2013.10.23 トピックス
研究不正フォーラムの概要とご意見・提案の募集
分子生物学会年会の研究不正フォーラムの概要ができ上ってきました。以下は、年会プログラムに載せる告知です。
日程とタイトル
12月3日(火)10:00 ~ 11:30 研究主宰者や共同研究者が研究公正性に果たすべき役割
12月3日(火)14:00 ~ 15:30 研究機関が研究公正性に果たすべき役割
12月4日(水)10:00 ~ 11:30 研究不正を防ぐジャーナルシステム
12月4日(水)14:00 ~ 15:30 研究不正を防ぐ研究費配分システム
12月5日(木)10:00 ~ 11:30 不正調査の実際と有効性
12月5日(木)14:00 ~ 15:30 まとめ、今後の課題と次のアクション
※セッションの概要は、翌日の朝までに年会HPにアップする予定です。
会 場:神戸ポートピアホテル 地下1 階 トパーズ
近年、研究の発展を阻害するような研究不正が続発し、研究者に対する信頼性が大きく揺らいでいます。ライフサイエンスの研究成果が、医療技術や薬の開発などを通して社会と直結する現代において、研究の公正性を確保することは絶対的に必要です。研究不正を防ぐための何らかのルール・仕組みを、早急に作ることが必要ですが、その任務を主導するべきは我々科学者であると考えます。なぜなら、我々は当事者であり、我々だけが、不正に関する種々の事情を正確に理解し、適切に対応できるからです。もし、我々がこの危機に対して何もしなければ、外部から新しいルールを押しつけられることは間違いなく、それが、不合理で研究の障害になったとしても、何一つ文句は言えません。このフォーラムでは、これまでの様にスローガン的な結論を出すのでなく、過去の不正事例を検討し、どうすれば不正を減らすことができるかに関する具体的な提案につなげることを目的とします。また、それによって、この問題に対して科学者社会に、健全な自浄作用が保持されていることを一般社会に向けて表明したいと考えます。
フォーラムの形式と内容
本フォーラムは、漠然とした一般論に陥ることなく、不正を減らせるような具体的な提案につなげるため、テーマを絞った6つの独立したセッションから構成されています。各セッションのテーマに適した人材を講演者、パネラーとして招聘し、基本的に講演以外は自由討論という形で議論を深めます。講演を含む、全発言は全文記録し、不適切発言などを削除した後、全面公開します。また、サイエンスライター(2名程度)に記録をお願いし、客観的な立場からまとめをお願いすることを計画しています。
なお、このフォーラムは糾弾のためにあるのではなく、あくまでも未来に向けての改善策を探る事が目的です。このことは、フォーラム参加者全員がしっかりと心にとめておいていただけるよう、お願いいたします。重要な関係者に参加をいただくべく、様々な働きかけをしておりますが、内容の詳細につきましては年会HPにアップデートしていきますので、そちらをご覧いただければ幸いです。
理事長 大隅 典子
以下は年会長・近藤滋による解説+αです。
フォーラムは、テーマを変えて全部で6セッション行われる予定です。各セッションにおける内容は、ゲストの予定により入れ替えになる可能性もありますので、是非直前に年会HPでご確認いただけますようお願いします。どのようなゲストが来るかが重要です。絶対に確実とは言えませんが、ジャーナルサイドからはN誌の編集者が来てくれる可能性があります。また、研究費の配分機関からも、担当者が来てくれることになっています。あと、不正の起きる背景や、どうして防げなかったのか?を考える時に一番大事なのは、その不正の中核にいた人達であり、彼らの証言が極めて重要です。彼らをフォーラムに招きたいと思っていますが、今のところお約束はできません。
フォーラムでは「どうやれば不正を減らせるか」を建設的に話し合うのであり、それぞれの立場を攻撃しあう事では無いので、そのあたりを心にとめてフォーラムに参加していただけると大変ありがたく思います。
議論する内容に関してはある程度固まってきていますが、特に議論してほしいことや提案があれば、この記事のコメント欄に書きこんでください。また、当日発言したい、という人がいれば、そのこともコメント欄に。確実とは言えませんが、実行委員会で取り上げて検討します。
以下、コピペ論文の処理に関する私の意見です。(フォーラムで発言しようと思っています)
不正問題に関して研究者間で話していると、大抵の場合、ジャーナルが強制的にリトラクションしないのが悪いとか、研究費の回収を行わない配分機関が悪いとか、結果を発表しない@@大学の首脳が悪いとかいう話が出てきます。実際そういった面もあるでしょうが、考えれば彼らは研究をサポートする立場です。まず、研究者自身に自浄作用があることを示し、それを研究者以外の当事者や社会全体に浸透させることが大事であると思います。公正局は確かに必要でしょう。実際に、不正事案は多発しており、それを関係機関がうまく処理できているようには見えませんから。しかし、公正局ができても、それがうまく運用できるかどうかは、研究者自身の良識のレベルにかかっていると思います。
いわゆるコピペは、データだと主張している図に、違うものが存在しているわけなので、悪意があったかどうかに関係なく、「その論文が信用に値しない」ことを明瞭に示しています。たとえ、コレクションをジャーナルが認めたにせよ、読者はその論文のデータを信用しないので、その論文は「アカデミックな意味で」存在価値がありません。したがって、その論文に関する全てを代表する責任著者の義務として自主的にリトラクションをするべきだと、私は思います。自主的なリトラクションは、その研究者が正常な倫理観を持っていることの証拠の一つにもなります。また、リトラクションにより、少なくともアカデミックな意味では、不正事案自体が無くなるので、その方が研究者自身や関係者にとっても安全です。(不正論文で多額の研究費を得たとかの「社会的な責任」はまた別です。)
考えれば、「コピペ即リトラクション」のルールを作るまでも無く、コピペ論文の無価値化は容易にできるはずです。現在既にネット上に挙がっているコピペ論文のリストを網羅したデータベースを作り、それを研究費の申請書やポストへの応募書類についてくる業績と照合すれば良いだけですから。そんなソフトは、簡単に作れるはず。その照合に引っ掛かれば、その申請・応募は間違いなく却下されるでしょう。そうなると、そんな危険のある論文を業績欄に入れることは怖くてできません。コピペ論文は、自動的に無価値になります。既にやっている機関だって、あるはずです。あるいは、文科省や学術振興会に近い人が、そのようなデータベースを持っている、とつぶやくだけで十分に大きな効果が得られるかもしれません。JSPSやJSTは直ぐにでもやるべきだと思います。(もうやっているかもしれませんが。)あるいは、NPOがやっても良いかも。一人でもできるでしょう。
解説+α部分文責:分子生物学会年会長・近藤滋
