントさせて下さい。これまで議論されてきたことに加えて、最近の学会が抱える問題点(特に弱小ラボにとっての)を1つ指摘させて下さい。それは、面白いunpublished dataを公表しにくくなったという点です。本当は、そういうデータを発表して問題点や展望について多くの人と議論したいのですが、下手に発表するとBig Labのポスドクなどに、研究をかっさわれてしまいそうで、発表できません(もちろんそういう人たちは厳しい生存競争に晒されているので、それも責められません)。そんなの、さっさと仕事を進めて論文にしろと言われそうですが、予算や設備が限られている弱小地方大学の弱小ラボでは、そうもいかないのです。私が、学会に参加しだした昭和末期から平成にかけての頃は、こんなことは無かったと思うのですが。そういう点で、最近、発生学会で若手の人たちがclosedなmeetingを開催しているのは、「表の学会」の欠点を補うという点で良いことだと思っています。そういう「裏のmeeting」が分生でも出来ると良いのですが。

    あと私は年に数回、学会で勤務地を離れることが出来るのは、降りかかってくる雑用を一切シャットアウト出来るという点で、良いところもあると思っています。まあ、これは弱小地方大学ならではの特殊な事情ですが。

  2. Koichi Kawakami より:

    学会の種類によって、状況はちがうと思います。私は分子生物学会に育ててもらいましたが、確かに分子生物学会はもういらないかもしれません。

  3. 同意して下さり、ありがとうございます。2013年の分子生物学会年会が、まさにプリンストン高等研究所のお茶会のような、アイディアの湧いてくる場所になるといいですね。学会をオーガナイズする側は準備に忙殺されてしまうかもしれませんが、その意義は間違いなく大きいものですので、ご活躍をお祈りしております。

    年会のホームページ、拝見しました。SNSなどを用いてインタラクティブ性を高める試み、大変興味深いです。がんばってください!

    いくつかアイディアを。(ちょっと遅かったかな??汗)

    1、学会の参加者のバッヂに、SNSプロフィールなどにアクセスできるQRコードを印刷すると、名刺交換だけよりもコミュニケーションが促進されやすいのではないかなと思います。
    2、ネット上の演題アブストラクトの下に、参加者からのコメントを書き込めるようにするといいと思います。
    3、演題のアクセスランキングを掲載する

    4、演者が自分の発表をフリースタイルで宣伝できる掲示板をジャンルごとに用意する。

    昨年も新しい試みを色々とやられているとのことでしたので、もしかすると以上のようなことは既にやられているかもしれませんが、もしそうでないようでしたら今後ぜひご検討をーー

  4. Takuya Saito より:

    ご指名いただいたのに、登場が遅れてすみません。

    科学的成果を度外視して、シンポジウム、国際会議の回数を評価基準にするような考えは役所にも無いと思います。そもそも国のプロジェクトでも選考委員は研究者ですし、研究者側でしっかりした評価基準とそれに基づく説明が出来れば、研究にプラスにならない会議で評価され、予算が決まることは無いはず。「選考にあたる科学者自身によって改善可能」だと思います。

    一方、社会への発信が足りないとはよく批判されることですので、一般向けの公開講座やwebでの情報提供は必要だと思います。ただこちらも常に研究者自身がやらないといけないとは思いません。

    これはよく言っている持論ですが、科学を所管する役所の存在意義は、限られた予算の中でいかに科学的成果を最大化し、その成果を元に社会に貢献するかだと思います。その割には、役所として何を目指したいかがあまり明確でなく、また研究者側もどのようにすれば成果が最大化するかが明確でなく、結局それぞれが相手をおもんぱかって、あまり突っ込んだ議論の無いまま、予算決定や研究が行われている気がします。お互い将来のあるべき姿に向けて、今何が出来るかという建設的な議論が必要だと思います。

    組織や学問分野を背負ったシニアな世代には、難しいことなのかもしれません。こういうネット上のやり取りが、そういう議論のきっかけになれば良いと思います。

  5. 学会が多すぎると研究者が研究者としての自由な時間がとれなくなってしまう、ということがやはり一番の問題なのだと思います。ちなみに皆さんどれぐらいの学会に属しているのでしょうか。アンケートをとってみても面白いかもしれません。僕自身は4つで、これが限界かな、という感じです。

  6. 近藤滋 より:

