2014.04.14 トピックス
論文のオープンアクセス化を推進すべき7つの理由と5つの提案
I. OA化を推進すべき7つの理由
1. 部数が増えてもコストは増えない
2. しかるべき数・分量の論文を出版できる
3. 公表までのスピードが上がる
4. スライドや教科書、一般書籍などで再利用しやすい
5. 情報価値の重み付けがしやすい
6. 不平等な格差の縮小にプラス
7. イノベーションを促進
II. 5つの提案
1. 公的研究費による論文のオープンアクセスの義務化を!
2. 公費による紙媒体の科学雑誌の購読の制限を!
3. 出版後評価の積極的仕組みを!
4. 日本発の論文をアピールする仕組みを!
5. 報道時に論文URLの表示の義務化を!
OA化についてのアンケートも行っておりますので、ぜひご協力ください。
著者らによる第91回日本生理学会大会での同テーマでのプレゼン「オープンアクセスを推進すべき7つの理由と5つの提案」の資料(スライド)もあわせてご参照ください。以下からダウンロードいただけます(外部サイト[包括脳プラットフォーム - XooNIps for CBSN]に移行します)。
・Powerpoint スライド(20 MB)ダウンロード
Sciencetalks でのタイアップ記事「日本はジャーナルのオープンアクセス化推進を戦略とすべし!」より、本記事の著者の一人、宮川と、科学技術・学術政策研究所(NISTEP)科学技術動向研究センターの林 和弘 上席研究官との対談の動画を転載します。Sciencetalksの記事もあわせてご覧下さい。
このサイクルの中で、科学技術研究に関する情報交換、研究者どうしのコミュニケーションの方法が最適化されることは極めて重要なことでしょう。このコミュニケーションの主要な手段として用いられてきたのが、紙媒体を持つ科学雑誌への論文発表という方法です。インターネットと電子媒体の普及によって、この状況は徐々にかわりつつあります。
スピード、コスト、情報量、再利用可能性、情報価値の重み付け。これらは、科学技術研究に関する情報交換が行われる上で決定的に重要な要素であるように思われます。紙媒体との比較において、電子媒体はこれらのどの要素においても圧倒的なアドバンテージを持っているはずです。また、電子媒体中心の論文出版においては、論文1コピーのコストが限りなくゼロに近く、出版までの初期コストしかかからないためオープンアクセス化が必然の流れとなるはずです。
しかしながら、意外にもこの変化のスピードはとてもゆっくりしたものであるように感じられます。この大きな原因の一つは、我々研究者や行政がOA化のメリットを明示的に認識していないということではないでしょうか。本ブログでは、研究者としての視点から「オープンアクセス化を推進すべき7つの理由」として電子化・OA化のアドバンテージを整理し、これを推進するための具体的な方策についていくつかの提案をします。さらOA化のマイナス面として指摘されがちな点についてQ&Aを設けてみました。ぜひ皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただけますと有難いです。なお、OAに関する世界の最新の動向や、より専門的な分析については、当該分野の研究者による論文や発表資料等をご参照ください[1, 2, 3])。
I. オープンアクセス化を推進すべき7つの理由
オープンアクセス化のメリットについて、改めて整理してみました。欠けている視点のご指摘など皆様からのご意見を歓迎いたします。
1. 部数が増えてもコストは増えない
電子媒体では、紙媒体の場合と違って、発行される論文の部数に比例してコストが増加する、ということはありません。それぞれの論文が出版されるまでの初期コストがほとんどを占め、PDF論文が10万回ダウンロードされた場合でも10回しかダウンロードされなかった場合でもかかるコストはほとんど変わりません。「科学技術の知見を世界中の人々にできるだけ広く速く安価に伝えること」を科学出版の目的として考えてみましょう。電子媒体による出版ではいったん論文を出版したらそれ以上はコストがかからないわけです。研究者にはたくさんの部数の論文を販売してそこから金銭的利益を得ようというモチベーションは基本的にはありませんし、現在の仕組みもそうはなっていません(部数が出て利益を得るのは著作権を有する出版社のみです;学会が利益を得る場合も海外ではありますが日本ではほとんどありません)。しかし研究者には成果をできるだけ広く普及させるというモチベーションはあり、成果の普及をどの程度達成するかが、研究費などが採択や人事に影響を与える、というのがビジネスモデルです。この研究者のモチベーションを考えると、論文出版までの実費的コストさえなんとかした暁には、あとはオープンアクセス化してしまうのが目的を達成するために最適な方法であるのは間違いないでしょう。電子論文の閲覧・ダウンロードを無料化すること、つまりオープンアクセス化するのはあまりにも当然のことであり、しない理由を考えつくほうが困難なのです。
しかし、実際にはそこに高い壁があり、現実にはいまだにオープンアクセスではない論文が総論文の半分以上を占めています[4]。なぜでしょう?紙媒体の雑誌が悪玉であると筆者らは考えます。
論文の電子版閲覧・ダウンロードに課金する雑誌のほとんどは紙媒体での出版も同時に維持する雑誌でしょう(そうでないオンラインジャーナルはNature Communicationsなどの一部の例外的な高インパクト雑誌くらいか?)。紙媒体がある雑誌では、なぜコストのかからない論文の電子版にペイウォールを設けてダウンロードに課金しなければいけないのでしょうか?それは、そうしないと紙媒体のものが大学図書館などで売れなくなってしまい、「紙媒体部門」の採算が採れなくなってしまう、あるいは、利益が上がらなくなってしまう、というのが最も大きな理由に違いありません。つまりほとんどの研究者が必要としていない「紙媒体部門」の延命のため本来はコストのかからない電子媒体に課金されてしまっているわけです。言い換えれば、ごく僅かな数の雑誌を手にとってパラパラ読みをしたいという研究者の贅沢な趣味のために、大多数の研究者と研究の原資を出している納税者の負担が強いられているという状況とも言えるでしょう。
2. しかるべき数・分量の論文を出版できる
紙媒体では「紙面の制約」という非常に困ったしばりがあります。
論文がリジェクトされる、という現在の科学出版の仕組みにおいて我々研究者が苦労させられる問題の多くの部分は、この「紙面の制約」に起因していますし、多くのリジェクトのメールでは「紙面の制約」が明示的に書いてあります。
語数制限で論文を短くさせられてしまう、ページチャージ・カラーチャージを取られる、などもこの「紙面の制約」が引き起こしている問題です。それぞれの研究でなされている実験・データの量は、千差万別であり、これらに一律のしばりがあるのはナンセンスなのですが、「紙面の制約」と言われるとそれは仕方がないと納得せざるを得ません。このことから、紙媒体を持つ雑誌では電子版がある場合でも紙面の制約にしばられてしまう、というよく考えるとおかしなことが生じているわけです。
紙面の制約によって、論文の採択率は低く抑えられることになります。さらに出版社も、ジャーナルのインパクトファクターを維持したり上昇させるために、掲載論文数を抑制的にコントロールしたいというモチベーションを持っています(インパクトファクターと論文の評価についてはI-5参照)。論文の採択率の低さは、投稿者に対するエディター・レフリーの優位性を圧倒的にしている大きな要因でしょう。査読の透明性は低く、投稿者はどんなに理不尽なことをされてもほとんどの場合、泣き寝入りするしかないのです。
電子ジャーナルでは「紙面の制約」がありません。電子媒体のみジャーナルとなることにより、論文を受理するか否かの決定は、純粋に科学的、技術的な観点からのクオリティによって判断されるようになるでしょう。少なくとも「紙面の制約」などという言い訳はきかなくなります。電子ジャーナルでは掲載する論文の数、論文の分量は、必要・十分で最適だと考えられる分量をジャーナルと著者がかなり自由に設定することができます。
そもそも「紙面の制約」がないのですから、論文のリジェクトをする理由は科学的、技術的な観点から最低限のルールを満たしているかどうか(統計の標準的な使い方がなされているか、主張がデータから導かられるものになっており言い過ぎでないかどうか、論文としての体裁がきちんと整っているかどうか、オリジナルの研究であるかどうか、動物実験や人を対象とする実験の倫理的問題はクリアしているかどうか、盗用やデータの不適切な加工などの不正がなされていないか、など)、という部分に限定されることになるのが当然でしょう。最低限のルールが満たされていないような場合は、それを満たすようにするためのリバイズのアドバイスを行うだけでいいはずです。出版費用の初期コストさえまかなうことができ、かつ情報の重要度を示す何らかの指標さえあれば、情報は世に出れば出るだけ良いので、リバイズのアドバイスはあるとしてもリジェクトする必要はほとんどの場合ないのです。
電子ジャーナルでもインパクト・ファクターを高くしたい場合があり、その場合は採択率を低くすることがあるではないか、というご指摘があるかもしれません。それは事実なのですが、同時に採択率を高く保つような工夫も可能です。上位ジャーナルでリジェクトされた論文について、別のジャーナルにエディター・レフリーと査読結果を丸ごと簡便に移行する方法があり、これはそのような工夫の一例です。著者の一人の宮川がセクションエディターを務めるBioMed CentralのMolecular Brain(Impact Factor: 4.20)という電子ジャーナルでは、最近、同じくBioMed Centralが発行するBMC Neuroscience(Impact Factor: 3.00)とBMC Research Note(Impact Factor: 1.39)との間で「ジャーナルカスケードシステム」の試験的運用を始めました。このシステムでは、上位のジャーナルでリジェクトされた論文について、下位のジャーナルがその基準を満たしていると判断すれば、(実質的に)新たな査読なしにアクセプトされます。Molecular Brainでは、掲載には、概念的な新しさやインパクトの強さが求められます。一方、BMC Neuroscienceでは、概念的な新しさやインパクトが必ずしもないと判断される場合でも、実験結果そのものが明快で新しければ受け入れられます。また、BMC Research Noteは実験や解析方法に問題がなければ単なる追試の報告でも掲載されます。Molecular Brainにリジェクトされた論文も、ジャーナルカスケードシステムによりBMC NeuroscienceかBMC Research Noteにおいて、Molecular Brainでの査読の内容や状況を踏まえた上で査読が行われて掲載が決定されます。
紙媒体の雑誌は、物理的なスペースも必要とする、ということも軽視できない問題です。図書館や研究室のスペースは有限であり、古いものは廃棄せざるを得ない場合があります。一方、電子媒体であればスペースの問題は全く存在しないと言えます。保存・通信できるデータ量も10年ほど前に比べると飛躍的に増え、ムービーや実験・調査のローデータも論文に加えることが可能になってきています。いわゆるビッグデータ解析や、論文横断的なデータの再解析の重要性も増してきています。ローデータや詳細プロトコルの公開は不正防止という観点でも強力な力を発揮するでしょう(STAP論文で調査が難航している大きな理由の一つはこれらがなかなか出てこないことです)。これらの意味でも紙媒体の論文というのがナンセンスになってきているように思われます。
大量の情報が出版されてしまうと情報が溢れすぎて何が重要かわからなくなる、という危険性もよく指摘されることです。しかし、その論文の重要性や価値については出版後でも前でもいいので別途表示すればいいだけでしょう(I-5参照)。「紙面の制約」という時代遅れの取るに足らない理由で、ジャーナルのエディターやレフリーが情報の重要性や価値の判断を拙速に進め、情報が世に出るのを遅らせてしまう現行の仕組みは明らかに世界の科学の進展を妨げています。
3. 公表までのスピードが上がる
電子媒体で物理的な印刷とその物理的送付の必要がないことが成果公表のスピードを速めることは言うまでもありません。ここでさらに指摘しておきたいのは、出版の敷居が圧倒的に低いため出版前の査読に必要とされていた時間を圧倒的に短縮できる可能性を秘めているという点です。現状の雑誌、特に高インパクト雑誌では、論文の全体的な質を高く保つため、必ずしも本質的でない補助的実験・解析を要求することが多々あります。これによって、研究の成果が世に出るまで1年や2年、場合によっては5年というような長い時間が余分にかかってしまうのは稀なことでは決してありません。
また、紙媒体であれば、一旦出版してしまうと、訂正を行うのが非常に困難で面倒です。ErrataやCorrigendaは可能ですが、敷居が非常に高く、多少のタイポやミスであればそのまま放置する、というのがほとんどではないでしょうか。
一方、電子媒体であれば、本質的な部分をまずできるだけ早く世に出してしまい、きめ細かい改訂作業は出版後に行えばいいという方法も成り立つでしょう。そもそもほとんどの場合、単一の研究発表の中でのエッセンス・本質的なデータというものはそれほど多いわけではありません。その僅かな部分を発表する場合でも、それの裏付けとなるコントロールデータ、補助的データはもとより、その研究が出てきた歴史的背景、研究のモチベーションの説明、得られた結果の解釈の可能性、今後の展開、応用の可能性などなど、必ずしも必要とはいえないような情報を付け加える必要があります。英文の文章もある程度の水準が要求され、英語を母国語としない日本人はこの点で不利でありハンデを背負っていると言えます。科学の世界では、スピードは非常に重要な要素です。2013年に刊行されたOAジャーナル、F1000 Researchでは、論文が投稿された時点で原稿をそのまま掲載し、レビューをレフリーの名前と共に公開で行うというシステムが採用されました。