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研究不正に関しては相次いで大型事件が起こっていますが、これに対してどのように取り組むのかについての動きは鈍いようです。本サイトは、科学研究者自身がこの問題をどう考えるか、そしてどのように取り組むべきかを議論するという点に本質的な価値があります。報道や法曹、行政では判断が難しい課題については、専門家が自らの手で解決するしかありません。生命科学研究者を取り巻く現在の状況は危機的ではないかと思います。ここは分子生物学会の大会に向けて設置されたサイトなので、現在は注目されていないことと思いますが、意見を表明する場が他にありませんので書き込みます。
1.研究者の評価、研究費配分における問題点
研究者個人のモラルという問題を越えて、研究不正が悪質、大型化してきた背景には、研究者の評価方法の劣悪化と、競争的資金を通じた異常な格差拡大があります。産業化を見据えた研究課題には社会からの要請や、重点化があって良いでしょうが、基礎研究については革新性のみが評価されるべきであり、そもそも既存の価値観をもとにしたバイアスがかけられる状況は不適切だと思います。あるいは、大学であれば次世代の研究者の育成も重要な責務ですが、そうした観点を採り入れた人事選考は明らかに減少しており、ビッグなグラントが取れるかどうかが重視されています。
2.研究不正に対する取り組み
文科省からは、間接経費削減をテコにし、研究機関の自主的対応を強化するという方針が打ち出されています。一方で、ここで議論された公正局的なアイデアは今回も見送られることになりました。その結果、1)学内の研究者が急に調査委員としての時限付きの作業を強制させられる、2)研究期間ごとにばらばらの処分が行われることにより、地位保全の訴訟が頻発する、3)大学のコスト負担を避けるために内部告発は隠蔽される圧力が増す、といった弊害が生じるおそれがあります。学長の権限拡大はこの問題に関しては悪い方向に作用する可能性もあります。また、法律家等への外部委託も認められるようですが、悪質な研究不正と小さなミスとの区別は専門家以外では判断が難しいでしょう。研究不正のコアの部分を法曹に任せることによりどのような事態が生じるかについては、既にいくつかの事例から問題点が明らかとなっています。
研究不正そのものは昔からあったと思いますし、決定的な証拠が誌面上で押さえられるという事例の方が稀ではないかと思います。現在の惨状は、コンピューターの処理能力の向上とPIのITリテラシーの乖離から生まれた僥倖(当事者にとっては不幸なことですが)であり、この機会を活かして改善のための議論を進めることが大事ではないかと思います。公正局というアイデアが何度提案されても一向に採用されない理由は、上記の特殊な事情によるところも大きいとみています。即ち、PIが(ITリテラシー等が低いために)見抜けなかった昔の研究不正を今頃掘り起こされては現在の研究者内のヒエラルキーが崩壊してしまうという懸念をもつ方が多すぎるように思います。大事なことは研究不正が日常となったラボから新たな指導者を出さないことであり、誠実な研究の取り組みを奨励することです。トップ研究者のあら探しではなく、我が国の将来の科学のありかたを真剣に考える人物をトップにつけることで、公正局は適切に機能すると思います。
不正のある論文を検出し適切に対処することは間違いなく重要ですが、究極的な目標は今後の不正論文の数を減らすことだと思います。そのために、発表される全ての論文について、必要に応じて事後の検証が容易に行える状況を作ることが重要であると私は考えます。
そのための具体的な手段として例えば次のようなことは実現可能だと思います(容易にとは言いませんが)。まず、生データは論文発表後最低x年間保管する、発表された図を作成した手順を記録として残しておく、など不正の有無と無関係に最低限遵守されるべきであろうプラクティスのガイドラインを示します。その後、継続的にガイドラインの公布以降に発表された論文の中から無作為に抽出して、ガイドラインが守られているかの調査を行います。生データが提出されるか、そのデータから発表された図を目の前で作成できるかはたいていは客観的に検証可能だと思われるのでただ審査を行い結果を発表するだけです。その過程で深刻な不正が発見されてしまった場合は放置できないかもしれませんけど。
不正のない大多数の論文にとっては余計な手間を増やす迷惑な調査かもしれませんが、少なくとも対象となった論文がガイドラインを満たしていたという(もしくは不備があったという)事実は公表され記録として残ります。この方法で不正が発見されることはあまり期待できませんが、「論文の内容を検証するのに必要な情報がすぐに提供できること」がスタンダードとしてうまく確立すれば、不正な操作に対しての抑止力として一定の効果がありそうに思えます。
思いが文書に出てます(笑)いずれにしてもこのブロック削除した方がよいかもです。
上のコメントを書いた時に、「これは2chにピッタリのコメントだなあ。でも、あっちに書きこむのはちょっとなあ」とおもい、つい、最後に不必要な一文を入れてしまいました。そのため、ozakiさんに無用な詮索をさせてしまったようです。申し訳ありません。上のコメントは24時間後に撤回します。
第一著者や責任著者であるにも関わらず、論文に掲載するデータの生データを見たことがなかったり、投稿版の図表の作成結果に無頓着な方がいるというのは驚くべきことですが、生命科学においては相当数こうした研究者がいることは事実です。ビッグラボや医学部ではしばしば常態化しており、番頭さん的な研究者が失態を責められることも多いようです。
そもそも責任著者のするべきことは何か、万が一不正やミスがあったらどう対応しなければいけないかということは、独立研究者になるまでには教育を受けるべきだと思うのですが、そういう仕組みはありません。近藤先生のご意見は研究者の矜恃というものをふまえたご意見であり、研究者はこの問題をどう解決すべきかという問いへの本質的な回答だと考えます。
リトラクションは真面目な研究者にとっては痛恨の出来事ですが、それを自ら選択し、やり直すことが責任著者に求められていることだと思います。忙しすぎて論文には手が回らないというのであれば、研究者は廃業した方が良いと思いますし、そういう方が有能というのであればアドミニストレーターとして活躍する場を作ることを考えた方が良いと思います。
???
私はこちらにしか書きこみません。
明らかなコピペ即リトラクションでよいですが、「エラー訂正を認めることが、その研究者が沈むことだ」という論調であおることもないと思いますが。。議論が難しいところからはじめるのではなく、先ずは制度として大局に変化がないところから始めてはどうでしょう。これでは全てがストップします。
2chの全文をこちらにアップするのは、内容的に不可能です。また、取捨選択すると、そこに意図が含まれてしまう可能性があり、良くないと思います。御自分で見れば良いことです。
2ちゃんでないと議論にならないのは何故です?2ちゃんの意見のこちらへのコピペも宜しくお願いします。
コピペ>リトラクション、に”反対”の人に質問です。
ライバルラボに先を越されたため、あなたの論文は低ランクの雑誌行きとなり、発見のクレジットを得ることはできませんでした。しかし、ライバルラボの論文にはコピペが発見されました。もし、ライバルラボがそのデータの実験を真面目にやりなおしていたら、あなたの論文の方が早かった可能性があります。リトラクションになればあなたが最初の発見者となりますが、論文のエラー訂正が認められれば、あなたは沈んだままです。
あなたは、エラー訂正が認められるべきだと思いますか?