    >こういうのをきっかけにして、研究者がそれぞれ孤独な思考をする、こういうサイクルが重要なんじゃないですかね。

    完全に同意します。
    考えてみれば、くだらない雑用に追われて、有効なお茶会の時間もないのかも。

  7. そうですね。「孤独な思考」は大事です。でもそれだけじゃないと思いますよ。孤独な思考はイノベーションの必要条件かもしれませんが、十分条件ではないのでは。
    孤独な思考にしたって、それを支える知識のインプットが必要です。問題は、そのインプットを疑って、違う考え方をするというクリティカルシンキングが出来るかどうかです。学会があるせいで常識から外れた思考が出来なくなるような科学者は、そもそもアウトでしょう。
    >冗長性のあるFace to Faceのコミュニケーションで、フェルマー予測の証明ができるでしょうか?
    はい、そういう例があります。一番下にリンクしたムービーをごらんください(1:06:24から1:12:09まで)。リーマン予測を解明する手がかりとなる重要な発見が、プリンストン高等研究所の異分野研究者同士のお茶会から生まれたというエピソードです。こういうのをきっかけにして、研究者がそれぞれ孤独な思考をする、こういうサイクルが重要なんじゃないですかね。
    http://www.youtube.com/watch?v=Pl9UYF9qKYw

  8. Takeshi Kawashima より:

    近藤様。面識の無い私のような者のコメントに、丁寧なご返事ありがとうございます。沖縄で研究しております川島と申します。ゴードンのシステムの話が出ましたので、会議の形式についての硬直化についても私見を書きたいと思います。
    学会が「最新の情報を交換する」場としての機能は、インターネットの普及とともにほとんど消え去ったのだと思います。現代では、実際に顔を突き合わせて同じ空気を感じる事のみ可能なことに焦点をあてた会合が非常に重要になっており、だから「学会の2-3分程度の質疑」などが急速に無意味に感じられるようになったのだと思います。
    ゲノム解読後などに行うアノテーションジャンボリー(同じデータを全員でその場で眺める/解析する)や、情報系の方々の行うハッカソン(複数のプログラマーが部屋に缶詰になってプログラミングする)などの会合の形式が生み出されているのはそういう時代背景なのだと思います。一方で、多くの公的資金は「セミナー/シンポジウム」形式でないと予算を利用しにくいことが多く、こういう部分が大きな弊害です。つまり研究集会の計画の書類を書く時に「招待講演者*名、招待講演者の名前:所属:肩書き:、講演者としてふさわしい理由、参加聴衆予定*名」などという書式しか存在しない事が多く、出席者全員が講演者となるような形式の会合は書類の形式にあてはめにくいことが多いです。
    (でもこんな意見が偉い人につたわると、単に「ジャンボリー形式の会合の開催申請様式A-1」が、各機関で作られるだけのような気がして、かえって面倒になるのではないかという気もします。)

  9. 近藤さん、了解です。今日、たまたま文科省に行く用事がありますので、直接おねがいしておきます。
    他の方々のご意見にもコメントしたいのですが、今日・明日とシンポジウム参加・発表をする必要などがあり時間がとれないのが残念…

  10. 近藤滋 より:

    学会は、公的な支援等は受けていないと思いますけど。少なくとも決算書を見るかぎり、公的な機関からの収入はないと思います。だから、今年の年会は、自由にやらせてもらっています。

    ゴードンとの違いは、meetingが、「学会」という固定集団によって運営されているか、そうでないかだと思います。普通は、運営母体がないと会そのものが開けないですが、ゴードンの仕組みは、その時だけの集まりを可能にしていることです。
    現在のITの能力を使えば、同じような仕組みが作れないでしょうか?研究集会なんて、FBで連絡して集まった希望者が、どっかの会場に集めれば良いだけ。要旨の作成は自動化できるし、旅費はもともと自分(の研究費)持ち。必要なのは会場だけですか、会場を借りるのだって、昨今のイベント会場過多のご時世では、そんなにお金かかりません。

  11. 近藤滋 より:

    お山の大将というのは、自分の所属している集団への責任感ですから、そうネガティブなばかりでもないと思います。そのあたりを理解しながら、うまい方法に持っていく方法をかんがることが必要かと。