Cell pressやPNASが採用しているCrossMarkのように最新改訂バージョンのトラックを簡便にできるような方法も既に考案されています。CrossMarkを適用すると、pdf版の論文およびジャーナルサイトのhtml版の論文に専用のリンクボタンが埋め込まれます。これをクリックするとその論文の更新状況の情報にダイレクトにアクセスすることができます[5]。このような手法を活用して、まず成果のキモとなるような本質的なデータを中心にざっくりと出版・公表してしまい、後で補助的データなどは付け足し、考察・イントロなどの文章を追加・推敲したバージョンアップをするというような方法も将来的にはありうるのではないでしょうか。そのような仕組みにより、研究成果の本質的な部分が世に出るまでの時間が圧倒的に短くなることは間違いないところだと思われます。また、この種の仕組みが普及すれば、ある論文の最新バージョンは、紙媒体では掲載されないわけですので、紙媒体の論文の存在意義はさらに低下すると考えられます。
4. スライドや教科書、一般書籍などで再利用しやすい
原著論文でのオリジナルなデータやオリジナルなアイデアというのは、科学上のコミュニケーションをする上での最も基本的なものであり、科学における通貨、科学における米(コメ)のような位置付けではないかと思います。公的な研究費を用いて生み出されたオリジナルなデータ・アイデアはスライドや教科書、各種書籍、Wikipediaを始めとする各種ウェブサイトなどで引用という形式をとりさえすれば自由に活用できるようになるのが望ましいでしょう。Creative Commonsのような形でのオープンアクセスが標準になることにより、科学的知見の普及が飛躍的になされやすくなるのは間違いありません。従来型の紙媒体の雑誌の多くではしかし、全ての著作権が出版社や雑誌の発行母体(学会)にあるという状況があります。論文に掲載されている内容を上記のような用途で再利用するためには、多くの場合、出版社から許諾をとる必要がある場合があります(しかるべき引用の方法さえ踏襲すれば許諾なしで利用できるという考え方もありますが)。論文のPDFファイルを自分のウェブサイトからダウンロードできるようにすることはもちろん、メールで他者に送付するだけでも、この著作権の侵害に当たる可能性すらあるというたいへん不思議なことになっています。きれいに整形された最終版ではなく、未整形の最終的な原稿であれば、機関リポジトリや各種ウェブサイトに掲載しても良い、ということになっている場合が多いわけですが、おかしな話ではあります。わざわざきれいなバージョンを労力と公的資金をかけてつくっているのですから。多少、追加の費用がかかっても、最終版のきれいに整形された論文を自由に配布できる、というのが正常なあり方でしょう。
また、購読型の学会誌では、学会が著作権を保持しているものもあります。あるOA出版社の方からお聞きした話では、こうした雑誌の中には、オープンアクセスによって著作権を著者が保持することに学会が抵抗感を示すという場合が少なからずあるそうです。学会誌は学会のものであるからそこに掲載される内容も学会に属するものだという考えがあるほか、転載料や図表等の使用料から収益を得たいというのがその理由であるようです。その種の収入の額の小ささや世界的なオープンアクセスのトレンドを考えると、こうした収益が今後拡大していくとは思えません。
そもそも、ある研究論文が誕生する際には、誰がどのように貢献しているでしょうか?そして、それによって生まれる権利は誰に帰属されるべきでしょうか?本来は研究を行い論文を執筆した研究者がその発見に最も貢献し権利の帰属がなされるべき対象でしょう。その範囲をもし広げるとしても、せいぜいその研究者の所属機関、研究に出資した人・機関くらいまでではないでしょうか。出版社はその成果を広めることにそれなりの貢献しているとはいえ、それはあくまでも補助的な役割にすぎず、全著作権を所有する、というのは現代の価値観から見るとほとんどあり得ないことではないでしょうか。著作権の出版社への譲渡というのは、科学雑誌の歴史のなかで受け継がれている古いしきたりのようなものかもしれません。科学の黎明期には、印刷・出版は容易ではないことであり、一方、科学的成果の重みは相対的にそれほどのものではなかったのかもしれません。当時は印刷・出版を実現させることに大きな価値があり、その代償として著作権の出版社への譲渡があったのでしょう。情報の公開・普及方法が高度に発達し、極めて安価で容易に実現される現在ではこの古いしきたりは全く意味を失っているだけでなく、科学の進歩を阻害している要因であるといえるでしょう。
5. 情報価値の重み付けがしやすい
電子媒体の普及によって出版の敷居が下がると、当然、世の中に出る論文の数・量が増加します。膨大な情報の海の中からどのようにして自分にとって価値の高い有用な情報を選別して取り入れるか、というのはすでに現状でも既に大きな問題となりつつあります。従来型の仕組みでは、2〜4名程度のごく少数のレフリーとエディターが論文の価値を判定し、世に出すか否かの判断を行うことが論文の情報価値の基本データになるものと多くの研究者に理解されています。つまりレフリーとエディターは雑誌の「格」のようなものやインパクトファクターを漠然と想定し、その雑誌に見合うだけの価値がその論文にあるかどうかを主観的に判断し、その判断がそれぞれの論文の情報の価値や重要度を示すものとして実際上、かなり用いられていることになります。私たちは、ごく少数の専門家の価値判断を受け入れて情報の選別・受け入れを行っているわけです。NatureやScienceの論文は価値が高いと一般的に考えられており、そのような論文を発表していれば、研究費も採択されやすいし人事でも有利なこともあきらかです。
一方、掲載雑誌のインパクトファクターや、「ごく少数のレフリーとエディターの判断」が個々の論文の価値を決めるものでないことは明らかです。高インパクト雑誌に掲載されていても再現性のとれない論文、引用がほとんどなされない論文はたくさんありますし、インパクトがそれほど高くない雑誌に掲載されている論文でも頻繁に引用されたり、果てはノーベル賞受賞の理由になったりすることすらあるわけです。科学論文の価値は多くの研究者による再現性の検証や利用などを経て長い時間をかけて定まってくるという側面が強いはずです。現在最もポピュラーな情報の重み付け方法(雑誌インパクトに頼る方法)は最適なものとは言えません。もっとも、インパクトファクターはジャーナルそのものを評価する指標としては有用です。また、論文の被引用数がピークを迎えるのは発表から2年目前後の期間で、発表直後はあまり引用されないので[6]、論文発表直後の評価の間接的指標としても雑誌インパクトファクターは有効でしょう。
電子論文ですと閲覧数、ダウンロード数などの定量化が行いやすい、ということがあります。Social Mediaでの注目度を指標としたAltmetricsのような今までなかった指標もできてきています[7]。Altmetricsは、WEB上での反応を指標としているため、論文のインパクト(影響度)をほぼリアルタイムで測ることが可能です。また、多くの場合、電子論文では、雑誌のウェブサイト上やPubMed上(PubMed Commons)で論文へコメントをつけたり議論をしたりすることができるようにもなっています。この種の論文出版後のコメント・議論は、その論文の評価に決定的に重要だと思われます。これらに対応する指標は紙媒体では得ることができません。物理的な雑誌を手にとって読んだりコピーされた回数というのは計測がほぼ不能ですので、紙媒体が存在するがために閲覧数、ダウンロード数の指標の価値が下がってしまう、という問題もあります。
紙媒体であれば、低クオリティーのものは売れない、ということで情報の淘汰が起きます。しかし、淘汰というものは本来論文単位で起きるべきものであり、雑誌単位で起こるというのはあまり意味のないことです。ネット時代では、論文単位の淘汰、というのは十分可能になってきているわけですので、「しかるべき数・分量の論文を出版できる」というI-2で述べた電子雑誌の長所も出版後評価にとっては極めて重要です。ある研究論文の価値を評価するためには、そこで報告された結果がどの程度再現性があり、どの程度有用なのか(応用だけでなく基礎的な観点からも)、ということが最も大切なことでしょう。しかし、紙媒体を中心とした出版システムでは、「紙面の制約」のため単に再現性を確認したという研究や、再現性が得られなかったというような論文は極めて掲載されにくい傾向があります。電子媒体ではこのような制限はないため、そのような論文でも掲載されますし、明示的に追試をしただけのような論文も歓迎するとうたっている雑誌もあります(例えば、BMC Research Note)。この点でも、「紙面の制約」を排除することが、より意味のある情報の重み付けを促進することになります。
逆に、オープンアクセスの論文は、「紙面の制約」がないため、出版の敷居が低くなり、そのためクオリティの低い論文が量産されてしまう問題も指摘されています。最近、Scienceに掲載されたオープンアクセスジャーナルに関する記事が注目を集めました。それは、高校程度の化学の知識があり、データを適切に解釈できれば、すぐにリジェクトされるべきと分かるデタラメな内容の論文を、304の査読付きのオープンアクセスジャーナルに投稿したところ、半数以上がアクセプトされてしまったという報告です(中には、日本の国立大学医学部がホストしている、国際的に広く名の知られているジャーナルまでも含まれていました)[8, 9]。しかし、これはオープンアクセスという形式そのものの問題ではないでしょう。出版前の最低限のクオリティチェックとしての査読が機能していない場合があるということ、「出版後評価」というものの仕組みが研究者コミュニティでまだ確立していないこと、が原因であると考えられるからです。前者についていえば、紙媒体のものであっても十分に機能できていない場合があります。先述のScienceの記事では、紙媒体の雑誌を多く発刊しているエルゼビアにホストされたジャーナルも、デタラメ論文をアクセプトしたことが紹介されています。一方で、PLoS やBioMed Central、Hindawi にホストされた複数のジャーナルはきちんとリジェクトしています。Natureのような高インパクト雑誌ですら、図の不適切なコピーアンドペーストや、単純な文章の無断引用が見逃されることもあり、それらが匿名掲示板やPubPeerなどにおいての「出版後評価」によって明らかにされるケースも生じつつあります。STAP細胞論文では、レフリーの気づかなった問題が、匿名のブログや掲示板で次々と明らかにされました。ネットによる出版後評価の力が実証されたといえるでしょう。
また、レフリーの実名や査読の内容を公開するオープンピアレビュー[10]のような仕組みを取り込むことで、査読の透明性も高くすることができます。少数のエディター・レフリーが論文の価値を決めつけるような状況は解消されるでしょう。
出版前のクオリティ・チェックが完璧に機能するということは考えにくく、将来的には出版後評価(とそれを受けた論文改訂)が中心になっていくべきであるように思われます。
6. 不平等な格差の縮小にプラス
日本を含むアジアの国々には、高インパクトの雑誌というものがほぼ存在しません。これがそのような雑誌を持つアメリカ(北米)やヨーロッパ(西欧)の国と、そうでない国の間での不平等な格差を生んでいます。論文のレフェリーは、その雑誌のエディターの知り合いが選ばれるケースが多く、その結果、その雑誌を発行している国、アメリカやヨーロッパの国から選ばれることが多くなると思われます。同じ程度の質の論文であれば、日本から投稿するより、米国の知名度の高い研究室から投稿するほうが圧倒的に採択されやすい、というのは周知の事実でしょう。
このような雑誌の格差が存在するために日本の研究者は大きな不利益を被っているという事実があります。不必要に多くの統制実験を求められたり、査読時に理不尽に長い時間をかけられたあげくリジェクトされ、同様な論文を他から先に出されてしまうような話はよく耳にするところです。
このような格差があるため、高インパクトの雑誌に論文を通すことを裏の(しかし主要な)目的として、米国の著名研究者をビジネスクラス(場合によってはファーストクラス)のチケットを手配して日本に招待し、観光付きの接待を行うようなこともよくあります(もちろん観光などの部分は研究者の「自腹」であることがほとんどですが)。そのような招待&接待を頻繁にすることのできる裕福な研究所や機関とそうでないところとの(必ずしも機関の研究水準レベル、個人の研究能力の差によらない)国内格差も生じていると思います。
また、雑誌のインパクトファクターの過度な重要視は、権威者とそうでない研究者の格差も生み、新しいものが世に出るのを阻害している側面もあります。高インパクト雑誌のレフリーにはその道の権威と考えられるような研究者が選ばれることが多いからです。「権威」というのは必ずしも高齢の研究者という意味でもなく、メジャーな研究室出身の若手PIなども権威です。メジャーな研究室とそこから輩出される研究者のグループのような「権威」はある種の「スクール」的ものを形成し、特定のジャーナルでの論文出版に影響力を持つことも多いと考えられます。そういった「権威」の間で共有される仮説やモデルを新しく提唱したり、それの反証となるようなデータを出版することには困難を伴う場合があります。科学というのは、新しい概念や革新的な物の見方が決定的に重要な世界です。古い権威者というのは、科学の進展、イノベーションを妨げるマイナス要因でしかないでしょう。ある種の老害(これは研究者の年齢を意味しているものではありません)を助長し、若い考えの芽を摘む仕組みでしかないのではないでしょうか。この状況は、スポーツで喩えれば、新参者が試合に出ることができるか否かというレベルで既得権益者が決定権を握ってしまっており、他流の力のある若手が試合にすら出ることができないようにすることがまかりとおっている、というような状況に近いのではないかと思います。