(だれかこの質問を2chにもコピペしてあげてください)
>現状では、個人を保護できる窓口は殆どなく、実名の方が告発者に取ってメリットが大きいことは極めて稀(個人的には、ない)と思っています。
僕も同感です。ただ、事務方の視点(実名のほうが守ってもらえる)は今まで考えたこともありませんでしたし、たしかにそれが理想ではあるかもしれないので、一応ここに書き込ませていただきました。
「ペナルティーを受けたあとでも」は、先生がおっしゃるような意味です。失敗してもやり直せる可能性は残しておいた方がよいと思います。
コピペは今後それほど出てこないと思いますので、主に過去分を扱うことになると思います。下記の先生の回答にもあるように、研究者にとり論文は人格と重なるとすれば、色々出てきます。また、技術支援の制度上の問題なども解ります。担当2〜3名で1年かからないです。癒着や大型研究費の出来レースを扱う上でのベース資料にもなります。論文自体がなくなってしまうと、それが追えなくなります。取り敢えず、メガコレクションのみ先に対応し、1年くらいですべて処理するスピードは、遅い訳ではありません。
割って入って頂いても問題ありませんよ。コリゲとは、訂正という意味です?
私は、リトラクション自体に反対と言っているのではなく、その取り扱いと基準は決めるべきという主張です。自主的(個人の基準)か、一定の基準を儲けるべきか、一律で扱うかそうでないかの違いです。
明らかな図の改竄があった論文に対する取り扱いに関しては、その頻度、悪質度、論文の性質においていろいろな意見の分布があると思います。尾崎さんと近藤さんのやり取りに割って入るのはなかなかはばかられるところもあると思うので、一度、数はそれほど多くないでしょうが、このサイトを訪れている方々の意見分布のアンケートをとってみるというのはいかがでしょうか。PIとそれ以外(学生さん・ポスドク)の意識の違いも分かるかもしれません。
明らかなコピペが一つでもあった論文はリトラクションする(してほしい)。
明らかなコピペの内容や論文の内容によってはコリゲで済ませる(済ませてほしい)。
みたいな。過去の論文、今後の論文、に分ける事も必要かな?なんかどんどん質問が複雑になってしまいそうですが。。。
研究者にとって論文は人格と重なります。たくさんの論文を精査するということは、その人物を精査することと考えます。
かなり深刻な捏造であれば、リターンマッチの前に、最低限、「使った研究費の弁済」、「捏造で迷惑で被った人の同意」が必要です。「ペナルティーを受けたあとでも、」というのがその意味なら同意です。
自主的なリトラクションが一番有効な方法であろうと「提案している」のは私個人であり、分生理事会はなんの関係もありません。別に強制するつもりもないです。理事のなかには、このような掲示板を運営すること、や不正問題に介入することを明言する人もいます。
原因究明は、非常に深刻なものについて徹底的にやれば良いと思います。それを監視するものとして公正局は必要です。これは、基準のブレがあるのはいけないので、公正局が正しく監視しなければなりません。
小さいコピペ事案は、非常にたくさんあると思います。しかも、その原因は調べたところで、つい出来心、とか、データを綺麗に、とかの理由しか出てこず、しかも研究費やポストにも繋がっていないものもたくさんあると思います。原因を究明したところで、予防に繋がるようなものは出てこないでしょう。それら全てを公正局で扱うことの問題は、その膨大な数により機能がパンクしてしまうことです。公正局は、もっと大事な、例えばいろいろな癒着とか、大型研究費の出来レースとか、そういった疑惑を追求する余力がなくなります。つまり、尾崎さんが最初から主張しているような諸問題に取り組めなくなるということです。
自主的なリトラクションは、自分で自分にペナルティを課すということでもあります。そのペナルティが相当であれば、公正局の介入は必要なく、その分の余力をもっと重要な方面に使えることになります。
公正局をコピペの処理なんぞで手一杯にしてはもったいないとは思いませんか?
追伸です。精査の対象は、個人の研究者(ヒト)ではなく、それぞれの論文(もの)です。よって、仮にかなり深刻な捏造があったとしても(同時に同一人物による発見もあるかもしれない)、その研究者の頑張りによっては、ペナルティーを受けた後でも、リターンマッチはあるということです。
論文の仕分けにそれほど時間はかかりません。先ず、メガコレクションは除けます。次は、複数レビューアのレビュを通し、当事者を介さずして結論が出るものがかなりの数あると思います。更に当事者からの事情徴収が必要な段階のものと幾つかに分かれます。この段階までで、皆さん方が気になる論文はかなり減ります。
自主でなく、しかるべきところが一律一斉にされたらよいと思います。不可能なことではなく現実的な提案です(我々の組織でもやっています)。何故それができないのでしょうか。研究結果に対する評価は、自主でするものではないです。自分達で研究したものは自分達が一番よく解っているので自分たちで評価、判断すればよいといった一連の考え方が、今の日本の審査や評価のあり方にも結びついていると思いますが、すべて一個人のものであれば、生データも実験ノートもすべて各個人が持ち好きにすればよい訳です。
少なくともこのスレッドでの意見は、一律に扱う事に対して反対意見が多いと思います。分生理事会を疑問に思う一番の根拠は、自主的リトラクションで何をされたいのか目的が不明なところです。何故、今のような事態になっているかを知る必要はないのですか?原因を突き止めなければ、更に悪事は巧妙になり悪化するだけです(捏造とは別ですが、小手先の策を繰り返し10年以上が経過し、現在に至るです)。原因究明は個人名を公表せずともできます。それを避ける道を強行に主張されているところが、疑問を生むところです。何故そこまで一律に扱いたいのですか?それでは解決になりません。
私が問題にしているのは、単純な「間違い」や「ミス」ではなく、「コピペ=明らかなデータの改竄」です。この違いは大きいのでご注意ください。ラベルの貼り間違いとか、計算間違いとか、そんなミスは問題にしていません。
リトラクションしてしまえば、その論文は初出ですので投稿可能であり、ちゃんとデータを取り直した後に再投稿すれば良いのです。実験上の手間は、エラー訂正と変わりません。真似の出来ないオリジナリティがあれば、アクセプトされるでしょう。似たような論文が既に出ている場合は、再投稿は難しいですが、科学的な意味での損失はありません。従って、この点でリトラクションに反対する理由はないと思います。コピペ著者は論文を失いますが、それはペナルティとして相当だと思います。
エラー訂正の場合、発見のクレジットを維持できるので、コピペ論文に先を越された人が救われません。この点が非常に重要です。エラー訂正で済むのであれば、他のラボに先を越されないように、結論にはそれほど影響しないが時間のかかるデータをコピペで作り投稿してしまう、という戦略が有効になります。リトラクションに反対する人は、この点をどう考えるのでしょうか?コピペ論文に先を越された人を納得させることはできますか?