  12. 近藤滋 より:

    kawashimaさん

    >つまり根っこの問題は役所がなにを成果と捕らえるか、ではないかと思うのです。
    この辺の疑問に関しては、役所の人に直接答えてもらうのが一番です。
    斉藤さん、見ていますか?
    (宮川さん、斉藤さんに連絡をお願い)

  13. Hitoshi Sawa より:

    学会で発表するひとつの大きな目的は多くの人と議論することで今後の研究に生かすことだと思いますが、今の学会発表の2-3分の質問ではほとんど期待できません。talkの後議論しようとしてもspeakerを見つけることも難しいです。posterの方が議論はできますが、来てくれる人は限られています。 私が以前(10年前)企画した会では、セッションの後にspeaker全員にその場で(会場の壁側)poster発表をしたもらいました。もともと英語での質疑応答に不安があったので企画したのですが、ゆっくり議論できるので大変好評でした。もうひとつの学会発表の目的は宣伝なのでしょうが、日本人だけでなく、海外からの招待演者にも聞いてもらうことが非常に重要だと思います。昔はほとんどのセッションは日本語で招待演者は自分が話した後は観光に行く?などで参加しませんでしたが、今はせっかく英語化したのですから、招待したオーガナイザーは自分のtalkの後も参加してもらうようにお願いすることが重要だと思います。発生生物学会では学会に海外(特にアジア)の研究者に参加してもらい、逆に海外での学会で日本人が発表する機会を作る様々な方策を検討しています(発生生物学科宇ホームページ阿形会長のあいさつ参照)。海外からのvisibilityが上がれば学会の意味もずいぶん違ってくるでしょう。(長文すいません)

  14. Masui より:

     ゴードンを目指すなら、会に対する公的支援を断つことですよ。公的支援を受ければ、公的な説明責任があるのは当たり前です。ゴードンもプライベートな集会です。だから自由がある。近藤カンファレンスを寄付と手弁当で開催するのが正道です。

  15. Masui より:

    近藤先生のおっしゃるようなお山の大将体質があるなら、それが一番問題なんじゃないですか。日本の政治制度改革の現状をみるにつけ、仕組みで小細工しても人が同じなら大きく変わるとは思えません。

  16. Takeshi Kawashima より:

    「国際学会なんか開かなくても、研究成果が上がっていれば、評価委員は何も言いません。」=>
    シンポジウム数を増やしたいのは、もちろん評価委員レベルでは本音ではなく、評価委員のその上の上あたりが、役人に対して説明する時に「この予算に対して国際会議が100
    いくつ開催された」などと説明する必要があって、その結果がまわりまわって、会議数やニュースレター作成増加につながっているのだと思っていました。つまり根っこの問題は役所がなにを成果と捕らえるか、ではないかと思うのです。そうではなくて、選考にあたる科学者自身によって改善可能なのであれば、ぜひとも改善していただきたいですね。

  17. 近藤滋 より:

    すみません。kawashima ”さん”、が抜けておりました。m(__)m

  18. 近藤滋 より:

    Kawashimaさんのおっしゃる様に

    >しかし科学予算の評価基準の一つに、国際会議や**シンポジウム開催を年に1回以上開く等が大きな
    ウェートを占めている以上、大先生方は新しい会議をつぎつぎに開催せざるをえず、関連する若手は参加せざるをえず、
    というのは、科学者が自分で自分の首を絞めている悪弊です。
    「学会を開く」と言う事が、絶対的に価値がある、という誤解を無くすことが大事です。

    これは、大型予算の採択・評価の時に、(選考にあたる)科学者自身によって改善可能です。
    私は、個々のプロジェクトが学会を開催することは必要ないと、何度も主張しました。(1人が言っても通りませんけど)
    他にも、新学術などで「ニュースレター」を刊行する、と言うのがありますが。あらゆる意味で無駄だと思います。新学術の選考の時に「ニュースレターを出すとか言って、PD,助教クラスに無駄な仕事をさせるような領域は、落とすことにしよう」と提案したことがあります。
    選考委員のほとんどは、同意してくれましたので、ニュースレターとかは少なくともポジティブな評価を受けませんでした。
    国際学会なんか開かなくても、研究成果が上がっていれば、評価委員は何も言いません。