電子媒体によるオープンアクセスと出版後評価が標準的になれば、これらの状況は大きく変わることが期待できます。論文が世に出てその重要性が広く問われている状況というのが、本来の勝負であり、試合であると考えられます。電子ジャーナルの普及によって、この「試合に出る」ための敷居は圧倒的に低くなるでしょう。また、オープンアクセスによって出版後評価は、その道の権威や専門家だけでなく様々な分野の研究者や一般企業なども含めてなされるようになります。(繰り返しになりますが)STAP細胞論文では、レフリーの気づかなかった問題を次々と明らかにしたのは権威者ではなく名もない方々です(実は有名な先生、ということはあるかもしれませんが少なくとも権威者として明らかにしているわけではない)。個々の論文の持つ本当の価値がよりフェアに評価されるようになることでしょう。
7. イノベーションを促進
紙媒体の雑誌や電子ジャーナルを購読しているのは、主に大学や研究所、大企業が中心でしょう。最近では雑誌の購読料の急速な高騰により、これらの機関でも購読雑誌の数をどんどん減らさざるを得なくなっています。名古屋大学がエルゼビア社の電子ジャーナルについて全タイトル(約2,200誌)を読むことができる契約から購読タイトル(約370)のみ読むことができる契約に切り替えたことが話題になったのを始めとして、購読の範囲を狭める機関が続々と増加しているようです[11]。
一つの論文のダウンロードは、数ページしかないような論文であっても、1,000〜6,000円ほどが課金されるのが普通です。ダウンロードするのにアカウントをわざわざ作成しなければいけないこともあります。たいていの場合、ダウンロードにはクレジットカード情報を入力する必要があり、研究費で購入する場合も、自分のクレジットカードを使って後で返金してもらうような方式をとっています。煩雑な事務手続きをする必要がある大学などが多いのではないでしょうか(筆者のうち宮川が客員教授を勤めている生理学研究所では、個別のアカウントは必要なものの、エルゼビアの ScienceDirectについて1論文一律1,000円でダウンロードできるようになっており多少やりやすくなっている場合もある)。電子論文を購入するかどうかは、タイトルとアブストラクトだけで判断せざるを得なく、論文を購入して読むと、とんだ期待はずれでありがっかりするケースも稀ではありません。
このため、ある論文に興味を持った場合でも、論文がオープンアクセスになっているか、所属機関が電子媒体購読をしていない限りよほどでないと読むことはない、というのが実情ではないでしょうか。
このことは、ほんの一部のトップレベル大学・研究機関とその他機関の所属研究者・学生の間の情報格差がどんどん拡大するであろうことを意味しています。
また、国の税金を投入して行われた貴重な研究の多くがこの課金の壁(Pay Wall)によって読まれる機会が激減してしまうことになります。研究成果を発信する側からすると自分の研究を知ってもらえないことは残念なことです。費用を負担する側からみると、せっかくの研究成果を見つけて活用してもらう機会が少なければ国としての研究開発投資の費用対効果も低くなることになります。
科学技術の研究には多様性が必要です。論文オープンアクセス化が幅広い領域にまたがる研究の機会を増やし多分野の協調を促すことは間違いありません。米国の高校生が、オープンアクセスの膵臓ガン研究に関する論文[12]を読んだことをきっかけの一つとして、高感度で安価な膵臓ガンの新診断法を開発したことが話題になりましたが、これはその好例でしょう[13, 14, 15]。国がサポート・投資した基礎研究がイノベーションや新しい産業を生むという形で成功することが国民から期待されています。オープンアクセス化が広まることで、Web上にこれまでにない規模の知識共有基盤が形成され、それはオープンイノベーションを生む土壌となることでしょう[16]。オープンアクセス化の義務化はそのような成功を促進するために最も重要な施策だと思われます。
II. 5つの提案
OA化を推進するための提案です。議論の呼び水となるよう、少し変わったものも入れています。この他にもユニークなご提案ありましたらぜひお教えください。
1. 公的研究費による論文のオープンアクセスの義務化を!
諸外国では、論文発表から一定期間経った後のOA義務化の動きも進んでいますが[1]、日本ではまだそのようなルールはありません。日本でも論文のOA義務化と、それを促す施策を進めていただく必要があるでしょう。
さらに、掲載料の補助制度の拡大も望まれます(II-2参照)。日本では、米国のように論文発表から一定期間経った後でのOA化ではなく、発表時にOAであることを義務化するとよいと思います。
また、機関リポジトリのような場でフォーマットが統一されない状態で論文が公開されてしまうと、ダウンロード数やソーシャルメディアでの言及の数などの一元的把握が困難になり、出版後評価のためのフォローが困難となります。フォーマットされた論文が、出版後評価の各種指標について一元的にトラックできるような形でOA化されることが望まれます。
2. 公費による紙媒体の科学雑誌の購読の制限を!
紙媒体をもつ科学雑誌の購読料金は高額である場合が多く、年間購読費が250万円ちかくになるものもあります。さらに、購入された紙媒体の科学雑誌の保管や管理にも様々なコストが生じるでしょう。これらの費用は、国公立大学や国の研究機関では我々の税金で賄われています。各図書館(室)において、紙媒体雑誌の公的資金を用いた購読は一定のインパクトファクター(例えば10以上)のもののみしかできない、というような制限を設けるというのはいかがでしょうか。「制限」とまでいかなくとも「目安」ということでも十分かもしれません。また、図書館コンソーシアムなどがタッグを組んで、紙媒体雑誌の購読にこの種の基準を設けるということでも良いでしょう。そして、このようにして削減した購読費用を、OA化の促進(OA誌への補助、APCの補助など)にあてる「リダイレクション」を行います。
インパクトファクター10未満の紙媒体の雑誌を購読をやめたところで、ほとんどの研究者にマイナスはないと言ってよいでしょう。それらの雑誌の電子媒体部分のみを購読すればよいわけですし、紙媒体との抱合せ購読のオプションしかない場合は、図書館コンソーシアムでタッグを組んで出版社と交渉するようなことをすれば良いわけです。
3. 出版後評価の積極的仕組みを!
現状では個々の論文の価値は、少数のレフリーとエディターの判断で決められてしまっています。しかし、論文の本当の価値は、再現性の有無や、どれだけ成果が活用されるかなどにより長い時間をかけて定まってくるものです。OA化を通じ、論文の本当の価値が出版後にフェアに判断される仕組み作りを積極的に進めていくことが重要です。そのためには論文や研究者の評価に、論文の被引用数やAltmetricsなど新しい指標を取り入れて行うべきであると考えます。またこの種の数値指標だけでなく、PubMed Commonsやジャーナルのサイトでの論文へのコメント(「再現できない」、「有用である」など)なども考慮にいれることも望ましいでしょう。
研究者の情報を集めたデータベース・サイトであるResearchMap (Rmap)には、研究者の所属や経歴、業績などの情報がリストされています。Rmap上の業績情報に、論文被引用数やAltmetricsなど各種指標が付加され、各種申請書、報告書等にそれらが自動的にフィードされるような仕組みをつくることにより、出版後評価が自然と重視されるようになると考えられます。
4. 日本発の論文をアピールする仕組みを!
日本発の論文で、高IFジャーナルにこそ掲載されなかったが、価値の高い重要な研究成果を報告しているものはたくさんあるはずです。こうした論文を取り上げるオープンアクセスの科学レビュー雑誌やサイト[17]を立ち上げ、紹介された論文に研究費付きのアワードを与えるなどして、日本発の価値の高い論文を積極的に紹介していく仕組みを作っていくのはいかがでしょうか。発表直後の論文だけでなく、発表から少し時間が経ち、再現性や有効性などが確認された「本物の」重要論文も掘り起こして紹介・評価するというようなものです。
こうした雑誌やサイトの登場により、出版後評価を重要視する習慣がさらに広まっていくことが期待できます。出版前評価が主流である現状では、高IFジャーナルを持たない日本の研究者は不平等な状況に苦しめられていますが(I-6参照)、個々の論文の出版後評価が普及すれば、この状況は大幅に改善されることが期待できます。
そのような予算はどこから持ってくるのか、という疑問はあるでしょう。これについては、紙媒体購読の取りやめによって浮く予算のリダイレクションや、HFSPのグラントのようなアワードとリンクさせる(日本は約2500万ドル/年をHFSPに拠出している)というようなことが考えられると思います。大きな国益に繋がることが予想されますので、新たに予算を獲得することの価値は十二分にあるのではないでしょうか。
5. 報道時に論文URLの表示の義務化を!
現在、研究成果がプレスリリースされるときは、内容は大雑把にまとめられてしまい、論文自体の情報はせいぜいジャーナル名が言及される程度です(論文へのリンクを載せることに抵抗がある理由にの一つには、Pay Wallが存在し論文販売の宣伝のようになってしまうということがあるようです)。マスメディアが研究成果を報道する際に少なくとも電子媒体においては論文のURLを記載することを原則義務化することを提案いたします。論文へのリンクと論文OA化の相乗効果によって研究者のみならず一般の方にも原著論文が読まれる機会が大きく増えるでしょう。義務化とまではいかなくとも、研究者側(学会や日本学術会議、総合科学技術会議など)がガイドラインを提示する、ということでもよいでしょう。国民の科学リテラシーの底上げにつながり、イノベーションの促進(I-7参照)にも貢献することが期待できます。
III. Q & A
以下は、OA化を推進することのネガティブ面について検討してみた想定問答集です。これ以外にも何かOA化のネガティブ面を思いつかれましたらぜひお教えいただけますと有難いです。
Q1. オープンアクセスでは受益者負担の原則が守られないのでは?
A. そもそも現状の雑誌購読システムでも、受益者負担の理念が達成できているとはいえません。大学・研究機関の図書館(室)がバルクで購読契約するので、必ずしも読者が負担するわけではありません。まったく読まれない論文も多く、予算は国費、すわなち、我々の税金から出ることがほとんどです。また、電子版論文(PDF)のダウンロードの課金も紙媒体の維持を目的としており、利益が出た場合も出版社・学会が儲けるだけで、受益者負担を目的としたものではありません。
Q2. 「つまらない論文」が増えてしまいノイズになるのでは?
A. ネガティブデータの論文や単に再現性の確認をしただけの論文は、紙媒体のジャーナルでは出版しにくい「つまらない論文」かもしれません。しかし、出資者の観点からすれば、「同じ研究を繰り返すことを避け、研究開発コストを抑える」ような便益があるはずです。同じような実験を行おうと思っていた研究者にとっても同様な利益があるでしょう。
また、電子媒体/OAでは、Altmetricsのような指標や、PubMed Commonsやジャーナルのサイト上での論文へのコメントなどを利用した出版後評価により、容易に有用な情報を取り出すことが可能です (I-5参照) 。
Q3. 紙に印刷して配られる達成感・喜びがなくなるのでは?
A. 「紙に印刷して配られる達成感・喜び」というのは、これまでの経験によって条件付けられた自己満足にすぎないでしょう。最初から電子媒体のみであれば、それで喜びが得られるようになるはずです。既に「紙に印刷して配られる達成感・喜び」で条件付けられてしまっている人は、電子媒体での喜びを新たに学習をすることが期待されますし、おそらく新しさを求めるのが職業の研究者にはこれは十分可能でしょう。
また、電子ジャーナルでも抜き刷り印刷サービスがあるものがあり、どうしても、という場合はこのようなサービスを使えばよいでしょう。
Q3. オープンアクセスジャーナルから出すと高くつくのでは?
A. 論文出版のための初期コストは、論文出版加工料(Article Processing Charge, APC)で通常カバーされます。論文出版加工料は10〜40万円ほどかかることが多く、これがオープンアクセスジャーナルから出すと高くつくというイメージに繋がっているのではないでしょうか。大学・研究機関の図書館(室)が紙媒体の雑誌の購読をするのに莫大な費用を出していることや、学会等の発行主体が掲載の補助を出していることなどが、見逃されています。これらの費用を何らかの形でオープンアクセスジャーナルの掲載料に振り替える仕組み(リダイレクション)を作ることは可能なはずです。
一報の論文で使われている研究費はかなりの高額になります。出版にかかる費用として10〜40万円がかかるとしても、その10倍、場合によっては100倍にものぼる研究費が使われているわけです。出版費用と研究費との比率と、出版というものの科学における重要性(著作権を全部移譲しても文句を言わないくらいの重要性)の双方を考えると、出版にかかる費用は無視できるくらい小さなものであると言えなくもありません。
また、紙媒体のジャーナルでも掲載に10万円以上必要なところもあり、ページ・チャージ、カラー・チャージなどを含めるとそれほどかわらない場合もあることも忘れてはいけないでしょう。
Q4. オープンアクセスジャーナルのインパクトは低い?