個々の論文をどうするかは、筆頭著者が正しいと思うようにすれば良く、誰の指示にも従う必要はありません。それが筆頭著者の権利であり責任です。しかし、どのような対応を取るかで、周囲はその人を評価します。
ひとつの論文の仕分けには、その論文を作る以上の時間と労力がかかると思います。具体的にその仕分け作業の段取りを考えてみてください。
「分生理事が~~」
こういった発言は、悪意による誹謗中傷と取られかねません。言うのであれば、そう考える根拠をあげてください。
内容如何によっては、1つの間違いで全て認めないとはしません。つまり何も聞かずしてリジェクトとはしないということです。
例えば生物系実験ならば、膨大な時間を要して病態モデル動物を作成し、そのモデル動物自体も存在し、そこにオリジナリティがある作成方法や結果がある場合は、その論文は表に出て欲しいと思います。同じような実験は工学系、化学系研究にもあります。1つでもミスがあれば、すべて認めないとは思っていません。
ちなみに我々の論文をリトラクトして欲しいという希望であるなら、ご心配には及びません。これは捏造ではないですが、正式な手順を踏んでリトラクトしようと思っています。今回、『すべて一律自主的リトラクション』に賛成できない理由は、分生理事らにすべての証拠を隠滅したい意図が見え隠れするのを感じるからです。
やる気になれば、論文の仕分けをし、処分するもの残すべきものを決めていく作業にそれほど時間がかかるとは思っていません。本当に日本の科学技術分野のことを思われるのであれば、『一律自主的リトラクション』という安易な方法には走れないはずです。
データの改竄はリジェクトの理由にはならないということですね。
私がレビュアーの場合、その論文内容のその分野での位置づけで対応が変わります。報告として重要と考えた場合(それが今流行だからという意味ではありません)、データ改組部分の指摘をします。かつ関連箇所の実験の追試と別の角度からも実験するよう要求します。この過程で、専門家同士は、その現象が確かどうか解ってきます。全体としてレビューに値しない内容と思われた場合は、リジェクトします。
理研在職時、相談窓口側だったことがあります。また、早稲田大学では監査室等、相談処理窓口がどのように問題を処理していくのか、目の当たりに見てました。恐らくどこの大学も研究機関もあまり違いはないと推測します。現場担当者の方々は、それぞれに、その部署の果たすべき役割を全うしたいとお考えと思いますが、多くの場合は、実際は、組織上層部と情報が共有されていますので、最終的には、上部組織や職階の高いものの意向が通りやすくなり、それに従うしかなくなります。
文科省やJST窓口も最終的には、個人を守るというより組織を守るための結論を誘導しやすい傾向があります。
よって、現状では、個人を保護できる窓口は殆どなく、実名の方が告発者に取ってメリットが大きいことは極めて稀(個人的には、ない)と思っています。
こちらの質問
<<あなたがレビューしている論文に、明らかなデータの改竄(例えば、ひとつのFIGに出てきた画像が、別の図にコピーして違うデータとして使われている。)を発見した時に、どんなコメントを返しますか?>>
についてはいかがでしょう。
中川さんの心配は、完全に杞憂だと思います。
加藤論文のすべてがりトラクションされても、同業者の誰も困らず、逆に、不正なものが除かれたということで、研究は活性化すると確信します。
重要なものは、製薬につながるはずなので絶対に追試されているはずであり、加藤論文がなくなれば、その追試の論文が初出になり、クレジットはそちらに移行するからです。
また、リトラクションは贖罪としても有効であると思います。公的なおとがめがなかったとしても、本人たちにとってはかなりのダメージであることは間違いありません。自らリトラクションをしたのであれば、その人のアカデミックな意味での尊厳は保たれて然るべきだと思います。
上記の事例(コピペのメガコレクション)があった場合は、近藤先生と同じ立場をとります。ただ、それを信頼できるところから情報発信する必要があると思います。
また、コピペのメガコレクションと言う条件だから回答が出せる訳で、状況を知る事なく、『〜と判断する』とは言えないと考えます。
論文の撤回にかかる事務的コストもそうですが、それまでに積み上げられてきたサイエンスを再構築するためにかかるコストが気になります。リトラクションしてしまうと、それは「ああ、あれは全ておとぎ話だったのか」ということになってしまい、もしそれが「真実」だった場合、少なからず科学の進歩を遅らせる事になってしまいます。重要な成果であればリトラクション云々に関わらずどんどん使われるから構わない、という考え方もあるかもしれませんが、山中さんのような重要な大発見でなければそこまではいかないでしょう。重要な発見でないものはリトラクションしたって影響は無い、という考え方もあるかもしれませんが、科学の進歩は多くの場合地道な小さな発見の積み重ねによるところが大きいと思います。ですので、大量のリトラクション論文が出るという事は、その大半の内容が正しいという前提付きではありますが、かなりコストがかかるのではないでしょうか。
関係者一同全くおとがめなしという事態を生み出させない強力な手段であるとは思いますが、、、
アカデミアの判断ではなく、あなたの判断を聞いているのです。
公正局を運営には、内部で意思の統一が必要です。コピペ論文に対して、それぞれの人がどのように判断するかを聞いて、コンセンサスが取れるかどうかを試しています。
コストはほとんどかかりません。メガコレクションに対して研究者の多くが、たとえジャーナルは認めても俺は認めない、と考えれば良いだけです。私がグラントや新規採用の審査委員であったとして、応募者の論文リストにメガコレクションの論文があれば、信用できない研究者と判断し大きなマイナス評価をします。中川さんもおそらく同じだと思います。逆に、リトラクションされていれば、リストにその論文がないので評価には影響しません。このような価値判断が一般化すれば、メガコレクション論文を持っていることが不利にしかならないので、必然的にリトラクションされていくはず。別に、リトラクションしなくても、その人が不利になるだけですので、ちっとも構いません。
片瀬さんと尾崎さんが触れられていた不正の告白者の保護、匿名での告発に関して、理研の監査コンプライアンス室の人と話をした事があります。基本的な姿勢として、匿名での告発は受け付けているそうです。告白者の保護に関しても、事務方としては、全力を尽くしていると。ただし、なるべく実名を明かしてほしい。なぜならば、匿名で告発された事案に対して内部調査をすすめる過程で、PIが、その人だろうと目を付けて、契約を更新しないという行為に出る事が考えられる。その際に、実名で告発されていれば、その人を守る事が出来る。匿名だと、もちろん正当な理由なしに契約更改しないというのは許されないが、何かと理由を付けてこられたら、対処が難しくなるかもしれない、とのことでした。
十分に信頼に値する窓口であれば、実名のほうが告発者にとってもメリットが大きいという事らしいです。
あと、匿名の掲示板における告発も、窓口への匿名による告発も、大差ないのではないか、と個人的には思います。単純な画像の重複といった「即検証可能」な事案が現状では大半を占めているからです。ただ、今後、たとえば単純なコピペは即リトラクションというルールが出来れば、そのような事例は水面下に潜ります。検証不可能な告発が掲示板に垂れ流しになればそれは確かに問題です。ただ、不思議なほど、ネット上で回る情報は、見る人が増えれば増えるほど、間違いが修正されて正しいものに近づく、という性質が、現状ではあるように思われます(Wikipediaが良い例です)。権威の無い掲示板やブログの情報だから無視していても問題ない、ということには、ならないでしょう。