  19. MYAMAGATA より:

    日本の場合、権威を持たせたり、揮わせたりする場が、学会の大会の運営みたいなものになっていることが問題なのだと思います。例えば、「大会長」などとして、学会長とは別の「長」を作って、運営させる学会が多い。米国の参加人数が数万人規模になるような大きな学会の大会、例えばASCBにしてもSfN(神経科学)にしても、そういうことはやっていません。大会や学会を運営することで権威がつくなどというのが、何か滑稽にさえ感じます。これは、日本の研究者が、そういう場でしか、そういうことができないからでしょう。学会の運営などはボランティアで、もっとピュアな気持ちで参加するのが本来あるべき姿ではないでしょうか。

    日本の場合、海外に比べ、そういう権威や政治の欲望を昇華させるための、機会が少ないからなのだと思います。例えば、Professorより格が高いNamed Professorや、Named Lectureのような権威付けのための称号や機会を作る。あるいは学科長(Chair)に権限を集中させ、教授会の機能を弱体化するというような形で、そういう欲望を存分に昇華できる場所を別に作る必要があるのではないか、と思います。

    もちろん、世間離れしていて、そのような欲望がないというような方もおられるかもしれませんが。近藤さんのおっしゃるように、権威欲を持つ研究者が多いとすれば、このような「昇華」させる別の場を作ることで、学会等での権威欲を抑えてもらうということは可能だと思います。

  20. 近藤滋 より:

    まあ、それは難しいです。皆さん権威がほしいですから。何か変化球を投げないとまともに主張しても跳ね返されます。ジンクピリチオン祭りは、「権威を笑う」のが目的の一つでした。

  21. Takeshi Kawashima より:

    大型予算が増えた事で、班会議/領域会議/**会議が増えた事も、「学会が多すぎる」と感じる理由の一つだと思います。あとは人工ピラミッドがアカデミッ
    クの業界でもやはり崩れているという構造も大きいと思います。ちなみに私(アラフォーですが)の感覚では「学会なんか要らない/多すぎる」という意見は、
    数年前から私のあうヒトあうヒト皆が異口同音に言っている事で、(大変失礼でもうしわけないですが)まったく刺激的な意見などではなく、むしろ同年代では
    かなりコンセンサスの得られる意見だと思っています。しかし科学予算の評価基準の一つに、国際会議や**シンポジウム開催を年に1回以上開く等が大きな
    ウェートを占めている以上、大先生方は新しい会議をつぎつぎに開催せざるをえず、関連する若手は参加せざるをえず、そのストレス発散のために「自分が本当
    に面白いと思える企画」を手弁当で開催するので、ますます会議が増える構造は、ちょっとやそっとでは変わらないでしょう。

  22. 近藤滋 より:

    お山の大将同士が話し合っても、うまくいかないでしょう。ほら、こうすれば小さい学会を無理する労力無しに、研究集会ができるよ、という仕組みがあれば、と思います。イメージは研究者は、ゴードンカンファレンス方式なんですけどね。

  23. 近藤滋 より:

    いや、まったくそのとおりです。私は、今年の分生が終わったら、分生をやめる予定です。

  24. 近藤滋 より:

    そうでしょうか?独創の種類によって違うのでは?工業的なイノベーションに関しては、そういうところもあると思います。でも、その独創的な発想が「その分野の常識を外れている」時にはどうでしょう?私は、常識の中に埋もれると、それを外れる発想は出てこないように思います。
    冗長性のあるFace to Faceのコミュニケーションで、フェルマー予測の証明ができるでしょうか?iPSにしても、常識的には「そんなことができるはずが無い」と言うのが、おそらく当時のコンセンサスだと思います。青色発光ダイオードもそうです。常識を打ち破るには、どこかで「孤独な思考」を突き詰める必要があると思います。

  25. MYAMAGATA より:

    日本に小さな学会や領域の重なった学会が多い原因を歴史的な理由から考えてみる必要があるのではないでしょうか。多くの場合は、偉い人が偉くなる場所を作るためだったのです。今は知りませんが、D学会はK大学系とか、Z学会はT大学系とか(学閥)。A学会は医学系、B学会は理学系とか(セクショナリズム)。あるいは分野別に、ある権威を有名にするために集まったりするというような都合から生じたのです(売名)。こういう学術の本来のあり方と違うところに原因があると思われます。ですから、このような根本的な所を解決しない限り、この問題は問題であり続けると思います。