A. 紙媒体のジャーナルでは、一定レベル以下の雑誌は購読されずインパクトファクターが低くなってしまうため、インパクトファクターの高低の幅は極端になります。中には0に近いような極端に低いインパクトファクターの雑誌もあります。一方で、オープンアクセスのジャーナルでは、論文を読みたい人がいれば誰でも論文を読むことができるため、インパクトファクターは極端に低くなりにくい傾向があります。
Pay Wallをもうけたジャーナルからオープンアクセス誌に移行したことで、インパクトファクター(IF)が増加した例が報告されています。2008 年にBMCに移行したJournal of Cardiovascular Magnetic ResonanceではIFが倍増しました(2008年: 2.15 → 2010年: 4.33)。Journal of Experimental & Clinical Cancer Researchでも移行前と比較して IFが増加した(2008年: 1.18 → 2010年: 1.92)ほか、投稿数も移行時期から 3 倍以上 に伸びています[18]。
また、2009年にオープンアクセス誌として立ち上げられた神経科学のジャーナル・Molecular Brain は、一昨年に初めてインパクトファクターが付きましたが、その値は4.20でした。同誌の発行母体であるAssociation for the Study of Neurons and Diseases (AND)は、メンバー数が数十人ほどの小学会に過ぎません。一方、大きく有名な学会にホストされたJournal of Physiology とJournal of European Neuroscienceという同分野の有名誌のインパクトファクターはそれぞれ、4.38と3.75(いずれも2012年度)ですから、Molecular BrainのIFがかなり健闘していることが分かります。このように、オープンアクセス誌のインパクトファクターは低いというのは間違いであると言えます。
Q5. 出版後評価の比重が高まると高IF誌での論文を業績を持つ研究者が不利になるのでは?
A. 高IF誌に論文が掲載されれば、よりたくさんの研究者の目に触れる可能性が高まりますので、引用数やAltmetricsなどの出版後評価の指標も高くなることが期待でき、むしろ有利であると考えられます。ただ、再現性が得られないとか間違っていたりすると、次第に引用されなくなりそのようなメリットが享受できなくなっていく、ということはありえます。[4/15 追記]
Q6. 著作権収入を生業にしている科学ライターのような人にマイナスになるのでは?
A. ここでの議論は、出版社や学会のみが収入を得るような一般的な学術出版を対象にしたものです。著者に著作権収入が得られるような出版物は対象にしておりません。[4/15 追記]
Q7. ソーシャルメディアで言及数が多い論文は、一般の方の目に面白そうなもの。出版後評価は、ほんとうに機能するのか?
A. ソーシャルメディアでの言及数が良い指標、と必ずしも言えないことは確かでしょう。これは様々な指標のうちの一つでしかありません。出版後評価の指標として論文の引用数を使うだけでも、状況はずいぶん改善されると思われます(これも完璧な指標とは言えませんが)。[4/15 追記]
リファレンス
1. 林 和弘, 新しい局面を迎えたオープンアクセスと日本のオープンアクセス義務化に向けて, 科学技術動向研究, 2014, 142, 25-31. (PDFファイル)
2. 林和弘, 新しい局面を迎えたオープンアクセス政策, 日本学術会議フォーラム, 2014
3. 林和弘, 日本型オープンアクセス出版の可能性 -学会の立場からのオープンアクセス, SPRC News letter, 2010, 6.
4. 倉田 敬子, Open Accessはどこまで進んだのか(2)オープンアクセスはいかに実現されてきたのか, SPARC Japan news letter, 2012, 14, 5-8. (PDFファイル)
5. CrossMark™ Update Identification Service Launches to Alert Readers to Changes in Scholarly Content, 2012
6. Dashun Wang et al., Quantifying Long-Term Scientific Impact, Science, 2013, 342(6154), 127-132.
7. 宮川 剛, 科学技術研究における多様なメトリクスの重要性一研究者の視点から, 情報管理, 2012, 55(3), 157-166. (PDFファイル)
8. John Bohannon, Who’s Afraid of Peer Review? Science, 2013, 342(6154), 60-65.
9. Richard Van Noorden, Publishers withdraw more than 120 gibberish papers, Nature News, 2014, doi:10.1038/nature.2014.14763.
10. Peer review under scrutiny, BioMed Central blog, 2013
11. 名古屋大学、Elsevier社の電子ジャーナルの契約を個別タイトルの契約に変更, カレントアウェアネス・ポータル, 2014
12. H. C. Harsha et al., A compendium of potential biomarkers of pancreatic cancer, PLoS Med, 2009, 6(4), e1000046.
13. Innovative Cancer Test, Garners Gordon E. Moore Award, 2012
14. Jack Andraka and Glen Burnie, A Novel Paper Sensor for the Detection of Pancreatic Cancer, 2012
15. Jack Andraka, Promising test for pancreatic cancer form teenager, TED, 2013
16. 栗山正光, オープンアクセス関連文献レビュー:「破壊的提案」から最新の議論まで, 情報の科学と技術, 2010, 60(4), 138-143. (PDFファイル)
17. 提言 学術誌問題の解決に向けて― 『包括的学術誌コンソーシアム』の創設 ―, 日本学術会議・科学者委員会学術誌問題検討分科会, 2010 (PDFファイル)
18. The careers of converts – how a transfer to BioMed Central affects the Impact Factors of established journals, BioMed Central blog, 2014
藤田保健衛生大学 教授・宮川 剛; 助教・小清水 久嗣
(この意見は筆者が所属する組織の意見を反映しているものではありません)
[I] 紙媒体をもつ科学雑誌の購読料金は高額なものが多く、国公立大学や国の研究機関の図書館(室)ではこの費用は我々の税金でまかなわれています。紙媒体雑誌の購読を大幅に縮小し、その資金をオープンアクセス化(OA化)の促進に充てる「リダイレクション」を行うというアイデアがあります(II-2参照)。この資金で著者への論文出版加工料(APC)の補助や、ジャーナル発行母体への補助などを行うことが具体的に考えられます。こうした補助の形式や、購読縮小の対象とする紙媒体雑誌の選定の基準など、具体的な内容は別途検討することとし、選択肢を選ぶ上で考慮に入れないでください。
[II] 論文の評価は、多くの場合、掲載雑誌のIFを中心になされているのが現状です。これは論文の価値が出版前に少数の編集者や査読者に決められてしまっていることを意味していますが、科学論文の本来の価値は再現性の検証や成果の活用などを経て長い時間をかけて定まってくると考えられます。出版後評価の仕組みが拡充されることにより、研究成果発表のスピードアップ、雑誌IF至上主義からの脱却、評価の透明性の向上などが期待されます(I-5, I-6, II-4参照)。
[III] 高IF誌に論文を掲載したい場合、事実上、欧米の雑誌に投稿することになります。そこでは、日本から投稿された論文は欧米諸国からのものに比べアクセプトされにくい、という不平等な状況があると考えられます(I-6参照)。
コメントを新着順に表示させるため
コメントはできるだけ下のボックスからご入力ください。
[...] 先日動画を掲載しました、研究者 V.S. 学術情報流通のプロによるオープンアクセス談義。Science in Japanガチ議論サイトに掲載された、藤田保健衛生大学教授、宮川剛先生の「紙ジャーナルは悪!オープンアクセスを義務化せよ!」という新しくも過激な提言と、それを受けたNISTEP上席研究官、林和弘氏のクロストークに、読者のみなさんから異論反論を数々いただきました。 [...]
[...] 「現在、学術論文はそのほとんどが電子化され、ネットからダウンロードすることができるようになっていますが、料金を支払って購入しなければいけないタイプのものと無料でダウンロードできるタイプのもの(オープンアクセス論文;OA論文)があります。前者のタイプの論文については、出版社に高額な雑誌購読料金を支払うことのできる一部の大学・研究機関に所属する研究者は無料でアクセスできますが、それ以外の研究者・一般市民はできないため、情報格差が生じてしまっています。また、税金で行われた研究成果にアクセスするために再度料金を支払う必要があることへの批判もあります。諸外国では、研究成果が社会で広く活用されるようにためには論文のOA化が重要であるという考え方が一般的になりつつあり、米国では公的資金を用いた研究による論文はOA化することが既に義務付けられており、またEUでも2020年までにOA化を義務付けることが予定されています(参考1、参考2、参考3)。公的資金を用いた論文のOAの義務化について、貴党の政策にもっとも近いものを一つお選びください(複数選択可能です)。」 [...]
分野外の物理学者です。
今更なんですが科学者からすればオープンアクセスか紙媒体かじゃなくて投稿先が人気のジャーナルがどうかが行き着くとことだと思います。
この点はどの研究分野でも同じではないでしょうか?
我々はこれからhigh impact factorを付与されるオープンアクセスジャーナルになると言われても今現在high impact factorでない雑誌に投稿したいとは普通思いません。
タダで読めるようにしたいのであれば物理学分野で実施されてるarXivのプレプリントシステムと素粒子分野のコンソーシアムによる該当するジャーナルのフルオープンアクセス化SCOAP3、さらに最近はやりのresearch gate
あたりでのセルフアーカイビングを議論なさるとよろしいかと思います。
私も最近知ったのですが結構セルフアーカイビングを許可してる大手ジャーナルはありますよ。
何となく出版社側よりの記事なので否定されそうですけども。
あと他の方も書かれていますが、雑でもいいから公開してあとで修正を出すというのは、受け入れられない行為です。
昔、アメリカのベル研究所にシェーンというスター学者がいました。
結局この人は鍵となる実験結果が捏造だったのでコミュニティから追い出されましたが、この間に彼を追いかけた人たちは最新鋭の機器を導入して追試実験を繰り返し結果として莫大な研究費を無駄にしてしまいました。
雑でもいいから公開するというのは、この事件と同じことを許容する行為であるように思われます。
CrossMarkを使っていても、編集者・出版社も共同して履歴を消したいと思ってしまえば、可能ではあるでしょうね。
発表したものの履歴をしっかり残す、という目的を達成するには、どうすればよいか、という問題意識として言い換えることができそうです。それについては、CrossMark以外にもいろいろ有りうるはずです。
例えば、OA論文の多くでは、発表後にすぐにPubMed Centralにそのコピー的なものがdepositされます。PubMed Centralがグルになる、ということはまずあり得ないでしょう。この種の仕組みを拡げていくことが有効でしょう。その意味でも、トップダウン的なOAの義務化が必要だと思います。
閲覧速度や、紙をめくる感じの体験の、電子版での再現は、まだまだ技術的に向上の余地があるでしょうし、おそらくどんどん改善されていくと思います。また、電子版だけになれば人のほうが慣れていく、ということもあります。そのあたりは楽観的して良いのではないかと。
Crossmarkは雑誌の編集者が意図を持てばどうとでもごまかせるシステムと思ってましたが、違うのですね。
個人的には、一つのシステムに依存するのは怖いです。全世界に紙媒体が頒布されれば、さすがに全ての国の図書館に差し替えの圧力をかけられる人はいないでしょうから、安心です。心配しすぎかもしれません。
電子ファイルの閲覧速度は紙媒体の閲覧速度には未だにかなり劣ると思います。紙媒体がなくなるのであれば、閲覧速度がもう少し紙媒体に近づくような技術革新がほしいです。コピペ画像を探すには電子ファイルの方が既に優位ではあります。
PDFファイルにつける CrossMark というシステムがあり、だいぶ普及してきています。これを使うことによって、改訂の記録が残るようになりますので、ご指摘の点は問題なくクリアできると思います。ただ、サプリメントデータについては、CrossMarkもカバーしていないでしょうので、同様の仕組みを適用する必要はあるでしょうね(サプリについてはもともと電子版しかないので、紙媒体があっても全く効果はないわけですが)。
紙媒体の存在がそもそもIF至上主義の根本にありIF至上主義が不正の動機付けの最大のものの一つであると思われますので、紙媒体を減らしていくことがむしろ研究不正を減らすことの効果的な方法だと思います。
紙媒体が無くなると、研究不正の疑義が呈された論文がこっそりオンライン上で差し替えられ、研究不正の証拠が無くなる自体が生じ得ます。これは、Nature Medicineという雑誌のサプリメントデータについて、一年ほど前に実際に起こった出来事です(訂正公告は差し替えが発覚してから数ヶ月以上後に付加されました)。
http://komuroissei.blogspot.com/2013/05/a-crucial-role-for-adipose-tissue-p53.html?m=1
この事態を避けるには、紙媒体の頒布は残念ながら必須です。
ただ、最近は研究不正の疑義を全部不問にするのが阪大医学部を中心にスタンダードになりつつあります。
http://sp.mainichi.jp/select/news/20150409k0000m040063000c.html
研究不正という概念自体がなくなるのであれば、紙媒体は無くしてよいでしょう。
研究という概念が無くならないことを祈ります。
どうもありがとうございます。やはり出版関係の方ですね。日本の出版関係者の方々には、ぜひ新しい時代にふさわしい、これからの出版モデルで、世界と伍して利益をあげていただきたいと期待しています。
蛋白質核酸酵素、実験医学、細胞工学などの日本の総説誌は、外国の高IF誌にも負けないハイクオリティの見栄えの図・体裁のものをつくる力をお持ち(だった)かと思います。学術出版にも進出すれば成功するのではないかという気がするのですが、そういうものに進出されないのはなぜかいつも不思議に思っています。紙媒体流通の高い参入障壁がくずれている今、大きなチャンスのはずなのですが。国から公的な補助も出るはずですし。今の壁はなんなんでしょうね。
貧困の問題はたいへん重要なポイントで、そのためにもOA化は重要ですね。
ただ、最近は公立図書館でも、ネットにつながったコンピュータにアクセスできます。紙媒体の購入・保管に要する膨大な費用・スペースを、ネットにつながった端末へのアクセスが誰でもできる環境の構築に使ったほうが、よろしいのではないでしょうか。
OA義務化に賛成です、ただし、紙媒体は廃止せずに、現実の物体のアーカイブを並行しなくてはならないと思います。貧困からパソコン・電子媒体を購入する事ができない、電子媒体に触れられない、ウェブにアクセスできない状態にある読み手を想定した場合、図書館で手に取れる紙の資料がない・すぐに手に入らない、取り寄せる術がないという事は大変なハンディになるのではないでしょうか。あらゆる階層・バックグラウンド、言語能力に対して開かれた状態を保たれるべきだと考えます。(理解が行き届いていないかもしれなく、すみません)
たいへん失礼しました.自分のバックグラウンドを明らかにしておくべきでした.