レビューしている論文に明らかな図の改竄があればエディターにリジェクトを勧めるのは、多分僕もそうすると思います。ですので、その時点で世にでない事になる、というのはそうだと思います。
だからといって、これまで既に発表されている論文でコピペが一つでもあれば即リトラクションを勧める、となると少々事情が変わってくるかと思います。単純なミスというのは僕は信じませんが、「軽い気持ち」で、結論を変えないのだからまあいいだろうという、という文化が、かなり多くの研究室の間で広がっていたのは、残念ながら事実だと思います。それは今後絶対改めるべきで、たとえばGTCとしては今後コピペのような図の改竄が認められた場合は即刻リトラクションするし、学会としても学会員がそのような行為をした時は即刻リトラクションを勧める、というのは、賛成です。ただし、現状、そのような論文があまりにも多すぎるのも、悲しいながら事実です。それにかかるコストと、いい加減な結論の論文が世から消えるメリットを考えると、僕には判断がつきません。
ですので、僕としては、今後そういう方針でいくのは多いに賛成、これまでの論文に関しては悪質なもの(常習性やメガコレクション)に関して、個別に対応するほうが良い、という意見です。
私も、現在はない公正局の様な第三者機関がある方が良いと考えています。しかし、公正局を作って、全てのやっかい事をそれに任せれば万事OKになるとは思いません。個々の研究者自身が襟を正して不正が蔓延らない様にしていく努力も必要だと思います。(例えば、ギフトオーサーシップを止めるなども、個々の研究者が意識して改善していけることです)
公正局が設置されたとしても、それが思う様に機能しなかった場合は、(研究者自身が何もしていかなければ)現在と同じ問題を抱えた状況のままになってしまいます。
近藤先生が指摘される様に、図の使い回しの様な事をしている論文では、他のデータにも誤魔化しがある可能性が高いと思われます。不注意であったとしても、そういういい加減な論文を出す様な事をしているのでは、使われた試料なども含めて内容が疑わしく思われても仕方ないでしょう。
その他に、気になる事としては不正の告発者の保護があります。特に内部告発の場合、組織的な隠蔽にあったりと、色々な問題もあると思います。こうした問題についても、考えて行く必要があると思います。
<<あなたがレビューしている論文に、明らかなデータの改竄(例えば、ひとつのFIGに出てきた画像が、別の図にコピーして違うデータとして使われている。)を発見した時に、どんなコメントを返しますか?>>
上記まで明確な事例でも判断できないのが、今のアカデミアや科学技術行政なのではないですか。そこに研究者自身による自浄作用などないです。だから、その他にも色々おかしなことが起きてくるのです。予算配分などその典型ではないでしょうか。殆ど、税金を捨てているようなものです。よって、その判断をする場としての公正局が必要なのではないでしょうか。
議論がかみ合っていません。私は上の記事で、誰もが見た目に明らかなデータの改竄(コピペ)がある論文についてのみ述べています。話を広げると議論になりません。
不正の種類は千差万別であり、重要性・対応もいろいろだと思います。しかし、コピペの場合、論文の中に言語道断の間違いが誤りがあることは間違いなく、それは意図的であるかどうかに関わらず重大です。不確定要素が少ないのですから、その処理に関しても、もっとも意見の一致が作りやすいはず。
で、もう一度質問します。
<<あなたがレビューしている論文に、明らかなデータの改竄(例えば、ひとつのFIGに出てきた画像が、別の図にコピーして違うデータとして使われている。)を発見した時に、どんなコメントを返しますか?>>
私は、「コピペが意図的かどうかに関わらず、データを信用することができないので、審査に値しない」とコメントします。これ以外に考えられません。
もし、みなさんが「コピペのところは何かの間違いだろうからリバイスで修正すれば良い。他のデータは無条件に信用する」のであり、それが研究者のマジョリティということであれば、公正局など作っても無駄だと思います。私も、この問題に関わるのはやめにします。
藤末議員より研究公正局(仮称)設置に関する質問主意書が国会に提出されています。
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/185/syup/s185007.pdf
また、科学技術分野改善に向けての発言の匿名性は守られる必要がありますが、明らかに悪意が目的のネットでの流布等は犯罪の範疇と言えます。この匿名性まで守られる必要はないと考えます。
「重要な発見なら誰かが必ず追試をするので、第三者が追試をする必要は全くない、という点に関しては、どうなのでしょう。」というNakagawaさんの意見に同意です。
ある間違った重要な発見が広まっているために、その発見と矛盾する第三者の論文がなかなか受理されない、追試した結果がなかなか公開されない、その結果、科学の進展が妨げられるということがあるのではないでしょうか。
重要な発見なら誰かが必ず追試をするので、第三者が追試をする必要は全くない、という点に関しては、どうなのでしょう。問題のあった研究室の所属機関の誰かが追試をするべきとは思いませんが、海外の誰かに追試の報告を出されるよりも、国内の研究者コミュニティーでケリを付けたいような気がします。もともとこの国の予算が使われてなされた発見であるわけですし。リトラクション論文を放置したままにしないというのも、研究者コミュニティーの責任、ということにはならないでしょうか。もちろん「重要な発見」であることが大前提です。
ちなみにNatureダイジェストに論文の実験結果の70%が再現不可能とかいう恐ろしい記事が載っています。コミュニティー全体として信用性を高めるための努力が必要であると思います。生理機能は?メカニズムは?この雑誌に通すためにはこれこれのデータが必要である、みたいな無責任なコメントを我々研究者がレフリーとしてしすぎた結果こうなったのだと、個人的には思っています。以下一部引用です。
自然科学の根幹を揺るがしかねない事実が明らかになり、関係者、関係機関が対応に追われている。それは、特に医学生物学分野で、論文に記載された多くの実験結果が再現できないという深刻な現実だ。例えば2011年にドイツの製薬会社バイエルの内部調査で、同社で進めた67のプロジェクトのうちの約2/3で、関連する前臨床研究結果が再現できなかったという。これ以外にも実験が再現できないとの調査報告には事欠かず、多額の研究資金を提供してきた米国立衛生研究所(NIH)は、傘下の所長・センター長を集めて、その対応策の検討を始めた。特に臨床試験がからむ研究に資金を提供する場合、もし基礎研究が再現できないのであれば、そもそも助成の検討に値しないからだ。そこで、従来のような専門家による審査(ピアレビュー)制度を廃止し、国際標準で実施されている認証制度のように、第三者外部機関による再現実験を課することまで検討中だという。科学の根底が揺らいでいる。
以下、「明らかな改竄」がある論文に関して記しています。微妙な例は含みません。
1:数学で「@@@@@の定理は正しい」という証明の過程に間違いがあった時に、結論が合っていても無価値です。生物学でも、過程に「明らかな改竄」があれば、それは論文としての最低の条件を満たしていません。
2:レビューアーとして「明らかな改竄」を見つけた場合を考えます。ほかのデータは全て正しいと想定して評価し、リバイスで改ざん部分を直せばOKとしますか?私なら、ほかの部分も信用できないとしてエディターにリジェクトを勧めます。