  26. Masuiさんのおっしゃるように、学会のスケールと、その存在意義は、あまり相関性は無いかもしれません。どれだけ学会員がその学会を「必要」としているか、というところが一番の問題だと思いますので。たとえばボトムアップで自然発生した生まれたての小さな学会はスケールは小さくても熱気にあふれているでしょうし、どれだけ大きな学会でも、自分の発表だけ終わったら帰ってしまう、忙しいから運営委員の会議だけ出席してとんぼ返り、という人ばかりの学会の学問上の存在意義はあまり無いような気がします。社会的な影響力は後者の方が大きかったりするかもしれませんが。

  27. Masui より:

    学会というのは学問の自由のあらわれのひとつですから、スケールで大きい学会にのみ補助を出す、小さい学会は消えていい、というのはあまり好ましくないのでは。 それよりも学会首脳部同士が公開で合併の議論をしていただけませんかね?まがりなりにも学会を名乗るのであれば、制度で動かそうとする前に自主的な議論があるべきでは?

  28. Nakajimaさんがご指摘のように、Face to Faceのコミュニケーションの意義は間違いなく大きいです。自分自身での学会で普段あったことがないような人との議論から新しいアイデアが出て研究成果につながったこともあります。ということで、これはバランスの問題ですね。現状はバランスとしては多すぎるように感じますし、Face to Faceのコミュニケーションをうまく効率的にアレンジするような仕組みを構築したいところです。その意味では分生のような大きな学会が、最近(特に2012年の大会)、電子化をどんどん進めていて、そういうコミュニケーションを促進しているのは意義が大きいと思います。

    Masuiさんのおっしゃるように「命令」は当然できませんので、スケールメリットをエンカレッジするような施策をしていただけるとよいのではないでしょうか。例えば、「学会・研究会ウィーク」はその一つの方法だと思います。あるスケール以上の学会には補助がくる、とか、「学会・研究会ウィーク」中に行うあるスケール以上の会合については会場費を補助する、とか。

  29. Masui より:

    多すぎるという危惧を持つ人がいることは理解できるのですが、といって解散しろと命令することもできません。できるとすれば自発的な不参加からでしょう。まずは近藤先生から、学会ボイコットを始めてみるのはいかがでしょうか?

  30. 学会に参加する側と、学会を主催あるいは維持する側とで、その辺の認識は結構変わるような気がします。僕自身の経験ですと、学会員ではないないけれども、勉強しにいこうかな、という感じで参加した学会年会が2、3回ありますが、実際問題、とても役に立ちました。ホームグラウンドの学会やでカバーできない話題はいっぱいいっぱいありますから。そういう意味では、学会や各種ミーティングはむしろたくさんありすぎた方が、勉強する立場からすれば有り難いです。でも現状は多すぎるような気はしますね。そろそろ拡大の一方でなく統廃合も考えた方が良いと思います。

  31. すみません、投稿が重複したので削除しました、、

  32. 基本的にそのとおりだと思いますが、「独創的なアイデアは孤独な思考からしか生まれないんじゃないでしょうか?」という部分だけは、NOだと思います。冗長性のあるFace to Faceのコミュニケーションのほうが暗黙知(言語化しにくいノウハウなど)は効率よく伝わるということが経営学者によって示唆されています。そして、その暗黙知の共有こそがイノベーションの源泉であると言われています。以下、その根拠となる文献です。
    http://www.amazon.co.jp/%E7%9F%A5%E8%AD%98%E5%89%B5%E9%80%A0%E4%BC%81%E6%A5%AD-%E9%87%8E%E4%B8%AD-%E9%83%81%E6%AC%A1%E9%83%8E/dp/4492520813
    よろしければご一読を。

  33. 私もたくさんの学会に所属しておりまして、学会はちょっと多すぎなのでは、と感じています。学会が多くなりすぎることによって各学会が発表数の確保に苦労したり、研究者の負担が大きくなったりするという現象が起きているのは間違いないと思います。「学会」とまではしなくても、単なる研究会のようなものを臨機応変に行ったり、大きい学会の中のシンポジウムや分科会のようなもので足りるのでは、というものもありますね。あと、国内の学会を設立・運営するよりも、国際学会に参加する、あるいは国際学会を運営するほうがベターというように感じることもあります。何か、学会の統合・融合を促すようなことを政策的にやっていただいてはどうか、と思うのですが。