東京化学同人,シュプリンガー・フェアラーク東京(現 シュプリンガー・ジャパン),共立出版『蛋白質核酸酵素』編集部を経て,2010年よりライフサイエンス統合データベースセンター http://dbcls.rois.ac.jp/ に所属しています.一貫して,生命科学分野の編集の仕事をしてきています.
> これは,「年間500万円くらいかかっていた」ではなく,「年間500万円くらい請求されていた」ではないでしょうか.
請求されて、かつ支払っていましたので、実際、年間500万円くらいかかっていました。
> これは,出版社でのことを書いたつもりです.
IIDAさんは出版に所属されているのでしょうか、と思って検索しましたが、元蛋白質核酸酵素の編集長をされていた方でしょうか。だとしますと、紙媒体はそれほどのコストではない、というのは出版社側からの視点かと思いますが、購読するほうからするとスペースも含めて無視できないコストなのです。
以下のような記事が参考になるかと思います。
「書庫スペース狭隘化が極限状態に!」
http://www.lib.shimane-u.ac.jp/0/shofu/no68/sf6814.html」
> 私の言っている「紙媒体にはメリットもないがデメリットもほとんどない,紙媒体はいわば盲腸のようなもの」ということですね.
いえ、そういうことではないと思います。紙媒体にはムダな実コストの他にも巨大なデメリットがあります(「紙面の制約」を理由としたリジェクトによる研究者の労力・負担増)。紙媒体を新規で開始するところがほとんど皆無なのは、そういうデメリットがあることの認識が広まってきていることを反映しているからだろう、ということです。
> 質の高いジャーナルを維持するためには採択率を低くして多くの原稿をリジェクトする必要がある,ということです.
これは出版社やジャーナル運営側の雑誌IFを高めたい、というモチベーションからくるものですね。このモチベーションは企業や学会の利益追求という観点からは理解できるのですが、成果の発表が遅れ、再投稿というムダな手続を踏む必要がでてしまいますので、科学の発展の促進という観点からするとたいへんマイナスに働いているものであると思われます。
あと、「紙面の制約」というのは、リジェクトを避けるための不正を促進してしまっている側面も実はありますので、「質の高いジャーナルを維持するため」という目的からもマイナスに働いている部分もあります。
> 利益が減少しないよう(利益がより増加するよう),両にらみの戦略をとっているのだと思います.
寡占の上位3〜4社の大手出版社では、購読モデルからオープンアクセスへシフトすればするほど利益は減らざるを得ないはずです。これまでの利益があまりにも莫大でしたので。もちろん、オープンアクセスでもうまく運営すれば、出版社&出版主体には相応の(あるいはかなり大きな)利益は出るようです。出版社&出版主体には、科学の発展の促進のマイナスにならないような(というよりプラスになるような)方向で、健全な競争を行なっていただきたいです。また、研究者コミュニティは、そういう良い方向での競争が企業間で行われるよう、自分たちの評価システムを新しく変えていく努力を行うことが必要だと思います。
Replyありがとうございます.現状の認識が異なりこれ以上は議論が噛み合いそうにないので,私からはここまでにさせていただきます.
> 5000人程度の学会で薄いニュースレターを発行するのにかかわっていたことがありますが、印刷・送付コストとして年間500万円くらいかかっていました(一人あたりにすると年間1000円)。これには封筒につめる作業の人件費ははいっていなかったので実際はもう少し高いのだと思います。
これは,「年間500万円くらいかかっていた」ではなく,「年間500万円くらい請求されていた」ではないでしょうか.
> ご自分のものであれば処分は任意ですが、図書館はおいそれとは捨てることはできないですね。バックナンバー保管は「家賃」のようなかたちで、毎月、延々とコストがかかっていくものであることの認識がひろがる必要が有ると思います。
これは,出版社でのことを書いたつもりです.
> 一方で、新興の出版社やジャーナルを考えてみますと、紙媒体を開始するところはほとんど皆無ではないでしょうか。これは、紙媒体を(既に既得権として世界中の図書館購読をしてもらっているような場合を除けば)発行する意味が、コスト・ベネフィット的な観点からは今や皆無だからでしょう。
まさに,私の言っている「紙媒体にはメリットもないがデメリットもほとんどない,紙媒体はいわば盲腸のようなもの」ということですね.
> 科学的・方法的に問題がないであろう原稿をリジェクトする理由があることのメリットとは、いったいどのようなものでしょうか。
この点は議論から外れるので多くはコメントしませんが,質の高いジャーナルを維持するためには採択率を低くして多くの原稿をリジェクトする必要がある,ということです.
> 大手出版社の購読型モデルは莫大な利益がでますので、利益が減少することは間違いないですが。
利益が減少しないよう(利益がより増加するよう),両にらみの戦略をとっているのだと思います.
> さきに書いたように,私は紙媒体のためのジャーナルの出版費用に占める割合はさほど大きくないと考えています.
これは確かに具体的数値がほしいところです。しかし、大手出版社の多くはこの辺りの数値は公開してませんし、出版主体の学会にも教えてくれません。購読している図書館の数すら、発行主体の学会にも教えてくれない、ということで驚いたことがあります。5000人程度の学会で薄いニュースレターを発行するのにかかわっていたことがありますが、印刷・送付コストとして年間500万円くらいかかっていました(一人あたりにすると年間1000円)。これには封筒につめる作業の人件費ははいっていなかったので実際はもう少し高いのだと思います。これでも十分高いと思いますが、このあたりは金銭感覚の違いで、高いとは思わない方もいらっしゃるということはあるでしょう。学会費は個人で負担するのでいいのですが、雑誌購読料のほとんどは税金です。税金を納税している一納税者として言わせていただければ、「紙媒体にはメリットもないがデメリットもほとんどない」ということでメリットがないのであればぜひその分はコストカットをしていただきたいです。購読費は図書館(たいていは税金)が払うので、IIDAさんやわれわれ個々の研究者がほとんどコストを感じることがないようになっている仕組みがまた無視できない問題なわけです。
> ちなみに,現在,バックナンバーは保管せず処分してしまいます.
ご自分のものであれば処分は任意ですが、図書館はおいそれとは捨てることはできないですね。バックナンバー保管は「家賃」のようなかたちで、毎月、延々とコストがかかっていくものであることの認識がひろがる必要が有ると思います。
> 逆説的に,紙媒体のためのコストが多大なら,大手出版社は早々に紙媒体の作製をやめています.
IFが比較的高かったり歴史のあるジャーナルは、図書館は購読を簡単にはやめることができず、大手出版社の購読モデルからは莫大な利益がでます。加えて、(繰り返しになりますが)紙媒体があることが「購読モデル」を支えるrationalの大きなポイントです。ですので、大手出版社はなかなか紙媒体はやめません。
一方で、新興の出版社やジャーナルを考えてみますと、紙媒体を開始するところはほとんど皆無ではないでしょうか。これは、紙媒体を(既に既得権として世界中の図書館購読をしてもらっているような場合を除けば)発行する意味が、コスト・ベネフィット的な観点からは今や皆無だからでしょう。
> そして,言い訳でも「原稿リジェクトの理由」があることは悪いことじゃないと思います.
科学的・方法的に問題がないであろう原稿をリジェクトする理由があることのメリットとは、いったいどのようなものでしょうか。掲載の有無を論文の価値の指標になる、というだけではないでしょうか。この意味は今の時代、ほとんどないと思われます。現在であれば、査読者の評価を掲載したり、査読後の評価を簡便にするような方法がいろいろとありえますので。
> 大手出版社はオープンアクセスが増えようが増えまいが困らないよう,両にらみの戦略をとっています.
その理由は、世界的な流れはオープンアクセスであることは明白なのでそうせざるを得ないからですね。大手出版社の購読型モデルは莫大な利益がでますので、利益が減少することは間違いないですが。
> 紙媒体ジャーナルのトータルコストは実際、巨大だと思います。印刷・送料の他、保管スペースも必要です。保管スペースのコストもばかにならないです。
これは議論になりません.さきに書いたように,私は紙媒体のためのジャーナルの出版費用に占める割合はさほど大きくないと考えています.ちなみに,現在,バックナンバーは保管せず処分してしまいます.
> コスト以外の紙媒体の大きなデメリットは少なくとも二つあります。
2つとも大きなデメリットとは思えません.長さの制限のあるジャーナルもあればないジャーナルもある.そして,言い訳でも「原稿リジェクトの理由」があることは悪いことじゃないと思います.
紙媒体にはメリットもないがデメリットもほとんどない,紙媒体はいわば盲腸のようなもので,やめてもとくに大きな影響はなく,徐々に失われつつある,というのが現状ではないでしょうか.逆説的に,紙媒体のためのコストが多大なら,大手出版社は早々に紙媒体の作製をやめています.
> つまり、オープンアクセス比率があがってしまうと紙媒体雑誌を購読する機関も激減し、購読タイプのビジネスモデルがなりたたなくなるのです。ですので、オープンアクセスにしないような対策をとっているわけです。つまり、購読タイプのビジネスモデルは、オープンアクセス化を阻害する要因となっています。
大手出版社はオープンアクセスが増えようが増えまいが困らないよう,両にらみの戦略をとっています.APCで十分な収益が得られるようなビジネスモデルも考慮していますし,オープンアクセス誌の出版も進めていますね.
> あと、繰り返しになりますが、ペイウォールがあると、気軽に論文を読んだりチェックができなくなりますので、世の科学の進歩を阻害することになります。
この点は全面的に賛同します.私が,オープンアクセス化を強力に推進すべきと考える,最大,かつ,たぶん唯一の点です.