3:重要な発見なら、誰かが必ず追試しますので、第三者が追試する必要など全くないと思います。逆に、信用できない論文がたくさんあることのほうが発展の妨げになります。昨今、特定の国から送られてくる論文に非常に高い確率でデータ改竄が見つかるという話があります。その国の論文全体が疑いの目で見られれば、とてつもないデメリットです。改ざんのある論文を放置、あるいはメガコレクションを繰り返せば、日本も同じ目で見られます。
4:コピペは誰にでもすぐに判断できるデータの改竄です。リトラクションの判断に調査も報告もいらないと思います。筆頭著者と責任著者が話し合って決めれば良いことです。
個人レベルでできることは、1)疑義を問われている論文に対して、素早く状況を調べ、しかるべきところに報告すること、2)自身の論文分野とその周辺分野への影響力は、当事者が一番よく解っているでしょうから、その分野に対する対応までと思います。あとは客観的なバランス感覚をもって当事者でないものが総合判断をすることかと思います。
図の操作がこれほどポピュラーになっているとは、ガチ議論に参加するまで知りませんでしたが、事実に基づき各論で議論することなく、すべて捏造、不正とネットで扱うなど、足の引っ張り合いの道具に使われることも、公表をためらう理由の1つではないでしょうか。
Shinichi Nakagawaさんの「一発退場というルールを作るというのは、むしろなんとかごまかそうという人を増やすだけのような気もします」という懸念に、私も同意します。
異論も多いでしょうが、1,2本の論文不正の段階ではRetractionさせて厳重注意に留め、再び不正を行った場合には厳しい処罰にするという、段階的な処分をする方がいいのではないかと思っています。
(発覚した時点でかなりの数の不正論文が見つかった場合は別で、その様な場合は最初から厳しい処罰が適用される方が良いと思います)
不正行為の初期の段階で止めるのが望ましいのですが、不正を公に指摘すると研究者の進退の問題にも発展してしまい大げさになるのではないかと遠慮してしまいがちだと思います。その結果、疑念が疑念のまま放置されてしまっているケースが多いのではないでしょうか。
現在は、よほど酷くなってから問題化しているケースがほとんどですが、できるだけ常習化・深刻化する前に止めることが、本人達にとっても助けとなると思います。
初期の段階では処罰を軽くすることで、指摘しやすくなるのではないかと考えます。
それと、論文に使用した試料や実験データに関するものは、もっと気軽に確認を求められる様にできないでしょうか。(これにはシステムの改善が必要だと思います)。疑念を出すことが、名誉毀損とも見られてしまうことで、なかなか言い出しにくい状況があると思います。
論文の結論が間違っている場合にリトラクションする、というのは当然ですが、論文の結論が間違えていない場合にリトラクションだけして万事終了してしまって良いのか?ということもとりあげていただければと思います。虚偽の事実の論文発表がサイエンスの進歩を止めてしまうのはもちろんですが、正しい結論の論文をリトラクションしたまま放置するということも、同様に科学の進歩を止めてしまうことになります。重要な発見だったらすぐにそれに引き続く論文が出てくるだろう、という考え方もあるかもしれませんが、エディターやレフリーは、リトラクションされた論文の結論を前提とした結果の解釈をすぐに受け入れてくれるようには思えません。加藤さんの研究室から出てきた論文にしても、全ての結論が間違えているとは、僕には到底思えません。分野外なのでそのすごさは私には判断できませんが、リトラクションされた論文で転写制御の分野で次につながる重要な発見というものもあったはずです。そういうものに関しては、第三者が再現性を検証するような論文を学会誌の方でとりあげるというようなことも、研究者コミュニティーとしてはやっても良いのかと思います。図の改竄が認められるからこの論文は不正である、という調者報告だけ大量に残るのは、あまりにも不毛です。
研究不正が起きない仕組みを作る事ももちろん大事ですが、研究不正の指摘がなされたときに個人としてどのような行動を取れば良いのか、どのような振る舞いが模範的といえるのか、ということを研究者コミュニティーで共有する事も重要であると思います。
顧客情報の流出が発覚するや即日販売を「全て」停止し、倒産した訳ではないと社員を励ましながら再発防止策をたて、50日後に再会したジャパネットたかたさんの事例はリスクマネジメントの模範とされています。目薬に毒薬を混入したという脅迫を受けた参天製薬が犯人との取引に応じず、全製品を店頭から回収し消費者の安全を優先したという事例も有名です。
学会レベルの対応や所属機関レベルの対応などが話し合われると思うのですが、ぜひ、個人のレベルでどうするのが良いのかも話し合って、我々がそういう状況になった時にどのような行動をとれば良いのかの、分子生物学会からの指針を示していただければと思います。近藤さんは不正が発覚した時点で即刻リトラクション、という案を提示されているようですが、リトラクションはともかく、そういう事例があったということを素早く公表して対策を打つことは、個人的には大切だと思います。素早い公表をためらってしまう雰囲気があるのだとすれば、それがなにかを考えなくてはいけません。たとえば、一発退場というルールを作るというのは、むしろなんとかごまかそうという人を増やすだけのような気もします。
はじめに戻りますが、以下が1000字で纏めた時の一部です。下記のような組織が合議のもとルールを決めていくということです。目的は、あくまでも日本の科学技術分野をよくすることです。研究者の糾弾や抑圧ではありません。
規模:5〜10名程度 予算規模:年間5億円程度(経済効果の全く期待できない研究費への配分を回せば、この行為だけで、課題の有効な運用と経済効果が見込める)
構成員の条件:トップは科学技術の健全な発展のために尽力できる公正性に対する感覚を有するもの。学術界、官界以外の産業界か検察、法曹、或は司法界出身者がのぞましい。現役研究者あるいはすでに何らかの役職、名誉職(アカデミア役職者、日本学術会議、総合科学技術会議、トップダウン予算委員会委員等)にあるものは必ず除く。年齢は原則55歳まで、定年退職時の異動は不可。構成員内に元研究者(PI経験者)を入れる。着任後は永久に研究費申請資格を失うことに同意する。
構成員とは、一貫した公正性、秘密保持等における要求を厳格に約束した契約を交わす(できれは法的に縛る。現在検討中の特定秘密保護法内扱いとしてもよい)。代わりに、それ相当の待遇と身分を保証する。構成員の働きの質は管理される必要があり、その評価は別の機関が行う(例えば公正局が文科省外に設置された場合は、文科省が評価してもよく、文科省内に設置されるのであれば、文科省外の機関に評価を依頼する)。
業務内容:シンガポール宣言にある項目すべてあり、活動原則は、1)研究全ての側面における誠実性、2)研究実施における説明責任、3)他者との恊働における専門家としての礼儀および公正性、4)他者の代表としての研究の適切な管理、を実行するための業務である。
不正の芽(告発)があった場合は、早いうちに受付、真に公正な立場で調整を行う。この業務を事務的に行うことは『研究の自由や独立性』を妨げるものではない。公的予算を使用しているからには、その運用状況を公正に判断されるのは当然のことであり、一部の官僚や研究者の好き放題になることの方がおかしい。その違いは明確に区別され議論されるべきである。
どしろうと、ということでしょうか?