    例えば、国として、年に2回から3回ほどオフィシャルな「学会・研究会ウィーク」を設けていただくというのはいかがですかね。「学会・研究会ウィーク」中は、大学の講義などは原則いれないようなことにしておき、出張しやすくします。「学会・研究会ウィーク」は一週間とって、大きな学会の前後に小さなサテライトの研究会などを行いやすくしておきます。そのようにすることによって、研究者や大学・研究機関は年間の予定を立てやすくなりますし、国外の学会にもその時期を外してもらえるよう交渉しやすくなります。オフィシャルな「学会・研究会ウィーク」は日数的に限定されており、会場もそれなりに限定されているので、学会の統合・融合が進むと思います。

    たくさんある学会を統合・融合するメリットは大きいです。いわゆるスケールメリットですね。異分野の研究者に合うことができるというサイエンティフィックなメリットはもちろんあります。とにかく知り合いを増やしておく。知り合いになってさえいれば今の時代、近藤さんのおっしゃるようにSkypeとかを使ってネットで詳細な議論・打ち合わせをすればいいわけです。運営上のメリットも大きいでしょう。雑用係は少なくてすみ、一人あたりにかかる費用も少なくてすむ。大会長とそのラボ関係者はたいへん、というのが常ですが、そういうことも少なくなる。外国人は呼びやすくなり、プレナリーレクチャーのようなものも大きいホールが一杯になりやすくなる。閑散としたセッションも少なくなるでしょう。業者さんもよろこぶのは間違いないです。「学会・研究会ウィーク」の前後の週末にはタレントや報道関係者を呼んで、一般向けの科学コミュニケーションイベントを大々的にお祭り的にやることもできるでしょう(スケールがないとそういうことはできない)。

  34. tsuyomiyakawa より:

    私もたくさんの学会に所属しておりまして、学会はちょっと多すぎなのでは、と感じています。学会が多くなりすぎることによって各学会が発表数の確保に苦労したり、研究者の負担が大きくなったりするという現象が起きているのは間違いないと思います。「学会」とまではしなくても、単なる研究会のようなものを臨機応変に行ったり、大きい学会の中のシンポジウムや分科会のようなもので足りるのでは、というものもありますね。あと、国内の学会を設立・運営するよりも、国際学会に参加する、あるいは国際学会を運営するほうがベターというように感じることもあります。
    何か、学会の統合・融合を促すようなことを政策的にやっていただいてはどうか、と思うのですが。
    例えば、国として、年に2回から3回ほどオフィシャルな「学会・研究会ウィーク」を設けていただくというのはいかがですかね。「学会・研究会ウィーク」中は、大学の講義などは原則いれないようなことにしておき、出張しやすくします。「学会・研究会ウィーク」は一週間とって、大きな学会の前後に小さなサテライトの研究会などを行いやすくしておきます。そのようにすることによって、研究者や大学・研究機関は年間の予定を立てやすくなりますし、国外の学会にもその時期を外してもらえるよう交渉しやすくなります。オフィシャルな「学会・研究会ウィーク」は限定されており、会場もそれなりに限定されているので、学会の統合・融合が進むと思います。国内に会場がとれなくなるところが出てくるとおもいますが、それが統合・融合を促すことになるかと思います。
    たくさんある学会を統合・融合するメリットは大きいです。いわゆるスケールメリットですね。異分野の研究者に合うことができるというサイエンティフィックなメリットはもちろんあります。とにかく知り合いを増やしておく。知り合いになってさえいれば今の時代、近藤さんのおっしゃるようにSkypeとかを使ってネットで詳細な議論・打ち合わせをすればいいわけです。運営上のメリットも大きいでしょう。雑用係は少なくてすみ、一人あたりにかかる費用も少なくてすむ。大会長とそのラボ関係者はたいへん、というのが常ですが、そういうことも少なくなる。外国人は呼びやすくなり、プレナリーレクチャーのようなものも大きいホールが一杯になりやすくなる。閑散としたセッションも少なくなるでしょう。業者さんもよろこぶのは間違いないです。「学会・研究会ウィーク」の前後の週末にはタレントや報道関係者を呼んで、一般向けの科学コミュニケーションイベントを大々的にお祭り的にやることもできるでしょう(スケールがないとそういうことはできない)。

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