電子版のみのジャーナルか否か(紙媒体があるかないか)は、オープンアクセス化にきわめて密接に関係しますので、やはり合わせて考える必要がある、ということがあると思います。
紙媒体ジャーナルのトータルコストは実際、巨大だと思います。印刷・送料の他、保管スペースも必要です。保管スペースのコストもばかにならないです。
それに加えて大きいのは、「紙媒体があること」が高い購読料のジャスティフィケーションとして、多くの人にとっては説得力を持ってしまう、という心理的要因です。「紙媒体があるのでコストが高いのも仕方がない」と思わせてしまうわけです。
コスト以外の紙媒体の大きなデメリットは少なくとも二つあります。
・「紙面の制約」によってページ数が限られてしまう。
論文は長ければ良いというものではありませんが、内容によってはしっかり長いものにしたほうが良い場合もあります。物理的紙面があることによって本文部分は短くならざるを得ません。余った部分は電子版のサプリで、という方法はあるわけですが、本質的な部分までサプリにせざるを得ない場合もあります。
・「紙面の制約」が、原稿リジェクトの理由になる。
そもそも、科学的・方法的にきちんとしている、と判断された論文は、その時点で速やかに世にでるべきなのです。そうならないのはなぜでしょう?紙面の制約以外に理由は実はないのです。「面白いか、面白くないか」「重要かどうか」などは読者や後世の人が判断すればよいものです。もちろん編集者や査読者の主観的でかつ偏った個人的趣味の観点からの面白さ・重要性の評価が表にでれば、読者の参考になって良いのですが、それはそういう評価を表にだせば良いだけです。
さらにこの「原稿リジェクト」のシステムが、ジャーナルIF偏重の根本原因の一つになっています。ジャーナルIFをその論文の質やさらには研究者の実績のサロゲートマーカーとして実際には使われてしまっていますが、これは「原稿リジェクト」の仕組みがあるからに他ならないわけです。さらに、ジャーナルIF至上主義は、現代科学の最大の問題の一つであり、不正や成果の再現性の低さの原因ともなっています。
ということで、「デメリット」というレベルでもなく、紙媒体の存在は、現代科学の諸悪の根源の一つといっても大げさではないように思っています。
「ペイウォール v.s. オープンアクセス」についてですが、まずは、定義として二律背反だと思います。
それはともかく、「著者の選択により個々の論文をオープンアクセスとすることが可能」という部分ですが、これも実は問題です。出版社にとって、オープンアクセスを選択する人が増えてしまうと、購読する図書館が減ってしまいます。従って、オープンアクセスを選択する人がある一定割合以上にならないような対策を考えるわけです。その対策の一つは、オープンアクセスのためのAPCを本来必要な額以上に高く徴収することです。これはいいかえれば、オープンアクセスを選択する人は、そうでない人のために上乗せしてお金を払っている、という妙なことになっているわけです。もう一つは、出版主体の学会などに、オープンアクセス比率をある一定以下におさめるようにガイドラインを出す、ということをしています。僕の知っているところでは、10%以下にできるだけおさめるように、という指示がきているとのことです。
つまり、オープンアクセス比率があがってしまうと紙媒体雑誌を購読する機関も激減し、購読タイプのビジネスモデルがなりたたなくなるのです。ですので、オープンアクセスにしないような対策をとっているわけです。つまり、購読タイプのビジネスモデルは、オープンアクセス化を阻害する要因となっています。
あと、繰り返しになりますが、ペイウォールがあると、気軽に論文を読んだりチェックができなくなりますので、世の科学の進歩を阻害することになります。
出版において生じる費用については、著者やファンディングエイジェンシーが出すことが基本になってくると思います。
> 1. ここでは「紙媒体ありv.s.なし」が重要
もちろん,そういう論旨で書かれていることは理解して読んでおりました.しかし,電子化とオープンアクセス化をごっちゃにして論じられているのは事実で,この点は看破できません.
> 2. オープンアクセス化を阻む最大の壁が紙媒体
この点は同意できません.
紙媒体を出版するコストを過大に見積もっておられるように思います.以前と比べ印刷・製本・輸送のコストは大きく下がっており,ジャーナルの出版費用に占める割合はさほど大きくないと思われます.言い換えれば,紙媒体をやめて電子媒体のみにしても,ジャーナルの出版費用はそれほど下がるわけではありません.「Article processing feeという初期コスト」と書かれていますが,実際にはこれがジャーナルの出版費用において大きな割合を占めています.
現在,紙媒体のみのジャーナルはほとんどなく,紙媒体+電子媒体のものがほとんどですが,紙媒体にはメリットもないがデメリットもほとんどないのが実際でしょう.「そのデメリットは巨大で」と書かれていますが,具体的になにがデメリットなのか理解できません.紙媒体はいわば盲腸のようなもので,やめてもとくに大きな影響はなく,とくにオープンアクセス化につながることはないと思います.
また,「ペイウォール v.s. オープンアクセス」という対立軸をとりあげておられますが,これは二律背反ではありません.もちろんご存知と思いますが,大手出版社のジャーナルでは著者の選択により個々の論文をオープンアクセスとすることが可能になっており,ジャーナルのなかでオープンアクセスの論文とそうでないものが入り混じっています.
問題は,ジャーナルの出版において生じる費用をどのような形で負担するかにあります.過去においては購読料という形で負担されていた,これからはオープンアクセスという形で著者が負担すべき,そういった議論であり,オープンアクセスを推進する立場からは,著者の負担をいかにシステム化するかを考察すべきと考えます.
私は,オープンアクセスを強力に推進すべきという立場にたつことを申し添えます.
誤解を招く部分があったようで申し訳ないのですが、以前いただいた同様のコメントへの回答をもう一度、下のほうに掲載しておきます。
それと重複しますが、2点ほど強調しておきます。
1. ここでは「紙媒体ありv.s.なし」が重要
(もともと電子化はほとんど既に達成されていることが前提の議論なのですが)ここで問題にしていますのは紙媒体を持っているか、否か、という軸です。「完全電子化(紙媒体廃止)」のような感じで記述しておけばよりわかりやすかったかもしれません。
2. オープンアクセス化を阻む最大の壁が紙媒体
「紙媒体あり v.s. 電子媒体のみ」と「ペイウォール v.s. オープンアクセス」の軸は、独立ではなく、極めて密接に関係しています。通常は、紙媒体があると、それによって完全オープンアクセス化は困難になりますので、(特殊なケースを除けば)ペイウォールが存在せざるを得ない状況になります。一方、紙媒体が存在しない電子媒体のみのジャーナルの場合は、Article processing feeという初期コストさえクリアすれば、研究者と出資者の国にとってオープンアクセスにしない理由がほとんどありません(従来型のビジネスモデルの出版社は困るかもしれませんが)。実際、「電子媒体のみのジャーナル」で完全オープンアクセスでないものはかなり少ないはずです。
逆に、完全オープンアクセス化を阻むものが何かを考えてみますと、紙媒体の存在くらいしかないわけです。紙媒体の存在のメリットは極めて小さくなってきている一方で、そのデメリットは巨大でオープンアクセス化のメリットは計り知れない、という状況です。そこで、紙媒体を持つジャーナルをできるだけやめることを提案しているわけです。
ということで、(完全)電子化と(完全)オープンアクセス化は別のものではなく、極めて密接に関連していることであり、オープンアクセス化を進めるためには、紙媒体を廃止させることが大変有効な戦略になってくると考えています。
以下、再掲——
「紙媒体あり v.s. 電子媒体のみ」と「ペイウォール v.s. オープンアクセス」という二つの軸がありますが、2 x 2にして4種類で議論すると複雑になってしまいますので、メジャーな組み合わせである「紙媒体 & ペイウォール組」対「電子媒体&オープンアクセス組」という対比に焦点を当て議論しています。この文章のもととなったプレゼンではこの点を明示していたのですが(パワーポイント資料4ページ目のノート参照)、この文章では曖昧になってしまっていたかもしれません。
ここの本文でも
「論文の電子版閲覧・ダウンロードに課金する雑誌のほとんどは紙媒体での出版も同時に維持する雑誌でしょう(そうでないオンラインジャーナルはNature Communicationsなどの一部の例外的な高インパクト雑誌くらいか?)。」
という部分をご覧いただければ、ご理解いただけるのではないでしょうか。
電子化とOA化をごっちゃにして議論していませんか。この2つはまったく別の物です。そして、電子化はすでにほぼ達成されています。
> 日本人がゆえに差別を受けているという理論
「日本人がゆえに」という理論ではないです。「高IF雑誌をもつ国以外は不利な状況にある」ということです。「何回か見たことがあるものにはそれだけでポジティブな印象を持つ」という「単純接触効果」という心理学的現象あるのですが、論文の査読にもこの効果が極めて大きな効果があるのは間違いない、と思っています。そうだとしますと、高IF雑誌をもつ国と物理的に離れていて、エディターやレフリーと顔をつきあわせて話をした経験が少ない、という事実が不利に働きます。日本だけでなくアジアの諸国の多くの研究者が強く感じていることです。よく読んでいただくとそのような方向性の書き方がされており、ご理解いただけるかと思います。
> アクセプトの有無にかかわらず、審査後エディター、レビューアーを公開し、不当な要求に対して不服を申し立てるシステム
僕もそのような方向性がまさにあるべき姿だと思います。実際、それがほぼ実現されているオープンピア・レビューは一部の雑誌で開始されています(BioMedCentralの一部の雑誌やF1000Researchなど)。これらでは査読の文章も公開されます。不服を申し立てる際も公開で行うのがよいと思います。
この方法をとるジャーナルが増えないのは、人事も研究費審査などでの、査読者へのあとのリベンジが怖いからというのが最大の原因だと思います。ですので、人事でも研究費審査でもすべてオープンで行う、というのが今後目指していく方向性であるのではないでしょうか。すでてオープンになれば、おかしなことはできにくくなりますし、そういうことをしていればその人の「評価者としての評価」に自然に影響がでるはずですので。
> A)今のIFを健全な運営方法に近づける
> なのか
> B) IFに打って変わる新しい評価基準を発明するのか
IFは雑誌の評価軸で、論文の評価軸ではないです。ですので、B)のほうが近いということになります。ただ発明もいいのですが、特に発明はしなくとも、既に使われている指標がたくさんあり、それらうちのいくつか(被引用数など)が申請書等に自動的に出てくるようにするだけで随分違うと思います。これらの指標についてはAltmetricsで検索してみてください。またPLoS Oneですとタイムコースも含めてこれらの指標がたくさんでています(例: http://www.plosone.org/article/metrics/info%3Adoi%2F10.1371%2Fjournal.pone.0009460 )
要は各論文の出版後評価指標をもっと見るようにしましょう、という提案ですね。
> オープンアクセス化のメリットとして書かれている内容の前半はすでにある電子化のメリットでありタイトルとずれています。
「電子化のメリットをよく考えてみれば、OA化しないのがおかしい。にもかかわらずOA化されないのは、紙媒体もまだ併存してしまっていることが根本的な原因である。従って紙媒体を最小限に減らす必要がある。」
という論理構成になっています。もともとわかりにくいお話ではあり、多くの方々がこの重大な事実・論点にお気づきになっていないかもしれません。まずはよく読んでいただき、このような議論・対話でご説明するのがよいと思っています。
> -原則査読なし この評価は発表後の評価で。
F1000Researchは既にそのような方法をとってますね。出版後に査読が行われ、査読が通ると公的論文データベースのPubMedに掲載されるようになります。
> 受賞作品(論文)については、…アウトリーチ
この種のことも重要でしょうね。3000万円以上の研究費を取得した場合、科学コミュニケーションの義務がでる、というのがあると思いますが、そういうのは必要だと思います。
前回の返信1つ目が消えてしまったようなのでもう一度記憶をたどり再投稿します。
論点の重複等あるかもしれませんがご容赦ください。
—
分野違いで激しく噛み合わないであろう私のコメントにも丁寧な返信を頂きうれしく思います。
・で、どうするのか?という点が・・・
提案を通してIFが健全に運営されておらず、研究成果がフェアに扱われていない、大御所偏重気味、しかもこの数字で自分のクビまでかかってくるなんて冗談じゃない!!等は私もとても共感できます。
また、これにあわせて査読という密室のプロセス自体にも盗用や遅延行為などの行為に対しては無防備であるという指摘も理解できます。
ですが、提案の中で どうしたいのかという点がまだピンと来ません。
A)今のIFを健全な運営方法に近づける
提案文中の例 いい論文を紹介する取り組みとか
(≒平等な評価だったら俺もNatureとおってもいいじゃねぇか!)
なのか
B)IFに打って変わる新しい評価基準を発明するのか
ジャーナル単位でなく論文単位でページビューとかから算出
(F●ック ザ 権威主義)
なのかがわかりません。
具体的にどうなればスタートに立てるという考えですか?
「既存のジャーナルの時限性OAを即時OAにせよ!」・・・というのだと私は早急で乱暴すぎると思っています。Miyakawaさんも「時代が進んである論文の重要性が再評価される」ということが起こりうることは認識されていると思います。
たとえて言えば 何時・どの 普通の白い鳥が幸せの青い鳥になるか、ならないかはなってみないことには誰にもわかりません。紙・オンラインの議論にもこの構造は当てはまると思います。
上記断罪は 査読での即刻リジェクトと同じ行為です。今白くないからえさ代節約のため殺処分というのは行き過ぎた合理主義です。
(加えて、文章についてオープンアクセス化のメリットとして書かれている内容の前半はすでにある電子化のメリットでありタイトルとずれています。言いにくいですが、アイデアは好きですが上の文章はもっとわかりやすいようにさらに推敲、特にスリム化を重ねたほうがいいです。 OAと発表後評価もそれぞれ分けて記述したほうがいいです。)
・・・・僕が考えていたもの
STAPを契機に僕も似たようなこと考えて、細々と発信しているうちにこの提案にたどり着きました。そのときに考えていたものは
-原則査読なし この評価は発表後の評価で。(アランソーカルだって大歓迎)
-IFに変わる論文の価値基準をジャーナル単位でなく論文単位でPV・リファー数やコメントなどから算出(時系列で表示されるコメントだと荒らし行為が蔓延する懸念。コメントは身元を明らかにする等必要かも・・・それか登録利用者一人につきひとつのコメントで、論文への感想・意見表明の形にするとか・・・?)