だれがそんなことを言いましたか?公正局を運用するには、正しい倫理観が必要であると言っているだけです。しつこく言いますが、現状では公正局は間違いなく必要です。
倫理教育を徹底してから公正局をつくるという提案は、やらないのと同じです。
何度も言いますが、公正局は必要であると考えています。その公正局を正しく動かすには、マジョリティの正しい倫理観が必要であると言っています。
公正局に科学者が参加してもよいですが、そのトップは、学術界や官界でない方が好ましいと思っています。研究者からは色々情報を取るだけでよいのではないでしょうか。
やらない(公正局は作らない)とは一言も言っていません。それが正しく運営されるには、科学者のマジョリティが正しい倫理観を持つことが必要であると言っています。
どこの国もどこの組織も、試行錯誤で変えていくのではないですか?完璧は存在しないので今のままでよいといのは、努力を放棄しているように見えます。
完璧なんてありえません。しかし、公正局を運営する人は、正常な科学的倫理観を持っていてほしいと考えます。それはどういう人かと言えば、自分の論文が疑わしいかどうかを自分で判断できて、自分で処置できる人です。
すでに一部の研究者に情報と権力の集中が起きているではないですか。だからこのような事態になってきたのだと思います。これは、このまま放置でよいとお考えですか。すべてを有耶無耶にするということは、現状を更に悪化させる可能性が高いということです。このフォーラムでの議論内容を『どのような公正局が必要か』というテーマに変えませんか。
尾崎さんは、現在のシステムは全く公正でないと考えています。次のシステムが公正であるとなぜ信じられるのでしょう?
すでに一部の研究者に情報と権力の集中、癒着が起きているではないですか。だからこのような事態になってきたのだと思います。これは、このまま放置でよいとお考えですか。すべてを有耶無耶にするということは、現状を更に悪化させる可能性が高いということです。このフォーラムでの議論内容を『どのような公正局が必要か』というテーマに変えませんか。
公正局の存在にそこまで抵抗を感じられる理由はなんですか?命令されるのではなく、公正な議論のもとで物事を決めていくのです。
少しでも公平な判断ができるように努力していくのが正しい姿なのではないですか。完璧でなければやらないというのはおかしいと思います。
給与が国から出るのであれば、利害関係から独立などありえません。民間であるジャーナル編集部だって、公正な判断をしているとは思えません。
もう一回問います。疑わしい論文を自主的にリトラクションする人と、公正局に命令されるまでリトラクションしない人でどちらが自身の責任を果たしていると思いますか?
私が一貫して申し上げている公正局は、科学技術行政から利害関係が独立した機関(或は、2つの組織に競わせるなど、癒着しない機関)のことです。
尾崎さんが全く信用していない現在の科学行政決定機関も、公式機関です。
だから早く公式に片付けましょうということです。なんでも有耶無耶にして葬り去ればよいというものではないと思います。次に控えている、『悪意ある科学者の行動規範』用のルールを作る上でも重要です。
リトラクションで、アカデミックな意味では事案自体が無くなります。放置すれば、信用できるかどうか解らない論文がいつまでも残り、それは筆頭著者の責任を果していないことになります。
完璧な判断を下せるところなどどこもありません。裁判でも判決は変わる事があるわけですから。しかし、そこには証拠をもとに議論するルールがあります。公正局は、少なくとも公式機関なのですから、今のような何の調査も情報もない状態での議論にはなりません。反論がある場合は、そこでされたらよいと思います。今よりはずっと健全と思います。
公正局が正しい判断を下せると考える根拠は何ですか?
自分の判断と公正局の判断が異なった時にどうしますか?
ここで、すべてを自主的なリトラクションで片付けてしまったら、原因究明は永久にできなくなる可能性が高いです。色々なケースがあると思いますので、何が原因であったかは、明らにすべきと思います。そうでなければ、同じことは繰り返し起きます。これは、信用する気になるとかならないとかいったお話ではなく、極めて事務的な話と思いますが。
できるだけ不正をしにくいシステムに変えていく事が大事だと思っています。
その1つが、論文投稿時に、加工前の生データをsupplemental figuresとして提供するもので、既に一部の雑誌でこのルールが導入されています。生データを提供せずに画像の加工が発覚した場合は、掲載誌側から生データを要求するか、論文の取り下げをすることがしやすくなります。
これで全ての不正対策をする事は無理ですが、最近多くなっている画像の細工による不正の多くは排除できると思います。
こうした動きに賛同して、雑誌側にそうしたルールが無くても、自主的に生データをsupplemental
figuresとして提出する人達も出てきている様です。後で疑われる心配を考えたら、最初から生データを提出しておけば、気が楽ですし、こうしたやり方を広めていくのは個々の人達が自主的にできる対策であると思います。
前提とし公正局の設置があるのであれば、早いうちに設立をし、そこに任せてしまった方がよいのではないでしょうか。公正局の采配によりマジョリティの研究者の正しい倫理観(或はルール)は確立できると思います。
>研究者の自主性だけで学術界が改善されるとは思いません。
そんなことは言っておりません。公正局の設置を前提としたうえで、それが正常に運営されるためには、マジョリティの研究者の正しい倫理観が必要ではないか、と言っています。
不適切かどうかは、その時に判断します。もう、マスコミに実名、組織名が出まくっているので、今更書くす必要もないものも多いでしょう。
コピペが訂正された論文のデータを100%信用して、それを前提にした研究計画を立てますか?ひとつうっかりがあるのなら、他のデータもうっかりの可能性が高いとは思わないのですか。
自主的にリトラクションした人と、明らかなコピペを指摘されても強制されるまで処置しない人や無理やりメガコレクションでごまかす人のどちらを信用する気になりますか?