–いくつかインパクト算出方法はあってもいいかも。できればその数値の時間変化が見られると面白そう。
-誰でも見れる(OA)
—迷うところ—
-誰が投稿できる?(ここもオープンにすると面白そうだけど、「水に意思がある」とか「室温超伝導実現」とかWikiでのロビー活動がんばってる人も張り切っちゃうかも・・・でもそれもいいのかも・・・うーん。だってそもそも間違ったことをいえないというのは科学的な場として矛盾してないか?反証可能性とかのプロセスを密室にするのはさもすると宗教に近いんじゃ・・・)
—–
といったところでしょうか。モデルとしてはウィキペディアやリポジトリのようなものが近いです。実際リポジトリに自分の書きたいように書いたものを上げて、普通の論文のようにスライドや他の論文などでリファーしているのも良く見かけるようになりました。
この導入方法についても、まずは非営利ジャーナルとして立ち上げて、研究者にしてみれば投稿先の一つとして選択肢が増えるだけ という形にします。
ただし魅力的な特徴を持たせます。投稿料安い、あるいはタダ・査読なし・リアクションが帰ってくる・オープンな場で議論を進められる、不正行為のログも残る(抑制)等など・・・
もちろんデメリットとしては、現行で評価対象である査読論文ではないので 採用などで目に見える数字(IF)ではないから考慮に入れない(=なにか問題が起きたときに採用した論拠として出して、リーダーなりが「僕悪くないもん」っていえないとだめ) ということもありえます。
あとは我々研究者社会がどちらの世界を実現したいのか というのを行動で示す必要もあるんじゃないでしょうか。現行のIFが健全だと思う人は既存のジャーナルでもいいでしょうし、デメリットでかいが魅力的だと思う人はこちらへ投稿。
ただ懸念されるのは今バリバリの、現行のIFの点でも戦闘力53万で上り詰めた人が、わざわざ今の自分の土台を崩すような行為(現行IF評価からの脱却)をするか?当人だけで見ればメリットは少ないし。。。
こういう手合いのものは臨界点のような必要な母体数というのがありがちなので周知も重要です。(そこでパブリケーションリストにそのときの論文の戦闘力が載ってたりすると、他の研究者にも興味を持ってもらえる=宣伝になるかなと思い 埋め込みコード生成してくれたらいいなと思ったわけです。)
・似たような事象として
前述の「どうしたいの?A?B?」について、似たような構造だなと思うのが 視聴率調査の問題です。テレビ局の広告収入として、視聴率は値段を決める最重要な指標です。しかし算出方法といえば、いまだにでかいボタンボックスをランダムに選んだ家庭において自己申告+アンケートで算出されています。相当数予想される 予約録画で見ているひとについては数に入らないなど、実際の数値と乖離しているのは明らかです。いまやテレビはデジタル化され、双方向通信もできるのにです。
これについて・天堂の●iiの機能として「見たテレビを自動申告、得られた統計データから各番組については視聴率を、視聴者には似た傾向のユーザーデータから興味深いであろう新しい番組をサジェストする」というものが何年前だったか発表されました。 その後とんと聞きませんが・・・
この新基準視聴率が必要というのが 私の意見です。
–再投稿分ここまで–
いい論文を紹介するという取り組みでエルゼビアが面白い事をやってました
Authorにアクセプト論文を手短に説明させるというもの。
https://www.youtube.com/watch?v=-3eIjDxncX0
が、再生数11回じゃぁなぁ・・・
あと奨励としてアワードなどを作るという話がありましたが。
「受賞作品(論文)については、その背景もふくめ、なぜすごいのか、画期的なのか を協会が責任を持って広告してあるきます。アウトリーチする団体に依頼します。ロフトとかでイベントライブをして この論文の価値を仕事帰りの一般の方にも楽しく聞いてもらいます。」っていう副賞はどうでしょうか(笑)。
日本発のhigh impact 雑誌はあっても良いですが、日本人がゆえに差別を受けているという理論には同意しかねます。分野によっては自らの説を強要するレビューアーが存在するのも事実です。アクセプトの有無にかかわらず、審査後エディター、レビューアーを公開し、不当な要求に対して不服を申し立てるシステムは必要な気がします。
> 既存の出版社(会社)の収入源を もはや形骸化している と断罪してバサッと切るよりかは、ゆっくりとシフトしたほうが(主に出版社で飯食ってる人にとって)いいかなとも思います。
これはおっしゃるとおりですね。エルゼビアやシュプリンガーなど既存の出版社の方々が、OA時代の新しいビジネスモデルに移行する上で、研究者もアイデアを出すなどの協力するというのが望ましいように思います。
既にほとんどの出版社は紙媒体なしのOAモデルの雑誌も開始しており、移行はどんどん進んでいるとも言えるでしょう(BMCはシュプリンガーの一部門ですし、NPGはFrontiersと提携を始めました)。
実は、このサイトの運営に協力しているScience Talksの委員会にはエルゼビアの日本支社の方々も参加されており、この種の議論は十分に可能です。
> リンクやその時点でのその論文の評判が反映されるような埋め込みコード
その種のものが重要ですね。現在でもAltmetricsのようなものはありますが、引用や言及をしていても、それらが良い評価なのか悪い評価なのか、という面については情報がほとんどなく、そのような点で改善が必要かと思います。Altmetrics の延長のようなものとして、Amazonがやっているような評価の共通プラットフォームができると良いのですが。
> 玉石石石石石石混合
「石」の割合が多いのは確かだと思います。しかし、「石」がいつ「玉」に化けるかはわからないし、「玉」と思われていたものが「石」だった、ということも。「石」を組み合わせて手を加えたら次元の違うすごいものになった、というのもあるでしょう(イノベーションというのはそういうことかもしれません)。
個々の論文の価値とは、関係性のなかでダイナミックに変化するものなので、そこがわかりやすく可視化される技術が欲しいですね。
(あれ、私の返信の一個目は消えちゃったんですかね・・?)
OA義務化については反対ではなくむしろ大賛成ですが、
既存の出版社(会社)の収入源を もはや形骸化している と断罪してバサッと切るよりかは、ゆっくりとシフトしたほうが(主に出版社で飯食ってる人にとって)いいかなとも思います。
公務員叩きのような乱暴さが無いか、見落としが無いかが少し心配です。
せっかくですのでOA義務化についてググってみました。
デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド等8か国 = 北欧閣僚会議
ワイカト大学 (ニュージーランド国内で初)
などなどたくさんヒットしました。
その他、関係者様のブログかもしれませんが日本にもその流れがあるようですね。
http://www.openaccessjapan.com/what-is-open-access.html
ただし懸念もあるようで、、、
http://johokanri.jp/stiupdates/policy/2013/11/009283.html
>>一方、オランダ科学アカデミー(KNAW)の会長Hans Clevers氏は「他誌に掲載されない論文の廃棄場になっているOA誌・サイトもある」と注意を促した上で、「一流誌の強い影響力を止めるには、全世界の研究をOA化しなければならない。さもなくば、国内の研究者は不利になる。Nature誌などへの論文掲載による箔付けがなくなるから」としている。
ここは投稿後評価の出番ですね。
例えば、いつかそのジャーナル(?)が実現したとして、リンクやその時点でのその論文の評判が反映されるような埋め込みコードを生成してくれれば、自分のHPにも張りやすいし、ジャーナルとしても人目に触れる機会が増えていいかもしれません。
OA化によって論文の廃棄場所になるだろうけども、価値のある論文がごみ山の中でも見つけやすいようになればいいなと。(今の有名ジャーナルの論文が果たして宝石ばかりかというと、私のフィールドのある先生も玉石石石石石石混合だと認識しているようですし、もう今の発表のあり方は限界なのだと思います。)
・「紙媒体vs電子媒体」はもちろん「紙媒体もありvs電子媒体のみ」の対比となります(当たり前すぎると思いましたのでひらがな部分を省略してしまいました)。紙媒体のみの学術雑誌というのは最近はほぼ存在しませんので。物理の事情は存じてないのですが、生命科学ですとIFが低い雑誌(2未満のような)でも紙媒体がある雑誌が数多くあります。(ほとんど必要とされることのない)紙媒体があることが間接的な原因となり、電子版のOA化がさまたげられていることが多いですので、「紙媒体の存在が悪」と考えるわけです。
・分量については、おっしゃるように著者の判断で良いと思います。短いメリットもありますが、情報量が多いメリットもあります。論文は全部読まずに興味のある部分だけ読むことも可能です。情報量の多い論文から関係する情報のみ抽出して活用するスキルのある人にとっては後者のメリットのほうが大きいことも多いでしょう(実験の大量の生データなどもこれに相当します)。
・論文改訂について:「ログが残るなり、バージョンを指定できないと、」<-これについては改訂されたものには新たな別のDOIが付与されることになるはずですので、ジャーナル側がこの点も意識した仕組みを作れば全く問題ないでしょう。文献リストではDOIも参照することが多くなってきてますので、それが普及すればよいだけ、ということになります。CrossMarkと組み合わせることにより完全で容易なトラックが可能になります。
・著作権について:「参照先さえ示せばリファーできる」ということもありますが限定的です。特に商用の場合、改変したい場合などは問題となることが多いです。また、自分の論文をメールで送ったり、自分のウェブサイトに置いたりすることをしたい場合が多々ありますが、これは多くの場合禁じられており、これも問題です。
・OA義務化について: 欧米の国ではOAが義務化されているところが多く、それと同様なルールを日本でも導入しましょう、という提案です。欧米の国でのOA義務化についてはネット検索でたくさんの情報が得られますので、ご参照ください。
・紙媒体制限: 大学や研究機関での紙媒体の雑誌の購読を大幅に減らすべき、という考えからの提案です。一納税者としての視点から言わせていただくと、手に取られることも少なく効果も薄い紙媒体の購読に多額の税金を使っていただきたくはない、ということがあります。減らす、といってもなかなか実行しにくいでしょうので、数値的な「制限」あるいは「目安」のようなものを設けると良いのでは、ということです。
・「日本発」とした理由:上のほうで記載したものを、以下に再掲載しておきます。
—
日本(あるいは欧米の外)から投稿された論文は、それが質の高いものであっても、高IF雑誌に受理されにくい、ということが事実としてあるのではないかと思います。欧米の研究者コミュニティに属していないがために、査読者が知人でないことが多く、不要な追加実験要求、不条理な長期放置、小出しの駄目だしなど"abuse"といって過言ではないような対応にあうことも稀ではないのではないでしょうか(少なくともそれに近い話は頻繁に聞きます)。査読者に結果を「ぬすまれる」というような話もよく聞くことです。これがインパクトの高い研究を紹介するような日本発の雑誌が欲しい最大の理由です。これは「アジア発」でも良いですし、出版社の国籍はあまり関係はないので、日本にのみ強くこだわっているわけではないのですが。実際、僕がエディターの一人として力を入れているMolecular Brainという雑誌はイギリスのBMCにホストされており、エディターは日本人を含めたアジア系の研究者が多いです。
—
・「お金をもらって評価する」:これは単に提案を誤解されていらっしゃるということかと思います。そういう提案は入っていません。評価の高い研究を行った研究者に、アワード的な研究費を支給する、という意味です。
・「論文の広報に予算を使うということ」: 論文を世界に向けて発表するということは、「研究成果の広報」ということとほぼ同義かと思います。研究成果を広報することによって世界の科学の発展に寄与することがはじめて実現するわけです。この広報には現在でも多額の予算が使われていますが、これはとても重要で意味のあることであり、公的研究の最大の目的の一つといえます。今回の提案のすべては、この「広報」を効率化・最適化するためのもの、と言い換えることができます。
提案について私の感想。
紙媒体vs電子媒体という構図は的を得ていないと思います。
現に従来の雑誌でもPDFで見ることがほとんどですし、成果主義に絡んで論文数が飛躍的に増えている現状では、紙媒体はトップおよびそれに準ずるジャーナルのみになっていると思います。
・分量の制限について
すき放題書けてしまうというのも若干の懸念があります。
文章が冗長になりますし、決められた分量のなかで主張したいことを言う というのは
重要なスキルです。著者にコンタクトが取れるようにしておけば、書き放題にする必要は無いと思います。
・・・まぁ各研究者の哲学・美学に任せてもいいかもしれませんが。
載せるだけ載せて後から書き換えられるというのも、それをどうやって実現するかということが重要だと思います。
つまりログが残るなり、バージョンを指定できないと、その論文を自分が論文を書くときにリファーできないことになります。(論拠として示した参考文献の内容がガラッと変わっていると困るわけです。「間違いでしたテヘペロ」に変わってるということは起こりえますね。)
著作権