公正局を作るとした時点で、大きな権力になることは自明です。どのような形態が一番良いかは、議論して探していけばよいと思います。しかし、情報と権力の一極集中は危険な香りがします。
>学会で何を提案したところで、実際に上手くいなかければ、健全な自浄作用の保持の表明にはならないと思います。
うまくいく提案を皆で考えようというのが、フォーラムやこのHPの趣旨です。プログラムの内容は、今からでも変えられますので、改良、あるいは代替え案があれば是非ご提案ください。
重要な関係者に参加をいただくべく、様々な働きかけをしておりますが、内容の詳細につきましては年会HPにアップデートしていきますので、そちらをご覧いただければ幸いです。
上記から、察してください。
> 考えれば、「コピペ即リトラクション」のルールを作るまでも無く、コピペ論文の無価値化は容易にできるはずです。
> 現在既にネット上に挙がっているコピペ論文のリストを網羅したデータベースを作り、それを研究費の申請書やポストへの応募書類についてくる業績と照合すれば良いだけですから。
ネット上に上がっているリストを信用しすぎです。ここ半年の匿名掲示板の大半のリストは私一人が作ったものであることを忘れないでください。ある程度納得できるものが列挙されているとすれば、それは偶然が作り出した刹那的な状況に過ぎません。JuuichiJigenさんは脅迫に近いものあるいは脅迫を受けながらもあのサイトを続けています。そんな人がこれからもずっと現れるとは思えません。また、誰かが似ても似つかないものを似ていると大量に列挙し出したら、どうしようもなくなります。
> 既にやっている機関だって、あるはずです。あるいは、文科省や学術振興会に近い人が、そのようなデータベースを持っている、とつぶやくだけで十分に大きな効果が得られるかもしれません。
> JSPSやJSTは直ぐにでもやるべきだと思います。(もうやっているかもしれませんが。)あるいは、NPOがやっても良いかも。一人でもできるでしょう。
実務的には一人で出来るでしょう。しかし、大きな権力を持つことにはなりますので、それなりの人数の人には関わらせ、権力が暴走しない仕組みも作らないといけないと思います。
批判をたくさん書きましたが、捏造問題を大きく取り上げる唯一の学会である分子生物学会と、今回の近藤先生の試みとご尽力には大きな敬意を持っております。
> 自主的なリトラクションは、その研究者が正常な倫理観を持っていることの証拠の一つにもなります。
科学的には正常な倫理観でしょう。しかし、社会的には正常的かどうかはわかりません。リトラクションすれば、その論文で職を得た人の首や、その論文に基づく予算で雇用されているポスドクの首はとぶわけです。もう100報以上論文があるようなPIにとっては影響ないかもしれませんが。リトラクションは、そう簡単にできるものではないはずです。
社会的なことはまた別とお考えかもしれませんが、最終的な対応の前には社会的なことを考えないわけにはいかないはずです。 そもそも人間の集団が、論文や雑誌の価値をある程度の合意のもとに定める行為は、科学的行為ではなく、宗教的行為や社会的行為に近いもののようにも思います。近くなり過ぎないように、常に工夫を、常にいたちごっこをしていくことが必要なのだと思っています。
> また、リトラクションにより、少なくともアカデミックな意味では、不正事案自体が無くなるので、その方が研究者自身や関係者にとっても安全です。(不正論文で多額の研究費を得たとかの「社会的な責任」はまた別です。)
リトラクションをしたという経歴は、安全どころか、アカデミックの人間として一生残る傷になっていると思いますが。前科と同じです。現状においては、Pubmedで検索すればすぐわかります。この傷は社会的な傷ということでしょうか。
> 講演を含む、全発言は全文記録し、不適切発言などを削除した後、全面公開します。
どのようなものが不適切発言に当たるのか、一定の指針があるといいと思います。 一般的な放送禁止用語や個人名を上げての非難だけがダメなのでしょうか。それとも、組織名を上げての非難も不適切なのでしょうか。 捏造論文の著者達に人事で負けた人や、代わりに奨学金返済や学振不採用などを負わされ数百万円の金銭を国に払っている人は少なくないはずです。たかが一報の論文でも、共著でも、駆け出しの時期には人生を分ける分水嶺となります。自殺をした人、結婚が出来なかった人、子供を作ることを諦めた人、少なからずいても全く不思議ではありません。相当な恨みを当事者たちに持っている人がいることは必至ですから、指針は定めた方がいいと思います。今回もGenes to Cellsに関する発言は公開を阻む要因になるのでしょうか。
> いわゆるコピペは、データだと主張している図に、違うものが存在しているわけなので、悪意があったかどうかに関係なく、「その論文が信用に値しない」ことを明瞭に示しています。
> たとえ、コレクションをジャーナルが認めたにせよ、読者はその論文のデータを信用しないので、その論文は「アカデミックな意味で」存在価値がありません。
そんなことはないと思います。そんなことがないから、最高権威のNature誌やCell誌が修正で処理しているわけです。 もしそうならば、今頃だれもNature誌やCell誌の掲載は誰も評価していないはずです。また、図を作成している最中にうっかりミスをすることは十分に頻繁にあり得ます。それでもうっかりミスもリトラクションでしょうか。
> もし、我々がこの危機に対して何もしなければ、外部から新しいルールを押しつけられることは間違いなく、それが、不合理で研究の障害になったとしても、何一つ文句は言えません。
士気を上げるための言葉とは思いますが、これは言いすぎだと思います。我々は未来永劫ずっと続いていくような仕事をしています。 我々が失敗すれば、これから日本に生を受けるであろう未来の科学者たちはずっと不合理を味わないといけないのですか。 それは科学者だけでなく、一般国民にとっても不幸なことのはずです。どのような愚かしい状況であろうが、明確にこうした方がいいということがあれば、システム改善への文句は官庁に対して言い続けるべきです。日本において言論の自由は保障されていると思います。規制官庁は聞く耳は永遠に持ち続けてしかるべき組織です。ただ、「我々は文句をいつまでも言い続ける資格があります」と宣言するのも変です。こういうことは書かなければいいのだと思います。
> このフォーラムでは、これまでの様にスローガン的な結論を出すのでなく、過去の不正事例を検討し、どうすれば不正を減らすことができるかに関する具体的な提案につなげることを目的とします。
> また、それによって、この問題に対して科学者社会に、健全な自浄作用が保持されていることを一般社会に向けて表明したいと考えます。
前に書きましたが、自浄とは、未来を綺麗にすることだけではありません。今ある汚いものを除く作業が必要です。特に、人間はいつか死にますが、科学論文は永遠に残るものです。その点を大きく勘違いされているように思います。また、学会で何を提案したところで、実際に上手くいなかければ、健全な自浄作用の保持の表明にはならないと思います。
掲示板に寄せられた意見を転載します。ハンドルネーム匿名Aさんのコメントです。
これまでは「良心」という、捏造の実行犯(未来の実行犯)に訴えかけるようなスローガンを掲げられてきたと思います。 今回(フォーラムで)取り上げる項目は、実行犯を取り囲む環境や人々のそれぞれをテーマにしています。(これまでの分生の取り組みとは)対照的だと思います。それはそれで良いのかもしれませんが、この議論が成り立つためには、実行犯がどういう人なのか、 動機は何だったのか、他の人は実行犯にどのように接していたのか、ある程度のコンセンサスが参加者にあることが必要だと思います。
しかし、発覚から2年近く経ちましたが、未だに東京大学は分子細胞生物学研究所の問題に関して一切の報告を国民にしておりません。 筆頭著者が実行犯なのかどうかもわかりませんし、実行犯は他人に強要されたのかどうかもわかりません。 この日までに東京大学から報告が出てこないと、一体何のために話し合っているのか、分からなくなってしまうと思います。 ただ、どのように議題を設定したところで、東京大学からの報告がなければ類似の問題は出てくるでしょうから、仕方がないのかなとも思います。
何処から突っ込んだらよいのやら。
しょーもないコピペ論文の訂正を次から次へと出している人が教授に昇進したりJSTの大型予算取ったりアドバイザーに名を連ねたりしているんですがなにか。本人が悪くなければ許されるということになっているんでしょ?それともただの誹謗中傷?
研究者の自主性だけで学術界が改善されるとは思いません。それができるのならば、とうにできてたと思いますし、科学技術分野は今のようにはなっていなかったと思います。手段を選ばず、事実をねじ曲げてまで意見や判断を優位に持っていく状況をどこかで断ち切る必要はあります。概して発言力の高い研究者が今の状況を作って来たと思います(圧倒的多数の研究者は、寧ろ被害者かと思います)。すべての根本(ねもと)は同じです。
完全に利害関係から独立した組織が諸々の判断をすることこそが大切であると考えます。同じリトラクションでもその過程を経る必要があります。個人的な判断だけでの措置では、それだけで終わってしまいます。また、今後、事実の真偽がなんであれ、匿名の立場を利用し、何でもできることになります。よって、学術界以外での公正局の設置をテーマに上げて頂きたいと思います。