については参照先さえ示せばリファーできたと思います。これ以上は今は望みません。
今回とは別の、しかし議論すべき問題であるとは思います。
査読
レビューが同じフィールドの研究者集団のうち2-3人のいわゆる権威によってなされている現状で、しかもそれによって決まるIFで
研究者の価値が決められている、という現状は私も強く疑問に思っています。今回の理研の件でもビックネームが名前を貸せば、論文が通る というのは権威主義以外の何者でもありません。私たちはすでにそれに染まってしまっている、というのが僕の認識です。だからわれわれの研究者社会で自浄作用を持つシステムが必要だと考えているのです。
(この点で原稿もレビュアも公開というF1000はすばらしいですね。)
提案について
(既存のジャーナルに)OA義務化・紙媒体制限・・・ 意味不明です。
日本発・・ 日本発に関わる必要はないと考えます。あと、お金をもらって評価するというのはどうなんでしょうか。論文の広報に予算を使うということの健全な運営方法が想像がつきません。。。
いいなと思った点
出版後評価・一般の方も論文が見られる
この見ている人たちの評価は、研究者と一般で線引きは必要かもしれませんが、これらページビューやDL数などを使ってその論文のインパクト指標を出すというのはいいと思います。提案で述べられているように、より正確な実態が見えてきそうです。
おっしゃるように「図書館で紙の冊子体をゆっくりとブラウズする」ということの価値はあると思います。僕自身も図書館でぶらぶらするのはとても好きです。ただ、これには高額のコストがかかる、ということが問題になっているということです。IFの3とか4程度の雑誌一つを年間購読するだけで200万円以上かかる、というようなものが結構あるわけです。国の予算が潤沢にあれば良いのですが、昨今、そういう具合にはなっていないですね。このコストによって生じる機関間格差というのも深刻になってきています。ほんの一部の有名大学以外では、このようなコストの負担が厳しくなり、「図書館で紙の冊子体をゆっくりとブラウズする」ことが可能な研究者・学生は現象しつつあります。
もう一つの論点は、この大学などの図書館が支払っている巨額の金銭的負担は、多くの研究者が知らない、ということです。研究者はその負担が目に見えないので、「ゆっくりとブラウズ」することに支払っているコストを気にしていないうちに、いつの間にか購読料が高騰し購読できる雑誌が激減していた、という状況になってしまっていた、ということかと思います。
「図書館で紙の冊子体をゆっくりとブラウズする」ような体験は、IT技術でバーチャルに実現可能かと思います。興味のトピックの重要論文の新しいもの、興味とは多少違っていても世間で重要とされるものなどが自動的にリストされてメール等でおくられてくるとかはすぐに実現可能でしょう(既に存在するともいえます)。それをざっと見てアクセスすればいいわけです。iPadを持ち歩けば、外を散歩をしつつ思いついたアイデアについて、ベンチに腰掛けてすぐ検索し読むことも可能です。OA化が進めば、ネットにさえ繋がっていれば物理的に存在するどんな図書館よりも大きな図書館と一緒に散歩しているのにかなり近いことになります。紙媒体の存在はOA化の推進にマイナスになり、ひいてはこの「世界中の図書館化」の壁になりますので、「図書館で紙の冊子体をゆっくりとブラウズする」ことはその意味でも大きなコストになるかと思います。
PubMed等を介したキーワード検索が主流の現在の状況や研究の効率化、自身の研究成果の活用機会の増加といった観点からは、OA化は必然の流れであろうとは思います。ただ、これは場合によっては研究の考え方の画一化という負の側面もあるような気もします。一方、古式蒼然とした図書館で紙の冊子体をゆっくりとブラウズすることで、思わぬ情報にぶつかるという経験も捨てがたいものが今でもあるのではないかとも個人的には思います。
私は企業内研究者なので、研究成果自体はできるだけ広く共同研究先(あるいはその候補)の研究者の諸先生方に開示できることに価値があるという認識です。したがって、論文は多くの場合OAのジャーナルに投稿することにしています。ただ、そういった企業活動ということを括弧に入れて考えると、紙媒体を廃止する、ということは研究者、研究機関のポテンシャル向上に本当にプラスに働くか、ということについては上記の様に若干懐疑的です。
よく議論されて内容が考えられていることが伝わり、いい記事だと思いましたー
こちらの議論では大学・研究機関の図書館、紙媒体の学術誌の定期刊行物を想定しているのですが(市民図書館は想定してないです)、高齢者の先生方とコンピュータに強くない先生方などのことをおっしゃっているということでしょうか?紙媒体の学術誌の購読の大半をやめたとしますと、図書館の事務員の方々の時間がある程度空くことが予想できます。そのような先生方には、紙への印刷サービスや電子論文の検索や読み方の講習会や個別指導サービスをしていただくようなことも可能ではないでしょうか。人数的にはそれほどたくさんはいらっしゃらないのではないかと思いますので(少なくとも理系ではPDFで論文を読むことのできない研究者は今やほとんどいらっしゃないはずです)。
バックアップも重要なポイントだと思います。米国などは国レベルでやっていますが、日本もそのあたりきちんとやっていただきたいところです。おっしゃるように電子媒体の場合は各機関が行う必要はなく、国レベルで何箇所かでやればいいわけですが、この意味でもOA化は必須だと思います。
そうですね。インパクトファクターについては人文系は別対応ということが望ましいように思います。
>あと「何らかの理由で電子媒体に触れるのが困難な人」というのは具体的にはどのような方々でしょうか。
端的に言えば高齢者と、視覚障害とまでは言えないが長時間画面を観ると調子が悪くなるなど、「ほぼ健常者だがちょっとだけ不具合がある」人を想定していました。あとはデジタルデバイドにより電子媒体が遠い層など。
私の周りには結構そういう人々がいますし、そもそも我々が高齢化したときのことを考えると予測の難しい面があります。保険をかけておいた方がよいと思いました。
なので実感としては最低でもあと40年くらい、すなわちデジタルネイティブが高齢化して電子機器に対する人間の肉体的な可能性・限界についての知見が出そろうまでの間は、は公共性の視点から、図書館は紙の媒体に拘った方がよい、というのが私の意見です。
また、バックアップという観点からも、紙媒体と電子媒体の両方があることは望ましいでしょう。全ての大学、市民図書館に紙媒体を置く必要はないかも知れませんが。
> 既存のジャーナルでも、一定期間後には無料になるものが多くあります。
おっしゃるとおりですが、これは米国を始めとしてOA化を義務づけているため、という側面が強いのではないでしょうか。日本はこの義務づけをしていないのが問題です(提案1はこれに関する提案です)。
> オープンアクセスジャーナルでも、著作権が運営団体に帰属する場合があります。
そういう場合があるとしますと、それは改善したほうがよいのではないでしょうか。
> 電子媒体による購読は継続すべきと考えます。
電子媒体の購読のとりやめ、というのは今回の提案には入っていないです。紙媒体の購読をできるだけ減らしましょう、という提案ですね。
> 単なる図書経費削減に終わることを危惧します。
リダイレクションの具体的方法については、いろいろな方法が有りうると思います。例えば、その機関で削減できた分の経費をそのまま直接、その機関の研究者のOAのAPC補助に回す、ということは比較的わかりやすいのではないでしょうか。他にも方法はいろいろありそうですので、そのあたりは検討が必要だと思います。
> オープンアクセスジャーナルはボーダーレスにも関わらず、日本発に拘る理由が分かりません。
日本(あるいは欧米の外)から投稿された論文は、それが質の高いものであっても、高IF雑誌に受理されにくい、ということが事実としてあるのではないかと思います。欧米の研究者コミュニティに属していないがために、査読者が知人でないことが多く、不要な追加実験要求、不条理な長期放置、小出しの駄目だしなど”abuse”といって過言ではないような対応にあうことも稀ではないのではないでしょうか(少なくともそれに近い話は頻繁に聞きます)。査読者に結果を「ぬすまれる」というような話もよく聞くことです。これがインパクトの高い研究を紹介するような日本発の雑誌が欲しい最大の理由です。これは「アジア発」でも良いですし、出版社の国籍はあまり関係はないので、日本にのみ強くこだわっているわけではないのですが。実際、僕がエディターの一人として力を入れているMolecular Brainという雑誌はイギリスのBMCにホストされており、エディターは日本人を含めたアジア系の研究者が多いです。
紙媒体v.s.電子媒体、購読料有v.s.購読料無の議論を区別することが必要です。紙媒体から電子媒体への流れは決定的で、議論の余地はないでしょう。現実問題として、私自身も10年以上図書室へ行ったことはありません。
いくつか誤解があるようなので指摘します。まず、既存のジャーナルでも、一定期間後には無料になるものが多くあります。アメリカのNIHのPMCプロジェクトがそれを推進しています。また、オープンアクセスジャーナルでも、著作権が運営団体に帰属する場合があります。
項目1について。電子媒体による購読は継続すべきと考えます。OA化促進の具体的な方策がはっきりしないまま、リディレクションを行なえば、単なる図書経費削減に終わることを危惧します。むしろ、別刷り請求が来たときにpdfファイルを送付する・自分自身のウェブサイトからpdfファイルのダウンロードを可能にするようなルール設定をきちんとすべきでしょう。
項目3について。オープンアクセスジャーナルはボーダーレスにも関わらず、日本発に拘る理由が分かりません。また、オープンアクセスジャーナルのうち、例えばeLifeは、3つの財団から資金を提供されて運営されています。企業からの寄付が期待出来ない日本社会で、オープンアクセスジャーナルを継続的に運営していくビジネスモデルが成立するとも思えません。
「紙媒体 v.s. 電子媒体」と「ペイウォール v.s. オープンアクセス」という二つの軸がありますが、2 x 2にして4種類で議論すると複雑になってしまいますので、メジャーな組み合わせである「紙媒体 & ペイウォール組」対「電子媒体&オープンアクセス」という対比に焦点を当て議論しています。この文章のもととなったプレゼンではこの点を明示していたのですが(パワーポイント資料4ページ目のノート参照)、この文章では曖昧になってしまっていたかもしれません。
ここの本文でも
「論文の電子版閲覧・ダウンロードに課金する雑誌のほとんどは紙媒体での出版も同時に維持する雑誌でしょう(そうでないオンラインジャーナルはNature Communicationsなどの一部の例外的な高インパクト雑誌くらいか?)。」
という部分をご覧いただければ、ご理解いただけるのではないでしょうか。
紙媒体=ペイウォール、電子媒体=オープンアクセス、という誤った通念によって書かれた記事なので、回答する意味がありません。
項目2というのは「公費による紙媒体の科学雑誌の購読の制限を!」という部分ですね。日本の人文系ではインパクトファクターの概念が薄いということもありそうですので、人文系の中の方々で議論していただいて基準を検討していただくのがよいのではないでしょうか。
「紙媒体の本を置き、初学者に自由に触れて、書架から書架へと動き回ってもらうことを通じて学問の世界に触れてもらう、という知のイニシエーション空間的な機能を果たしている」という機能も確かにありそうですね。それと同様な機能を、それぞれのトピックに関するオープンなバーチャル電子図書館のようなもので実現し、大学に所属していない人にも門戸を開放できればむしろベターではないでしょうか。電子媒体&OAですと、各論文で引用されている文献を、そこに居ながらにして、どんどん読んでいく、ということが可能になったり、わからない用語があれば瞬時に検索することもできるわけですので。
あと「何らかの理由で電子媒体に触れるのが困難な人」というのは具体的にはどのような方々でしょうか。電子媒体ですと読み上げ機能や声によるナビゲーションなども可能です。またOA化されたものであれば、iPadのようなものさえあればその場にいながらにして巨大図書館を自由自在に動き回れるのと同等となって物理的なハンディキャップも影響せず、また機関に所属していなくても閲覧できますので社会的バリアも克服でき、むしろバリアフリーに近いと思われるのですが。
定期刊行物ですと「図書館には紙媒体を配る」という部分については、OA化された論文さえ公開していただければ、余程の価値の高いものでない限り不要だと思うのですがいかがでしょう。
賛同できる部分も多いですが、項目2については慎重であることが望ましいと思います。インパクトファクターを重視するか否かなど分野ごとの違いがあります。ちなみに人文系だとその概念がない分野も多いです。
また、個人的な見解ですが、今日図書館は単なる知のストックのためだけの場所ではなく、敢えて紙媒体の本を置き、初学者に自由に触れて、書架から書架へと動き回ってもらうことを通じて学問の世界に触れてもらう、という知のイニシエーション空間的な機能を果たしているように思います。また、紙媒体は何らかの理由で電子媒体に触れるのが困難な人に対するバリアフリー的な存在にもなっていくのではないでしょうか。教育機関としての大学および公共図書館が持つそういう有形無形の機能も考慮する必要があります。
従って、私としては「一般顧客向けの紙媒体契約は縮小しても図書館には紙媒体を配る」を前提にある程度のOA化が進むことを望んでいます。